2005

ツール・ド・江戸川区 名所江戸百景3

開催日 2000年02月11日(火)快晴 最高気温11°C 風少々
参加者 マージコ/ミルミル/サイダー
ビジター マコちゃん
総合評価 ★★
難易度
走行距離 53km
累積高度 200m
地域 首都圏
東京都

旧中川
旧中川

コース紹介

東京都の東端にある江戸川区をぐるり。旧中川、荒川、小松川境川、新中川、江戸川、旧江戸川と辿り、葛西臨海公園から東京湾を眺めます。影向の松、新川の火の見櫓、旧小松川閘門、旧中川の水陸両用バスと河津桜といった見どころも。

動画(06'51" 音声:BGMのみ)

地図:GoogleマップgpxファイルGARMIN ConnectRide With GPS

発着地 累積距離 発着時刻  ルート 備考
平井駅
START 発09:00 一般道
旧中川沿い
JR総武線北口
水道橋08:13→08:29平井/170円
木下川排水機場 3km 着09:15
発09:15
荒川自転車道 木下川水門
旧中川の水質の保全再生のため荒川から取水も
小松川橋 6km 着09:30
発09:30
小松川境川 荒川
小松川境川沿いは親水公園
八蔵橋 8km 着09:45
発09:45
小松川境川
一般道
佐倉道だった五分一通りに架かる
小松菜屋敷 10km 着10:00
発10:10
一般道
小松川境川
香取神社境内に『小松菜ゆかりの里』の石碑
辰巳新橋 13km 着10:20
発10:20
新中川沿い 新中川
八幡神社 17km 着10:50
発10:55
江戸川自転車道 南に鶴の湯
小岩市川の渡し跡 20km 着11:05
発11:10
江戸川自転車道 小岩市川関所跡、元佐倉みち
京成本線南側
善養寺 21km 着11:20
発11:30
江戸川自転車道 影向の松(ようごうのまつ):繁茂面積日本一
/国天然記念物
篠崎ポニーランド 24km 着11:40
発11:50
旧江戸川沿い ポニー乗馬、馬車乗車など
江戸川水閘門 25km 着11:55
発12:00
旧江戸川沿い 旧江戸川、江戸川水門or篠崎水門とも
すぐ上流に江戸川との分岐点
 昼食 30km 着12:20
発13:25
旧江戸川沿い メルカート★/03-3677-3707
今井の渡し旧跡 31km 着13:35
発13:40
旧江戸川沿い 名所江戸百景『利根川ばらばらまつ』視点?
瑞穂大橋 32km 着13:50
発13:50
旧江戸川沿い 新中川落合、今井水門
南に新川東水門
妙見島向かい 36km 着14:10
発14:20
旧江戸川沿い みょうけんじま:東京23区中唯一の自然島
名所江戸百景『利根川ばらばらまつ』?
葛西臨海公園 39km
40km
着14:40
発15:15
荒川自転車道
中川沿い
葛西臨海水族館、クリスタルビュー
渚橋、水上バス:冬季はなし
新川火の見櫓 46km 着15:35
発15:40
新川沿い 10:00-15:00、新川西水門広場
新川西水門跡、新川千本桜
船堀橋 47km 着15:45
発15:45
荒川自転車道 荒川
自転車可エレベーター(東側南北2箇所)
大島小松川公園 48km
49km
着15:50
発16:00
旧中川沿い 荒川ロックゲート、小名木川排水機場
旧小松川閘門、名所江戸百景『中川口
中川船番所跡 50km 着16:10
発16:30
旧中川沿い 名所江戸百景『中川口』視点
水陸両用バス、川の駅
逆井の渡し跡 51km 着16:35
発16:35
旧中川沿い 名所江戸百景『逆井のわたし
亀小橋 51km 着16:40
発16:45
旧中川沿い 名所江戸百景『逆井のわたし』視点
平井駅 53km 着17:05
松ちゃん/03-3638-1682
日の入り17:14/江戸川区散歩ガイド/名所江戸百景:Wikipedia地図
国会図書館デジタルコレクション錦絵でたのしむ江戸の名所浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」

