スロヴェニア・クロアチアの旅も、今日を残すのみとなりました。
ゆっくり部屋でサンドイッチの朝食をとって、9時にリュブリャナ近郊巡りに出発です。今日も快晴、ずっとお天気には恵まれました。
まずは自転車で、リュブリャニツァ川に沿って南に向かいます。
このあたりにはスーパーがあり、日頃の買い物でお世話になっています。
そして、Hradeckega 橋を渡って川の対岸へ。
今日はまず、建築家であり都市計画家でもあるヨジェ・プレチェニク(Jože Plečnik)の作品巡りです。初日のリュブリャナのページにも書きましたが、プレチュニクは運河の巡るこの首都の骨格から新たにデザインを施しており、多くの橋や川沿いのプロムナードが彼の手によるものです。この小さな橋もプレチュニクのデザインによるもの。
そして橋からは、右手のリュブリャニツァ川に注ぐ水路を越えたところにトルノーヴォの護岸(Trnovski pristan)が見えます。
柳の並木に覆われたこの段々の護岸、心地よい水辺は市民の憩いの場所になっているそうです。これもプレチュニクのデザイン。
そんな柳の並木を見ながら、対岸を南へ進んでいきます。
川面がとても近くて気持ちよい。
リュブリャニツァ川の分岐点にやってきました。リュブリャナの南西で生まれたリュブリャニツァ川はここから2つに分かれ、リュブリャナのお城を囲むように4〜5kmほど進むとまた合流し、その後、サヴァ川に注ぎます。
その分岐の先っぽは Park Špica という公園になっていて、広々した川と緑が開放的です。(TOP写真)
自転車と歩行者のための橋を通り、リュブリャニツァ川の東側へ渡ります。
橋から見下ろすと、船着き場がありました。
観光船が橋の下を行き来しています。気持ちよさそう。
さて、ここからはリュブリャナの郊外へ。
広々した平野に戸建住宅が並ぶまっすぐな道をどんどん進みます。
道路脇の住宅が途切れ、あたりには牧草地が広がってきたところに、ちょっと変わった建物が見えてきました。
聖ミカエル教会(Župnijska cerkev sv. Mihaela)です。
この聖ミカエル教会も、プレチュニクの設計によるもの。彼のデザインの特徴が際立っている建築です。1937年から1940年にかけて建設されました。
建物正面の中央に、薄い板のような鐘楼が立っています。
その正面の鐘楼2階入口へ、低い列柱の階段が誘ってくれます。
外壁は石やレンガを使った白と赤、そしてコンクリートの丸い柱に窓の部分には木造の壁、また屋根も木組です。
前面のドラマチックな階段と列柱は、ギリシア神殿を思い起こさせます。
そして2カ所の踊り場は、さながら舞台のようです。結婚式などでの格式高く華やかな場面が想像できますね。
木を使った壁や屋根は、暖かみのある表情を出しています。
内部には入れませんでしたが、木を多用したシンプルな空間で日本の神社をイメージさせるものとのことで、見てみたかった。
実は、この教会は建設資金が足りず、柱は下水のコンクリート管を使い、木材は近隣の村からの寄付によるものだとか。木を多く使うことで、とても暖かく居心地のよい雰囲気になっているそうです。
青空と緑の草原の中にある教会。斜め横から見れば、アーチで支えられた階段が大地に向かって伸びていくようです。
とても印象的な聖ミカエル教会でした。
外観だけでしたが、教会見学を終えると再びリュブリャナの市街地方面へ戻ります。
快晴の青空の下、牧草地が広がっています。
このあたりでリュブリャナの中心部からわずか3〜4kmなのですから、リュブリャナはとてもコンパクトな街ですね。
そして、またまたリュブリャニツァ川に戻ってきました。ここは、先ほどの川の分岐点の南500mくらいのところです。
静かな川では競技用ボートの練習でしょうか、長いボートを漕ぐ人たちがいました。
市街地に入り、大きな教会の2つの塔が見えました。
旅の初日の散歩でも訪れたトルノーヴォ教会(Trnovska cerkev)です。
教会の前の小さな川に架かるのは、これもプレチュニクがデザインしたトルノーヴォ橋(Trnovski most)。
端と真ん中には尖ったピラミッド型の柱が立っています。
この教会と橋のすぐ南に、プレチュニクの家(Plečnikova hiša)があります。
ここは、ウィーンやプラハで建築家として成功をおさめたプレチュニクが、1921年にリュブリャナに帰って一緒に住むことになった兄弟の家です。前面は特に目を引くものはなく、普通の家という感じです。
