秩父三十四ヶ所の観音霊場の本尊は、普段は秘仏としてその厨子の扉は閉ざされていますが、12年に一度、午歳にそれは開帳されます。
今年はその午歳です。そこでこの観音様の中のいくつかを拝もうという企画。
一時は台風19号の接近で開催は絶望と思われましたが、その台風は沖縄付近をのろのろ。で、なんとかお天気は持ちそうと、三連休の中日、体育の日の前日に決行です。
やってきたのは寄居駅。ここから荒川に沿って、まず、長瀞へ向かいます。今回初参加のサワちゃん、サオリちゃんと続いて、いざ出発。
序盤は住宅地の中を進み、波久礼駅からR140に出ます。そのすぐ先で道が大きくカーブすると、荒川も大きくうねり、その流れがはっきり見えるようになります。
そこにガタゴトと音をたてて、秩父鉄道の電車がやってきました。
このあたりは、荒川の左岸は国道、右岸は県道で、どちらもあまり自転車では走りやすくありません。
この二本なら県道の方がやや交通量が少ないので、そちらを通行したと思いますが、国道の付近には完全には繋がってはいないものの、小さなカントリーロードがあるので、これを使ってみることにしました。
荒川から山までの間の狭いスペースに、小さな集落が形成されています。
その集落の中を、細い道が通っています。
山が集落に迫ってくると、カントリーロードは国道より川側を通るようになります。
そうするとその道は、秩父鉄道の線路際を進むようになります。さっきは客車がやってきましたが、今度は貨物列車が通過して行きます。主要な路線では貨物列車は、日中はほとんど走りませんから滅多に見掛けないのですが、ここはローカルのいいところで、そうしたものを見ることができます。
このあたりには伝統的な高い屋根の民家がいくつも残っています。その前の畑の際にはきれいなコスモスが。
こうした民家の前を行く道は、公道なのか私道なのかあまりはっきりせず、果たしてこの先は抜けられるのか、と思うようなところもありますが、なかなか気持ち良く進んで行きます。
民家が寄り添う、ちょっとした広がりの空間がなくなると、道は荒川際の高台を行くようになります。
その道は迫ってくる山の影のところ、木々の一番端っこを進んで行きます。
その木々がなくなり明るいところに出ると、そこは野上下郷という集落です。この集落も鄙びていていい感じ。
おしゃれな帽子の先頭サワちゃんは、かつてはランドナーで鳴らしたツワモノ。北は北海道から南は九州まで走ったそうです。そんな中にはきっと、こんな田舎道もあったことでしょう。
出発地の寄居は荒川が関東平野に注ぐところにありますが、それより長瀞、秩父側はぐんと山がちになります。
進めば進むほど、山の中へと分入って行きます。
そうした山々を眺めながら進んで行くと、道脇の畑に、ちょっと変わった花が咲いていました。
ん~ん、この花、なにかな~。
クロッカス? いや、ちょっと違うみたい。
じゃあ、サフランかな? いえいえ、サフランのめしべは赤くてもっと長いよ。
??? WEB検索すると、イヌサフランとありました。イヌサフランは、いろいろな植物と間違われることがあるそうですが、コルヒチンという毒を持っていて、誤って摂取すると、中毒を起こしたり呼吸困難になることがあるそうですよ。
ずっと荒川の側を走ってはいるのですが、これまでその流れのすぐ近くには寄れませんでした。
しかし樋口駅の側で、ようやくその縁に辿り着きました。
波久礼駅付近ではたっぷりとした水量があった荒川ですが、このあたりはかなり浅く、渓流という雰囲気です。
樋口駅の先の踏切りを渡ると、丁度、電車がやってきました。近くには撮り鉄の人々が数人います。
どんな電車が来るのかなと待っていると、カラフルな絵柄が描かれたラッピング電車が通過していきました。そういえば秩父鉄道にはSLが走っているのですね。その姿は見ることはできませんでしたが、このあと長瀞の近くで、あのシュポーという勢いのある音が聞こえました。
今の電車、サメが描いてあったよ。このあたりで最近、サメの骨が発掘されたんだっけ? とかなんとか、ガヤガヤやりながら進む道は、線路脇の細い地道。
『や~ん、ジオポタってこんな道、通るんですか? 私、砂利道苦手なんです。』 といつもはロード仲間とカッ飛んでいるビジターのサオリちゃん。
いえいえ、いつもはこんな道はあまり通りませんよ。えっ、よく通るって。。
コスモスもいい感じです。
さて、長瀞にやって来ました。
r287の高砂橋で荒川を渡れば、下にはごつごつした岩が水流に変化をもたらしています。その中を一隻の舟が豪快に下って行きます。あれがライン下りの舟でしょう。
荒川の右岸にやってきた私たちは、キャンプ場の奥にある河原に降りました。
このあたりの川幅は狭く、浅い流れです。ここで石なげをして遊ぶ人々。わ~、今の四回跳ねたよ!
