二月も半ばを過ぎ、雛祭りの季節がやってきました。この時期は各地で雛祭り関係の様々なイベントが行われますが、私たちは茨城県の真壁を尋ねることにしました。
都心から列車で一時間ほどのところにある常磐線の石岡駅に降り立ったのは、いつもパワフルなミルミル、いつまでも少女のふりをしているクッキー、マージコ爺、カメラのサイダー。快晴です。一週間と一日延ばした甲斐がありました。
駅前から西へ少しいくとR355に突き当たります。このあたりの町名はその名も『国府』。かなりすごい名前です。
石岡には今から3万年前の旧石器時代から人が住んでおり、このすぐ近くには『常陸風土記の丘』があります。そして8世紀に常陸国分寺と尼寺が建てられていることから、そのころの石岡は常陸国の中心だったと考えられるので、この国府といういう名も頷けなくもありません。
この国道は旧街道のようで、道沿いには歴史ある建物が残っています。江戸時代の建物のほとんどは昭和初期の大火により焼失してしまったため、その後建てられた看板建築がこのあたりのもっとも古い建物になります。
左は昭和5年建築の十七屋履物店。左官仕上げの外壁でクラシカルな洋風のデザイン。真ん中は久松商店。この銅板張りの外壁のオリジナルは戦時に供出されてしまいましたが、復活しました。右は土蔵造りの福島屋砂糖店。伝統的な造りの土蔵に見える外壁は、実は土ではなくコンクリート製だそうです。このあたりにはまだこうした看板建物がいくつか残っています。
国道からちょっと入ったところには国府公園があります。ここの噴水の上にはやさしい感じの女性像が立っています。
よく調べれば、石岡は長らく常陸府中(ひたちふちゅう)や常府(じょうふ)と呼ばれた県名発祥の地で、常陸国の国府が置かれた都市なのだそうです。
国府公園の西には常陸國總社宮があります。常陸國はほぼ今の茨城県のことですが、さて總社宮とは? これは八百万の神々を一ヶ所に合祀した神社のことだそうで、ようはここにお詣りすると何にでもご利益があるという、かなり便利な神社と言えましょうか。
激坂を上って行くと表参道の鳥居の前に出ました。この表参道は大正時代の造営の際に整備されたもので、今はほとんど使われることのない裏参道もあります。
鳥居をくぐって進むと随神門です。なんとこの随神門は茅葺き屋根。
本殿と同じ1627年(寛永4年)頃造営された境内最古の建造物の一つだそうです。
随神門をくぐると神楽殿が見えます。この時その中は雛壇飾りで埋め尽くされていました。ここ石岡もこの時期は市中で雛祭りが行われているのです。
この神楽殿の向かいには小さな社がいくつか建ち並んでいます。これらは、酒造の神様を祀る「松尾神社」、縁結と藍染の神様「愛染神社」、火伏の神様「愛宕神社」と「厳島神社」、氏子町内の1つ香丸町の稲荷神社、そして府中三光宮の1つ「星宮神社」だそうです。
奥へ進むと拝殿の前に出ます。
かつてこの拝殿は茅葺き屋根でしたが、焼失し建て替えられたものです。
拝殿の向かいには小さな神武天皇遥拝所の社があり、その横に大楠の御神木が立っています。
樹齢600年、樹高17m、樹周4mというこの大木は火災でダメージを受けましたが、なんとか蘇生したそうです。めくれ上がった樹皮が痛々しくも、迫力があります。
常陸國總社にお参りしたら、やってきた表参道を戻ります。
この参道には町内から奉納された灯篭が並んでいて、祭事には提灯が掲げられるそうです。
石岡の街中を出て恋瀬川に向かいます。
道はすぐに田んぼの中に。
田んぼの突き当たりに恋瀬川は流れています。
先には男体山と女体山の二つの頂を持つ筑波山が。その筑波山目掛けてミルミルが飛ばす。
恋瀬川の土手に続く道は自転車道として整備されています。この自転車道はかなり狭く、対向車が来たらちょっとどうしようと思うほどですが、まずその心配はありません。
今日はまだ二月の半ばで日中の最高気温は一桁台の予報だったのですが、快晴の上風もないので日向の気温は高いらしく、早くも中着を脱ぎ捨てます。
筑波山の標高は877mで決して高い山ではありませんが、真っ平らな関東平野の中にあっては一際存在感があります。一見単独峰に見えますが、北には加波山系の山々が連なり、南には宝篋山461mなどがあります。
これから私たちは手前に見える山にある朝日峠展望公園に向かいます。
このあたりは都心より気温が低く、梅もちょっと遅いのですが、ここでは白梅がいい感じになってきています。
