トリュフの森が広がる丘の上の街モトヴンに泊まった私たちは、今日はトリュフ狩りに出かけます。
朝、部屋の窓からは朝日が昇って行くのが見えました。写真は六時のもの。爽やかな朝です。
お日様と反対側には街の門と聖ステファノ教会の鐘楼が見えます。
私たちの部屋にはキチネットが付いているので、いつものようにサンドイッチを作って朝食にします。
朝食を済ませたら街歩きに。昨日、主要なところは見て廻りましたが、朝の風景はまた違いますからね。
まずは坂道を上って街の門をくぐります。かつてはこの門から向こう側がモトヴンだったわけです。
門の先は眺めのいいレストランのテラス席ですが、朝七時過ぎのこの時間帯には誰もいません。
そのテラスの向こうには17世紀のものだというロッジアが建っています。このロッジアからは眼下にトリュフの森が広がっているのが見えます。
ここからは昨日行かなかった街の壁の外側を南に下ってみます。
パドヴァの聖アンソニー教会と呼ばれるこの建物は15世紀には存在していたようですが、19世紀半ばにペストが流行すると、これを防ぐために奉納品が多く寄せられたために再建されたそうです。
側面の石垣が歴史を物語っているように見えます。
教会の向かいの建物は赤い壁に白いドアです。特段に変わったものでも、特別におしゃれというわけでもありませんが、街の風景に溶け込みながらもちょっとだけ自己主張しているような、なにかそんな感じがします。
ドアの上にはこの建物の由緒らしきものが彫られていて、その上のショウウィンドウにはマリア様がいらっしゃいます。
現在モトヴンへのアクセスはほとんどが車のため、入口は坂が緩く道幅の広い街の北側がメインになっていますが、車がなかった時代には南側からアプローチすることが多かったと想像できます。
これが街の南側から上ってくる道です。
この道、かなりな急坂なので、馬やロバは上るのが大変だったでしょうね。
モトヴンの街中はどこもそうですが、ここもかなり古そうな石畳が続いています。
この道の突き当たりにはゴシック様式の尖頭アーチの門があります。
これがモトヴンの南側の入口です。この門は14世紀のものだそうです。
門の横には古い建物の残骸であろう石造の壁が立っています。
今はここの住人のための塀のようでもあり、オブジェのようでもあります。
ゴシックアーチの門のすぐ外側には『洗礼者聖ヨハネと門の祝福された聖母マリアの教会(Crkva Sv. Ivana Krstitelja i Blažene Djevice Marije od Vrata)』という長〜い名の教会が建っています。
16世紀前半の建築で、19世紀の終わりに鐘楼が加えられています。下からモトヴンに上ってくると、最初に目に入るのがこの教会の尖塔です。
南の門からはやってきた道を少し引き返し、街の壁の外側を廻ってみました。
これは門の外側の北東に延びる比較的新しい建物群です。
小一時間掛けて街をぐるりと一周して出たのは宿のすぐ近く、昨夜食事をした Konoba Mondo というレストランの横でした。
このレストラン、昨夜は大変な賑わいでしたが、朝のこの時刻にはもちろんまだオープンしておらず、その前の通りにようやく人がちらほらでてきたばかりです。
Konoba Mondo からメインの通りを少し上ると私たちの宿があります。部屋は一番上の角の小さな窓があるところで、要するに屋根裏部屋ですねぇ。
この一階には Miro tartufi というトリュフの店が入っていて、これはこれから向かうトリュフ狩りをやっているところと同じ名、同じ経営者によるものです。
この街はトリュフで有名なので、そこら中でトリュフを使った土産物が売られています。Miro tartufi はまだ開いていないので、向かいのショウウィンドウを紹介します。この中に展示されているのはすべてトリュフを使った商品。
最上段はトリュフ入りオイルで様々なタイプがあります。二段目はパテや塩といったもの。最下段に見える道具はこのあとわかりますが、トリュフ狩りに使うものです。
この横には昨夜試してみた、フジという名のこのあたりの名物だというパスタが置かれていました。
私たちが食したのは生ですが、乾物もあるようですね。
散歩から戻っても今日の出発時刻まではまだしばらく時間があります。トリュフ狩りの店はモトヴンの丘のすぐ下にあり、10時からなので一時間ほど部屋でまったり過ごします。
テレビを点けるとハンドボールをやっています。第24回世界学生選手権がここクロアチアのリエカで開催され、その女子決勝が一昨日あったのです。それがなんと日本対ブラジル! 日本がブラジルを27ー19で破ったのでした。ワオ!
