台風が日本海を北上中で天気が少し不安でしたが、予報は曇りになりました。
そこで今回は、あまり天気が良くなくても楽しめそうなところということで、千葉県の花見川沿いにある自転車道を手始めに、北総台地の谷津田とその周囲の高台に点在する古いお寺を巡ることにしました。
今日は一日曇りの予報が、台風の進行が早いのか青空も少し見えています。
JR総武線の幕張駅から東に向かうとすぐ、花見川に架かる浪花橋に出ます。花見川の自転車道は東京湾から始まりますが、私たちはここからそれに入ります。
ここの自転車道は右岸にあり、自転車がすれ違えるくらいの幅で川岸すぐのところを通っています。
路面には今来ている台風の影響でか、あるいは前回のそれのせいでか、落ち葉がいっぱいです。
このあたりは川が近く、川面が良く見えて気持ちいい。
路面に何か動くものを発見。どうやらカニさんのようですが、写真を撮る前に草むらに逃げ込んでしまいました。
道端にはいろいろな花が咲きます。
これはカンナ。昔はあちこちで見掛けたものですが、最近は人気がないのか、あまり見掛けなくなりましたね。
川沿いの自転車道の中にはあまり景色の変化がなくて、すぐに飽きてしまうところも多いのですが、この自転車道は比較的変化に富んでいます。
ここは道幅が広がり、ちょっと森っぽい。
6kmほど走ると花島橋があります。
対岸に見えるこんもりしたところは花島公園で、右岸には花島観音もあります。
この花島橋から先は砂利道になり、川辺もちょっとワイルドになります。
対岸には鬱蒼とした竹林が見え、なにか出てきそうな雰囲気です。
ここの護岸はコンクリートで固められることなく、自然のままなのです。ここには、千葉や幕張といった大都市のすぐ近くだとはとても思えない、とても素敵な環境が残っています。
今日は天候のせいかバードウォッチングをしている人はいないようですが、このあたりにはいろいろな鳥がおり、カワセミを見掛けることもあります。
花島橋からこうした自然豊かなゾーンを3km走ると赤いアーチ橋の弁天橋に出ます。
弁天橋から先にも左岸の道は続きますが、それは土手上の地道となりこの先の京成本線で潰えてしまうので、ここで右岸に渡ります。
弁天橋の上から花見川を覗くと、こんなふう。
なかなかいいですね。
右岸に渡ると道は一般道になり、車が通れるものになります。
この道をダーッ下って行き、京成本線のガードをくぐり抜け、R296成田街道で左岸に渡ります。
成田街道の大和橋のすぐ北には大和田排水機場があります。ここで花見川は新川と名を変えます。新川はその名のとおり比較的新しく作られた人工河川で、たびたび洪水を起こした印旛沼の排水を目的として開削されました。
これまで横を走って来た花見川は元々は小さな川だったようですが、1969年(昭和44年)に新川を含む印旛放水路となりました。
印旛沼とその北にある利根川の間には酒直水門があります。平常時の水位は印旛沼より利根川の方が低いので、大和田排水機場と酒直水門の間にある印旛沼を含むゾーンの水位は一定か、利根川方向に流れます。大和田排水機場は印旛沼の水を利根川に排水できなくなった時に東京湾に流す仕掛けなのです。
ということでこの新川にはほとんど流れは見られません。そんな中でヘラブナ釣りを楽しむ人々です。
新川に入った途端、風景は一変します。川幅が広がり、周囲の空間もぐっと広がり、高層のマンションが見えるようになります。
先にちょっと変わった橋が見えてきました。ゆらゆら橋です。吊り橋なのでゆらゆらと揺れるのでしょう。残念ながらこの時は通行止めになっていてゆらゆら体験はできませんでした。その右手には最近できた八千代中央図書館が建っています。
幕張駅から15kmほど走ると、大屋根が目立つ『道の駅やちよ』に到着。レストランやカフェ、農産物直売所などがあるここは休憩に打って付けなので一休みです。