かすみがうら市の上志筑(かみしづく)に入ると、この集落の民家はみんな大きく、びっくりするくらいです。
その中の一軒の蔵の横の紅梅はすでにピークを過ぎていましたが、少し離れてみるとまだなかなかいい感じです。
このお宅には立派な門があり、なんと鬼が載っています。これはまさに鬼瓦ですね。
そして隣のお宅は鯱ですよ。
上志筑を出ると筑波山へ繋がる山の一番下を廻って進んで行きます。
ということで、ここは針葉樹の中。周囲には花粉を貯めて真っ赤になった杉の木がたくさん。今日はほとんど風がなくて良かった〜
雪入(ゆきいり)にやってくると、ここにも巨大な門を持つ民家が。この門、普通じゃあないですよね。中にある母屋を見るとどうも普通の農家風の造りなのですが。
とにかくこのあたりには、あんぐり口を開けてしまうような大きな家がたくさんあるのです。
雪入で谷津がぐっと狭まると雪入沢林道に入ります。この道、のっけから激坂で即押しです。
とにかく自転車に股がろうという気が起きない。いや仮に股がったとしても漕ぎ出せません。
まあ、押しと決めてしまえばこっちのもの。もうアセアセしなくていいんです。ゆっくり上りましょう。しかし午前中からポカポカでとても暑く、結局みんな汗びっしょりになってしまいました。
で、終盤の勾配が緩くなったところで、乗ってきたふりして自転車に股がるクッキーです。
この先でr236に合流したのですが、この県道がなんとダート。ボコボコの砂利道で走りにくいの何の。結局また押しです。
少し行くと砂利があまりない地道になりました。ここは掘り割り状で道の両側が競り上がり、両側から木々が被いかぶさってきているので、なんだかトンネルのよう。
『今日もやっぱりサイダー道、あったんですねぇ。』 と、ダートの上りにアヘアヘのクッキー。
『でもここは熊は出ないから大丈夫だよ〜』 とごまかすサイダーでした。
ダートが終わると、そこにはきれいなしだれ梅が咲いていました。
まだ咲き始めですが、ほんわかした、いい感じの梅です。
ここは『いやしの里』という宿泊施設で、その前からは霞ヶ浦方面の眺望があります。
今日はちょっと霞んでいますが、霞ヶ浦、おおっきい〜
いやしの里の先で道はr236フルーツラインに合流。
ここは南側に視界が開けていて気持ちいい。
フルーツラインの頂点から表筑波スカイラインに入り少し下ると、朝日峠展望公園です。
この入口は二箇所あり、東側のそれは裏口という雰囲気で、入っていいのかどうなのか迷うような造りだったので、一度通り越してしまいました。
なんとか朝日峠展望公園に到着です。
この天辺には東屋があり、家族連れがお弁当を広げていました。今日は本当にピクニック日和です。
東屋から南を見れば、茨城県南部の関東平野と霞ヶ浦が見渡せます。
ここはパラグライダーの滑空場になっていて、このあたりを盛んに飛び回っていたマージコはとても嬉しそうです。
逆光ですが記念の一枚を。
朝日峠展望公園で一休みしたら、ちょっと戻ってr138フルーツラインで八郷に下ります。
柴内で昼食をと思ったら、予定していた蕎麦屋が臨時休業。ありゃりゃ。
近くにもう一軒蕎麦屋があったことを思い出し、無事食事にありつきました。
この蕎麦屋から見た筑波山です。2つの頂が並んで見えます。
さて、八郷地区に入ってきました。このあたりはかつては八郷町でしたが、石岡市に合併されたため、現在はどこにも八郷という名は残っていません。このあたりを単に石岡市の八郷地区としか呼べないのは残念です。八郷には茅葺き屋根の民家が70ほど残っており、今日はそのうちの数軒を訪ねます。
まずは辻の坂入家。このお宅は国の文化財になっているだけあり、大きくて立派。棟中央の煙出しの越屋根と土庇は瓦葺なのが面白い。この前ここを訪れた時には屋根の半分の茅が葺き替えられたばかりで色の違いが目立っていましたが、それは今ではすっかり馴染んでいます。
辻から弓弦(ゆづり)へ向かうと、畑には緑色の麦が。
うしろに平べったく横たわる山が、先ほどまで悪戦苦闘した朝日峠がある山です。
弓弦の茅葺き民家はどうなっているでしょう。この前来た時からすでに七年が経っているので、なくなっているお宅もたぶんあるでしょうからね。
屋根に梯子が掛けられ、なんだか屋根の下地が見えるような。もしかして解体? と一瞬思ったのですが、よく見ると茅の葺き替え中でした。ホッ!
