この夏の涼み企画第二弾。今日は『海の日』。一昨日台風11号が徳島から広島あたりを通過して日本海へ抜け、昨日関東甲信地方の梅雨明けが発表されました。暑くなる!
今日目指すのは埼玉県の西の端にある八丁峠。この峠は現在は八丁トンネルになっており、標高は1,240mほどです。その周辺は高原ではないけれど、標高がそこそこあるので、まあ、ちょっとは涼しかろうと期待しています。そこまでのアプローチの中津峡は山深く緑豊かで、深い谷底を渓流が流れていますから、こちらも期待できるでしょう。
さて、都心の池袋から電車に揺られて2時間と少々で、秩父のさらに先にある三峰口駅に辿り着きます。この駅は『関東の駅100選』に選定されていて、木造の鄙びた駅舎が味わい深い。しかし、外に出ればすでにそこの気温は30°Cとかなり暑い。
駅前には小さな食堂が二~三軒あるだけで、コンビニやそれに代わる店はなし。ちょっとタイムスリップしたような感じの場所です。そんな駅前を出て荒川右岸のr210を進んで行くと、すぐに深い谷底を流れる荒川に架かる橋に出ます。荒川の対岸にはR140が通っていますが、私たちはしばらくこのままr210を進みます。この道は木陰があって涼しい。
すでに周囲は深い山。
R140には際まで山が迫ってきていますが、さすがに国道だけあり、そこには民家がへばりついているのが見えます。
私たちが進んでいるr210は、先にある小さな集落の先の山の中で消えてしまうようなので、その手前の橋を渡りR140に出ます。
この国道は狭く路肩がない上それなりに交通量があるで、自転車ではあまり走りやすいとは言えませんが、ここはこれしかないので仕方ありません。そしてこの国道には木陰がほとんどないので一気に気温上昇、34°Cなり。
所々で荒川が見えます。東京湾に注ぐあの大きな流れも、上流域のこのあたりでは渓流の趣。
荒川の流れと周囲の緑が、気分的に少し涼しさを与えてくれます。
R140の先にはあっちとこっちから山が迫っています。これからどんどんあの山並みの中へ入って行くのです。
6kmほど進むと大輪の集落を通過します。
ここにはそれなりに歴史を感じさせる建物があり、三峰神社の鳥居も建っています。
大輪の集落からさらに2kmほど進むと、道の駅大滝温泉があります。
私たちの今日のルートでは、八丁峠からさらに下った先までの間、ここがほぼ最初で最後の補給ポイントとなるので、昼食などを買い込みます。この道の駅のWEBには舞茸おにぎりがあるように記載されていましたが、それはまれにしかないようで、仕方なく菓子パンを。
道の駅のすぐ先の落合で荒川を渡る場所を間違え、一本手前の橋を渡ってしまいました。
すでにR140にうんざりしていたので、まあここをちょっと行ってみてもいいだろうと、このまま先に進んでみます。
この道は林道槌打線で、秩父湖から流れ出る荒川に沿って進んで行きます。
ちょっとした森の中を行くこの道は涼しくて気持ちいいのですが、残念ながら今日の目的地とはまるで関係のない方向へと進んで行ってしまうので、1kmほどのところにあった橋を渡り、少し戻ってR140に復帰。
落合以降のR140沿いを流れるのは荒川の支流である中津川です。
荒川は秩父湖のさらに上流に源流があり、こちらはそれとは別の流れです。
走り出して13kmの鶉平(うずらだいら)でこの中津川を渡り、市道に入ります。ここでようやく、走りにくい上に暑いR140から解放されました。
この市道はうねうねと上って、滝沢ダムの南端へと向かいます。上りは辛いけれど、木陰があって涼しい。この道に入った途端、気温は2°下がりました。
しばらく上って行くと、正面にR140のループ橋、雷電廿六木橋(らいでんとどろきばし)が見えてきます。
この巨大構造物は滝沢ダム建設に伴い、中津川上流部のR140が付け替えられたために造られたものです。
そのループ橋の下で道はヘアピンカーブを描き、さらに高度を上げていきます。このあたりは少々きつい。
その先で道は秩父湖方面と滝沢ダム方面とに分れます。滝沢ダム方面の道はここで大きくUターンし、少々きつい坂を上り切ると勾配が穏やかになり、ほぼ直線の道となります。このあたりは広葉樹の緑がきれい。
穏やかなカーブの先に二十六木トンネルが現れ、その手前で右に入る道を進めば、巨大な滝沢ダムが現れます。