この時は気温はまだそう高くはなかったのですが、台風の影響で湿度がありました。ここにはおいしいアイスクリームがあるのでそれを頬張りたかったのですが、開店は10時からとまだずいぶん時間があるので、これは断念。
道の駅を出ると空は青い。台風の進行が予定よりだいぶ早いようです。
雲がなくなった新川の上の空はかなり広いです。
道の駅を出ると自転車道の幅員は狭まり、神崎川が流れ込むあたりで新川は大きくカーブします。道脇には桜の木が続き、その下を印旛沼に向け快調に飛ばして行きます。(TOP写真)
ところがこの先で道脇は背の高い植物で覆われるようになります。ここはちょっとワイルド。
印旛沼にだいぶ近付きました。ここでちょっとだけ自転車道を逸れて、佐倉市先崎の集落を覗いて見ることにします。
これは佐倉ラベンダーランドのラベンダー畑で、『濃紫早咲』、『おかむらさき』、『グロッソ』の三種類が植えられています。ラベンダーは6月ごろに花を咲かせますが、この時もごく僅かに花を付けている株がありました。そしてほのかな甘い香りも。
蕨家住宅長屋門。蕨家は江戸時代に名主を代々務めていたと伝えられる旧家だそうで、この長屋門は江戸時代末期に建築され、明治時代に改築されたと考えられています。
今日のコース上にはこのような長屋門がいくつか見られます。
ラベンダー畑と長屋門を見たら、蕨家横の細道から田んぼの中に出て、元の自転車道に戻ります。
自転車道の入口付近でシロスキーが張られていたチェーンに気付かずに首つり状態に。およよ〜。まあ首つりは免れたのですが、転倒しそうになって踏ん張った足の付き方が悪く、痙攣を起こしてしまいました。
自転車道を印旛沼方面に進むとほどなく、小さな手繰川を渡ります。
この川はコンクリートで覆う護岸工事がされていないので、なんだかとってもいい感じです。
r64千葉臼井印西線を渡ると、いよいよ印旛沼です。このあたりは岸が背の高い植物に覆われていて、印旛沼そのものはあまり良く見えません。
先に『佐倉ふるさと広場』のオランダ風車が見えてきました。この風車は日本初の水汲み型風車で、1994年(平成6年)に造られました。羽根や水汲み水車などのメカニズムをオランダで製造し、オランダ人技師により建設されたそうです。
この風車の周りは季節により様々な花が植えられます。
この時期はコスモスですが、これにはちょっとだけ早かったようです。
しかもこの前の台風の影響でか、コスモスはみんな倒れてしまっています。これでは生育にも影響が出るでしょう。
早く立ち直ってほしいものです。
オランダ風車とコスモス畑をバックに記念の一枚。
左から、今日は孫娘がいなくて寂しいマージコ爺、いつもニコニコのシュンシュン、激務で久しぶりに登場となった大爺シロスキー、こちらも久しぶりのミルミル、山男サトちゃん、象にいちゃん。カメラはいつものサイダー。
コスモスは少し残念でしたが、ここで一休みして、第二部の谷津田とお寺巡りを開始します。
自転車道を引き返し、r64千葉臼井印西線の舟戸大橋を渡ります。
千葉県の北部は下総台地(しもうさだいち)、または北総台地と呼ばれる台地です。台地が浸食されてできる低地が谷戸(やと)で、このあたりでは谷津(やつ)と呼ばれています。
ここは師戸川沿いの谷津です。このあたりにはこんな谷津がたくさんあり、複雑に入り組んでいます。
谷津のほとんどには田んぼが造られます。それを谷津田と呼ぶこともあります。
低地の谷津田と元の高台との関係は、この写真のようにはっきりしています。
谷津の真ん中にはたいてい川が流れています。台地の水が谷津に流れ込み、その水がさらに谷津の一番低いところに集まって川になるのでしょう。
この谷津には師戸川が流れています。下流部のこのあたりの師戸川の岸はコンクリートで固められていますが、上流部には自然な土手が残っています。
第二部で最初に向かうは泉福寺の薬師堂です。
これは谷津の反対側の丘の上にあるので、谷津を渡ります。