かつて茅葺きは『結い』により村人の手によって順繰りに行われていたのですが、今では勤め人も多くなり、何より茅葺きの技術を持つ人がほとんどいなくなっているので、専門家の手に寄らざるをえなくなっていると思います。この日は日曜日なので葺き替えの作業そのものは行われていませんでしたが、時間があったら見学させていただき、話を伺わせてもらいたいところです。
しかしこの日はいろいろあり、ここまでなんと40分の遅れ。これ以上遅れるわけにはいかず、これは断念。残念!
弓弦からは青柳に向かいます。
先には頂が一つになった筑波山。
下青柳にやってきました。ここには茅葺きの長屋門があります。長屋門は武家のものでしたが、時代が下ると苗字帯刀を許された農家や庄屋でも造られるようになり、明治以降は裕福な農家でも造るようになります。
このお宅は奥にある母屋も茅葺き屋根でしたが、それはどうやら取り壊されたようで、新しい建物になっていました。これは老朽化や住み難さから致し方ないことだろうと思いますが、ちょっと残念ですね。
ここに来て、隠れていた筑波山がまたよく見えるようになりました。
手前にある頂は女体山で、向こう側の頂は男体山です。この二つの頂はほぼ同じ高さなのですが、ここからだと男体山はずいぶん低く見えます。
上青柳には二軒の茅葺きの家が残っています。この二軒はどちらも木崎さんなので南北を付けて呼ぶことにします。
こちらは南の木崎家で、前回来た時には映画のロケの準備中でした。立派な構えは当時のままです。
南の木崎家の片隅には小さな茅葺きの建物が建っています。
これは虚空蔵さまをお祀りするお堂で、棟の両端のキリトメという部分には『木崎』という文字と卍が彫込まれています。棟にブルーシートが見えるので、ちょっと傷みがあるようです。
南の木崎家から北へ向かうと田んぼの先に、ほとんど風景に溶け込むようにして北の木崎家が建っています。パッと見ると、どこに茅葺きの家が建っているのかわからないでしょう。
日本の伝統的な建物はその土地の土と草と木とでできていているので、こんなふうに周囲になじむのは当然なのです。素晴らしい!
北の木崎家には立派な門が建っています。
この門の屋根は瓦葺きで、棟には漆喰による龍の細工が見えます。先の東日本大震災では多くの瓦屋根が落ちましたが、ここは大丈夫だったようです。
このお宅は母屋のほかに書院も茅葺きで、立派な錦鯉が泳ぐ池があります。その傍には形の良い松の木があり、ちょうど咲き始めた梅がいい感じ。
このあたりで『ぐし』と呼ばれる棟は竹でできており、簀巻き状になっているのがわかります。その先端部のキリトメには『寿』の文字があります。
小幡が近づくと、手前の山に隠れていた筑波山がまた見え出します。
ここから見る筑波山は北に裾野を伸ばしていてなかなか良いです。
八郷には田んぼか畑しかありません。そんなんで、ちょっと横道を行くとすぐに地道になります。
しかしこんな道は必ずしもどこかに続いているわけではなく、行き止まりのことも・・・
ぶどう畑をちょっとお借りして、なんとか小幡の通りに出ました。小幡はかつては宿で、この通りは街道でした。
そんなんでここの茅葺きは町屋型なのかといえば、これまで見てきたものと同様の農家型のようです。このお宅は大屋根の下に瓦葺きの下屋が張り出しており、そのすぐ上の茅葺きの下り棟の先端には亀さんの装飾が施されています。こうした装飾には松竹梅や寿、亀といった縁起物が使われることが多いようです。
なんとなく旧街道の雰囲気が残る通り。
小幡にはもう一軒茅葺きがあります。この門松はこの前来た時とあまり変わらないようです。松の木の反対側には生垣が見えますが、これはこのあたりではイグネと呼ばれるもので、街中ならではの延焼防止のためのものです。
このあとは吉生(よしう)にある大きな長屋門二つを見るつもりでしたが、時間がなくなったのでこれで茅葺き巡りはおしまいにし、ショートカットして真壁に向かうことにします。
