関東地方ではほぼ田植えが終わり、田んぼがきれいな季節となりました。そして小貝川の畔にある小貝川ふれあい公園のポピーも満開とのことで、今回は筑波周辺の田んぼの中を行き、筑波山に登って、さらに小貝川の畔でポピーを眺めることにしました。
筑波研究学園都市として開発が行われ始めた現つくば市の中心部は、開発から半世紀を経過した今日、立派な都市に成熟しました。
それを加速させた一つがつくばエクスプレスの開業で、都心の秋葉原から45分でつくば駅に到着します。
地上に出ると、中央公園の緑があり、その反対側に1983年に完成したつくばセンタービルの高層ホテルが目に入ります。この建物が出来た時、周辺はほとんど荒野といってもいいような状況でしたが、今ではそれがまったく想像できないほど、たくさんの建物が建ち並んでいます。
その駅前の大通りを東へ1kmほど行き花室川を渡れば、そこはもう都市ではなく、日本の農村の風景になります。
田植えが済んだきれいな田んぼが広がります。
その田んぼの中をどんどこ行けば、
ほどなく小さな流れの桜川に出ます。
桜川の先には双耳峰の筑波山の二つの頂が見えています。
その筑波山の南にあるのは宝篋山(ほうきょうさん)。
この宝篋山、筑波山に比べれば圧倒的に知名度は低いのですが、ハイカーにはかなりの人気で、山頂からは360度の眺望が楽しめます。
宝篋山の裾野には自転車道『つくばりんりんロード』があるので、田んぼの中をりんりんロードへ向かいます。
田んぼの横には収穫を待ついい色になった麦畑も。
りんりんロードが近付いてきました。この時期は田んぼがきれい。りんりんロードより田んぼの中の道の方が快適そうなので、しばらくりんりんロードに入るのは止して、田んぼ道を進んで行きます。
このあたりの田んぼ道はほとんど車は通らず、あらかた自転車道のようなもの。りんりんロードは歩行者や自転車がそれなりに通りますが、こちらはそれさえもなし。
田んぼ道が途切れたところでりんりんロードに進入です。りんりんロードは桜並木で木陰があります。この日はかなり気温が上がりそうで、朝のこの時刻でも強烈な日差し。こうした時には少しでも木陰があると助かります。
りんりんロードも筑波山も初めてなら、バイクもおNewというマサキンが牽く。
しばらく宝篋山の裏に隠れていた筑波山が再び顔を出してきました。
その筑波山を眺めながら、りんりんロードをどんどこ。いつもしんがりで皆を守るは、もはやジオポタの重鎮となったシロスキー。
ほぼ直線の道の先にこんもりした林が見えてきました。
それは鎌倉時代から戦国時代まで小田氏が居城を構えた小田城跡で、ここはかなり長い間、調査や整備がされていましたが、ようやくこの4月に小田城跡歴史広場として公開されました。
小田城跡歴史広場を過ぎると、筑波山の男体山と女体山がはっきり見えるようになります。
左の尖った方が男体山で、右のなだらかな方が女体山です。この二つの頂はほぼ同じ高さですが、女体山の方が僅かに高く、標高は877m。筑波山は百名山の一つですが、その中でもっとも標高が低い山です。
つくばりんりんロードはかつてここを通っていた筑波鉄道筑波線の廃線跡を利用したもので、かつてのプラットフォームも時々現れます。
北条で右に穏やかなカーブを描き、進路を僅かに変えたりんりんロードは、ほぼ真正面に筑波山を据えて進みます。
そして沼田で今度は反対に左にカーブを始めます。
私たちはこのカーブが始まったところでりんりんロードを離脱し、筑波山の上りに入ります。
車はr42を上って行きますが、この道は狭く、結構交通量があるので自転車向きではありません。そこで私たちはそのすぐ南にある細い道を行くことにしました。
最初は住宅の間を行くかなり急勾配の道です。その道がカーブし幅員が狭まると、コンクリートのざらざら舗装の激坂が現れます。ギャー! ちょっと気が萎えるほどの坂道が前に立ちはだかっています。
気を取り直しこの激坂を上り出すも、押しになるメンバー続出。しかしこの坂をなんとか上り終えるとアスファルト舗装の道にぶつかり、やや勾配が落ち着きます。
そこからは民家もなくなり、舗装はされているもののほとんど山道のような雰囲気になります。登山道という標識があったので、ここは現在、歩行者向けの道として案内されているのかもしれません。