平井駅北口駅前平井駅北口駅前

ツール・シリーズ、今回は江戸川区。その中にある歌川広重の名所江戸百景は三点です。

JR総武線の平井駅前に集まったのは、左よりマージコ、ミルミル、ビジターのマコちゃん。そしてカメラは企て人のサイダー。この駅前には面白い表示がありました。みんなが指差している『A.P.±0m』。A.P.はArakawa Pailの略で、Peilは、水位または基準面を表すオランダ語です。このあたりの川の水位の基準と理解すればいいでしょう。ここの高さは見ての通り±0mより低い-0.70mなので、堤防が切れると水浸しということになりますね。

旧中川と東京スカイツリー旧中川と東京スカイツリー

平井駅からはまず旧中川の畔に出ます。すると正面に東京スカイツリーがバ〜ン。この旧中川は江戸川区と墨田区の区界になっています。

旧中川に沿って北へ進みます。このあたりの岸辺は遊歩道になっていて、水面のすぐ横を走れて気分よし。(TOP写真) 水鳥もたくさんいます。

木下川排水機場木下川排水機場

旧中川は、荒川放水路の開削によって分断された中川の河道の下流側です。今昔マップを見ると、かつての中川がどのような流れだったかがわかります。

現在の旧中川は北端にある木下川水門(きねがわすいもん)で荒川より分水、南端にある荒川ロックゲートで荒川に合流します。現在その水位は荒川より1m低く、通常は両端にある排水機場より荒川に排水していますが、 これらは旧中川の水質の保全再生のため、荒川からの取水も可能になっているそうです。

写真は木下川水門の隣にある木下川排水機場です。木下川水門は閘門ではないため、現在ここは船は通行できません。

荒川荒川

木下川排水機場の横を通り抜け、スロープを上ると荒川の土手下に出ます。このスロープを見ただけ荒川と旧中川に水位差があることがわかります。

荒川は現在は荒川水系の本流になっていますが、かつては利根川の支流でした。江戸時代の利根川東遷事業で付け替えられた荒川(元の入間川)の下流は、現在の隅田川の河道を通っていましたが、しばしば水害を発生させていました。そのため1911年(明治44年)に荒川放水路(現在の荒川)の建設が決定され、1930年(昭和5年)に工事が完了しました。

荒川自転車道荒川自転車道

荒川沿いには自転車道があるので、これを使って南下します。

さすがに荒川の河川敷は広大で、快晴のこの日はとっても気持ちいいです。

小松川橋より荒川上流を望む小松川橋より荒川上流を望む

蔵前橋通りの平井大橋とJR総武線の鉄橋をくぐると、次に架かるのはR14京葉道路の小松川橋。この小松川橋を渡って荒川の東岸へ。

小松川橋の上から荒川を見ると、広い! 対岸には首都高速中央環状線が延々と続いているのが見えます。

中川中川

その首都高速中央環状線をくぐり抜けると、また川が。知らないとこれも荒川と思ってしまうかもしれませんが、この流れは中川です。

先ほど通った旧中川の上流部に当たる川です。この中川は旧中川の木下川水門の向かいあたりで綾瀬川を合わせ、荒川に合流することなくそのまま東京湾に流れて行くのです。

小松川境川親水公園小松川境川親水公園

小松川橋を渡ったら小松川境川親水公園に入ります。

小松川は川の名であり地名でもありました。この川は東小松川村と西小松川村との境を流れていたことから、やがて小松川境川と呼ばれるようになったそうです。現在、小松川境川の周辺は約4kmに渡り親水公園として整備されています。

八蔵橋八蔵橋

小松川境川親水公園を進んで行くとやがて五分一通りの八蔵橋に出ます。

この五分一通りは旧千葉街道で、そのさらに昔は元佐倉道と呼ばれていたそうです。元佐倉道は『逆井の渡し』で中川(旧中川)を渡り、『小岩市川の渡し』で江戸川を渡って房総へ向かう主要な道だったようです。

続・小松川境川親水公園続・小松川境川親水公園

八蔵橋の先の交差点には東小松川香取神社が立っています。この神社の縁起を見ると、旧東小松川村の鎮守で、下総国香取大神を勧請し、1277年(建治三年)創立と伝えらており、花崗岩の鳥居は1780年(安永九年)の建立とあります。

