師走も半ばとなり、令和元年も余すところ半月となりました。紅葉は都心では終わりましたが、多摩地方はまだ残っているでしょうか。いや、残っていなくてもいい。カサコソと音をたてる落ち葉の上を走るだけでもいい。
そう思ってやってきたのは多摩センター駅。駅前ではクリスマスの準備が着々と進められており、電飾のアーチやクリスマスツリーが飾られています。
天気予報は晴れでしたが、空は白く、ちょっと寒いです。
今日は小野路(おのじ)と相原(あいはら)にある古道をメインとする地道三昧の企画です。まずは小野路へ向かうべく、駅前からまっすぐ南に伸びるスーパーデッキを行きます。
デッキの正面にあるパルテノン多摩を廻るようにして進み、多摩中央公園に出ました。
すると、お〜〜、紅葉! それもまだ盛期という感じです。これはいけるかも。
多摩中央公園から下り、いったん一般道に出て、落合団地の中を行く遊歩道に入ります。
するとこの団地の中にも鮮やかに色付いた木々が。
この遊歩道にはいくつかの橋が架かり、大きな道を跨いで進んで行きます。
車に煩わされず、快適です。
尾根幹線道路を跨ぐと一本杉公園に入ります。
色鮮やかなモミジが目に飛び込んできました。もう終わっているだろうと思っていた紅葉ですが、このあたりではまだ最後の輝きを放っているようです。
今日は絶対にいける! 希望は確信に。
『わ〜、ここの紅葉、素敵ですね〜』 と、初参加のマコちゃんもちょっと感激のよう。
紅葉、残っていて本当に良かったです!
一本杉公園で色鮮やかな紅葉を楽しんだら、恵泉女学園の横を通り、妙櫻寺から細道に入ります。
ここは小野路町。周辺はニュータウンで埋め尽くされましたが、このあたりにはちょっとした里山がかつてのまま残っています。多摩丘陵の原風景!
その里山の雑木林もきれいに紅葉しています。
小山の合間に築かれた畑を横目にこの細道を下って行くと、布田道(ふだみち)に出ます。
布田道は甲州街道布田五宿(ふだごしゅく・現調布市)と、この下にある小野路宿を結んでいました。幕末には、小島鹿之助の道場(現小島資料館)に剣道指南のために招かれた、のちの新撰組組長、近藤勇が通ったそうです。
ひっそりとしていて鄙びたいい道。
この布田道を西に向かえば、二つ谷戸があり、その先で急な上りになります。
この上りの先は『関谷の切り通し』と呼ばれ、このあたりの有力な氏族だった小山田氏が関所を設けていたところのようです。
えっこらよっこらと自転車を押し上げて、関谷の切り通しに到着。
切り取られたむき出しの土の壁。なんとも味わいがあります。
関谷の切り通しから下り、いったん小野路宿通りに出たら、すぐに小野路の西側のゾーンに入ります。
この入口を入るとすぐに道は森の中を行く激坂になり、ちょっとあへあへ。
二股の道を左に行くと、『あした農場』の小さな標識があります。陽が照り出して暑くなってきたのでここで上着を脱いでいると、農家の方がやって来て、野菜が欲しいんですかと聞いてきました。ここには時々野菜を求めにやって来る人がいるのでしょうか。残念ながらそうではない旨を伝えると、100円単位で分けるからいつでもどうぞ、とおっしゃってくださいました。
地元の方とのちょっとしたおしゃべりは楽しいものでしたが、この道は行き止まりだったので、戻ってやり直し。
あした農場の上の道を行き、別の畑の横をすり抜けて森に入ります。
森の中は落ち葉がびっしり。ダートが超苦手なクッキーは、即押し!
『カサコソ道って何かなって思ったんですが、これね〜。楽しめるかどうかはまだちょっと・・・』
マコちゃんは自転車を入手してからまだ日が浅いそうですが、なんとこの森の中を楽々と走り抜けて行きます。お〜〜〜!
カサコソ道、最高に楽しい!
細い舗装路に出て萬松寺に向かえば、六地蔵があります。
しかし何かおかしい。このお地蔵様の数を数えてみると、あれれ、七体ある! 六地蔵じゃなくて七地蔵?
