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西ヨーロッパ

開催日 1982.02.25(木)- 1982.03.18(木)
総合評価 ★★
難易度

パリ カステル・ベランジェ玄関
パリ カステル・ベランジェ玄関

旅の紹介

サリーナの初の海外旅行、3週間の西ヨーロッパ旅。7カ国を駆け足で巡り、滞在はほぼ各国の首都という初心者ツアーですが、途中コースを外れてミニ旅行したドキドキの思い出もあり、私のスペイン好きもこの旅から始まったものでした。

地図/西ヨーロッパ:Googleマップ

day 月日 行程 備考
01 02.25
(木)
成田→ (飛行機) BA006/成田21:30→06:10(+1)ロンドン
02 02.26
(金)
→ロンドン→アテネ(飛行機) BA562/ロンドン13:15→18:40アテネ
泊/アテネ: Dorian Inn
03 02.27
(土)
エーゲ海クルーズ:イドラ島、ポロス島、エギナ島 泊/アテネ: Dorian Inn
04 02.28
(日)
アテネ→ローマ(飛行機) TW841/アテネ10:45→11:40ローマ
泊/ローマ: Residence Palace
05 03.01
(月)
ローマ 泊/ローマ: Residence Palace
06 03.02
(火)
ローマ→フィレンツェ(列車) 泊/フィレンツェ: Lorena & De la Gare
(L29,500/2人)
07 03.03
(水)
フィレンツェ→ローマ(列車)
ローマ→(夜行列車)
泊/車中
08 03.04
(木)
→ジュネーブ(夜行列車) 泊/ジュネーブ:Mediterranee
09 03.05
(金)
ジュネーブ
シャモニー・モンブラン
泊/ジュネーブ:Mediterranee
10 03.06
(土)
ジュネーブ→フランクフルト(列車) 泊/フランクフルト: Holiday Inn Zentrum
11 03.07
(日)
フランクフルト
ハイデルベルク、ローテンブルク・オプ・デア・タウバー
泊/フランクフルト: Holiday Inn Zentrum
12 03.08
(月)
フランクフルト→パリ(列車) 泊/パリ: Lutetia-Concorde
13 03.09
(火)
パリ 泊/パリ: Lutetia-Concorde
14 03.10
(水)
パリ 泊/パリ: Lutetia-Concorde
15 03.11
(木)
パリ
ルーアン
泊/パリ: Lutetia-Concorde
16 03.12
(金)
パリ→マドリード(飛行機) IB165/パリ11:25→13:15マドリード
泊/マドリード: Praga
17 03.13
(土)
マドリード 泊/マドリード: Praga
18 03.14
(日)
マドリード
トレド、コンスエグラ
泊/マドリード: Praga
19 03.15
(月)
マドリード→ロンドン(飛行機) IB340/マドリード10:00→11:05ロンドン
泊/ロンドン: Royal Kensington
20 03.16
(火)
ロンドン 泊/ロンドン: Royal Kensington
21 03.17
(水)
ロンドン→(飛行機) BA005/ロンドン13:10→14:50(+1)成田
22 03.18
(木)
→成田(飛行機)
100リラ=19円

エーゲ海

2月のエーゲ海。『真っ青な空』というわけにはいかないが、島の斜面に白い家が密集しているのが見えると『エーゲ海に来た』という気分が盛り上がる。

イドラ島の港イドラ島の港

ここは、ペロポネソス半島東岸にあるイドラ島。港の斜面を埋め尽くす白い家々。

階段上から港を見る階段上から港を見る

住宅地の階段はかなり急で、毎日上り下りするのは大変そうですが、上からの港の眺めは素晴らしい。

ポロス島ポロス島

サロニコス湾南のポロス島。2つの島のうち南に小さく突き出た島の港に立ち寄り、丘に上ると南に海峡を挟んで対岸の半島が続いています。

エギナ島の教会エギナ島の教会

最後はサロニコス湾の中央にあるエギナ島。古代ギリシアでは、ここはアテナイに対抗する都市国家(ポリス)の一つだったといいます。

船着き場の桟橋に17世紀につくられたという真っ白な教会がありました。

ローマ

超有名なコロッセオやサン・ピエトロももちろん素晴らしいが、バロック教会巡りがよかった。16~17世紀頃の初期バロック教会は優美でかつ躍動的。その後の装飾過剰なバロックとは随分雰囲気が異なる。

