9501-2

ベルギー(ブリュージュ+ブリュッセル)

開催日 1994.12.31(土)- 1995.01.02(月)
1995.01.14(土)- 1995.01.16(月)
総合評価 ★★★
難易度

ブリュージュ
ブリュージュ

旅の紹介

◆ 『水の都』と呼ばれるブリュージュ。この街には12世紀から運河が張り巡らされ、ハンザ同盟の町として栄えました。まるで中世から時の流れを止めてしまったようなこのとても美しい街を、ちょっとだけ散策します。

day 月日 行程 備考
01 12.31
(土)
成田11:55(SN208)→16:15 Bruxells17:47
→18:50 Brugge
泊:Brugge
/Hotel Oud Huis Amsterdam/4,600BEF
02 01.01
(日)
Brugge 泊:同上
03 01.02
(月)
Brugge10:25→11:25 Bruxells14:45(SN501)
→19:45 Bamako
泊:Bamako/Hotel de I'Amitie
15 01.14
(土)
→06:10 Bruxells 前日:Bamako 23:25(SN519)→
泊:Bruxells/Hotel New Sire
16 01.15
(日)
Bruxells14:30(SN207)→
17 01.16
(月)
→09:50 成田
1BEF =3.5円

ブリュージュ

ブリュージュの地図


夜のブリュージュ夜のブリュージュ

1994年の大晦日、ベルギーはブルッセルの北駅から列車に乗り1時間、ブリュージュに着くと、ここの冬の風物詩、霧ではなく、しとしとという雨です。

そんな中、駅で声をかけてきたのはなんと日本語を話すおばさん。この方とちょっとおしゃべりしたのち、教えてもらったバス(40BEF/人)で街の中心メルクト広場に向かいました。そこから数分歩き、運河の畔にあるホテルに19時半ごろ到着。私たちのホテルは10室ほどの小さなホテルで、バーの横から出た小さな中庭に面して部屋の入口があります。部屋はメゾネットで1階は入口とバスルーム、2階がベッドルームになっていました。

一休みして、21時ごろメルクト広場へ散策に出ました。

ホテルの小さな看板ホテルの小さな看板

メルクト広場は一番の観光名所で、周辺のレストランは正装した人々で賑わっています。 ぐるっと一廻りして小さなバーに入り、ヒューガルテンというビールを頼みました。ベルギーのビールは有名ですが、その中でもこれは最もポピュラーなもの。白ビール(小麦のビール)でさっぱりしていますがこくがあります。この時分、日本にもこのビールは輸入されていましたがそれはビン入り、こちらのは生で、サーバーから専用のがっちりしたグラスに注がれます。ちょっと白く濁った黄色みのあるこのビールは爽やかでおいしい。

宿の前の運河から教会を見る宿の前の運河から教会を見る

翌日、1995年の元旦、昨夜の雨はどうやら上がったよう。曇り空ですが、うっすらと日が差し出しています。

この日の観光もまずマルクト広場へ向かいます。私たちの宿の前には運河が流れ、その突き当りには古い教会が建っています。

古い街並古い街並

教会の横のあたりには中世そのままのようなかわいらしい建物が建ち並んでいました。まるでおとぎの国というのはこういうのを言うのでしょうか、とにかく美しい街並が続きます。

マルクト広場の八角形の大鐘楼マルクト広場の八角形の大鐘楼

ブリュージュの中心にあるマルクト広場は、歴史的な建造物に取り囲まれた大きな広場です。ハンザ同盟の町として毛織物の交易で栄え、15世紀にその頂点を迎えたブリュージュのまさに中心です。18世紀まではここまで船が運河を伝い入ってきたそうですが、現在その運河は広場の少し手前で終わっています。

高く聳え立つのが13~15世紀建造の鐘楼で、内部には47個もの鐘からなるカリヨンあり、15分ごとにその音を響かせます。366段と言われる階段をえっこらえっこら登れば、頂上からは大パノラマが。( T0P写真参照)

