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カミーノ・デ・木曽海道六拾九次

開催日 2021年03月01日(月)〜
参加者 /サイダー
案内人 渓斎英泉/歌川広重
総合評価 ★★
難易度
走行距離 530km
地域 首都圏・東海・近畿

コース紹介

ヴァーチャル自転車の旅、木曽街道。

地図:Googleマップgpxファイル/GARMIN Connect/Ride With GPSトライアル用

カミーノ・デ・木曽海道六拾九次の記録

番号 宿場名 累積距離 絵師 版元 備考 画題
01 日本橋 START 英泉 保永堂 木曾街道 續ノ壹 日本橋 雪之曙/
02 板橋 km 英泉 保永堂 木曾街道 板橋之驛
03 英泉 保永堂 木曾街道 蕨之驛 戸田川渡場
04 浦和 英泉 保永堂 支蘓路ノ驛 浦和宿 淺間山遠望
05 大宮 英泉 保永堂 木曾街道 大宮宿 冨士遠景
06 上尾/あげお 英泉 保永堂 木曾街道 上尾宿 加茂之社
07 桶川 英泉 保永堂 岐阻街道 桶川宿 曠原之景
08 鴻巣 英泉 保永堂 岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望
09 熊谷 英泉 保永堂 岐阻道中 熊谷宿 八丁堤ノ景
10 深谷 英泉 保永堂 岐阻街道 深谷之驛
11 本庄 英泉 保永堂 支蘓路ノ驛 本庒宿 神流川渡場
12 新町 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 新町
13 倉賀野 英泉 保永堂 木曾街道 倉賀野宿 烏川之圖
14 高崎 広重 保永堂 木曽海道六拾九次之内 高﨑
15 板鼻 英泉 保永堂/錦樹堂 木曾海道六拾九次之内 板鼻
16 案中 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 案中
17 松井田 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 松井田
18 坂本 英泉 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 坂本
19 軽井澤 広重 保永堂/錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 輊井澤
20 沓掛 英泉 保永堂 木曾街道 沓掛ノ驛 平塚原雨中之景
21 追分 英泉 保永堂 木曾街道 追分宿 淺間山眺望
22 小田井 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 小田井
23 岩村田 英泉 保永堂 木曾道中 岩村田
24 塩なた 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 塩なた
25 八幡 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 八幡
26 望月 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 望月
27 あし田 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 あし田
28 長久保 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 長久保
29 和田 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 和田
30 下諏訪 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 下諏訪
31 塩尻 英泉 保永堂 木曾街道 塩尻嶺諏訪ノ湖水眺望
32 洗馬/せば 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 洗馬
33 本山 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 本山
34 贄川/にえかわ 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 贄川
35 奈良井 英泉 保永堂 岐阻街道 奈良井宿 名産店之圖
36 藪原 英泉 保永堂 木曽街道 藪原 鳥居峠硯ノ清水
37 宮ノ越 広重 錦樹堂 木曾海道六十九次之内 宮ノ越
38 福しま 広重 保永堂/錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 福しま
39 上ヶ松/あげまつ 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 上ヶ枩
40 須原 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 須原
41 野尻 英泉 保永堂 木曾路驛 野尻 伊奈川橋遠景
42 三渡野 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 三渡野
43 妻籠 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 妻籠
44 馬籠 英泉 保永堂 木曾街道 馬籠驛 峠ヨリ遠望之圖
45 落合 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 落合
46 中津川 広重 錦樹堂 木曾海道六拾九次之内 中津川
47 大井 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 大井
48 大久手/おおくて 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 大久手
49 細久手 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 細久手
50 御嶽 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 御嶽
51 伏見 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 伏見
52 太田 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 太田
53 鵜沼 英泉 保永堂 木曾街道 鵜沼ノ驛 従犬山遠望
54 加納 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 加納
55 河渡 英泉 保永堂 岐阻路ノ驛 河渡 長柄川鵜飼舩
56 みゑじ 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 みゑじ
57 赤坂 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 赤坂
58 垂井 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 垂井
59 関ヶ原 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 関ヶ原
60 今須 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 今須
61 柏原 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 柏原
62 酔ヶ井/さめがい 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 酔ヶ井
63 番場 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 畨場
64 鳥居本 広重 保永堂/錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 鳥居本
65 高宮 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 高宮
66 知恵川 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 恵智川
67 武佐 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 武佐
68 守山 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 守山
69 草津 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 草津追分
70 大津 広重 錦樹堂 木曽海道六拾九次之内 大津
- 三條大橋 550km - - -
木曽海道六拾九次:Wikipedia木曽街道中山道浮世絵に聞く!電子足跡木曽街道六拾九次 昔と今

