不忍池の周りを進む
最高気温5°C 前後の寒い日が続いていましたが、この日は10°C 無風と絶好のサイクリング日和となりました。東京湾に面する江東区若洲と大田区城南島とを結ぶ東京港臨海道路に完成した東京ゲートブリッジを見学しに、隅田川を下ってから荒川の先に位置する若洲に向かいます。
桜並木の播磨坂に集合した面々は東京大学の横をすり抜け、上野公園に入ります。不忍池を半周して池の真ん中にある弁天様から上野動物園へのアプローチ路を上ると、
上野動物園の前で
そこで待っていたのはビジターのケンちゃん。
上野動物園入口には、お目当てのパンダを見るために親子連れがたくさん訪れていました。その入口の前で、『さあ、行くぞ~!』のポーズは左から、出席率抜群のムカエル、ビジター初参加のニコちゃん、東ティモールからはるばるやってきたカンちゃん、ろーとるサリーナ、そしてケンちゃん。
上野公園をあとに
上野公園をあとに、寛永寺輪王殿前を西へと向かいます。
前を引くビジターのニコちゃんは昨秋に手に入れたばかりのピカピカのブロンプトンで、るんるん。
浅草
北上野のまちを抜けていくと、人通りが増え、少しずつ賑やかな雰囲気に。
ここは浅草なのです。渋谷や新宿といった新しい繁華街が賑わう前から浅草は東京の大繁華街であり、かつ大観光地でした。現在でも東京を訪れる外国人観光客の多くはここに来るとか。
浅草寺
その浅草の中心となるのがこちらの浅草寺。
雷門から続く仲店はいつでも人でいっぱい。その突き当たりにあるのがこの本堂で、かなり大きくて立派です。外国人観光客といえばかつては欧米人でしたが、最近では韓国人に加え中国人がとても多く、周辺から聞こえてくる言葉は日本語より中国語の方が多いくらい。
二天門
浅草寺でもっとも有名なのは雷門だと思いますが、実はその雷門をはじめ本堂などほとんどの建物は鉄筋コンクリートによる再建で歴史が浅いのです。しかしこの二天門は17世紀の中頃建造で、重要文化財となっています。『二天門』の扁額は三条実美筆。
その門の前で人力車に乗り優雅に浅草巡りをしているのは、中国から観光でやってきたお嬢さん。あ、私たちも形は違えど人力車でした。引いてもらえないけどね。(笑)
桜橋から見る隅田川
浅草寺から東に向かうと、ほどなく隅田川に突き当たります。
隅田公園に入り北上して言問通りを渡ると、次に出合う橋が歩行者自転車専用橋の桜橋です。Xの字形のこの橋は広くて優雅。むやみに斜張橋などにして自己主張しないところに好感が持てます。
そこから隅田川を覗くと、宇宙船のような遊覧船から建設資材や土砂かなにかわけの分からないものを運ぶ船まで、様々な船が行き来しています。隅田川はこのあたりで最も水上交通の多い川なのです。
隅田公園付近の隅田川
お気に入りの桜橋で東に渡り、一路隅田川を南下します。
対岸が隅田公園ならこちら側にも隅田公園と、ちょっとこれは紛らわしい。
『今日はとっても暖かくて良かったですね~』 とニコちゃんはここまで快調の様子。
アサヒビール
左手にすでに新観光名所となった東京スカイツリーを眺めながら、吾妻橋の袂までやってきました。
そこにはかなり奇妙なものが。真っ黒な建物の上に金色のうねっとしたオブジェ。ん~ん、これはいったいなに? アサヒビールの建物で、フランスの有名デザイナーによるものだそうですが、屋上のオブジェはどうみても・・・
それにしても首都高速の高架、吾妻橋の赤い欄干に赤い街灯、なんとか餃子と、ここはまったくおフランスっぽくありません。
駒形橋
その先にはアーチ式のちょっと無骨な駒形橋があります。
この橋は隅田川に架かる主要な他の橋同様に、大正時代の終わりから昭和時代の初期に掛けて造られました(1927年(昭和2年)竣工)。ここにはその昔、『駒形の渡し』があったといいます。同様に隅田川の主要な橋のところにはかつて渡しがあったようです。
屋形船と厩橋
隅田川といえば屋形船、というぐらいにここではポピュラーな屋形船です。夕方から提灯に明かりを灯し、川面に浮かぶ屋形船は一時よりはずいぶんその数を減らしたものの、現在でも隅田川になくてはならない風景となっています。
後ろの三連アーチの厩橋は1929年(昭和4年)竣工。
蔵前橋
こちらは同じ三連のアーチでもアーチの上に道路を持つ蔵前橋(1927年(昭和2年)竣工)。その道路は蔵前通りで、橋の名はここから。そして蔵前通りの名は江戸時代にこの近くに幕府の米蔵があったからだそうです。橋の黄色は稲のもみがらの色をイメージしているとか。
この橋を下から見上げると、一スパンはもの凄く沢山のアーチで構成されていて、そこにはリベットがびっちり。まるで鉄の塊のよう!