八蔵橋の先にも小松川境川親水公園は続いています。

小松川境川親水公園の白梅小松川境川親水公園の白梅

親水公園の中に梅が咲いています。これは白梅ですでに満開です。この隣には紅梅もあったのですが、それはすでにピークを過ぎているようでした。今年の冬は暖かいですから、梅も例年よりだいぶ早く咲いているようです。

ここでコースミスに気付きました。小松川境川の流れはこの少し手前で二手に分かれており、知らぬ間に間違った方向に進んでいたのでした。さらに、行くはずだった小松菜屋敷はもっと手前だったということも。

小松菜屋敷小松菜屋敷

ちょっと戻って小松菜屋敷に到着。

小松菜は江戸時代初期に小松川村あたりで栽培され始め、八代将軍徳川吉宗の鷹狩りの際に献上され、その時に名が付けられたと言われています。ここはその小松菜の発祥の地とされる屋敷です。このすぐ隣の香取神社の境内には、『小松菜ゆかりの里』という石碑があります。

辰巳新橋辰巳新橋

小松菜屋敷のあとはさらに小松川境川親水公園を北上します。このあたりは小松川境川が江戸川区と葛飾区の区界になっています。親水公園が終わったら東進し、新中川の辰巳新橋に出ます。

辰巳新橋はバスケットハンドル型ニールセンローゼ橋という、ちょっと変わった形式を採用しています。確かにバスケットの取手のような形をしていますね。

辰巳新橋から新中川上流を望む辰巳新橋から新中川上流を望む

その辰巳新橋が架かるのは新中川。

新中川は、20世紀に起こった浸水被害により中川の開削・改修が計画され、中川放水路として1963年(昭和38年)に整備されました。葛飾区高砂で中川より分かれ、中川と江戸川の間を平行するように流下し、江戸川区江戸川で旧江戸川に合流します。この下流端には今井水門があります。

新中川の土手を行く新中川の土手を行く

ここからはほんのちょっとだけ新中川沿いを北上します。

JR総武線の線路をくぐり新金貨物線の線路にぶつかったら、そこで新中川を離れ、葛飾区との境近くを走って行きます。

区界の路地区界の路地

柴又街道で京成本線の線路を渡ると葛飾区です。

ちょこっと戻って区界を行くと、そこはこんな狭い路地。

鶴の湯鶴の湯

北小岩7丁目にクラシックな銭湯があるので寄ってみることにしました。

鶴の湯。高い煙突にお寺のような破風がある、立派な建物です。こうした銭湯が見られるのは下街ならではですね。

上小岩親水緑道上小岩親水緑道

鶴の湯から目指すは、江戸川区最北の神社です。

このあたりには上小岩親水緑道という、小さなせせらぎがあるしっとりとした小径があります。この流れは農業用水として開削された北小岩川を再整備したものだそうです。この小径には、民家の玄関先から溢れ出す生活感があり、ちょっと楽しい。

八幡神社八幡神社

八幡神社に到着。

この小さな神社には特別見るようなものはありませんが、江戸川区最北の神社ということで。

八幡神社にお詣りしたら江戸川の土手を上ります。

江戸川自転車道を行く江戸川自転車道を行く

ここが江戸川区と葛飾区の区界で、江戸川区の最北端。北を見ると、柴又の矢切の渡しがちらっと見えます。

江戸川は茨城県五霞町と千葉県野田市の境界付近にある関宿で利根川から分かれ、途中旧流路である旧江戸川を分け、東京湾に注ぎます。最下流部は放水路として整備されたもので、これは江戸川放水路と呼ばれていました。江戸川は言わずと知れたことですが、東京と千葉を分けています。この川の向こう岸は千葉県です。

ここからは江戸川自転車道を南下します。

『小岩市川の渡し跡』の案内板付近から見た京成本線の鉄橋と江戸川『小岩市川の渡し跡』の案内板付近から見た京成本線の鉄橋と江戸川

京成本線の線路をくぐると、そのすぐ南の土手の上に『小岩市川の渡し跡』の案内板が立っています。それによると、ここにはかつてこちら側の小岩と千葉県側の市川を渡す渡しがあったそうです。ここは八蔵橋のところで見た元佐倉道と、葛飾の新宿(にいじゅく)で水戸道と別れた佐倉道とが合わさる交通の要衝であり、小岩市川関所が設けられていたそうです。

