観梅企画です。都心の梅はとうに見頃を過ぎてしまっているので、東京からあまり遠くないところで適当なところを探すと、長瀞(ながとろ)の宝登山(ほどさん)が良さそう。
ということで、やってきたのは埼玉県の森林公園駅。天気は良好。雲一つない快晴です!
森林公園駅からまず向かうは寄居です。走り出すとすぐ、前方に外秩父の山並みが見えてきます。
広〜い関東平野はここで終わり、あの山並みから向こうはずっとずっと山が続いていくのです。
三月に入ってぐっと春めいてきており、あちこちで花が咲き出しています。
最近はあまり見かけなくなりましたが、これはレンゲ畑。牛の飼料にされたり、休耕田の雑草避けとして作られたりします。かつては肥料としても用いられていました。
のどかな風景。
山並みの上に富士山が小さな頭を出しています。
寄居までは市野川に沿って進んで行きます。
川の土手や田んぼ道はダートなので、私たちの好みからするとちょっと広めなのですが、舗装されたごく普通の道を使います。しかしこの道、車がほとんど通らないので安心して進めます。
民家の庭先の梅も咲き出していました。
ここは梅林。見頃のようですね。
畑の緑色は麦。
この時期の田畑にはあまり作物がないので、麦畑は一際目を引きます。
田植えの準備はまだまだ先。
ひからびたままの田んぼの横をどんどこ行きます。
ある民家の門の横に、かなり老木と思われる梅の木が立っていました。この木はもちろん地面から生えているのですが、盆栽仕立てですね。
小川町の伊勢根に入るとそこは周囲を低い山に取り囲まれた田んぼで、その中に『鎌倉街道上道(かみつみち)』の標識が立っています。
ここには古くから鎌倉まで続く道が通っており、掘割状の遺構がすぐ近くに残っています。
伊勢根はなんだか気持ちのいいところなので、遺構に続く林の下のホトケノザが咲く田んぼの横で一休み。
みなさん、お正月の七日に七草粥を食べたでしょうか。春の七草に仏の座がありますが、これはキク科のコオニタビラコ(小鬼田平子)という植物で、写真のものとはちがいますよ。
今日は朝方の気温はかなり低かったのですが、風もなく日だまりのここはぽっかぽかです。
一休みしたら寄居に向けて再出発です。
ちょっと行くと市野川の土手に出ました。しかしやっぱりこの土手はダート。
仕方がないので市野川沿いは諦めて、川から少し離れた道をどんどこ行きます。
先に寄居から奥に続く秩父連山が見えてきました。
その山並みを目掛けてどんどこ行き、荒川に架かる正喜橋を渡って寄居の中心部に入ります。
ここの荒川は川床から平べったいごつごつした岩が飛び出ていて、長瀞の岩畳を思い起こさせてくれます。ここからは荒川に沿ってその長瀞に向かいます。
寄居駅近くでJR八高線の線路を跨ぎ善導寺の前に差し掛かると、そこにはしだれ梅が。
ピンク色でかわいらしい。
その横では菜の花が満開です。
菜の花は早いところでは2月ごろに咲き始め、ゴールデンウィークごろまで楽しめますが、比較的寒いこのあたりで今頃菜の花が見られるとは、ちょっと驚きです。
荒川沿いには秩父鉄道が延びており、その線路を横目に進んで行きます。
寄居から西は秩父山地に入り、両側から山が迫るようになります。
荒川はその中を静かにゆっくり流れており、波久礼を過ぎると大きく蛇行して、上流は山間に消えていっています。
荒川の左岸には国道、右岸には県道が通っていますが、このどちらも自転車には快適ではありません。
そこで根岸から、北の山裾に延びる細道に入ります。
秩父鉄道の線路とは離れたりくっついたりを繰り返します。
急勾配の大屋根を持つ民家が現れました。今はトタン葺きになっていますが、かつてこの屋根が茅葺きだったことは間違いないでしょう。
伝統的な民家の一般的な平面形は単純な長方形ですが、このお宅はL字形をしています。こうした平面形の家は『曲り家』と呼ばれ、曲がった部分では馬が飼われることが多かったようです。
神社の前に大きな幟が立っています。このすぐ近くの八幡神社にも同じような幟が立っていたので、作業中の方にどんなものなのか聞いてみると、明日が春祭りとのことでした。矢那瀬は上郷と下郷に分かれ、この簗瀬神社は上郷の鎮守として祀られているそうです。先ほど見かけた八幡神社のある地区が下郷ということですね。
さらに興味深いことにこのあたりの神社は、このあと行く寳登山神社の宮司が預かっているそうで、人々は寳登山神社の氏子であり、またそれぞれの地区の神社の氏子でもある二重氏子なのだそうです。
荒川が山にぐぐっと近づいてくるとスペースがなくなり、道は上りになって人一人がようやく通れるくらいの幅になります。
高台の細道を少し行くと、長瀞八景『樋の口を望む秩父往還』の標識がありました。この道はかつての秩父往還だったようです。樋の口はみんなの指すあたりらしいです。
秩父往還を行きます。この道は眺めが良くて気持ちいい。
もっとも、ここより狭いところもあるから気をつけて。
野上下郷に下ると山間に平地が開け、真っ赤な紅梅の畑が見えます。
紅梅は白梅より早く咲くものが多く、東京ではすでにおしまいですが、ここはピークは過ぎたものの、まだ充分にきれいです。
ちょうどこの時、すぐ隣にある小高い山からパラグライダーが一機飛び立ち、空を舞い始めました。青空の下で気持ち良さそう。
樋口駅付近で荒川の縁に出てみました。
ここには大きな岩が突き出ており、その周辺に砂が溜まって川幅を狭くしています。
野上駅が近づいてきました。ここは長瀞町の杉郷というあたりで、平地がぐっと広がってきました。
野上駅の横をかすめ、高砂橋を渡ります。
いつもならこの橋からはライン下りの舟が一艘か二艘見えるのですが、この時はその姿あらず。
高砂橋のすぐ上流には、歩道橋でもある金石水管橋が架かっています。この歩道橋の袂にあるキャンプ場の奥の荒川の河原には、日本一大きいという甌穴(ポットホール)があるので覗いて行くことにしました。
このあたりの岩は結晶片岩の一つである緑色片岩という、やや緑色がかったものです。扁平に割れやすいので、みんな石なげ遊びに夢中に。いくつ跳ねた?
