関東地方は好天が続くものの3月に入っても気温が上がらず、なかなか暖かくなりません。
そこで、温かいアンコウ鍋でも食べて暖まろうという企画です。
JR常磐線の土浦駅を出発するとすぐ、土浦港です。ここにはヨットやモーターボートなどがたくさん係留されています。
これらの船を横目に進むとすぐに、『つくば霞ヶ浦りんりんロード』の表示が現れます。これは『つくばりんりんロード』と『霞ヶ浦湖岸道路』を一体化した180kmに及ぶ自転車道ですが、まだ完成はしておらず、すぐにごく普通の道に出てしまいました。
その一般道をサリーナを先頭に進んで行くと、左手には水が張られた田んぼのようなものがびっしり。
これはレンコンを採るための蓮田です。茨城県はレンコンの生産量日本一で、そのほとんどがここ霞ヶ浦周辺で生産されているのです。
この蓮田を横目に進んで行くと、ほどなく霞ヶ浦が現れます。
その畔の道路の路面には自転車マークが描かれるようになります。この道が『霞ヶ浦湖岸道路』だと思いますが、これは車も通る道なのでちょっと気をつけて。
蓮田の向こうには、双耳峰の筑波山が見え出します。
『ヤッホー! レンコンに筑波山、そして霞ヶ浦、サイコ〜〜』 と、今日は小径車の輪行が不安でクロスバイクでやってきたクッキー。
ある蓮田で農家の方がレンコン掘りをしていました。
腰まで水に浸かり、小さなボートのようなものに収穫したレンコンを載せています。レンコンを掘るときは、ホースから吐き出されるジェット水流で泥をはじき飛ばして、レンコンを探り当てるようです。
陸地が霞ヶ浦の側へぐ〜っと張り出して行くと、蓮田の側に見えていた筑波山がいつの間にかぐるっと回って、霞ヶ浦の向こうに見えるようになりました。
沖宿のカーブに差し掛かると湖面は突然広がりを見せます。土浦方面に伸びる土浦入(つちうらいり)という水域の中のどん詰まりから出発し、ようやくその真ん中近くまで出てきたのです。
道脇には『西浦』の文字が入った標識が建っています。ここで、
『西浦っていったいどこにあるんだ〜』 との疑問の声を発するものが。
西浦は実はこの目の前に広がっている霞ヶ浦のことです。一般的に霞ヶ浦という場合は狭義の霞ヶ浦を指し、それは北浦に対するこの西浦のことです。ちなみに広義の霞ヶ浦は、西浦と北浦、そしてその周辺の川を含む水域の名称だそうです。
私たちが近付く音に驚いたのか、湖岸から水鳥がたくさん飛び立ち、少し沖の方に着水しました。こうした水鳥には鴨が多いけれど、真っ黒な鵜もいます。
ここ霞ヶ浦は太古の昔は海の入り江でした。それが河川の堆積物などによって出口を閉ざされ内海となり、汽水湖となったのです。現在は水門の設置などでほとんど淡水化しており、かつて獲れたシジミはほとんど姿を消し、他の汽水域に生息する魚も減少しているそうです。現在獲れるのは、ワカサギ、シラウオ、ウナギ、テナガエビ、コイ、フナ、アユなどだそうです。
ごく僅かな弧を描きつつ湖岸の道を進んで行き、崎浜を廻るとちょっと風が出てきました。こういう時は必ず向かい風なのが不思議ですね。
お天気は絶好調なのですが、風は意外と冷たく、脱いでいた中着を再び着だすものも。
湖面から棒のようなものがたくさん突き出ています。
それらすべての先端には水鳥が止まっていて、何か環境彫刻のような感じがしなくもありません。しかしこの棒みたいなものは何でしょう。
それはこんなものの残骸です。そしてそのこんなものの正体は、鯉の養殖場。
これは『網いけす養殖』で、湖の中に5m立方の大きな網を設置し、その中で鯉を養殖する方法です。写真の小屋は管理用のもので、白い小さな箱は自動給餌機でしょう。茨城県は鯉の養殖でも全国トップクラスです。
あちこちにある網いけす養殖場を横目に進んで行くと、志戸崎の手前で霞ヶ浦に陸が張り出した出島と呼ばれるところに入ります。土浦港からはこの出島沖までやってくる遊覧船があるようです。このあたりで右手を眺めれば、そこには三叉沖(みつまたおき)と呼ばれる霞ヶ浦中央部の広大な水面が現れています。