江戸時代には防衛上の理由から、江戸川や中川(旧中川)には橋を架けることが許されなかったそうです。そうしたところの交通を支えたのが『渡し』でした。しかしその渡しでさえ、公認されていたのはこの『小岩市川の渡し』だけで、これ以外のものは生活上の必要から、農作業時のみなどの条件付きで認められていたものだったそうです。

善養寺と影向の松善養寺と影向の松

小岩市川の渡し跡からも江戸川を下り、善養寺にやってきました。

ここには影向の松(ようごうのまつ)と言う大変大きな松の木があります。

影向の松影向の松

その樹齢は600年以上と言われ、東西約31m、南北約28mに渡って枝を伸ばしており、繁茂面積は日本一だそうです。

この木はちょっと松とは信じられない姿です。

江戸川河川敷江戸川河川敷

さて、影向の松にびっくり仰天したら、さらに江戸川の南下を続けます。

河川敷ではとてもたくさんのスポーツがやられています。今回特に目立ったのは、フリスビーのゲームで、敵味方のチームに分かれ、パスを繰り返して最後はたぶんゴールを狙うというもの。競技になっているのかな。

篠崎ポニーランド篠崎ポニーランド

そんな河川敷を眺めながら進んで、篠崎ポニーランドに到着。

ここでは馬車に乗ったり、ポニーに乗ったりできます。昼近くのこの時刻はちょうどどちらも終わったところで、ポニーは厩舎に帰るところでした。

江戸川と旧江戸川の分流点江戸川と旧江戸川の分流点

この篠崎ポニーランドの前は、江戸川と旧江戸川の分流点です。

中央に見える木々が生えるところから向こう側が江戸川、手前側が旧江戸川です。

江戸川水閘門江戸川水閘門

江戸川から別れた旧江戸川の上流端には江戸川水閘門(通称篠崎水門)があります。

江戸川水閘門内の船を上下させるところ江戸川水閘門内の船を上下させるところ

閘門はパナマ運河に見られるように、水位の異なる二つの水域間を船で運行できるようにする仕掛けで、いわば船のエレベーターです。1936年(昭和11年)に着工し、戦時中の1943年(昭和18年)に完成しています。

これは現在も使われている閘門です。

今井橋とボートの係留場今井橋とボートの係留場

江戸川水閘門で広く快適な江戸川自転車道はおしまいになり、ちょっとの間、車の道を走らなければなりません。

狭いながらも再び自転車道が現れると、その脇はボートの係留場で先には今井橋が見えてきます。

今井橋から旧江戸川上流を望む今井橋から旧江戸川上流を望む

ここで今井橋を渡り、ちょっとだけ千葉県の市川市におじゃまします。

さて、ここで広重の名所江戸百景が登場します。

71. 利根川ばらばらまつ(1856(安政三)年八月 夏の部)71. 利根川ばらばらまつ(1856(安政三)年八月 夏の部)

投網が投げられた一瞬を描いたものです。これは名所江戸百景で唯一、画題に描かれた場所名が含まれていない絵です。そのためこの場所については古くから研究されてきましたが、今日まで特定されていません。

題名にある『利根川』ですが、当時は現在の江戸川(旧江戸川)が利根川と呼ばれていたそうで、ここに描かれているのは江戸川とする説が多いのですが、当時の名所案内の地誌に『ばらばら松 中川』とあることから、中川(旧中川)とする説もあります。この地誌などから『ばらばら松』が有名であったことは確かですが、これは一本の木ではなく、松の木が『ばらばら』と並んだ様子を現したものと考えられ、この絵でも複数の木が描かれています。

ぱっと開いたこの投網の表現は彫師の腕の見せどころですね。左の舟上の漁師は、今まさに投網を投げようとしているところです。このあと投げられた投網の姿が、右で大きく広がっているそれかもしれません。広重自身が描いた絵本江戸土産『利根川ばらばら松』の文中には『鯉をもて名品とす』とあり、この投網で捉えた魚は鯉だったのではないかと考えられています。

