今年は台風の当たり年になってしまいました。15号に続き一週間前に巨大かつ強力な19号が上陸し、各地に大きな被害をもたらしました。このため私たちのポタリングの計画も大幅に変更を強いられることになりました。紅葉宿泊企画が、宿までの道が崩落したため中止になってしまったのです。
代わりの企画を立てようにも台風の爪痕があちこちに残っていて、なかなか良い案が思い浮かびません。このあとの紅葉の季節にやろうと思っていた鎌倉から江の島は大きな被害がないことがわかったので、この計画を前倒ししてやることにしました。そしてこの日はラグビーのワールドカップ、日本対南アフリカ戦があるので、みんなでその観戦を。
やってきたのは北鎌倉駅です。しかし遠方から参加予定のコンタは電車が思うように動かずに、ドタキャン。レイナもやはり電車が遅れているということで、20分遅れて到着です。
なんとか出発準備を整え、いざ駅前を出発。するとすぐ円覚寺の入口にある白鷺池です。国宝の舎利殿で有名なこの寺の入口は線路の東側からではなく、この白鷺池の西側からアプローチするのが正式のようです。
白鷺池を眺めたら横須賀線の線路沿いを南東に向かいます。
あじさい寺こと明月院の入口を横目に進み、
r21横浜鎌倉線(鎌倉街道)に合流してちょこっと行くと、
右手に長寿院の茅葺きの山門が現れます。
長寿院はかつては非公開で、現在も春秋の僅かな期間しか公開されないのであまり有名ではありませんが、紅葉が美しいお寺です。
この長寿院の横にある坂が国指定史跡の亀ヶ谷坂(かめがやつさか)です。鎌倉にはたくさん切通しがありますが、その中でも鎌倉七口(かまくらななくち)と呼ばれる七つが特に有名なようで、この亀ヶ谷坂はその一つです。
長寿院の土手にはシダが生え、それが赤く色付いてきていていい感じ。しかし、いきなりの上りで初っ端からアセアセのクッキーとサリーナ、そしてレイナ。
えっこらよっこらと亀ヶ谷坂を上って行きます。先の長寿院は山号を宝亀山といいますが、この坂には、『亀が上れずにひっくり返った』という言い伝えがあるそうです。
しかし今日見る限り、この坂はそれほどきつくは見えません。かつて土木技術があまり発達していなかった時代には現在より切通しが浅く、道の勾配がきつかったのかもしれません。
200mほど進むとごつごつした岩の切通しが現れます。この右手には地蔵尊が祀られており、かつてはここが集落の外れであったことを感じさせます。
お地蔵様を過ぎるとすぐにピークです。
このピークの扇ヶ谷(おうぎがやつ)側にも地層がむき出しのところがあります。
扇ヶ谷側の坂は長寿寺側より勾配がきつく、昨日雨だったこともあり、押して下りました。
亀ヶ谷切通しから200mほど進むと下の道に突き当たります。鎌倉時代の歴史書、吾妻鏡には『亀ヶ谷辻』というところが出てきますが、それはこのあたりのことのようです。
この角には八角形の岩船地蔵堂が立っています。このお堂は源頼朝の娘大姫を供養するために建てられたものだそうです。
岩船地蔵堂の中には大姫の念持仏と伝えられているお地蔵様が安置されています。
岩船地蔵堂からは化粧坂切通し(けわいざかきりどおし)へ向かうのですが、その前に花寺として知られる海蔵寺に寄ってみました。この寺は4月のカイドウ、9月のハギ、そしてこれからだとカエデの紅葉が素晴らしいのですが、この時は参道の緑がきれいでした。
ここはまた、洞窟内に掘られた十六ノ井という水が湧き出ている井戸でも知られていますが、拝観は9時半からとのことで入れませんでした。
海蔵寺を出て化粧坂切通しに向かいます。
道は穏やかな上りからちょっときつい上りに。
住宅街の突き当たりで道は途絶えたように見えますが、この突き当たりが化粧坂の上り口です。
ここのところの台風と昨日の雨で、ここは通行できるかどうかちょっと危ぶまれたのですが、出ていたのは『通行注意』の看板なので通行可ということです。