『木曽海道六拾九次』(天保6- 9年/1835-1838 頃)は、中山道の異称である木曽街道をテーマに、69の宿場と起点の日本橋の合わせて70ヵ所を描いた江戸時代後期の浮世絵です。当初、渓斎英泉(寛政2~嘉永元年/1790-1848)が手がけましたが、2年ほど掛け日本橋から本庄宿までの11図に加え、宿場を飛び飛びに13図、合計24図を完成させたところで歌川広重(寛政9~安政5年/1797-1858)に引き継がれました。

当初の版元は『東海道五拾三次』(天保5年/1834 刊行)を出した保永堂(竹内孫八)でしたが、その後錦樹堂(伊勢屋利兵衛)へと変わっていき、完結後の版権は錦橋堂(山田屋庄次郎)が持ちました。なお、『中津川』には雨の景と晴天の景が存在するため、全体では71図あります。広重は東海道のすぐあとにこの木曽海道を描いたことになります。なお文字違い『海』→『街』の『木曽街道六十九次』(嘉永5年/1852)を歌川国芳(寛政9年〜文久元年/1798-1861)が71枚揃いで描いています。

江戸と京都を東海道が太平洋沿岸経由(南回り)で結んだの対し、中山道は内陸経由(北回り)で結びました。草津追分以西は東海道と道を共にします。江戸から京都までの距離は、東海道が126里6町1間(496km)なのに対し、木曽街道は135里34町余(526km)。現代の道で中山道をできるだけトレースしてみると、総延長は550kmほどになり、こちらも東海道よりわずかに長いです。

木曾街道 續ノ壹 日本橋 雪之曙/英泉木曾街道 續ノ壹 日本橋 雪之曙/英泉

木曽街道の出発点は日本橋。これは東海道のそれと同じです。広重が描いた保永堂版東海道伍拾三次の副題が『朝之景』であるのに対し、英泉のこれは『雪之曙』で、いずれも朝の情景、朝焼けの空という点が共通しています。先行図の東海道を意識しないわけにはおそらくいかなかっことでしょう。ともあれ、朝日と雪景色でおめでたい気分です。

広重は東海道五拾三次では日本橋を南から描きましたが、英泉は逆の北から東を向いて描いています。日本橋川の北側に並ぶ河岸蔵は隷書版東海道にも描かれたものですが、ここではそれがパースペクティヴな効果を生んでいます。橋の上にはさまざまな人が行き交い賑やかな江戸を演出しています。中央に2人の芸者を配したのは、いかにも美人画が得意だった英泉らしいと言えるでしょう。その下の傘にある文字は版元により表記が異なり、この版の『竹内』は保永堂の竹内孫八のことで、後摺りではこれが錦樹堂の伊勢屋利兵衛を表す『伊勢利』などに変わります。さらに後刷りには、なぜか太陽がないものもあります。

画題の木曾街道の次にある續ノ壹(つづきのいち)とはどう言うことでしょうか。版元が『東海道五拾三次』を出した保永堂ですから、この『續』は東海道五拾三次に続くという意味ではないかと始めは思ったのですが、それではいかにも卑下ています。木曾街道を描いた続き物の一番目ということでしょう。これは朱印に『第壹』とあることからもわかります。そしてこの朱印は最後の大津まで続いていきます。

木曾街道 板橋之驛/英泉木曾街道 板橋之驛/英泉

日本橋を出た中山道の1番目の宿場は板橋宿です。ここには一般の旅人が利用する旅籠や茶店の他、参勤交代時の大名の宿泊施設である本陣や脇本陣が置かれました。板橋宿は上宿、仲宿、平尾宿から成り、上宿と仲宿との間を流れる石神井川には『板の橋』架かっており、これが『板橋』の地名の由来となったそうです。

江戸名所図会の『板橋驛』の本文には、『伝舎(でんしゃ=旅籠)酒舗(しゅほ=酒屋あるいは酒を飲ませる店)軒端を連ね繁昌の地たり』とあります。今日でも仲宿の商店街は賑わいがあります。また『木曽路名所図会』(巻之四)の『武蔵板橋』には、『所々に花魁(おいらん)店前に並び、紅粉(こうふん=口紅とおしろい)を粧ふて花簪(はなかんざし)をさしつらねて美艶をかざる格子の内、行き交ふ旅客は歩みをとどめてあれをこれをと興ずるも多し』とあります。板橋宿は、品川、千住、内藤新宿とともに江戸四宿と呼ばれ、これらはいずれも街道の起点であると同時に遊興の地でもあったのです。