この写真からはわかりませんが、舟の帆には空摺の一種である布目摺が施されています。

『今井の渡し旧跡』より対岸を望む『今井の渡し旧跡』より対岸を望む/投網を打つマージコ

市川側の今井橋のすぐ上流側には『今井の渡し旧跡』の案内板が立っています。

今井の渡しは1631年(寛永8年)に許可され、1912年(大正元年)に初代今井橋が架けられるまであった渡しでした。江戸名所図会7巻『今井の津頭(いまいのわたしば)』を見ると、江戸時代のこのあたりののんびりした雰囲気が感じられます。

ここの記録については、名所図会の文にもあるように、連歌師柴屋軒宗長が1509年(永正6年)に記した『東路の津登』が歴史上最古のもののようです。ですからこの渡しは、少なくとも室町時代後期にはあったことになり、相当長い歴史を持っていることに驚きます。江戸時代には近在の者のみ利用が許されており、江戸から出る者は渡しましたが、江戸へ行く者を渡すことは禁じられていたそうです。

船橋市によれば、今井の渡しの上流左手に『ばらばら松』が並んでいる、と書かれた資料があるとのこと。現在そのあたりは先ほど通ったボートの係留施設になっていて、付近に大きな木が何本か見えますが、松の木は見当たりません。

今井水門今井水門

今井の渡し旧跡を出たら江戸川区側に戻ってさらに旧江戸川を南下します。

するとすぐに瑞穂大橋に出ます。ここで旧江戸川に新中川が流れ込みます。 その新中川の末端には今井水門があります。

新川新川

新中川の次に旧江戸川に接続するのは新川です。

新川は中川と旧江戸川を結ぶ人工の運河で、江戸時代に古川の流路を一部変更して造られました。その頃は船堀川とも行徳川とも呼ばれていたそうです。この運河が造られた最初の目的は行徳の塩を江戸に運ぶことでしたが、すぐに行徳船と呼ばれる貨客船により、人も運ぶようになり、その後、利根川から新川を経由し小名木川を通って江戸に向かうルートは、北方の水運の大動脈になったようです。

妙見島南端部付近妙見島南端部付近

新川のすぐ南の旧江戸川の中には妙見島(みょうけんじま)があります。妙見島の名はかつてこの島に妙見堂があったためだそうです。 東京23区中で唯一の自然島で元は中洲だったとも、江戸川区側に接していたとも言われています。

この島は一見、島というよりコンクリートで固められた構造物のように見えます。周囲には釣り船や屋形船などがたくさん並んでいます。

そうそう、先ほど取り上げた広重の『ばらばらまつ』はこの辺りだとする説もあります。絵の左端に描かれているのは網のようにも見えますが、島なのかもしれませんね。

浦安から南へ十五六町(1.6km〜1.7km)の浦安市富士見2丁目を望む浦安から南へ十五六町(1.6km〜1.7km)の浦安市富士見2丁目を望む

もう一つ、浦安から南へ十五六町進んだところあたりに、『ばらばらまつ』のような松が写っている大正時代の写真があります。十五六町は1.6km〜1.7kmほどなので現在の浦安市富士見2丁目あたりでしょうか。

現在ここには、松はおろか僅かな木も見えません。もっとも『ばらばらまつ』がここにあったものだとしても、この川はその後ずいぶん改修変更されていますから、現在まで残っているはずもありません。

旧江戸川河口付近の自転車道旧江戸川河口付近の自転車道

いつの間にか広くなった自転車道をどんどこ行くと、

京葉線の鉄橋京葉線の鉄橋

舞浜大橋とJR京葉線の鉄橋が見えてきます。

あの橋のすぐ先は東京湾で、旧江戸川はそこでおしまいです。

葛西臨海水族園葛西臨海水族園

鉄橋をくぐると葛西臨海公園に入ります。

この公園は広大で、野鳥観察場や水族園など様々な施設があり、一日中遊んでいられます。

クリスタルビューから東京湾を望むクリスタルビューから東京湾を望む

展望施設のクリスタルビューに上れば、東京湾が一望にできます。

渚橋の向こうに見える巨大な構造物は東京ゲートブリッジ。視線を左に移すと、東京湾アクアトンネルの風の塔も見えます。

西なぎさでばらばらジャンプ西なぎさでばらばらジャンプ

渚橋を渡ると西なぎさです。ここは東京都では数少ないビーチの一つで、夏にはバチャバチャできます。

恒例のばらばら松ならぬ、ばらばらジャンプ!