この河原に降りたのには目的があります。ここには日本最大の甌穴があるというのです。
甌穴とは、川の岩の弱い部分が水流などにより窪み、そこに入った石などがぐるぐると回転してその窪みを拡大して穴にしたもののことです。
実は以前ここを訪れた時、甌穴の存在は知ってはいたのですが、その正確な位置が分からなかったため、発見できなかったのです。今回は正確な緯度経度を把握できたので、GPSで簡単に探り当てることができました。
その岩はキャンプ場側の岸辺の、少し大きめの岩にありました。上でレイナが登っているのがそれで、上部に半円に抉られたようなへこみがあるのが分かるでしょうか。
この甌穴の直径は1.8mほどで、深さは4.7mもあるといいます。さすがにこんなに深いと、おっこちたら大変ということで、現在は砂で埋められています。
甌穴を眺めたら、長瀞の石畳へ向かいます。
この右岸から左岸へは歩道橋があります。
その上から眺める荒川と秩父の山々です。
この橋をルンルンと渡って、
長瀞の商店街を抜けたところにあるのが、有名な長瀞岩畳です。
この岩畳は幅80m、長さ500mに渡るといい、結晶片岩が隆起したものだそうです。
その対岸には高さ100m、幅500mに渡る、秩父赤壁と呼ばれる絶壁が立ちはだかります。この名はもちろん、中国揚子江の名勝地『赤壁』にちなんで付けられらものです。
その前に黄色いボートが流れてきました。
『あっ、人が落ちた!』 と思ったら、これは落ちたのではなく自ら飛び込んだもののようで、次から次へと続き、ボートに乗っていた全員が川の中へ。あ~、びっくりした。
このあたりには明神の滝、菊水岩、虎岩といった見どころがあるようですが、そろそろお腹がすいた、ということで、これらはまたの機会ということにして、昼飯処へ急ぎます。
長瀞駅周辺は観光客で賑やかなので、一つ南の上長瀞駅周辺で食事をすることにしました。
ちなみに長瀞駅前の岩畳から上長瀞駅付近までは川辺に遊歩道が設えられているので、余裕があったらこれを散策するのも楽しいと思います。
昼食のあとも荒川の左岸を行きます。
親鼻橋で国道は右岸へ渡り、左岸は比較的交通量の少ない道になります。この先はこの道を進んでも良かったのですが、荒川に下りる道を発見。
その道を進めば最後は階段になって荒川縁に出ます。
ここは川が近くて気持ちいい。
その後は薮を掻き分けて進むちょっとあやしい道になったりもするのですが、なんといってもジオポタですから、まあそんなところでも、なんとか進んで行くのですよ。でもビジターのサオリちゃんとサワちゃんは、jjjと思っていたはず。
そしてそば畑の中を行く、まずまず道に出ました。
こうしたカントリーロードをどんどん行きます。周辺にはコスモスを始めとし、こんな花々が咲いています。
そうそう、真っ赤になったほうき草(コキア)、ダリア、ケイトウといったところも。
ここは黄金色の稲。もう大抵のところで稲刈りは終わっているので、ここはちょっと遅めですね。
先には荒々しい武甲山が見えてきました。
あっちへいったりこっちへきたりと、うねうね進んで、r44から荒川側に向かえば、急坂の下に茅葺きの建物が見えてきます。萩平の歌舞伎舞台です。
歌舞伎は出雲のお国、ってのは止すとして、とにかく歌舞伎は古くから民衆の楽しみの演劇だったわけです。中村屋だのなんだのという専門家が現れ、歌舞伎座なんていう立派な劇場もできたわけですが、農村ではそうしたものとはちょっと違う歌舞伎がありました。
それは専門家によるものではなく、人々の手によって創られるもので、かつては方々の農村にあったようですが、そうした伝統が残っている地方はもうほとんどありません。しかしここには、今では珍しくなった農村歌舞伎の舞台が残り、実際、今年は10月28日に歌舞伎が行われるそうです。
