高浜駅付近
都心からJR常磐線に乗り一時間もすれば、その車窓からの風景は畑と田んぼしかないのどかな世界。そして下車駅の高浜の駅前にはな~んにもなし。今日はこうした静かでのどかな田舎をのんびり行き、霞ヶ浦の北部とその周辺に点在する古墳のいくつかを巡ります。
『本当になんにもないところですねぇ~。土浦を出たら急にさみしくなっちゃって、乗り越しちゃったかと思ったくらい~』
とは先頭を行くムッチー。まずは昼食の準備をということで駅前から東に進み、地方道118号にあるコンビニエンスストアに向かいます。
高浜神社
そのコンビニエンスストアの横にはかなり歴史のありそうな神社が。
高浜神社です。入口に石の鳥居。その奥の大きな木立の下に茅葺き屋根の本殿と拝殿。格調高い感じです。この神社の風格からも伺えるように、今はほとんど世の中から取り残されたようなこのあたりもかつては国府が置かれたところであり、繁栄を極めた時代があったのでしょう。
ここ高浜は1200年ほど前の常陸国風土記にその名を見ることができ、陸路が発達する前の水運の時代には、常陸の国の玄関港として繁栄したようです。周辺の民家の中には大きな屋敷や立派な倉を持つものもあり、往時を偲ばせます。
高浜神社にお参りしたあとはいよいよ古墳巡りの始まりです。
古墳と民家
高浜駅方面に引き返し常磐線の踏切りを越えてしばらくすると、民家の隙間からお椀を被せたようなぽっこりとした緑が見え出します。
民家の軒下を通って裏手に出ると、そこにあるのが前方後円墳の府中愛宕山古墳。
府中愛宕山古墳
前方後円墳ってかっこいい! なにか神秘的。子供の頃はそう思って、家の近くに古墳がないのを残念がっていたことを思い出しました。これがその前方後円墳なのです。
府中愛宕山古墳は一方は畑、もう一方は民家に囲まれた中にありました。そのてっぺんには鎮守の森ならぬ鎮守の木が数本。
円から方を望む
さっそく登ってみました。
『わ~、古墳ってきれいなのねぇ~』
と久々に登場のマーコンはびっくり。
古墳の上はまるで芝生のようなきれいな緑。いえ、芝生が植えられて手入れされているのでしょう。手前が後ろの『円』で、先に前の『方』部分が見えます。方って四角形のことだそうですが、本当に四角ですね。
府中愛宕山古墳の前で
こちらは後ろの『円』側です。
その肩の一部は登りやすいように?なだらかになっていますが、大部分は人の背丈より高い急な斜面になっています。
『円』の前で、はじめて登った古墳に感動の面々。
田舎道を行く
このすぐ近くにはもう一基古墳があるので、畑の中の田舎道を進んでそちらに向かいます。
きれいに耕された畑の先に白い煙りが立ち上っています。静かでのどか。
鹿島神社とこんもりした林
畑の先にこんもりした林と鳥居が見えてきます。鳥居は鹿島神社で、その裏手が古墳のようです。
舟塚山古墳
舟塚山古墳。
これはかなり大きく、東国第二で、茨城では最大の規模とのことです。全長186m、前方部幅100m高さ10m、後円部幅90m高さ11m。
『円』に立ち、うっとりと『方』を眺めるはケンちゃん。
『ほう~、あっちが方ですなぁ~』
舟塚山古墳から北を望む
この古墳の上もゴルフをしたくなるような芝生の緑。でも『ゴルフ禁止』だって。
舟塚山古墳の周りには畑が広がり、その中にぽつんぽつんと民家が建っています。そのずっと先には筑波山がうっすらと見えるのですが、写真には写らないようです。
舟塚山古墳を後に
舟塚山古墳の全景です。左が『円』で右が『方』。こうして見るとやはり大きいですね。
二つの古墳を楽しんだあとはいよいよ霞ヶ浦に向かいます。新車で登場のマーコンを先頭に、まずは恋瀬川へ。
恋瀬川