荒川・中川を遡る荒川・中川を遡る

葛西臨海公園の西を流れるのは荒川と中川です。河口ではこれら二つの川は合流しており、事実上一つの流れになります。今度はこの川を遡って行きます。

荒川と中川がはっきり別れていると認識できるのは荒川0km地点で、そこから二つの川の間に背割堤が現れます。荒川0km地点はかつてここが荒川の河口と定められた地点ですが、その後東京湾が埋め立てられ、陸地が増えたため、川も長くなっていったのです。今昔マップを見るとそのことが良くわかります。

火の見櫓と新川西水門跡火の見櫓と新川西水門跡

中川に入ると土手上の道は道路や鉄道で寸断されます。土手上から下の道にシフトして北に向かうと、新川に突き当たります。

そこは新川西水門広場として整備されており、火の見櫓と新川西水門跡があります。

新川の西の端新川の西の端

新川は旧江戸川側も見ましたが、この川沿いはずっと新川千本桜という桜並木が整備されています。その中には河津桜のような早咲きのものもあるようなのですが、このあたりで咲いているものはありませんでした。

このあとはタワーホール船堀の展望室に上って、高さ103mから江戸川区を見渡すつもりでしたが、時間がなくなってしまい、これはパスすることに。

船堀橋とタワーホール船堀船堀橋とタワーホール船堀

ということで次は、船堀橋で中川と荒川を渡って小松川に向かいます。この船堀橋に上るには、自転車も載せることができるエレベーターがあるのでとっても便利です。

長い船堀橋ですが、しっかりしたフェンスで車道と分離された歩道があるので、車の恐怖を感じずに渡れます。うしろに見える高い塔がタワーホール船堀です。

小松川の荒川沿いを行く小松川の荒川沿いを行く

小松川に渡ったら、荒川自転車道を下ります。

するとほどなく荒川ロックゲートが見えてきます。

荒川ロックゲート荒川ロックゲート

荒川ロックゲートは先の旧中川のところで紹介したように、旧中川が荒川に合流する地点に設けられています。比較的新しく2005年(平成17年)の完成。ロックゲートは閘門のことで、これは江戸川水閘門のところで説明したとおり、船のエレベーター。荒川と旧中川の水面差は最大3.1mもあるそうですが、この日のそれは1mほどでした。

このすぐ隣には小名木川排水機場があります。旧中川の上流端には木下川排水機場がありました。つまりこれら二箇所で旧中川の水を荒川に流せるようになっているのですが、どちらで排水するかにより旧中川の流れは変わるということです。通常は両方で排水しているようですが、灯篭流し(8月15日)の時は木下川水門より取水し、こちら側から排水することで灯篭が流れるようにしているそうです。

旧小松川閘門旧小松川閘門

荒川ロックゲートができる前にその機能を受け持っていたのは小名木川閘門と小松川閘門です。

荒川放水路が作られた時、このあたりには3基の閘門が整備されました。最初に造られたのは鉄筋コンクリート技術を追求して建設されたシンプルな造形の小名木川閘門でした。次に造られた小松川閘門と荒川対岸の船堀閘門には、鉄筋コンクリート造でありながら、ヨーロッパのお城のような装飾的な造形が用いられました。

小松川閘門は1930年に完成、昭和50年代に役目を終え、現在は大島小松川公園の中に3分の2ほどが地中に埋められた状態で保存されています。これがすべて地上にあったら壮観だったことでしょう。閘門ですから門は二つあったはずですが、残っているのは旧中川側の一門だけです。

旧小松川閘門付近より旧中川と小名木川を望む旧小松川閘門付近より旧中川と小名木川を望む

この旧小松川閘門あたりから旧中川と小名木川を見てみます。

左右の流れが旧中川で左手が河口方向です。奥に延びているのが小名木川で、この交差点にはかつて中川船番所が置かれていました。

このあとは、その中川船番所が置かれていた地点に向かいます。

水陸両用バス水陸両用バス

中川大橋で旧中川を渡ると江東区大島で、旧中川・川の駅の前に出ます。

ここで『お〜い!』という声が。なんとその声の持ち主はアンドレでした。アンドレはつい最近この近くに引越したばかりで、この日は私たちをここで待ち伏せしていたんだそうです。そのアンドレによればもうすぐここに水陸両用バスがやってくると言います。

