下館駅
今日は思い出のコースを。
小貝川は栃木県那須烏山市曲畑の小貝ヶ池に源を発し、利根川に合流するまでの全長111.8kmの流れです。 この小貝川に沿って、茨城県の下館から同県の守谷まで約60kmを走ります。
下館駅付近
やってきたのは茨城県築西市の下館駅。なんとこの駅にはJR水戸線、関東鉄道常総線、真岡鐵道と三本の路線が乗り入れているのですが、マサキンが乗って来た常総線はたったの一両編成のかわいらしいディーゼル機関車。それに勝るとも劣らない鄙びた真岡鐵道にはSLが走ります。
水戸線の鉄橋をうしろに
下館駅から東に進むとすぐに五行川の畔に出ます。
五行川は小貝川の支流で、ここから3kmほど南の筑西大橋で小貝川に合流します。
五行川の白鷺
五行川の土手を南に向かうと、川の中に真っ白なものがたくさん。
何かなと思って近づいてみると、それは白鷺でした。白鷺がこんなにたくさん群れを成しているのは初めて見ました。
五行川と筑波山
先に堰が見え出すと、その向こうに見覚えのある山が現れます。
双耳峰の筑波山です。
筑波山を正面に
五行川の土手は穏やかな弧を描いており、そのうち筑波山が正面に見えるようになります。
その筑波山目指してどんどこ。
水管橋と小貝川の土手
今日は気温は高くないものの快晴で、風もなく穏やかな天気です。
紅葉の屋敷林
この日は11月最後の日。
例年なら紅葉がいい頃だと思いますが、今年の秋はとても気温が高かったため、このあたりの木々はあまりいい色になっておらず、ケヤキは赤くならずにすでにだいぶ葉を落としてしまっています。
小貝川と加波山
筑西大橋をアンダーパスすると五行川は小貝川となっています。
その小貝川の東に見えるのは、筑波山から北に延びる加波山系の山々。
新大橋から見る小貝川
ここまでは五行川から小貝川に入りその右岸を走ってきましたが、新大橋で左岸に移ります。
小貝川の右岸側には大谷川が流れ込み、そのあたりの土手上が未舗装だったように思ったからなのですが、これはすでに舗装されていたようで、ここはどちらを行っても良かったようです。
二つの頂が近づいてきた筑波山
左岸に移ってからも土手上の道をどんどん南下します。
筑波山には頂が二つあるので、見る角度によって大きくその姿が変わるのが面白いです。この二つの頂は、左が女体山、右が男体山で、女体山の方がごく僅かに高く、標高877m。
マサキンと筑波山
その筑波山を横目にマサキンがどんどこ。
マサキンとサイダー
マサキンと並んで走るサイダー。
男体山
ここで後ろを振り向くと、北西の雲の中にうっすらと日光の男体山(2,486m)の影が。
近くに二つの男体山があって紛らわしいのですが、こちらは中禅寺湖の北にある山です。
畑の中の筑波山
一方、東を見れば筑波山。
日光の男体山とこの筑波山の標高はかなり違いますが、関東平野の中にただ一つだけ聳える筑波山は、男体山に負けないだけの存在感があります。
ところでこの写真の頂はいくつに見えますか?
サリーナと加波山
筑波山の周辺には先ほどから見えている加波山などの低い山があります。しかしそれらはうんと低いので、筑波山だけが良く目立ちます。
新大橋の次の黒子橋を渡って右岸に戻ります。またあの小貝川と筑波山のセットの絵が現れるようになりました。
小貝川と筑波隠しが見える筑波山
このあたりになると、女体山は男体山に隠れてしまいますが、男体山のすぐ北にある標高709.7mの『筑波隠し』と呼ばれる頂が見えてきます。一般的に双耳峰と言われる筑波山は、実は三つ頂きがあるのです。
この『筑波隠し』の名ですが、南から見ると筑波山に隠れているからなのか、はたまた北側から見ると筑波山を隠すからなのか、判然としません。
小貝川ふれあい公園上流コアゾーン
下館駅から1時間ほど走ると下妻市の『小貝川ふれあい公園』に入ります。
小貝川ふれあい公園はスポーツゾーンやフラワーゾーンなど、いくつかのゾーンからなる広大な公園で、上流側には『オオムラサキの森』があります。この西側は駐車場とトイレがあるコアゾーンになっており、ここで一休み。
小貝川ふれあい公園ネイチャーセンター
『オオムラサキの森』からさらに南下するとすぐ、昆虫の顔をしたネイチャーセンターや子供広場が現れます。このあたりが南北に長い小貝川ふれあい公園の中心部です。
ネイチャーセンターはどうやらオオムラサキを象ったものらしいのですが、正面からは昆虫の顔としか分かりませんでした。
