2019年の年明け。ジオポタ走り初めの1月5日は、青空が広がりぽかぽかと暖かい絶好のポタ日和です。ここ数年の走り初めは七福神巡りでしたが、今回はレイナの提案で趣向を変えて、「江戸五色不動尊」巡りです。
最初に訪れたのは目黒不動尊。仁王門には総勢11人がそろい踏み(TOP写真)。
仁王門をくぐった参道には屋台も出ていて、お正月気分が盛り上がります。
目黒不動尊は正式名称を泰叡山瀧泉寺といい、開山は808年だといいます。今から1200年も前のことです。
まずは参拝前の手水で身も心も清めているのは、左から青カッパのサリーナ、久しぶりのデニーちゃん、七福神のようなマサキン、黄色カッパのムカエル。
そして、大本堂に至る男坂のふもとに独鈷の滝があります。
この龍の口から流れ出るのは、開山以来涸れずに流れているという霊水『龍御神水』。その水が流れ落ちる池には不動明王の像があり、人々が順番に並んでお水を掛けて拝んでいます。
男坂を上ったところが大本堂です。
こちらには不動明王がいらっしゃるそうですが、秘仏で12年に一度、酉年のみの御開帳なのだそうです。今年は猪年だから、次はあと10年後。
大本堂にお参りします。
大きな朱色の提灯には「目黒不動尊」の文字。そして五色幕が色鮮やかで、お正月の華やかな気分を盛り上げています。
大本堂の裏に回ってみると、銅製の穏やかなお顔の大日如来様がいらっしゃいました。1683年につくられたのだそうです。
目黒不動尊をあとに東へ走り出すと、ほどなく目黒川にぶつかります。
大都会の中を流れる目黒川は、お花見の桜並木でも有名ですね。川沿いをユッキーが引き、デニーちゃんが追いかける。
川の両側に桜並木が枝を伸ばし、「開花の時期は見事でしょうね〜」とレイナ。
そしてレイナがどんどん引きます。
今日のレイナは自走で目黒までやってきました。今年は走り屋に転向なのか?
続いて先頭交替したのはコンタです。今年も元気に栃木から参加する栃木2人衆の1人ですが、最初の目黒不動尊から参加とはエライ! もう1人は昼からかな?
そして通過する丸い建物は、大橋ジャンクション。ここは首都高速道路3号と中央環状線を結ぶループ状のジャンクションで、屋上は「目黒空中庭園」として四季の庭と散策路がつくられているそうです。
池尻の交差点を渡ると、ここから目黒川は地下を流れ、地上は緑道となり自転車道になっていたり遊歩道になっていたりします。
そんな緑道をどんどん西へ進みます。
そして、ちょっと路地を入ったところに次の目的地「目青不動」がひっそりと佇んでいました。戸建住宅の家並みの中の小さな広場という趣きで、ほっとする空間です。
まずは、お参りしましょう。
このお寺の正式名称は「竹園山最勝寺教学院」といいます。明治42〜44年にこの場所に移転してきたそうですが、「目青不動」と呼ばれる不動明王像は、明治15年に廃寺となった観行寺から遷されたものだとか。
お参りするジオポタの面々。
その不動明王像は秘仏で、前立ちの像が見られるはずですがよく見えません。
網のフェンスの前に、「こんなお姿です」と絵が置いてありました。
住宅地の中の小さな広場、目青不動の日だまりでちょっとのんびりしていましたが、そろそろ出発。
ここからお昼処の目白に向けて、新宿の高層ビル群に向かいます。その前に、激坂の路地を一漕ぎ。
幹線を回避して生活道路をつなぎながら、代々木八幡の横を抜けて走っていきます。
ユッキーが引く。このあたりは低層の大きなマンションもあり、意外に緑も豊かだったりします。
そして、新宿中央公園の南端までやってきました。
超高層ビル群に隣接するここは、新宿区内で最も大きい区立公園で、もともと工場や淀橋浄水場の跡地が公園として整備されたものです。
南ブロックにはちびっこ広場があり、親子連れがたくさん遊びに来ていました。
私たちは公園の北ブロックへと、立体交差を渡っていきます。
こちらは「区民の森」というエリアです。高い木々の間から木漏れ日が差しています。
「いい気持ちですね〜」とレイナ。今日はほんとにぽかぽかと暖かい。
公園を出て高層ビル群の間を抜け東京医大病院前の交差点を渡ると、その北側は細い路地の短冊形の街区となり、昔ながらの町割りが残っています。
隊列を引くデニーちゃん。西新宿中学校の横を通り抜けます。
そして大久保エリアに入りました。山手線と西武新宿線の線路をくぐると、エスニックタウンの雰囲気が現れてきます。
ユッキーの横を、笠をかぶった女性が自転車でお店に到着。タイ料理のお店のようですね。
小さな公園を抜けると突然現れたのは、赤や黄色の原色鮮やかな看板が林立し、レストラン、食材店、屋台、洋服屋、化粧品のお店、小物店と、さまざまな韓国のお店がぎっしりと並ぶエリアです。
