クロアチアの二日目は、アドリア海に面したイストラ半島北部のウマグをあとにして、トリュフの森が広がる丘の上の街モトヴン(Motovun)へ向かいます。
朝、私たちの出発を見送ってくれた宿のおじさんが写真を撮ってくれました。この時点の気温は23°Cで、まだ暑さは感じません。
ウマグからは内陸へ向かい、まず丘の上の街ブーイェ(Buje)を目指します。
ウマグの街中を出るとすぐ、道脇にブドウ畑が現れ出します。このあたりはワインの生産地なのです。
ブドウ畑の向こうに歴史がありそうな高い塔が見えます。あれはおそらくワイナリーでしょう。
ワイナリーの中には、お城のような邸宅を醸造所にし、広大な敷地に大規模なワイン醸造設備を構えているところがあるのです。現在、フランスのボルドー地方の格付けされたワイナリーはシャトー○○のように頭にシャトーと付きますが、このシャトーは元々はお城を意味する言葉でした。
しばらくこんな景色を眺めながら走っていると、前方の丘の上に教会の塔が見えてきました。あそこがブーイェでしょう。
結構高いところにありますねぇ〜(笑)
海から内陸に向かっていたので、道はここまでも穏やかな上りではあったのですが、先にブーイェが見え出した途端に、はっきり上りとわかるようになりました。
上り坂を慰めてくれるのはどこまでも広がるブドウ畑。
ブーイェまであと2kmとなったところでポトック川(Potok)を渡ります。
その先で幹線道路を離れブーイェに続く道に入ると、激坂! えっこらよっこらと、この10%を超える坂を上り詰めて行きます。
なんとか激坂を上り切ると、ちょっとした広場があるところに辿り着きました。
『今の坂、きつかった〜』 と、ヨタヨタのサリーナ。
ブーイェの入り口にある広場から南西の眺めです。
ブドウ畑とオリーブ畑の中にあるのはブルトニグラ(Brtonigla)でしょう。
視線を西へ移せば、急な斜面に建つブーイェの家々が見えます。
北を見れば、ブーイェの中心に建つ聖セルヴラ教会(Župnu crkvu sv. Servula)の尖塔が建物の間から頭を出しています。
今日見る聖セルヴラ教会は18世紀の後半に建てられた後期バロック建築ですが、ここに元あった13世紀のローマ・ゴシック様式の教会を組み入れているそうです。
独立した鐘楼は15世紀のもののようです。この内部が素晴らしいとのことですが、それは残念ながらお祭りとオルガンフェスティバルの時しか見られないようです。
聖セルヴラ教会の前はちょっとした広場になっており、15世紀の後半に建てられた新古典主義の宮殿(Neoklasična palača)もあります。
宮殿の扉の上には、かつては大きな扉の一部だったというヴェネツィアのライオンが埋め込まれています。この建物はかつては裁判所として使われていたこともあるようです。
これは鐘楼の横の建物ですが、ゴシック建築の代名詞の一つである尖頭アーチの窓はヴェネツィア共和国時代のものでしょう。
こうして見ると、この街がヴェネツィアの勢力下にあったことがよくわかります。
広場からは石畳の通りが四方八方へと伸びています。
それはみんな幅2mほどしかない狭いものです。
その一つを進んで行くと、小さな小さな聖ヨハネ教会(Crkvica sv. Ivana)があります。
ファサードにベルリングを持つこの教会も15世紀のものだそうです。
これは古い時代の建物では時々ある、渡り廊下で繋がった家です。
ブーイェを一巡りしたら、次はグロジュニャン(Grožnjan)へ向かいます。丘の上のブーイェからド〜ンと一気に落っこちると、道はすぐに緩い上りになりました。
道脇の標識に『Parenzana』の文字が見えます。この Parenzana は、第二次大戦直前までイタリアのトリエステ(Trieste)とクロアチアのポレチュ(Poreč)を結んでいた、ナローゲージのパレンジャーナ鉄道の線路跡を利用した自転車コースのことです。