先に霞ヶ浦ふれあいランドの白い塔が見えてきました。そしてその左手にはこんもりした丘が。あの丘の下にはかすみがうら市水族館があり、上には歩崎観音やかすみがうら市歴史博物館があります。
『今日は風が強くて、漕ぐのが大変です〜』 と、必死でペダルを回すマルーンレンジャー・キルピコンナ。
続く桃レンジャーはクッキー、そしてミャンマー帰りの真っ黒クロスケ丸ヨンチェスが最後尾を締めます。
水族館のすぐ手前には小さな志戸崎漁港があります。この漁港は一見、他のそれと変わりはありませんが、ここに停泊している船の中に霞ヶ浦の風物詩である帆引き船があります。
帆引き船の中央部には高いマストが立てられ、その上部に付けられた水平の棒から真っ白な帆が張り下ろされます。舳先の長い棒は、この帆の下側を固定するためのもののようです。この船はシラウオ漁のために開発されたといわれており、その後ワカサギ漁にも使われるようになったそうです。帆引き船による帆引き漁は実は比較的新しい漁法で、明治時代初期に考案されたものだそうです。
志戸崎漁港を出るとすぐにかすみがうら市水族館があり、その先の高台には歩崎観音の展望台が見えます。
あそこに上れば霞ヶ浦のいい景色が見られる、ということですが。。
当然ながらこれには、少し、ハヒハヒしなければなりません。
この坂は斜度はきついですが、高度差は大したことはないので、一気に上ります。
上った先にあるのは歩崎観音。
小さいけれどなかなか雰囲気のある観音堂が建っています。
展望台はこの観音堂の正面、境内の突き当たりにあります。
ここからの眺めは、とにかく広〜い、広〜い霞ヶ浦。何にもないけれど、一日中ぼーっと眺めていられる、そんな景色がここにはあります。
霞ヶ浦がこんなに広かったとは、下を走っているときは気付きませんでした。この広がりが霞ヶ浦の真ん中、三叉沖です。
歩崎観音の後ろには歩崎森林公園があり、その向かいにかすみがうら市歴史博物館が建っています。
この博物館はお城の格好をしていますが、かつでここに城があったというわけではないそうです。展示は、帆引き船関連と船大工道具、農具や漁具および生活用品などの民俗資料、土器や石器といった考古学的資料などで、最上階は展望台になっており、条件が良ければ富士山も見えるそうです。
博物館の南には数寄屋造りのあゆみ庵があり、お茶がいただけます。その横に建つのは江戸時代中期の旧福田家住宅。
このお宅はL地型の平面を持つ曲がり屋という形式で、手前に突き出た方の内部は家畜小屋になっています。このあたりの茅葺き屋根は筑波流という葺き方で、技巧的で装飾的な軒先と棟が特徴です。庭先にははね釣瓶も。
旧福田家住宅の中はこんな感じ。広い土間に板の間、その奥に縁のない畳の間。
曲がった梁と、その下の注連縄が吊るされた簡素な神棚がいい感じ。小屋裏には建築された時に奉納されたものか、大きな矢のようなものが見えます。
博物館と茅葺き民家を眺めたあとは水族館まで下り、再び霞ヶ浦の湖岸道路を行きます。いつしか内陸側はレンコンの蓮田から一般的な田んぼになっていました。この田んぼも広〜い。
そうそう、湖岸を走っていると、時々どこからともなく甘い匂いが漂ってきます。この匂いの源は道脇に建てられた佃煮工場のようです。なんの佃煮かな。
『なんか、お腹が鳴ってきた〜』 と、このうまそうな匂いに刺激される私たちの胃袋でした。
霞ヶ浦ふれあいランドの展望塔の手前に霞ヶ浦大橋が見えてきました。その霞ヶ浦大橋目指してどんどこ行きます。
『あ〜、風、きつぅ〜』
なんとか霞ヶ浦大橋の袂に辿り着き、橋を渡ります。
先には展望塔の『虹の塔』が聳えています。
霞ヶ浦大橋は三叉沖と石岡方面に伸びる水域の高浜入(たかはまいり)の境に架かっています。