この鐘楼、驚くことに教会や王様といった権力者によってではなく、市民によって建てられたというから相当にめずらしいものです。交易などで富を得た市民が、市場の開始を告げる鐘楼を自ら建てることで、権力者からの自立を表したものなのだとか。

運河運河

マルクト広場には観光用の馬車がたくさんいましたが、私たちは徒歩で散歩を続けます。マルクト広場からはすぐ近くのブルグ広場に進みます。ここにも立派な建物がぐるり。自由ブリュージュ宮、旧裁判所、市庁舎、聖血礼拝堂。12世紀に聖地エルサレムから持ち帰ったといわれるキリストの血が安置されている聖血礼拝堂をちょっと覗いてから運河に出ます。

北のベネチアとも呼ばれるブリュージュですが、その運河は、ベネチアが南の明るい躍動的な印象なのに対し、落ち着いたしっとりとした美しさがあります。

どこの街角も美しいどこの街角も美しい

どうということのない小さな家々もみんな美しい。

かわいらしい入口かわいらしい入口

古い建物の入口にはちょっとした趣向を凝らしたものが多く、扉の上にその家の紋章のようなものが掲げられているものもあります。赤いレンガに赤いドアが良く似合います。

運河から鐘楼を望む運河から鐘楼を望む

ブルグ広場の南の運河からは先の鐘楼が良く見えます。この鐘楼はブリュージュのシンボルで、街中どこからでも見えます。この運河の近くのフィッシュ・マーケットは面白そうなのですが、今日は元旦、お休みでした。

運河沿いの建物運河沿いの建物

ここからはブリュージュの中心部と聖母教会を結ぶ、ダイバー通りを行きます。

古い橋と建物古い橋と建物

この通りは運河沿いの美しい並木道で、立派な古い建物や古い橋があり、ときどき骨董市などが開かれるそうです。

ギザギザ飾りの家々ギザギザ飾りの家々

例のギザギザ飾りの家々も。 ブリュージュにどうしてこのような古い建物が残っているかというと、15世紀に繁栄の頂点に至ったあと 、運河や湾に土砂が堆積して運河港としての重要性を失ない、経済上の拠点が他の地に移ってしまったために、その後急速に町が衰退していったからだそうです。しかし19世紀に運河が再生されて、現在では他に見られない中世の面影を残した街並みが見られるというわけです。

おちゃめな看板おちゃめな看板

古い街には古い看板が付きもの。ユニークなお月さんはどこの看板だったかな?

煉瓦造りの家々煉瓦造りの家々

西洋の多くの国の主な建築構造材料は古くは石であることが多く、煉瓦も使われているのは良く知られていることです。しかし煉瓦の発明以降も、お城や教会といった権力の象徴のような建物の外装には、たいてい石が使われました。

しかしここブリュージュの建物は、ほとんどが煉瓦の外装です。街全部が煉瓦造りみたい。

聖母教会 聖母教会

こちらはダイバー通りの突き当たりにある、13世紀のゴシック様式の聖母教会で、これも煉瓦造とのこと。写真の右端にちらっと見えるのは122メートルもある高い塔。これはヨーロッパで最も高い煉瓦建築物で、マルクト広場の鐘楼にも引けを取らないくらい立派です。ここにあるミケランジェロの聖母子像は必見。

運河に浮かんだような建物運河に浮かんだような建物

どこまでも続く運河をどんどん行きます。水に浸かった建物の基礎部分はさすがに煉瓦ではなく、石造のようです。

ベギン会修道院 ベギン会修道院

運河から一歩入ったところには13世紀半ばに創設されたベギン会の修道院があります。その入口付近にはチョコレート屋さんが並んでいます。ベルギーはチョコレートでも有名でしたね。ちょっと休憩に立ち寄りホットチョコレートを頼むと、温かいミルクと刻んだチョコレートが出てきました。チョコレートは自分で好みに合わせて適当に入れるようです。そうそう、このあたりはワッフルも有名です。一つくらい食べたかな。

