上野原駅北口より
快晴! すばらしいお天気です。
都心から西へ向かう電車が高尾を過ぎた頃、窓から外を見れば、なんとそこは真っ白。え、いつの間に曇りになっちゃたの、と一瞬思ったのですが、これは霧が立ちこめていたのです。気温が下がってきたこの季節は、日が照りだすと一気に土中の水分が暖められて水蒸気となり、霧になるのです。
上野原駅北口にて
しかし電車が上野原駅に到着した時には、もうこの霧はほとんどなくなっていました。
さて、今日のイベントは何というか、ジオポタとしてはちょっと風変わりとでも申しましょうか、コースの半分は山の中のハイキングなのです。それも自転車を担いでの。そんなわけでか参加者は少々少ない3名。この人々はモノズキというものですね。(笑)
上野原駅からの上り
まあそんなではありますが、マージコとシュンシュンは、『絶景の富士山が見られるよ』というサイダーの甘〜い言葉に乗せられてしまったと言った方が正しいかもしれません。
まずはその絶景の富士山が見られるという場所に向かいます。上野原駅から北へ向かえば道は上り。
正面に要害山
中央高速道を跨ぎ、R20を突っ切ってr33上野原あきる野線に入り、新井で枝道に入ると正面にポッコリとしたお椀を伏せたような山が現れます。
要害山
要害山。
この山の標高は536mと周囲のそれらと比較しても特別に高い方ではありませんが、女性の乳房を思わせるその形は独特です。山の形だけならこのような姿のものは他にいくらでもあると思いますが、この山が特に乳房を連想させるのは、山のてっぺんに飛び出した木が乳首に見えるからでしょう。地元ではこの山はまさに『おっぱい山』と呼ばれているそうです。
激坂を上るシュンシュン
鶴川に架かる鏡渡橋(きょうどはし)を渡りそのすぐ先を左折して進めば、道はいつしか激坂上りに。この日シュンシュンはいつものブロンプトンではなく、クロスバイクで登場。
『今日はブロンプトンではきついかなと思いまして。』 とのこと。
要害山の麓に向かうマージコ
正面に要害山が見えてきましたが、この坂、意外としつこくてなかなか終わりません。
まだまだ序盤なのに、すでにこの坂でハヒハヒです。
小倉から北を望む
なんとか激坂をこなすと小倉の集落で、ここからは北に谷が続いているのがよく見えます。
そしてこの集落の裏山という感じで、要害山はこのすぐ左に見えています。
山神社
小倉の集落を過ぎると道は山の中に消えて行き、上方に山神社の鳥居が現れます。
この鳥居の下、写真の真ん中の山道には『要害山入口→』とあります。要害山は2016年に上野原市がハイキングコースを設定し、雑誌に紹介されたことから最近ハイカーに人気だそうです。
大倉へ向かう
私たちはこれから要害山に登るのですが、できるだけハイカーと遭遇しにくいルートということで、ここからではなく、少し西にある大倉の集落から登ることにしました。大倉ルートの方が山頂付近の勾配が穏やかなようでもあるのです。
ということで山神社からは一番下の道を行きます。ここからは地道となり周囲は杉林で薄暗く、ところでころぬかるんでいて、すべるすべる。ほとんど山道という雰囲気の中をなんとか進んで行きます。
大倉の集落
そろそろギブアップとなりそうなころ、ようやく先が明るくなり、大倉の集落が見えだしました。なんとここまでですでに、やっと着いた〜、という感じになっています。今日はこの先まだまだ長いのに、最後まで行けるのかな。
この写真の右に上っている山が要害山です。これからまさにあの斜面を登って行きます。こうして見ると、斜度、結構きつそう・・・
大倉から富士山を望む
大倉の集落からは、じゃ〜ん、富士山〜
マージコとサイダー
山頂もばっちり。今日は最高の富士山日和となりました。この景色に見とれるはマージコとサイダー。
『ここの富士山もいいけれど、要害山の山頂からの方がもっときれいに見えるよ。』と、サイダー。
大倉頂部
しばらく富士山の容姿に見とれたら、大倉の集落の上へ上へと上って行きます。
要害山登り口
集落の一番上にある水槽まで上るとそこが要害山への登り口で、案内標識に手書きで『要害山入口』とあります。
ところがその案内標識が指している道は草茫々で、最近はここをあまり人が歩いていないことを示しています。山神社側のハイキングルートが整備されたので、きっとこちら側から登る人が少なくなったのでしょう。