真壁へはどこかで筑波山のすぐ北側の山を越えなければなりませんが、その中腹にある西光院からは眺めがいいので、西光院ルートをとることにしました。
正面の山の真ん中より少し高いところに白い点が見えると思いますが、あれが西光院です。西光院まではここから200m少々上らなければなりません。
田んぼの中を山に向かって進むと、あるところを境に急に『ここからお山』って感じで突然上りになり、森に入ります。
今日の前半にあった朝日峠への上りもきつかったですが、ここもかなりきつく、すぐにみんな押しに。ヘコヘコ。
少し勾配が落ち着いたところで気を取り直し、自転車に股がるマージコ。
やるぅ〜
ハヒハヒいいながら、なんとか西光院の入口に到着。この入口には東筑波ユートピアの看板が立っています。東筑波ユートピアはどうやら動物園のようなもののようです。
ここから枝道に入ってちょっと行くと西光院で、その懸造(かけづくり)のお堂からは眺めがいいのですが、本日の参拝は終了の標識が出ていて入れませんでした。まだ15時半なので参拝終了時刻まで30分あるはずなのにね。
仕方がないので西光院はあきらめ、真壁に向かいます。しかしここからも上りが。
西光院からは眺めがいいと聞いたので、ここで上りは終わりと勘違いしていたクッキーは、
『え〜、まだ上るんですか〜、ひど〜い! あとどれくらいですか〜』
とサイダーを睨む。西光院の標高は260mでピークは350mですから、まだ100m近く上らなければならないのです。
上って行くと左手の視界が開け、八郷の吉生から小幡あたりが見えます。
こうして見ると八郷は、筑波山の周囲の山に囲まれた盆地状の土地であることがわかります。
西光院から上も少しギコギコしなければなりませんでしたが、ここは若干勾配が緩いようで、みんな乗車して上ることができました。
そしてなんとかピークに到達。ここは日影になっているので休憩していると急激に体温が低下し、汗がひんやりしてきます。一息ついたらそそくさと真壁に下ります。
八郷側の上りはくねくね道でしたが、真壁への下りはほぼストレートで、ドピューン!
ブレーキレバーを握る手が痛くなります。
先に真壁の街が見えてきました。
かつてここは真壁郡真壁町でしたが、現在は町村合併で桜川市真壁町になっています。八郷は町名として残りませんでしたが、真壁は大きな単位は変わったものの真壁町という名で今もあるわけです。
真壁は戦国時代から400年に渡り支配してきた真壁氏の城下町として栄えたところで、現在も歴史的な建物がたくさん残っており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。なんでもここには国の登録文化財が104棟もあるとのこと。
ここの雛祭りは今ではかなり有名になっており、あちこちから観光客が訪れますが、実はその歴史は比較的新しく、今年で17年目だそうです。
まずふらふら〜っと入ったのはなぜか村井醸造。やっぱり姫より酒ですわ。(笑) 明治時代の店舗や蔵、大谷石の石蔵などが残り、代々伝わる雛飾りが見られます。
村井醸造から西へ少し行くと伊勢屋旅館があります。ここは江戸時代には有名な料亭だったと言いますが、現在の建物は明治時代の中ごろに建てられたものだそうです。
中に入ればかつて使っていた帳場や長火鉢などがあり、ここの娘さんがいろいろ説明してくださいました。
それによると、雛人形はたくさんあって、子供の頃遊んで壊してしまったものや、しまい方が悪くてどれがどの飾りのものかわからなくなってしまったものなどがあるということです。
伊勢屋旅館のすぐ先の石匠の見世蔵カフェにはオリジナルキャラクターの『いしおさん』のひな飾りがあり、その横のスペースには高久家の吊るし雛がたくさん飾られています。
ここの雛祭りは町おこしとして始まったわけですが、代々伝わるような古い雛壇飾りや立派なそれがない家も協力して、街全体が雛人形で埋め尽くされています。