ベギン会修道院2ベギン会修道院2

さてベギン会の修道院ですが、そこに一歩踏み込むと静寂。美しい緑の中庭を修道女が生活する白い住居が取り囲んでいます。きれいに整えられた芝生から大きな木が幾本も立ち上がり、横から陽の光を受けて伸ばす影が緑の絨毯に縞模様を作る様は、ひどく幻想的でした。ここは現在はベネディクト会の所有だそうで、敷地の中央には17世紀の教会があります。

愛の湖愛の湖

ベギン会修道院から運河に戻り、南に進むと、運河が広がったような『愛の湖』に出ます。ここに来てお天気も絶好調、快晴です。

愛の湖2愛の湖2

『愛の湖』なんて、よくもそんな名前付けるよな、と行くまでは鼻で笑っていたのですが、ここはその名に恥じぬ、美しくロマンチックなところでした。湖面には白鳥、古い教会、美しい木立、蒼い湖に青い空。出るのはただただため息ばかり、というのは本当です。

ここからは木立に包まれた美しい小径が続いています。その小径を辿っているうちに大きな広場に出ました。't Zandというところで、そこの旧市街側にはずらりとカフェやレストランが並んでいます。De Gulden Spoorというレストランで昼食です。野菜のスープ、お決まりムール貝のワイン蒸し、ビールとワインで1,100BEF/2人。

ゆっくり昼食をとったあと、ぶらぶらと宿に戻るのですが、なんと途中から雪がちらちら。お~寒い~。

こんな時はホットワインを1杯。これは赤ワインにアマレットを混ぜたものらしいです。

風車風車

翌日2日、街の中心から東に行くと、運河の土手沿いに二基の風車が建っていました。このあたりは風が強いということでしょう。近付いてみるとその風車、もの凄い勢いで羽根を回転させています。風車を見慣れていない私たちはこの姿に少々びっくり。風車の羽根って廻るんですね。(笑) 地図にはWindmillとあるので、この風車は小麦挽きのものかな。

鐘楼からブリュージュの街を見下ろす鐘楼からブリュージュの街を見下ろす

最後にブリュージュのシンボル、マルクト広場の鐘楼に上り、街を見下ろします。運河と赤茶の瓦屋根の織りなす風景はとても美しい。でも塔の上は風がびゅーびゅーで、飛ばされそうでした。

そうそう、ブリュージュではメムリンクとヤン・ファン・エイクの作品も見逃せません。

ブリュージュの屋根並みブリュージュの屋根並み


ブリュッセル

ブリュッセルの地図


ガルリ・サンチュベールガルリ・サンチュベール

古都のような美しいブリュージュからアフリカに向かい、しばらくマリで過ごした私たちは、帰国のトランジットで再びベルギーに舞い降りました。灼熱のアフリカから真冬のブリュッセルに着くと、さすがにその気候の違いに少々戸惑います。

なぜか写真は1847年に造られた瀟酒で美しいガレリエ(Saint-Hunbert Galleries)から始まります。ここはヨーロッパ最古のアーケードの一つで、『女王』、『王』、『王子』の3つの通りから成ります。

活気ある裏通り活気ある裏通り

外に出るとちらっちらっと小雨で寒い。しかしお天気は恢復基調のようです。ブリュッセルは特に廻るところを決めていないので、もらったガイドのルートに沿って適当にぶらぶらします。ここは確かIlot Sacreというところだったか、『ブリュセルの腹』と呼ばれる食材街。

グラン・プラスグラン・プラス

そのうちブリュッセルの真ん中にある、フランス語で書けばGrand-PlaceというGreat Square、文字通りの大広場に着きました。中世には馬上槍試合も行わたというここは、17世紀末、ルイ14世率いるフランス軍の攻撃で周囲のほぼ全ての建物が破壊されたものの、そのわずか5年後にはもとの姿を取り戻したとか。

左端の黒っぽいのが16世紀にスペイン王カール5世の命で建てられ、19世紀末にネオゴシック様式で再建の『王の家』。周囲は様々なギルドを起源に持つ建物に囲まれています。

