今回は栃木県と茨城県の境の田園地帯を走り、地元コンタのお勧め「結城紬」で有名な結城の町を散策します。
出発地点の間々田駅に集合したのはコンタ、シロスキー、サイダー、サリーナの4人。
駅を出るとほどなく田園地帯に突入です。
朝の空気はかなり冷たいものの、広~い空は雲一つなく晴れ渡っています。
『いい気持ちだね~』と田園の中を爽快に飛ばして進みます。
周辺は刈り取りの終わった田んぼのほか、ときどきキャベツや白菜畑が広がっています。
昔ながらの雰囲気の残るいい感じの寺社がありました。
この血方神社は血の神・女性の守護神として、血の病、下の病気を治す神様として信仰を集めているそうです。4月の春祭に地元小学生の舞う神楽『五行の舞』が有名なんだとか。
再び田園地帯を走って行くと、田畑や林の向こうの右前方にくっきりとした筑波山の姿が現れました。
筑波山はここのちょうど真東に位置しています。
筑波山の特徴的な二つの頂がわかりますね。
車がほとんど通らない道を快調に飛ばすコンタとシロスキー。
この時期の田んぼにはなんにもなし。しかしそれがまた味わいとなる風景です。
コースは田んぼのあぜ道のようなところに。
『グーグルマップでこんなコースが出てくるの…?』 と久々に参加のコンタがつぶやく。
そんな細い道の横では、ちょうど白菜の収穫です。
白菜は葉が開かないように頭のところを縛ってありました。ところでこの白菜は箱に『黄芯白菜』と書いてあったので、芯の方が黄色い甘みのある種類のようですね。
そしてコースは結城の町に入ってきました。
水戸線沿いにしばらく行くと結城駅です。
結城駅でプロちゃんが合流。『水戸線は本数が少なくて、乗り換えがヤバかった~』と、本日はちびっこいバイク『キャリーミー』で参加のプロちゃんです。
結城駅前には立派な建物のゆうき図書館があり、そこには市民情報センターも入っています。
早速、結城の町巡り開始です。
結城は鎌倉時代からの城下町だったところで、ここでは『見世蔵』と呼ばれる蔵造りの建物をいくつも見ることができます。これらは明治初期から大正期にかけて建てられ、今でも絣問屋や老舗の商店などとして現役で活躍しているものも多くあります。
こちらは小西金物店。明治初期に建てられた見世蔵で、現在は事務所兼住宅として使われています。
明治20年に建てられたふじの蔵は代々呉服屋さんでしたが、今は観光用の無料休憩所として使われています。
結城の町には木塀を巡らせた立派な住宅もあり、町並みに落ち着いた雰囲気を醸し出しています。こちらのお宅は赤松が見事です。
こちらは蔵を活用した『結城蔵美館』というギャラリーで、ちょっと立ち寄ってみました。
平入の本蔵と妻入りの袖蔵の二棟が建っています。
築後140年にもなるという太い梁の大きな蔵の2階には、天下三名槍の一つという『御手杵』のレプリカが飾られていました。
さらに町巡り。こちらは明治39年築の鈴木紡績です。
蔵の1階部分が車庫になっている建物もありました。
結城の名物は絣のほかに、『ゆでまんじゅう』があります。江戸時代末期に疫病平癒を願って神輿が奉納され、ゆで饅頭もお供えされて、以来、夏祭りには各家庭でゆでて作っていたそうです。
老舗の和菓子屋『真盛堂』では、その伝統の味をもとにしたゆでまんじゅうが有名で、明治36年の蔵を改装した甘味茶屋もあります。
こちらは十字路の角にある明治末期の秋葉喬庸商店。現在は住宅として使われています。
西へ進んで行くと、道の突き当たりにあったのは、弘経寺(ぐぎょうじ)の裏門。これが裏門ですから表門はさぞ立派なのでしょう。
この門の南に煉瓦造の四角い煙突が立っています。結城酒造です。
酒蔵は江戸時代に建てられたもので、いかにも老舗という趣があります。
ちなみにここの煙突の煉瓦は、渡良瀬川の下流にある旧下野煉化製造会社(現野木町煉瓦窯)で焼かれたもの。
こちらはもう一つの造り酒屋の武勇。江戸時代末期の蔵だそうです。
その向かいにはかなり立派な民家が建っています。この一部には蔵も見えています。
こちらも民家で、かつてはやはり商いをやっていたのでしょう。開かれた硝子戸の向こうに広い土間が見えています。
こちらは明治41年建造の会津屋本店。かつては荒物屋を営んでいたそうです。
こうした味わいのある建物を眺めながら、結城の街中を巡る面々。
その結城の中でもっとも見世蔵が残っているのが一帯がここ。