しかし、苔むした巨大な岩の路面に水が滲み出してきていて、滑る滑る。
『え〜っ、こんなところ、本当に行くんですかぁ〜』 と、上り口で悲鳴を上げるクッキーでした。
まあここはちょっとだけ担がなければなりませんが、距離はせいぜい30mほどなのでなんとかなるでしょう。
ところでこの化粧坂ですが、『化粧』を古くは『けわい』とも読み、身だしなみを整えるという意味があったようです。ここは都鎌倉に入る際に『身だしなみを整える』場所だったのかもしれません。
なんとか化粧坂切り通しを登り終えると源氏山公園です。この山は源氏山の他に旗立山又は白旗山とも呼ばれるそうですが、それは後三年の役(1083〜1087年)の折りに、八幡太郎義家が奥州への出陣に際してこの山に旗を立てたことから来ているようです。
ここに、どこをどう彷徨ったのか、駅に行けないよ〜と連絡があったシュンシュンが登場。みんなのうしろの像は源頼朝様です。
さて、頼朝様よりお金をふやさなきゃ〜、と激坂を下ってやってきたのは銭洗弁天。
この弁天様の入口は激坂の途中にあり、岩山をくり貫いたトンネルの前に鳥居が立っているだけという、一風変わったものです。
石の鳥居とトンネルをくぐり抜けるとたくさんの木の鳥居が並び、その奥にある岩山に洞が見えます。弁天様の御神体はこの洞窟の内に湧き出す清水です。
今日ではここでお金を洗うと何倍にも増えるということになっています。その謂れは、この湧水は頼朝が見つけ、そこに洞を穿って社を建てたとされ、さらに北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったと言われていることからでしょう。
で、私たちももちろん、ここでじゃぶじゃぶ。誰だ万札洗っているのは!
まあこれでお金に困らないと思えるなら、それもありか。。
銭洗弁天からはすぐ近くにある佐助稲荷に向かいます。
激坂をぐわんと下って住宅地の中をちょこっと行くと、細い道の突き当たりに赤い鳥居が見えてきました。
佐助稲荷神社も源頼朝と関係があります。
伊豆に流されていた頼朝の夢に稲荷の神霊が現れ、平家討伐の時節到来を告げて挙兵を促します。頼朝は平家を討伐した後、ここ『佐介ガ谷隠れ里』に佐助稲荷を祀ったのだそうです。
何十もの赤い鳥居をくぐって階段を登って行くと、あちこちにお狐さまが祀られています。
このお狐さまの目線の先には、先の台風で倒れたのだろう杉の大木が、折れたそのままの姿で横たわっています。今日はここまで台風の爪痕を見ずに済みましたが、こんな大きな木を倒した台風は、やはり強大なものだったと改めて知らされました。
この時社殿は工事中(台風とは関係ない)でしたが、その前の小さな社には白いお狐さまがたくさん祀られていました。
ここはあまり人が来ないところですが、なかなか味わいがあるところです。
さて、お狐さまにお詣りしたら次は大仏切通しに向かいます。佐助一丁目で鎌倉駅から来る広い通りに出、これを西に向かって進みます。この道は交通量が多いので要注意です。
仲ノ坂交差点から殿入川が流れる鄙びた脇道に入り、r32藤沢鎌倉線に出たら『火の見下』のバス停でストップ。大仏切通しはこのバス停から民家の間の極細の路地に入るのです。
『え〜っ、この先になにかあるんですか〜』 とは、状況が良く分かっていないレイナでした。確かにここはどう見ても、ただの民家と民家の間のスペースにしか見えません。
そしてその路地に入るもこれはすぐに行き止まりになり、『あれ、あれっ、やっぱりこの先何もないじゃない!』 ってことになるのですが、よくよく観察すれば、奥の薮の中に獣道のようなものが続いています。なんとこの獣道のようなものこそが、大仏切通しに続く道なのです。
この薮道の手前に自転車を停め、この先は徒歩で進みます。薮を掻き分けるようにして四五歩も進むと少しスペースが広がり、道らしいものの存在が確認できるようになります。