かつてハンドボールをやっていたサリーナは感激の涙! ひと泣きしたところで、宿を出発します。
丘の上のモトヴンから Miro tartufi に向かってグワ〜ンと下って行きます。
途中銀行に立ち寄るもこれが空いておらず。営業時間のはずなのに。。このあたりはちょっとイタリアっぽいかもね。ここに銀行はこの一軒しかないので、諦めてトリュフ狩りへ。
丘の下にある Miro tartufi には予定よりだいぶ早く着いてしまったのですが、私たちが到着するなりおかみさんが出てきて、『あら、あなたたち、うちのアパートのお客ね。』 と言って、快く迎えてくれました。
あとで分かったのですが、私たちがお世話になったモトヴンの宿は、このコティガ(Kotiga)一家が経営しているものでした。モトヴンの上にある店はショップ、こちらはデリカテッセンと称しているようです。
おかみさんのあとから娘さんが出てきて、コーヒーとレモネードを用意してくれました。
そのうちトリュフ狩りに行く人々が次々に集まってきます。この時は5〜6組の参加がありましたが出身地はみんなばらばらで、世界のあちらこちらからやってきています。
全員集まると、おかみさんからトリュフの説明があります。
トリュフはキノコで、ユニークで絶妙な味と香りがあり、歴史を通して強力な媚薬とされているが、その収穫はかなり困難である。トリュフが生える最も一般的な森は、オーク、ブナ、ヘーゼルナッツ、バラ、ポプラで、その生息地を維持するためには森を責任をもって管理し、持続可能な菌根の継続を可能にする必要がある。
白トリュフは球形でしばしば扁平しており、淡黄色または時には黄土色であり、非常に強い特別な香りを持っている。白トリュフの季節は9月から12月ごろまでで、多くの場合、オーク、ヤナギ、またはポプラの木の根元にある。それが成長するためには土壌の湿気が適切であることが重要である。ミルナ川の谷はイストリア半島で最大の白トリュフの収穫地で、時に地表面下0.5mの深さで見つかることもある。
黒いトリュフの表面は犬の鼻を思い起こさせる粗い皮を持っていて、季節は4月から8月ごろまでだけれど、冬に特別な黒トリュフが採れることもある。多くの場合、オーク、ヘーゼルナッツ、ホーンビームの木の根元にある。
解説を聞いたら車に乗り込み、近くの森に行きます。
トリュフマイスターのおやじさんとその助手が一人、私たちその他で総勢20名近くになりました。
森に着いたらおやじさんが車のトランクを開けます。するとなんとそこから二匹の犬が。これにはびっくり。私たちはこの車に乗ってやって来たのですが、移動中もそこに犬がいるなんてまったく気が付かなかったのです。
とってもおとなしい犬たちの茶色い方の名はベラで、これは美しいという意味。真っ黒い方はその名もネラ(黒)。
森ではおやじさんが簡単な説明をします。
フランスではトリュフ狩りに豚が使われるが、イストラ半島では犬が使われること。ベラはベテランだけれど、ネラはまだ修行中の身だそうです。
今は黒トリュフの季節なのですが、それはどこに生えているかは誰にもわからず、犬だけが鼻を利かせて探り当てることができるそうです。
『さあさあ、お前たち、トリュフを探しに行っておいで!』 とトリュフハンターのおやじさんが声を掛けると、さっそくベラは薮の中へ。
一方のネラはなんだかそこいらをうろうろするだけで、一向に探しに行く気配を見せず。
しばらくあちこちうろうろしていたベラがいきなり駆け出したかと思うと、ある木の根元に鼻を突っ込みました。
それを見たおやじさんも走り出して、まずベラを制止し、ベラが鼻を突っ込んだ根元を掘り出します。
このベラの仕草、なんだかほとんど花咲か爺さんのここ掘れワンワンのようで、ちょっとおかしい。
あとで聞いて分かったのですが、犬は見つけたトリュフをかじってしまうので、場所を教えてもらったら素早くそこから引き離して、大切なトリュフを食べられないようにするのだそうです。もちろんトリュフを発見したベラには、別のおいしい食べ物が与えられました。
だいたいの場所は分かっても、どれくらいの深さにどれくらいの大きさのトリュフが埋まっているのかは分からないので、ここからは慎重に土を押しのけるようにして掘っていきます。
この時使うのが柄の先に平べったい金属が付いた写真の道具です。
『もうちょっとかなぁ〜』 と様子を見ながらさらに掘り進んでいくと、
『おっ、出てきた、出てきた、出てきたよ〜』 と、おやじさんがみんなに知らせます。
