中央線の車窓からいつも見える富士山の姿は今日はありません。残念ながら曇り。富士山が見える地方に来ると、いつも快晴の富士山を期待してしまうのですが、それを諦めてしまえば、このあたりの宿場町は曇りも、そして自転車でなければ雨も悪くありません。
甲州街道の鳥沢宿は猿橋宿と犬目宿の間にあります。猿(申)と犬(戌)の間だから『鳥(酉)』? 通りは国道20号線でこれは現甲州街道でもありますが、この幅員は江戸時代から変わっていないそうです。街道の幅員は場所によってだいぶ異なりますが、ここは当時としてはかなり広い道だったと言えるでしょう。
今日のメインディッシュは不老山をぐるりと廻り、棚頭と和見の集落を結ぶ和見棚頭林道です。しかしその前に前菜として甲州街道の宿場を。まずは鳥沢宿からその一つ日本橋寄りの宿場だった犬目宿を目指します。
中央道をくぐりその側道を東進して、
r30大月上野原線にぶつかっったらこれを北上するのですが、この入口で短い生活道に入ったら、これが超激坂でのっけからアヘアヘ。
その後の大月上野原線も結構な勾配です。
道がヘアピンカーブに差し掛かると、そこにはこんなものが立っています。これはくまもんとトトロですね。
ここにはこれら以外にも、どこかで見たようなロボットと釣りをする少年がいます。
もう一つヘアピンカーブを廻って、道はぐいぐい高度を上げて行きます。
前方に見えるのは扇山あたり。
小さな山谷の集落を抜けながら、三つ、四つとヘアピンカーブを廻ると道の勾配が弛み、谷が左手から右手に移ります。
この谷を奥まで進むと視界が閉じ、道が向きを変えてそれが再び右手に開くと、今度は連続した小さなカーブを行くようになります。また視界が閉じ、下り基調となった道が上りに転じると、とあるカーブの途中にぽっこりした塚が現れます。
これは恋塚一里塚。この塚は日本橋から21番目、21里となる一里塚で、本来は一対であるべきものですが、現在ここには南側のそれだけが残っています。かつての甲州街道はこのあたりは掘割状の山道だったそうなので、おそらく片一方のそれは道路の拡幅の際に失われたのでしょう。
恋塚一里塚を横目に進んで行くとほどなく犬目宿の入口に到着。ケヤキの大木の下に『甲州街道犬目宿→』と書かれた標識が立っています。ちなみに写真の石柱はこのすぐ上にある宝勝寺のものです。
この道はr30大月上野原線です。現在の甲州街道R20は桂川に沿って延びていますが、かつてのそれはもっとずっと北の山側を通っていたのです。
現在の犬目は、宿場だったころからはだいぶ家の配置が変わってしまっているようで、当時の面影はほとんどありませんが、街道の中程に『旧甲州街道(道中)犬目宿』と書かれた石碑が立っています。
その隣には甲州街道犬目宿案内板があります。
この図を見ても、かつての甲州街道は山の中を縫うようにして通されたことがわかります。
犬目宿と聞けば、少し美術に興味がある方ならだれでも思い起こす絵があるでしょう。葛飾北斎の『甲州犬目峠(富嶽三十六景)』。歌川広重も冨士三十六景や不二三十六景でここを取り上げています。いずれも富士山を主題としたものですが、この日、その富士のお山は現れず。
犬目から南の景色を眺め、見えざる富士山を眺めたら、宿場を出てさらに東へ。
矢坪まで下ると、そこには『矢坪坂の古戦場跡』の案内板が立っています。
戦国時代に武田と北条の戦いが行われたというこの戦場跡には現在は何もありませんが、写真の坂道が旧甲州街道で、それはここから新田まで続いており、途中には『座頭ころがし』という深い谷にヘアピンカーブが続くところがあります。旧甲州街道はここでは、r30大月上野原線よりさらに高いところを通る狭い山道だったのです。
この案内板のすぐ下で中央道に出たら旧甲州街道を離れ、いよいよ本日のメインディッシュの和見棚頭林道に向かいます。行く手にはただただ深い山が見えるだけ。
手前右の山が不老山で、その先に見えるのは不老山から続く尾根が成す山で、棚頭の集落は奥に見える山の手前側に、そして和見の集落はその山を越えた向こう側にあります。私たちはこれからあの山を廻って進んで行きます。