滝沢ダムは荒川の治水と東京都と埼玉県への利水を目的に造られた多目的ダムで、1969年に計画が発表され、2011年に完成しました。完成までに要した時間は実に40年を超えている。
このダムの内部は見学できるのですが、この日は時間がなくこれはパス。
しかしせっかくなので、ダムの上を向こう側まで行ってみました。ここからは先ほど下をくぐったループ橋の雷電廿六木橋がよく見えます。
そして小規模ながらもダムからの放水も見られました。
滝沢ダムによって作られた湖が奥秩父もみじ湖。ダム建設に伴い、この湖の底には112世帯の住戸が沈んだそうです。
滝沢ダムからは細い管理用通路のようなものを進んで、奥秩父もみじ湖の南岸を通る市道に出ます。ダムの手前にあった二十六木トンネルをくぐっても、この道に出ることができます。
この道には木陰があり、湖の近くだからか、風がとても涼しい。
奥秩父もみじ湖の真ん中を横切っているのはR140の中津川大橋。その南端は山の中腹で大峰トンネルの中に消えて行きます。
私たちが通っている道もそのあたりを『こまどりトンネル』でくぐり、中津川大橋の向こう側に抜けるのですが、ちょっと面白いのは、このトンネルは大峰トンネルの下を通っているということ。地下鉄を考えれば、トンネルの立体交差など土木の世界ではそう珍しいことではないのだろうと思いますが、それがはっきり目に見える形であるのは、意外と珍しいように思います。
この奥秩父もみじ湖の南岸の道はまったく車が通らず、適度なアップダウンに適度なカーブの連続で、楽しく快適です。
しかしこの道も塩沢もみじ橋でおしまいとなり、 r210に合流します。 r210はR140から比べればぐんと交通量が少なくなりますが、ここからトンネルがいくつも続きます。二番目の雷電三高山トンネルは延長700m近くあり、ちょっと怖い。
道はごく僅かに上っています。r210に入ってからしばらく民家はありませんが、塩沢もみじ橋から4kmほど行くと中双里(なかそり)の集落が現れます。
r210に入ってからここまで中津川はあまりはっきりとは姿を現しませんでしたが、この中双里の橋からはその流れがよく見えます。
集落の奥を見れば川辺に下りる道があったので、この河原で一休み。ちょっと水遊びをして、いい気持ちです。
水遊びで生気を取り戻したら、さらに中津川沿いを上って行きます。
国道で34°Cあった気温は、ここでは28°Cとだいぶ下がっています。
中津川の上流は中津峡と呼ばれています。そこにはあちこちから小さな滝が流れ込んでいて、いかにも涼しげ。
中双里の先で道は仏石山トンネルに入ります。ここにはトンネルが造られる前の旧道が残っているので、私たちはそちらへ。
この旧道はせせらぎが近く、緑も手に取れる近さで好ましいのですが、残念ながらあまりメンテナンスされていないようで、落ち葉や落石があちこちに。ここのトンネルの竣工は1992年なので、この道が使われなくなってから既に20年以上経過していますからある程度は仕方のないことですが、少し残念です。
仏石山トンネルのすぐ先にはこれと似たような持桶トンネルがあり、ここにも旧道が残っています。
この旧道の南端には紅葉で有名な『持桶女郎もみじ』があります。
このあたりの中津川はまさに中津峡と呼んでいい姿。
持桶トンネルの先で中津川に神流川(かんながわ)が流れ込みます。八丁峠へは神流川に沿って上って行くのですが、私たちは休憩のため、中津川の上流にあるこまどり荘へと向かいます。
すると中双里以降見かけなかった民家が現れ、民宿やキャンプ場も。
そうした中に立派な家が建っているのを発見。『源内居』と呼ばれるこの建物は、江戸時代の発明王、平賀源内が鉱山開発のため延べ8年間住んだ屋敷で、設計も源内自らしたものだそうです。
こんなところに平賀源内が住んだことがあるとは、本当に本当に、驚きです。
『源内居』を過ぎると程なく『彩の国ふれあいの森』に到着。ちなみにこの道をずっと先へ進むと、長野県との境にある三国峠に辿り着きます。長野県と埼玉県を直接結び、車が通れる道というのはこれしかありません。この三国峠は二つの国にしか接していませんが、そのすぐ北にある三国山の山頂は群馬県との境でもあるので、三国峠の名が付いたのでしょう。
さて、彩の国ふれあいの森には木材関係などの展示学習施設である埼玉県森林科学館と、宿泊施設の『こまどり荘』があります。こまどり荘にはレストランもあるのですが、この日は臨時休業。え~、三連休なのに休み?