伊勢屋旅館のさらに西の十字路に建つのは潮田家。このお宅はかつては呉服・荒物・雑貨商を営んでおり、屋号を『鶴屋』と言ったそうです。
見世蔵は黒漆喰の町屋づくりで立派。この横には袖蔵や脇蔵があります。
今はほとんど見かけることのなくなったクラシカルな『たばこ』の看板。横にはその販売窓口もあり、『切手』の文字も見えます。
少し年配の方ならみんな知っていると思いますが、コンビニエンスストアができる前は、たばこはタバコ屋で買うもので、その窓口では大抵切手と印紙も売っていたのです。あ、郵便局ではタバコは買えませんよ。
たばこの看板をくぐると、中にはもの凄い雛壇飾りが三つ展示されています。
その中でも真ん中のものは、江戸・明治・大正・昭和とそれぞれの時代を映すひな人形で構成されていて面白いです。これらはもしかしたらそれぞれのセットがあるのかもしれませんね。
江戸時代のものは特に大きく立派です。
お内裏様とお雛様、二人並んで・・・ 山野三郎(サトウハチロー)作詞の有名な童謡ですが、お内裏様とお雛様と呼ぶのは誤りだった、とサトウハチローが語っているビデオを見たことがあります。
真壁にあるのは日本の伝統建築だけと思っていたら、こんな洋風の建物がありました。
この建物、一見コンクリート造に見えますが実は木造で、外壁はモルタル塗り洗い出し仕上だそう。
築160年というこの建物は旅籠で、一日一組のみ宿泊できるそうです。風呂は五右衛門風呂で囲炉裏があるそうです。ここは食事処でもあり、この囲炉裏端で『うまかべすいとん』を食べることもできるとか。
道路に面した二階の障子の外に出されたひな飾りがいい感じ。
かわしま洋裁店はシャッターが下りていました。ここだけでなく、真壁の街は早く終います。先ほどの旅籠ふるかわはなんと15時終いだと言うし、たいがい16時ごろから閉店の準備に入るようなのです。ここに来て行程の遅れが響きました。
しかしシャッター横が僅かに開いており、中から出てきた人が、ここの雛人形は凄いから見て行ったら、と言います。どうやらまだ中に入れるようです。
店の奥に進んで行くとその先は中庭になっており、さらにその奥に立派な土蔵が建っています。
土蔵の入口には古来より真壁町で栽培されてきたという、普通のミカンよりかなり小さい福来(ふくれ)みかんが飾られています。
その中に入ると、正面に白獅子と小さな雛飾りがあり、
右手に豪華な雛壇飾り、
左手に小さな雛人形たちがたくさん並んでいます。
そして二階へ上る狭くて急な階段にも。昔使われた黒い陶器のアンカの中にも人形が入っています。
このプレゼンテーションは楽しい。
まだ真壁で廻りたいお雛様はたくさんあるのですが、すでに時は17時で、店はあらかた閉まってしまったようなので、ここら辺で引き上げることにしました。
実は真壁の雛祭りは日中はかなりの人出だと聞いたので、少し遅めに設定したのですが、今回はちょっと遅過ぎでしたね。
真壁からは『つくばりんりんロード』で岩瀬に向かいます。
東には筑波山から続く加波山が見えています。
つくばりんりんロードをちょっと北上したところでうしろを振り返れば、あの筑波山になんと三つの頂が。左が女体山(877m)、中央が男体山(871m)ですが、一番右は筑波隠し(710m)と言われているものです。
筑波山は双耳峰と言われることが多いですが、三耳峰なのですね。
今日の日の入りは17時20分。さて急ぎましょう。
ということで、つくばりんりんロードをどんどこ。
かろうじて明かりが残る18時少し前に岩瀬に到着。お好み焼き屋さんで打ち上げです。
今日は八郷と真壁の二箇所の見どころがあったのに、前半と後半の二つの上りを入れてしまったので、ちょっと時間に余裕がなくなってしまいました。今度真壁の雛祭りに来る時には、もう少したっぷり時間を取って、もう少し早めの時間帯に来ようと思います。