結城紬の問屋奥順の店と二つの蔵、そしてキヌヤ薬舗と、通りに四棟が固まっています。
結城紬は重要文化財に指定されており、その指定要件は、糸つむぎ、絣くくり、地機織の三工程だそうです。2010年にはユネスコの無形文化遺産リストにも登録されました。
奥順は、結城紬の紹介や体験ができる『つむぎの館』という総合施設を運営しており、この資料館と陳列館は一見の価値があります。
さて、見世蔵と結城紬を堪能したら、お昼です。
結城は歴史ある街なので、その雰囲気にぴったりのレストランでランチ。
午後の部は、まず結城から鬼怒川へ向かいます。
とにかく何もない田んぼの中をどんどこ。
街中では見えなかった筑波山が再び見えるようになります。
筑波山は二つの頂きを持つ双耳峰で、東側の女体山(877m)と西側の男体山(871m)とがあります。
ここからは、左に見えるのが女体山。
田んぼの中の道は鬼怒川の土手に突き当たっておしまいになります。ここからは土手上の鬼怒川自転車道で北へ向かいます。
午後から参加のベネデッタが快調に飛ばします。
鬼怒川の河川敷はとても広く、ここの土手上からは川面はほとんど見えません。
河原の向こうにはやっぱりあの筑波山が見えるのですが、良くみればその筑波山の稜線が北に延びて別の山になっています。その左端が筑波山地第二の高さの加波山です。
ほとんど誰もいない鬼怒川自転車道を独占し、広い青空の下をどんどん軽快に走る面々。
そして左前方には白い雪を冠った日光連山が次第にはっきりと見えてきました。
この最も突出した円錐形の山が標高2,486mの男体山です。筑波山の一方の頂も男体山ならこの日光表連山中の最高峰も同名とあり、ちょっと紛らわしい。
その左奥には関東以北では最高地点となる、奥白根の頂が見えます。
自転車道の正面に男体山、大真名子山、小真名子山、帝釈山、女峰山、赤薙山の日光表連山が美しい姿で並んでいます。
久しぶりに自転車に乗った~ というベネデッタもこの壮大な景色にご満悦。
鬼怒川の広い河川敷の内側の堤に渡ると川の流れが見えるようになりました。ここは田川が鬼怒川に合流する地点です。
ここからは田川サイクリングロードをどんどんと北上します。
こちらはサイクリングロードのすぐそばに川の流れが見えます。透き通った水面に鴨がたくさん泳いでいたり、鷺が休んでいたりと楽しい。
日光連山がどんどん近づいてきています。
さらに近づく男体山。
このあたりでは、後ろには随分小さくなりましたが、筑波山がはっきり見えます。北関東を代表する山々を前後に、疾走するサイダー。(TOP写真)
近くには下野薬師寺跡があったのですが、快調に飛ばしていて、寄るのを忘れちゃった。
ということで、田川ふれあい公園でちょっと休憩。ここにはパークゴルフ場があり、サイクリングロードからも使える東屋とトイレが設置されています。
随分日が傾いてきました。川の右岸になったり左岸になったりしながら田川サイクリングロードをさらに北上します。
もう一息、とペダルを踏むサリーナ。
前方に少し高い建物が見えてきました。そろそろ宇都宮市の中心部に近づいています。
宇都宮駅の手前で田川を離れ、少し西に行くと宇都宮城址公園があります。
最初の宇都宮城は平安時代に築かれたと言われ、江戸時代の将軍の日光社参の折には将軍の宿泊場所ともなりましたが、1868年の戊辰戦争で大半が焼失してしまいました。2007年に整備されたこの公園では、その一部を復元して櫓や土塀などが築かれています。
宇都宮城址公園の北西、東武宇都宮駅の近くに、大谷石造りのカトリック教会『松が峰教会』があります。ロマネスク様式の双塔、石造りのこの聖堂は、スイス人建築家のマックス・ヒンデルの設計により1932年に建設されましたが、戦災を受け、その後1947年に復元されたということです。
教会は誰でもいつでも歓迎、ということで聖堂はいつでも見学可能だそうです。ちょうど日没となって灯りがともり、ステンドグラスが美しく輝きました。
教会内部は大谷石の柱のアーチに白い天井、正面奥にはパイプオルガン。静謐な中にも暖かさを感じる空間です。
しばし時間を忘れて佇むジオポタの面々でした。
快晴に恵まれた今年のジオポタ走り納め、青空の下の快適な走りとともに、結城の歴史ある町並みや伝統の技、大谷石の教会など見所の多い充実したポタでした。