時期的に少し遅くなってしまいましたが、観梅を。東京都内の西部地域にある公園を巡りつつ、梅を繋いで行きます。
残念ながらお天気は曇りですが、とても暖かで、日中の気温は20°Cくらいまで上がるとか。
集合場所のJR中央線豊田駅を出て東へ向かうとすぐ、浅川の流れです。
この川の土手には浅川自転車道があり、本日の紅一点のミルミルを先頭に快適に進んで行きます。
川崎街道の高幡橋をくぐり抜けると、歩道橋の吊り橋ふれあい橋が見えてきます。
さらにその先で多摩モノレールが高架橋を走っているのを眺めつつ進めば、
右手に小高い丘が見えてきます。
本日の最初の目的地である百草園(もぐさえん)はあの丘の上にあります。
浅川と多摩川の合流点から、京王線の百草園駅の横を通り、丘の上の百草園に向かいます。r41川崎街道を越えると上りが始まります。百草園の手前には激坂があると脅かされていたのですが、
『こんな坂なら上って行けそうだね』 と、ビジターのシンちゃん。
いくつか並んだマンションの前を通り過ぎ、90°のコーナーに差し掛かると、道の勾配はグンとアップ。
『そのうち何人たりとも乗っていられなくなるから、どうぞご安心を。』 と、意味不明のことを言うはサイダー。
その言葉の後、もう一度90°曲がると、そこは激坂。いいや、これは超激坂と言うべきでしょう。サイダーの言葉に頷きつつ、
『ここはとても無理ですね。』 と、シンガポールからやってきたビジターのデニちゃんも自転車を降り、ヨタヨタと押し始める。
予言のとおり、何人たりとも乗車していられず、全員押しに。この坂、押してもきついのでした。
あへあへしながら押し上げ、なんとか百草園に到着。
梅は残っているかちょっと心配でしたが、下から見上げると、園内にはまだ白梅も紅梅も咲いていました。
梅は花期が長いのがいいですね。
今年最初の梅を見たのは12月でしたから、二ヶ月以上も楽しむことができるということです。
百草園は四季折々の草花が楽しめるところとして有名で、この時期は、こんな椿や、
可憐な日本水仙も。
梅は遅咲きのものがちょうど満開。
正門から続く階段を上り切ると、そこには大きな寿昌梅があり、その奥に茅葺きの松連庵が建っています。
寿昌梅はもうおしまいでしたが、その足元には見事な福寿草がたくさん咲いています。
そして松連庵の横にはマンサクも。
この花の花弁は極めて細く、ちょっとちじれたようになっています。これは花が終わった状態かと思いましたが実はそうではなく、これが満開の状態だそうです。この花の色は黄色ですが他に赤いものもあるとか。
松連庵の裏手には心字池があり、その周りにも梅がたくさん。
これはピンク。
あなた、どなた?
これは心字池の真ん中にある子育地蔵尊の屋根一面を覆っている植物。苔の一種でしょうか。
三月といえば雛まつり。つるし雛というのをご存知でしょうか。
雛まつりといえば雛人形ですが、それは今でも高価なものです。江戸時代の庶民にはとても手が出るものではなかったそうです。しかし子を思う気持ちは庶民であろうと、みんないっしょ。
それで人々は小さな人形を手作りし、持ち寄って吊るしたのがつるし雛のはじまりだそうです。
この飾りは、子供が衣食住に困らないようにとの思いを込めて作られるもので、モチーフの対象は広範囲で、動物や野菜、花、遊び道具など様々です。
三檪庵の先にはピンクのしだれ梅も咲いています。
心字池の周りを巡ったあとは、その奥にある高台に上ってみます。
この高台のてっぺんには見晴台があり、晴れた日にはスカイツリーも見えるのですが、この日は残念。しかしその分、下の松連庵と満開の梅に視線が集中し、これはこれでなかなかいい景色です。
たっぷり百草園を楽しんだら、大栗川(おおぐりがわ)に下ります。
丘の上にある百草園まではもの凄い上りでしたが、この下りもかなり急で、しかも極めて細い道を行くので、慎重に。
大栗川は八王子市鑓水に源を発し、多摩ニュータウンを抜けて多摩川に流れ込む、15kmほどの短い川です。
この川の両側の道は車の通りが少なく、また河口付近は自転車道になっていて快適。
多摩川との合流点までやってきました。ここは空が広くて気持ちいい。しばしここで休憩していると、デニちゃんがマサキンのブロンプトンのコロコロがないのに気付く。
『あ〜れまぁ、しょうがないから帰りに自転車屋さんで直してもらうことにしましょう。それにしても金喰い虫だな〜』 と、ここのところ愛車の出費に悩むマサキンでした。
