先週はジオポタ恒例の花見で、桜そのものは満開でしたが生憎と気温がかなり低く、なんと室内宴会に。で、本日は同じ花見でもポタリングの方です。
関東圏の桜は都心より一週間ほど遅いところが多いので、どこへ行ってもそれなりに楽しめますが、今回は埼玉県の権現堂堤にしました。
JRの東北本線と東武鉄道の日光線が乗り入れる栗橋駅の西口にやってきたのはマサキン、コンタ、サイダーの僅か三名。シロスキーは急な用事ができ、ベネデッタは花粉症でダウンとのこと。そして『春眠暁を覚えず』の面々が多数。
野郎三人の花見というのはちょっと冴えませんが、まあこんなこともあります。
栗橋駅を出て東武日光線に沿って南下し出すと、道横に早くも桜が咲いていました。いい案配。満開です。
東北新幹線の高架をくぐると、広島落の両側が桜並木になります。
この並木は中川まで1.6km続いています。
『ほ〜、ここはなかなか見事ですね。』とマサキン。
『その割に人がほとんどいなくて、ここはちょっとした穴場ですね。』とコンタ。
この時期は天候がくるくる変わって、寒かったり暖かだったり、いろいろです。今日はなんと日中の気温は20°Cを超えるといい、すでにかなり暑くなってきていて、みんな中着を脱ぎ出します。
こんな桜のトンネルも。
『これだけ見事だと権現堂堤まで行かなくてもいいんじゃない、っていう気になるね。』とコンタ。
『いやいや、権現堂堤はもっと凄いよ。』とサイダー。
桜の木の足下にはなんていう花なのか、紫色の可憐な花が咲いています。
ここに来て一気に花々が咲き出しましたね。
今日はちょっと風が強く、辺り一面桜吹雪です。このあたりの桜はちょうど満開になったばかりなので、今日散ってしまうことはなさそうですが、都心ではこの日で見納めになりそうです。
広島落が中川にぶつかると、桜並木はそこでおしまいになり、今度は中川沿いに菜の花が続くようになります。
道が国道4号線・日光街道に出ると、橋の向こう側にもっこりした桜が見えます。あそこが権現堂堤です。この堤は江戸時代に利根川の支流だった権現堂川の堤防として築かれたものだそうです。
手前の日光街道には車がびっしり。この車はみんな権現堂堤の駐車場に入ろうとしているのですが、ちっとも動きません。しかしまあこれは私たちには関係ありません。
権現堂堤は堤の中を行ってもよし、また外側から堤を見てもよし。
私たちはまず堤の中を行くことにしました。
ここの桜もちょうど満開です。
堤の西側には駐車場があり、その縁にずらりと屋台が並んでいます。最近は臭いの問題などで屋台禁止のところが多くなっていますが、ここはそうした規制がないらしく、こちらも見事なまでにぎっしり並んでいます。
駐車場と反対の東側は、堤のすぐ下は紫陽花園になっており、その先は菜の花畑です。
ここで堤から下りることにしました。
権現堂堤は紫陽花でも有名なのですが、この時期はもちろんそれは咲いておらず、その存在さえ忘れていました。
紫陽花に代わってこの時期に圧倒的に存在感を増すのが菜の花。
見事な菜の花畑を眺めていると突然、見知った顔が現れました。ムカエルはこの日渡良瀬の気球を見に行ったのですが、それが中止となったのでこちらに廻って来たのだそうです。
この人出の中、よく出会えたものです。
菜の花と桜のコラボラーションをゆっくり楽しんで、権現堂堤をあとにします。
権現堂堤から中川に沿って東に向かうと、そこも桜並木です。
どこもかしこも桜、桜、桜。
この桜並木は宇和田公園まで続きます。
宇和田公園も権現堂堤同様にかつての権現堂川の堤防を用いて整備された公園で、入口に真っ白なユキヤナギが咲いていました。
宇和田公園のところで大きく方向を変えた中川に沿って走ります。
この道端では、まだ三分咲きの桜と満開の桃、そして菜の花のコラボレーションが見られます。
ここから主役は桜から菜の花に移ります。中川の土手が菜の花で埋め尽くされるようになるのです。
今日は雲一つない快晴なのですが、彼方はなんだか薄ぼんやりしています。天気予報によれば黄砂が飛来しており、視界は5kmほどになるとのことなので、きっとその影響でしょう。
黄色い菜の花の先に、ちょっと古そうな橋が見えてきます。欄干が低い石橋で、なかなか味わいがあります。このあたりにはこうした石橋が何本も架かっています。
主役の座は譲ったものの、時々存在感を見せる桜。
ここは道の両側が菜の花。むんむんとむせるような菜の花の匂いの中を行きます。
中川を離れると菜の花はなくなり、また桜が復権。
これは畑の中の桜。
そして田んぼの中の中庄内排水路沿いになると、そこには3kmに渡って続く桜並木が。
その足下には真っ白なかわいらしい花が咲いています。
これはなんていう花でしょう。ハナニラ?