さて、絵ですが、ここは板橋宿ではなくそれより少し日本橋よりの巣鴨庚申塚あたりのようです。確かに、江戸名所図会の『巣鴨庚申塚』に描かれている石塔がこの絵に描かれているものと同じに見えます。巣鴨庚申塚は日本橋を出発して最初の立場(たてば=宿場間にある休憩所)でした。木陰に葦張りの出茶屋、その前で馬の世話を焼く馬子。馬のうしろには駕籠が置かれ、駕籠かきらしき男がつづらを天秤に担いだ男と何やら話をしています。その先をいくのはつづらの持ち主の夫婦でしょうか。休憩所でのありふれた日常が描かれています。

絵の左端に描かれている棒杭は宿場の境界を示すもので、この先が板橋宿であることを示しています。英泉は一枚の絵で巣鴨庚申塚と板橋宿との両方を描いたのでしょう。

木曾街道 蕨之驛 戸田川渡場/英泉木曾街道 蕨之驛 戸田川渡場/英泉

中山道の2番目の宿場は蕨でした。板橋宿を発ち志村の一里塚を過ぎると、中山道で最初の難所である戸田の渡しです。その場所はその名も『舟渡』という地名として残っています。現在の戸田橋の100m下流には水神社と渡し場跡の碑があります。

画題の戸田川ですが、これは現在の荒川のことで、当時このあたりでは戸田川と呼んでいたようです。荒川は暴れ川として知られ、その後大規模な河川改修が施されたことは良く知られていますが、戸田川も川留めが頻繁になされたという記録があります。川幅は100mほどでしたが、洪水時には4kmにもなってしまい、渡しは不可能でした。通常時も夕刻以降は川止めだったので、蕨の宿は多いに賑わったことでしょう。

さて、英泉はその渡しを描いています。舟には様々な人に加え馬まで乗っています。合羽を着た男のうしろに座る二人の女は瞽女(ごぜ)と呼ばれた盲目の旅芸人で、諸国を廻りながら三味線や唄、踊りなどで生計を立てていたといいます。彼女らは江戸を出て旅をしながら京へ向かうのでしょうか。

空には白鷺が舞うのどかな景色。江戸から京へ向かう街道を描いた絵ですから、対岸が戸田村と見るのが素直な解釈でしょう。ここを描いた『江戸名所図会』を見ると、富士、大山、秩父の山々といったものが見えますが、この絵には一切それらは描かれていません。英泉はここをそうした風光明媚な場所としてではなく、江戸郊外の鄙びた場所として描いたのでしょう。

そうそう、この絵にはいわゆる『広重ブルー』が使われていることに加え、どこか広重を思わせるものがあると感じるのは私だけでしょうか。広重の青は独特の美しさを持ち、広重ブルーと呼ばれますが、その顔料のベロ藍(プルシアンブルー)を日本で初めて用い、藍摺絵を描いたのは英泉でした。

この渡しから2kmほど行くと蕨宿です。宿場だった通りは現在も『中山道本町通り』という名で残っています。当時の遺構はあまり多くないようですが、古い民家が数軒あり、街道の雰囲気はあります。当時の蕨は防犯のための水路で囲まれており、跳ね橋が二箇所あったそうです。そのうちの一つが現存しています。鰻の看板をちらほら見掛けます。当時上方へ向かう時はこのあたりを境に鰻を出す店がなくなったので、ここは鰻で有名な宿となったようです。

支蘓路ノ驛 浦和宿 淺間山遠望/英泉支蘓路ノ驛 浦和宿 淺間山遠望/英泉

支蘓路は『きそじ』と読みます。木曽海道六拾九次を構成する各絵に与えられたタイトルは統一されておらず、広重画はすべて冒頭が木曽海道六拾九次之内で始まりますが、英泉画はこの支蘓路のほか木曾街道、岐阻街道など様々な用語が使われています。

画題からは浦和宿から浅間山を描いたものであると推測できます。浦和からは北関東の有名な山々がほとんど見えたと思います。北東に筑波山、北に日光の男体山、そして北西に浅間山。中でも浅間山はこのあたりを紹介する当時の資料にしばしば登場することから、これらの山の中でも特に良く見えたのかもしれません。あるいはこの絵が描かれる半世紀前の1783年(天明3年)に噴火しの鬼押出しを作っていますから、当時の浅間山は現在より煙がたくさん出ていて、それが他の山と異なっており、名物となっていたのかもしれません。

集落の入口の棒杭の前で荷を運ぶ馬と馬子、そのうしろで馬糞を掻き集める子ども、さらに、熊手を持つ男とそのうしろで荷を天秤に担ぐ従者が描かれています。通りの突き当たりには川と土橋が見えます。しかし浦和宿には現在も、そして当時も川は流れていなかったようなので、これは別のところが描かれていると考えていいでしょう。だいたい絵の建物は宿とは思えない並び方をしています。浦和宿は川向こうの山裾に見えるものでしょう。

