今日はキルマーティン・グレン(Kilmartin Glen)で先史時代の遺跡を巡り、スコットランド一長い湖だというオー湖(Loch Awe)の畔に建つテイクレガン(Taychreggan)の一軒宿まで。
キルマイケル・グラッサリー(Kilmichael Glassary)の朝、空は厚い雲に覆われている。今日も無事走り切ることができるか。
出発地のキルマイケル・グラッサリーでは、鍵穴型彫刻(keyhole-shaped carvings)とでも言うべきものが彫られた先史時代の石が見つかっている。これは Cup and Ring marks とも呼ばれ、かなり珍しいものらしい。
だが、このあたりで有名なのはキルマーティンの方で、そこにはストーンサークルや砦などの多数の遺跡がある。ということで、そっちへ向かう。
A816を北西に向かうとすぐ、平原の向こうに小高い山が見え出す。そこに近付くと平原は牧草地に変わり、その中で羊が草を食んでいる。小高い山はごつごつした岩でできているようだ。
これは、ダルリアダ王国のダナッド砦(Dunadd Fort)跡だ。
ダルリアダ王国は、紀元500年ごろ、アイルランド島からスコットランドに渡ってきたケルト系スコット人(ゲール族)が建国したもので、ここがその王国の中心だったと考えられている。
ダナッド砦の下には小さな標識があり、その先に小径が続いている。
この道はすぐに急な斜面の岩場となり、ほとんど道とは呼べないようになるが、先人の足跡を辿って登って行く。
しばらく登って行くとちょっとした平場に出る。そこからはやってきたキルマイケル方面の視界が開けていた。下には平原の中に一筋の小川が輝いている。(TOP写真)
写真はここにあった案内板で、ここで出土したものや砦の想像図が描かれている。ダルリアダ王国はこの岩山の頂部を塀で囲い、その中で生活していたのだろうか。
さらに登ると岩山の頂部に達する。そこは意外に狭く、上の写真のような塀で囲うには狭すぎるような気がする。ここは上の写真の左上に突き出た、もう一段高いところなのかもしれない。
ちなみにダルリアダ王国はその後、先住民族のピクト人のアルバ王国と激しい抗争を繰り返すことになるが、9世紀にダルリアダ王ケネス1世がアルバ王国を征服し、スコットランド王国が成立したとされている。
ともかくも、ここからは360°の眺めが得られる。西を見ればうねった小川の流れに沿って牧草地が開かれている。
南はというと、ただの野っパラだ。このあたり一帯はキルマーティン・グレンと呼ばれている。グレンは渓谷という意味だと思うが、ここは渓谷と呼ぶには広すぎる。むしろムーア(moor、湿原原野)と呼んだ方が良くはないか。
ただの野っパラは Moine Mhòr Nature Reserve という自然保護区だ。あそこのほとんどは泥炭層からなり、その先の山との間には、昨日通ったクリナン運河(Crinan Canal)が流れている。このすぐ右手には、ジュラ海峡 (Sound of Jura) に面するクリナンがあるのだ。
こうして見ると、周囲は山で一方だけが海峡に開かれたこの土地は、アイルランド島からやってきて国を作るには適したところだったのかもしれない。
ダナッド砦からはキルマーティンの中心部へ向かう。
その途中にあるのが、Ballymeanoch Stone Row だ。ごく細い小川が流れる牧草地の中に、前に四つの列石、そのうしろに二つの石が立っている。このうち一番高いものは4mほどで、中には孔を開けられたものや、キルマイケルのもののように丸い模様が彫られたものもあるらしい。
だが生憎、ここで雨が降り出した。ボグ(泥炭地)の中をあそこまで行くのは至難の技だと判断し、ここは遠くから眺めるだけにした。このあたりには他に遺跡が四つあるのだが。
雨の中、キルマーティンの遺跡群へ向かう。キルマーティンにはその案内所を兼ねた博物館(Kilmartin Museum)があり、最初にそこで情報収集してからハイクするつもりにしていたが、雨だったため、急遽自転車で近場から巡ることにした。
A816からちょっと南へ入ったところにその遺跡群は固まっている。これらは5,000年から3,500年前に造られたもので、新石器時代に造られた最古の五つを始め、青銅器時代まで利用された墓が2kmほどに渡り、ほぼ一直線に連なっている。
まず訪れたのは、墓地群の最南に位置する Ri Cruin Cairn 。