こうした地形では低地の谷津は田んぼとして使われ、集落は高台に作られるのが一般的です。そんなんで当然、目指すお寺も高台に建っていますから、谷津から高台に上らなければなりません。
この谷津から上がる坂道は大抵きついです。
ちょっとハヒハヒして印西市岩戸にある泉福寺の薬師堂に到着です。茅葺き屋根の三間仏堂で、室町時代後期の建築。様式的には和様と禅宗様が取り入れられています。
ここには銀杏の木が二本あり、実をたくさん落としていました。拾って帰ろうかな〜
泉福寺を出たら谷津に下って、谷津の反対側の丘の上にある栄福寺薬師堂を目指します。
ここでサイダーが痛恨のミス。人がほとんど通らない雨で濡れた日影道を走行中、上からぶら下がったオレンジ色の烏瓜を避けようとした瞬間、スッテンコロリ。続いていたミルミルはサイダーを除けようと、これもコロリ。幸い二人とも怪我は大したことありませんでしたが、サイダーは膝小僧を擦りむき、ミルミルは唇を少し切ってしまいました。いや〜、ミルミル、すまんばい。
あとでこの路面をよく観察すると、まるで油でも撒かれたようにツルツルです。この状態、二週間前の阿武隈にもあったのですが、状況から判断すると、周囲の植物から樹液が大量に出ていて、それが雨で路面に撒き散らされたのではないかと思います。しかしこれ、見ただけでは判断できないからやっかいです。
谷津を渡り栄福寺側の丘の下までやってきました。こんなふうに谷津と高台との境には大抵道が通されています。
ここで後続の様子が変だと思ったら、シロスキーがいつまでたってもやってきません。例のチェーン事件でつった足の具合が良くないようです。今日はツキがない日なのか。
谷津からは当然のように激坂上りで、ここは濡れ落ち葉で危ないため押して登ります。
栄福寺薬師堂に到着。この寺は行基による開基と伝えられ、熊野神社と同じ境内にあります。今では神社と寺が同じ境内にあるのは珍しいですが、これは明治新政府により出された神仏判然令による影響が大きいのでしょう。日本はそれまで永らく神仏習合の時代が続いていたのです。
この薬師堂は先ほどの泉福寺のものと同様、室町時代後期の建築で、棟札に「寛正七年(1466)六月柱立、応仁三年(1469)霜月上棟、文明四年(1472)二月二十三日成就」とあり建立年代が明確です。こうした年代が明確な建築としては千葉県最古のものだそうです。
正面階段上部に突き出た向拝(こうはい、ごはい)は、江戸時代中期に加えられたものだそうです。軒先の納まりは技巧的で装飾的な筑波流と呼ばれる葺き方の影響があるように思います。
ここにも巨大な銀杏の木があり、実が地面を覆い尽くすほど落ちていました。ミルミルは拾って持って帰りたそうだったのですが、どうやら先ほどの転倒で肩を打っていたらしく、これは断念。
さて、栄福寺の次は結縁寺(けちえんじ)に向かうのですが、足がつったままのシロスキーとミルミルはここでリタイアし、北総線の印旛日本医大駅へ向かいました。
残った面々は谷津田の中をどんどこ、どんどこ行きます。
この周辺は千葉ニュータウンとして開発されたところですが、一部にその開発前の状態を残す森があります。
『草深の森(そうふけのもり)』と名付けられたここはその名のとおり、鬱蒼とした草が生える森で、かなりワイルド。最近はあまり森の中の手入れがされていないようで、先日の台風の影響もあってか、折れ枝が散乱し、蜘蛛の巣だらけで往生しました。
押しと担ぎで草深の森を脱したら、森の中を進んで結縁寺の谷津に下ります。
この谷津の縁の道は砂利道で水溜まりあり。ジャリジャリ、バシャバシャ行きます。(笑)
小さな谷津の奥にちょっとした池があり、その先に赤い屋根の門が見えます。ここが結縁寺です。お寺の名前が結縁寺であると同じに、ここは地名も印西市結縁寺となっています。寺の名がそのまま地名になったのです。
池の近くにコスモス畑がありました。
ここのコスモスは佐倉ふるさと広場のそれより少し咲いていますが、まだ満開とはいかないようです。