地方道211号の橋を渡ると、恋瀬川の土手の上を自転車道が走っていました。
『お~、この自転車道は快適じゃの~』
とこちらも久々に登場のペタッチが牽きます。
田んぼと特急ひたち
その自転車道はJR常磐線の線路付近でダートになったので、土手を下りて下の道を進みます。
周囲は刈り取られた稲が再び芽を出した緑の田んぼ。その先をJR常磐線の白い特急ひたち号がスーッと通って行きました。足元には小さなかわいらしい花々が赤、白、黄と咲き競っています。その花たちで飾られたヘルメットを被るナッキーは、まるでギリシャの絵画に出てくるビーナスのよう。
霞ヶ浦サイクリングコース
しばらくしてから土手上に復帰すると、そこは霞ヶ浦サイクリングコースなのですが、この舗装はかなり荒れていて、昨日の雨で水たまりもあちこちに。
しかしなんとか進んで行きます。先には霞ヶ浦が開けてきました。
霞ヶ浦サイクリングコースその2
土手が大きなカーブを描き恋瀬川から完全に霞ヶ浦に入ると、路面はきれいになり道幅も広くなります。
『このきれいな舗装ならちっこいタイヤのブロンプトンでも快適に走れま~す!』
と頭にカメラを載せたアカオちゃんが牽く。
霞ヶ浦サイクリングコースその3
進むにつれ霞ヶ浦はどんどん広くなります。
『私たちも快調よ~ あら、お年寄りたちは遅いわねぇ~』
と言ったかどうかはわからねど、仲良しナッキーとムッチーも快調に飛ばします。しかしこのあと土手上の快適な道は東日本大震災のため壊れているところがあり、やむなく下の砂利道を走ったりもしました。
霞ヶ浦の田んぼと民家
霞ヶ浦と反対側に広がるのは田んぼ、そしてその先に民家、そしてそのまた向こうはちょっとした高台になっていてこんもりとした森が延びています。
この高台の森の南の端にはまたまた古墳があるというので、寄ってみることにします。
田んぼの中を行く
霞ヶ浦の土手を離れ、田んぼの中を高台の森を目指して進みます。
道端にはブタ草が黄色い花を付けています。この花粉のおかげで、ナッキーは痛い目ならぬかゆい目にあうことに。肌が敏感な方は要注意です。
富士見塚古墳
丘を上ってやってきたのがこちら、富士見塚古墳。
これは前方後円墳で、手前が『円』奥が『方』。『方』のさらに奥に円墳が二基あります。これまで見てきた府中愛宕山古墳と舟塚山古墳は全体を見るのが難しかったのですが、この富士見塚古墳は一目で全体が把握できます。
富士見塚古墳の『円』に登る
この古墳には鎮守の林などの余計なものが一切なく、とてもシンプルです。
『どれどれ、ちょっと登ってみよう!』
と山男ペタッチが登攀開始。見た目より傾斜がきつく滑り落ちそう。
登攀成功
えっちらおっちらとよじ登り、なんとか富士見塚古墳の登頂に成功。
『わ~い、たかい~。お、反対側の眺めがいいぞ~』
富士見塚古墳と霞ヶ浦
『円』の向こう側には穏やかな傾斜の『方』、そしてすぐ近くに霞ヶ浦の湖面が見えています。
とても眺めが良く気持ちいいので、ここでお昼にしました。
富士見塚古墳公園展示館の埴輪
富士見塚古墳でのんびり過ごしたあとは地方道118号に下り、公園の展示館を覗きます。
この展示館には富士見塚古墳から出土した様々な装飾品などが展示されています。このかわいらしい埴輪は、馬?キリン?それともヤギさん?
カントリーロードを行く
富士見塚古墳公園展示館のあとは少し内陸のカントリーロードを走り、霞ヶ浦のくびれた部分から外の、霞ヶ浦本体に向かいます。
ほとんど車の通らないカントリーロードは気持ちいい。
菱木川の白鳥
小さな流れの菱木川沿いを行くと、その川面には白鳥が優雅に浮かんでいます。
遥か彼方のシベリアからやってきたのかな?