地蔵尊の横にある石には『左 大山道、星谷道』とあります。大山道は伊勢原の大山阿夫利神社への道。星谷道(ほしのやみち)は座間にある坂東三十三観音札所八番の星谷寺への道です。
この道標の示す方に進めば万松寺谷戸が現れます。谷戸は谷津田とも呼ばれるように田んぼですからこの時期は何もありませんが、それを取り囲む丘の木々はいい色です。
万松寺谷戸からはちょっときつい上りです。谷戸は丘の中にあるので、そこから出る時は大抵上りなのです。
この坂を物ともせずにガシガシ上って行くはシュンシュン。
坂の上には小さな畑がありました。
白菜などの葉ものが並んでいます。一番向こうに見えるのはブロッコリーですが、その葉っぱの大きいこと!
『ひゃー、ブロッコリーの葉っぱってこんなに大きくなるの?』 と、びっくり仰天のマージコ。
このあとはいよいよ小野路の佳境に入ります。先には小野路城址があり、その周囲はちょっとした森なのです。
落ち葉に隠れていて見えませんが、道にはごろごろと小石が散らばっていてとても走りにくく、あげくの果てに上り。ここは全員押しです。
これまでほとんど乗って走って来たマコちゃんも、ここでついに押しに。
そしてサンダリアスは押すよりこっちの方が楽と、担ぎに。
えっこらよっこらと押し進んで小野路城址に到着。小野路城址は道より一段高くなったところで、土塁や空堀が残り、主郭だったところには小さな社が立っています。
ここで全員集合の一枚。
小野路城址から先はなんとか乗って走れるようになりました。
カサコソ、ふっかふか〜 いい気持ち!
前方が急に明るくなると、そこは奈良ばい谷戸。
ここは小野路の西側の谷戸の中ではもっとも大きなもので、ボランティアの手によっていつもきれいにされています。
周囲の木々もいい色です。ずっと先には丹沢の山々が見えます。
よく見ればその山の上から白い頂が。富士山〜〜
落ち葉が積もったふかふか道を下って行きます。木漏れ日も美しく、ここはほんわかいい気分。
先に小屋が見えてきました。あれは炭焼小屋でしょうか。あの向こうに三角屋根の小さな小屋もあります。運が良ければこのあたりから炭を焼く煙が立ち上るのが見られるかもしれませんね。
上から谷戸を眺めたら、ゆっくりその縁を下って行きます。下の方にはかわいらしい藁ボッチが造られていました。(TOP写真)
『藁ボッチってなんですか〜』 とクッキー。なんとクッキーは藁ボッチを知らないのです。(笑) 最近の稲は植えるのはもちろん、刈り取りから脱穀、そして藁の処分まで機械でやってしまうので、藁ボッチが造られることはほとんどありません。ですから、まあ、若い方は知らないかもしれませんね。
機械化される前の稲は、刈り取られると天日干しされ、そののち脱穀されました。籾を脱穀した残りを稲藁と言いますが、これは田畑の肥料となり家畜の餌となり、また、草履や縄など様々な用途に使われたので、田んぼの横に積んで大切に保管されました。これが藁ボッチです。藁ボッチが高く積み上げられるのは茅葺き屋根のように雨を防いで、長期間保存するためです。
ここの藁ボッチは下が刈り込まれ、足まで付けられています。この形は雨を防ぐという意味では合理的ですが、手間が掛かるのであまりやられないと思います。ちょっとした遊び心、愛嬌でしょうか。
藁ボッチの下には小さな水路がありました。
『わ〜、この水きれい。タニシ、いるかな〜』と水路を覗き込むミルミル。ミルミルはタニシを知っている!(笑)
さて、奈良ばい谷戸を出たら小山田緑地に向かいます。
田んぼの先に小山田緑地の森が見えてきました。大きな木々はみんな真っ赤!
緑地内に入れば、黄色、オレンジ色、赤と見事な紅葉が続きます。
みはらし広場に出ました。ここからは丹沢山系の山々がよく見えます。うっすらと富士山も。
小山田緑地はいくつかのゾーンから成ります。本園のみはらし広場を出て、アサザ池とトンボ池を巡ってみました。
アサザは睡蓮を小さくしたような葉っぱを持つ水性植物で、夏から秋に掛けて黄色の小さな花を咲かせます。このほとんどはクローンで、種子を作れるのは霞ヶ浦に生育するものだけでしたが、現地NPOにより2018年に自生アサザの消滅が宣言されました。季節によるのかもしれませんが、ここのアサザ池のアサザも以前より減っているようです。
トンボ池の周辺の紅葉はほぼおしまいですが、まだ鮮やかなオレンジ色の木も見られます。
二つの池を眺めたら尾根緑道に向かいます。
諸般の事情で予定より45分も遅れて、シロスキーと待ち合わせた谷戸池公園の上の尾根緑道に到着。すまん、シロスキー。
尾根づたいに延びるこの緑道は桜の季節もいいですが、紅葉の時期も味わいがあります。
桜や欅はもうおしまいですが、モミジはまだ盛りです。
どうです、この赤!