日本橋浜町付近を行く
両国橋で右岸に渡り日本橋は浜町あたりを南下します。
両国橋から北の右岸には川縁に道がないのですが、ここからは快適な道が伸びているのです。川の東側は日影でしたが、こちらの西側は陽当たりが良くて気持ちいい。
清洲橋
その道が新大橋でなくなり、少し迂回して次の清洲橋に辿り着きます。
この清洲橋は隅田川に架かる橋の中でもっともユニークな橋ではないでしょうか。多くの他の橋がアーチ橋であるのに対し、この清洲橋は吊橋なのです。
清洲橋を渡る
この橋が建設された当時(1928年 (昭和3年)竣工)、まだ鋼鉄のケーブルはなかったのでしょう。この橋はそのケーブルのかわりに鉄の板を何枚も繋ぎ合わせて造られています。
この構造はまるでそれが自転車のチェーンのようだから、チェーンブリッジと呼ばれています。これはジオポタにぴったりの橋ですね。
中央大橋
永代橋でレイナ、レイ、そしてアトムちゃんが合流し、隅田川の南下を続けます。
隅田川が二手に分れるところの一方に架かるのは中央大橋(1993年(平成5年)竣工)。鋼鉄のケーブルが発明されて初めて可能になった橋の代表、斜張橋です。スマートで優雅。
越中島公園を行く
越中島に渡り、川沿いの越中島公園を進むアトムちゃんとレイナ。ここは川縁に遊歩道があって快適です。
この突き当たりの先にある東京海洋大学には帆船明治丸が展示されているのですが、うっかり案内するのを忘れてしまいました。
相生橋
その東京海洋大学の手前に架かる相生橋(1999年(平成11年)竣工)で石川島に渡ります。
ちょっとレトロなアーチ橋やチェーンブリッジ、斜張橋と自己主張が強い橋が多い隅田川の橋の中で、この相生橋は建設年が比較的新しいせいもあり、単純なトラス橋ですっきり。あまり特徴がないといえばそうも言えますが。
石川島から見る屋形船と永代橋
石川島は今は超高層マンションが建つ住宅地となっていますが、一昔前までは石川島播磨重工業(現IHI)があったところであり、さらに遡れば水戸藩主徳川斉昭が創設した石川島造船所があったところなのです。ここは比較的最近まで日本の造船界をリードしてきた地だったのです。
石川島公園に入りその北端まで行くと、そこに屋形船がやってきて、その先にはアーチ橋の永代橋(1926年(大正15年)竣工)が見えています。この石川島公園の北端にある広場の名はなんと『パリ広場』。ん~~ん、あんまりパリっぽくないけれど・・・
佃煮屋と石川島の超高層マンション
パリ広場から西を廻って超高層マンションの足元をぐるりと廻ると、小さな運河を渡る橋が架かります。この橋を渡ったところが佃島。
佃島は江戸時代には東京湾に浮かぶ砂州のようなものだったようで、そこを埋め立て島にしたのだとか。徳川家康が江戸に行くのに合わせ、大阪の佃の漁民がやってきてここに住み着き漁業をはじめたそうで、葛飾北斎の『冨嶽三十六景』の『武陽佃嶌』にその当時の佃島を見ることができます。
佃島といえば佃煮ですが、今でもここには佃煮屋が数軒あります。伝統的な造りの佃煮屋とその先に建つ超高層マンションの対比がなんともアジア的、日本的、東京的な風景です。
佃小橋付近