まず道は森の中を仲間川に下ります。
仲間川を渡るとすぐ野田尻方面と棚頭方面の分岐に出ます。ここでシロスキーは野田尻経由で和見に上ることにして、残りの三人は棚頭方面へ。
仲間川の狭い谷に沿って道が上昇しているのが見えます。これが和見棚頭林道に続く道です。
仲間川の畔のキャンプ場の標識を過ぎると民家が見え出します。ここはどうやら殿地という集落のよう。
道は目の錯覚でかあまりきつくは見えないのですが、意外とこのあたりは勾配があるようで、エッチラオッチラと行きます。
殿地からは特に集落の境を感じることなく、棚頭に入ります。
棚頭には立派な石垣が続いていて、ここがいかに急斜面に作られた集落かがわかります。
見上げればその石垣の向こうに、伝統的な一間ピッチの柱の割り付けが美しい民家が立っています。
棚頭を過ぎると道はぐんと狭くなり、細い渓流に沿って上り続けます。
ほどなく『林道棚頭線』の標識が現れます。これによれば林道棚頭線は民有林道で、管理者は上野原町長とありますから、現在は上野原市が管理しているのでしょう。
林道棚頭線は舗装面が荒れていてガタガタな上、勾配がきつくてアヘアヘです。序盤からこんなのでこの先の和見棚頭林道に入ったらどんなことになるやらと、一瞬不安になります。
棚頭で集落は終わりかと思ったらその先にも民家が現れて、ちょっとびっくり。ここは奥山という集落のようです。さらにびっくりなのは、この林道からさらに分岐した道の先にも家があるようだったことです。
奥山の集落の出口にコデマリが咲いていました。
真っ白なこの花を見ると、ちょっとだけ上りのきつさが癒された気がします。
ここまでは道は狭いものの川が横を流れていて、空はそれなりに開いていたのですが、ここに来て川側に木々が生えて薄暗くなってきました。
川の反対側はこんなごつごつした岩がほぼ垂直に切り立っています。
この岩、今にも崩れ落ちそうでちょっと不安。
この先にもう一軒民家が現れてびっくり仰天。人はいったいどこまで住処を求めるのか。
この民家を過ぎると和見棚頭林道の起点の標識が現れます。それも三つも。予算が余った?
和見棚頭林道に入ると、あれ不思議。路面状態が格段に良くなりました。ここまでの棚頭林道は市の管轄でしたが、この和見棚頭林道は県の管轄なのです。
路面が良くなったのは大変うれしいのですが、横を見るともの凄い角度で上って行くガードレールが見えます。
和見棚頭林道の序盤はこれまでと変わらぬ急坂が続きます。
カーブを廻って先ほど下から見上げたガードレール部にやってくると、きついことはきついのですが、なんとか上って行ける勾配であることが分かりました。見上げた時はどうなることかと思いましたが、人の目ってあまり当てにならないものですね。
左手は真っ逆さまの谷で、根元が見えない針葉樹の幹を目で下に追うと、まるでどこまでも落っこちて行くような錯覚に陥ります。
カーブを廻って道が直線基調になるとここで勾配が急に上がったようで、カックンとシフトダウンしたように上るペースが遅くなります。
そんな中、サンダリアスはペースアップして後続をちぎりにかかります。それに負けじとシュンシュンもダッシュ。一人サイダーだけはペースアップできずに、ヨロヨロと彼らのあとを追うのでした。
この直線基調の道がヘアピンカーブとなり、さらに緩いカーブをいくつか過ぎると、前方に黄色いゲートが現れます。和見棚頭林道の棚頭側のゲートです。
奥山の集落からこのゲートまでは僅か1kmほどなのですが、足がない私には結構な距離に感じました。
ゲートを越えると道の勾配はぐんと緩みます。下より上の方の勾配がきつかったらどうしようかと思っていたのですが、これは嬉しい誤算。
ここからは完全に車シャットアウトの空間になるので、さらに気分良し。
この先でカーブを一つ、二つと廻ると右手の視界が開け、眺望ポイントに出ます。(TOP写真)
このあたりが和見棚頭林道で一番気持ちの良いところです。
山は前方も後方も広葉樹で覆われており、新緑が深まってきていて、きれい。