オレンジ色の木々もたくさん。
この尾根緑道が今年見た紅葉では一番です。来てよかった〜
行く手の視界が開くと、そこは小山内裏公園の東展望広場。
ここからも丹沢方面の山々が見渡せます。
小山内裏公園の西の端まで進むと、先に鑓水小山給水所の塔と紅葉した小高い丘が見えます。そのさらに先に見えるのは高尾山あたりでしょうか。
多摩美術大学の横を通り抜け、R16に出たら遣水交差点付近で昼食です。
さて、午後の部は本日のメインイベントとなる古道巡りです。
地図を見てください。遣水交差点からバイパスでない方のR16を北に向かうと、御殿峠という名の交差点があります。R16はここで切り通し状の峠を越えて八王子側に下っています。かつてはこのR16の西側に御殿峠を越える道がありました。古道巡りの第一弾はこの御殿峠古道と呼ばれるものです。
激坂を上って八王子バイパスをオーバーパスし、その西側の森の中へ。
御殿峠古道の入口は戸建住宅地の奥にある写真のところですが、ここには古道を示す案内板などは一切はありません。
この計画を思いついたのは、遣水から城山湖に向かうのにいい道がないか探していたとき、この丘の中に小径があることに気が付いたことがきっかけです。調査するうちにその道はどうやら古い鎌倉街道であるらしいことがわかったのです。
入口を入るとほどなく分岐が現れます。ここは右手の車止めのある方が古道へ続く道です。この車止めをすり抜け奥へ進むと、最初は一間ほどの幅があった道ですが、どんどん狭くなり、ほとんど獣道のようになります。この道を通る人はもうほとんどいないようです。
これが古道なのか?
ここには古道の多くに見られる掘割のような形状は認められません。実はこの道は古道のすぐ横に造られた新道であるらしく、このすぐ西側に掘割状遺構があるのですが、それは薮に埋もれており、ほとんど確認できない状態です。
まあ私たちは古道マニアではないので遺構の確認はそこそこにして、この古い新道が延びる先へ向かいます。この道はほぼ直線で、ごく緩やかな上りです。
乗って進めるところは自転車に股がり、そうでないところでは自転車を引きずって進んで行きます。
光實院方面に下る道やコンクリート製の万年塀といったものが現れますが、それ以外はほぼ薮の中といった雰囲気です。
右手の木々の合間から結婚式場の日本閣の白い建物が見え出すと、この道は突然終わりを迎えます。
下に見える新しく造られた道路で丘が分断されたのです。重要な道であればここに橋が架けられたのでしょうが、この古道はすでにその本来の機能を失っていたのでしょう。
さて困った、と思ったら、すぐ横に下に降りるフットパスができていました。
しかしその先は垂直に近い崖で、手摺代わりにロープが張られてはいるのですが、自転車を担いで降りるのはむずかしそうです。ここは戻って光實院に向かう道を使うことにしました。
ぐるっと廻って日本閣の横までやってくると、先ほどの崖です。シロスキーとミルミルの間が上の写真から降りたところ。
この御殿峠古道は日本閣の敷地の中へと続いていくのですが、ここは私たちはこれでおしまいにし、もう一つの古道、七国峠古道に向かいます。
ぐるっと廻って東京造形大学のある丘にやってきました。この丘も全体がまだ紅葉を残しています。
七国峠古道はこの丘のずっと奥にあります。
東京造形大学の入口から200mほど南に、七国峠古道に繋がる散策路の入口があります。
この入口は、知っていなければ決して足を踏み入れない類いのものでしょう。
先ほどの御殿峠古道はもうすぐ道ではなくなると思いますが、こちらはどうでしょう。
恐る恐る森の中へ踏み入ると、なんと結構広い道が続いています。落ち葉が敷き詰められたふっかふか道が続きます。
時計の針は15時を回り、陽の光がだいぶ弱くなってきました。気が付いたところが撮影ポイント。ここで全員集合の写真を。
ダート道にカサコソ道、ふっかふか道を押したり引いたりなのに、みんな楽しそう!
