朝外に出ると空は青く雲一つありません。いいお天気です。そして涼しい。東京は朝から蒸し暑いですが、湿度が低いここは朝晩と木陰は涼しいのです。これだけでも東京を脱出して遥々やってきた甲斐があるというものです。
今日はリュブリャナから40km南西にあるポストイナまで列車で移動し、ポストイナ鍾乳洞と洞窟城ことプレジャマ城を見学します。
リュブリャナ駅は19世紀半ばに建てられた立派な建物で、乗場も想像以上に多く、少なくとも8番線まであります。本数もそれなりにあり、ポストイナ行は一時間に一本ほどです。
窓口で切符を買ったら自転車を転がして行き、プラットフォームで折り畳みます。
スロヴェニアの列車の中には自転車をそのまま載せられるものもありますが、私たちが乗るこの二両編成の赤い列車はそうではなかったのです。自転車は折り畳むと無料のようです。
乗り込んでみて気付いたのですが、この車輛は昨年ノルウェイで乗ったものとまったく同じでした。スロヴェニアは小さな国なので、自国で列車は製造していないのでしょう。
この国の面積は四国ほどで、人口はその半分程度の200万人(栃木県とほぼ同じ)しかないのです。これを考えると列車を走らすことさえかなり大変な気もします。四国の人口が半分になったとして、JR四国は成り立つでしょうか。
08:15、定刻に列車は走り出しました。車内は通勤時間帯にもかかわらずガラガラです。みんなバカンスでどこかへ行っているのかしら。
写真はリュブリャナとポストイナのちょうど中間点あたり。畑が広がり、先に山並みが見えます。おそらくあれはユリアンアルプスでしょう。あの山を越えると、その向こうはオーストリアです。
この国の大都市はリュブリャナ(30万人)以外にはありません。第二の都市が10万人でそのあとは4万人以下になります。そんなんで車窓から見える街もみな小さなものばかりです。
ブルフニカ(Vrhnika)は車窓から見えたもっとも大きな町で、1.6万人が暮らしています。
ちょうど一時間でポストイナに到着しました。
ここの駅舎もそれなりの歴史のある建物のようで、1.5万人の町にしてはかなり立派です。
しかし、駅の外へ出てみてびっくり。何もない! 駅舎に並行して細い道が一本通っているだけ。ここはどこ? 私は誰状態です。(笑) まあこうしたことはあるにはあるのですが、駅舎の立派さから考えるとここではあり得ない。
これはポストイナ駅が斜面地に建っており、街側は一気に落っこちていて余地がほとんどないからのでした。
さみしい通りをしばらく行くと突然視界が開いて下の道に出ます。
駅前がないので街の様子がよく分かりません。とにかく住宅地の中を抜けて行って、
今日お世話になる宿に到着です。
リュブリャナの宿は大きな建物の一角でしたがここは戸建て住宅のような造りで、キッチン付きのアパートメントと普通の部屋貸しがあります。私たちは『部屋』ですが、なんとお値段はリュブリャナの半額ほど!
宿に荷物を置いたら2kmほどのところにあるポストイナ鍾乳洞に向かいます。
カルスト地形という言葉を聞いた事があると思います。これは石灰岩などの水に解けやすい岩石でできた大地が二酸化炭素を含んだ雨水などによって侵食されてできた地形です。このカルストという語の語源になったのが、ここから西のクラス地方(Kras)なのです。スロヴェニアは国土の半分以上がカルスト地形といわれるほどで、鍾乳洞がたくさんあります。
走り出したら街が小さくて、あっという間に抜け出てしまいます。街はずれから洞窟の道(Jamska cesta)という名が付けられている 913号線に入ります。
するとすぐに写真の案内板が現れます。お城直進、洞窟直進と案内されていますがこれは車のルートで、歩行者や自転車はこの先を右に入って行くと洞窟(鍾乳洞)に辿り着きます。
ポストイナ鍾乳洞の入口付近に辿り着きました。この鍾乳洞はスロヴェニア最長で総延長は20km以上に及び、最大深度は115mに達します。
入ってすぐのところにホテルがありそこに鍾乳洞のチケット売り場があったのですが、うっかり見過ごして奥まで行ってしまいました。
土産物屋の前を通り抜けて行くと "POSTOJINSKA JAMA" と書かれた真の入口が見えてきます。私たちはこの上まで自転車で来てしまったので、そこに駐輪して切符を買いに戻りました。
ポストイナ鍾乳洞は一時間ごとにあるツアーでのみ入場できます。このツアーは言語ごとに分れるのですが、私たちはオーディオガイドを借りたので、オーディオグループです。
ツアーのコースは約5kmですが、そのうちの3.7kmはトロッコが走っています。ここは1872年に地下洞窟では世界で初めて鉄道が敷設されたところなのです。
ツアーはこのトロッコに乗ることから始まります。洞窟内は当然かなり暗く音も響くし、頭をぶつけそうでヒヤヒヤするところも多いので、乗っている時間はたったの5分ほどですが、この乗り物はかなり面白いです。ほとんどインディー・ジョーンズの世界!