間もなく、旧中川の下流方面から川の中をバスがこちらに向かってやってきました。このバスは私たちの目の前に上陸し、しばらく経つと今度は道路を走って去って行きました。バスを見送ったら、アンドレ共々、中川船番所跡に向かいます。

ここで再び名所江戸百景を。

70. 中川口(1857(安政四)年十二月 夏の部)70. 中川口(1857(安政四)年十二月 夏の部)

中川口は江戸時代初期に造られた運河の小名木川(おなぎがわ)と中川(旧中川)の合流点で、この絵は中川船番所(現江東区大島)あたりから南東を望んでいます。

手前の二艘の船が浮かぶのが小名木川で、左下に見える屋根が船番所。画面を左右に横切るのが中川で、右手が河口方面。この中川の向こう側が現在の江戸川区です。先にまっすぐ延びているのは新川で、荒川はまだありません。

小名木川と新川を結ぶルートは江戸時代の幹線運河の一つで、江戸と江戸川、さらに利根川を結ぶ唯一のものでした。このルートが造られた当時、特に重要だったのは行徳で生産された塩の運搬で、先の新川の岸に並んでいる苫(とま)をかぶせた船は、この塩を運ぶためのものだそうです。

時代が下ると客船も行き来するようになり、手前の小名木川では乗合船が二艘、船番所前を通過しています。船番所は主要な航路に設けられた、通行する船を検査し税の徴収などにあたった役所です。船番所が設けられていたことから、ここが当時いかに重要な地点だったかがわかります。しかしその設置から2世紀以上も平和が続いた広重の時代になると、番所の検問はかなり形骸化していたといいます。

中川では川並鳶が筏を操っており、その先に釣船が二艘浮かんでいるのが見えます。広重がここで描いたのは、このあたりの活発な水運ということでしょう。

長谷川雪旦が挿図した江戸名所図会 七巻『中川口』では、このあたりが視点を変えて描かれています。

中川船番所跡付近から旧中川方面を望む中川船番所跡付近から旧中川方面を望む

ここが中川船番所跡です。写真は視点は低いですが、広重が描いたのとほぼ同位置から絵と同じ方向を見ています。

小名木川の先に続いていた新川は埋め立てられてなくなっています。ここからは見えませんが、あの木立の向こう側には広重の時代にはなかった荒川が今は流れています。

振り返って後ろを見れば、小名木川には番所橋という名の橋が架かっています。

中川船番所跡から旧中川河口方面を望む中川船番所跡から旧中川河口方面を望む

ここでアンドレを入れて一枚。

旧中川の先に見える平成橋の向こう側左に、先ほど見た荒川ロックゲートがあります。

旧中川沿い旧中川沿い

江戸川区の小松川に戻って旧中川沿いを北上します。

白鷺とアオサギ白鷺とアオサギ

虹の大橋の下に差し掛かると、対岸に白鷺とアオサギがいました。

これらの鳥は比較的よく目にしますが、まさかこんな橋の下でお目にかかるとは思っても見ませんでした。この白鷺は小鷺かどうかわかりませんが、ここで見られたのはとてもうれしいです。

これは次の名所江戸百景を見ていただければ分かるでしょう。

67. 逆井のわたし(1857(安政四)年二月 夏の部)67. 逆井のわたし(1857(安政四)年二月 夏の部)

隅田川と中川(旧中川)を結ぶ竪川の東端、中川との合流点です。竪川に沿う元佐倉道(現旧千葉街道)を東へ向かうと、ここで『逆井の渡し』(さかさいのわたし)に乗ります。手前側が亀戸村(現江東区)で向こう側が小松川村(現江戸川区)。茅葺き屋根の集落は新町です。

船着き場のすぐ近くに、すれ違う二艘の渡し船が見えます。白鷺は頭の冠羽から小鷺で、この写真ではわかりませんが、その羽には色を付けずに凹凸を付ける空摺が施されています。遠景に描かれているのは房総の山のようです。