上って行くにつれ徐々に幅員が狭くなり、自転車ではすれ違うのが困難なほどになってきます。
この山道はr139に出ておしまいになります。
そこからはr42、『つくば道』、それらの間にある道という選択になりますが、『つくば道』はとても自転車では上れない超激坂だし、間の道もかなり急です。ということで、ここは車はちょっと多いけれど、無難にr42をえっちらおっちら。
r42は車の道だからかなり緩い勾配を期待していたのですが、これがそうでもなく、最後はハヒハヒ。
なんとか筑波山神社の朱塗りの大鳥居の前に辿り着いたのでした。
この大鳥居をくぐり道の突き当たりまで進むと、階段の上に石の鳥居が建ち、参道が奥に続いています。ここに自転車を停め、筑波山神社の境内に入ります。
まず御神橋なる柿葺屋根の付いた桃山時代風の橋が現れます。この橋を始め、筑波山神社の主要な建造物は三代将軍家光寄により寄進されています。なぜ徳川か。江戸に入った徳川家康は筑波山を仰ぎ、江戸城鎮護の霊山と崇めたのだそうです。
その先には立派な随神門が建っており、大きな杉の木や小さな池があります。このあたりで必ず目にするのは、ガマの油売りの口上。
ガマはガマでも四六のガマ、鏡に映った自分の姿を見て、タラ〜リタラ〜リと脂汗を流す、この脂汗から造られたガマの油は何にでも効く万能薬。みたいなことを名調子で語っています。
ところで四六のガマとは、前足の指が四本で後ろ足の指が六本のヒキガエルを指すのですが、日本のガマってみんな四六のガマだって。本当は前後とも五本だけれど、四六に見えるんだそうな。
たっぷりとガマの油売りの口上を効いたら、奥にある筑波山神社にお参りし、さらにその奥にあるケーブルカー乗場に向かいます。
筑波山には山頂付近まで行くケーブルカーがあるのです。
このケーブルカー、1925年(大正14年)創業、日本で五番目に出来たという歴史あるもので、1/3の区間がカーブし、トンネルもあり、ケーブルカーとしてはちょっと珍しいものです。
このケーブルカーに10分ほど揺られると山頂駅です。そこは男体山と女体山の間にある御幸ヶ原といわれる平らなゾーンで、眺望もなかなかよろしい。
御幸ヶ原からは男体山、女体山それぞれの山頂までどちらも15分ほどで行けますが、今回は男体山山頂を目指します。
この途中、写真にある急斜面の岩場を登らなければならず、たった15分といえど気が抜けません。
この難所の先にあるのが筑波神社の男体山本殿で、ここが男体山の山頂標高871mです。
この男体山本殿は筑波男ノ神を祀り、女体山にある女体山本殿では筑波女ノ神が祀られています。筑波山神社は筑波山そのものを神体山として祀っているのです。
男体山の山頂は西側が開け、こっちはどこまでも眺望が続き天気が良ければ富士山も見えるのですが、この日は残念。
山頂付近はとても狭く、ゆっくり座れるような場所もない上、そこに次々と登山者が登ってくるので、そそくさとお参りを済ませ、下山します。
筑波山のあとは昼食です。筑波山の上や筑波神社の参道にも食堂はありますが、これらは観光地によくあるそれなので、江戸時代に作られた筑波山の参詣道である『つくば道』の下の方にあるそば屋に向かいます。
『つくば道』は下るのも恐ろしいほどの超激坂なので、その西側にある道で下って行き、ある程度のところで『つくば道』にアプローチ。そこには筑波山神社の一の鳥居が建っていました。
昼食のあとは10kmほど西を流れる小貝川に向かいます。
ぐわ〜っと下って田んぼの中に出ると、筑波山はあっという間にうしろに。
きれいに稲の苗が並んだ田んぼには、筑波山の二つの嶺がきれいに並んで映っています。
その田んぼの中を西へどんどこ。筑波山の形がだいぶ変わってきました。
桜川流域に作られた田んぼゾーンが終わると、ちょっとした森の中の坂を上り、高台に抜けます。
この高台には田んぼもありますが、畑や牧草地が多く、住宅地や工業団地を抜けて進みます。
R125に出て小貝川に架かる祝橋を渡って行くと、
ゆったりと流れる小貝川の右岸に、赤色、オレンジ色、黄色の広大な地面が見えてきます。
あそこが小貝川ふれあい公園の花畑です。
