快晴、空気は涼しく爽やかです。昨日は買い物できなかったこともあり、今朝は宿のレストランで5€/人の朝食をとることにしました。
朝食後、イストラ半島でほこりにまみれた自転車を洗おうと、フロントで「バケツを貸してほしい」と頼むと、ホースも準備してくれました。というわけで、ややゆっくりめの9時前に、ピカピカの自転車で宿をスタートです。
宿のすぐ横の通りでは、路上で市場が開かれていました。観光的なものではなく、衣類や靴、日曜雑貨などが屋台風に並んでいます。
そして、もちろん食べ物も。おいしそうなすいか、ぶどう、桃などが売られていました。
市場を見物したあとは、住宅街の中を抜けていきます。
庭にはきれいな花のほかに、りんごの木などが植えられていて楽しい。
そして、R102に出てきました。しばらくは歩道の中に自転車帯が設けられていて、安心して走れます。
今日は、このR102をずっと走れば目的地のイドリヤに到着するはずです。
ほどなくR102は市街地を抜け、田園地帯を走ります。
交通量もそれほどではなく、森や牧草地の緑がまぶしい。
しかし、まっすぐ行かないのがサイダーです。R102からの分かれ道を見つけ、脇道を山の中に入っていきます。
結構キツい坂ですが、今日の走行距離は30kmと短いのだからまあ、いいか。
丘を上っていくと、途中に農家がありました。赤い屋根の母屋や納屋、倉庫などの間を抜けて進みます。
その先にはとうもろこし畑が広がっています。
まだ続く坂をわっせわっせと上るサリーナ。
R102から100mほど上った丘の上の集落は、Ravnik pri Hotedršiciです。前方の丘のてっぺんには、聖バルバラ教会が見えています。
そして、小さな集落を抜けると下りです。
再びP102に入り、Hotedršicaの町を通ります。
ここには食堂もありますが、まだ時間は早いので先へ進みます。
そして次の町、ゴドヴィッチ(Godovič)までやってきました。
町の入口では、ぴかぴかの屋根の教会の塔が出迎えてくれます。
道路沿いにバルを見つけたので、ちょっと休憩。
すでに予定の半分以上の距離を走っているわけで、ゆったりとラドラー2種類を楽しみます。この後、すぐに予期せぬ事態になるのですが。。
飲み物で英気を養い、元気に出発。
気温は25〜26度くらいでしょうか。日差しは強いもののイストラ半島に比べるとかなり涼しく、高原リゾートに来たような気分です。
旅の最初にリュブリャナやポストイナを襲っていた熱波は、どうやら和らいだようです。
そして、18kmを過ぎたあたりからは気持ちのいい下りが続きます。わーっと下って下っていくと、その先に工事車両が見え、作業員が近づいてきました。「崖が崩落して、この道は通れないから迂回してください。通行止めって書いてあったでしょ」 え、ええーっ?
このR102はイドリヤに向かう一本道の幹線です。通れないことなど全く予想しておらず、イドリヤまでどう行けばいいのかわかりません。
とにかくいったん戻るしかないので、下った道をえっさえっさと上っていくと、確かにこんな標識が立てられていました。
でも、標識の間を通れるようにはなっているので気にせず通ってしまいました。何か書いてあるのはスロヴェニア語のみなので、見てもわからなかったよなあ。
この標識の横には脇道がありました。地図を見ると、少し回り道だけど北に行けばイドリヤに行く別の道に入れそうです。
他の選択肢はなさそうなので、この脇道を進むことにしました。舗装はされているけれど、かなりローカルな小道を下っていきます。
すると、ほどなくダートに突入。しかも上り。
ダートですが、車が通っていそうな道でそれほど荒れてはいないので、ともかく上っていきます。
しばらく行くと再び舗装路になり、開けた牧草地に出てきました。
昼近くなって気温は上がり、30度を超えてきました。上りが続く中、何とか農家の横の木陰までたどり着こうと、汗だくでペダルを回し続けます。
ようやく木陰に入り、ベンチを見つけて自転車を下りて休憩。
ぬるくなったボトルの水を飲んで一息ついていると、トトト、とやさしそうなワンちゃんがやってきて頭をこすりつけてきました。
ワンちゃんに続いて、青年がガラスのジャーにコップを持ってやってきました。「下の道が通行止めだから来たんだよね。迂回する車やモーターバイクはよく通るけど、自転車の人は初めてだよ」と笑っています。
冷たい水が体にしみわたり、生き返った私たち。ご親切にどうもありがとう、助かりました! 「でもこの先はまだまだキツい上りだよ」と気の毒そうに教えてくれました。
農家を過ぎると勾配はさらに増し、ついに自転車を押して歩きます。
坂道をぐるっと回り込むと、先ほど通った牧草地や農家が一望に見えてきました。「景色はいいけどキツいねえ〜」とサイダー。
こんな勾配が続き、えんやこらと自転車を押すサリーナ。押すのも一苦労です。
このあたりは木陰があり、舗装路なのでまだよかったのですが、
ついに木陰も舗装もなくなり、かんかん照りの土ぼこりとゴロ石ダートになりました。
迂回する車もモーターバイクも、本当にこのルートを通ったのでしょうか?
