高麗駅前にて
秋分の日の前日、やってきたのは埼玉県日高市の高麗駅です。
秋分の日といえばお彼岸。お彼岸の花といえば菊と彼岸花と、どちらを思い出す方が多いでしょうか。今日は菊ではなく、彼岸花こと曼珠沙華を見に行きます。
黄花コスモス
向かうは高麗の巾着田と呼ばれるところです。通りから枝道に入ると、そこには黄色いコスモスが咲いています。
巾着田付近の曼珠沙華
そして角を曲がると、真っ赤な曼珠沙華が目に飛び込んできます。満開。これは巾着田も期待できると、胸を躍らせ先に進みます。
県道川越・日高線に出て高麗川に架かる鹿台橋を渡ると巾着田の入口に到着します。巾着田へのアプローチは大きく分けると二つあり、一つはこの鹿台橋の袂を川沿いに南下し管理事務所脇からアプローチする方法で、もう一つはさらに県道を行き、天神橋を渡って高麗郷民族資料館脇からアプローチする方法です。
高麗川駅からやってきたコンタが民族資料館の前にいるというので、私たちは後者を選択。
あいあい橋の上から高麗川と巾着田を見る
民族資料館の脇には高麗川に架かるあいあい橋が架かっています。
この橋からは穏やかなカーブを描く高麗川の流れと、その脇にある巾着田が見えます。巾着田の名は、ここで高麗川が大きくうねり、巾着のような形をしていることから名付けられたもので、近くにある日和田山に上るとこの形がよくわかるそうです。
林の中に咲く曼珠沙華
巾着田の外周、高麗川縁は林になっており、その足元は赤い。あれが今日の目的の曼珠沙華です。
あいあい橋と曼珠沙華
あいあい橋を渡って下に下りると、この林の入口に辿り着きます。
そこには、びっしりとまではいきませんが、かなりの数の曼珠沙華が咲いています。
満開の曼珠沙華
花の色は気温の変化や雨の具合などにより毎年微妙に異なるそうですが、今年の曼珠沙華はやや赤みが少ないような気がします。
巾着田の曼珠沙華は500万本あるそうですが、早咲きと遅咲きのゾーンがあり、あいあい橋付近は遅咲きのほうです。
曼珠沙華アップ
今この遅咲きのゾーンは満開といっていいようです。
満開の曼珠沙華その2
入口から奥に進むにつれ、曼珠沙華の密度が増してきます。
びっしりの曼珠沙華
このあたりが最高密度地帯でしょうか。
ジオポタと曼珠沙華
この時期の巾着田はもの凄い人出なので通路に人が溢れ、記念撮影などできないこともあるのですが、今日は少し早めの時間帯だからか、それほどの人でもありません。
ということで、空いた隙間で記念撮影を。
朝鮮半島の衣装の人々
曼珠沙華の遅咲きゾーンが終わるとちょっとした広場に出ます。ここはこの時期お祭り会場になっていて、出店などが並んでいます。
高麗はその名から推測できるように、遥か昔に朝鮮半島から渡ってきた人々が住み着いたところです。そんなわけで、今でもその子孫がこの周辺にはたくさんいるのでしょう。ここには朝鮮半島の衣装と思われるものを着た人たちがたくさんやってきていました。
ドレミファ橋
この広場の端に、高麗川を渡るドレミファ橋があります。
このあたりの河原は広く水遊びや釣りができるので、ここは人々で賑わっています。
白い曼珠沙華
ドレミファ橋から東が早咲きのゾーンですが、そこの曼珠沙華はややピークを過ぎた感があり、人出も多くなって来たので、ここで引き返すことにします。
ところで、曼珠沙華に白い花があるのを知っていました? ここで初めて見たように思いますが、これは突然変異でしょうか。
巾着田から高麗神社に向かう
巾着田で真っ赤な曼珠沙華を堪能したあとは、高麗川に沿って高麗神社に向かいます。
出世橋
民家と畑の間を行く鄙びた道を進み、小さな橋を二つ渡ります。このうちの一つは橋面が木でできていて、ちょっと面白い。
そして三つ目の橋は出世橋というらしいのですが、ここを通れば出世するのかな?