広重はここでは渡しを描いてはいますが、主題はそれ自体ではなく、このあたりののどかな景色だったような気がします。

広重が描いた絵本江戸土産『逆井乃渡』には次のようにあります。

竪川通の末にして葛西へわたる渡しなり。これより先は小松川、かの新宿(にいじゅく)へも遠からず。耕地の在りさま菜園の体、風流好士の遊観なり

亀小橋から逆井橋を望む亀小橋から逆井橋を望む

上の絵は現在の江東区側の亀小橋あたりから描かれたようなので、ここで対岸に渡ります。

渡しは橋が架かることで失われていきます。逆井の渡しは1879年(明治12年)に逆井橋に替わりました。この橋は中川に架かる橋の第1号だったそうです。現在この辺りには何本もの大きな橋が架かり、周囲には高層のマンションが建ち並んでいます。今日、ここからは広重が描いたような景色はまったく想像出来ません。

亀小橋から旧中川上流方面を望む亀小橋から旧中川上流方面を望む

しかし亀小橋から視線を北に向けると、もちろんこちら側にも建物はあるのですが、巨大な橋がないので、比較的広重の絵に近い感じがあります。この写真から周囲の建物を消して空間を想像することはそれほどむずかしくないでしょう。

『中川口』や『逆井のわたし』を見てわかるように、当時の中川はだいぶ広く、80間(145m)ほどありましたが、現在はその半分程度しかありません。荒川放水路が造られたことにより、流れる必要がなくなった旧中川は、どんどんその幅を小さくしていったのでしょう。

ふれあい橋付近の旧中川ふれあい橋付近の旧中川

さて、これで本日の名所江戸百景はおしまい。あとは出発地点でもあった平井駅に向かうだけです。

河津桜並木河津桜並木

JR総武線の線路が近づくと、旧中川の畔は河津桜の並木になります。

この河津桜は今年は2月3日に開花が宣言されており、結構咲いていました。

河津桜河津桜

いい感じ。

今日はたくさんの川を巡りました。それぞれに歴史があり、それを考えるのもちょっと面白く、また広重の名所江戸百景などと比べて、当時からの変化を見るのも楽しかったです。


参考 -- ばらばら松があった場所について述べている文献など

■江戸川下流のどこか
・ヘンリー・スミス/広重 名所江戸百景/岩波書店/1992年発行/原画:ブルックリン美術館蔵/「ばらばら松」とは、このあたりの川岸に散在する松の木の群れのいくつかの呼び名であったようである、とし、場所は、現在の江戸川下流のどこかとしておくのがよさそうである。と締めている。

■旧江戸川の浦安、妙見島、堀江あたり
・宮尾しげを/東京 今と昔(2)カラーブックス/保育社/1963年発行/原画:広瀬喜之助蔵/土地の古老に尋ねると、堀江の堤防と宮内庁の御狩場のある海に面した南行徳に、このような松があったが、とある。
・名所江戸百景 広重画/集英社/解説:宮尾しげを(浮世絵大系 第16巻 名所江戸百景(一)・第17巻 名所江戸百景(二) 1976年発行 を再録)/1992年発行/原画:広瀬喜之助蔵のものと考えられる/浦安橋のところの妙見島辺に、バラバラ松が構図通りあったそうである、とある。
・今とむかし廣重名所江戸百景帖/暮しの手帖社/解説:河津一哉/1993年発行/どちら岸かは不明ながら、浦安から南へ十五六町進んだところだという写真(『今昔對照江戸百景』風俗繪巻圖畫刊行會 1919年(大正8年)発行 より転載)にそれらしい松がある。
・ヘンリー・スミス著前掲書/石井研堂は、江戸川下流の浦安近くで極めてよく類似した松を見つけている、とある。/註:石井研堂は上記『今昔對照江戸百景』の覆面著者。

■旧江戸川の今井の渡しの上流の江戸川区側
・岡沢敦根/船橋紀行(1832年(天保3年))/今井の渡しの上流左手に『ばらばら松』が並んでいる、とあるらしい。
・広重 名所江戸百景/美術出版社/太田記念美術館監修/2017年出版/原画:太田記念美術館蔵/幕末にはばらばら松を今井の渡し付近としている記録があり、その付近を描いた可能性が高い、とある。

■中川
・大田南畝/(ヘンリー・スミス著前掲書より)/空と海 ひったりつきの 中川の ばらばら松に たつ千鳥かな
続江戸砂子/ばらばら松 中川/左頁下段左より三行目

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