まあそんなこともあろうかと持ってきた弁当を、屋外のテーブルに広げてここで一休み。ここの気温は28°Cと、まずまず快適です。
弁当を食べ終わっていざ出発という段になると、空には怪しい雲が。遠くではゴロゴロと雷様が太鼓を鳴らし始めたよう。まあ、ここにいても仕方がないので、こんな日は雨も涼みになろうと出発します。
まずは神流川との合流点まで戻ります。このあたりの中津川は写真の通り、いかにも涼しげ。神流川との合流点は標高700mほどで、ここから八丁峠まではまだ500m以上上らなければなりません。というより、上りはここからが本番。
神流川沿いに入りました。
この道の名前はr210で三国峠への分岐まで上ってきた道と同じなのですが、下からの道を真っすぐ行くと三国峠方面に行ってしまい、こちらはそこから直角に入る枝道のようにになっています。車線も一車線となり、路面状況も極端に悪くなります。
周囲の山は頭上に迫り、その姿もかなり険しくなってきます。
山道にトンネルは付きもの。ここまでたくさんトンネルを抜けてきましたが、この神流川沿いにもそれはいくつかあります。
しかしここのはみんな短くて、交通量もぐぐ~んと減っているので、ほとんど不安なく進むことができます。
神流川の谷はこんなふう。緑が厚いこの時期には、神流川の流れははっきりとは見えないのでした。
神流川沿いの道の多くの箇所は、すぐ横まで断崖絶壁が押し寄せています。
こうした中にはかなり道にオーバーハングしているところもあり、ちょっと恐ろしい。
いくつめのトンネルか、短いそれをくぐり小さな橋を渡ると、神流川から広河原沢の谷に入ります。
極めで狭かった谷がここで少し広がり、日の光が当たるようになります。すると道の先が急に曲がり、雁掛トンネルの前に辿り着きます。
雁掛トンネルの入口には落石除けなのか、鉄骨で組まれたちょっといかがわしい構造物があります。このせいもあり、このトンネルの入口は湿っていて暗い印象。
このトンネルの延長は400mほどで、極めて長いというわけではないのですが、真っ暗な闇の奥に小さな出口がポツッと見え、距離感が掴みにくい感じ。この写真でもかろうじて分かるように、トンネル内部はごつごつボコボコ。このあたりのトンネルはこうしたものが多い。
雁掛トンネルを抜けると、意外と明るくて少々気が抜けます。先には小倉沢の日窒秩父鉱山のもろもろが見えています。小倉沢はここの地区名であると同時に、ここを流れる神流川上流の川の名でもあります。
国土地理院の地形図にはこのあたりに『せっかい』と書かれているので、手前の白い小山はその石灰でしょうか。
白い小山を過ぎると、いくつか木造の建物が建っています。その一番手前にあったのが秩父鉱山簡易郵便局。
この郵便局はどうやら現役のようで、ちょっとびっくり。こんな山奥でやっていけるのでしょうか。
この郵便局の並びに日窒の事務所らしきものがあり、さらにその奥に鉱山の工場が建っています。
ちなみにこの鉱山は現役で可動しているといいます。
工場群を過ぎると道は上り出し、 金山志賀坂林道となります。
金山志賀坂林道の金は金銀の金です。ここはかつて金山だったというわけです。17世紀初頭ごろ、ここで鉱山が発見され、甲斐の武田氏が金や砂金を採掘をしだしたのだそうです。そして江戸時代には、かの平賀源内も金採掘のために入山したといいます。中津川にあった源内居はこのためのものだったというわけです。
このあたりで標高は1,000mを超え、気温も24°Cまで下がってきました。涼しい!