高浜入の先には、二つ並んだ頂がきれいな筑波山。
霞ヶ浦大橋を渡ったら田んぼの中を進み、行方市玉造(なめがたし たまつくり)の中心部へ。ジオポタ始まって以来のラーメンを食したら、午後の部開始。霞ヶ浦を離れ、茨城空港を目指して北へ向かいます。
谷島から谷津田の縁を行くと、民家の庭先にはきれいな梅が満開。今朝乗った特急列車は早朝であるにもかかわらず満員でしたが、その乗客の多くはきっと梅の名所である水戸の偕楽園へ行ったのでしょう。
青レンジャー・マサキンを先頭に谷津田を横切って、
谷津田の反対側の縁をどんどこ、どんどこ行きます。
ちょっと丘を上って下って谷津田の枝に入ると、田んぼの反対側の畑は春の植え込みの準備がちょうど終わったところで、赤黄土色のきれいな表情。
こんな田んぼと畑の真ん中に、茨城空港はあります。
茨城空港の旅客ターミナルビルの二階には展望デッキが設えられていて、間近に旅客機が見えます。飛行機までの距離が近いのが、こじんまりした空港のいいところ。
私たちのうしろに見える旅客機は上海行で、もうすぐ離陸です。なんとこの上海行は定期便で、しかも毎日あるというからちょっとビックリ。この便にはいったい何人乗るのでしょう。
茨城空港の向こう側は航空自衛隊の百里基地です。F15やF4といった戦闘機が見られるかと思ったのですが、この日はその影なし。自衛隊は公務員だから週末はお休み? まあ、飛行については地域協定もあるでしょうから、そのためかも。
百里基地の入口には雄飛園があり、そこにはかつてこの基地に配備されていた航空機八機が展示されています。そして茨城空港の横にも、F4ファントムが二機。
茨城空港を出たらさらに北上し、小美玉市から鉾田市に入ります。この道は旧道のようで、両側には古くからの民家が建ち並んでいます。
黄レンジャー・ムカエル先頭に、この旧道の坂道を上って行きます。霞ヶ浦を離れたら風が納まるかと思っていたのですが、どこもかしこも強風でハヒハヒです。
その旧道から再び谷津田に入ってどんどこ。足元には青紫色の可憐なオオイヌノフグリがたくさん。
ここで爆音が轟いたかと思うと、青空に一機の旅客機の影が。あれは茨城空港を飛び立った神戸行の便でしょう。
谷津田の先に待っているのは、それはいつでも上りです。谷津田は丘に囲まれていると相場は決まっているのですから。
えっこらよっこらと林の中の細道を上って行きます。
丘の上に出てしばらく畑の中を行くと、道は穏やかに下り出します。彼方には茨城町の中心部あたりが見えてきます。
ぐわ〜んと下って出たのは、涸沼川(ひぬまがわ)流域の田んぼの中。
涸沼川に架かる県道50号線の涸沼大橋は交通量が多いので、その一本上流の新橋を渡り、涸沼自転車道(茨城大洗自転車道)に入ります。
この河川敷は鬱蒼とした芦原で、野鳥がたくさんいます。小型の猛禽類の鳶もあちこちで舞っています。そうそう、このあたりにはヒヌマイトトンボという、珍しいイトトンボがいるそうです。
芦原と野鳥を眺めながら涸沼川を下って行くと、ほどなく涸沼が現れます。
風が強いので湖面にはけっこう波が立っています。
涸沼のすぐ先は太平洋です。そのため満潮時には海水が涸沼川を逆流し、涸沼に流れ込みます。ここは汽水湖で、なんと百種類を越える魚類が確認されているそうです。
霞ヶ浦ではすでに獲れなくなったシジミですが、ここはその全国的な産地としても知られています。
涸沼自転車道から一般道に出るとほどなく、親沢公園に辿り着きます。
ここはキャンプ場になっており、小さな松林の先にこれも小さな砂浜があります。ひっそりと時を送るのに良さそうなところです。
公園内には数本梅の木があり、どれも良い花を開かせています。
これはほんのりピンク。
親沢公園を出るとしばらくは一般道を行くことになります。