高麗神社
この出世橋を渡り道端のお地蔵さんを眺めながら進むと、すぐに高麗神社に到着。ここの入口には高麗駅前にもあった、朝鮮半島の村落に見られる境界標(道祖神)である将軍標が建っています。
この地が朝鮮半島と関わりがあることは巾着田のところで述べましたが、それは唐と新羅によって滅ぼされた高句麗から亡命してきたの人々を、朝廷がここに住まわせたことに始まるようで、高麗神社は高麗若光(こまのじゃこう)という高句麗の王族と見られる方をお祭りしているそうです。
高麗家住宅
これは代々高麗神社の宮司を努めた高麗家の住宅で、江戸時代初期のものだそうです。
高麗家住宅内部
日本の民家には大黒柱があるのが普通ですが、ここにはそれがなく、細い柱で梁が支えられています。
土間から上がった表座敷にはお団子とすすきが飾られています。ここ数日、月がきれいだなとは思っていたのですが、中秋の名月とはまさに今ですね。ここの天井は細い竹がびっしり並べられていて、その上はお蚕さんを飼うところになっていたそうです。
稲を刈り終えた田んぼ
巾着田、高麗神社、高麗家住宅と巡って、これで序盤の見所はおしまいです。
ここからは中盤の沈下橋巡りに突入します。沈下橋は地方により呼び名が異なり、冠水橋、潜水橋などとも呼ばれることがありますが、これらは簡単にいえば、川の土手の中に造られた橋のことで、川が増水すると水面下になってしまうことがある橋のことです。
日本の沈下橋で最も有名なのは四万十川のそれだと思いますが、関東にも少しあり、ここ埼玉県の高麗川、越辺川周辺にも見られるのです。
橋面が木製の橋を渡る
高麗家住宅をあとにし、稲を刈り取ったあとの田んぼで作業する農民を眺めながら高麗川沿いを下れば、まずこんな橋を渡ります。
この橋は沈下橋ではないようですが、橋面が木でできていて、ちょっとした味わいがあります。
コスモス
巾着田にはコスモス畑もあるのですが、今回はそこまで行けなかったので様子はわかりませんが、この先に咲いていたコスモスから見ると、そろそろという感じです。
多和目天神橋
先に最初の沈下橋が見えてきました。多和目天神橋です。橋の袂に咲く赤い花は曼珠沙華。
多和目天神橋を渡る
普通、橋は道路より高いところに架かっているので、橋を渡る時は上りになりますが、この橋には下って入ります。これが沈下橋であるのはこの写真でもよく分かると思います。うしろの土手より低いところに橋が架かっていますね。
写真左が上流で、そちら側に斜めに突き出した棒は流木除けです。これは流木などが川が増水したときに橋にぶつかって橋を壊さないようにする仕掛けで、これと同様の機能は沈下橋以外でも、橋脚の上流側には設えられることがあります。
西大家から高麗川に向かう
多和目天神橋からは一旦日高・川島線に出て、西大家駅の先から再び高麗川に向かいます。
先に高麗川の土手が見えてきました。その手前の田んぼはまだ稲刈りの前のようで、畦にはあの曼珠沙華が咲いています。曼珠沙華に毒があることは古くから知られており、こうした耕作地の外周に植えられるのは、土に穴を掘るモグラなどの動物を避けるためだそうです。
土手上から細道で高麗川に下る
土手の上に上がって少し行ったら、林の脇から入る、注意しないと見逃しそうな小径で高麗川に下ります。
若宮橋
そこに架かるは二番目の沈下橋、若宮橋。
このあたりの沈下橋の多くは木造ですが、現在は橋桁を中心に鉄で補強されたものが多いようです。面白いことにこの橋の桁には、外国製の鉄道レールが用いられています。これはおそらく、日本の鉄道開幕時代に輸入されてどこかで使われたものの廃材を利用したのでしょう。
若宮橋を渡る
この橋は桁以外は木製で、流木避けには結構草木が引っかかっています。実は一週間ほど前に台風が通ったので、橋の状態がちょっと心配だったのですが、大きな損害はなさそうです。
この橋は1tまでの車両しか通れませんが、なんと農作業用のトラクターがガタゴトと音を立てて渡っていきました。壊れないかちょっとドキドキものでしたが、なんとか向こう岸に辿り着いていました。
高麗川の自転車道
若宮橋を渡り左岸の土手の上に出ると、そこには自転車道が延びています。
ここから下流にはしばらくこの自転車道が続きます。
小さな林の曼珠沙華
この自転車道を使ってどんどこ。
土手下の小さな林の中にもあの曼珠沙華が咲いています。
畑と山並み
土手下には畑が広がり、遠くにはうっすらと山並みが見えます。あれは利根川の向こうの赤城山あたりでしょう。