道が丘の北側まで行くと、その先にはあっと驚く光景がありました。丘のエンドはバッサリと切り取られた崖で、その下に巨大な産業施設や戸建住宅がびっしり。
遠くに見えるのは奥多摩の山々で、大岳山がピョコンと頭を出しています。戸建住宅側は八王子市で、散策路があるこちら側の森は町田市です。土地を開発するかこれまでのように土地を保存していくかの違いは市の違いによるものなのか、もっと大きなマスタープランに基づくものなのか。
驚きの光景を見たあと崖に沿って西へ向かうと、いったん窪地に下ります。ここには丘を南北に貫く道があり、北は新たに開発された戸建住宅地に続いています。
窪地からさらに西に向かって進めば、ここはちょっとした上り。道は次第に南にカーブして行きます。この頂部付近に『七国峠(nanakunitoge)』の標識が立っています。それによるとこの道は、今から800年ほど前の鎌倉古道跡だそうです。
道が別れ、一方は大日如来像へ上り、もう一方は出羽三山供養塔に続いています。ここは出羽三山供養塔に向かいます。
道がはっきり南を向くと、先に出羽三山供養塔が現れます。出羽三山とは山形県の中央部に聳える月山、羽黒山、湯殿山のことで、この中で農民の崇拝がもっとも厚かったのは湯殿山だったそうです。
このことを証明するように、正面の木の裏側にある石塔には、中央に大きく湯殿山、右に月山、左に羽黒山と書かれています。その右面には石塔の建立年を示す天保十年の文字が見えます。天保十年は1839年。今から200年近く前にこの碑は立てられたことになります。
ここで言う供養ですが、それは先祖供養の供養とは少し意味合いが異なるようです。『供養』という言葉はサンスクリット語からきているとされ、元々は『尊敬』を意味する言葉らしいのです。今なら出羽三山崇拝塔とでも言うべきでしょうか。この石塔に手を合わせると出羽三山にお参りしたことになるというわけです。
出羽三山供養塔のところで道は二手に分かれます。左を行くと相原中央公園に抜けます。右の道はこんなで掘割のように見えます。鎌倉街道の標準的な掘割は底部がもっと広いので、ここがかつての鎌倉街道の遺構ということではないかもしれませんが。
このさらに右手には大日如来像に上る細道があるので、自転車をここに置いて大日如来まで行ってみることに。
歩くこと2〜3分で大日如来像前の開けた空間に到着です。ここはこのあたりの最高標高地点で、地形図には三角点223.2mとあります。
如来の横に七国峠の説明書きがあります。それによるとここからは、関東の七州、武蔵(むさし)、相模(さがみ)、甲斐(かい)、信濃(しなの)、安房(あわ)、下総(しもうさ)、上野(こうずけ)が見えたそうです。関東にはこの他、常陸(ひたち)、上総(かづさ)、下野(しもつけ)がありますが、それらは見えなかったのでしょうか。
この付近を調査してくれたシュンシュンによると、この大日如来像から南西に尾根を行く道もあるそうですが、私たちはいったん出羽三山供養塔まで戻り、谷を下ります。
掘割状の道を下って行くと、あっというまに下界に下りました。民家が現れ足下がアスファルト舗装になると、一気に現実界に引き戻されます。
さっきまでは如来の招きで天国にいたようです。
相原中央グラウンドの前を通る一般道に出ました。時は16時過ぎ。予定より1時間も遅くなってしまいました。
七国峠古道はこの道を跨いでさらに南に続くのですが、今日はもういいでしょう。ここは次に取っておくことにして、フィニッシュ地点を検討しましょう。
予定では八王子上がりのつもりでしたが、全員一致で橋本に変更。
町田市と相模原市の境界を流れる境川に沿って細道を進んで行きます。この川沿いでもきれいな紅葉を見ることができました。
残照を受けた真っ赤なモミジの下をとっとこ進んで、橋本駅前に到着。
橋本の駅前は再開発され、巨大なスーパーや超高層ビルが立ち並んでいます。平屋の建物と畑しかなかったころの橋本しか知らないサイダーは目を白黒させています。
昔からある一軒の飲み屋に入り反省会を。遅刻常習者は反省を。自転車はたまにはチェックしましょう。曲がり角では後続が来ていることを確認してから曲がってね。ね、みなさん。
さてさて、それは置いておくとして今日のコース、まずは紅葉が残っていて最高でしたね。お天気も上々で良かったです。地道三昧は途中で泣き出す者が出ないかとヒヤヒヤものでしたが、意外とみんな楽しそうで良かったです。地道が多いのでそういうところを走り慣れていないとちょっときついかもしれませんが、押したり引いたりすれば初級者でも大丈夫です。たまには地道コースもやりましょうね。(笑)