荒々しい岩が両岸に並んでいます。
荒川の下流を見れば、先ほど通ってきた高砂橋が見えます。
甌穴は大抵足下にあるものですが、ここのそれは違います。なんと大きな岩の上にあるのです。
甌穴の大きさは、上部の直径1.8m、深さ4.7m。写真は比較するものがないのでわかりにくいですが、左に高砂橋がちょこっと写っていますから想像力を発揮して見てください。この穴に落っこちたら大変なことになるので、現在は砂で埋められています。
巨大甌穴を眺めたら金石水管橋を渡っていよいよ長瀞です。
この水管橋から見る荒川は、小さな岩がたくさん並んでいる姿とその向こうの山並みが美しい。
時は正午15分前。街道沿いにあるとうふのうめだ屋でお昼にします。
この建物は築100年ほど経つ民家です。
ランチのメニューは一種類という潔さ。野郎どもには少々物足りませんが、建物良し、サービス良し、味良しで、なかなかよろしい。
今日のランチは軽めで良いのです。夜は秩父のホルモン焼と決めているのでね。
ランチに満足したら長瀞岩畳に向かいます。
長瀞駅から続く土産物屋の合間を縫って荒川に下ると、岩畳です。地表に露出した変成岩帯がどこまでも続いています。その大きさは幅80m、長さ500mとか。
ここはライン下りの発着地でもあるのですが、今日は休みだそうです。どうりでここまでの川面に舟がなかったわけです。
岩畳の対岸には秩父赤壁(ちちぶせきへき)が見えます。高さ100m、幅500m。中国揚子江の名勝地『赤壁』に因んで名付けられたそうです。文字通り所々に赤い色が見えます。こうした赤い色の地質の多くは鉄の錆によるものなので、これもおそらくそうでしょう。
そうそう、岩畳をよく見るとあちこちに小さな穴がたくさん開いています。これらはみんな甌穴です。ここで見られるのは直径10cmから20cmほどなので、先ほど見た日本最大だというそれがどれほど大きかったかよく分かります。
岩畳を眺めたら、いよいよ宝登山に向かいます。
宝登山には寶登山神社があり、長瀞駅前から参道が続いています。
今日の最大の目的地である梅百花園は宝登山の山頂付近にあります。
そこまでは徒歩でもロープウェイでも行け、ロープウェイには自転車も載せられるので、上りは無理でも下りだけ自転車という手もあります。しかしみんな一刻も早く秩父に着いてホルモンを喰いたいそうな。ということで、なんと往復ともロープウェイということに。
ラッキーなことに待ち時間なしでロープウェイに乗車でき、僅か5分で山頂駅に到着です。そこからは長瀞のまち方面に眺望が開けています。
宝登山はロウバイでも有名です。
すでに見頃は過ぎていましたが、まだいい感じで咲いている木も少し残っています。
さて、こちらが梅百花園です。
満開の白梅紅梅がびっしり!
現在、梅の品種は三百ほどあるらしく、とてもすべて覚えきれるものではありません。
この梅園にも相当の種類の梅が植えられていますが、これは梅らしい梅ですね。
梅の足下には可憐なフクジュソウが咲いています。
自然の花というものは花びらにシミがあったり虫食いがあったり、花弁の開き方が不揃いだったりとどこかに欠陥があるものですが、フクジュソウはそうしたものがあまりない花だと思います。この花はいつ見ても整った姿をしていて、それでいて味気なさというものがない。私はフクジュソウ、好きです。
梅百花園は南西向きの斜面になっているので、午後の今頃が一番美しく見える時分かもしれません。
重なり合うようにして続く複雑な色が見事です。
赤と白とピンクの競演。花盛り!