この墓は4,000年前の青銅器時代のものと推測されており、弓形の盛り石の中に cist と呼ばれる石棺がある。この石塚(cairn)では石棺は全部で四つ見つかっているらしい。
一つの石棺からは、火葬された骨が少量発見されたという。
これは、当時こんなふうに埋葬されたのだろうという想像図。
この大きな石が石棺の蓋なのだろう。
残念なことにこの墓は、18-19世紀の農作業でかなりのダメージを受けたそうだが、石棺の横の石に斧の形が刻まれている(解説板右の写真)ものが見つかるなどしており、これはここに埋葬された人が高い地位にあったことを示唆しているという。
雨はあがったようだ。ここの墓群の中には一本の細道が通っている。
Ri Cruin Cairn からその道を北へ向かうと、すぐに現れるのが Temple Wood Stone Circle だ。
円形に盛られた小石の中に、13の立石が円形に並べられており、そのうちの一つにはスパイラル模様が刻まれている。
この遺跡は紀元前3,000年より前に造られ、青銅器時代の紀元前1,000年まで、2,000年以上に渡り使用されていたという。主に儀式や葬祭が行われたと考えられており、今日、サークルの真ん中には石棺が置かれているのを見ることができる。
ここの最古の遺跡は、紀元前3,500年から紀元前3,000年ごろに造られた木材のサークルだそうだ。紀元前3,000年ごろ、木材を石に置き換えたサークルがその南西に造られる。当時の石は22あり、楕円形に並べられていたらしい。それぞれの石の間はサークルへのアクセスを制限するように設計されたスラブで埋められていたともいう。これはここが埋葬の儀式をするための場だったことを示しているという。
紀元前2,000年ごろになると、サークルの外にも埋葬の場が設けられるようになり、現在発見されているような多数の石塚が造られることになったらしい。
現在、この墓地群があるのは牧草地の中だ。
南北に伸びる一本道からその牧草地の間を行く道に入ると、
陽気な羊さんたちがたくさん。
その横に、ぽつんと一つだけ立つ石がある。
周囲を見れば、あちこちにこうした立石がある。この横には Nether Largie Standing Stones と呼ばれるX字に配置された五つの石が立っており、その中央の石にはやはり丸々模様が刻まれているという。
しかし今日は足場が悪いので立石まで行くのは諦め、線状墓地を北上することにした。
次はキルマーティンでもっとも古い墓地、Nether Largie South Cairn 。
この墓地の最初の構造物は、紀元前3,500年ごろの新石器時代に造られた室内墓だそうだ。これは他の石塚より1,000年以上古い。この石塚のオリジナルは楕円形で現在のものよりはるかに大きく、このあたりの農民の永眠の場として使われたという。
石塚の中心部には、石の壁の上に石の板を渡して屋根にした通路のようなものが通っている。この構造は他では見られないものだ。
この通路状のものはいくつかの区画に分割されており、おそらくここに多くの人が葬られたのだろう。石塚の端には直立石が立てられ、その前が前庭になっていたらしい。葬送の儀式はこの前庭で行われたと考えられている。
解説板の図を見て思ったのだが、スタンディング・ストーンはこうした墓の入口の石だったのかもしれない。
4,000年前、青銅器時代に入るとこの石塚は直径30m以上ある円形石塚に改造される。そしておそらく首長を葬るためと思われる新しい石室が造られる。
線状墓地の直線道路はまだまだ続いている。ここにこれだけの墓が造られたということは、何らかの権力の集中を意味しているわけだが、結局それがどういうものなのかはわかっていないようだ。
ただ、石に刻まれた模様などから、アイルランド島との繋がりが深いと考えられているらしい。
Nether Largie North Cairn は5,000年から3,500年前の大きな丸い石塚だ。
もちろんこれも墓だ。オリジナルは直径21m、高さ3mの石塚で、中心付近に石棺があり、そこから一人の人間の歯が見つかっている。
石棺を覆う頂部では、より古い立石から造られたと見られる40の丸々模様が施された斧の頭も発見されている。青銅器時代にはこれは冨の象徴とされており、ここに埋葬された人の地位を反映したものと考えられている。
