昼間、世界遺産に登録されているフォース橋を観て感動した私たちだが、これからスコットランド最後のイベントに向かう。それはエディンバラ城の入口のエスプラナード広場で行われる、ロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥー(The Royal Edinburgh Military Tattoo)だ。
シーフードレストランでたっぷり魚介類を味わったあとロイヤル・マイルに出ると、そこはいつも以上に混雑している。
お城に近付けば近付くほど、人は数を増してゆく。その人ごみを掻き分け、ようやくお城の入口に辿り着いた。入口の上の看板には『ようこそエディンバラ城へ』とある。
エディンバラ城の入口のエスプラナード広場には、この時期だけ仮設のスタジアムが造られる。もちろんそれはこれから始まるミリタリー・タトゥーのためだ。
このスタジアムのゲートを通り抜けようとすると、横に、赤いタータンの伝統的な衣装であるキルトを纏ったスコットランド軍楽隊の隊員が立っている。この方はあとで軍楽隊の隊長であることがわかる。キルトは今ではほとんどスカートと同じように見える、下半分だけのものになってしまったが、元々は彼が纏っているような長大なもので、夜にはコートの代わりに、また寝るときは毛布の代わりにもなるようなものだった。
ちなみにミリタリー・タトゥーは入れ墨をした軍隊のことではない。タトゥー(tattoo)は、17-18世紀に、兵士に酒の注文の終わりを知らせたパブの合図である‘Doe den tap toe’ (‘Turn off the taps’) から来ているという。いうなればこの合図は帰営ラッパのようなものだった。
エスプラナード広場に入ると、正面にエディンバラ城が見える。時は20時40分。すでにスタジアムの席はほとんど埋まっている。
ミリタリー・タトゥーは21時から22時半までなので、ちょうど良い時刻だ。
西の空の雲が赤く染まってきた。ここエディンバラの日没はちょうど今ごろなのだ。
地面に真っ赤な絨毯が敷かれている。あれは何に使うのだろう。
赤いジャンパーを着たスタッフが、次々と観客をスタジアムに誘導している。
グラウンドの上ではこうしたスタッフ以外に、シルクハットを被った正装の男性が二人、手に銀の筒のようなものを持って立っている。
先ほどまでざわついていたグラウンドに、人はほとんどいなくなった。スタジアムの席は完全に埋まっている。
1950年に始まったこのイベントは、ただの一度も中止になったことがないという。雨が降ろうが風が吹こうが、槍が飛んで来ようが開催されてきた。あちこちで、『タトゥーに行くときは暖かくして行きなさい。カッパは必ず持って行くように。』と忠告を受けてきたので、天気が悪かったらどうしようか悩んでいたのだが、この日は運良く快晴で気温も高く、絶好のタトゥー日和となった。
グラウンドの隅では、ベレー帽を被ったどこかの国の出演者と思われる人々が旗を抱え、最後の打ち合わせをしているようだ。
そろそろ私たちも席に着かなくてはならない。私たちのチケットには12T21-22とある。値段は£46で、これはちょうど真ん中あたりの価格帯だったと思う。この席はエディンバラ城に向かって左の真ん中より手前、上から1/4あたりのところだ。
ちなみにこのチケット、日本に郵便で届いたからビックリだ。さすがに郵便発祥の地だけある。
20時45分、私たちが席に着くのとほぼ同時に、グラウンドに銃を抱えた兵士らしき人々が出てきて整列しだした。そこへ表のゲートから黒塗りの車が一台やってきて、二人の兵士がうやうやしくドアを開ける。車から降り立った二人はグラウンドにいた兵士とは別の制服を着ている。
このイベントにはロイヤルの名が冠せられており、今年王室から招かれたのはノルウェイ国王だった。車の手前では先ほど下にいたベレー帽の人々が、旗を掲げて立っており、シルクハットの二人はお城の正面にある特別席の入口の赤い絨毯の両側で、例の銀の筒を掲げている。
イベントが始まるまではまだ時間があるはずなのに、いったい何が始まったのか見守っていると、どうやらタトゥーを始めるための儀式を行うらしい。