要害山登り口付近
『この道、本当に行けるんですか?』 と、心配そうにシュンシュンがつぶやく。
『行けるはずじゃがの〜。まあ万が一行けなくなったら戻ってくればいいだけじゃろ。』 と、いつもいい加減なサイダー。
下草が生えているのは入口のところだけで、森に入るとすぐにこれはなくなりました。しかし序盤から勾配はきつく、すぐ担ぎになってしまいました。それでもなんとかかんとか上っては行けるようです。
倒木
道がちょっと怪しくなったので周辺を調べてみると低い石垣が残っており、ここが古くから使われてきた道であるらしいことがわかりましたが、この石垣は尾根へではなく等高線に沿って延びているようなので、元のルートに復帰して尾根を目指します。
ところが、『あっちゃ〜、木がたくさん倒れている〜』 と、先頭を行くサイダーが呻く。今年は大型の台風が何度もやってきているので、その影響でしょうか。
障害物競走
『ぎゃはっはっ! これじゃあまるで障害物競走じゃないですか。』 と、マージコは嬉し苦し。
絶妙な高さで木が横たわっていると、下をくぐり抜けるのもむずかしいし、上を跨ぐのもこれまたむずかしいのです。
杉林
周囲は植林されてからまだ日が浅い杉林で木々は細く、山はそれなりに手入れがされています。
この森の中を押したり引いたり担いだりしながら、なんとか登って行きます。
尾根が見えた
30分ほど悪戦苦闘すると、ようやく尾根が見えてきました。
『ほえ〜〜、やっと着いたよ〜。。。ホッ』 と、全員ここで安堵のため息。
尾根の十字路
尾根には道案内の標識と石灯籠が立っており、今私たちが登ってきた大倉からの道は反対側の登下(とっけ)に下って行き、要害山山頂と用竹・権現山を結ぶ道と交差します。
要害山山頂方面
ここからは要害山山頂方面に向かいます。
尾根道なのでここからはほぼ平らかと思ったら、山頂方面にはこんな障害が。
自転車に股がるシュンシュン
この障害を乗り越えるとそこは平坦で、ちょっとだけbiking。
まあ乗れるのは本当に僅かな区間だけですが、ちょっと嬉しい。
山頂付近
さらに先にあるもう少し低い段差を登ると、そこが要害山の山頂です。
山頂は平らで広く、案内板に『大倉砦跡』とあります。かつてここには主郭があったようです。
乳首の木
山頂の東寄りには高い木が二本生えています。
これが下から見たとき乳首に見えた木ですね。それなりの年の木ですが、昔々誰かがこの山をおっぱいにするために植えたのかもしれません。
北の山々
この山頂は、ほぼ360°の眺望が開けています。
北には紅葉が終わりつつある山。
南の風景
そして東にはその名の通りの、山の中に開けた上野原の街が見え、南には丹沢の山々と真白な富士山。
下の大倉から見た富士山は裾野が切れているのですが、ここからだと西に延びる裾野がきれいに見えます。(TOP写真)
登下への下り
要害山の山頂を楽しんだら、登下へ下ります。
この下り道もメインのハイキングルートではないのであまり歩かれておらず、道が消えてなくなりそうなくらい狭くなっているところがありました。
登下
登下の出口は民家の庭先でこれにはちょっとびっくり。
登下からはトツケ沢沿いを下って行きます。この下りは結構な勾配がある上に、路面に砂が撒かれているので慎重に下ります。
尾続大橋から北を見る
登下入口のバス停のあるところでr33上野原あきる野線に出ると、そこからはごく普通の舗装路になります。これを北に向かえば尾続(おづく)で、要害山から先に続いていたハイキングルートはここに降りてきているようです。
行く手の谷の先には土俵岳(どひょうだけ)あたりが見えています。
神戸
用竹(ようたけ)を過ぎ、神戸(ごうど)の入口にあるふるさと長寿館まで来たら、その向かいにある小径に入ります。
鶴川右岸
この小径はすぐに鶴川の右岸を行くようになるのですが、杉林の中で日当りがなく、夏場は涼しくていいと思いますが、秋も深まったこの時は薄ら寒い感じです。
鶴川
しばらく鶴川右岸を行き鶴川を渡ると、
大垣外
大垣外(おおがいと)でr18上野原丹波山線に出ます。
この道は鶴峠を経て奥多摩の小菅村に抜けますから、通られたことがある方も多いでしょう。
とんがらしの家
このあたりになると、家々は伝統的な造りのものが増えてきます。