歴史が重層する建物歴史が重層する建物

ローマ帝国の時代から現代まで、歴史が積み重なるローマでは、街角で突然、歴史を感じさせる建物が顔をのぞかせているのを発見したりして楽しい。

イル・ジェズ教会イル・ジェズ教会

イエズス会の本拠地だったというイル・ジェズ教会は1568年着工、1584年完成。教会の設計は盛期ルネサンス様式ですが、このファサードは1584年にジャコモ・デッラ・ポルタにより変更されたもので、『世界初の真のバロック様式のファサード』と言われているのだそう。

形はルネサンス様式のファサードに近いと思いますが、立体感があって楕円形のメダルがあるところがバロックなのかな?

サンティーヴォ・デッラ・サピエンツァ聖堂サンティーヴォ・デッラ・サピエンツァ聖堂

ナヴォーナ広場に並行するコルソ・リナシメント通りの小さな入口から覗くと、回廊の中庭を介した正面に、白く美しいサンティーヴォ・デッラ・サピエンツァ聖堂が姿を現します。

フランチェスコ・ボルロミーニ設計、1642~1650年に建てられたこの聖堂は、ローマ大学『ラ・サピエンツァ』の礼拝堂だったといいます。

内部のドーム内部のドーム

内部から見上げたドームは半円と直線が組み合わされて、中心の明るい光溢れる円まで延びていく白い壁面には星やケルビム(智天使)のレリーフ。

サン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンタネ聖堂サン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンタネ聖堂

同じくボルロミーニによる1646年に建てられたサン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンタネ聖堂。躍動するバロック建築の傑作。

うねるファサードの中央上部には大きな楕円のメダル。左手の角には泉が設けられています。

広場のカフェ広場のカフェ

街歩きの合間、パンテオン前広場のオープンテラスのカフェで休憩。

暖かい日差しを浴びながらトーストサンドイッチを頬張る。こんなカフェの存在が、街歩きをより楽しく快適にしてくれます。

フィレンツェ

ローマを離れ、ルネサンス芸術の中心地『花の都フィレンツェ』へミニ旅行。ドゥオモを中心に、茶色い石造りの建物と赤い屋根の美しい街並みが続き、あちこちで珠玉の建築が姿を現す。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

列車で到着したフィレンツェは小雨模様。しっとりとした古都の雰囲気を感じながら駅を出ると、すぐ南にあるのはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。

この教会は、1219年にフィレンツェにたどり着いたドメニコ会の修道士たちが元々あった小さな教会を入手して改築したのがはじまりだそう。

大理石の幾何学模様のファサードは、レオン・バッティスタ・アルベルティにより1470年に完成した美しいルネサンス建築です。

メディチ家礼拝堂メディチ家礼拝堂

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会から東へ向かう路地を入るとすぐに、サン・ロレンツォ教会に付属するメディチ家礼拝堂のドームが迎えてくれました。

君主の礼拝堂の天井画君主の礼拝堂の天井画

このドーム屋根のかかる八角形の部屋は『君主の礼拝堂』で、1644年築。内部は青やピンクなど華やかな色大理石で飾られています。天井には、旧約聖書と新約聖書を題材としたフレスコ画が。

そしてメディチ家礼拝堂では、ミケランジェロによる正方形の『新聖具室』と彫刻群があり、これは必見!(写真はありません)

サン・ロレンツォ教会横の路地サン・ロレンツォ教会横の路地

この辺りでホテルを見つけようと、サン・ロレンツォ教会の横の広場から路地へ入っていきます。

ホテルの窓からの景色ホテルの窓からの景色

ほどなく今宵の宿も決まり、ホッと一息。4階の部屋の窓からはドゥオモが見えました。映画の一コマに入ってしまったようなゴージャスな眺めです。

オスペダーレ・デッリ・イノチェンティオスペダーレ・デッリ・イノチェンティ

翌日の街歩き。まずはオスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(捨児養育院)。フィリッポ・ブルネレスキによる1419年の設計で、完成は1445年。

広場に面したコロネードが静かなリズムを刻んでいるよう。

サンタ・クローチェ聖堂サンタ・クローチェ聖堂

次にサンタ・クローチェ聖堂へ。この聖堂にはミケランジェロ、ガリレオ、マキャベッリ、ロッシーニなど歴史的な著名人が埋葬されているといいます。

建物は1294年起工、1300年代の終わり頃に完成したゴシック様式で、ファサードは1853年から1863年にかけて作られたものだそう。

ドゥオモのクーポラからの景色ドゥオモのクーポラからの景色

最後はやはりドゥオモ、正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。1296年起工後、1413年にクーポラ以外は完成。巨大なクーポラの建設は難題で、設計競技により二重構造の円蓋を提案したフィリッポ・ブルネレスキの案が採用され、1434年にようやく完成。

二重の円蓋の間を通ってクーポラの見晴台へと上ると、すぐ前にはジョットの鐘楼、そして赤い屋根が続く街並みの右手にはメディチ家礼拝堂のドームが見えます。まさしく絶景!