えーとかぎゃーとか言っても、もうこの道を進むしかありません。
どんどん上るから、周囲の見晴らしはとてもよくなってきました。景色を楽しむ余裕のほとんどないサリーナですが。
周囲には緑に覆われた丘と、その向こうに山並みが見えています。
押し続けること40分ほど。「早く普通の道に戻りたい〜」とつぶやくサイダー。
すると、農家がポツンと1軒あり、そこを越えるとダート道の状況が少しよくなりました。もうすぐ丘の反対側の道に通じるに違いありません。
上り勾配もやっと緩くなり、ついに上りの終わるときがやってきました。ああ、疲れたあ。
あとで確かめてみると、この1kmほどは平均勾配17%。押し上るのに40分もかかってしまいました。
予期せぬ迂回路の悪路にかなり苦労したものの、ようやく下り基調となり笑顔のサリーナ(TOP写真)。
そのうち舗装された道路に入り、集落を抜け、牛が放されている牧場の横を進みます。
そして3〜4kmほど進めば、本格的な下りに入ります。
カーブを曲がり、勢いよく下るサリーナ。
その下には、ついに目的地のイドリヤの町が広がっていました。
R102をまっすぐ来ていたらずっと下りで楽チンだけど、こんなイドリヤの全景を見ることはできなかったのだから、まあ良しとしましょう。
下りは速い。あっという間にイドリヤの入口に到着です。
イドリツァ川にかかる吊り橋を渡って町に向かいます。
イドリヤは、スペインのアルマデンとともに、水銀鉱山と関連する旧市街や産業遺産群が2012年に世界遺産に登録されています。イドリヤでは1497年に水銀が発見され、1994年に停止するまで約500年間、採掘が行われました。水銀は主に銀の精錬に用いられ、アメリカ大陸での銀山開発によってその需要が増大したそうです。
この石造の建物(Kamšt)の中には直径13.6mもの木造の水車があり、1790年から1948年まで、坑道に溢れる水のポンプアップに使われていたそうです。
イドリヤの中心部に向かってイドリツァ川沿いを走っていきます。
町の中心に着き、イドリヤの水銀関連遺構として最大の観光施設であるアントニウスの坑道入口の建物に到着しました。
時刻は昼の1時を過ぎており、鉱山観光は後回しにしてまずは腹ごしらえです。
この坑道入口の建物は、現在、宿泊施設とレストランにもなっており、そのレストランBarbaraで昼食をとることにしました。
イドリヤでぜひ試さなければならないのは、郷土料理のジュリクロフィ(Idrijski žlikrofi)です。餃子のような皮にマッシュポテトなどを詰めて茹でたもので、やさしい味わいでおいしい。
お腹も満たされたところで、15時からのアントニウス坑道見学ツアーに参加しました。まずは鉱山作業員の点呼場所だったという教室のような部屋で、イドリヤ水銀鉱山の説明ビデオを見ます。そこには私たちしかおらず、ツアー参加者は私たちだけ?