パレンジャーナは砂利道で、宿のおじさんも『あそこはマウンテンバイクの道だよ。』と言っていたので、入ろうか入るまいか迷ったのですが、とりあえず様子見で少し走ってみることにしました。
入り口付近はフラットで路面の砂利は細かく、そう走り難くはありませんでしたが、そのうち浮き砂利が目立つようになってきて、道も上り基調に変わりました。しかも両側が木立に遮られていて視界がほとんどないので、あまり楽しくありません。
そこでトリバン(Triban)の手前でパレンジャーナを離脱し、一般道の5008号線を行くことにしました。
するとさっそく視界が開け、先ほどまでいた丘の上のブーイェが見えました。
その後は森の中を行きます。
ちょっと行くと右手の視界が開け、今度は前方に教会の塔が見え出しました。
あそこがグロジュニャンです。
この眺望が開けたポイントにはパレンジャーナが合流してきていて、足元にはこちらではしばしば見掛ける薄紫色の花が咲いています。
これはリュブリャナのペイジでも紹介した野生のチコリーです。食用にするあの葉っぱは特別に栽培されたもので、この野生のものはほとんど食べられないそうです。
グロジュニャンもブーイェ同様に丘の上にあるので、また上りです。
ブーイェからここまでも穏やかながら上りではあったのですが、街に入る直前は大抵勾配がきつくなります。
グロジュニャンに到着。
この街は、珍しくも街の入り口付近にお城と教会が建っています。このがっしりとした聖ヴィトゥス教会 (Sv. Vida)は14世紀初頭の建築のようです。
教会の前からは西の眺望が広がっています。
低い丘がどこまでも続く景色。この丘の森には例のキノコ、トリュフが生えているはず。
今朝出発してから二時間半が経っています。気温はかなり上昇しており暑い暑い。GPSの温度計は32°C! そこで街をぶらつきながらバールを探すことにしました。
ところがこの街、坂はあるし石畳がもの凄く古くてボコボコなもんだから、自転車を押して歩くのもやっとというありさまです。
小さな四角い広場状のスペースの奥にそれらしいものを発見しました。入口には "Konoba" とあるのでここはレストランですが、お茶もできるようなので入ってみました。
店の奥の突き当たりはテラスになっていて、ここはとても眺めがいいです。
ところがテラスの日向はとても座っていられないくらいに暑いので、軒下のテーブルに陣取りました。
サリーナはいつものラドラー(Radler)を。
一服したら街の散策を続けます。グロジュニャンは現在『芸術家の街』として知られています。
この小さな美しい中世の街は1956年に芸術家の街になったのだそうです。過疎化なのか居住者がどんどん減って空き家が多くなったのです。そこで放棄された空き家に芸術家たちが住み着き、街が滅びないようにしたとのことです。
そんなんでここにはたくさんギャラリーがあり、コンサートなどもしばしば行われています。
このロッジアのある建物もそうしたものの一つで、シティー・ギャラリーになっています。
シティー・ギャラリーのすぐ先には街の壁があり、小さなアーチの入口が開けられています。
アーチの上にはかつてこの街を治めていた方のものと思われる紋章が見えます。
『グロジュニャン、意外といい街だったね。』と言い合って、街の壁をくぐって外へ。
グロジュニャンからモトヴンまでは二通りの進路が考えられます。一つはやって来た道を少し戻って車道でオプルタリ(Oprtalj)まで上る案。もう一つはパレンジャーナを行く案。車道を行く案は確実なのですが、上りが少々きつく距離も長いです。パレンジャーナはここから概ね下りなのですが砂利道とあって悩みます。
ここはぐっと睨みを効かせてパレンジャーナに決定。