『いや〜、下で苦労した甲斐がありましたね。今日は来て良かった〜』 と、山好きのシュンシュン。
『この道、勾配は穏やかだし、眺望はあるし、今の時期は緑が清々しくて最高ですね〜』 と、山大好きのサンダリアス。
このきれいな山々にため息をつきながら進んで行くと、こんな崩落箇所がありました。斜面の表層を覆う保護モルタルが壊れてしまっています。
崩落の規模は小さいものの土砂が道幅の2/3ほどを塞いでいるので、車の通行はむずかしそうですが、自転車や歩行者は問題なく通れそうです。
開けていた視界が閉じると、どうやら和見棚頭林道のピークに着いたようです。
このピークを和見峠とする記事をいくつか見かけましたが、地図にも現地にもその表示はなく、別のところにその呼称を当てている記事もあるので、ここでは単にピークとだけしておきます。
このピークには見晴らしも何もなく、だた檜尾根林道の入口があるだけです。
檜尾根林道は不老山の山頂方向に向かっているようですが、最近は誰にも使われていないようで、草が一面を覆っています。
このピークで一息付いたら和見に下ります。
この和見側の勾配は棚頭側よりきつく、こちら側から上るのはかなりしんどそうです。
まあそれはともあれ、ドッピューンと下って和見に到着。
和見に下ると、林道から一般道に変わったのがはっきりとわかる境があります。そこから和見の集落を見たのがこの写真で、ここがどこまでも続く谷の奥にあることが分かります。
ここでこちらの谷を上って来たシロスキーと合流です。
和見にはごく僅かな民家しかありませんが、南斜面で畑も築かれており、なかなか気持ちのいい集落です。神社もお寺もあり、かつては小学校の分校もあったようです。
同じ奥地でも和見棚頭林道の上り口で見た棚頭あたりの集落よりずいぶん空間が広く、それらとはかなり異なる印象を受けます。
和見の谷底を流れるのはその名も和見川で、これは棚頭を流れていた仲間川と合流し鶴川となって、桂川に流れ込みます。
ここからはこの谷を下って行きます。
この下りは強烈で、上から見ると恐ろしいほどの角度で落っこちて行くへアピンカーブが連続します。
グワン、グワンとワインディングを楽しみつつ豪快に下って行くと、道は直線基調に。これはドワーッと下って、
r30大月上野原線に合流です。
ここはとにかく下るのが楽しくて、絵になりそうなすごいカーブの写真を撮り損なってしまいました。
ここからはまた甲州街道の宿場巡りといきましょう。
仲間川沿いを西進し野田尻宿に向かいます。途中見つけたショートカットルートに入ると、それは20%もあろうかという超激坂で、全員押し。アヘアヘ。
野田尻宿はこのあたりではもっとも長さのある宿場で、僅かながらも古い建物が残っており、それなりの雰囲気があります。
時は正午。そろそろお腹が減ってきたので、談合坂サービスエリアで昼食です。
この施設は比較的新しく小綺麗でお店もたくさん入っているのですが、ちょうど昼時とあってか利用者もぎっしりでちょっとびっくり。
午後の部はまず野田尻宿の一つ日本橋寄りの宿場だった鶴川宿へ。
談合坂サービスエリアを出て東へ向かうと大椚(おおくぬぎ)で、ここの吾妻神社にはかつて椚の大木があり、それが村名になったと言われています。現在その椚の木はなくなってしまったそうですが、針葉樹の大木が立っています。
大椚の集落の中程からは南の眺望が得られます。この畑の黄色い花は最初菜の花かと思いましたが、よく見るとなんとブロッコリー! 菜の花もブロッコリーもアブラナ科ですね。
大椚にも一里塚があったようですがそれは現在はなくなっていて、跡碑だけが立っていました。
大椚の街はずれにはこんな花が咲いていました。これはナデシコでしょう。ナデシコの類は世界には300種もあると言いますが、日本ではカワラナデシコを始め四種しか自生しないそうです。調べてみるとこれはタツタナデシコ。
龍田撫子は別名を桜撫子と言うそうで、真ん中に赤い輪があるのが特徴。原産地はヨーロッパだそうです。5月も下旬になり春から夏に移りつつあるこのごろは、様々な花が咲き乱れていますね。
