2020年の花見、初陣!
千鳥ヶ淵の早咲き桜は週の中頃からすでに満開です。埼玉県川口市の密蔵院の安行桜も見ごろになったということで、出かけてみることにしました。
天気は晴れの予報から曇りへと変わり、当日はどんよりした空模様。ちょっと寒いのですが、浮間公園の菜の花はいい感じで咲いていました。
浮間ヶ池の畔を行くと、
おっ!
サクラソウ圃場の中に濃いピンク色の桜が咲いています。これは良い咲きっぷりで見事! すでに葉桜になっていますが、この桜はヤマザクラと同じように元々花と葉がいっしょに出てくる種類なのでしょう。
浮間公園を出たら、荒川の土手上に延びる荒川自転車道をどんどこ南下して行きます。
ゆったりとした流れの荒川の向こうには川口の超高層ビル群。
そのビル群を眺めながら東北線の線路をくぐると、土手の斜面には芝桜が植えられています。
この芝桜はようやく咲き出したところで、植え込み間隔も広いので、まだあたり一面というわけにはいきませんが、いずれ地面が見えなくなる日が来るでしょう。
岩渕水門で隅田川を渡り、鹿浜橋で荒川を渡ります。
この写真の右手に見えている青い水門は芝川の出口にある芝川水門です。
その芝川水門の横にある都市農業公園の前でひと息入れます。
ここで地元のユッキーが合流。
都市農業公園には様々な花が咲いているはずなのですが、この日は臨時休園で中には入れません。
しかしそのすぐ外に咲いている梅がいい感じです。
そして足下には真っ白なユキヤナギ。
都市農業公園からは芝川沿いに続く芝川自転車道を行きます。
道が90°方向を変え、先に南平大橋が見えてくると、その袂がピンク色になっています。
桜。早咲きの桜が数本咲いています。
この花は今日のメイン会場の密蔵院に咲く安行桜よりやや色が薄いような気もしますが、花の形からするとこれはたぶん安行桜でしょう。
梅にも同じくらいのピンク色のものがありますが、やはり梅と桜では雰囲気がまるで異なります。
桜はやはりゴージャス。
鳩ヶ谷付近で芝川自転車道を離脱し、見沼代用水東縁にシフトします。
見沼代用水は江戸時代は徳川吉宗の代、享保年間にこのあたりの新田開発のために普請された灌漑農業用水で、東縁と西縁に別れています。
利根川から取水され、1万5千haを灌漑するこの用水の延長は85kmに及ぶそうです。
住宅地を抜けて安行原にやって来ると、ピンク色の大きな桜の木が見えてきました。これが安行桜でしょう。
ここには安行桜以外にもう一つ見どころがあるので、まずそちらから。
信号機のすぐ横に『安行原の蛇造り』という案内標識が立っています。
大きな欅の木の前に櫓が組まれ、その上に藁で作られた巨大な草履のようなものが載っています。実はこの草履のように見えるものは蛇、大蛇です。
ここでは毎年五月に、五穀豊穣・天下太平・無病息災などを祈願する祭りがあり、藁で10mほどの大蛇が造られます。
この大蛇は一年中ここに置かれているのですが、なにせ藁ですからすぐにダメになってしまい、設置から10ヶ月が経ったこの時は、元の形がうまく想像できませんでした。
しかしこのすぐ近くにある『道の駅』に模型があり、上から下から鑑賞出来るようになっています。草履のように見えたのは、大蛇の口だったのですね。近くで見るとこの大蛇、本当に大きい!
『安行原の蛇造り』を眺めたら、そのすぐ近くにある安行桜を広めた沖田さんの沖田園の植木畑を覗かせていただきます。
安行桜は一般的には大寒桜(オオカンザクラ)と呼ばれ、寒緋桜(カンヒザクラ)と大島桜(オオシマザクラ)の交雑種だそうです。
花は中くらいの大きさで一重。やや下向きに咲きます。その色はこのように染井吉野より赤が強く、特に中央部の色が鮮やかです。
この畑には椿も咲いていました。
この花は真っ赤!
沖田園で安行桜を鑑賞させていただいたら、本日のメイン会場の密蔵院へ向かいます。
安行原自然の森から坂道を下ると密蔵院です。
この参道には安行桜がびっしり。
『ひゃ〜、ここはすごい〜〜』 とマージコが唸ります。この日は既にいくつかの早咲き桜を見てきた私たちですが、ここはこれまでとは密度が圧倒的に違います。
そしてやっぱり染井吉野より色が強いことで、存在感が倍増です。しかし今年の色はいつもより少し薄く感じましたが、どうでしょう。
参道を奥へ進むと山門があります。手前にある安行桜が真っ黒な門を引き立てます。
この黒門は薩摩藩島津家中屋敷の中門だったものだそうです。
山門をくぐるとその先にも桜。
本堂にお参りし鐘楼方面を見ると、そこには安行桜のほかに梅や寒緋桜といった花も咲いていて、賑やか。
これはピンク色の梅。
ここには緑色の梅の花も咲いていました。
そしてこの真っ赤な花が寒緋桜。
寒緋桜は台湾桜、台湾緋桜、緋寒桜とも呼ばれ、釣り鐘状の花が下向きに咲くのが特徴です。
写真では微妙な色のニュアンスが表現出来ませんが、心躍る色の競演です。
安行桜は下に向かって咲く花が多いので、見上げるとこんなふう。
蕾みや花の付け根あたりを見ると、この花が寒緋桜を親に持つことがなんとなく想像出来ますね。
圧倒的なヴォリューム!
