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新河岸川

開催日 2010年12月12日(日) 晴れ
参加者 ムカエル/レナール/デュエルン/サリーナ/サイダー
総合評価 ★★
難易度
走行距離 43km
地域 首都圏

下新河岸付近の新河岸川の土手を行く
下新河岸付近の新河岸川の土手を行く

コース紹介

新河岸川はその名のとおり、江戸時代の新しい河岸を結ぶ水運のための川で、入間川から取水された農業用水の落ち水が埼玉県の小江戸と呼ばれる川越をぐるっと廻って、東京の北区で隅田川に合流するまで25kmほどの旅をします。今回はその前半の朝霞水門で荒川に合流するところまでを走ります。

スライドショウ(03'21" 音声:BGMのみ)

地図:GoogleマップgpxファイルGARMIN ConnectRide With GPS

発着地 累積距離 発着時刻 ルート 備考
霞ヶ関駅 START 発10:15 一般道 東武東上線
川越公園 2km 着10:30
発10:45
園内路
一般道
WC
川越城 10km 着11:13
発11:14
一般道
仙波河岸史跡公園 13km 着11:30
発11:40
一般道
土手
WC
木野目
 昼食
18km 着12:10
発13:00
一般道 中華
福岡河岸記念館 19km 着13:10
発13:40
一般道
土手
100円、WC
近くに吉野屋の土蔵
水子貝塚 27km 着14:15
発14:30
一般道
土手
WC
いろは樋 29km 着14:45
発15:10
土手 志木市役所付近、近くに旧村山快哉堂
朝霞水門 36km 着15:40
発15:50
土手
一般道
荒川合流点
志木駅 43km 着16:25
東武東上線
新河岸川広域景観プロジェクト

初雁橋から入間川を望む初雁橋から入間川を望む

快晴で暖かな日、東武東上線の霞ヶ関駅を出るとすぐに入間川の流れに出会います。新河岸川はいくつもの小さな流れが集まって出来ており、源流点と呼べる場所は見当たりませんが、元を辿ればこの入間川から取られた農業用水のようです。その落ち水が集まり、新河岸川になってゆきます。

川越公園川越公園

その入間川の初雁橋から少し上流の右岸にあるのが川越公園。様々なプールやテニスコート、フィットネスクラブ、ドッグラン場などがある大きな公園です。冬場のプールは釣り場に変身、ニジマス釣りができるようです。

川越公園のボート池川越公園のボート池

いい色になったメタセコイアの並木の向こうには静かな池がありました。案内図にはボート池とありましたが、冬のボートは寒いのか、この日は浮かんでいませんね。

川越公園をぶらっとしたあとは、新河岸川へと向かいます。住宅街を抜ける道の脇には細い水路が走っています。これも入間川から取水された農業用水なのかどうかははっきりしませんが、どうやらこの先で新河岸川に流れ込んでいるようです。

石原町一丁目付近の新河岸川石原町一丁目付近の新河岸川

新河岸川は川越市上野田町の八幡橋付近からを指すようで、その上流は地図では赤間川となっています。赤間川は農業用水用として入間川から取水された流れです。私たちは上野田町より少し下流の石原町、末広町付近で新河岸川の流れに出会いました。まだ小さな流れの新河岸川の河岸はきれいに整備されており、流れる水もきれいです。このあたりでは放流された大きな鯉が泳いでいます。

ここから東へ数百m行くと川越の蔵づくりの街並があります。

田谷堰付近田谷堰付近

川越の街をぐるっと廻るようにして新河岸川は進みます。現在、蔵の街、小江戸とも呼ばれる川越は当時は大都市。新河岸川の水運はこの川越に、また川越から多くの物資を運ぶためのものだったのでしょう。

きれいな桜並木が川岸に続くようになりました。この桜並木が現れる直前、新河岸川が大きく南東方向へ流れを変えるところには、田谷堰という昭和の初め頃にできた取水堰があります。なんとそのゲートは木製だそうな。気付かなかった〜。

氷川橋より氷川橋より

この田谷堰から上流の新河岸川はかつては赤間川だったようで、その赤間川はここから東にある伊佐沼へと向かっていたそうです。

桜並木が片側から両側になると、川辺の雰囲気はとても良くなります。氷川橋の袂には旧上尾街道の案内標識がありました。上尾街道は上尾と川越を結ぶ道だったようで、中山道の脇往還として、また新河岸川の水運が発達する前は荒川が水運の大動脈だったので、上尾側の河岸と川越を結ぶ陸路として使われたようです。

川越城川越城

新河岸川の右岸の道が初雁公園にぶつかると、その先の道はこの公園で途切れるのでちょっと迂回します。武道館や博物館といった川越の大きな施設の脇を通りやってきたのはこちら、川越城。

ここに残るのは本丸御殿の一部で、平屋建て。このお城には天守閣はもともとなく、城の中で一番高い所にあった櫓がその変わりを果たしていたとか。先ほど通った博物館のあたりは二の丸だったところのようです。