この家の軒先には真っ赤なトンガラシが干されています。庭はきれいに手入れが行き届いており、全体的にとてもいい雰囲気です。
沢渡
上野原市棡原(ゆずりはら)の沢渡(さわたり)までやってきました。ここからは本日の第二部に入ります。第二部は今は通る人がほとんどいない古き道を行きます。この古き道は写真の左に見える急坂の奥にあるのですが、カーブと建物の影でこの入口が見えずにうっかり通り過ぎてしまいました。
うろうろしているとこのすぐ先の民家のおばあちゃんが声を掛けてくださいました。このおばあちゃんによると、裏山に道はあるけれど、それは人一人がやっと通れるくらいで自転車ではとても行けない。最近は歩く人もいなくなったのできっと荒れているだろう。というものでした。しばらく道の様子を聞きながらおしゃべりしていると、そこの娘さんが柚子をたくさんプレゼントしてくれました。ありがとう、おばあちゃん、娘さん。
古き道のある山
おばあちゃんに別れを告げて裏山に向かいます。その裏山というのがこれで、山頂に高い木が生えていたらこの山もおっぱい山になりそうですね。
私たちが目指す道はあの山の右手の鞍部を越えて、向こう側の小棡(こゆずり)に下っているはずです。
沢渡のイチョウ
ちょっと戻って小径に入り激坂を上って行くと、道のおしまいにお寺があり、その境内に黄色く色づいたイチョウの木が立っています。
イチョウはちょうどいい頃合いですが他の木々はすでに茶色くなってしまっています。このあたりの紅葉はもうおしまいのようです。
伝統的な民家
お寺で道は終わりかと思ったら90°曲がって、さらにその先まで続いていました。
そこには大きな伝統な造りの民家が並んで建っています。
狭まった道
この民家の先で道はぐっと狭くなり、いよいよ山道という雰囲気になります。
イチョウとセイヨウヒイラギ
この道の入口にはまっ黄色のイチョウとセイヨウヒイラギの木があります。
セイヨウヒイラギ
セイヨウヒイラギは真っ赤な実を付けており、これを見るともうクリスマスが近いことを思い出させてくれます。
もみじ
細道に入って行くとそこにはオレンジ色に輝くもみじが。
周囲の紅葉はあらかた終わっていますが、こんなふうにところどころに残っています。
古き道に突入
カーブを廻ると道はさらに深い森の中へ入って行きます。この入口には『ウォークラリー入口』という標識が立っているので、ここでウォークラリーが行われたのでしょう。
ここまでの路面は舗装されていましたが、この先はいよいよ地道になります。
開けたところ
最初は薄暗い針葉樹林の中を登って行きますが、すぐに明るく開けたところに出ます。
上野原側の景色
左手に谷が開けると、これまで登ってきた側がずっと先まで見通せます。
切り通し
道が再び薄暗い針葉樹林の中に消えて行くと間もなく、上に切り通しが現れます。
あのポッコリ山の右側の鞍部に辿り着いたのです。
十文字峠
『なんとかピークに辿り着いた〜』 と、ほっと一息のシュンシュンとマージコ。
この切り通しには小さな板切れに手書きで『十文字峠』とありますから、かつてはここで道が交わっていたのかもしれません。
等高線を行くシュンシュン
十文字峠には『クマに注意! このカンをたていてから進みましょう』とあり、杉の木に一斗缶がぶらさげられています。もちろん私たちはこの一斗缶をガンガン叩いて先に進みました。
この先は少し下ると等高線に沿って進むようになり、僅かな区間ですがなんとか自転車に跨がれました。しかしこのルートで自転車に跨がれたのはここだけで、その他の区間はすべて押しか担ぎということになってしまいました。
橋を渡るマージコ
しばらく行くと小さな沢が現れます。そこにはこんな立派な橋が架かっています。
この道はもう集落間の行って来いには使われていないと思いますが、森林の作業用として使われているようです。
沢とシュンシュン
沢の様子です。シュンシュンのうしろの板はウォークラリーの問題のようで、温度計の絵が描いてあり『沢の温度は何度でしょう?』というようなものでした。
そこでシュンシュンが沢に手を入れ調査。『ん〜〜ん、冷たい温度!』 だそうです。
熊よけ缶を叩くサイダー
この沢の先にも熊よけ缶があったのでサイダーがガンガン。