この場所は浦和宿より少し江戸寄りの焼米坂あたりとする説が有力なようです。そこには『新名物やき米』を食べさせる立場茶屋があり、その少し南に川が流れ、橋が架かっていたそうです。西へ向かえば荒川の道満河岸、東は日光御成道の鳩ヶ谷宿まで二里余りのところだと言うので、馬は道満河岸へ向かい、右の男は日光からやってきたのかもしれません。

JR高崎線の与野駅の程近く、旧中山道に『中山道と六国見(ろっこくみ)』の案内板が立っています。それによると、赤山街道と交差するこの辺りには立場茶屋があり、関東六国の山々を見渡せる見晴らしのよい名所として知られ『六国見』と呼ばれていたとあり、この英泉の絵が添えられています。しかしこれが描かれた場所は浅間山との位置関係からしても浦和より南と考えるべきでしょう。

木曾街道 大宮宿 冨士遠景/英泉木曾街道 大宮宿 冨士遠景/英泉

大宮宿あたりから見た富士山が描かれていますが、ここでも英泉は宿場そのものを描いていません。画題に○○宿とあるのにその宿を描かない図がこうも続くと、この絵師はひねくれ者なのではないかと思ってしまいます。それに大宮と言えば武蔵一宮の氷川神社があるではないですか。

まあそれはともかく、花は桜でしょう。桜と富士山、おめでたいものを重ねたということでしょうか。ちなみに英泉は菊川英山に師事していましたが、葛飾北斎のところにも出入りしていたという、当時としては破天荒な性格の持ち主でした。北斎は桜と冨士を一枚に納めた絵を富嶽三十六景『東海道品川御殿山ノ不二』や『桜花に富士図』で描いています。この絵にはその影響があるのかもしれません。

左端にある石塔には『青面金剛』とあります。鍬を担いだ農夫と竹籠を背負った童は左へ、駕籠の旅人と振分荷物姿の男は右へ向かっています。河岸段丘なのか土手道なのか、低い崖とその下の田んぼ。

この辺りで富士山がよく見える場所として有名だったのは、先に挙げた大宮原の六国見、そしてその近くの針ヶ谷村だそうです。針ヶ谷村にはどうやら絵のような庚申塔があったらしいです。庚申塔は塞神として村の境目に建立されることも多く、これはまた旅人にとっては道祖神でもありました。

木曾街道 上尾宿 加茂之社/英泉木曾街道 上尾宿 加茂之社/英泉

上尾宿は江戸からおよそ10里の距離にあり、これは当時の旅人が1日で歩く距離に近かったため、江戸を発った旅人の多くは、ここもしくは次の桶川宿で最初の宿を探すことが多かったようです。しかし英泉はまたしても宿場を描きません。ここに描かれている場所は画題にある通り、上尾宿と大宮宿との間に位置する加茂神社付近です。京の上賀茂神社を勧請したこの神社は加茂宮村の鎮守であり、村名の由来にもなった社です。

通りに唐箕を出して籾を選別する農民たち。奥は立場茶屋で、そこに入ろうとする商人と今茶屋から出て来たのであろう侍たち。神社の境内には加茂大明神の幟とともに『いせり』と書かれたそれが数本。『いせり』は『伊勢利』、つまりこの絵の出版元である錦樹堂(伊勢屋利兵衛)の宣伝です。

この土地は天領でした。実りの季節の農民と神域、そして道行く旅人を描いたということでしょうか。

岐阻街道 桶川宿 曠原之景/英泉岐阻街道 桶川宿 曠原之景/英泉

桶川宿は上尾から三十町(3.3km)だったので、事実上、上尾と一体で発展した宿場でした。周辺は大麦や甘藷に加え、『桶川臙脂(えんじ)』の名で全国に知られるようになった紅花や武州藍、紫根などの染料植物、煙草栽培などが有名だったそうです。

ここは大宮台地の上で、広々とした空間に沼が広がっているようです。小屋の前で脱穀をする女。空にはその落ち穂を狙って雀がやってきています。女に向かって話しかけている旅人は道を訪ねているのでしょうか。小屋の中には煙草の葉が干され、男が煙管に火を付けようとしています。小屋の前に置かれているのは踏み鋤で、これは農家には欠かせない道具の一つです。上尾には鍬太神宮(現 氷川鍬神社)があります。中景に描かれている馬の姿はちょっと面白い。

	岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望/英泉 岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望/英泉

大宮宿に続いて富士山。画題はちょっと難しいですね。これまでは驛や宿とありましたが、これはただ『鴻巣』とだけあります。続いて鴻巣宿と熊谷宿との間にある『吹上』の地名。素直に解釈すれば、鴻巣から吹上に向かう途中に見た富士山ということでしょう。ちなみに吹上は宿場と宿場の間にある休憩場所、『間の宿』でした。