R254沿いR254沿い

川越城から国道254号沿いに流れる新河岸川に戻ると、その様子は先ほどまでとはがらっと変わっていました。護岸のためのコンクリートブロック、川底にはぼさぼさした草。

R16をくぐり抜けるR16をくぐり抜ける

国道254号を離れるとコンクリートブロックの護岸はなくなり、葦かなにか、そんな植物が岸を覆うようになります。その先で国道16号にぶつかると、道はまるで仮設工事のような小さなトンネルでその下をくぐり抜けます。

この波形鉄板のトンネルからほどなく、仙波河岸史跡公園に到着します。

仙波河岸史跡公園仙波河岸史跡公園

仙波河岸は明治の初めごろできた河岸場で、新河岸川の中で最も上流にあり、最も新しいものだそうです。

川越藩には川越五河岸と呼ばれる5つの河岸場が整備されていましたが、より城下に近い便利な場所に河岸場を作ることにし、それまでの最上流にあった扇河岸からここまでの運河を開削したのだそうです。

ちなみにここから上流の田谷堰までの水路も、大正から昭和の初め頃にかけて繋げられた新しい流れのようです。

仙波河岸史跡公園付近仙波河岸史跡公園付近

仙波河岸史跡公園でかつての河岸の賑わいに思いを馳せたあとも、新河岸川沿いを下ります。

砂中学校付近砂中学校付近

このあとすぐ扇河岸(現在の地名でもある)で不老川が流れ込みますが、流れはさほど大きくはなりません。かつて水運が栄えた頃の豊富な水量は、現在の新河岸川にはもうないようです。

左岸に渡ると広い空が広がります。右岸は川越からずっと市街地でしたが、左岸側はその外に流れる入間川までの間、ずっと田畑が広がっています。

上新河岸付近上新河岸付近

ここから土手上は砂利道。のんびり進みます。

地名に上新河岸と下新河岸が現れます。県道336号に架かる旭橋付近は、かつて新河岸川の水運が盛んだったころには新河岸橋が架かり、三つの河岸があったところです。橋の上流右岸に上新河岸、下流右岸に下新河岸、そして下新河岸の向かい、左岸に牛子河岸。

上新河岸付近その2上新河岸付近その2

このあたりはのどかで気持ちいい。

対岸の河岸跡を望む対岸の河岸跡を望む

さらにその少し下流右岸には寺尾河岸がありました。写真は旭橋の下流で、左岸から右岸を見たところ。階段状に整備されているのは河岸の跡のようで、下新河岸か寺尾河岸だったところのようです。

寺尾河岸付近寺尾河岸付近

県道335号が近づくと九十川が新河岸川に流れ込みます。伊佐沼から流れ出るこの川は、仙波河岸以北の新河岸川が整備されるまでは、この流れの主たる流路だったようです。

県道335号からは左岸を行くつもりでしたが、工事中だったので県道を南下。

吉野屋の土蔵吉野屋の土蔵

そこから新河岸川沿いに復帰する途中にはかつての福岡河岸近くの船問屋の一部が残っています。これは国の文化財になっている吉野屋の土蔵。

その南には福田屋が福岡河岸記念館として公開されています。土間には船のオカジが復元されて展示されており、また屋外には長さ10mほどの帆柱もあります。これらから推測される船の大きさはかなり大きなもので、現在の新河岸川からはとても想像できないほどです。

福岡河岸記念館福岡河岸記念館

室内もかなりよく保存されており、土間の脇すぐのところには五つ玉の大きなそろばんが置かれた帳場があります。小屋裏は男女別の使用人のための部屋で、女の部屋の入口にある梯子段は取り外して上に収容されるようになっていました。どうして? 裏の高い建物は珍しい三階建ての離れ、その隣には立派な文庫蔵があります。

当時このあたりの主たる水運は荒川と新河岸川で、前者を外川、後者を内川と呼んだことなどの説明がありました。

福岡河岸記念館の対岸付近福岡河岸記念館の対岸付近

福岡河岸記念館を見学したあとは右岸を行くつもりでしたが、工事中で通行止めだったので左岸を進みます。土手際には葦がびっしり生えています。

新河岸川放水路新河岸川放水路

左岸は川越市渋井、右岸はふじみ野市福岡になると突然広い川が目の前に現れました。ここは新河岸川と新河岸川放水路の分流点で、後者はこの先すぐのところで荒川の旧流路びん沼川に流れ込み、やがて荒川に辿り着きます。ここはいい釣り場のようでたくさん釣り人がいました。