対岸にはこれから向かう調布の「郷土の森」が見えています。対岸に渡るにはちょっと戻って関戸橋を渡るしかありません。ということでここで折り返し、今度は多摩川沿いを行きます。
ガッツポーズのデニちゃん、ミルミル、シンちゃんと続いて関戸橋へと向かいます。
関戸橋は橋の下をアンダーパスすれば上流側の自転車道から歩道側へアプローチできたのですが、しばらく多摩川沿いを走っていなかったサイダーはこれを失念、r18を行って来いしてしまうのでした。いや、みなさんゴメン。
なんとか関戸橋を渡り、多摩川自転車道で「郷土の森」に到着です。かつてここは自転車の乗り込みでき、無料だったのですが、今は自転車は進入禁止、入園も有料のようです。この時は梅の季節だから、特別だったのでしょうか。ということでここは、博物館側ではないその横の無料ゾーンをちょこっとだけ散策。無料な分、梅もちょこっとしかありませんでした。
サイダーの言うかつてとは、10年くらい前でしょうか... で、その頃から比べると多摩川自転車道もびっくりするくらい人が多くなっている。
サイクリストはもちろん、ジョガーや散策の人もたくさんで、ちょっと怖いくらい。
このあたりにはサイクリングやジョギングに適当なところが少ないから致し方ないところもあるのでしょうが、それにしてもここは超過密状態です。
あっ、写真はなるべく人がいない安全なところで撮影していますから、そんなに過密には見えないかもしれませんが。まあ、ああだこうだありますが、やっぱりこうした大きな川は空が広くて気持ちいいですね。こうした所を走りたくなる気持ちはよく分かります。
「郷土の森」から向かうは、調布飛行場の北にある「武蔵野の森公園」。郷土の森の出発予定時刻を大幅に遅れた私たちの先頭を引くサイダーは、多摩川自転車道を飛ばす飛ばす。
稲城大橋の先で多摩川自転車道を離れ、住宅地をうねうねと進みます。その先に味の素サッカースタジアムが見えてきました。
このスタジアムを廻るようにして進み、武蔵野の森公園のプロムナードに進入。
進行右手に見えるのは調布飛行場です。プロムナード横に建てられた時計の針は11:39を示しています。
飛行場を横目に見ながら、その北にある武蔵野の森公園の「展望の丘」に到着。時は11:40。サイダーによればちょうど11:40発の神津島行きの飛行機があるんだそうな。
『なんとか間に合った〜』
数分待つと、小さな旅客機が誘導路を向こうからこちらに向かってきました。飛行機の出発時刻は、飛行機が滑走路に向かい出す時刻なので、この便は定刻に出発したようです。
平行誘導路から90°向きを変え、取り付け誘導路へ入ろうとする飛行機です。このあとこの機は、軽快な音とともに滑走路から無事飛び立って行きました。
郷土の森からちょっと飛ばしてここまでやってきた私たちは、神津島行きの便の離陸を見守った後、展望の丘でしばしまったりひなたぼっこ。
この小さな小さな丘には青い小さな花が。これはオオイヌノフグリでしょうか。
この時の気温は20°Cを超えていて、ひなたぼっこというより日焼けサロンにいるような状態になてきました。そこでそそくさと展望の丘を下りて、武蔵野の森公園を廻り始めます。
走り出すとすぐ、掩体壕(えんたいごう)大沢1号なるものが現れます。
ここ調布飛行場は、元は帝国陸軍の帝都防空部隊の基地でした。そんなわけでこの周辺には、飛行機を格納し、敵の爆撃から守るための掩体壕が60ほど造られたようです。その中で残る一つがこれで、正面には飛燕という飛行機の姿が描かれ、この横にそれが格納されている模型が展示されています。
武蔵野の森公園のすぐ東には野川が流れています。
この川縁の細い道は自転車道になっていて、川でバードウォッチングする人々を横目にのんびり行きます。
武蔵野の森公園の次に向かうは深大寺。野川を離れ東へ向かうと、すぐにそれらしい森が現れます。
深大寺の参道は、現在はかなり賑やかになっているので、そのうしろに広がる神代植物公園の深大寺門にアプローチ。神代植物公園はかつては深大寺の寺領だったところで、現在は植物公園の名のとおり、様々な植物が見られる公園になっています。
時はちょうど12時とお昼時。深大寺といえば深大寺そばが有名なので、私たちも深大寺門の近くのそば屋で昼食に。
そして深大寺にお参りです。深大寺はダルマ市が有名だそうですが、それ以外にもこの寺を有名にするものがあるのでしょうか。とにかくここの参道には、周辺のひっそりとした空間には似合わないくらい大勢の人がいます。