狭い路地はお客さんで大にぎわい。女の子たちがホットクをかじりながらウインドウショッピングしています。私たちも何かつまみたかったのですが、昼食前なのでじっとガマン。
人ごみを抜けた少し先に、ちょっと変わった小さな公園があります。ギリシア風の列柱があるのはなぜか。
ここは小泉八雲記念公園です。「怪談」などで知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はギリシアのレフカダ島に生まれ、1890年に来日し、ここ大久保で生涯を閉じました。新宿区とレフカダ町はこの縁をもとに有効都市となっており、小泉八雲終焉の地である大久保にギリシア風の公園を整備したのです。「八雲は大久保に住んでいたんですね〜」と、歴史好きなミルミル。
続いて明治通りを渡り、戸山公園に入り、立派な木立の中を駆け抜けていきます。
この一帯にはもともと尾張徳川家の下屋敷があり、回遊式庭園「戸山荘」がつくられていました。明治時代には陸軍戸山学校などの軍の施設がつくられ、戦後は団地や大学、高校、そしてその一角が都立戸山公園として整備されました。
公園内にある「箱根山」は江戸時代の庭園の築山で、標高44.6m。山手線内では最も標高の高い「山」です。
ムカエル先頭にわっせわっせと箱根山アタックに挑むジオポタ。
全員無事、箱根山アタック成功。戸山公園サービスセンターに行けば、登頂証明書ももらえるそうです。
箱根山から北へ、多目的広場のあたりを通ります。「なつかしいなあ〜」と感激しているのは、この近辺で学生時代を過ごしたマージコ。
甘泉園公園入口で、栃木2人衆のもう一人、ベネデッタが合流。甘泉園は、江戸時代は湧水の庭園だったところで静かなたたずまいの名所ですが、お昼の時間が迫っているため本日は立ち寄らず、目白方面へと向かいます。
神田川沿いをサリーナが引く。
そして、宿坂を上る。この道路面に丸がたくさんあるところ、激坂マークですね。余裕のVサインはユッキー、それをひたひたと追うマサキン。
宿坂は江戸以前からある古道で、古鎌倉街道の関所があったところと言われています。
雑司ヶ谷駅に近い静かな通りの一角に、フランス地方料理のレストラン「オーボン・コワン」がありました。
クッキーがお店で合流し、ここでゆっくりお昼タイム。
長いテーブルを用意してもらい、12人が揃って「いただきま〜す!」。
このランチが凄い。厚切りテリーヌの前菜に続いて、肉か魚の主菜。本日のお肉は鶏もも肉に濃厚なクリームソース。そしてデザートはバナナタルトとチョコレートムース。
おいしくてボリューム満点、しかもリーズナブルで、みんな大満足でした。
おなかいっぱいになってまったりと過ごしていると、お店の外にうろうろと怪しい人影が見えます。
昼過ぎに目白不動で待ち合わせしているシンチェンゾーが、待ちきれずにお店の様子をうかがいに来たようです。「じゃあ、出発しますか〜」とベネデッタが引く。
すぐに到着したのは目白不動。ここは金乗院というお寺で、ここで祀っている目白不動尊は、ここから1kmほど離れた関口駒井町(現在の文京区関口)の新長谷寺にあったものだそうです。
目白不動明王は秘仏のため見ることはできませんが、階段を上った不動堂の前にはお地蔵様がずらり。
目白不動尊にお参りしたら、本日最大の12人+カメラのサイダーで不動堂をバックに記念撮影。
青空の快晴、笑顔の面々。あれ、シロスキー、ちょっと影ってるよ〜
目白不動を出て東へ向かうと、再び神田川と合流します。
そして正面に屏風のように聳えているのは、ホテル椿山荘です。
この神田川沿いには肥後細川庭園があり、その隣には関口芭蕉庵があります。
関口芭蕉庵は、松尾芭蕉が神田上水の改修工事に携わった際に住んでいた住居跡が元になっているそうで、池や庭園が公開されています。
神田川沿いの江戸川公園を過ぎて小日向エリアに入り、ここから春日通りまでは細かい上りが続きます。
「上りは楽しいねえ〜」とシンチェンゾー。ギアが壊れそうで、それどころではないベネデッタ。
春日通りを渡り、播磨坂を下って小石川植物園の横に入ります。最近、敷地回りの塀がとりかえられ、道路も改修されて雰囲気がよくなりました。
最近新たにゲットしたライトブルーのブロンプトンにまたがり、るんるんと先頭を行くコンタ。
しかし、コンタの新車はギア2枚のみなので坂道には弱い。「激坂はつらい〜」と立ち漕ぎダッシュするコンタ。続くはマージコ、ミルミル。
この坂は小石川植物園の西面にあたり、植物園内の西端にある「東京大学総合研究博物館 小石川分館」の赤い建物が見えます。この建物は、明治9年に建築された旧東京医学校の本館で、昭和44年に本郷より移されました。