多摩センター駅ふじみ野市運動公園付近

一方の新河岸川本流は荒川に沿って南東へ向かいます。道は相変わらず砂利道。

『あ~ぁ、も~ダートはごかんべんを~』 とダート嫌いのレナールが呻く。

富士見市池田付近富士見市池田付近

その願いが届いたのか、ある橋のところから舗装路になりました。

『やっぱり舗装路のほうが快適ね~』 と企て人サリーナもスイスイ。

水子貝塚水子貝塚

富士見江川との合流点を過ぎたところで、新河岸川をちょっと離れ水子貝塚に向かいました。キエフから一時帰国したデュエルンと待ち合わせるためです。

水子貝塚からは小さな貝塚が何十カ所も、そして竪穴式住居跡が百軒近くも発見されたそうで、現在公園になっているここには復元された竪穴式住居が何棟か建っています。この遺跡は縄文時代前期中頃(約5500年前)のもので、当時この付近は海だったというからびっくりです。

R254付近R254岡坂橋付近

水子貝塚で無事にデュエルンと合流を果たし、新河岸川に復帰します。舗装路の右岸を行く予定がまたしても工事中で左岸のダートをえっこらよっこらと進みます。しかしここは距離が短いのであまり問題ありません。

デュエルンといろは樋の鉄管デュエルンといろは樋の鉄管

ほどなく志木市役所のところに出ました。橋の袂には『いろは樋』の鉄管が展示されています。いろは樋は江戸時代に野火止用水を新河岸川を渡すために架けられた木造の水路橋(掛樋)で、その柱が48本あったのでいろは48文字にちなんでそう呼ばれるようになったとか。

このいろは樋は明治時代に川底に鉄管を通す工法に変えられたのです。鉄管の後ろの煉瓦はいろは樋の仕掛けの一つである大桝。

いろは樋の模型いろは樋の模型

志木市役所の前を通り、柳瀬川を越えた先にはもう一ついろは樋関係の展示物があります。こちらは木造の水路橋の仕掛けの一つである上り竜の模型で、これと対になる下り竜のそれもあります。

旧村山快哉堂旧村山快哉堂

志木市役所の近くで古い土蔵の建物を発見しました。志木市の本町通りにあった薬屋の店蔵を移築したもので、中央の一部は吹き抜けになっていて、ムシコ窓と呼ばれる大きな窓があり、川越の蔵とはちょっと違うようです。ここではお茶を出してくださいました。

柳瀬川合流点下流柳瀬川合流点下流

旧村山快哉堂からも新河岸川を下ります。左岸にいい感じの道が続いているなと思ったらこの道、すぐに小さな水路に突き当たり、行き止まりに。ありゃりゃ。ちょっと自転車を押し上げて、土手の上の道を進みます。

サリーナとデュエルンサリーナとデュエルン

土手の上はこちら。寒いキエフからやってきたデュエルンは、

『日本はあったかいね~、キエフではもう自転車には乗れないよ~』 と久々のポタリングにウキウキのよう。

前方に武蔵野線前方に武蔵野線

少し続いた舗装路は右岸に渡るとまたダートに。前方に武蔵野線の架橋を見ながら、ヨタヨタと進みます。

新盛橋付近新盛橋付近

武蔵野線を過ぎ、新盛橋で左岸に渡ります。ここから少し先で黒目川が合流しますが、そのあたりは新河岸川沿いに道がなくなるので、東へ向かい荒川に出ます。

荒川自転車道荒川自転車道

荒川の土手下をしばらく行き、朝霞水門の直前で土手上に上りました。そこは荒川自転車道。広い河川敷に広い自転車道が延びています。

朝霞水門朝霞水門

その自転車道をほんの少し南下すると朝霞水門があります。

新河岸川は朝霞水門のすぐ上流で二手に別れており、一方はこの水門から荒川に、そしてもう一方はしばらく荒川に平行して流れ、東京都北区の岩淵水門付近で隅田川に注ぎます。

内問木橋内問木橋

新河岸川が朝霞水門の上流で二手に別れるあたりです。

多摩センター駅荒川合流点

こちらは水門の下流側で、荒川へと注ぐ新河岸川です。新河岸川はまだ下流へ続きますが、本日の新河岸川紀行はここでおしまい。ここからは荒川自転車道を上り、志木駅へと向かいました。

ひとこと by 企て人サリーナ

冬場に気軽にのんびり走れる近場のポタはないかな? キエフ帰りのデュエルンとの待ち合わせにも便利なところで。。
そんなんで、ネットでいろいろ探していたら『新河岸川広域景観プロジェクト』のページを発見しました。埼玉県と市民が新河岸川を調べてサイクリングマップをつくったらしい!
というわけで、今回の企画はこのサイクリングマップそのままです。新河岸川沿いはダートも多いけど自然の中を気分よく走れていい感じ。福岡河岸記念館や旧村山快哉堂など、小さくてもその土地の歴史を感じる施設めぐりができるのは、身近なサイクリングならでは、ですね。
地元以外の人にとっては、マップ上に歴史の解説がもう少しあるといいと思いました。道中サイクリングしている人にほとんど会いませんでしたが、マップがどんどん活用されるといいですね。

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uploaded:2010-12-23