トロッコを降りると、いきなりこんな石柱が現れます。
天井からはつらら石が垂れ下がっています。
ヒラヒラの襞は上から下に向かって成長する鍾乳石で、幕状鍾乳石やカーテンと呼ばれます。
つらら石の下には、上に向かって成長する石筍ができます。
なんだか凄いぞ。
鍾乳石は1mm成長するのに、10年から30年がかかるといわれています。つまり1mの石筍ができるには一万年から三万年かかることになります。
上から垂れてくるつらら石と下から伸びていく石筍がくっつくと石柱になります。
ここはコングレスホールと言ったかな。かなり大きな空間です。
下に人が写っているのがわかりますか。
ニョキニョキ。
ヒラヒラ。
ズン!
まるで珊瑚のよう。
キラキラ光ってきれい。
これは通称スパゲティ。細い針のようなものの中は中空で、鍾乳管やストローと呼ばれます。
天井内の炭酸カルシウムを含んだ水はこの管の中を通り床に落ちます。管の中が詰まると炭酸カルシウムの結晶が管の外側に付くようになり、だんだん太くなってつらら石になります。
魔宮です。
赤いです。
クラゲの大群。
インデー・ジョーンズpart2.
剣が落っこちてくる!
右の明るい白い鍾乳石はブリリアントと呼ばれるもので5mの高さがあり、この鍾乳洞の象徴です。
その隣にある石も装飾的で立派。
垂れ幕。
芸術作品!
鍾乳石はきりがないのでおしまいにしますが、ここにはホライモリという30cmほどの生物が棲んでいます。ドラゴンの赤ちゃんとか皮膚が肌色のため類人魚などと呼ばれています。寿命は最大100年ととても長く、数年間何も食べなくても生きていけるそうです。本当かな。。。
このすぐ近くにあるシュコツィアン洞窟群が世界遺産に登録されたのに対し、ポストイナ鍾乳洞は観光化され過ぎていて登録されなかった、との説があります。確かにトロッコがあり整備された遊歩道があり、観光客でいっぱいです。
しかしそれでもこの鍾乳洞の魅力が失われたとは私は考えません。ポストイナ鍾乳洞、凄いです。面白いです!
鍾乳洞を堪能したら、次はプレジャマ城(Predjamski grad)です。
ポストイナ鍾乳洞を出るとすぐにヴェリキオトック村(Veliki Otok)を通過します。
こんなに小さな村でも教会があるのがヨーロッパ。
プレジャマ城までは9kmほどなのでのんびり行きます。
周囲は牧草地です。
青い空に白い雲が気持ちいいのですが、この日も気温は上昇。直射日光下の気温は39°CとGPSには記録されています。
このあたりにレストランはほとんどないので、ロードサイドに現れた軽食屋に入って昼食です。バーガー二種とツナサラダをオーダーしてみました。
バーガーにはフライドポテト付きの小バーガーとポテトが付かない普通サイズバーガーがあります。フライドポテトは超大盛り、普通サイズバーガーは超巨大でびっくり。米国から輸入された日本のファストフード店のものとは大違いでこのバーガーはとてもおいしいのですが、半分テイクアウトすることになりました。
昼食後、913号線から離れると道は砂利道に。路面は締まっているのでダートの中では走りやすい道です。
周囲は草原と山に囲まれていて気持ちいい。
草原に白い花が咲き出しました。ちょっとロマンチックです。
1kmと少々ダートを楽しむとアスファルト舗装になり、プレジャマ城に到着です。プレジャマ城はスロヴェニア語ではPredjamski gradと表記されます。jamskiは『洞窟の』という意味です。つまりここはPred洞窟の城、プレット洞窟城と呼ぶのが正しいのではないかと思います。
この城は120mの断崖絶壁の中にあり、自然の岩壁を利用して建てられています。城のうしろには洞窟があります。洞窟城と呼ばれる所以です。
ここに城がいつからあるかは定かではないようですが、13世紀の初頭の文書に記録があるそうです。現在の城は16世紀後半にルネッサンス様式で建てられたものです。