中央道に沿って鶴川に向かっていると、前方に大きなまちが見えてきます。あれは上野原です。上野原ももちろん甲州街道の宿場町でした。
しかし今日の集落が江戸時代あたりと比べるといかに巨大なものであるか、この上野原とこれまで見てきた宿場町や次の鶴川宿を比べてみると良くわかります。
中央道の側道を離れ鶴川宿に下ります。下に鶴川宿が見えてきました。
鶴川のまちの向こう側には鶴川が流れており、こちら側は山だったので、この集落は江戸時代からあまり大きくなっていないに違いありません。どうでしょう、前の写真の上野原と比べると。
ここまで順調すぎてかなり時間に余裕があります。それで鶴川の流れに出たところで一眠り。
サラサラと流れる水の音を聞きながらの一睡は、何ものにも替えられない至福のひと時。
さて、一眠りのあとは大越路です。上野原の上野原中学校のうしろから一山越えてr522棡原藤野線に抜けるこの道は、道の名が大越路なのか、はたまたこのあたりの地区名を大越路と称するのか判然としませんが、おそらく道の名が地区名になったのではないかと推測します。
中学校から僅かに下ってカーブを廻ると、上りに。これはすぐ激坂になりアセアセ。シュンシュンとサンダリアスはダンスをしながらぐいぐいと上って行きます。
そのあとをサイダーはサドルに腰掛けたままヨロヨロと追い、シロスキーは押しで。まあここはピークまで距離が短いので、カッ飛んで上っても押して上っても大して時間は変わりませんから何でもよろしい。
切り通しになっているこのピークには、フェンスに囲まれた奈須部配水池という小さな施設があるだけで、他には特に何もないので、一息付いたらそそくさと東側に下ります。
大越路の下りはあっという間で、すぐに棡原藤野線に平行して走る道に出ます。
そして棡原藤野線に下ったら、本日最後の試練が待っています。
棡原藤野線と和田峠があるr521上野原八王子線の間には『くらご峠』があります。デザートにこれをどうぞ。
棡原藤野線の芳ヶ沢バス停から東に入るとすぐ、南が開けたいい景色が現れます。斜面地の茶畑もいい感じです。
この茶畑の間を上って行くと、超激坂!
ウィリーしそうな坂を懸命に上るサイダーですが、なんとかかんとか上ったのはいいけれど、この道はくらご峠の外側を等高線に沿って廻る道と判明。戻ってやり直し。(笑)
まあこれは、デザートにサクランボが載っかった感じですかねぇ。
戻った道はこんなで、これもまたきつし。
ここはどっしり構えて、えっちらおっちら。
そして切り通しのくらご峠に到着です。前の大越路は同じ切り通しでもコンクリートで固められていましたが、ここは切り通したままの状態でいい感じです。
この峠には芭蕉の句碑が立ち、上には馬頭観音があります。この道はかなり古くからあるのでしょう。
峠で一息付いたら東にある上野原八王子線に下りますが、これは上って来た西側より距離があり、ちょっと楽しめます。
そうは言っても下りはあっという間で、すぐに上野原八王子線に出ます。
ここで左・和田の表示を見たサンダリアス、『和田って和田峠の和田ですか〜。そんじゃあ、私はもうひと上りしてきま〜す。』 と、颯爽と走り去って行くのでした。
残ったシロスキー、シュンシュン、サイダーの三人は、『あたしゃ〜、もう上りはいいよ。』 と言うことで、藤野に下ります。
それにしてもサンダリアスは元気だねぇ〜
ドピューンと下ってやって来た藤野駅。いつもの焼肉屋のオープンは17時で、まだ30分以上も時間があります。ゆっくり輪行準備をして、いざ焼肉だ〜
焼肉じゃない方の本日のメインディッシュの和見棚頭林道ですが、これは林道までのアプローチがきつく、林道そのものの勾配は緩いという、これまでにあまりない経験をしました。林道は視界が開けていないものが多いですが、ここは眺望があり、気分良く走れます。下ったところの和見の集落も雰囲気があります。
デザートのくらご峠は上り口付近からの眺望と茶畑がいい感じで、ちょっと楽しめます。途中、箸休めとして旧甲州街道の宿場町が続いていることが、このコースをより魅力的にしています。