霞ヶ浦サイクリングコースその4
菱木川が霞ヶ浦に注ぐところからは、再び霞ヶ浦サイクリングコースを行きます。
左手に高い塔が見えます。あれが霞ヶ浦大橋の先に建つ霞ヶ浦ふれあいランドの展望塔です。
用水路沿いを行く
霞ヶ浦大橋が大きくなり出したころ進路を内陸に向けて、かすみがうら市郷土資料館を目指します。
道端には農業用なのか小さな用水が流れ、周囲は相変わらずの田んぼと蓮根の畑。このあたりは蓮根の生産地としても有名なのだそうです。
霞ヶ浦市郷土資料館
地方道118号に出ると先にお城が。
このお城がかすみがうら市郷土資料館で、帆引船や霞ヶ浦の漁で使われる漁具などが展示されています。最上階は展望台になっていて、霞ヶ浦や筑波山の眺望がいいそうです。
民家園
この資料館の脇にあるのが民家園。茅葺き屋根の曲がり屋で、曲がり部分の中にはお馬さんも。
この曲がり屋の前には板倉の小さな建物と、つるべのある井戸があります。つるべは釣瓶と書くようで、井戸で水を汲む際に使う木の桶のことです。ここのは滑車と縄を使うタイプではなく、釣瓶竿(つるべざお)式で、竹の竿の先につるべが付いているものです。
『つるべえを井戸に落とすんですか~』
いくらなんでも鶴瓶を井戸に落としてはかわいぞうでござるぞ。
土間から板の間の望む
茅葺き曲がり屋の中はこんな感じ。広い土間に板敷きの間、その奥に縁のない畳の間。
『ん~ん、ワシの田舎を思い出すな~』 とサイダー。
ここでお茶でも頂きたいところですが、残念ながらそれは無理。でもこの民家園の脇にある数寄屋風の造りの『あゆみ庵』でお抹茶を頂戴しました。お茶など飲んだことのない皆々はちょっとおろおろ。ん~~ん、お茶碗は確か三回まわしてっと、、、
歩崎観音展望台
お抹茶のあとは歩崎観音さまにお参りです。
この観音さまの前には展望台があり、素晴らしい霞ヶ浦の眺めが楽しめます。
歩崎観音展望台より霞ヶ浦を望む
『なんだかイギリスみたい・・・な霞ヶ浦』
とはナッキー。えっ、イギリスみたい?
帆引船
霞ヶ浦で有名なのが帆引船です。大きな白い帆を膨らませて、湖に優雅に浮かぶその姿は印象的です。かつてはこの船で漁をしていましたが、1967年にその役目を終えたそうです。帆引船はここ霞ヶ浦から秋田県の八郎潟に伝えられ打瀬船と呼ばれていたそうですが、その打瀬船も八郎潟の消滅によりなくなってしまいました。
現在、霞ヶ浦の帆引船は観光用として夏から秋にかけて土日に運行されていて、その姿を見ることができます。この日も出帆があるようですが、夕刻からなのでまだ帆を張っていない船だけ見物。船上では真っ白な帆が折り畳まれているのがちらっと見えました。
水族館付近を行く
有名な帆引船を見たあとは霞ヶ浦の湖畔を疾走!