この周辺にはこうした多数のロックアートが存在するが、スコットランドの他の地域では、彫刻が施された先史時代の石や、新石器時代および青銅器時代のモニュメントは発見されていない。
まだまだ墓の遺跡はあるが、紹介するのはここまでにしよう。線状墓地周辺の景色はこんなだ。
小高い山に囲まれた平原で、羊がのんびり草を食んでいる。その中には真っ黒な羊もいる。そういえばこのあたりには固有種の黒い羊がいるそうだ。これがそうだろうか。
線状墓地のほぼ北端にキルマーティン博物館はある。
ここではキルマーティン周辺を始めとする考古学的な展示がされており、線状墓地の地図も入手できる。
博物館に併設されたカフェからは線状墓地が一望にできる。
気持ちいい空間で眺めもよく、一休みするにはうってつけの場所だ。
博物館のすぐ近くにはキルマーティン教会がある。
この建物は19世紀初期のものだが、ここには初期キリスト教の重要な十字架二つがあるという。一つは9-10世紀のもので、もう一つは中世後期のものらしいが、これは教会が閉まっていて見ることができなかった。
ここにはもう一つの見どころがある。それはキルマーティン・ストーンズと呼ばれる初期キリスト教と中世の彫刻が施された石だ。それらの中の重要なものは、墓地の中に造られた保管小屋に展示されているが、外の墓地でもウェストハイランド・スタイルと呼ばれる様式の14-16世紀初期の中世の墓石を見ることができる。
こうした墓石に彫られているのは、動物や植物の葉、数字、剣士などで、その人物の職業にちなんだものが多いとされており、主にマイナーな貴族や地元の有力者の墓に使われたものと考えられている。中には鋏が彫られた女性の墓と推測できるものもある。
こうした墓石は grave slab と表記されることがある。
線状墓地の解説の中に時々 slab という表記が見いだされるが、それはこうした墓石を意味しているのだろう。これらの墓石のいくつかは棺桶の蓋だったのではないかと推測する。
さて、キルマーティンのメインの見どころはこれで終了だが、ここでA816から線状墓地の平原とその上に建つキルマーティン教会を眺めてみることにした。
こうして見るとキルマーティン教会はちょうど平原が終わった先の高台に建っていることがわかる。
キルマーティンの外れにはもう一つ見どころがある。Carnassarie Castel だ。A816を北へ向かうと平原が狭まり、平原側にも木々が立ち始める。その平原側に延びる小径の先の高台に、それは建っている。
現在廃墟となっているこの城は、16世紀ルネッサンス様式により諸島最初のプロテスタントの司教の家として建てられた。ホールと5階建ての塔から成り、その頂部からは眼下にキルマーティン・グレンが広がる。
Carnassarie Castel からは A ロードを離れ B ロードに入る。A ロードは幹線で、B ロードはローカルといったところだ。
A ロードが二車線なのに対し B ロードは単車線で、ここは滅多に車が来ないので安心して走れるようになる。
ウェスト・ハイランドの典型的な風景は、低い丘が連続し、その合間に平原が広がるというものだ。
その平原は大抵、ボグが広がるムーアだ。一見何の変哲もないように見えるこうした平原に足を踏み入れるときには注意が必要だ。不用意に進めば、どこかで大抵ズブズブと行ってしまうのだ。
そして時々ロッホ(Loch)と呼ばれる湖が現れる。ロッホは細く入り込んだ湾を指す言葉でもあるが、今ここに見えているエダーライン湖(Loch Ederline)は海ではなく普通の湖だ。
スコットランドの湖は黒い。これはスコットランド以外でも寒冷地で比較的よく見られる現象で、冷涼な気候で堆積した植物の分解が進まないため泥炭層ができ、そこから流れ出した有機物が湖を黒く見せるのだ。
道はフォード(Ford)という小さな村に入った。スコットランドの田舎の村はみな小さく、ここもぱらぱらと数軒の民家が建つだけだ。だがキリスト教の国ではそんな小さな村でも必ずといっていいほど教会がある。
フォードで道は二手に分れる。オー湖の北岸と南岸を行くものである。ここでこれまで走ってきた B ロードは南岸へ向かうが、私たちは北岸を行く道に入る。多くの地図でこの道には道路番号がなく、B ロードよりランクが低い道であることがわかる。
オー湖はスコットランドで一番長い湖だという。ここはそのオー湖の端っこに飛び出した狭い部分で、アン・ロダン(An Lodan)という名が付いている。ちょっとしたレジャー用のボートが浮かび、賑わいがある。この写真で水が黒いのがわかるだろうか。