ここで掘った穴は5〜10cmといったところでしょうか。
おやじさんが掘った穴を覗かせてもらいますが、一瞬どこにトリュフがあるのかわかりませんでした。黒トリュフはここの土に完全に同化してしまっています。
それでぐぐっと鼻を近づけると(笑)、お、あった〜 小さな黒トリュフが一つ。
匂いを嗅いでみましたが、これには土の匂いが混じっているからか、ほとんどそれらしい匂いは感じられませんでした。ん〜ん、鼻がわるいのかな。。
30〜40分ほどハンティングをして得られた成果がこちら。おやじさんによればこの結果は、『まあまあ』と言います。見つからないときは一日歩いてもまったく収穫がないこともあるそうです。
現在森の管理にはいろいろな問題があり、最近は乱獲による量の減少が心配されるので、組合で一日500gという収穫量に規制しているそうです。でも稀にたった一つのトリュフでその制限を遥かに超えてしまうこともあるそうな。そんな時はうれしいけれど、以降何日もハンティングに出かけられないことになるので、ちょっと困ったことでもあるそうです。
植林もしているそうで、新しい森では黒トリュフが採れるようになるまで10年掛かり、白トリュフは40年経つけれど、まだ採れるまでになっていないそうです。
トリュフハンティングの楽しいひと時を過ごしたら、獲物を持っておばさんが待つデリカテッセンに戻ります。
半屋外のこのロッジはとても居心地が良いです。
私たちがロッジに着くとテーブルにはすでに、おかみさんと娘さんとで用意してくださったランチが並べられていました。着席するとそこに娘さんがやってきて、
『ほ〜ら、これからこの黒トリュフを使って料理を作るわよ〜』 と、抱えていたいくつもの黒トリュフを見せてくれました。
一つ手に取って匂いを嗅いでみますが、森の中の取れたて土付きトリュフよりはいくらか感じるものの、あの強烈な匂いではありません。
『じゃあこれを嗅いでみて。これならきっとトリュフの匂いを感じるわよ。』 と、娘さんが半割にしたトリュフを持ってきてくれました。さすがにこれは匂いまする〜
ちなみに大きさは味や匂いとは関係ないそうで、アラブ人や日本人が大きなトリュフを大金を積んで買っていくのを、ちょっとアホらしく思っているようでした。
飲み物は、オレンジ水、二種のラキアという食前酒、そしてワイン。これらは飲み放題です。すばらし〜(笑)
テーブルに載っているトリュフメニューはざっと以下です。パテ三種、チーズ二種、トマトサラダ、サラミ。これらはみんなトリュフ入りかトリュフがけです。そして、トリュフ入りのオイルと塩も用意されています。
今は白トリュフの季節ではないので、黒と比較するためにトリュフ入りオリーブオイルを試してみました。ごく簡単に表現すると、黒はワイルドで、白はデリケートで華やか、といったところでしょうか。
テーブルに載っているものを頂いている間に、おかみさんがオムレツを作り出しました。参加者の子供たちもお手伝いです。
『タマゴはあわててかき混ぜたらおいしくなくなるからね、ゆっくりかき混ぜるのよ〜』
オムレツはあのくるっと丸めたタイプではなく、スクランブルエッグのごく柔らかいものと言った方が良さそうなものです。これにトリュフがたっぷり掛けられています。
一口、口に含んで息を鼻から抜けば、ふわ〜っと黒トリュフ独特の香りが広がります。トリュフは赤ワインのように味わえば、その味というか香りが良くわかるのでした。
〆のデザートもトリュフがけ。この Miro tartufi は自然食の店でもあり、蜂蜜も扱っていて、このケーキにはそれもたっぷり。蜂蜜とトリュフのコンビネーションを堪能しました。
我らがイタリアンシェフのウガンとジーナから、『トリュフは媚薬のようなもの』と聞いていましたが、ここでまさにそれを感じることができました。チーズがあったらトリュフがほしくなってしまいそう。これはちょっと怖いですね。
トリュフに酔って酩酊状態(笑)ですが、昼食が済んだらここに長居するわけには行きません。
今日はポレチュ(Poreč)まで移動しなければならないのです。
Miro tartufi を出るとすぐにパレンジャーナ鉄道跡(Parenzana)に入ります。これまでに紹介してきたようにこの道はかつて鉄道が通っていたところで、現在はサイクリングルートとして知られていますが、ほとんどが砂利道です。
モトヴンからポレチュまではもちろん普通の車の道もありますが、それはあまり楽しそうではないので、このパレンジャーナを行くことにしたのです。