北坂戸付近の高麗川の自転車道
関越自動車道で一旦この自転車道は途切れますが、その下にできているフットパスを辿ると、その先にも、道幅は狭くなるものの、自転車道は続いていました。
このあと北坂戸駅付近で昼食にし、その後の午後の部も沈下橋巡りを続けます。
越辺川
高麗川に戻ったら、今度はその右岸を下ります。ほどなく高麗川は越辺川と合流しますが、その土手上も自転車道です。
東武東上線の線路とR407をくぐり抜けるころには、越辺川の水かさが増しています。
島田橋に向かう
これは越辺川に高麗川と葛川が合流したせいもありますが、その先に取水堰があるからでもあります。ここの土手には真っ赤な曼珠沙華が咲き競っています。
島田橋
水門の先で越辺川が再び細い川になると、そこには島田橋が架かります。
島田橋を渡る
島田橋はこのあたりの沈下橋の中では立派な方で、幅が広く、確か1.5t未満の車両なら通れたと思います。
しかし侵入口にポストが建っていて幅を規制しているので、車は通れなくしているのだと思います。
越辺川左岸を下る
島田橋から下流の左岸にも自転車道は続いています。
『この道は確か行き止まりだったよな。』といいつつも、でも渡っちゃったから先まで行ってみよう、ということで左岸をどんどこ。
行き止まりで水門から引き返す
1kmほど進むと、やっぱり道の舗装は途切れ、先に水門なようなものが見えてきます。もしかするとあの水門まで行けば対岸に渡れるかもしれないと、この草ぼうぼうの道を押したり引いたりして進んでみるも、水門の先は工事中で侵入できず。
前回企画の乗車率は低かったため、今日のサイクリングの副題は『乗車率99.9%』だったのですが、やっぱり今日もジオポタらしく乗車率100%は達成できず。ここは諦めて、やってきた道を引き返すことにします。
稲刈り中
この周辺の田んぼは、稲が刈られたところとそうでないところが半々くらいです。この田んぼでは今まさに稲刈り中でした。
再び島田橋を渡る
さっき渡った島田橋を今度は反対側から渡ります。
越辺川右岸を下る
なんとか右岸に復帰して川下に向かって進めば、ほどなく、
赤尾落合橋
赤尾落合橋が見えてきます。
草ぼうぼうの中の通行止め
その赤尾落合橋の袂には、通行止めの標識が建っていました。
その先は草ぼうぼうになっていて、ここが通行止めになってしばらく経つことを示していました。
荒れた赤尾落合橋
橋の様子を覗いてみると、流木避けにも橋面の上にも草木が溜まっています。人や自転車程度はまだ通行できそうですが、それより重いものはきっと危ないのでしょう。
この橋のすぐ先には都幾川に架かる長楽落合橋があるのですが、そこまでの間も草ぼうぼうで、通るに通れません。おそらくこれら二つの橋は、近い将来撤去される運命にあるでしょう。
水道橋
二つの落合橋を渡るのは断念して越辺川の右岸をさらに下れば、すぐに連続アーチの水道橋が見えてきます。
川辺の曼珠沙華
この水道橋の先で左岸に渡ると、その土手は真っ赤な曼珠沙華で埋め尽くされています。
土手上の砂利道を行く
渡った左岸の土手の上は上流側は舗装路ですが、下流側は砂利敷きでした。
この砂利はかなりよく締め固められていて、そう悪くありません。
八幡橋
この砂利道を2km弱進むと現れるのは八幡橋。これもなかなか立派です。
この八幡橋を渡り、入間川の手前を流れる小畔川に向かいます。
鎌取橋を渡る
小畔川までは田んぼの中のやや広めの直線道なので、その途中で休憩にし、試乗会を楽しみました。
小畔川には橋面だけ木でできた小さな鎌取橋が架かります。鎌取橋からは入間川の土手に入るつもりでしたが、少々時間が余っているので、小畔川の土手を行ってみることにします。小畔川の土手は両側とも舗装されていて快適に走れますが、車道を横切るところにはアンダーパスがないので、ちょっと注意が必要です。
入間川の土手を行く
県道に出たところで対岸に渡り、少し引き返して入間川の土手に乗り換えます。
この土手上の道は入間川自転車道として有名で、さすがにこれまでの川より河川敷が広くて気持ちいい。
雁見橋から見る入間川
入間川を眺めながら雁見橋を渡って、
田んぼの中を南下
川越側に出たら、田んぼの中を南下して行きます。ここの田んぼはすっかり稲刈りが終わり、そのあとに青い葉っぱが出てきています。
巨大パエジェーラの前で
ひと風呂浴びたあと、本日の〆はおいしいスペイン料理といきましょう。この店の前には人の背より高い、超巨大なパエジェーラ(パエリャ用の鍋)が置かれていてびっくり。