ここに漁民とともにやってきた神主によって建てられた住吉神社は3年に一度の神幸祭で有名で、御神輿は八角形をした珍しいものです。
小さな運河に架かる朱色の欄干の佃小橋の先には銭湯の高い煙突が建ち、その向こうには超高層マンションが並んだ並んだ。
勝鬨橋
佃島から月島のもんじゃストリートを抜ると、その先の晴海通りに架かるのが勝鬨橋(1940年 (昭和15年)竣工)。
ここにはかつて日露戦争における旅順陥落の祝勝記念として『勝鬨の渡し』が設けられました。勝鬨の名はそこから。二つのアーチを持つこの橋は、実はそのアーチ間を繋ぐ橋が開いて船を通す仕掛けを持つ可動橋(跳開橋)なのですが、現在それは動くことはありません。
年配者には記憶されている方もおられると思いますが、20世紀の後半までこの橋の上をチンチン都電が通っていました。
晴海トリトンスクエアから朝潮運河を臨む
晴海通りを南東に向かい朝潮運河までやってくると、その運河の先には晴海トリトンスクエアが建っています。オフィスビルと商業施設の入ったこの建物は、平日の昼にはサラリーマンなどでごったがえしていますが、土曜日のこの日はガラガラで、ここでゆっくりランチタイムとしました。
三階のレストランからは朝潮運河がきれいに見えます。
昼食後、晴海通りで豊洲を抜けて辰巳に向かう途中、アトムちゃんがパンク。替えのチューブを忘れたのでパンクパッチで修理をするも、穴が複数開いていたようでうまく行かず。晴海トリトンスクエアに入っている自転車屋までチューブの買い出しに戻ります。みなさん、替えのチューブは持って出かけましょうね。
ここで大幅に時間ロスした私たちですが、東京ゲートブリッジの開通記念サイクリングに参加するアトムちゃん、レイ、レイナはそれに間に合うようにここで離脱、若洲海浜公園へと急ぎます。
辰巳の森公園の緑道を行く
三人と分かれた本隊は辰巳の森公園の緑道に入りました。ここは緑豊かでいい雰囲気です。
私たちは辰巳橋を渡ってここにアプローチしましたが、手前で東雲に入り、東雲水辺公園の橋を渡ってアプローチしたほうがスムースに行くようです。
荒川から続く運河
夢の島の緑道(舗装路だけれどちょっと荒れ気味)から野球場の脇を通り、夢の島マリーナに続く運河沿いまでやってきました。
ここは空が広く、あちこちにクレーンが建ち、隅田川とはまるで違う風景が広がっています。
新木場緑道公園を行く
湾岸道路とJR京葉線の線路を潜ると新木場緑道公園となり、ここにも快適な道が続いています。
対岸に葛西臨海公園
ここは荒川の出口。対岸には葛西臨海公園の大観覧車や東京ディズニーランドなどが見えており、その前をゆっくりと一艇のヨットが優雅に滑って行きます。
東京へリポートから東京ゲートブリッジを臨む
新木場緑道公園をなおも進めば、先から奇妙な音が。そこにあったのはヘリポートでした。
そのヘリポートの先に本日の目的地である東京ゲートブリッジがついに姿を現しました。巨大風車と巨大鳥かご(たぶんゴルフ場)、そして一風変わった形の東京ゲートブリッジというこの景色は独特です。写真には写っていませんが、空には羽田空港に向かう飛行機、そしてヘリポートに離着陸するヘリを加えると、もの凄い景色だ!
