今日はアラン島の北海岸にあるロッホランザ(Lochranza)からフェリーでキンタイア半島(Kintyre Peninsula)の付け根に渡り、ウェスト・ハイランドを北上し始める。
昨日から低気圧の前線がやってきているので天気が心配だが、予報によれば今日はなんとか持ちそうだ。
ロッホランザの宿はB&Bで朝食付きだ。たっぷりの量のスコティッシュ・フル・ブレックファストをいただいて、フェリー乗場へ急ぐ。
宿からフェリー乗場へ向かう途中にはロッホランザ城があるので、ちらっと覗いてみた。
今は廃墟となっているこの城の主な部分は16世紀のものだが、そのベースはアーガイル地方を支配していた MacSweens 家により13世紀に建てられたものだそうだ。
14世紀の初頭、のちのスコットランド王ロバート・ブルースは逃亡先のアイルランドからこの城に入り、スコットランド奪回の戦いに臨んだと伝えられている。
ロックランザの中心はこのお城あたりで、住宅やB&Bがいくらか建ってはいるが、都市的な施設はまったくといっていいほど見当たらない。できたら昼食用の弁当を買いたかったのだが。
キンタイア半島へ向かうフェリー乗場はこの村はずれにある。
そのフェリー乗り場にやってくると、ここには本当に何にもなし。ただ、フェリーを待つための小さな小屋が一つある切りだ。埠頭にしても、そこに船がなければどこが埠頭なのか分からないほどの簡単な設えだ。
そしてそのフェリーは、昨日アラン島へやってきたものとは大違いで、ほとんど『渡し』のような小さな船だった。
されど船は船である。車一台と私たちの他にもう一組のサイクリストを載せて、いざ出航。このフェリー、小さいもののちゃんと船内客室がある。この航路は陸上に切符売り場がなく、船内客室にある窓口で購入するのだが、驚くべきはこんな航路でもクレジットカード払いができることだ。こうした点はさすが英国だと感心する。
ロッホランザから対岸のキンタイア半島の付け根にあるクラオネグ(Claonaig)までは30分の旅程だ。あっという間にこの水道の中程に達したのでデッキに上ってみると、うしろにはアラン島北部のこんもりした山々が見えている。
そして先には、それよりずっとなだらかな低い丘が見える。あれがキンタイア半島だ。
『低い丘しかないみたいだから、今日は楽勝かね〜』 と、この先を知らぬサイダー。
クラオネグ到着。ここにフェリー乗場はなかった。あるのはただ、海に向かって下る穏やかなスロープの道路だけだ。
ロッホランザのフェリー乗場には何も無いと言ったが、それは間違いだった。あそこには小さいながらも埠頭があり、待合室があり、近くには住宅もあった。ところがここにはそうしたもの一切合切なし。船に乗り降りするだけの道しかないのだ。
それはともかくも、今日も無事フェリーは動いて、キンタイア半島に上陸できたのだ。こうなればあとは空の都合次第だ。雲が多いが青空も見えているので、当分は大丈夫だろう。
ただの船着場からは、昨日同様またまた上りだ。それもここは舗装されているとはいえ、ガタピシ道だ。道脇にはすでに、羊が草を食む姿がある。
ひと漕ぎすると、フェリー乗場用の道から上の一般道に出る。そこには道路標識があり、私たちがこれから向かうターバート(Tarbert)までは10マイルとある。その下の『B8001』は道路の番号で、スコットランドの主な道路は頭に『A』か『B』が付く。Aが格上で幹線、 Bはローカルといったところだ。ついでだから言っておくと、Aロードは車用の道、Bロードは自転車用の道と解釈してまず間違いない。
この標識の下には自転車ルートの青い案内板もあり、ここは National Cycle Network (NCN) の78番だということがわかる。NCN は自転車専用道や自転車のために特別に整備された道とは限らないが、自転車で通行するのに適当な道と解釈すればいい。
さて、BロードのNCN78でターバートへ向かう。この道はガイドブックにシングルトラックと書かれていた道だ。
自転車の世界でシングルトラックと言えば、山の中のダートで自転車がすれ違えない道を想像する。だが、一般的にシングルトラックというのは、車にとってのそれを指すらしい。つまり、車が一台しか通れない道ということで、ここは確かに車一台分の道幅しかないが、アスファルト舗装だったから安心した。