さて、先を見れば険しい山が行く手に立ちはだかっています。
よろよろと上り続ると、小さな切り通しのようなところを通過。
切り通しは多くの場合、ピークに作られますが、ここはさにあらず。道はこのあとも上り続けます。
このあたりの小倉沢はたった今水が集まり流れ出したかのような、本当に細い流れ。
道はこの先で打ち捨てられた炭坑の社宅ゾーンの横を通り、小倉沢を渡って大きく二度カーブを描きます。この二番目のカーブから勾配が急上昇。これまではせいぜい7~8%だったものが、10%を超すような場面がしばしば現れるようになり、ヘアピンカーブがぐんと多くなります。
もう山を上ることはない、とランドナーからチェーンリングが一枚のBD-1に乗り換えたキルピコンナですが、今日は立派な山コース。やっぱりフロントは三枚とはいわないけれど、二枚はほしい~、とのこと。
そのキルピコンナも最後の力を振り絞って、なんとか上って行きます。
ユキちゃんのフロントも一枚。せっかく付いていたインナーチェーンリングを取っ払ったことを、この日ばかりは後悔するのでした。
後ろを振り返れば上ってきた山並みが見え、横を見ればこんな滝が落ちる。
そんな道を黙々と上って行きます。
そして今度はごつごつした岩壁です。この道は様々に表情を変えてきます。
『もうずいぶん上ってきましたね~、あとどれくらいですか?』とキルピコンナ。
『あと100mくらい、高度で。』とサイダー。
『え..』
『距離にしたら1.5kmくらいかな。』
『え~ぇ~、まだそんなにのこっていたんですかぁ』
そしてここで恐れていた雨が降ってきたようです。しかしどういうわけか、すぐ横の谷にサーッと落ちる音がするのに、私たちの上には落ちてきません。雨の境目?
ここからの1.5kmは遠かった。残すヘアピンカーブは二つ。ヨロヨロ~と一つ目のカーブを廻る。そして緩いカーブをいくつも経て、やっとこ最後のヘアピンカーブに。このあたりはただひたすらペダルを踏み続けるだけで、何も考えられません。そしてついにここで雨粒が落ちてきました。
『うっ、ここで雨かよ~』って思いました、本当に。
これに追い打ちをかけるように、最後のヘアピンカーブの先は激坂! いや、本当のところ、この勾配はよくわからない。ただ激坂に見えただけかもしれません。しかしここでメンバーの多くは押しに。
この最後のヘアピンカーブから先も相当に長く感じました。実際は500~600mほどなのですが。あのカーブの先にトンネルがあるはず。このカーブの先がトンネルのはず。えっ、まだトンネルは見えない・・・
しかし足を回していればいつかは頂上に着くのです。やっとこさっとこ・・・トンネル見えたぁ~ この時の感じは喜びではなく、安堵です。いや~、ここまで辿り着けないかと思ったよ。
八丁峠到着。現在の道の峠は八丁隧道になっていますが、地図にはこのすぐ東に山道があり、そこに『八丁峠』と記されているので、本来の峠はそこなのかもしれません。
トンネル内で雨で濡れた身体をふき、一休み。身支度を整えたらこのトンネルを抜けます。
八丁隧道は延長886mで、路面はコンクリート舗装。照明がないので真っ暗です。夜はもちろん、夕暮れ時でもここを通り抜けるのは躊躇するような、そんなトンネルです。
トンネルを抜けると・・・ そこは晴れだった。上ってきた側はまだ雨が落ちていましたが、こちら側は晴れ。いやぁ~、峠を越すとこんなに天気が変わることもあるものなのですね。