若洲臨海公園南端付近
ヘリポートの先で砂町南運河を渡ると若洲臨海公園です。
ここには一周4.5kmの自転車道があり、それを使って公園の南端に向かいます。川辺にはここを埋め立てた時に使ったものなのか、はたまた土砂の除去に使ったものなのか、もしくはただのオブジェなのかそれはわかりませんが、クレーンの先に付けるようなショベルがあちこちに置かれていてちょっと楽しい。
若洲臨海公園南端から見る東京ゲートブリッジ
東京湾に突き出た若洲臨海公園の先をぐるりと廻ると、ついに東京ゲートブリッジが真正面に見えました。
恐竜が向き合ったようなこの巨大な橋は、下を大型船が通れるようにと桁下が56.4mととても高い位置に設定されています。一般的にはこのような大きな橋は吊橋で設計されることが多いのですが、ここは羽田空港が近くにあるため、最高の高さが押えられているので、このようなトラス橋になったとか。
東京ゲートブリッジを疾走するレイナとレイ
私たちが下から橋を見上げている頃、レイナとレイ、そしてビジターのアトムちゃんはその橋の上を疾走しているのでした。しかし、
『橋ってず~っと上りなのねぇ~』 とレイナは今更ながらに驚きつつ、あへあへと上り詰めます。
東京ゲートブリッジをその車道から見る
ここは丁度向かい合う恐竜の先端部付近で手前側のトラスがなくなり、前方に向こう側のトラスが見えるところです。橋の大きさの割にトラス材は細く、しかもボルトやリベットといった突起物がないので、かなりスマートな印象です。もしかして全部溶接? とにかくこの橋は現代橋梁技術の粋を結集して造られていることは間違いないでしょう。
『あー、海ほたる! 』
『あ、あれ、横浜?』
『えー? あんなに近くないでしょ。川崎かな~。』
『いや、あれ、パシフィコだ。横浜だー。近いねー。』
と、見事な景色でおしゃべりに花が咲きます。
橋の付け根付近から見る東京ゲートブリッジ
そのころ私たちは巨大な橋を眺めながらその下を潜り、反対側に出ていました。
少し残念なのはこの橋はレインボーブリッジなどと同様に自転車通行が不可だということです。巨大で高さのある橋では『しまなみ海道』の処橋が自転車通行可ですから、強風のために自転車が通れないということではなさそうです。日本の貧困の一端を垣間見る事実がここにもあるのはとても残念。
この日は、ウォーキング、ランニング、そしてサイクリングとこの橋を渡るイベントがあったので、周辺は大勢の人々で賑わっていました。そのメインイベント会場で橋を渡って戻ってきたレイナたちと合流。レイナたちの感想を聞けば、眺望はなかなか素晴らしかったといいます。自転車では通れないものの歩行者は通行可なので、機会があったら一度その風景を見てみたいと思います。
新木場の貯木場
予定ではここからお台場に向かいベイエリアを散策するつもりでしたが、アクシデントで時間がなくなったため予定を変更、東陽町に向かうことにしました。
若洲から上った新木場にある貯木場は、元は木場の隅田川の河口(現木場公園)にあり、江戸時代初期から江戸への木材供給場として、地方から大量の木材が運び込まれていました。その木場が埋め立てにより内陸となったため、この地に引っ越し、一時は北米などから大量の丸太が運び込まれていたのですが、現在丸太の形で木材が輸入されることはほとんどなくなり、ご覧のようにここはほとんど使われなくなりました。ここが埋め立てられて、木材ではなく超高層ビルでいっぱいになる日もそう遠くないかもしれません。
夢の島の北から砂町運河を臨む
風もなく暖かかった一日ですが、陽が落ちてきて急速に気温が下がり、日影に入るとちょっと寒さが身に滲みます。
砂町運河の先の超高層ビル群に落ちる陽を眺めながら、体が温まる飲物を求めて帰路を急ぎます。