アッシジを通り過ぎるアッシジを通り過ぎる

フィレンツェからローマへの帰路。途中でアッシジに立ち寄るつもりだったのですが、列車が遅れて乗り継ぎがうまくいかず、テロントーラという駅で1時間ほど待つことになってしまいました。

そんなわけで残念ながらアッシジの町は素通り。周りの席の人々が『あれがアッシジだよ』と教えてくれました。

フォリーニョのドゥオモフォリーニョのドゥオモ

さらにローマまではフォリーニョという駅で乗り換えなければならない。しかも、また1時間ほど時間がある。。

というわけで、フォリーニョの街を散策。旧市街の中心には共和国広場、そしてフォリーニョのドゥオモ(サン・フェリチャーノ司教座教会)があります。写真は第二ファサード。図らずも立ち寄った街でこんな景色に出会えるのは、さすがイタリア。

そして列車の遅れもイタリアでは良くあること、勉強になりました。フィレンツェへのミニ旅行は駅で本隊と何とか合流できて、夜行列車に乗り込みました。

ジュネーヴ、シャモニー

夜のうちにアルプスを越えたようだ。ここはスイスのジュネーヴ、レマン湖のほとりにある国際都市。そして、間近でアルプスの頂を見ようとフランスのシャモニーへ。

ラ・マドレーヌ寺院ラ・マドレーヌ寺院

アルプスの北、レマン湖の南西岸にあるジュネーヴは多くの国際機関や金融機関がある国際都市ですが、ローマ時代からの長い歴史を持つ街でもあります。

その旧市街には、石畳の路地に石造の教会や邸宅が連なる。このラ・マドレーヌ寺院はジュネーヴでも古い歴史を持つ教会の一つで、建物は何度か再建されていますが、現在の建物は15世紀のゴシック様式をベースとしているとのこと。

サン・ピエール大聖堂サン・ピエール大聖堂

そして、旧市街の中央にはサン・ピエール大聖堂があります。12世紀から大聖堂としての建築が始まり、修復や増築が繰り返されて、様々な様式の混在する建物となっています。

16世紀、キリスト教宗教改革の指導者ジャン・カルヴァンはこの教会を本拠地としてプロテスタントを提唱したそうで、ジュネーヴは『プロテスタントのローマ』と言われるようになったとか。ここにはカルヴァンが座ったという椅子も置かれています。

シャモニーの町シャモニーの町

ここまで来たならアルプスの素通りはないでしょう。というわけで、ジュネーヴの南東、ヨーロッパ最高峰モンブランの麓にあるシャモニー・モンブランの谷へ。

シャモニーは世界でも有数のスキー・リゾート。周囲を白く険しい山々に囲まれた町にはホテルが並び、華やかな雰囲気があります。

エギュイユ・ベルト山エギュイユ・ベルト山

そこからロープウェイに乗って展望台へ。シャモニー・モンブランの谷を挟んで、正面には切り立ったモンブラン山塊の山々が。

写真は展望台から東の方向にあるエギュイユ・ベルト山(4,122m)。ロープウェイでいきなりこんな絶景に遭遇できるのにはビックリ。

モンブランモンブラン

そして南へ目を転じれば、この中央の丸っこい頂がヨーロッパ最高峰モンブラン(4,810m)。

ハイデルベルク、ローテンブルク・オプ・デア・タウバー

列車で北上して今度はドイツ。フランクフルトに宿をとり、美しい中世の街並みが楽しめるハイデルベルクとローテンブルク・オプ・デア・タウバーを散策する。

ハイデルベルク城の入口ハイデルベルク城の入口

ライン川との合流地点に近いネッカー川沿いにあるハイデルベルクの町は12世紀に創設され、13世紀から1720年までライン宮中伯(神聖ローマ帝国の諸侯、プファルツ伯)の宮廷所在地だったそうです。1386年に創設されたハイデルベルク大学は、ドイツで最も古い大学です。