パレンジャーナに入るなりいきなり砂利道です。まあこれは覚悟していたことなのでね。その代わりに北の眺望が開けていて気持ちいい。
しばらくするとなんと路面が変わりアスファルトになります。これは嬉しい誤算ですが、そう世の中甘くはありません。
すぐにまた砂利道になってしまいました。しかも眺望がなくなった挙げ句に上り基調で、ちょっときつい。
『いったい、いつまでこの砂利道続くの〜』 と、怒り気味のサリーナ。
それからもどんどこ砂利道を行き、モトヴンから1時間40分走るとパレンジャーナの最高標高地点270mに到着。Miro tartufi の標高は150mなので高度としては僅かに120m上っただけですが、小径車に砂利道の上りはかなりこたえます。
ここからは遠方に丘の上のモトヴンが見えます。あの麓から砂利道をえっこらよっこらとここまで来たのです。
この最高地点を過ぎると間もなく、パレンジャーナの出口のヴィジナダ(Vižinada)に辿り着きました。
よろよろ〜っとやって来るサリーナ。フ〜ッ、と息を吐いて木陰で一休みです。
パレンジャーナの出口からはアスファルトの舗装路を行き、ヴィジナダの街をかすめ、ちょっとしたダウンとアップを経て、ラシチ(Lašići)からカントリーロードに入ります。
ラシチ村の周囲はぶどう畑で、ここにはちょっとしたワイナリーが数軒あるのですが、トリュフで酩酊状態の私たちはこれはパスすることにしました。
ぶどう畑の次はオリーブ畑。この周辺には森かぶどう畑かオリーブ畑しかないのです。
このあたりから道は下り基調に。今日の終着地のポレチュはアドリア海に面しているのです。
オリーブ畑の向こうに教会の塔が見えてきました。
あの村はヴィシニャン(Višnjan)でしょう。
ヴィシニャンは高さはあまりないもののモトヴン同様、丘の上にあるようです。
ということで、ここからはまたほんのちょっと上り。
暑い。写真からは温度は伝わらないでしょうが、実は暑いのですよ。時はすでに16時近くで、モトヴンを出てからすでに3時間近く経っています。ヴィシニャンでカフェをみつけ休憩です。
メニューを眺めて悩むサリーナですが、結局いつものラドラーを。
ヴィシニャンからは幹線道路(とは言っても二車線の普通の道)に出てちょっと下り、ノヴァ・ヴァース(Nova vas)に入ります。
この村の中には特別なものは無いようですが、村はずれにちょっとした観光名所になっている洞窟があります。しかしこれまで名だたる洞窟を見てきた私たちはこれもパス。まだトリュフの酔いが醒めないのです。(笑)
ノヴァ・ヴァースからは幹線道路を離れ、カントリーロードで本日の最終目的地のポレチュに向かいます。
写真は道幅の広いところで多くはもっとずっと狭いのですが、この道はほとんどが浅い森の中を行き、視界が開けないのであまり冴えません。
まあそれはともかく、ビューンと下ってポレチュに到着です。
ポレチュの旧市街はアドリア海に突き出た小さな半島で、その中には宿泊施設があまりないので、私たちの宿は旧市街の中心から1kmほどのところのキチネットが付いたアパートメントです。部屋は広くはありませんが外のテラスにテーブルがあり、ちょっとくつろぐことができます。
宿に荷を解きシャワーを浴びて暫し休憩したら、夕食に日没時刻を狙って出かけます。
宿からほぼまっすぐ西へ進むとポレチュ旧市街を望むビーチに出ました。一際高い尖塔は世界遺産のエウフラシウス聖堂のそれです。
時は20時15分、日の入りまであと10分です。
アドリア海に沈む夕日をしばらく眺めて過ごします。
このビーチに来るまで気づきませんでしたが、今日の午後は雲一つなかったのに、ここに来て急に雲が出てきたようです。その雲が赤く染まって、独特の景色を作り出しています。
陽はすっかり海の底に沈みましたが、まだビーチで泳いでいる人もいます。
ヨーロッパの夏は夜が長いのがいいですね。
しばらくビーチを眺めていると、いつの間にか奇妙な雲がにょきにょきと育っているではないですか。入道雲ですね。
あの雲の下はここから100km離れたイタリアのはず。イタリアのどこかは今、きっと大雨でしょう。
さて、夕食に良い時間になってきました。ここは海辺でイタリア食文化圏。そうとくればここはやっぱり魚介類でしょう。たまたまこの浜の近くに良さそうなレストランがあったので入ってみました。
白身魚のカルパッチョがあったのでこれを前菜に。カルパッチョは元々は牛肉だそうですが、やっぱり牛より白身魚ですねぇ〜 あ、もちろんこれにはトリュフはなしよ。(笑)