ここはボグ(bog)が広がるムーア(moor)で、その先になだらかな丘が続く。ムーアは日本語にすれば湿原だが、ほとんど人の手が入っていないような荒野然とした山野で、泥炭(peat)から成る湿原をボグ(bog)と呼ぶ。同じ荒野でもヒースは、湿気はあっても湿原ではなく、ボグではないようだ。
昔、『ウェールズの山』という映画を見た。英国で山というのは300m以上で、それ以下は丘とされ地図に載らないので、村人が我らが山を山として地図に載せるべく奮闘するというような話だ。丘と山の違いが300mを分岐点にするなら、このあたりはきっとみんな丘だ。
だが、ただの丘でも自転車で越えようとすると、それなりにしんどい。フェリー乗場からはいきなり一発、丘越えだ。
この最初の丘はキンタイア半島を横断し、標高150mがピークだ。わっせわっせ、と船着場から上って、ようやくその頂部らしきところまでやってきた。
上りだったのであまり寒くはないが、ここの気温は11°Cしかない。猛暑の日本を抜け出してきた甲斐があるというものだ。
周囲はほとんどボグが広がるムーアと言っていいだろう。横にあった丘が退き、先に新たな丘が見え出す。
そしてその手前にはロッホ(Loch)も見えている。あのロッホは湖ではなくて深く入り込んだ海だ。
そのロッホへダイブするように下ると、ケナクレイグ(Kennacraig)だ。ここには街らしいものはなく、ただウィスキーで有名なアイラ島(Islay)へ渡るフェリーが出ているだけだ。
ここで道は B ロードから A ロードに入る。B ロードはほぼ例外なく単車線で、A ロードはこちらもほぼ例外なく路肩がない二車線だ。
A ロードの交通量は結構あるので、できれば自転車では避けたい道だが、ここには迂回路がない。
湖のように見える入り江のロッホを木々の合間から眺めつつ進むと、キンタイア半島の付け根にある、このあたりでは最も大きい街ターバートに入る。
ターバートはキンタイア半島東岸の入り江の奥に築かれた港街で、街の入口には大きな教会があり、丘の上には廃墟となった城が建っている。
ヨットハーバーがあり、対岸へ渡るフェリーも出ている。
ここにはスーパーもカフェもあるので、昼食用の弁当を求めてから、休憩がてらカフェに入ってみた。
英国は紅茶の国である、と思っていた。だがここでも、そしてそのあとでも、今となっては紅茶よりコーヒーが一般には好まれているように見受けられた。英国では紅茶は『たっぷり』飲むと聞かされていたが、コーヒーも大抵マグカップくらいの大きさのもので飲まれている。そしてその中身は、アメリカンで、普通のコーヒーはない。
ターバートでお茶したあとは、少し戻って B ロードに入り、西海岸を目指す。ターバートから本日の目的地のキルマイケル・グラッサリー(Kilmichael Glassary)までは東海岸に A ロードが続いており、そちらの方が近道なのだが、先に述べたように A ロードは車用の道なので、あえてそちらに行かず B ロードを進むことにしたのだ。
そしてその B ロードはといえば、細長い入り江に沿って森の中を行く、ほとんど車が通らない快適な道だ。ここからはキンタイア半島ではなくナップデール(Knapdale)になるらしい。
入り江沿いを行くのに海辺を通らないということは、そこに道が造れないということだ。
つまりこうしたところは必然的に上りになる。
少しえっこらよっこらするが、ここの上りは60-70mほどのものなので、問題なくこなす。
再び入り江沿いに下りてきた。
そしてまた森の中へ入る。スコットランドは何となくイメージでは木が生えない荒野ばかりかと思っていたが、これは間違いのようだ。
このあたりの景色は小高い丘とも山ともつかぬものが連続し、そこには針葉樹も広葉樹も生えている。隣のアイルランドに比べるとずっと木々が多いような気がする。だが高木が生えず、低木だけの丘もある。
左手にあった入り江が見えなくなると、どうやら湿地帯に入ったらしい。
スコットランドでは湿地帯の割合がかなり多いそうだ。アジアだと湿地帯は大抵田んぼにされるが、寒いここでは米作はできないので、同じ湿地帯といっても日本などとは印象がずいぶん違う。北海道の湿地帯の中にはこれに近いものがある。
道脇に大きな石造の家が現れた。これはすでに廃墟のようだが、塀の石積みも外壁のそれもまだしっかりしている。
石で造られた建物は頑丈で長持ちするが、それゆえ壊すにも膨大な費用がかかるから、そう簡単には解体できないのだろう。買手が現れるのを待つか、孫子の代まで朽ち果てるのを待つか、どちらかしかない。