プレチュニクはこの家の中庭側に円筒型の塔やガラスで覆われたポーチを取り付けるなど、増改築を施しました。
模型の手前がポーチ、奥の丸いのが塔です。
この『プレチュニクの家』は、さながらプレチュニクが今住んでいるような家具や書物、設計のための道具、模型などが置かれています。そして、希望すればそれらの部屋を解説しながら案内してくれるのです。
ここは奥まったところにある玄関ポーチ。列柱に支えられた屋根が架けられガラスを取り付けて、明るい空間になっています。手前の頭像がヨジェ・プレチュニクさん。
玄関からまず入ったのは、ダイニングキッチン。
台所設備なども興味深いものです。プレチュニクはコーヒー党だったそうです。
そして、ダイニングテーブルに置いてある椅子の一つはこれ。マッキントッシュの椅子です。
グラスゴーのマッキントッシュは、プレチュニクの少し前の世代になるのでしょうか。プレチュニクはマッキントッシュのデザインを好んでいたそうです。
こちらはマッキントッシュの椅子に似ていますが、それを真似たプレチュニクのデザインのもの。
顔がお茶目ですね。自画像でしょうか。
続いて、塔の中にある彼の書斎兼寝室です。生涯独身で建築デザインや都市計画に一生を捧げたプレチュニクの生活は、まさにストイック!と、熱心に説明してくれるガイドの方。
リラックスするとか余暇を楽しむなどという概念はなく、寝るためのベッドも寝心地などは追求しなかったそうな。
書斎のテーブルの上には、今にも浮かんだアイデアを描くプレチュニクが現れそうなアイテムが満載です。
茶色い紙とペン、定規、コーヒーカップに材料のサンプル。
ところで、この部屋の入口はこんな門型の木でつくられています。何となく見覚えはありませんか。神社の鳥居のようですね。
彼はさまざまなモチーフを自分のデザインに取り込んでおり、日本のデザインにもとても興味を持っていたといいます。日本に来たことはありませんが、友人に浮世絵を送ってもらったりしていたそうで、入口の横に飾ってありました。
そして部屋にこのような門をつくったのは、門をくぐるということで、神聖な仕事場に入る緊張感を醸し出すためだったとか。え、ゴロゴロするための寝室じゃないの?とつぶやくサリーナ。偉人は違いますね。
次に来たのは、お客さんと打ち合わせをする小さな部屋です。
この正面の暖炉のようなものは、裏からコーヒーを入れてもらうためのものだそうです。仕事場には女人禁制を敢行していたプレチュニク、家事をしてくれていた女性を部屋に入れないための設備なんだとか。あらまあ、ご不便な。
その部屋の照明器具は、何だか懐かしい感じのする美しいものでした。
そしてこちらはアトリエですが、優秀な学生をここで教えていたそうです。
もちろん仕事にストイックなプレチュニク、仕事場ではわざわざ座り心地の悪い椅子を使っていたとか。眠ったりしないようにね。最も優秀な生徒の席はプレチュニクの真ん前で、さぞ緊張したことでしょう。
さて階段を下りていくと、明るいガラス張りのサンルームに出ます。
そのサンルームへは、こんな狭い入口を通ります。狭い門を通ることで劇的な効果を狙ったのか、儀式的な意味を持たせていたのか。
ともあれ、中庭に面して光を浴びる、文句なく快適なサンルームです。
これは、先ほど見学した書斎やアトリエのある塔。プレチュニクが1957年に亡くなるまで過ごした場所です。
ツタが絡まっていい雰囲気を出していますね。
じっくり案内してもらってプレチュニクの家を楽しんだあとは、すぐ北にあるローマ人の城壁へ。
紀元14〜15年につくられたというリュブリャナの城壁は、少なくとも26の塔と4つのゲートを持っていたとのこと。約2000年後の今も見られるのですから、極めて頑丈なつくりだったのですね。
そして1930年代、その城壁にはプレチュニクのリュブリャナ再生計画によって、石積みのピラミッドとアーチの入口がつくられました。
ピラミッドの中腹に上るサイダーです。
ローマ時代の城壁にこの「ピラミッド」はやや不思議な気もしますが、プレチュニクによる一貫した都市デザインには違いありません。
ピラミッド門を通り抜けると、リュブリャナ大学の敷地に入っていきます。道脇の芝生の中にもときどき石棺のようなものが転がっています。これらもローマ時代のものでしょうか?