その後、作業員風の上着とヘルメットを貸してもらい、いよいよ坑道に入ります。このときまでには他に3人ほど参加者が現れ、ガイドの女性に連れられて総勢5人で坑道の中へ。
坑道内の気温は13度ほど。まず現れたのは、昔むかしの採掘の様子。ハンマーでたたいて掘り出しています。
その先には、鉱山作業員のための礼拝堂があります。
ところで、この坑道の名前『アントニウス』は、鉱山事故に対する守護聖人でもあるパドヴァのアントニウスにちなんで命名されたのだそうです。
水銀を含む地層だそうで、プチプチしたのがそうかな。硫化水銀の赤い鉱物の「辰砂」(しんしゃ)もありました。
イドリヤは、水銀が液体と硫化水銀の両方の状態で産出する世界でも数少ない場所のひとつだそうです。
そして、坑道をどのように掘り進んでいったかという説明や、採掘の道具の展示があります。
次第に機械化が進み、採掘した岩石をトロッコで運搬するようになります。
採掘も手動ハンマーではなく、機械ハンマーで行っています。
人形による作業の様子だけでなく、ここでは機械ハンマーによる粉塵も表現されてリアル。
ここは作業員が休憩している様子。その他、坑道内のトイレなど、作業員たちの実際の生活がわかるような展示がみられます。
こうして見学した坑道の最深部は地下約100m。
見学を終え、この急勾配の階段を上ると、最初に見た礼拝堂に至ります。
坑道から出ると、水銀を含む鉱石や水銀を入れる容器を見せてくれました。
そして写真左手は水銀の重さを体感するためのもので、この100ccほど入った水銀の容器を持ち上げてみると重いのなんの。水銀の比重は水の13.5倍だそうですから、100ccなら1.35kgにもなります。
アントニウス坑道をあとに、次に向かったのは市立博物館(Idrija Municipal Museum)。この建物はGewerkenegg Castleと呼ばれ、Gewerkeneggはドイツ語で鉱山の意味だそうですから『鉱山城』ですね。
16世紀前半にルネッサンス様式で建設された建物は鉱山管理事務所として用いられ、時代によって学校やさまざまな事務所としても利用されたそうです。18世紀半ばの改修によりバロック様式とされフレスコ画が描かれ、1990年代前半に現在見られる姿になったとか。
建物の中庭に入ってみると、白い壁に燕脂色で模様が描かれていて華やかです。
現在は市立博物館のほか、音楽学校やレストラン、店舗として使われているそうです。
博物館には水銀鉱山やイドリヤの歴史などの展示もあるのですが、展示の見所は何と言っても『イドリヤレース』でしょう。
『ボビン』と呼ばれる糸巻きをピン留めしながら織り込むボビンレース。このレースは20個のボビンを使っていますね。
これはもう少し複雑な模様です。ボビンの数もピンの数も増えました。
これに至っては、ボビンやピンはいくつあるのやら。どれがどれなのかわからなくなりそう。
織り上げるのに、いったいどのくらいの時間がかかるのでしょうか。
この繊細なレースの作品見本がありました。
イドリヤでは100年以上前にレース編みの学校が創設されたそうです。
この美しく繊細な大作テーブルクロスが、あのボビンとピンでつくられたとは。
これは、チトー大統領夫人に贈られたものだそうです。
じっくりレースを堪能したら、夕方5時を過ぎていました。そろそろ今日の宿にチェックインするとしましょう。
今日はユースホステルに泊まりです。高台にあるので、少し上らなければいけません。トリニティ教会の脇を上っていきます。
その先のこの建物は市庁舎です。観光案内所もこの中にあります。
ここからさらにジグザグと上り、町の景色が下に見えてきました。
そして道を回り込んだところに大きなコの字型の建物がありました。これがホステル・イドリヤでした。
学校関係の宿泊施設の一部をホステルにしているようで、「今、ハーブの手入れしてるからちょっと待ってね〜」とスタッフのお兄さん。部屋はバス・トイレ共用でしたが宿泊客は少ないようで、1階には大きな共用キッチンとダイニングがあり、「ここに植えてあるハーブも料理に使っていいよ」とは何とも楽しい宿です。
シャワーを浴びてしばらく休憩したら、再び町の散策と夕食に出かけます。
ここは町のメインストリート。先ほど上の道から見た市庁舎が右手に見えます。
メインストリートから左へ路地を入っていくと、Trg sv. Ahacijaという広場に出ます。
写真の左の建物は1764年建築の穀物取引所で、スロヴェニアのバロック建築の中では最古のものの一つと言われています。そして正面の丸い建物は1769年建築の劇場で、これもスロヴェニア最古の石造劇場だとか。鉱夫たちの生活の娯楽面も配慮されていたわけですね。
広場を囲む他の建物も個性的で楽しい。
しかし、ここで問題発生。ホステルで教えてもらったレストランが閉まっていたのです。どうやら月曜日は早く閉店するらしい。イドリヤにはレストランが多くはなく、他に食事できるところが見つかりません。
そこで向かったのは、昼にも行ったアントニウス坑道入口建物横のレストランバルバラです。
今度は違うメニューというわけで、頼んだのはマスの薫製、ローストポーク。このマスの薫製は、レアなマスを薫製にしてレモンと塩で食べるという、なかなか繊細でおいしいものでした。
今日は道路工事で迂回という予想外のことはあったものの、もともとの移動距離が短かったので事なきを得て、無事イドリヤの観光もしっかりできました。さて、明日はいよいよ川を遡りながらユリアンアルプスの麓に入っていきます。