ここはカーズ(Carse)という村のようだ。村とはいっても民家が数軒あるきりのところで、地図に村の名は載ってはいるが、いったいどこに村があるの? というようなところだ。
ただしここにはスタンディング・ストーンがある。それは入り江ロッホ・ストーノウェイ(Loch Stornoway)を背にした牧草地の中にあった。羊が草を食む間に、三つの石がすくっと立っている。一番背の高い石は、高さ3m、巾75cmだ。この石のベースからは青銅器時代のプレートが発見されているそうだ。だが結局のところ、こうした巨石文化のほとんどのものは、なぜ造られたのか解明されていない。
このあたりはボグのようだ。こんなふうに、芝生のようなところにちょろちょろした植物が生えているところは、みなボグと考えて間違いない。
ここに不用意に足を踏み入れると、ずぶずぶと行ってしまう。
穏やかな下り坂の先に海が現れ、その向こうにうっすらと陸地が見える。
あれはどうやらアイラ島とジュラ島らしい。
西海岸へ出たのだ。ここの景色はなかなか素晴らしい。
空からはうっすらと日が射している。ところが一部には真っ黒な雲があり、うしろの海の一部には雨が降っている。いかにもスコットランドらしい天気だ。
西海岸の海が見えるところはごく一部で、すぐにまた内陸に入る。アップダウンが再び繰り返されるわけだ。
キルベリー(Kilberry)に到着した。ここには小さな Inn があり、週末にはランチを出すのだが、今日は月曜日なので休みだ。その Inn の前のテーブルを借りて弁当を広げる。
キルベリーを出ようとするとパラパラと雨粒が落ちてきた。これまでの様子だとすぐにあがりそうなので、軒下に避難してしばし様子を見る。五分か十分ほどでこの雨はあがった。
直線基調の北上していた道が穏やかな下りになり、
急に西へ向かうと、正面にジュラ島が現れた。
すぐ南にあるアイラ島はわりと平坦な一つの丘だが、このジュラ島にはポコポコした山がいくつも見える。
海の手前の牧草地では、のどかに羊が草を食んでいる。石垣のところに生えているのはアザミで、これはスコットランドの国花だ。
アザミにはこんな伝説がある。13世紀のこと、ノルウェー軍がスコットランドに侵攻し奇襲のため斥候を放つが、この斥候はもう一歩のところでアザミを踏みつけてしまい、声を上げてしまったため、スコットランドは救われた、というものである。
この西岸北部の道は小さなカーブの連続で、丘もわずかにうねっているため、まるでジェットコースターに乗っているような感覚が味わえる。
丘が揺れているようにも見える。
西海岸沿いの道は大きく見れば、ゆったりとしたカーブを描き、入り江沿いを北東へ向かうようになる。
この序盤は珍しくフラットだ。
この写真はその入り江 Loch Caolisport の入口付近で、かなり広い。この巾は奥に行ってもあまり変わらず、とても細長い湾となっている。
ウェスト・ハイランドのこうした凹凸の多い海岸線はフィヨルドだ。かつてここに氷河が流れ、それが陸地を削っていったというわけである。奥深い細長い湾はフィヨルドの特徴の一つで、その断面はU字型だそうだ。凹凸の多い海岸には三陸海岸のようなリアス海岸があるが、こちらは河川の浸食によってできたもので、フィヨルドとは成り立ちが異なる。
奥深くまで伸びた湾がなくなると、そこから上りが始まる。
西海岸と東海岸の間は、ちょっとした丘になっているのだ。
この上りの途中に片側が切り立った崖状のところがあり、そこからヘザーが生えていた。薄いピンクの小さい花がヘザーで、色の濃い少し大きめの花がヒースだと思う。
これらの花は、岩がちで根が充分に張れないようなところでも育つようで、英国の至る所で見られるという。それゆえ英国の代名詞のような植物となっている。
今日の最高標高地点は200mだ。周囲には標高400mを超す高い?山が見えている。
標高ではたった200mの差しかない今日のコースだが、それは意外にきつく、累積登坂高度は1,000mを越えるから、ちょっとびっくりだ。
その最高地点にはアライル湖(Loch Arail)がある。これはもちろん入り江ではなく完全なる湖。
うしろには雲が多いが、これから向かう先には青空が広がっている。こんなふうに所と時間により天気が目まぐるしく変化するのがスコットランドだ。一日の天気は、『曇り時々晴れ一時雨』と言っておけば、大抵当たる。
アライル湖を過ぎると、待ちに待った下りだ。今日はこの先、もう上りらしい上りはない。
東海岸までまっしぐらに落っこちて行く。