この花、よく見ると白の中にうっすらと一筋、ピンク色が入っています。
蕾もかわいらしい。
あまり見ないピンクの梅。
真ん中が緑色の白。
咲き出しがかわいらしいピンク。
斜面地をジグザクを描いて上って行くと、梅の頭越しに秩父の武甲山が見えてきます。
そしてさらに高度を上げると、下に蛇行する荒川の流れも。
長瀞から秩父まで続く家並みも見えます。
梅百花園の梅と眺望を堪能したらロープウェイで下山します。時間を見計らったわけではないのですが、なんと下りも待ち時間なしでした。ここまで快調すぎますね。
下ったら寶登山神社にお詣りします。この神社は権現造りで立派。ちなみに宝登山の上に奥宮があるのですが、そこの狛犬は犬ではなくオオカミです。このあたりには日本武尊が山中で山火事に遭った時、オオカミが火を消して助けたという伝説があり、三峰神社のそれもオオカミになっています。
ロープウェイ乗り場のすぐ下にある不動寺のしだれ梅もそろそろとのことなので、覗いてみました。
ここは五分咲きになるかならないかといったところで、全体としてはまだ見頃は先という感じです。木も大きいものが少なく、梅百花園の咲きっぷりを見たあとでは少々物足りない感は否めません。しかししだれには特有の華やかさがあるので、満開になったら良いかもしれません。
これで本日のメインイベントは終了です。
あとは荒川に沿って秩父に向かうだけです。
秩父市の蒔田までやってくると道端に庚申塚があり、畑の中に古い石碑がずらりと並んだところに出ます。このすぐ横には土地の持ち主のものであるらしい墓があるので、これも墓なのかもしれませんが、ちょっと違うような気がします。
このあたりには古墳がたくさんあり、また秩父は巡礼の地で、『道しるべ石』などが数百もあるそうです。さてはて、この石碑群はいったい何でしょうか。
古墳群の中を抜け、カントリーロードをどんどこ。
いったん県道に出て荒川に向かう急坂を下ると、明治時代の始めごろ建築された萩平歌舞伎舞台があります。
道端に鳥居が建ち、その正面のブルーシートを被せられた建物が諏訪神社で、右に見えるのが歌舞伎舞台です。ここでは毎年10月に、いわゆる農村歌舞伎が行われていますが、茅葺きの屋根はかなり痛んでおり雨漏りが心配です。この建物は僅か20人ほどで所有しているものらしいので、茅の葺き替えもなかなか思うようにできないのかもしれません。
ちょっと残念な姿の萩平歌舞伎舞台を見たあとは、札所20番の岩上堂をかすめ、秩父の街中に入って行きます。
武甲山を正面に見、武之鼻橋でハープブリッジこと秩父公園橋の下をくぐって坂道を上ると、秩父の中心市街地に出ます。
秩父といえば提灯で飾り付けられた山車の曳き回しで有名な秩父夜祭ですね。これは毎年12月に行われる秩父神社の例祭です。ホルモン屋の開店までは少し時間があるので、その秩父神社を覗いてみました。
大鳥居をくぐると神門があり、さらにその奥に本殿があります。この本殿は1593年(天正20年)に徳川家康から寄進されたものだそうで、さすがに立派。正面のみならず、周囲にぐるりと彫刻が巡らされています。
その彫刻の中でも有名なのが、左甚五郎作と伝わる『子宝・子育ての虎』です。お母さん虎はヒョウ柄ですね。これは当時の狩野派では、虎の群れの中に一匹だけヒョウを描くことが定法とされていたからだそうです。
このほか日光東照宮にある三猿にそっくりな、いえ、まったく逆の『見る、言う、聞く』の三猿もおりますぞ。
本日のポタリングは以上で終了。さて、いよいよみなさんお待ちかねのホルモン焼です。秩父にはホルモン焼やがとても多いのですが、それはこの地が山がちで農業に向かなかったため畜産が栄え、かつては近くに屠殺場もあったからだそうです。
開店5分前の16:55に目当てのホルモン屋に到着です。ここまで何のトラブルもなく快調に進んで来ました。ところがなんと店の前にはすでに行列が。。。およよ〜、暢気に神社にお詣りなんかしている場合ではなかったのです。しかもこの待ち合いのスペースは店の外で、店内からおいしそうな匂いをたっぷり含んだ煙が出てくる換気扇の下とあって、もうたまりません。
しかしこの日は客が多く30分前から営業を開始したようで、そう長く待たずに入店できました。皿いっぱいの盛り合わせを平らげ、さらにメニューにないノドなど数品を追加。どうです、写真のミルミルの嬉しそうな顔。これがすべてを物語っています。
天気は良好、宝登山の梅は最高潮で満足。昼の豆腐やもなかなかでしたし、夜のホルモン屋に至ってはうまいのはもちろん激安で、ジオポタお気に入りに登録です。トータル大満足の一日でした。