白山、本駒込を走り抜け、やってきたのは4つ目の五色不動、目赤不動尊です。
このお寺は南谷寺といい、1616年に比叡山の南谷にいた万行律師によって開かれたそうです。言い伝えによれば、この方がお告げにより伊賀の赤目山で祈願していて授かったのが黄金の不動明王像だったとか。赤目山で授かったので「赤目不動」と言われていたのですが、三代将軍徳川家光により、目黒不動・目白不動にちなみ「目赤不動」と呼ぶようにと言われて現在に至ります。
不動堂は戦災で焼失し、1983年の再建です。お参りするミルミル。
不動堂には、この不動明王様がいらっしゃいます。戦災での焼失を免れたそうで、小さいながらぐっとにらみをきかせており、背後の焔も迫力ですね。
不動堂前には六地蔵が並んでいます。
そして、その背後には3人のお地蔵様、ベネデッタ、マサキン、サイダー。
目赤不動を出発し、千駄木から谷中へと細い路地を進んでいきます。
こちらは観音寺の築地塀。幕末頃につくられたものだそうで、土の間に瓦を入れたこの土塀は谷中のシンボルの一つとなっています。
築地塀を過ぎるとすぐに谷中墓地に入ります。ここには15代将軍徳川慶喜や渋沢栄一など、著名人のお墓もあります。
そんな墓地を走り抜けていき、
日暮里駅のすぐ横の芋坂跨線橋を渡ります。
JR山手線、東北本線、常磐線などと京成本線、線路はいったい何本あるでしょうか。この日は電車の姿が全く見当たらず、これも珍しいんじゃないかな? 遠くにスカイツリーが見えます。
東日暮里から三ノ輪へと向かいます。
通りには車はほとんどなく、隊列で走るジオポタに子どもたちも目を丸くしています。「おじさんばっかりだ!」って驚いていたらしい(笑)
そして三ノ輪の大関横丁交差点にやってきました。「このあたりに目黄不動尊があるはずなんだけど」とサイダー。
それがこちら、永久寺です。大通りに面していますが、高層ビルに囲まれ門も閉ざされてひっそりとしています。
脇の扉から入らせていただくと、本堂の横に不動堂がありました。
目黄不動尊の石碑もありますね。
合掌礼拝でお参りします。
「この不動明王様、すっくと立って凛々しいですよ!」と盛り上がっているクッキー。
こちらがその不動明王様。脇侍を従え、火焔の光背の立像です。
さて、江戸城から見て5つの方角を時計回りに巡り、これで目黒、目青、目白、目赤、目黄と五色が揃ったはずですが、サイダーがさらに東へと引いていきます。「え、これで終わりじゃないの?」と追うユッキー。
実は目黄不動はもう一つあるのだそうで、それは、隅田川を越えた荒川沿いの平井にあるといいます。
サイダーに引かれて隅田川までやってきました。高層マンションが聳える隅田川沿いの土手を上っていきます。
随分日も傾いてきました。
そして隅田川のほとりに到着すると、「おお〜!」とみんなの歓声が上がります。
夕陽の水辺のちょうど真正面にスカイツリーが見えているではありませんか。思わずカメラ小僧となる面々。
撮影タイムが終わったら、後ろにスカイツリーを従えて、隅田川の土手をしばらく北上します。
千住汐入大橋をで隅田川を渡ると、その先は足立区です。
川沿いには再開発の高層マンションが並んでいます。
そして、堀切から今度は荒川沿いを走ります。
荒川沿いは広くてまっすぐな自転車道が続いています。通る人も少ないので、ちょっと固まって集団走行写真などを撮ってみました。みんな写っているかな?
こんなまっすぐな道を見ると走り屋の血が騒ぐぜ、とダッシュして先頭を突っ走るシンチェンゾーです。
果敢にそれを追うベネデッタ。
他の面々は夕陽を見ながらマイペースで走り、総武線の線路をくぐったところで荒川を離れます。
荒川からすぐのところに、もう一つの目黄不動がありました。最勝寺です。
寺院に入ると右手には、蓮の鉢や枝振りのいい松の奥に不動堂があります。とてもいい雰囲気ですが、ガラガラと雨戸を閉めている音がしています。時刻は午後4時40分、もうお寺を閉める時間になっていました。「少しならいいですよ」と言っていただき、お堂を拝ませていただきました。
正面は本堂です。
この最勝寺、以前は隅田川畔にあったそうですが、駒形橋の架橋工事による区画整理のため大正2年にこの地に移転したそうです。
さて、これにて「江戸五色不動」六箇所の不動尊巡りは無事終了。
平井駅の近くでジオポタ新年会に突入です。
新年会はちゃんこのお店「紫鶴」。新年会のみ参加のアンドレとタキスキーが合流し、みんなでカンパ〜イ!
初ジオポタはお天気に恵まれ、楽しいポタとなりました。今年もみんなで楽しく走れますように。