このスペースの先に、左に上って行く木の階段が見えます。
この階段を上ると巨大な岩に浅い四角い穴がいくつか開いています。
これはこのあたりにはしばしば見られる『やぐら』と呼ばれるもので、中世の横穴墳墓だと思います。
大仏切通しへは『やぐら』とは反対の右手の道を登って行きます。
巨大なシダがあたりを覆うここは、なんだか恐竜が出てきそう。
この山道を5分ほど登って行くと巨大な岩が現れ、その下に大きな石がいくつか転がっています。ここが大仏切通しです。
相模湾に面し、それ以外はぐるりと山に取り囲まれた鎌倉は、外敵の侵入を防ぐには最適の場所でした。しかし最低限の人や物資の流通のために、陸路には切通しが作られましたが、これはまた敵の侵入路ともなり得たわけです。
そのため、切通しには外敵の侵入を防ぐ仕掛けがいくつか作られましたが、この大きな石ころもその一つで、これらは決して偶然そこに転がっているわけではなく、人為的に置かれたものなのです。
この切通しは亀ヶ谷坂や化粧坂に比べ規模が大きく、姿もほぼ当時のままのようなので、かなり迫力があります。
切通しを抜けると道は掘割状になり、それが低くなると右手の下に藤沢鎌倉線の大仏隧道の入口が見えます。
さらに進んで行くと道は急に下りとなり、遥か先に相模湾が見えます。この相模湾こそが鎌倉で唯一外部に向かって開いているところですが、鎌倉時代、そこは厳重な守りがされていたことでしょう。
さて、この階段を下れば大仏さまに至るのですが、私たちはここで引き返して自転車のところに戻ります。
自転車をピックアップして藤沢鎌倉線の大仏隧道をくぐり抜けると、さすがに高徳院の近くは観光客でごった返しています。最近の観光地はどこでも外国人観光客が目に付くようになりましたが、ここは特にその比率が高いようです。
私が鎌倉の大仏さまに参拝したのはもう何十年も前のことで、他のメンバーはどうかなと思ったらみんな似たようなものだったので、せっかくだから寄っていくことにしました。
最初にこの大仏さまを見たときは、想像とは違いかなり小さく感じ、あまり面白くない姿だなと思ったのですが、今回は以前見ていることもあり、想像の通りの大きさでした。
そして今回、その姿は意外と品があるように感じました。ここは見てよかった。
大仏さまから南に下ると、この通りはいつも観光客で賑わっていて車も多いので、長谷寺の先で脇道に入ります。
狭い遊歩道の先に御霊神社があり、その前を江ノ電が通っています。江ノ電も車両が新しくなってきており、ちょっと角張って見えるようなものやラッピング車両も走っていますが、やっぱりクラシックカラーで丸っこい姿の車両がいいですね。
星ノ井通りに出て西へ向かうとすぐ、『南無虚空蔵菩薩』と書かれた白い幟がたくさん立った虚空蔵堂が現れます。この階段の上り口には『星月の井』という古井戸があります。
この井戸は通り名になっている『星ノ井』や『星月夜ノ井』とも呼ばれるようで、江戸時代に定められた『鎌倉十井』の一つです。鎌倉は水に恵まれない土地だったので、良質の井戸が大切にされてきたのです。
虚空蔵堂の前でカーブを描き出した道は穏やかな上りで、そのうちセンターラインが消え、狭くなります。道の両側は木々に覆われていますが、よく見ればその下には岩盤が見えます。ここもまた鎌倉七口の一つで極楽寺坂切通し。
この切通しは深い。かつての極楽寺坂はこの上にある成就院のあたりを通っていたようで、現在の道はそこから大分切り下げられたと思われます。
極楽寺坂を下って細道からR134に出ると、その先は相模湾。この変化は劇的でちょっと感動します。その相模湾の中にぽつんと浮かぶ江の島。
公園になっている稲村ヶ崎から相模湾と江の島を眺めます。お天気ならここからは富士山が見えるのですが、今日はこれは残念。