この城が語られる時必ず登場するのが15世紀の騎士エラゼム(Erazem Lueger)です。彼はオーストリア帝国の独裁政権に反抗する情熱的で高貴な騎士でしたが、一方盗賊でもありました。裕福な貴族から金品を奪い貧しい人々に分け与えていた義賊だったとも言われています。
あることから帝国軍の司令官を殺した彼はこの城に逃げ込みます。彼を殺害しようとオーストリア軍は城を包囲し兵糧攻めにしますが、エラゼムたちは城の裏手にある洞窟から秘密の通路を使って食料を確保できたといいます。城は難攻不落でした。
手を焼いたオーストリア軍はエラゼムの家来の一人を買収し、城のもっとも弱いところがトイレであることを聞き出します。裏切り者はエラゼムがトイレに入ったときに合図を送り、投石台からの攻撃でエラゼムは命を落としました。
という伝説が残っています。このエラゼムの怨念なのか、この城では不思議な現象が度々起こっていると言います。
城から見上げれば、真上に岩壁があります。
城のバルコニーからは下の集落が良く見えます。
エラゼムが死んだトイレはこのバルコニーのすぐ横にあり、大きな石の弾がいくつか置かれています。エラゼムを死に追いやった投石台はこの風景のどこかに置かれたはずです。
城というのは東西を問わず備えている設備はだいたい同じです。
この穴は日本の城にもある、敵が攻めて来た時に石などを落とすためのものです。
室内は湿度が高く、冬は相当に寒くてあまり快適ではなかったようです。
しかしここは難攻不落で安全でした。ここの人々は快適さより安全であることを選んだのだそうです。
城の裏側の壁には岩壁がそのまま使われているようです。
これは台所。
西洋ではチャペルは欠かせません。
城の裏手にある洞窟の入口は壁で塞がれ建築化されています。
洞窟はかなり深いようですが、照明が一切ないので一般的に入れるのは入口付近のごく一部だけです。
その先は進入禁止ではないようですが、探検装備が整っていなければとても無理です。ここにはたくさんコウモリが住んでいるそうです。
さて、洞窟城を見学し終わったら宿に戻るだけです。
帰りは来るときと違う道を、と思って入った道はこんなでした。ダート。
最初の頃はまだましだったのですが、そのうち浮き砂利の上に上りになり、ノックアウト。
さらにこのあとガレ石の激坂が続いてヘトヘトです。
ガレ場はとても写真を撮っているどころではないので紹介できませんが、これはきつかった。
結局3km近くダートを押し走って、
ランドル(Landol)でようやくアスファルトの路面に出ました。
なんとか快適に走れるようになったのですが、ここに来て突然雲行きが怪しくなりました。うしろから黒い雲がやってきます。
気温はどんどん低下してきていて、26°Cまで下がっています。こうなるとかなり涼しいです。
遠方は明るいので黒雲は局所的に雨を降らせているだけだと思いますが、やっぱり雨には当たりたくありません。
この周囲はきれいな牧草地で、ころころロールがあちこちに置かれています。
ここはあまり寄り道せずに速やかに宿を目指すことにします。
幹線道路の409号線に入って、途中にあるフラシュチェ(Hrašče)だけ村の中の道を抜けます。
小高い山並みの手前に街が見え出しました。あそこがポストイナです。
うしろを振り返れば薄い白い幕が地表まで降りてきています。雨は迫っています。
急げ〜 とちょっとギコギコしてポストイナに戻りました。何とか雨に当たらずに済みました。ホッ!
この旅の最初の一漕ぎはダートはきつかったですが、まずまずでした。今回の旅では自転車はあまり無理をせず、長距離は乗らない計画です。旅の前半巡るこのあたりからイストリア半島は、それなりに気温が高くなるからです。そして幹線道路を離れるとダートと決まっているのです。まあ今日はその最初の洗礼を受けたわけですが、こんなのが続くときついな〜
さて、明日は世界遺産のシュコツィアン洞窟群(Škocjanske jame)を見学してイタリアに入り、アドリア海岸のトリエステ(Trieste)まで走ります。