これだけ頻繁に缶が設置されているということは、かなり本気で熊が出るということでしょうね。
木漏れ日を受ける落ち葉
この森はあらかたが針葉樹なので薄暗いのですが、時々広葉樹のところがあり、そんなところでは地面まで木漏れ日が届きます。
落ち葉でびっしりのここはなかなかいい感じです。
原っぱ
突然日の光が強くなったと思ったら、そこは原っぱでした。薄暗い森の中からいきなりこんなところに出ると、クラクラと目眩がしそうです。
ここには少し平場がありそこには畑が築かれていたようなのですが、こんなところから作物を運ぶのはかなり困難だったでしょうに。
この原っぱはぽかぽかで気持ちがいいので、弁当を頬張ります。
激坂下り
原っぱの先は再び森に入ります。ここからはかなり道幅が狭くなるので落っこちないように注意して進んで行きます。
ここには谷側にロープが張られています。おそらくこのロープはウォークラリーのために設えられたのだと思います。ウォークラリーは誰でも参加できる気軽なゲームのようなものだと思っていましたが、このルートには危なっかしいところがあちこちにあり、ウォークラリーの認識を改めさせられました。
ここは傾斜がかなりきつい上に落ち葉が浮いていて滑りやすいので、慎重に下ります。
沢
再び沢まで下りました。ここにも先ほどと同じような橋が架かっています。
水はきれいで夏は涼しくて良さそうですが、この時は季節が季節なだけに、ちょっと薄ら寒い感じがしました。
石積み
横を見ると低い石積みがあります。
これがいつごろからあるのかはわかりませんが、もしかするとかなり古いものかもしれません。
岩場
しばらく進んで上を見上げると、そこには緑色がかった岩場があります。この辺りは局部的にか、岩石でできているのです。
先ほどあった道横の石積みの石もここのものなのでしょう。
石祠のある切り通し
ここでスイッチバックし、最後は自転車を担いで登って行くと、先に切り通しが現れました。
切り通しのシュンシュン
この切り通しにはお地蔵さまや石碑がいくつか並んでいて、なかなかいい感じです。
こういったものがあるということは、ここが間違いなく古くからある道だということです。
小棡
切り通しを抜けると、下に小棡の集落が見えました。
いや〜、この景色を見たときは本当にホッとしました。沢渡からここまで2kmしかありませんが、1時間半も掛かってしまいました。一時は山道が延々と続いて終わらないんじゃないかと思ったほどです。
小棡最深部の民家
小棡集落への入り口は写真の民家の庭先でした。
ご迷惑にならないようにそっと通らせて頂きました。
小棡から西へ続く古道
小棡でいったん車道に出ますが、お寺の奥から再び西へ向かう古き道に入ります。
その入口にある民家の方によると、この先は完全な山道で、向こう側に抜けるまで普通に歩いて40分は掛かるとのこと。自転車を担いでだともっと掛かるよ、と。
広葉樹
この道の入口付近の周囲は広葉樹で明るく、いい感じ。
紅葉
紅葉もまだ少し残っています。
石碑
地道を10分ほど進むと尾根に出ます。
そこには小さな馬頭観音と人物が彫られた石碑が立っています。昔はこの道を馬が荷を背負って行き来したのでしょう。
石ころが多くなる
そのうち道にやたらに石ころが多くなってきて、自転車を押し上げるのが辛くなってきました。ここまでの状況からして、この付近だけを人工的に舗装したとは考えにくいです。
周辺をよく見てみると木の根っこの間にも石があります。ここは自然の岩場で、それが長い年月をかけて砕け、道に敷かれたような状態を作り出したのでしょう。
帳塚原
小石の次は原っぱです。ここには『帳塚原』という案内板が立っています。
今はススキの原と化していて、草茫々でちょっと歩きにくいです。
倒木の山
帳塚原から再び森の中に入ると、そこは倒木の山でした。
この前の台風によるものでしょうか。道の上にある倒木は移動され、おそらく運び出せるように枝が払われています。しかし何本かはそうした作業の後に倒れたのか、道に横たわったままになっています。そうしたものは乗り越えたりくぐり抜けたりするのですが、足場が悪いのでなかなか一筋縄ではいきません。
南の景色
森が明るくなると、木々の合間から少しだけ南の景色が覗きました。
針葉樹の暗い森では、こうしたちょっとした明るい景色にも心を慰められます。
笠松峠