小貝川ふれあい公園の花畑から見る筑波山
ネイチャーセンターの南には花畑があります。この季節にはそこには何もありませんが、春にはポピーやカスミソウ、秋にはコスモスで一面が埋め尽くされます。以前来たときはちょうどシーズンの最後で、お花摘みができましたよ。
このあたりから見る筑波山は男体山の右側に再び女体山が見えてきて、さらに筑波隠しも見えるのでまさに三耳峰です。
糸繰川
小貝川ふれあい公園を出ると小貝川に流れ込む糸繰川を渡ります。
小貝川と筑波山
糸繰川はすぐに小貝川に合流し、また小貝川と三耳峰の筑波山との競演が始まります。
宝篋山(小田山)
筑波山の南にも山はあります。
これらの山々はかなり低いので名のないものが多いのですが、ごく最近、国土地理院の電子地図に宝篋山(小田山)(406.7m)が記載されました。
筑波山をうしろに
その宝篋山が真横に見えるようになると、筑波山はうしろになります。
富士山
南西の低い位置に、ぼーっとした雲のようなものが見えます。
この雲のようなものが富士山であることがわかるまでに、大して時間は必要ありませんでした。マッチング能力、良くできたAIよりは劣るのかもしれませんが、人の脳もなかなかのものです。
このルート、筑波山に加え、男体山に富士山まで見られるのです。
うっすら紅葉
常総市に入ると河川敷にちょっとした林が現れ、小貝川は見えなくなります。
これらの木々はごく僅かに紅葉していますが、ボーっとした色ですね。今年の紅葉はこれで終わってしまいそうです。
セイコーマート
土浦境線の長峰橋で自転車道を降り、すぐ西を走る下妻常総線にあるコンビニエンス・ストアに向かいます。
2005年の6月に今日とほぼ同じコースを走りましたが、その日はとても暑く、ここに駆け込んでみんなでかき氷を食べたり氷をカチ割って涼んだのでした。今日は暑くも寒くもないサイクリング日和なので、氷ではなくコーヒーをいただきました。当時はなかったと思いますが、ここには気持ちのいいイートインが造られていました。
田んぼの中のお城
かつてこのあたりを通る度に気になっていた建物が、この日も見えます。お城です。それもかなり高いです。
今日は時間にゆとりがあるので、あれが一体なんなのか、見に行くことにしました。
紅葉する木々
R294常総バイパスを通り越すとお城が近づき、その手前に今日一番の紅葉がありました。
お城の下までやってきました。そこには『常総市地域交流センター』とあります。多目的ホールと図書館、展望室などからなる施設です。1992年(平成4年)オープンですから、ここがまだ石下町だったころのバブル時代に建てられたものですね。
豊田城
この施設はまたの名を豊田城と言うそうです。平安時代末期から戦国時代までこの地方を支配した豊田氏が小貝川沿いに築いた城館が豊田城と呼ばれたことから命名されたそうですが、その城は茅葺き屋根のこじんまりしたものだったようです。
国道に出たので、ロードサイドのトンカツ屋さんでお昼にしたあと、再び小貝川の土手に戻ります。
うしろに遠ざかる筑波山
筑波山からちょっと離れました。まだその三つの頂は見えますが、だいぶ形が変わってきました。
この山は周囲をぐるりと廻れます。車なら半日以下で、自転車でも1日あれば充分それが可能ですので、見る角度によって変わる山形を360°楽しむことが簡単にできます。
福雷橋と豊田城
小貝川に沈下橋が架かっています。福雷橋です。なかなか良い名の橋だと思ったら、これは手前の常総市側の福二町、対岸の『つくば市』側の雷神集落の頭文字を繋げただけのもののようです。
ここからもあの豊田城が見えますね。
筑波山と宗教建築
福雷橋の南にもかねてより気になる建物がありました。
見るからに宗教施設のようですが、今回わかりました。これは真光系の教団の一つのようです。
小貝川、マサキン、サリーナ
この巨大建築を過ぎると、筑波山やその南にある宝篋山はすでに後方に去ってしまっているので、もう前方には何も見えません。
ただ横を穏やかな小貝川が流れるだけです。
福岡堰
その小貝川の流れの先に堰が見えてきました。福岡堰です。
福岡堰付近から筑波山を見返る
ここでやって来た側を振り返ると、宝篋山から続いている筑波山の姿が良くわかります。
福岡堰
福岡堰を渡ります。