結縁寺の入口の両側には六角形の石柱が立ち、それぞれの面にお地蔵様が彫られています。六角形の仏塔のようなものはあるにはありますが、この形は珍しいと思います。
もう少し時期が早ければ、この入口から門までの間に真っ赤な彼岸花が咲くのですが、この時それはすでに刈り取られていました。
結縁寺からはちょっとした畑の中を通り抜け、ニュータウンに向かいます。
青いネギが元気にツンツンしていて気持ちいい。
千葉ニュータウンの団地を横目に北総花の丘公園の緑地帯を進んで行きます。
北総線の千葉ニュータウン中央駅付近は高層ビルが並んだ並んだ。
先ほどまでの谷津と森のすぐそばにこんな風景があるなんて、とても想像できませんね。でもここも、ニュータウンができる前の風景は、あんなだったのですよ。
高層ビルが建ち並ぶゾーンから戸建て住宅ゾーンを抜け、古くからある集落に入ると、宝珠院観音堂が建っています。
この観音堂も先の二つのお堂と同様に室町時代後期の建築で、一般に光堂と呼ばれているそうです。須弥壇や来迎柱は漆塗で、厨子などには美しい色彩装飾が施されているそうですが、外観はかなり簡素化された造りに見えます。
ここには観音杉と呼ばれる印象に残る御神木?があります。
宝珠院から下って田んぼの中に出、手賀沼を目指します。
この道端には真っ赤なカンナの花が並んだ並んだ。まるでカンナ通りだねと言っていたら、看板に『カンナ通り』と。(笑)
この広い道も実は谷津を通っており、右手には高台の丘が見えます。
目指す手賀沼はあの丘の向こう側です。
田んぼの中を突き進み、丘を上れば、そこには旧手賀教会堂が建っています。
これはギリシャ正教の教会で、現存する首都圏の教会堂としては最古のものらしいです。この教会堂の設置は1881年(明治14年)とのことですが、現在見る姿からも想像できるように、これは江戸時代の茅葺き屋根の民家を改築したものです。
日本にギリシャ正教を広めたのはのちに大主教となるニコライで、その本山はお茶の水のニコライ堂です。しかしニコライ堂の竣工は1891年で、この旧手賀教会堂よりなんと10年も遅いものでした。
旧手賀教会堂から西に300mほど行くと、手賀城址です。
ここは現在畑になっており、手賀城主の末裔となる方なのか、畑を耕していました。畑の奥には伏見稲荷が建っています。
その伏見稲荷の裏手にまわると、手賀沼が良く見えます。
そして関東平野の雄・筑波山も。
手賀城址で眺めを楽しんだら手賀沼に向かいます。
田んぼの中から手賀沼の土手に上れば、そこには自転車道が整備されています。ここに来て風が強くなってきました。湖畔に生える葦がざわつき、湖面にはさざ波が立っています。
実は午前中に通った印旛沼もこの手賀沼も、水質は全国ワーストランキングで常にトップクラスと、かなり悪いです。
しかしこの快適な自転車道を疾走すれば、そんなことは記憶の彼方へと飛んで行ってしまうのでした。
葦原の先に手賀大橋が見えてきました。
これからあの手賀大橋の袂に向かいます。
湖畔には風を遮るものがなく、向かい風ぎみとなったここはちょっとアヘアヘぎみですが、それでもなんとか進んで行きます。
そんなところに突然通せんぼするものが現れました。それはなんと白鳥です。
この白鳥、人慣れしているのか、一向に動く気配がありません。
なんとかこの白鳥さんの横をすり抜け、手賀大橋を渡ります。
陽がだいぶ傾いてきました。
手賀大橋を渡って手賀沼の北岸に着くと、そこには細い遊歩道が設えられています。
この湖岸の遊歩道からはほとんど手賀沼は見えませんが、それでも手賀沼の雰囲気を感じながら西へ進んで行きます。
手賀沼公園に辿り着くとちょうど日没の時刻で、沼の向こうにゆっくり太陽が落ちて行くのが見えました。
このコースは一見地味ですが、いろいろな種類の道が楽しめ、二つの湖とオランダ風車、そして三つの茅葺き屋根の観音堂と、それなりに見どころもあります。何といっても自然の地形の谷津を行くのが最高に楽しいです。