車から降りた二人は赤い絨毯の上を歩き、整列した兵士に近付く。兵士の隊長と挨拶を交わし、踵を返すと、絨毯の反対側に現れた赤いタータンのキルトを纏った軍楽隊の隊長と杯を交わす。ここで飲まれたのはスコッチウィスキーに違いないだろう。
この儀式が終わるとお城から軍楽隊が出てきて、演奏を始める。
それと同時に、巨大なジェット機が轟音をたてながら低空で私たちの上を通り過ぎていった。このイベントは軍隊がメインとなっているから、飛行機の登場も思いのままといったところか。数日前には、王立空軍の世界的に有名なレッド・アローズによるショーがあったらしい。
この演奏とジェット機がタトゥー開始の合図となる。演奏が終わったところで、花火が一発、ドーン。
次に響いてきたのは、あのけたたましいバグパイプの音だ。これがおそらくタトゥーの代名詞ともいえる The Massed Pipes and Drums だろう。
The Massed Pipes and Drums は、英国のほか、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、タスマニアからのバンドが参加し、一団となってコモンウェルスのテーマ演奏して行進する。
そのパイプの数は220本もあるそうだ。
空が開けたこの空間でさえ切り裂くような、壮烈なパイプの音が響き渡る。
次はがらりと雰囲気が変わり、かわいらしい意匠の女性たちの登場。ハイランド・ダンスだ。
このダンスはその名の通り、ハイランド地方の伝統舞踊で、バグパイプの音に合わせ、腕を上げながら飛んだり跳ねたりと楽しい。うしろでは先ほど登場した The Massed Pipes and Drums の人々が彼女たちのために演奏をしている。
基本的にはソロで踊ることが多いようだが、ここでは四人が一グループとなって踊っている。現在は女性が踊ることが多いが、元は男性の踊りで、特に軍人によってよく踊られるという。ここでもグラウンドの中央では四人の男性軍人が踊っている。
今踊られているのはソードダンス(sword dance)というもので、彼女たちの足元に置かれているのは剣。かつて兵士たちが戦いの前に踊り、剣を踏まずに踊り切れたら勝利する、とされていたものだという。
ハイランド・ダンスが終わると、ダンサーたちはThe Massed Pipes and Drums 音楽に合わせて行進し、表のゲートから出て行き、パイパーたちがそれに続く。
このあと、観客席の上からブワーッと泡雪が降り注いだ。これはいったい何だろう。
続いて登場したのはネパール陸軍の音楽隊だ。民族衣装を着たメンバーが徐々にネパール国旗を作り上げてゆく。
さっき上から降り注いだものは、エベレストの魔法の雪らしい。
次は何度かタトゥーに登場している、モーターサイクル・ディスプレイ・チームの登場。
これはいかにも派手なショーで、後ろ向きにバイクにまたがり、火を噴きながら走ったり、
ジャンプ台を大げさに飛んで爆発音を轟かせたり、三人、または四人で一台のバイクに乗り、曲芸をやったりする。
中には本気でコケているものもいるから、ちょっと笑える。
このチームの目玉は何といってもこのピラミッド乗りだ。
五台のバイクに総勢16人(たぶん)が乗り、ビラミッドを作って走るのだ。
今年のタトゥーの見どころの一つは、お城に投影される映像だ。この投影装置に巨額の投資をしたらしい。
今年はユトランド沖海戦とアラブ反乱(Arab Revolt)百周年がテーマになっていることから、投影される映像もそれにちなんだものが多く、軍艦が出てきて大砲が火を噴いたり、歯車がぐるぐる回ったりしている。
お城への投影はかなり凝ったもので感心するが、グラウンドにも色や模様が投影され、真っ赤になったり花柄が現れたりしている。
この技法は劇場などでやられるのと同じだが、ここの空間はそうしたところとは比べ物にならないくらい広いので、桁違いのパワーの照明が必要となるはずだ。
お城に海が映し出された。その上に、白地に赤十字、カントンにユニオン・ジャックという旗が。この旗はホワイト・エンサインと呼ばれるもので、英国海軍の艦船と王立ヨット艦隊が使用する軍艦旗だ。
英国海軍艦艇の接頭辞はHMSで、これは Her Majesty's Ship 、女王陛下の船という意味だ。今年のイベントは Tunes of Glory というテーマで、エリザベス女王の90歳の誕生日を記念するものでもある。