湖畔に建つ水族館の前から東に霞ヶ浦自転車道が延びています。この自転車道の西側は整備中のようなので、いつの日にかは土浦まで繋がるのでしょう。
カメラ小僧アカオちゃん、サリーナ、ケンちゃんが激走の図。走っているのは車道で自転車道として整備されているのはこの内側のようなのですが、ここはあまり車が通らないので車道を走ってもまったく問題なし。
先に霞ヶ浦大橋
自転車道はほんのちょっとでおしまいになり、ただの土手の上の道になりますが、これが自転車道だと言われても信じてしまうほど、車はほとんど通りません。
先に赤い霞ヶ浦大橋が見えてきました。
西浦左岸を行く
霞ヶ浦大橋を渡り湖畔を北上します。この湖畔沿いの道は砂利道ですが、小さな川を渡った先からは快適な舗装路に。
快調に飛ばして
『え~、もう霞ヶ浦大橋があんなに遠くになっちゃった~』
と驚きながらナッキーが牽く。
どんどこ北上
『ところで気になっていたんですけれど、ずっと標識に西浦って書いてあるんですけど、ここは霞ヶ浦じゃなくて西浦っていうんですか?』
あ~それはだね、ここは一般的には霞ヶ浦って呼ばれているけれど、広義の霞ヶ浦にはこの東にある北浦やその他の河川を含めるのさ。あっちが北浦でこっちが西浦なの。河川法って法律ではここは河川の一部だから、今ワシらは左岸を北上していることになるよ。
『へ~ぇ、湖に右岸や左岸があるって、知りませんでした~』
それと、ここの高浜に近い霞ヶ浦の窪んだところは、高浜入(たかはまいり)って言うそうだよ。
三昧塚古墳の上で
と霞ヶ浦のお勉強をしつつ進み、高浜入の湖畔を離れて国道355号に出れば、ここにも古墳が。
三昧塚古墳です。かつては周囲に深さ2mほどの濠が巡らされていたこの古墳の後円部の中心からは箱式石棺が発見され、その中から遺骸と副葬品が見つかりました。現在後円部の中心にはその石棺の様子を示す板が置かれています。
三昧塚古墳を後ろに
ここもこれまで見てきた古墳の例に漏れず、全体が芝生の緑で覆われています。
きっときちんと手入れされているんですね。
高浜入を快走
三昧塚古墳からは一旦霞ヶ浦の湖畔に戻り、どんどん北に向かいます。
大きなカーブを過ぎ、高浜入がさらにくびれて細い入り江のようになると対岸がすぐそこに見えるようになります。湖畔から内陸を見れば、田畑の先にこんもりした丘と森。
『あのもっこりした森も古墳に見えちゃいますねぇ~』
と隠れ古墳ファンのナッキー。まさにそのとおりで、このあたりには古墳がわんさかあります。
旧小松家住宅
その古墳の一つを覗きに行くことにして内陸に向かうと、そこには古い民家が。入口には新治郡田余尋常高等小学校と書かれた古い煉瓦の門。その先に小美玉市民家園の旧小松家住宅。
この住宅は庄屋さんクラスの家だったようで、二畳ほどと狭いものの帳場があり、縁側には立派な跳ね上げ式の雨戸が嵌っています。土間は本体から突き出ていてその脇に厩があり、この土間と厩の二つの曲がりがあるかなり珍しい様式です。床がしの竹のすのこでできた納戸はお産の時にさんべやとして使われたそうで、これも珍しい。
権現山古墳
旧小松家住宅のすぐ前にあるのが権現山古墳。
この古墳はこれまで見てきたものと様子が違い、森の中にあり、古墳そのものにもほぼ全体に木が生えています。ここが古墳だとは教えられてもなかなか理解できないほど、周辺の風景に溶け込んでいます。これも前方後円墳で左が『円』、右が『方』、たぶんね。
夕暮れの霞ヶ浦
旧小松家住宅と権現山古墳で本日の茅葺き研究会と古墳研究会はおしまい。湖畔に戻り高浜を目指します。
16時を過ぎ、霞ヶ浦が受ける陽の光はすっかり赤みを帯びてきました。
沈む太陽と霞ヶ浦
急速に落ちて行く太陽とかけっこで、高浜から田んぼの中を駆け抜け石岡へ。
霞ヶ浦は自転車で一日で一周するには距離がちょっと長く、湖畔の道は整備状況が良くないところも多く、ただ走るだけでは景色の変化に乏しく、あまり魅力的ではありません。今日の霞ヶ浦北部の高浜入周辺のコースは、のんびりブラブラするには適当な距離で、古墳に民家、それにお抹茶付きと、とても楽しめました。