祝橋の側から、オレンジ色のキンセンカ、
次は黄色のキンセンカ、
そして一番奥に、赤、ピンク、白などのポピーが咲いています。午前中はほとんど無風でしたが、ここに来て風が吹き始め、ポピーの花びらはゆらゆら揺れています。
この日は小貝川フラワーフェスティバルの日で、特設ステージが設けられ、市民コンサートなどが行われていました。
湿度が低く朝方は寒いくらいでしたが、ここに来てぐぐ〜んと気温が上昇、日向は30°Cを軽く超えています。それに加えここしばらく雨が降っていないこともあり、地面はカラカラに干涸び、ポピーもちょっと元気がありません。
さらに今年のポピーは例年より咲くのが早かったようで、5月11日にはすでに見頃という記事があったので、この日はすでにピークを過ぎていたようです。
フェスティバルがちょうど終わったところで、露店のかき氷で身体を冷やしました。
ポピーを見終えたら、小貝川の土手にある自転車道をどんどこ下って行くだけです。
川の向こうにはあの筑波山がしばらく見えています。その筑波山を横目に飛ばすユキちゃん。
ゆったり流れる小貝川の川面はあまりはっきりとは見えませんが、流れの方向が変わるところではこんなふうに見えました。
小貝川ふれあい公園から吹き始めた風は小貝川自転車道に入ったとたんに強まり、これが向かい風でペダルを踏んでも踏んでも中々前へ進みません。
みんなかたまり、一列になって風の抵抗を受けないようにしてのろのろ進みます。
道は真っすぐではないし、時々風向きも変わるのか、少しの間追い風になったりもしますが、基本的に向かい風で苦しい。時々先頭交代して、今牽いているのはマジシャン・マージコ。マジックで風向き変えてチョ。
しかしペダルを廻していればのろのろでも進むもので、いつの間にか筑波山は遥かうしろに遠ざかっています。
小貝川には休憩ポイントとなる場所や木陰がほとんどないので、吉野公園近くにあるコンビニに立ち寄り、ひと息付きます。
その後は、序盤にはあまり見えなかった小貝川の川面が徐々に広がり、先に福岡堰らしきものが見え出します。
ここで風向きが変わり、スーっと追い風に。
この機会を逃すまいとスピードを上げるペタッチでした。
福岡堰に到着。江戸時代に築かれたこの堰は灌漑用のもので、関東三大堰の一つに数えられます。
小貝川と堰の間を流れる用水沿いは桜並木になっていて、福岡堰さくら公園もあります。
堰を渡り、さくら公園側に向かえば、広がった小貝川の向こうにうっすらと筑波山が。
ここまで来れば本日の終着地守谷駅まではもうひと漕ぎです。
福岡堰さくら公園は水遊びができるところや大型遊具があり、子供たちで賑わう公園ですが、先ほどコンビニで休憩したばかりなので、ここには寄らず、桜並木の下をどんどこ。
用水路は進行左手の桜の木の向こう側にあり、釣り人が糸を垂らしたりしているのですが、土手の上に草が生えているので写真には写らず。
用水路が枝分かれするところに架かる橋を渡り、小貝川の右岸に復帰します。
小貝川の土手上の道はほとんど車は通りませんが、自転車専用道ではないため、たまに車が来ることもあります。
伊奈橋で左岸に渡ります。伊奈橋から南は左岸右岸どちらも同じような道が続きますが、守谷の手前に沈下橋があるので、これを渡って守谷駅に向かうためです。
しばらく行くとその沈下橋が見えてきました。意外と長く見えます。
この沈下橋への下り口は、草むらの中の巾1mもないような砂利道で、慎重に下ります。そして橋そのものもかなり巾が狭く、一間ほどしかないでしょうか。自転車で渡るにはちょっと勇気が要ります。
右岸に戻ったらあとは守谷駅に向かうだけです。
時は18時に近付いていますが、日が長くなったこの時期の太陽はまだだいぶ高く、田んぼを赤く染め始めたばかりです。
18時ちょうどに守谷駅に到着。
都合で走行に参加ができなくなたマーコンがここで合流し、いつもの反省会、いや、ただの飲み会に突入です。
田植えが済んだばかりの田んぼは美しく、そこに映る筑波山も青々としていて素晴らしかった。小貝川ふれあい公園のポピーはちょっと時期を過ぎた感があったけれど、キンセンカは見事でした。気温が高く暑かったけれど、木陰は涼しく、とても清々しい一日でした。