旧市街を望む丘の上にあるハイデルベルク城は、13世紀からライン宮中伯の城として拡張されていったのですが、17世紀末に起こったプファルツ継承戦争によりダメージを受け、廃墟となったそうです。城に向かうと、城門塔(時計塔)、そして左に庭園への入口のエリザベート門があります。

フリードリヒ館とオットハインリヒ館フリードリヒ館とオットハインリヒ館

写真左の建物は、1601~1607年にかけて建設されたフリードリヒ館(現在の建物は再建)で、博物館となっています。

その右に壁のみが残る建物は、1556年にルネサンス様式で建てられたオットハインリヒ館。

ハイデルベルク旧市街の眺めハイデルベルク旧市街の眺め

城の西側にはテラスが設けられ、そこからハイデルベルク旧市街、ネッカー川の素晴らしい眺めが見渡せます。

旧市街の中央には聖霊教会の塔が聳え、ネッカー川には優美な石橋が架かる。

アルテ・ブリュッケアルテ・ブリュッケ

その石橋は『アルテ・ブリュッケ』(古い橋)と呼ばれ、元は石の橋脚に木造の橋桁だったが、18世紀終わりに石橋として建造されたといいます。

その後、第二次世界大戦末期に連合国軍の進軍を阻止するためにドイツ国防軍によって爆破されたのですが、1947年に完全復元した石橋が再建されています。

ジーベル門とコボルツェル門の界隈ジーベル門とコボルツェル門の界隈

『アルト・ハイデルベルク』の世界に浸った後は、160kmほど東のローテンブルク・オプ・デア・タウバーへ。この“タウバー川を望む丘の上のローテンブルク”では、街全体が中世の街並みとして保存されています。

ここは、『ローテンブルクと言えば…』という代表的な風景、ジーベル門とコボルツェル門の界隈。旧市街の南にある。高低差のある2つの道と、その間のハーフティンバーの家が可愛い。

ローテンブルクの通りローテンブルクの通り

通りに並ぶ店は、それぞれ窓や入口、壁の装飾など工夫を凝らしていて面白い。

飾られた窓に思わず足を止めて見入ってしまうが、各店舗の入口の上に下がっている看板がまた可愛くて個性的。

マルクト広場の家並みマルクト広場の家並み

街の中央にあるマルクト広場に入ると、市庁舎の向かいには鋭い勾配の三角屋根の妻側を並べた家並みが続く。

よく見ると、どれも6階建てくらいある大きな建物ですね。

ローテンブルク市庁舎ローテンブルク市庁舎

これらの建物の対面にあるのが市庁舎。2棟の建物で構成されています。

奥の塔のある白い建物は1250~1400年に建てられたというゴシック様式、手前の建物は1572~1578年に建てられたルネサンス様式、そして手前のアーケードになっている部分(写真ではちょっとしか写っていませんが)は後にバロック様式で付け加えられたのだそう。

市庁舎の塔からの風景市庁舎の塔からの風景

この市庁舎の塔に上ることができます。螺旋階段を上り、最後は梯子を上ると360度の眺望が現れます。

先ほど妻側の三角のファサードを見せていた建物は、赤い瓦屋根で細長く奥へと伸び、その先にも赤い三角屋根の建物が縦横にはるか先まで続いています。

市庁舎の塔からの風景2市庁舎の塔からの風景2

そして、いくつか塔が見えるのは、旧市街の市壁に設けられた城門なのです。

見渡す限りの赤い三角屋根の風景には、よくこんな景観が残ったものだと感動を覚えます。60mの高さの塔の狭い見晴台はちょっと怖かったけど。

建設中の新しい建物建設中の新しい建物

ローテンブルクを去る前に、建設中の建物を見つけました。

当然ながら、老朽化して建て替えたり、新しい建物が必要になることもあります。そんな新しい建物も、街の景観に沿った形でつくられているのでした。

パリ、ルーアン

フランスに到着。パリはぐるっと観光したあと、アール・ヌーヴォー建築の探索に出かけた。そして列車で北へ1時間半ほどの古都ルーアンでは、15~16世紀の木骨造の家並みが残る路地を歩く。