上の写真の右にあるのが舞台で、左にあるのは諏訪神社。このさらに左に、精進堂と呼ばれる、若者などが祭りの時に精進潔斎のために終日を過ごしたという建物があります。
萩平の歌舞伎舞台を眺めたら、いよいよ秩父観音霊場の一つ、札所20番の法王山岩之上堂へ向かいます。
岩之上堂は荒川を見下ろす崖の上にあり、秩父霊場の中でもっとも古い建物だそうです。
お堂の内部には、ちょっと変わった飾りが天井から吊り下げられています。
その奥に12年に一度しか拝めない、観音様が。
岩之上堂からは札所22番の華台山童子堂へ。
童子堂の入口にはこんなお地蔵様がおられます。
その奥に建つのは茅葺きの仁王門で、
両袖にはこんなひょうきんな仁王様がいらっしゃいます。
ここは童子堂というくらいで、子供の病気に霊験あらたかなお寺なので、仁王様も子供向けにこんな姿をしているのだとか。
その観音堂の扉にはなかなか立派な彫刻が施されていますが、こちらは子供向けではないようですね。
内部の観音様も特に子供向けということはないようですが、これは暗くてよく見えませんでした。
童子堂の次は札所28番の石龍山橋立堂へ向かいます。
ミューズパーク付近は森の中を行く道で、これはなかなか気持ちいい。
巴川橋の先で、道はちょっとした上りになります。
そこからは勇ましい姿の武甲山と、大きく蛇行して流れる荒川が望めます。
さらに行くと、先の山の間に浦山ダムが見え出します。
今回、時間に余裕があれば、あのダムでできた秩父さくら湖を周回したいと思いましたが、これはどうやら無理のよう。
久那橋までやってくると、今日何度目になるのか、また荒川を渡ります。
荒川はここから少し先の、埼玉県、山梨県、長野県の三県に跨がる甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)に源を発しており、今日の出発地の寄居で関東平野に出、東京湾まで流れて行くのです。
久那橋のすぐ先、浦山口駅のすぐ近くには大きなカツラの木があり、その足元にお不動様が建っています。
そしてそのお不動様の前には、不動名水という、とてもおいしい湧き水があります。
サイクリングをしていると、よくこのような湧き水に出会います。そんな中にはあまり味がしないものもありますが、ここの水は本当においしいですよ。
不動名水でボトルに水を汲ませてもらったら、本日最後の上りにかかります。
浦山口駅の脇から光西寺の前を通って行くこの道は、ひっそりした山道という雰囲気で、ちょっときつい。
えっこらよっこらとなんとかこの上りをこなせば、札所28番石龍山橋立堂の前に辿り着きます。
この橋立堂は70~80mほどある石灰岩の崖下に建っていて、壮観。
ご本尊は札所中唯一の馬頭観音ということで、境内には、栗毛と白馬の彫像が祀られた馬堂や、奉納されたらしき馬の銅像など、馬に関連したものがいくつか見られます。
そして全長200mに及ぶ橋立鍾乳洞もあります。これは狭いところが多くてちょっと大変です。
橋立堂の次は札所26番の万松山円融寺です。この観音様は、かつては山の上にある朱塗りの岩井堂(観音堂)に安置されていましたが、現在は本堂に移されています。
ここは本堂より、立派な懸崖造りの岩井堂にお参りしたかったのですが、そこまでは石段を300以上も上らなければならないといいます。全員、も~ここでかんべん! というので、岩井堂はまた今度ね。
さて時はすでに17時。この季節はもう日没なので、巡礼はこれでおしましにして、西武秩父駅に向かいます。
ぴったり日没時刻に駅前に到着し、輪行支度を整えたらアフター飲み会へ。
なんと今回は一杯呑み屋ではなく、おフレンチですよ~