この福岡堰は関東三大堰の一つに数えられ、1625年(寛永2年)に灌漑用水用として建設されました。何度も改築が重ねられましたが、現在も下流域の水田の水源となっています。
福岡堰から見る筑波山
福岡堰の北側は人工的に河川敷が広げられたようで、ここだけ広い州ができています。
小貝川の東側は『つくばみらい市』になります。福雷橋の先は『つくば市』でした。『つくばみらい市』と『つくば市』、紛らわしいですねぇ。
福岡堰さくら公園
福岡堰で取水された水は小貝川と平行して用水路を南に流れて行きます。
この一帯は福岡堰さくら公園として整備されていて、2km近く桜並木が続きます。
沈下橋
小さな水門を過ぎると小貝川の中に沈下橋が見えてきます。
常総橋
この橋、地図には常総橋とありますが、現地のプレートからは橋の名は読み取れませんでした。金属板が腐食してしまっており、書かれていたはずの名称が見えないのです。
常総橋から見る小貝川
この日の小貝川は穏やかそのものですが、この前の台風の時は、おそらくこの橋は水没したに違いありません。
回転式欄干
沈下橋には欄干がないことが多いですが、この橋には立派な欄干があります。
しかしこの欄干を良く観察すると、柱は固定ですが、欄干自体は回転するように造られていることがわかります。おそらくこの前の台風時にはこの欄干は水平になっていたはずです。
川又橋
もう一つ沈下橋が出てきました。
こちらは川又橋で、遠景で見る構造は先の常総橋とそっくりです。
小目沼橋
小貝川が蛇のようにのたくり出すと、そこに長い沈下橋が架かっています。
木造の小目沼橋(おめぬまばし)です。
小目沼橋にて
この橋は幅員は1.5mほどしかありませんが、全長は95m。木造の沈下橋としてはかなり長い方でしょう。
小目沼橋にてその2
長い木造橋として有名なものには大井川に架かる蓬莱橋(ほうらいばし)897.422 mや、木津川に架かる上津屋橋(こうづやばし)356.5mがありますが、これらは橋脚に鉄筋コンクリートが使われています。
一方、この小目沼橋は橋脚も含めてすべて木製のように見えます。
小目沼橋を渡る
この橋、台風15号や19号でよく流されなかったものです。
小さくなった筑波山
筑波山、あんなにちっちゃくなっちゃった。
稲豊橋と小貝川
稲豊橋までやってきました。今日はこのあと守谷でちょっとしたイベントがあります。しかしその時刻までは少し時間があるので、このちょっと南にある間宮林蔵記念館を覗いてみることにしました。
間宮林蔵生家
間宮林蔵は1780年(安永9年)、このあたりに生まれ、伊能忠敬に測量技術を学び、間宮海峡を発見して樺太が島であることを証明した人です。
その記念館には林蔵の測量関係の資料などが展示されており、またこれに隣接して移築復元された林蔵の生家があります。
間宮林蔵像
記念館の入口には間宮林蔵の像が立っています。手に持っているチェーンは測量に使う道具のようです。
林蔵は農民の出身でしたが、利根川東遷事業の一環として行われたここから少し南の岡堰の普請に加わった折、幕臣に才能を見込まれ、後に幕府の下役人となります。
生家の座敷
20歳で初めて蝦夷地に渡り、21歳の時に伊能忠敬の弟子になり、以降、蝦夷や樺太の測量に携わることになります。
座敷の床の間
この生家を見ると、間宮の家は庄屋クラスの格付けの高い農家というわけではなく、ごく普通の農家だったようです。
それでも座敷に床の間と思われるものがあるので、中よりは上だったのでしょう。
林蔵の墓所はこのすぐ北にある専称寺にあります。
間宮林蔵記念館付近
私たちが記念館の見学を終え、まさに今出ようとしているところにジーコマリアがやってきました。
ここからはジーコマリアを含めた四名で2ndステージの集合場所に向かいます。
稲豊橋から見る小貝川
少し戻って稲豊橋を渡り、守谷駅方面に向かいます。
私たちはここで小貝川と別れますが、小貝川の流れはここからさらに20kmほど旅をし、利根川に流れ込みます。
思い出の居酒屋
守谷でレイナ、レイそしてアンドレが合流し、2ndステージのイベントへ。そして最後は守谷駅前の思い出のある居酒屋に突入。たくさんの思い出を回想し、ゆっくり杯を傾けました。
師走に入る直前のこの日は快晴で暖かく、ゆったりとした流れの小貝川と、関東平野の中に鎮座する筑波山をたっぷり眺めることができました。このコース、初級者も安心して走れるフラット快走コースです。