それにしてもこのジグザグ道が中山道でしょうか。五街道の道幅は山道を除いておおむね 3~4 間(約 5.4~ 7.2 m)で、江戸に近いところでは 5 間(約 9 m)ほどあったので、この図はちょっと狭すぎると思います。そう言えば広重の東海道にも縄手道が続く『沼津』や『石薬師宿』がありました。まあ、場所によっては狭いところもあったでしょうし、絵師は現実世界をそのまま写さねばならないという決まりもありません。

道行く人は、白装束に編笠そして尺八がアイコンの虚無僧、天秤に荷を担ぐ旅人、両掛と振り分け、そして風呂敷に荷を担ぐ商人たち。人物の中に女の姿がないのがちょっと英泉らしくない?

岐阻道中 熊谷宿 八丁堤ノ景/英泉岐阻道中 熊谷宿 八丁堤ノ景/英泉

熊谷の久下村に御狩屋(みかりや)という茶屋があったそうです。この名は忍藩主が狩りのときに休んだことが由来とされています。この絵はその御狩屋を描いたものとされます。店の前の看板の『あんころ』はあんころ餅、『うんとん』はうどんを指すようです。

副題の八丁堤はどこでしょうか。吹上宿から久下村を抜ける中山道の荒川堤は『久下の長土手』あるいは『八丁の堤』と呼ばれていたので、このことでしょう。画面の奥に続くジグザク道。ん、ジグザク道? この絵は前図とジグザグで繋がっているようです。

茶屋の中に見られるのはごく普通の情景で、二人の男が休憩し店の女が茶を運んでいます。男の一人は馬子のようで、そのうしろで馬が飼葉を食んでいます。馬の腹掛けに見える『竹』は保永堂(竹内孫八)を意味するもので、版元が変わるとこの文字も替えられました。

画面の真ん中では、荷担ぎを従えた駕篭の中にいる裕福そうな男と旅人とがなにやら話しをしています。二人が知り合いでない限りあまり想像できない場面ですが、一体何の話をしているのでしょう。

その右に見えるの石標には『右おしげうだ道』、『左深谷二里廿町』とあるそうです。『おしげうだ』は『忍行田』で行田の忍城あたりのことですが、すると深谷二里廿町はどう見ても計算が合いません。この深谷は熊谷の誤りではないかと考えられているようです。お地蔵さまは平井権八の物語と結びつけた『物言い地蔵』として知られる『権八地蔵』だろうと言われています。かつては御狩屋の近くの久下堤防の上にありましたが、堤防の改修により民家横に移され、現在はお堂に安置されています。

	岐阻街道 深谷之驛/英泉 岐阻街道 深谷之驛/英泉

深谷にやってきました。ここは秩父の入口であり、寄居への追分です。利根川の舟運があり、また江戸を出立した旅人が2日目の宿泊地とするのに丁度よいところでしたから、夜の街としても栄えました。旅籠は80軒もあり、賑やかだったようです。熊谷には飯盛女がいなかったという事情も、ここが夜の街として栄えた要因の一つであったのでしょう。逆に大名行列は家来衆が御家の体面を穢すことを怖れ、飯盛女のいない熊谷宿に泊まることが多かったようです。

夜の娼妓街です。提灯を持つ送りの女、それに続く芸妓風の飯盛女たち。宿の中の格子の奥に座る女は遊女風。美人画が得意だった英泉らしい一枚と言えます。遠景の家並みとその前を行く人々は暗い色とシルエットで描かれ、前景の女たちにスポットライトを浴びせたような効果を生み出しています。後刷りはこのコントラストが弱く、夜の雰囲気と女たちから立ち上る色香が薄くなります。

旅籠屋の柱行灯と先頭の女の提灯に見えるの『竹』は前図に続き、これまた版元の保永堂(竹内孫八)を示すものです。

支蘓路ノ驛 本庒宿 神流川渡場/英泉支蘓路ノ驛 本庒宿 神流川渡場/英泉

夜の街とそこの女を描いた深谷から一転、本庄宿は風景画と言ってもよい画です。副題にある神流川の渡し場は本庄宿より西に7kmほどのところにあります。

橋を渡る大名行列。この橋は土橋だったようで、長さは30間(約55メートル)、幅は2間(約3.6メートル)だったようです。ここには万が一この橋が流失した場合に備え、別の橋と渡しも用意されていたそうです。橋の手前に見える巨大な常夜灯は在地の豪商によって建てられたもので、当時の本庄の繁栄が伺えます。