グロジュニャンを出るとすぐにパレンジャーナに入り、古いアーチ橋をくぐります。(上の写真) このあたりは砂利の舗装が良くない上に上りで、ちょっとハヒハヒ。しかしこの先で、先ほどまでいた丘の上のグロジュニャンの素晴らしい景色が見えるのでした。(TOP写真)
いつしか道はフラットになり、下り基調に変わりました。右手にはどこまでも続く低い丘と森が見えています。
下には小さな集落がポツンとあり、その周辺にオリーブ畑が見えます。
このあたりで畑と言えば、ブドウ畑かオリーブ畑なのです。
こんな景色の中を穏やかに下って行くサイダー。
先の丘の上に村が見えます。
どうやらあれが本日の終着地のモトヴンのようです。
道は少しずつ角度を変えながら下って行き、モトヴンが近付いてきます。
高く聳えるのは教会の塔でしょうか。
パレンジャーナ鉄道跡はこんなふうに丘陵地を進んで行くので、あちこちにトンネルが出てきます。
こんなのや、
こんなのなど。
そして橋の上を行くことも。
路面の整備状況はまずまずのパレンジャーナですが、それでも浮き砂利があったりガレ場も少しあるので、マウンテンバイクでない私たちには一苦労です。
しかもこんな道が延々と続くのです。さすがにちょっとへばりぎみのサリーナです。
グロジュニャンから20km、つまり砂利道のパレンジャーナを20km走って、ようやくリヴァデ(Livade)に辿り着きました。ここまでグロジュニャンから三時間近く掛かっています。平均時速はたったの7kmにしかなりません。(笑)
私たち以外にパレンジャーナを走っているのは、写真のようなマウンテンバイク乗りばかりです。
パレンジャーナにはレストランはおろか休憩所もなかったので、ここで昼食です。
交差点のすぐそばにある Gastionica Tartuf のテラスで。
ここにはトリュフを使ったメニューがあるのですが、それは今夜に取っておいてここは軽めに、チーズ入りのサラダにアスパラと生ハムのリゾットを。
サラダはガラスの巨大ボウルに入って出てきました。二人で食べるのに十二分の大きさ。味付けは、ビネガー、オリーブオイル、塩、胡椒のテーブルクッキングで。リゾットはこの旅で初めて試しましたが、さすがにイタリア食文化圏だけあり、おいしいです。
少し遅めの昼食を済ませたら、ミルナ川(Mirna)を渡ってモトヴンに向かいます。
そのモトヴンですが、パレンジャーナから見た通り、丘の上にあります。
ここからは何と240mも上らなければなりません。およよ〜
しかも上り出した途端、何と道路が工事中で砂利道に。
さっきのパレンジャーナでダートはおしまいと思っていたので、がっくし。しかも横を牧草ロールをたくさん積んだトラクターがのろのろ走るものだから、ゲホゲホです。
なんとか気持ちを奮い立たせてこの砂利道を上っていきます。
すると横にブドウ畑が現れました。
モトヴンへの分岐に達すると、その先の路面はアスファルトでした。助かった〜
道横はブドウ畑からオリーブ畑に変わっています。
しかしここからは激坂が待っていました! よたよた上るサイダー。
左上に見えるのは街の南側に建つ教会の尖塔。
ヘアピンカーブを廻り街の北側に出ると、建物が並ぶようになりモトヴンに入りました。
すると路面はすぐに石畳に。ヨーロッパの古い街の街中は必ずといっていいほど石畳なのです。そして驚くほど道幅は狭い。
最後は自転車を引きずるようにして石畳を進み、街の入口付近にある今宵の宿に到着。
シャワーを浴び、一休みしたら街の散策に出かけます。
宿の横から北東を眺めると、どこまでも続く丘。
下にはミルナ川に沿って穏やかなカーブを描く44号線が見えます。左上に見える集落が私たちが昼食をとったリヴァデで、そこからパレンジャーナはさらに左上に延びています。