先にどこまでも続く丘が見え出し、その下にロッホが見えてくる。あのロッホは海だ。細長いので海峡と言うべきか。
あの長い丘はグレートブリテン島の本体から鳥の羽根か恐竜の足のように突き出した、Cowal と呼ばれる半島だ。こちら側には凹凸がないが、反対側はもの凄く複雑な形状をしている。
東海岸に下って来た。この入り江は Loch Fyne というらしい。
足元には赤や白の花が咲き、その先の海は空の色を映して、深い藍だ。スコットランドにやってきてからこれまで、天候があまりぱっとしなかったから、海の色はどこも灰色だったが、ここはすごくきれいだ。
海岸道を北へ向かうとアードリシャイグ(Ardrishaig)に入る。
道は A ロードになったので交通量が多く、ここはちょっと注意しなければならない。
アードリシャイグの入口にはケルト十字の石碑が建っている。これはケルト系キリスト教の特徴的なシンボルで、スコットランドで最初期のキリスト教布教の拠点となったアイオナ島には、かなり古いケルト十字が残っている。
5〜7世紀ごろのスコットランドには、西部にゲール人、南西部にブリトン人、南東部にアングル人、それ以外のピクト人という四つの集団があった。その後 8〜9世紀ごろからヴァイキングが侵入する。アングル人とヴァイキングはゲルマン語派で、ブリトン人とゲール人はケルト語派に属し、ピクト語は少なくともケルト語派の要素があると考えられている。
スコットランドとケルトは古くから深い繋がりがあるのだ
ケルト十字のすぐ先にクリナン運河(Crinan Canal)への入口がある。
ここまで来ればあとはのんびり今宵の宿へ向かうだけだ。ということで、この角にあるバーで一休み。
バーにはアルコール以外に、コーヒーや紅茶を始めとするソフトドリンクもある。
クリナン運河(Crinan Canal)はここアードリシャイグとジュラ海峡 (Sound of Jura) に面するクリナン (Crinan)を結ぶ14kmの運河で、19世紀初頭に開通した。
この運河により、キンタイア半島を迂回すること無く、グラスゴーを流れるクライド川とインナー・ヘブリディーズ(Inner Hebrides)間の航行が可能となり、商用船や漁船に短縮路を与えることができた。
クリナン運河には15基の水門があるという。上の写真はその一つで、これはおそらく二番目の門で旋回橋になっている。この海側にもう一基、門があるばずだ。
この運河沿いは NCN78 のルートでもある。それは20世紀半ばまで、動力のない船を馬が曳いた曳舟道を利用したものだ。現在この運河は、実用的な用途よりレジャー用のボートの利用が多いようで、あちこちにヨットが停泊している。
クリナン運河の様々な水門を眺めながら北上して行くと、このあたりでは最大の街ロッホギルヘッド(Lochgilphead)が近付く。ここは買い物があったら立ち寄るべき街だが、今必要なものはないので、どんどことかつての曳舟道を進む。
ケイルンバアーン(Cairnbaan)までやってきた。今宵の宿はこの運河から少し北へ行ったところで、その分岐点がここだ。ここにも旋回橋の水門がある。
運河を離れ、ケイルンバアーンから A ロードに入る。
写真には写っていないが、この道もやはり少々交通量がある。
向かうは古代の巨石文化が残るキルマイケル・グラッサリー(Kilmichael Glassary)だ。
20mほどの僅かな上りをこなすと、ほとんど原野といった雰囲気の何もない平原が現れる。このあたりについては明日、ゆっくり訪れるとして先を急ぐ。
キルマイケル・グラッサリーは A ロードから少し横道に入ったところだ。
そこへは、こんな古い橋を渡る。
宿の前で少々お疲れのポーズのサリーナだが、80km強、累積登坂高度1,000mオーバーのこの日の行程をなんとか終えることができた。
今日のルートには取り立てるほどの観光名所はない。しいてあげればクリナン運河ということになるが、それも一般観光的にはそれほどのものでもないかもしれない。ただ、NCN 78 に指定されていることからも分かるように、自転車で走るにはなかなか良い。何といっても A ロードが少なく、ほとんどが車が通らない B ロードだ。
上りはかなりあるが、長くて上り疲れるようなところはなく、下り坂からは先の丘やロッホが見渡せ、気分がいい。そしてスタンディング・ストーンやボグが広がるムーアなど、ウェスト・ハイランドらしい風景も垣間見られる。晴れていれば★★★、しかし曇り空こそスコットランドらしいと言えるかも知れない。