向こう側の瀬を渡るのは橋ではなく渡しです。その向こうに並ぶ家々は本庄宿の次の宿の新町ということになるでしょう。

遠景の山は方角から推測して、左から妙義山、榛名山、赤城山でしょう。するとそれらのうしろに描かれているのは、それぞれ浅間山、白砂山あたり、日光の男体山あるいは白根山あたりになりそうです。さあて、これからいよいよ山に突入。そんなことを感じさせる一枚です。

木曽海道六拾九次之内 新町/広重木曽海道六拾九次之内 新町/広重

最初に述べたようにこの木曽海道六拾九次の揃い物は、渓斎英泉と歌川広重の二人の絵師によって描かれました。ここまでの絵は英泉の手によるものでしたが、12番目で初めて広重が登場します。また英泉の画題の冒頭が『木曾街道』『支蘓路ノ驛』などバラバラだったのに対し、広重はこのシリーズで描いたすべてを『木曽海道六拾九次之内』としています。木曽『街道』ではなく『海道』したとのは、広重と保永堂のコンビで出版された前作の『東海道』と共通のシリーズであることを強調するためでしょう。

本庄宿までは武蔵国でしたが、神流川を渡ると上野国になります。新しい国に入り絵師が変わった。そして版元も錦樹堂(伊勢屋利兵衛)となりました。そこに何か特別な意味があるのかどうか。

おっ、広重が木曽海道だってよ! こりゃあ買わねばいけねえや!!

新町宿は中山道で最も遅くできた宿場です。前図で英泉が描いたのは新町宿の東の入口に当たる神流川でした。広重が『木曽海道六拾九次之内』の第1作として描いたのは、やはり川です。英泉に対抗し同じ神流川を描いたということはまったく考えられないことではありませんが、宿の西の入口に当たる温井川(ぬくいがわ)を描いた可能性の方が高いと思います。すると描かれている橋は弁天橋で、現在はこの袂に弁財天が祀られています。

道行く人は大きな荷を担いでいます。この辺りは養蚕が盛んな地なので、橋を渡る人が背負うのは生糸かもしれません。手前から橋に向かう男が天秤棒に担いでいるのはもう少し重いもののようです。

山はどうでしょうか。一番手前は富士山のような形をしていますが、大きさと場所から見て冨士ではありません。形からすると浅間山のようにも思えますが、ここでは具体的な山というより概念的な山として扱っているような気がします。

 P.S. 『木曽名所図会』に『左の方に赤木山見ゆる。富士峯に似たり』とあります。

こりゃあおめえ、いったいどこだい?

上野国の新町ってとこらしいぜ。

ほ〜、そうかい。そんじゃあこの川はなんて名だい。

そりゃ〜おめえ、宿の入口を流れる神流川にきまってらね。

神流川ってのはこの前英泉が描いたやつだろ。広重が同じとこ描くかね。

ん〜、そうだな。そんじゃあ宿の西の温井川じゃあねえかい。あそこには弁天さまがいて橋が架かってらね。

ほ〜、そうかい。そんじゃあ、この山は冨士のお山かい?

いや、ちがうねぇ。あそっからじゃあ冨士のお山はこうは見えねえぜ。

そんじゃあいったいなんてぇ山だい。

浅間山じゃあねえのかい。

い〜や、浅間山は方角が違うんじゃねえかい、こりゃあ赤城山じゃねえのかい。

ほ〜、赤城山ってのかい。そんならその向こうの山はなんだい?

榛名山ってのが近くにあるって聞いたがの〜 いやまてよ、日光に男体山ってでっかい山があるらしいぜ。

木曾街道 倉賀野宿 烏川之圖/英泉木曾街道 倉賀野宿 烏川之圖/英泉

絵師は再び英泉で版元は保永堂。場所は倉賀野を流れる烏川。川で釜を洗う茶屋の女とその側で遊ぶ子供たち、そして茶屋の中でそれを眺める客の女。この客の女は美人画でならした英泉らしい扱いですが、さて、どんな女なのでしょう。

高崎の一つ江戸寄りの宿である倉賀野は日光例幣使街道の追分であり、烏川と利根川との合流点付近に位置し、利根川流域最北端の倉賀野河岸があるところでもあったため、水陸交通の要衝でした。江戸から50里、上りには塩・茶・干鰯などが、下りには廻米・煙草・板材などが運ばれたそうです。川に浮かぶ舟は米を、筏は木材を運んでいるように見えます。

手前の小川は宿を流れる五貫堀かもしれません。五貫堀は長野堰用水を分水しこの地域の水田を潤した用水路で、宿の中で中山道と交差していました。

山はどこでしょうか。川は舟の進行方向から見れば右手が上流なので、概ね南西を望んでいると考えられます。単純に考えれば方角的に最も可能性が高いのは奥多摩かた秩父あたりの山ということになると思いますが、これは少し遠いかもしれません。もっと近くの山ということだと、ほぼ真西にある妙義山が候補になるかもしれませんが、描かれているのが実在する山とは限りません。