涸沼自然公園の横をかすめ、広浦へ向かうと道脇に漁船溜まりが。ここに多く停泊しているのはFRPの船ではなく、木の和船です。このあたりではまだ漁業がなんとか行われているようですね。
徐々に幅が広くなってきた涸沼ですが、それが最大になるところにあるのが広浦です。
西の端に大杉神社が建ち、その向こうには松の老木が並んでいます。湖岸は穏やかに弧を描き、400mほど続いていきます。
ここは水戸藩第9代藩主徳川斉昭が選んだ水戸八景の一つで、広浦秋月 (ひろうらのしゅうげつ)という碑も建っています。
秋なら月がいいのかもしれませんが、ここから見る筑波山も味わいがあります。
広浦の東側はキャンプ場になっていて、小さなバンガローと風変わりなツリーハウスというのが建っています。
その前の水辺には、なぜか横を向いた赤い鳥居が。
広浦からは終着地の大洗へ向かいます。ここから再び涸沼自転車道になります。進行右手は涸沼川に向かって漏斗の先のように窄んでいく涸沼。
『ウヮハー、風、キツイ〜』 と、呻きつつ進む桃レンジャー。
涸沼が涸沼川に変わると、その先に広大な葦原が現れました。
この葦原の彼方には、涸沼川の先に架かる赤いアーチ橋の大貫橋が見えています。
芦原の先には田んぼが続いています。その中の土手上に続く自転車道をどんどこ行くと、
大貫橋です。
大貫橋を渡ると大洗はすぐそこなのですが、ここから最後の試練が。
涸沼川の対岸を折り返すようにして上流へ向かえば、土手下の道は砂利道で、土手上は地道なのでした。
ダートが苦手なクッキーは、『ギャ=ッ』と叫んでヨタリヨタリ。『お、落っこちちゃう〜ぅ』
土手がなくなり下の道を行けば、それはこんな凸凹道で、身も心もボコボコ。
そしてやっとこさ舗装路に出たと思ったら、そこには激坂が待っていました。
『ふへ〜、最後のこの試練を乗り越えないとアンコウを喰えないとは・・・』 と嘆きつつ、坂道をガシガシ行くマージコ。
なんとかこの上りをこなして、太平洋の大洗海岸に到着。
大洗の海岸は二つの顔を持っています。一つは大洗港より北部の荒々しい磯場。もう一つはその南部の鹿島灘の延長としての穏やかな砂浜の海岸。大洗サンビーチは後者の最北端に位置し、かつてあった砂浜の砂が流出して減少したため、1980年ごろから人工的に整備されだした砂浜です。この時も砂を搬入しているのか、かなり大掛かりな工事がされていました。
大洗の海を眺めたら、いよいよアンコウ鍋です。ちょっとその前に地物の刺身を少々。シラウオにヒラメにサワラ。これはシラウオが良かったですね。
そして焼き二点が続きます。ハマグリとサワラの西京焼き。まあまあ、なんと贅沢な。
そしていよいよアンコウのどぶ汁の登場。
女将が小さめのフライパンを持ってやってきました。パンの中にはなにやら薄いオレンジ色の物体がたっぷり入っています。これはアンコウの肝を軽く叩いたものだそうです。どれくらいの量の肝を使ったかと聞くと、一匹からとれる何分の一かだそうです。ここで使われたアンコウの肝はかなり大きいようですが、当然ながら仕入れた中には外れもあるのだとか。
この肝を火にかけ、木べらでかき混ぜ水分を飛ばしていくと、徐々に良い香りが漂ってきます。これはたまらん! 五分ほど煎ると水分はほとんどなくなり、鳥そぼろのような状態に。
これをパラパラと鍋に落とせば準備完了。そして鍋がぐつぐつ言うまで火にかけたら完成です。あとは鍋をよくかき混ぜていただきます。ちなみにアンコウは骨以外に捨てるところがないといわれており、その他の部位は七つ道具と呼ばれています。アンコウ鍋にはこの七つ道具のすべてが入っています。きも(肝臓)、コラーゲンたっぷりの皮、だい身(柳肉)、ぬの(卵巣)、えら、とも(ひれ)、胃(水袋)。
アンコウの身は白身であっさりしています。普通の鍋ではやや物足りなさがあるのですが、煎った肝を加えることで味にぐっと深みが出ますよ。各部位の食感の違いも楽しめますぞ。
さあ、召し上がれ。