広葉樹の森に入った。スコットランドでは広葉樹を見かける割合が日本より多い。もちろん針葉樹の森もあるが。
土が少なく、ヒースしか生えないような岩がちなここの土地では、そもそも森にならないところが多く、ちょぼちょぼと灌木が生える程度のところが圧倒的に多い。そうしたところでは針葉樹が育つことはむずかしく、あまり大きくない広葉樹が割合を増していったのかもしれない。
この森を抜けるとアン・ロダンからオー湖に出る。するとそこには激しい上りが待っていた。ここまでずっと上り基調ではあったがその勾配は穏やかで、あまり上りを意識せずに進んでこられた。だがここはかなりきつい。
スコットランドで一番長い湖がオー湖なら、スコットランドでもっとも有名な湖は、ネッシーがいるネス湖だろう。ネッシーと言っても最近それは話題に上ることが少なくなったので知らない方もいるかもしれないが、これは首の長い恐竜を思わせる怪獣、未確認生物である。薄暗い曇り空の下、荒涼とした山の中のどんよりとした灰色の湖。ひっそりとしたその湖面に僅かに動くものの気配。いかにもネッシーが出てきそうじゃあないか。
えっこらよっこらと上って行くと、うしろに入り組んだ山並みが見える。
ハイランドではこんなふうに、低い山が層になってどこまでも重なる。
そして山間には必ずといっていいほど、ロッホがある。
なんとか上り切ったと思ったら、またアップダウンだ。
下った先の登り返しがとてつもなくきつく見える。
だがペダルを回し続けていれば、いつかは頂上にたどり着く。本日の最高地点に到着だ。ここは眺めがよく、道脇にちょっとしたスペースが造られそこにベンチが設えられているので、しばし休憩だ。
青空が見えてきて、オー湖の湖面が青みを増す。対岸の丘は丸みを帯びた穏やかな姿をしているが、あすこも走ったらきついのだろうか。
一服したら待望の下りだ。ぐわ〜んとオー湖にダイブするように落っこちて行く。
だがいつものように、下りはあっという間に終わってしまう。
道が平らになると、ダラビック(Dalavich)だ。ここも小さな村だが、郵便局があり、そこが雑貨屋兼カフェをやっている。スコットランドの小さな村ではこんなふうに郵便局が村の中心であり、雑貨屋やカフェを併設することが少なくない。
しかし残念ながらそのカフェは、本日は定休日だった。
ダラビックからはまた上りが始まる。
この上りの途中でうしろを振り返れば、長〜いオー湖がずっと先まで続いて見える。ここはオー湖のほぼ真ん中あたりなので、その長さはこの倍あるということだ。
道は森を出たり入ったりを繰り返す。
森とはいっても今日のルートの森は、湖に向かって落ち込んでいるので大抵湖側が開けていて、あまり重さを感じさせないものだ。
下りが終わり森を抜けると、インベリナン(Inverinan)だ。
これまた小さな村で、ここにはせいぜい10世帯ほどが暮らすだけだ。
インベリナンを出ると、またまた上りが始まり森に入る。だが徐々に上る程度は低くなってきているようだ。
この森を出ると、オー湖周りの風景が一変する。これまでは湖側にも木立があり、湖面があまり見えなかったが、ここは開放的でいい眺めだ。岸の凹凸も山の凹凸もここまでとずいぶん違う見え方をしている。
小さな半島のように出っ張って見えるものの先に白い建物が見える。あれがたぶん今宵の宿だ。
アナット(Annat)まで進むと道は二手に分れる。
左はこのあたりでは大きな街といえるキルクレナン(Kilchrenan)へ向かうが、私たちが進むのはその反対の右側だ。
ほどなくその道は一軒のホテルに突き当たっておしまいとなる。
この宿はオー湖に面しており、かなり気持ちがいいところだ。
その建物は、元は17世紀の牛商人のための宿屋だったという。
奥に見える白い建物は現在はレストランとして使われているが、おそらく牛小屋だったものだろう。
この対岸にもホテルらしきものが建っており、自然の造形の中のちょっとしたアクセントになっている。
さて、今日もスカッとした天気というわけにはいかなかったけれど、なんとか走り切ることができた。キルマーティン・グレンの先史時代の遺跡はなかなか見応えがあったし、オー湖の畔を行く道もひっそりしていて悪くなかった。
明日はインナー・ヘブリディーズ諸島への玄関口となる港町オーバン(Oban)へ向かうのだが、どうも天気が怪しそうだ。