グラン・プラス2グラン・プラス2

面白いことに、これらのギルドハウスにはそれぞれ、星 (L'Etoile) だとか白鳥 (Le Cygne)だとかいう名前が付けられていて、壁にはめ込まれた紋章を見ると、包丁や樽といったもので、それぞれの職業がわかるようになっています。

『王の家』から向かって右に2つ目がかつてヴィクトル・ユゴーが逗留したという鳩 (Le Pigeon)、3番目が仕立工の守護聖人の像を戴く黄金の汽艇 (La Chaloupe d'Or)。

この写真の左端は頂上に聖ニコラの像を戴いた狐 (Le Renard)、3番目は下部のレリーフに雌狼に育てられたロームルスとレムスが描かれている雌狼 (La Louve)。

グラン・プラス3グラン・プラス3

とにかくどの建物も立派です。『王の家』の向かいにはゴシック様式の96メートルの塔のある市庁舎も。

ブリュッセルといえば小便小僧ブリュッセルといえば小便小僧

グラン・プラスから南西に200mほどのところにあるのがこの像。ブリュッセルといえばこれ、小便小僧ですね。17世紀に作られた可愛らしい彫像で、マヌカン・ピスとかプチ・ジュリアンと呼ばれるそうで、人気があるのかこれまで2度も盗難に遭っているそうです。 しかしなぜ小便小僧が・・

ところでブロンシュ・フードロワイアンテ・ド・ブリュッセル Blanche Foudroyante de Bruxelles(その後ブロンシュ・ド・ブリュッセルになったらしい )というビールをご存知でしょうか。この小便小僧がラベルに使われている白ビールで、 オレンジピールの爽やかさにスパイスの効いた味、香りもすばらしい私たちが大好きなビールです。

どうということのない街角どうということのない街角

朝方パラパラしていた雨は上がり、ちょっと寒いもののお天気は恢復基調。街角から遠くの尖塔も見えるようになりました。そこでちょっと街はずれの建物を見学に出かけることにしました。

オルタ美術館外観オルタ美術館外観

ここでは19世紀末から20世紀初頭に活躍した二人の作品を巡ることにしました。

始めにヴィクトル・オルタ。この人は19世紀末から20世紀初頭にアール・ヌーヴォーと建築を初めて融合させたと言われており、そのアトリエと住宅を兼ねた、自身の邸宅が美術館として公開されているのです。

バルコニーの曲線の金属の手すりがいかにもアール・ヌーボーですね。大きく二つに分けられたゾーンのうち、左側が住居で右側がアトリエです。

エントランスの装飾エントランスの装飾

当時の住宅は薄暗いものでしたが、オルタは部屋の配置の工夫とガラスの効果的な利用で、内部に光をじょうずに取り込んだようです。材料としては鉄、ガラスを好み、意匠的には曲線を多用しています。この玄関扉にはめ込まれたガラスと鉄細工の装飾も美しい。

オルタ美術館の階段オルタ美術館の階段

鉄と曲線はそのまま階段ホールに導かれ、ここにも美しい手すりを作り上げています。

階段頂部の装飾階段頂部の装飾

壁面には植物をモチーフにした装飾、枝や茎のような金属の手すり、花のような照明。どこまでも無限に移り込む微妙な形の鏡。天井にはデリケートな、やはり植物を思わせるステンドグラス。

ストックレー邸ストックレー邸

もう一人は分離派のヨーゼフ・ホフマン。19世紀末、クリムトやオルブリッヒらとともにウィーン分離派を立ち上げ、その中心的存在だったこの人の代表作、ストックレー邸です。

先のオルタと違い、ここには直線的な構成を用いたウィーン分離派の特徴が見られます。アーツ・アンド・クラフツの影響を受け、家具や布、服飾など、生活に関わるものを制作したホフマンのウィーン工房が装飾、家具、食器、庭園をデザインし、クリムトが食堂の壁画を描いたことでも知られます。

ストックレー邸2ストックレー邸2

この建物には構成的にはマッキントッシュの計画案、外壁の扱いにはワーグナーのシュタインホーフ教会の薄い大理石張り、建物頂部のドームにはオルブリッヒのゼツェッション館の影響が見えるのも面白いところ。

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