稲村ヶ崎からは海沿いに江の島に向かいます。ここに来て空に青みが差してきました。このあたりは日差しが強烈で、暑い暑い。途中にある七里ヶ浜はサーファーでかなり賑わっています。ここは道脇に線路があり、時々江ノ電がやってきます。
江の島がぐんと近づいてきました。島からちょんと飛び出した高い塔がシーキャンドルと呼ばれる展望灯台でしょう。こうして見ると江の島には、ちょっとした高低差があるのがわかります。
ビーチには若者、湾にはサーファーとウィンドサーファーの姿が。ここは湘南だ〜
江の島は陸繋島で、平行して架かる自動車専用橋の江の島大橋と歩行者専用橋の江の島弁天橋で湘南海岸と繋がっています。
私たちは江の島大橋を渡り江の島へ。
シーキャンドルの下に見えるお寺のような建物の左側が江島神社(えのしまじんじゃ)の参道です。
時はちょうど正午。江の島の観光に入る前にお昼ごはんを。ここは海辺なので海産物は何でもおいしいですが、この時期の江の島は何といってもシラスです。
シラスの旬は春だと思っていましたがここでは夏にも食べられ、10月も旬なのだそうです。この時期のシラスは春のものより大きく、食べごたえがあるとも聞きます。しかしそうは言っても水揚げががなければどうしようもありません。ここのところ台風などで荒天続きですから。
シロスキーご推奨のレストランに確認すると、生シラス、あります! 江の島は人気の観光地だからか予約できるレストランが少ないのですが、ここは予約OK. 店の前に着くと大勢の人が並んでいました。予約しておいて良かった。さすがに名物のシラス、生も釜揚げもどちらもとてもおいしいです。
さて、シラス丼を堪能したらいよいよ江の島の観光です。江の島と言えば江島神社とその参道の弁財天仲見世通り。
仲見世通りはご覧の通りで、人の波・波・波。しかしクッキーによれば、今日はかなり空いている方だと言います。台風の影響を心配する人やラグビー観戦で外出を控えている方が多いのかもしれません。
ここでクッキーはどうしても食べたいものがあると言います。それはあさひ本店のたこせんべい。
江島神社の青銅の鳥居をくぐって100mほど行くと、目当てのあさひ本店がありました。店の前には行列ができています。それでもクッキーはどうしても食べたいと言い、一人この列に加わりました。他の面々はその辺をぶらぶらしながら、クッキーが出てくるのを待ちます。
あさひ本店のたこせんべいは蛸がまるごと2〜3匹入っている巨大なもの。高圧のプレス機にかけられ2分間焼かれます。海老が丸ごとプレスされたえびせんもあります。
念願のたこせんをゲットしたクッキーはとても満足そうでした。
仲見世通りを奥に進むとその突き当たりに朱の鳥居が立ち、階段の上に瑞心門が見えます。この瑞心門は竜宮城みたいですねぇ。
さて、ここ江の島はかなり高低差があり、その頂部までは254段の階段があります。そこで足腰が不安な方のためにエスカレーターが設けられているのですが、これ、上りだけだって。我らがシュンシュン爺とレイナ婆はこのエスカレーター・エスカーに乗って上に向かいました。
江島神社には三つお宮があります。
もっとも手前にあるのは辺津宮(へつみや)で、ここが一番低い位置にあるため下之宮(しものみや)とも呼ばれます。
辺津宮の前には小さな池が作られており、その縁に置かれた白い龍の銭洗白龍王像が持つ黄金色の玉から水が出ています。この像の横には『弁財天黄金浄水』とあり、白龍王の水源には純金の小判が埋込まれていると書かれています。
なんだかこのあたりはとっても銭系が多いですね。(笑)
辺津宮から東に向かい、中津宮(なかつみや)への階段を登って行くとその途中、視界が開けたところに出ます。
ここからは島の東にある港付近がよく見渡せます。写真中央のしゃれた白い建物には、湘南港・港湾管理事務所や江の島ヨットクラブが入っており、その向こうに江の島ヨットハーバーが見えます。
沖にはたくさんのヨット。