中心市街地を通ってやってきたのはティヴォリ公園。
この公園はリュブリャナで一番大きく、フランス人技術者によって19世紀の初めに造られました。緑の芝生が眩しい。
気持ちの良いティヴォリ公園を通り抜け、やってきたのは青白いガラス壁に覆われた大きな建物。
ユニオンビール工場です。これからこのビール工場を見学します。
見学するのは、ガラスの建物の隣にあるこちらの建物です。2本の煙突はユニオンビールの象徴でもあります。
見学ツアーは1人14€とちょっとお高いですが、ビアテイスティング付き。
この建物の1階はビアレストランになっていて、レンガの落ち着いた雰囲気です。見学は12時からで、ちょっと時間があるのでまずは自主的にテイスティング。
ユニオンビールは歴史あるスロヴェニアのビール会社ですが、現在の社名はラシュコー・ユニオン(PIVOVARNA LAŠKO UNION)といい、オランダのハイネケンによる経営となっています。
ラシュコーは、リュブリャナの東にある『ラシュコー』で1825年に始まったビール会社で、2002年にユニオンビールを買収しました。
さて、見学ツアーの始まり始まり。ガイドの女性に連れられて、集まった7〜8人の観光客が建物の階段を上り、まず映像ルームに入ってビデオを見ます。
そして、ビールのテイスティングをしたあとは、ビールづくりの歴史を学んでいきます。
以前は木の樽に詰めていました。こんな大きな樽もあります。
運ぶのは馬車で、しかもダートですからガラス瓶が割れないように神経を払います。
木箱の中に藁を詰めて運んでいました。
次第に機械化されていきます。
年代ごとの当時の機械で醸造方法が展示されていて、なかなか興味深いものです。
こちらは樽詰め。樽にもいろいろなサイズがあります。
そんな歴史を一通り見終わったら、「次は見学者用のビブスを着てください」とガイドさん。
ここからは現在の工場を覗きます。
現在の工場内は写真撮影できませんが、外には大きなタンクとケースで積まれたビールが並んでいます。
製造も運搬方法もずいぶん様変わりしましたね。
というわけで、ビール工場の見学終了。見学でかなり歩いておなかがすいていたので、ここのビアレストランで昼食です。
食べたのは、グラーシュ(シチュー)と鳥の唐揚げ。グラーシュはハンガリーの名物料理ですが、スロヴェニアやクロアチアでもメニューによく見かけます。それから、鳥の唐揚げは説明文に「ジュガンチ」(žganci)と書いてあったので頼んでみました。ジュガンチは「蕎麦」で、蕎麦の味はちょっとわからなかったけれど、香ばしい唐揚げでした。
午後はもう少しリュブリャナ北部の近郊を回る予定だったのですが、おなかもいっぱいになり、「ちょっと休もうか」ということで宿に戻ります。
「ちょっと」のはずが、宿でシャワーを浴びてまったりしていると、あっという間に夜になりました。旅の最終日ですが、まあこんな過ごし方もありでしょう。
さて今宵はこの旅の最後の晩餐です。ところが、相変わらずリュブリャナ中心部は観光客が溢れていて、覗いてみたレストランはどれも満席です。
しばらくうろうろした後、ちょっとオシャレで現代的なお店に入ることができました。ところがここはワインとつまみの店のようで、オーダーした料理は「ここは東京か」と思うくらい小ぶりです。「魚介の前菜」「タコとイカスミごはん」はおいしいけどどちらも2〜3口で終わり。
食事はいつも2人で2皿で十分なのですが、これではあまりに少ないと、もう1皿追加です。
これは「ムール貝のカレー風味」。パクチーとライムでとてもおいしい。どれも味はとてもよかったですが、珍しく量が少ない驚き体験でした。
翌朝、ついにスロヴェニアともお別れです。エアポートシャトルでリュブリャナ空港へ。
飛行機が飛び立つとすぐに、窓の外に険しい山並みが見えてきました。スロヴェニアン・アルプスでしょう。
スロヴェニアとクロアチアで過ごした約3週間は、海あり山ありで地理的な変化を楽しみ、ローマ時代からの歴史が豊かで食事もおいしく、とても快適な旅でした。