神代植物公園にはもちろん梅園もあるのですが、入園料が500円もするのでここは結局パス。深大寺の境内の梅でいいことにしました。
深大寺からはどこをどう通ったのか、とにかく緑道らしい道をどんどこ行きます。
そして着いたのは実篤公園です。
ここは武者小路実篤が1955年(昭和30年)から亡くなるまで、つまり、晩年の70歳から90歳までの20年間を過ごしたところだそうです。
現在ここは細い道路を挟んで二手に別れ、一方には竹林と池があり、もう一方には実篤の旧邸が建っています。
この旧邸はかなりモダンな造りです。実篤は子供の頃から水のあるところに住みたいと願っていたそうで、野川と仙川に挟まれたここはぴったりだったのかもしれません。周辺は現在は住宅地になっていますが、当時はここのような緑豊かな土地であったことは間違いないでしょう。
実篤公園から東へ向かうと仙川の流れに突き当たります。
ここは祖師谷公園で、その中に整備された遊歩道をゆっくり進んで行きます。
祖師谷公園からは世田谷区千歳台の住宅地の中をとことこ行きます。かつて世田谷は比較的良好な住宅地が多いことで知られていました。
ゆとりある敷地に低層の建物、適度な広さの道が良好な住宅地の条件ですが、土地は相続で分割され、どんどん小型化していき、そのため道路際まで建物が建つようになってきて、どこもかしこもミニ開発の住宅地のようなところばかりになってしまいました。
そんな中で緑が残っているところといえば、公園と社寺くらいしかありません。
世田谷区にはいい公園がいくつもありますが、蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)もその一つでしょう。
ここは一般的には芦花公園と呼ばれており、徳冨蘆花が1907年(明治40年)から亡くなるまでの20年間を過ごしたところです。恒春園は蘆花がここに引っ越した時に名付けたものだそうです。
こちらが盧花の旧宅で、茅葺きです。
先の武者小路実篤邸がかなりモダンなものだったのに対し、これは晴耕雨読を旨とした盧花らしいものといえるかもしれません。もっとも実篤は明治18年生まれで昭和51年まで生きたのに対し、盧花は明治元年生まれで昭和2年に亡くなったことを考えると、この差もなるほどと思えるところもあります。
蘆花恒春園でマサキンとコンタが自転車屋に向かうべく離脱。残るメンバーは羽根木公園へと向かいます。
本日のルートの大半は街中を行くものなので、特別面白いものでもないのですが、街中特有の面白さというのはあるかもしれません。それは極細の緑道だったり、
団地内の遊歩道だったりです。
このあたりの住宅地の道路はどれも細く、大した交通量はないのですが、こうした裏道は人通りさえほとんどなく、のんびり行くには打ってつけなのです。
世田谷を代表するもう一つの公園、羽根木公園に到着。ここは梅で有名なだけあり、今日は結構な人出です。
ここの梅もかろうじて最後の花びらをいっぱいに開かせてくれていました。
この花はなかなか気品がありますね。
時は三時半。昼頃には青空も見えたけれど、ここに来て空は厚い雲に覆われてしまいました。なんだかすっかり夕方の感じです。
羽根木公園からは本日最後の公園となる代々木公園に向かいます。
下北沢から代沢あたりの商店街を抜け、
あれ〜、いつの間にこんな色になったの、という井の頭線の横を下り、東大の中を行こうとしたら、なにやらイベントがあるらしくて、大勢の着物姿の方々が行く手を塞いでいます。
ということでここは構内を抜けるのはやめて、外周路から代々木公園の交番前に抜けました。
交番前の交差点からはごく当たり前に井の頭通りをちょっと北上し、
代々木公園の西門から園内に入ります。
この公園は広大なので、このあたりに詳しいデニちゃんに梅が咲いている所を聞けば、
『はい、案内します。』 とのこと。いや〜、この中でうろうろしなくてよかった。
で、デニちゃんが案内してくれたのがここ。
なんと白梅も紅梅も満開です。ここが本日一番の出来映えでした。
特にこれまで紅梅は終わっているところが多かったので、この見事な咲きっぷりに感激の一同です。さらに河津桜が咲いているところを案内してもらい、一足早い『花見』も。
今日の梅は全体としては終わりかけのところが多かったのですが、最後に盛期の白梅と紅梅がいっぺんに見られて、満足な一日になりました。