五代将軍徳川綱吉により1689年(元禄二年)に造営された中津宮は、平成の改修で当時の輝かしい朱色を取り戻しました。
その参道の両側に立つ一対の石燈籠は、江戸歌舞伎の市村座と中村座が奉献したものだそうで、ここには歌舞伎役者の手形も残されているとのこと。
中津宮からさらに上ると庭園のサムエル・コッキング苑の入口で、シーキャンドルもはっきりその姿を現しました。
サムエル・コッキング苑の前ではかなり本格的なマジックショーが行われていて、これにはちょっとびっくりしました。
もう一つのお宮奥津宮(おくつみや)はシーキャンドルの向こう側で、江の島弁財天信仰の発祥の地とされる海食洞窟の岩屋はさらにその先の島の最奥部にあります。
しかしここで時間切れ。私たちはもう戻らなければなりません。頂上の広場付近から南西の相模湾を眺めると、漁船が一隻、ス〜っと通って行きました。岩屋はあの漁船の目指す先の方にあります。
江の島を出たら向かうは境川自転車道ですが、境川の河口付近にはこの自転車道は整備されていません。そこで境川のすぐ西を流れる自転車道がある引地川まで行くことにしました。
境川を渡り、海辺の遊歩道を行きます。
この海岸は片瀬西浜・鵠沼海水浴場で、この日はかなりの人で賑わっていました。
自転車にサーフボードを積んで移動するサーファーもたくさん。
引地川にやってきました。
この右岸には引地川緑地があり、遊歩道が整備されています。この道は境川の自転車道と同じく神奈川県道451号藤沢大和自転車道線になっているようですが、交差する車道が頻繁に現れ、そこは車道を横切らなければならないのがちょっと残念。
境川の自転車道は国道一号線のすぐ北に架かる鷹匠橋から始まるようなので、上村橋で引地川自転車道を離脱し、藤沢市民病院を目指します。
藤沢市民病院の横で境川沿いに出、鷹匠橋から自転車道に入りました。この自転車道は一般道と平行して作られていますが、車道との間にはフェンスがあって不安なく走れます。
周囲に田んぼが広がるようになると、先に超高層ビルが見えてきました。しかしこの建物、頂部がお寺のような格好でなんの用途か見当が付きません。
シュンシュンによればあそこは横浜ドリームランドの跡地で、あの建物はホテルだったそうですが、現在は横浜薬科大学の図書館になっているとのこと。
その横浜薬科大学がぐんと近づいたところで、シュンシュンがこの近くにおいしいアイスクリームが食べられるところがあると言います。これは行かなくちゃあ、ということでその飯田牧場に行ったのですが、アイスクリームを食べるのに夢中になり、そこの写真はなし。m(_ _ )m
アイスクリーム休憩のあとは並んでどんどこ境川を遡って行きます。
境川自転車道の周囲から田んぼがなくなると住宅街を行くようになります。
台風の影響でかR246の先の数百mとr56町谷原通り付近だけ通行止めでしたが、その他は問題なく町田に入ることができました。
無事に町田に到着した私たちを待っていたのは、事情があり昼間走れなかったシロスキー。この日の打ち上げはまずおいしいタイ料理から。
食事半ばで入ってきたラグビーのニュースはフランス対ウェールズ戦の終盤で、フランスが19対13でリードしているというもの。フランスに入れ込んでいるクッキーはこのニュースに大喜びでしたが、な、なんと最後にウェールズが逆転。フランスは一点差で負けたのでした。
これにはガックシのクッキーでしたが、このあとの日本対南アフリカ戦を観戦しようと、隣のアイリッシュパブにみんなで移動。この試合、前半は日本も善戦しましたが、結局は力負けでした。でもまあ、みんなで見るラグビーは楽しいものでした。
さて、今日のポタリングですが、心配された台風の影響はほとんどなく、問題なく走れて良かったです。このコースは、前半の鎌倉、中盤の江の島、後半の境川と、変化が楽しめるのがいいところでしょう。