街灯のある坂道街灯のある坂道

現在見られるパリ中心部の骨格は、19世紀後半のジョルジュ・オスマンによるパリ改造後の姿。道路網や上下水道が整備され、通り沿いにアパート群が建てられていきました。

そんなパリの街並みを歩き始める。曇り空の下のしっとりとした風景、街灯のある坂道。パリですなあ。

ラ・デファンスラ・デファンス

一転して、ここはラ・デファンス地区。コンコルド広場からエトワール凱旋門への直線の延長線上にある、パリ近郊の都市再開発地区。

広大な人工地盤の上に超高層ビルが並んでいます。この写真を撮った後方に、この数年後に象徴的な建物『グランダルシュ』(第3凱旋門)が建設されます(1989年竣工)。

ポルト・ドーフィヌ駅ポルト・ドーフィヌ駅

そんな多様な顔を持つパリとその周辺で、私が訪れたのはアール・ヌーヴォー。建築史家の長谷川堯氏の『建築旅愁』(中公新書)を片手に、エクトール・ギマールの建築を訪ねました。

まずは地下鉄のポルト・ドーフィヌ駅。フォッシュ通りに沿った緑の中で、静かに羽を広げて休んでいる優雅な昆虫のよう。

シャセーデ・アパートシャセーデ・アパート

ここから少し南に下ったパリ16区の南では、ギマールの建築にいくつも出会うことができます。

『シャセーデ・アパート』(1905年築)を発見。最上階の窓の上に突き出た庇、エントランスやバルコニーの有機的な形に主張を感じます。

ギマール自邸ギマール自邸

次は『ギマール自邸』(1913年築)。シャセーデ・アパートより、さらに優雅な曲線が建物全体を覆い、強調されています。

メザーラ邸メザーラ邸

そしてジャン・デ・ラ・フォンテーヌ通りを北東に進んでいくと、6階建の建物に挟まれた低層の『メザーラ邸』(1911年築)があります。

通りからちょっと凹んだ前庭の上に、左右対称の優しげな顔を見せています。窓周りの曲線の優美なこと。

カステル・ベランジェカステル・ベランジェ

最後は『カステル・ベランジェ』(1898年築)、6階建36戸のアパートです。外壁は石、レンガ、タイルと肌合いや色の異なる材料が使われ、鋳鉄のバルコニーや手すりが絡みつく。そして、路地を入っていけば、入口の門柱が。長谷川堯氏が『狛犬!』とにんまりした門柱です。

通り側に戻り、丸いアーチを装飾的な柱が支える玄関には、絡みつく植物のような複雑な曲線の門扉。開いていた扉を入ってみると、内部には粘土をかき混ぜた手作り作品のような複雑なタイル壁が。しばらく時間を忘れてこの場所に浸ります。(TOP写真)

路地の教会と家並み路地の教会と家並み

さて翌日、所変わってここはルーアン。パリから北西へ列車で1時間半ほど、セーヌ川に沿ったノルマンディ地方の街。

ルーアンは中世からの古都で、ゴシックの華麗なルーアン大聖堂でも知られています。そしてその街は、木骨造の木組みが外壁を飾る中世のような家並みが続いています。

ルーアン大聖堂ルーアン大聖堂

ルーアン大聖堂が現れました。12~16世紀にかけて建てられた繊細な彫刻で飾られたゴシック建築です。

建物の中央に建つ鋳鉄の塔は19世紀に建てられたもので、高さは151m。1876~1880年の間は世界一高い建築物だったそうで、今でもフランスの教会では最も高い塔とのこと。

ルーアン大聖堂の南面ルーアン大聖堂の南面

大聖堂の正面は2つの塔のある西側で、写真はカロンド広場に面した南側の入口。

ルーアン大聖堂は、クロード・モネがそのファサードを描いた連作でも有名。わずかに異なる3つの場所から光の違いによる色の変化を捉えて、30もの作品を描いたそうです。

木骨造の家並み木骨造の家並み

古い家並みの通りを歩いてみましょう。ここはマルパリュ通り。15~16世紀の街並みが残っています。

これらの建物は、木造の柱・梁等により軸組を組み立て、その間の部分を白い漆喰やレンガなどで埋めて壁をつくります。木材が外壁に現れて、縦横斜め、XXの可愛い模様になっています。

サン・マクルー教会サン・マクルー教会

その通りの北端には、サン・マクルー教会があります。1436年に建築が始められ、1521年に完成したゴシック教会です。

写真を撮った時は正面の一部が修復作業中でしたが、ファサードには円弧を描いたアーチが連続し、尖塔を囲む島のようなまとまりを感じます。

ダミエット通りダミエット通り

サン・マクルー教会から路地をさらに北へ。このダミエット通りはいろいろなデザインの木骨造の街並みの1階には小さな店舗が並び、歩いていてとても楽しい通りです。

いろいろな木組みのデザインいろいろな木組みのデザイン

木組みのデザインはバリエーション豊か。両隣の家がXXで、中央の家はNNか?