木曽海道六拾九次之内 高﨑/広重木曽海道六拾九次之内 高﨑/広重

広重の二枚目は高崎です。ここは中山道最長の宿でありながら本陣も脇本陣もなく、旅籠屋は15軒しかありませんでした。それは各大名が、徳川四天王の一人である井伊直政が構えた城下町を敬遠したためだそうです。

川は烏川でしょう。しかしよく見れば茶屋のうしろに碓氷川との合流点らしきところが見えます。

山は榛名山でまず間違いないところでしょう。すると川向こうの家々は宿場ではなく別のどこかということになりますが、本来右側にあるべき宿場を反転させて描いたとも考えられます。

茶店でぼーっと榛名山を眺めつつ煙管をふかす男。街道には夫婦連れらしき旅人と金をせびっているらしい物乞い。そして扇子と手を広げてそこに駆け寄る男。当時の習慣についてはよくわかりませんが、貧しいものは裕福な旅人に物乞いをし、旅人は施しをするのが一般に行われていたのかもしれません。

ここまで英泉と広重の絵を見て感じるのは、英泉の絵はどこを描いたものであるか、なぜそこが選ばれたのかを知ることが難しいものが多く、またその内容も私には理解するのが少し難しく感じるのに対し、広重のそれはどちらも比較的平明に感じるということです。

木曾海道六拾九次之内 板鼻/英泉木曾海道六拾九次之内 板鼻/英泉

絵は再び英泉に戻ります。しかし画題は『木曾海道六拾九次之内』から始まり、広重が採用したものと同じになります。版元は保永堂と錦樹堂の合版 。どうして絵師は二人だったのか、どうして版元は二つだったのか、どうして画題は・・・と良くわからないことが多いのですが、このあたりは想像するより他はありません。

高崎から一里三十町(7.2km)の板鼻宿。宿の入口を流れる小川に橋、そして家並みが描かれています。小川は大きさと場所から見て15kmに及ぶ農業用水路の板鼻堰でしょう。この宿は旅籠が少ない高崎宿の隣であったことと、西に中山道唯一の徒歩渡しとなる碓氷川を控えていたため利用する旅人が多く、上野七宿の中で旅篭が最も多いところでした。

本シリーズ初の雪景色です。東海道と違い、山の中が多かった木曽街道は雪も多かったに違いありません。雪景色でもここは本格的な山中ではなく松並木で、どこかおっとりした雰囲気があります。それは赤や黄、薄い緑色といった色使いによるところも大きいように感じます。

木曽海道六拾九次之内 案中/広重木曽海道六拾九次之内 案中/広重

暗い山の中なのか。それともちょっとした丘なのか。この版の色は暗く沈んでいますが、もっとずっと明るいもの、緑色が強いものなどの色違いの版が複数あります。これも人気の浮世絵の面白いところです。

いずれにせよ、そう開けたところではない坂道を大名行列が行きます。並ぶ家々は茅葺きか藁葺きで、これは宿場ではないところの集落か立場茶屋でしょう。先の家の前に広げられているのはムシロのようで、農民が何かを天日干ししているように見えます。一番低いゾーンは描き方からするとおそらく田んぼでしょう。斜面の上に生えるのは梅の木でしょうか。その下に石碑が見えます。梅がほころび出す頃、国へ戻る大名行列でしょうか。参勤交代で春先に江戸を出立するは2月が多かったようです。