モトヴンは古代ローマの都市から発展した街で、現在でも中世の雰囲気を残しています。10世紀から11世紀にかけてはポレッチの司教の支配下にあり、13世紀にヴェネツィア共和国の傘下に入りました。この小さな街の人口はたったの500人ほどです。
石畳の坂道を上っていくと立派な街の門があります。これは16世紀ごろのもののようです。
この門の上部にはライオンの像と紋章があります。
有翼のライオンはヴェネツィアのシンボルですね。
アーチをくぐって進めば、門の中にもライオンの像が置かれています。
多くの民族は、かつて自分たちを支配した他の民族の痕跡を消し去ろうとすることが多いと思いますが、このあたりではどうやらそうではないようです。ヴェネツィアの支配がどのようなものであったかは私にはわかりませんが、こうしたものがそこら中に残っていることを考えると、それはイストラ半島の人々にとって、そう悪いものではなかったのかもしれません。
門の内側に出ると、そこはレストランの見晴らしの良いテラス席です。
みなさんこれからトリュフでも召し上がるのでしょう。
このテラスの人々を眺めながら進むと、もう一つ門があります。こちらは少し古くて14世紀のもののようです。
この通路の横には、なんと中世からやっているというレストランも。
この門をくぐり抜けると、広場があり聖ステファノ教会(Crkva sv. Stjepana)が建っています。この教会は16世紀の終わりから17世紀の始めごろにかけて建てられ、18世紀の終わりに現在の姿になったようです。
ヴェネツィアの著名な建築家アンドレア・パラディオのデザインに基づいて建てられたと考えられているそうですが、これはどうかな。
その隣に建つのは13世紀に造られた塔で、元々は街の塔、見張り塔のようなものだったようですが、何度かの改修の末に鐘楼になりました。
広場の真ん中にはかなり古そうな井戸があります。
この広場からは、街の壁の上に続く遊歩道が延びています。がっしり、どっしり、というのはこの壁のようなものを言うのでしょう。力強く、存在感があります。
街の壁は11世紀ごろに造り出し始められ、12〜13世紀に強化されました。この街は15世紀の初めには新しい門を持つゴシック様式の要塞となっていました。壁は16世紀にさらに強化されますが、17世紀になると、オーストリアとヴェネツィアの平和条約を満たすために一部が撤去されました。
この壁の上からは眺めがいいです。テラコッタの瓦屋根は青いアドリア海にも似合いますが、丘の緑にも良く合います。
街の壁の外側はGradiziolと呼ばれ、14世紀から15世紀にかけて郊外として開発されました。北には背の高い家が壁のように連なり、
南は堀がある壁によって守られていました。こうした今見ることができる特徴は18世紀までに整備され、19世紀に少し手が加えられたようです。
ざっと街を一廻りしたら夕飯です。ここはやっぱりトリュフでしょう。
上ってきた石畳をゆっくり下ります。
街に入った時に宿の目の前のレストランを予約しておいたのでそこへ。
前菜にカルパッチョを。こちらでカルパッチョと言えば基本的には牛ヒレ肉ですが、つい先日、鮮魚のカルパッチョというメニューがあったので念のため確認しました。やっぱりここでは魚ではなく牛だそうです。それにたっぷりと黒トリュフが掛かっています。
二皿目はパスタを。このあたりには生パスタのフジ(Fuži )というものがあると聞いていたのですが、メニューにはありません。そこでお店の方に尋ねると、『もちろん出来ますとも!』とのこと。もちろんこちらもトリュフ掛けで。
フジは一見ペンネのように両端が斜めにカットされていますが、これはシート状に伸ばした生地を巻いてからカットしたものらしく、かなり手間暇が掛かるもののように見受けました。
で、トリュフのお味なのですが、これがはっきり言って良くわからないのよね〜(笑) まあこの件に関しては、明日トリュフ狩りをするので、それからということで。