小棡から1km、50分ほど自転車を押したり引いたり担いだりの悪戦苦闘をすると、切り通しが現れます。
笠松峠のシュンシュンとマージコ
この切り通しには十文字峠同様、小さな木っ端に『笠松峠』と書かれています。
このあたりで一服したい気分なのですが、ここは薄暗く、先はまた深い針葉樹林となるので、一息付いたらさっさと下り始めます。
下り道で倒木を乗り越えるマージコ
笠松峠から少し行くと道はとても狭くなり、どうも道とは呼べそうにないものになってしまいました。このすぐ手前に下る道はあったのですが、国土地理院の地形図の破線はここからさらに高度を上げているのです。ところがそちらに進むことができないのです。笠松峠まで戻って再確認するも、他に進むべき道はなさそうです。
ここは無理をせず、明らかな道である下り道を行くことにしました。
抉り取られた古木
するとこの道がまた倒木だらけで汗アセ。中にはこんな古い木もあります。大きすぎて移動できないので、一部を抉り取って歩けるようにしてあるのでしょう。
こんな道をなんとか進んで行くと、どうやら予定ルートに復帰したようです。地形図が間違っていたのか、その後何らかの事情でルートが変更になったのかはわかりませんが、まあとにかくこれで一安心です。
笠松峠出口
どんどこ下って行くと森が開き、下に民家が一軒現れました。
ホッ!
この民家が見えた時の安心感といったらありません。私たちが今歩いてきた道はまだ人の手が入ったところで、完全な自然の中に放り出された状態とはだいぶ違いますが、それでも行き先を失うなど、ちょっとした困難があると人間は凄く心細くなりますから。
舗装路現る
舗装路に出た〜〜
紅葉
ここは上野原市西原(さいはら)、集落は藤尾か六藤(むそうじ)だと思いますがはっきりしません。
もみじの最後の残照がきれいです。
西の景色
穏やかな下りの道を行くと西に眺望が開きました。山深いところに集落があるいい景色です。
このあとは藤尾を抜けて西原まで行き、鶴川の支流の初戸川右岸を下るつもりにしていましたが、時間切れです。
初戸川左岸
六藤のr18上野原丹波山線まで下り、初戸川左岸を下ることにしました。
この道には奥多摩方面から鶴峠を越えて来ただろうロードレサーに股がる人々がたくさんやってきます。
鶴川沿いの紅葉
初戸(はど)で初戸川が鶴川に合流すると、このあたりはもみじの紅葉が最後の輝きを放っています。
下るマージコとシュンシュン
六藤からはずっと下りで快走するマージコとシュンシュン。
『ようやくここに来てバイクに乗った感じですね〜』 と、久しぶりに足を回すシュンシュンでした。
鶴川沿いの紅葉その2
実はこの企画は、山に入れて紅葉にぎりぎり間に合いそうなこの一週間前に開催する予定でしたので、この日はあまり紅葉には期待していなかったのですが、標高の低いこのあたりではなんとか間に合ったようです。
芦瀬
芦瀬まで下ってきました。先に見えるのは、沢渡から入って十文字峠を越えた山です。
こちらから見ると残念ながら、おっぱい山には見えませんね。
向風から南を望む
沢渡のおばあちゃんちの前で一瞬おばあちゃんに挨拶して行こうかと思いましたが、昼寝しているといけないのでこれは止め、先に進みます。
棡原でr18上野原丹波山線がr33上野原あきる野線にぶつかってからも鶴川左岸を行きます。向風(むかぜ)まで下って来ると、先に丹沢山系の山々が見えるようになります。時は15時半の少し手前ですが、もうすっかり夕暮れという雰囲気です。上野原で小腹を満たし、藤野まで下って上がりとなりました。
今日のコースは私たちにとってはかなりイレギュラーなもので、正直に言えばもう少し乗車率が高いと思っていたのですが、台風の影響もあってか、ほとんどが自転車を押し担ぐというものになりました。ですから自転車のコースとしては一般にはお勧めしません。要害山も棡原から西原に掛けての古い道も、少なくともこの日は自転車で行くには環境が悪すぎました。
要害山に登るなら山神社から歩いた方が良さそうです。棡原からの古い道は、ウォークラリーの開催後だったら道が整えられているとは思うのですが、やはりこの道も歩く道だと感じました。
まあしかし終わってみれば、たまには1日たっぷり自転車を押し歩くのも、そんなに悪くはなかったかもしれません。(笑)