木曽海道六拾九次之内 松井田/広重木曽海道六拾九次之内 松井田/広重

坂道を上り下りする馬。崖には小さな祠が見えます。小さな田んぼには稲叢。その先に小高い山。

木曽海道六拾九次之内 坂本/英泉木曽海道六拾九次之内 坂本/英泉


木曽海道六拾九次之内 輊井澤/広重木曽海道六拾九次之内 輊井澤/広重


木曾街道 沓掛ノ驛 平塚原雨中之景/英泉木曾街道 沓掛ノ驛 平塚原雨中之景/英泉


木曾街道 追分宿 淺間山眺望/英泉木曾街道 追分宿 淺間山眺望/英泉


木曽海道六拾九次之内 小田井/広重木曽海道六拾九次之内 小田井/広重


木曾道中 岩村田/英泉木曾道中 岩村田/英泉


木曽海道六拾九次之内 塩なた/広重木曽海道六拾九次之内 塩なた/広重


	木曽海道六拾九次之内 八幡/広重 木曽海道六拾九次之内 八幡/広重


木曽海道六拾九次之内 望月/広重木曽海道六拾九次之内 望月/広重


	木曽海道六拾九次之内 あし田/広重 木曽海道六拾九次之内 あし田/広重


木曽海道六拾九次之内 長久保/広重木曽海道六拾九次之内 長久保/広重


木曽海道六拾九次之内 和田/広重木曽海道六拾九次之内 和田/広重


木曽海道六拾九次之内 下諏訪/広重木曽海道六拾九次之内 下諏訪/広重


木曾街道 塩尻嶺諏訪ノ湖水眺望/英泉木曾街道 塩尻嶺諏訪ノ湖水眺望/英泉


木曽海道六拾九次之内 洗馬/広重木曽海道六拾九次之内 洗馬/広重


木曽海道六拾九次之内 本山之曙/広重木曽海道六拾九次之内 本山之曙/広重


木曽海道六拾九次之内 贄川/広重木曽海道六拾九次之内 贄川/広重


岐阻街道 奈良井宿 名産店之圖/英泉岐阻街道 奈良井宿 名産店之圖/英泉


木曽街道 藪原 鳥居峠硯ノ清水/英泉木曽街道 藪原 鳥居峠硯ノ清水/英泉


木曾海道六十九次之内 宮ノ越/広重木曾海道六十九次之内 宮ノ越/広重


木曽海道六拾九次之内 福しま/広重木曽海道六拾九次之内 福しま/広重


	木曽海道六拾九次之内 上ヶ枩/広重 木曽海道六拾九次之内 上ヶ枩/広重


木曽海道六拾九次之内 須原/広重木曽海道六拾九次之内 須原/広重


木曾路驛 野尻 伊奈川橋遠景/英泉木曾路驛 野尻 伊奈川橋遠景/英泉


木曽海道六拾九次之内 三渡野/広重木曽海道六拾九次之内 三渡野/広重


木曽海道六拾九次之内 妻籠/広重木曽海道六拾九次之内 妻籠/広重


木曾街道 馬籠驛 峠ヨリ遠望之圖/英泉木曾街道 馬籠驛 峠ヨリ遠望之圖/英泉


木曽海道六拾九次之内 落合/広重木曽海道六拾九次之内 落合/広重


木曾海道六拾九次之内 中津川/広重木曾海道六拾九次之内 中津川/広重


木曾海道六拾九次之内 中津川/広重木曾海道六拾九次之内 中津川/広重


木曽海道六拾九次之内 大井/広重木曽海道六拾九次之内 大井/広重


	木曽海道六拾九次之内 大久手/広重 木曽海道六拾九次之内 大久手/広重


木曽海道六拾九次之内 細久手/広重木曽海道六拾九次之内 細久手/広重


木曽海道六拾九次之内 御嶽/広重木曽海道六拾九次之内 御嶽/広重


木曽海道六拾九次之内 伏見/広重木曽海道六拾九次之内 伏見/広重


木曽海道六拾九次之内 太田/広重木曽海道六拾九次之内 太田/広重


木曾街道 鵜沼ノ驛 従犬山遠望/英泉木曾街道 鵜沼ノ驛 従犬山遠望/英泉


木曽海道六拾九次之内 加納/広重木曽海道六拾九次之内 加納/広重


岐阻路ノ驛 河渡 長柄川鵜飼舩/英泉岐阻路ノ驛 河渡 長柄川鵜飼舩/英泉


木曽海道六拾九次之内 みゑじ/広重木曽海道六拾九次之内 みゑじ/広重


木曽海道六拾九次之内 赤坂/広重木曽海道六拾九次之内 赤坂/広重


木曽海道六拾九次之内 垂井/広重木曽海道六拾九次之内 垂井/広重


木曽海道六拾九次之内 関ヶ原/広重木曽海道六拾九次之内 関ヶ原/広重


	曽海道六拾九次之内 今須/広重 曽海道六拾九次之内 今須/広重


木曽海道六拾九次之内 柏原/広重木曽海道六拾九次之内 柏原/広重


木曽海道六拾九次之内 酔ヶ井/広重木曽海道六拾九次之内 酔ヶ井/広重


木曽海道六拾九次之内 畨場/広重木曽海道六拾九次之内 畨場/広重


木曽海道六拾九次之内 鳥居本/広重木曽海道六拾九次之内 鳥居本/広重


木曽海道六拾九次之内 高宮/広重木曽海道六拾九次之内 高宮/広重


木曽海道六拾九次之内 恵智川/広重木曽海道六拾九次之内 恵智川/広重


木曽海道六拾九次之内 武佐/広重木曽海道六拾九次之内 武佐/広重


木曽海道六拾九次之内 守山/広重木曽海道六拾九次之内 守山/広重


木曽海道六拾九次之内 草津追分/広重木曽海道六拾九次之内 草津追分/広重


木曽海道六拾九次之内 大津/広重木曽海道六拾九次之内 大津/広重


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