南側にはまったくなかった眺望ですが、この北側には素晴らしいそれがあります。この写真は北東を見ていますから方向は違いますが、ここのすぐ西は群馬県です。
そうそう、この八丁峠の気温は20°C! まったく猛暑の東京を脱出してきた甲斐があったというものです。
しばし峠で眺めを楽しんだら、下界に下ります。ここからのダウンヒルは長い。
30kmで標高差1,000mという下りが続きます。
当然のようにこちら側の道もまた、いくつもヘアピンカーブを描いて行きます。
この写真に八丁峠からの道が幾筋か見えていますが、一瞬あの道はいったいどこの道だろうと思わせるような、そんな下りが続きます。
『わぉ、スピード出過ぎ~』 と慎重派のキルピコンナはブレーキをしっかりかけつつ下って行きます。
これが今私たちが下っている谷。
ぐわんぐわ~んと下って志賀坂トンネルに到着。
志賀坂トンネルは埼玉県と群馬県を結ぶトンネルで、金山志賀坂林道はここでおしまい。道はここからR299となります。
国道になっても志賀坂トンネル付近はかなり山深く、しばらくヘアピンカーブが続きます。
坂本まで下るとヘアピンカーブ区間は終了、一転して直線基調に。
ここからのR299は高速ダウンヒル区間となるので、スピードの出し過ぎに注意してね。
法師落人(ほっしょうど)という、ちょっと変わった名の集落まで下りてきました。R299に沿っては赤平川が流れています。
R299はこの先、小鹿野(おがの)の先でその赤平川を渡るところまで下り続けます。そこまで行くと八丁峠からは30kmほど下り続けることになりますが、徐々に車が多くなってくるので、私たちは小鹿野の手前でカントリーロードに入ることにしました。
こうしたカントリーロードは、民家の庭先をかすめ、畑の間を進んで行きます。
正面に秩父の武甲山が見えてきました。今日の終着点の西武秩父駅は、あの山の麓。あと20kmです。
小鹿野のカントリーロードが終わりR299に復帰するとすぐ、赤平川を渡ります。
ここからは小鹿野町と秩父市の間にある小さな丘を越えなければなりません。
その丘からは、これまで辿ってきた赤平川の谷がずっと先まで見えています。
ここの上りは高度でわずか50mほどなのですが、八丁峠への上りで売り切れた足には少々きつく感じます。
さすがに秩父が近付いただけあり、交通量がぐんと増えてきました。
そこで丘の先にある圓福寺からは再びカントリーロードへ。小山の下に小川が流れ、その脇は緑の田んぼと、ここもなかなか気分がいい道です。
R299でもう一つある丘の周囲をぐるっと廻るようにして進み、荒川沿いに出ました。
先には斜張橋の秩父公園橋(秩父ハープ橋)が見えるようになります。その下まで進むと荒川を渡るちょっと古い『武の鼻橋』があり、その先にはあの武甲山が見えます。ようやく秩父に辿り着きました。
街中に入るとなんとそこには山車が出ています。この日は秩父川瀬祭が行われていたのです。
秩父には12月に行われる有名な秩父夜祭がありますが、川瀬祭はこの冬の夜祭と対比される夏の祭りで、どうやら祇園祭を前身としているよう。この祭りには屋台4台と笠鉾4台の計8台の山車がでているそうです。笛や太鼓、それに威勢のいいかけ声は、やはり夏に似合うようです。
この夏の涼み企画第二弾として発動されたこの企画は、涼み効果抜群で大正解となりました。長く続く上りはそれなりにきついけれど、山はきれい、渓流もきれい。そして峠には眺望もある。長く豪快な下りも楽しめます。今回は秩父の祭りというおまけも付きました。花丸です。