中庄内排水路が終わると道の駅庄和があります。ここで一休み。
この建物の中央部には大凧が展示されています。春日部の江戸川河川敷では毎年5月に『大凧あげ祭り』が開催されるのだそうです。
道の駅庄和からは千葉県野田市にある清水公園に向かいます。権現堂堤の桜は眺めるには最高なのですが、あそこはゆっくり宴会ができません。そこで地面に座ってのんびり宴会ができる清水公園で花見をすることにしたのです。
地下神殿こと外郭首都圏放水路の龍Q館をかすめ、R16春日部野田バイパスの金野井大橋を渡ると江戸川左岸です。
この江戸川の自転車道をどんどこ行きます。
5〜6km走ると清水公園の入口となる野田市さくらの里です。
ここで江戸川自転車道を下り、スーパーマーケットで各々好みの弁当を仕入れます。この沿道も桜並木です。
清水公園はかなり広大で、いくつかのゾーンに分かれています。
ジオポタ初期メンバーのミュウとヒデッチが場所取りをしてくれているのですが、それは金乗院の近くだというので、公園の東端付近まで進み、仁王門を入って行きます。
ここの桜も満開。ピンク色が強いのは枝垂です。
ミュウとヒデッチに無事合流でき、さて、これより宴会の始まり、始まり。
この前ここで花見をしたのは8年前で、その時はミュウとヒデッチの子供たちもいましたが、彼らはずいぶん大きくなってそれぞれに忙しくしていて、この日は部活や塾に行ったり、アルバイトをしているそうです。子供というのは本当にあっという間に大きくなりますね。
8年前の話やジオポタ初期の思い出深い話題で盛り上がり、時間はあっという間に過ぎていくのでした。
清水公園では二本の桜が特に有名です。 金乗院の劫初(ごうしょ)の桜と聚楽館のしだれ桜ですが、これらはソメイヨシノではないらしく開花が早く、すでに見頃を過ぎていました。
しかしその他の桜は満開。この公園には二千本も桜があるそうです。
清水公園の桜を満喫したら、野田のまちを散策します。野田は銚子と並ぶ醤油のまちです。
キノエネ醤油には真っ黒な板塀が続きます。
1926年(大正15年)完成の野田商誘銀行は、創立委員のほとんどが醤油醸造家であったことから、醤油にちなんで『商誘』と名づけられたそうです。
日本の人や物の名前の中にはこのような語呂合わせによるものが少なくありませんが、多くの外国人はそれらをひどく馬鹿げたものに感じるそうです。この醤油と商誘はどうでしょう。
大講堂や集会室、ギャラリーがある興風会館は1929年(昭和4年)の竣工で、当時は県庁に次ぐ大建築だったそうです。当時の野田がかなり時代の先端を走っていたことが伺える建物です。
野田といえば醤油、醤油といえばキッコーマン。キッコーマンは今日では世界の最強醤油ブランドになりました。
そのキッコーマンの御用蔵は宮内省に納める醤油の専用醸造所として1939年(昭和14年)に江戸川沿いに建設されたもので、2011年(平成23年)に野田工場内に移築されました。ここでは現在も宮内庁に納める醤油を醸造しているそうです。
また、建設当時の道具などが展示されており、伝統的な醤油醸造技術がわかるようになっています。
御用蔵の隣には、醤油の製造工程を映像と展示で説明してくれる一時間の見学コースがある『もの知りしょうゆ館』もあります。
キッコーマンの元となる野田醤油株式会社は高梨家と茂木一族七家によって設立されます。
その中の高梨家は上花輪村の名主で、早くも1661年に醤油作りを開始しています。
その高梨家は現在は上花輪歴史館として一般に開放されており、住宅や庭の見学ができます。この日は庭の見学を。
野田には山がないので、山に見立てた大きな椨(タブ)の木が北に植えられています。
驚いたことに屋敷の外側には江戸川まで通じていたという構堀が巡らされ、船着場があります。かつてはここから江戸まで舟に乗って出かけたのだそうです。
野田醤油株式会社を設立したもう一方の茂木家の方も、茂木佐平治邸が野田市市民会館として公開されていますので、これも見学できます。
さて、野田の街中で醤油関係の見学をしたら、再び江戸川自転車道に戻ります。
江戸川の土手には菜の花がびっしり。ここはむせ返るよう。
ここまではあまり風を受けないで来ましたが、陽がだいぶ傾いてきて風向きが変わり、向かい風になりました。遮る物がない土手上の自転車道は風の影響をもろに受けます。ちょっとえっこらよっこらです。
これ、腹ごなしにちょうどいい運動になりました。
利根運河には桜があるのですが、もう桜はいいよね、ということで運河には入らず先へ進みます。いつしか江戸川の流れは広くなり、大河の様相を見せ始めました。
対岸に三郷のまちが現れると、本日の終着地の南流山駅はもうすぐです。
江戸川自転車道を下り南流山に入ると、ここも桜並木。今日は最初から最後まで一日中、満開の桜を楽しみました。
このコース、桜の時期は超おすすめです。