リノベーション中の建物リノベーション中の建物

リノベーション中の建物を発見。フレームを残して内部を一新するのでしょう。

資料を見ると、これらの建物は木材の腐食を防ぐため、一般的に地下室を石造とするほか、壁体下部や1階の壁体も石造・レンガ造とするとのこと。

トレド、ラ・マンチャ

飛行機でピレネーを越え、降りたったスペイン中央部にはひりひりと乾燥した大地が広がる。大聖堂を頂点としたトレドの街の光と影のコントラスト。風車に囲まれた石造の要塞が佇むラ・マンチャの丘。

トレドの路地トレドの路地

マドリードからバスで1時間ほど南にあるトレドは、古代ローマ時代からの歴史を持ち、様々な文化が折り重なった都市です。560年にはフランスから侵入してきた西ゴート王国の首都となり、711年にはウマイヤ朝によるイスラム支配を受け、そして1085年にはアルフォンソ6世による『トレド解放』。

そんな多様な文化の痕跡を残すトレドの街は狭い路地が複雑に入り組み、そしてその頂点にあるトレド大聖堂へと導かれていきます。

トレド大聖堂の塔トレド大聖堂の塔

トレド大聖堂は1226年に建設が始まり、1493年に完成した壮大なゴシック建築です。

西の正面の両側には2本の塔が建つ計画でしたが、92mの高さの左の塔のみが建っています。上部は尖塔と飛び梁に囲まれた八角形で、頭頂はティアラを纏った冠で飾られています。

大聖堂の正面入口大聖堂の正面入口

正面の中央入口は『贖罪の門』と呼ばれる15世紀のもので、6つのアーキボルトに飾られたゴシックのアーチの下にブロンズの門があります。

その右の塔が建つはずだった場所にはクーポラが乗せられ、1495年よりモサラベの礼拝堂とされたそうです。

エル・グレコの家エル・グレコの家

トレドで次に訪れたのは『エル・グレコの家』。エル・グレコは1577年頃から1614年に亡くなるまでトレドに住み、工房を構えました。

そのグレコが暮らしていた地域の古い家が『エル・グレコの家』として改修され、グレコの作品を展示する美術館となっています。

トレドの街トレドの街

トレドの街は、蛇行するタホ川に囲まれて半島のように丸く突き出た形をしています。

そんな街が一望に見渡せる見晴台へ。下はタホ川、中央はトレド大聖堂の塔、そして右にアルカサルが見えます。

コンスエグラ城コンスエグラ城

トレドから南東へ60kmほどのところにコンスエグラの町があります。からからに乾いた大地の丘の上に建つのは、コンスエグラ城。

この半円形の4つの塔に囲まれた城は、8世紀のアッバース朝のマンスール帝による建設を起源とし、レコンキスタ中の12世紀にはアルフォンソ8世から譲られた聖ヨハネ騎士団によって増強されたといいます。

風車風車

そして、その同じ丘の上に、コンスエグラのシンボルとも言うべき白い風車が並んでいます。

古いものは16世紀につくられ、水の少ないこの地方での粉引きのために使われたそうです。ドン・キホーテが戦ったのはもう少し東のカンポ・デ・クリプターナにある風車だそうですが、この風景もまさにラ・マンチャの『ドン・キホーテ』ですね。

オリーブ畑オリーブ畑

広い空の下、赤茶色の乾燥した大地には、ところどころにオリーブ畑が広がるのみ。

これぞカスティーリャ・ラ・マンチャ。

これでサリーナの初の海外旅行、西ヨーロッパの旅は終わりです。実は最後にロンドンに立ち寄ったのですが、有名な観光名所を歩いてカレーを食べて感動したことを覚えているくらいなので、ここでは割愛します。

何十年も前の旅なので忘れていることも多いのですが、路地をうろうろ歩き回る旅の好みは今と変わらないようで、地図を見ると何となく歩いた方向がわかったりするのも何だか不思議なことでした。

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