ここで登場してきたのはチェックのミニスカートの女性たちだ。うしろではバグパイプが鳴り響いているので、これもまたハイランド・ダンスのようだ。
ハイランド・ダンスは踊りとしてはかなり単純だが、足さばきにバレエのようなところがあり、今日では競技ダンスとして世界中で踊られているという。
軽快な音楽に乗って登場したのはアメリカ陸軍のバンドだ。
グラウンドの照明も音楽に合わせ、ピンク、ブルー、パープルと変わってゆく。
バンドの手前にいる数人は、歌手でありダンサーだ。
一昔前のクラシックジャズともいうべき音楽と楽しいダンスは、いかにもアメリカ的だ。
Lochiel Marching Drill Team
アメリカの次はニュージーランドの Lochiel Marching Drill Team。
このチームはニュージーランドでもっとも歴史あるマーチング・チームだそうで、四角や三角、X形、Z形など、ありとあらゆる隊形をきびきびした動作で作り出す。
がらりと雰囲気が変わり、こちらはヨルダン騎兵隊。
この写真に移っている人々以外に、砂色のアラブ服にターバンという出で立ちの兵士20人ほどがおり、銃剣を回転させて投げ、受け止めるといった技を披露している。
英語ではヴァイオリンのことをフィドルと呼ぶ。シェトランド諸島からやってきたフィドル・プレーヤーズが演奏を始め、、ドラムとパイプがそれに合わせる。
彼らの前では、ほとんどバレエの衣装かと思えるような、かわいらしい衣装を身につけたハイランド・ダンサーによる踊りが披露されている。
真っ赤な制服のバンドが出てきた。先ほど女性だけのマーチング・チームのうしろで音を出していたニュージーランド陸軍音楽隊だ。
金管と太鼓によるこの音楽隊の出し物は、前半は軽快なポップスで、後半はニュージーランドの土着の音楽をアレンジしたものか、声だけによる独特のものだ。
これらの他にもいくつか出し物はあるが、ここからはフィナーレに向かう。
タトゥーに参加している11の英国の軍隊がグラウンドに勢揃い。その中からバッキンガム宮殿の衛兵交代で有名な英国陸軍が前に出て、貴賓席の方に近付く。そのうしろでは、様々な音楽が演奏されている。
この演奏が終わると、白い馬に乗った兵士が太鼓を打ち鳴らし、ラッパが応じる。ここで城内アナウンス。
『エリザベス女王の90歳をお祝いして・・・・』
スコットランドの馬車(The Scottish State Coach)が城内を一周し、女王陛下の誕生日を祝う曲が演奏される。ジョージ2世の戴冠式のために作曲された、ヘンデルの『ジョージ2世の戴冠式アンセム』の第1曲『聖職者ザドク』では、観客も全員、合唱に加わる。
馬車がグラウンドを去ると、ジョージ6世の戴冠式で使われたウィリアム・ウォルトン(William Walton)の『王冠』(Crown Imperial)の曲に合わせ、兵士たちは退場する。
いよいよグランド・フィナーレだ。これまで登場した出演者が、The 79th Farewell to Gibraltar を演奏しながらどんどんグラウンドに出てくる。
広いグラウンドが出演者で埋め尽くされる。
全員が揃うと、Coming Home が歌われる。次の軽快なロック You Can Never Tell は、ハイランド・ダンス付きバージョンで。
英国国歌、そして第二の国歌とも言われる、蛍の光の原曲 Auld Lang Syne と続く。Auld Lang Syne が終わる頃には空に華々しく花火が打ち上げられる。
華やかな空気が一転し静寂が訪れると、お城から一本のバグパイプの音が聴こえてくる。
Sleep Dearie Sleep 。
パイプ独奏が終わると、今度はこれも第二の国家的な『勇敢なるスコットランド(Scotland The Brave)』で、出演者たちの退場が始まる。
最後はバグバイプによる壮烈な The Black Bear で全員退場となる。案内ではイベントの終了は22時半とのことだったが、すでに23時を回っている。たっぷり二時間以上のショーだった。
いや〜、実に楽しいイベントでした。夏にエディンバラに来たら是非どうぞ。