密蔵院の安行桜を堪能したら昼食を済ませて興禅院へ向かいます。
密蔵院から興禅院にかけては、そのすぐ北東側は崖線になっています。おそらくこれは河岸段丘でしょう。というわけで、最後はちょっとえっこらよっこら。
興禅院の参道には巨木が立っています。
この参道を進んで山門をくぐると、大きなハクモクレンの木が。
このハクモクレンの木の下の方に、まるで燭台のように広がった花がありました。
可憐。
黄色い花はサンシュユ。この花は秋に真っ赤なグミに似た実を付けます。
黄色い花ではこの他にマンサクが咲いていました。
鐘楼の前には『おかめ桜』。
花が小さめなので一瞬梅かなと思いましたが、これは寒緋桜とマメ桜の交配種で、染井吉野より赤みが強く、今頃咲きます。
興禅院はいろいろな花が楽しめるのと同時に石仏も楽しめます。
このお寺でもっとも有名なのは本尊の釈迦如来像ではなく、この抱かれ地蔵でしょう。墓地の中に立つスダジイの木に、お地蔵さまが取り込まれてしまっています。
なんだかこんなものをどこかで見たような気がするな。あっ、そうだ、タイのアユタヤに、木の根っこに仏頭が取り込まれていたところがあったな、と思い出したら、ちょうどやってきたおばあさんが持って来られた新聞の切り抜きにそのことが書いてあり、びっくり。
興禅院の裏手に廻ってみると、そこには満開の安行桜とこれまた満開のハクモクレンが。
写真ではあまりはっきりしませんが、この色の対比は素敵です。
その足下には可憐なクリスマスローズが咲いています。
この花の名は英国でクリスマスのころに咲くことから来ているといい、花びらに見える部分は実は顎だそうです。これに似た構造の花にはアジサイがありますね。
さらに奥へ進むと森で、私たちが上って来た崖線に出ます。そこには弁財天と書かれた真っ赤な幟が立っています。この幟のところを下って行くと小さな池があり、その畔に弁天様が祀られています。
その鳥居の前には、狛犬ならぬ狛蛇が。この蛇、大きなピンク色の椿のイヤリングを着けているからとっても愛嬌があります。近くにあった案内板によると、お正月に飾る鏡餅は、狛蛇のこの形から来ているんだって。本当かな。。
この森には散策路が設けられており、十三仏→とあります。
冥界には十三の裁判官が居るのです。
初七日の不動明王に始まり三十三回忌の虚空蔵菩薩まで、十三体の仏像が置かれています。これらの間にはなぜか十三仏とは関係のない像も置かれています。
そして最後に千手観音があります。これは十三仏の外ですが、造りは他の十三仏と同じなので、住職の好みによるものでしょう。
興禅院で花と石仏を堪能したら、三重塔がある西福寺へ向かいます。
西福寺の三重塔は三代将軍家光の長女・千代姫により元禄6年(1693年)に建立と伝わり、その高さは約23m。
これは埼玉県下でもっとも高い木造建築だそうで、バランスの良い整った姿をしています。
西福寺の三重塔に満足したら、住宅地をどんどこ行って、再び見沼代用水の東縁に出ます。
この東縁を北上して行くと見沼通船堀があり、そのすぐ近くに見沼干拓事業に参加した鈴木家の住宅が立っています。
案内板によると鈴木家は、見沼通船堀の完成(1731年)と同時に幕府から通船業務をつかさどる差配役に任じられ、各舟に対する積荷や船頭の割り振りなどを行っていたそうです。
ここには通船堀を通っていたひらた舟の1/2縮小モデルがあるのですが、この時は臨時休館で見られず。
これが見沼代用水と芝川を繋ぐ見沼通船堀。
見沼代用水は水田の灌漑のために造られましたが、のちに年貢米などを江戸に運ぶ水路として利用されるようになります。しかし用水は江戸までは通じていなかったので、その先は隅田川に繋がっていた芝川を使う必要がありました。ところが芝川と用水は3mの水位差があったため、その間に閘門を設置して舟を通したのです。この事業は規模こそ違えど、有名なパナマ運河より200年近く前に行われています。
この通船堀の畔にもきれいな桜が咲いていました。
見沼代用水東縁沿いの道は『緑のヘルシーロード』になっていて、自転車で快適に走れます。
その並木はほとんどが染井吉野なので、この時期はまだですが、あと半月もすれば見事な桜が見られるでしょう。
国昌寺を過ぎ道が大きくカーブすると、舗装がアスファルトからインターロッキングに変わります。ここは代用水原形保全区間で、水路の底や岸がコンクリートで固められることなく、開削当時に近い姿をしています。
対岸の林はさいたま緑のトラスト基金による保全地第1号『見沼田圃周辺斜面林』です。
この保全地の反対側のかつては田んぼだったところに、藁の龍がありました。
安行では大蛇でしたが、見沼には龍伝説がたくさんあるようです。
トラスト取得地の一角には竹林があります。
こうした手入れの行き届いたきれいな竹林を見ると、心が洗われるような気がします。
見沼田んぼは現在はほとんど田んぼは作られなくなっていて、耕作放棄地または畑になっています。
川口は植木屋さんが多かったのですが、このあたりもそうなのか、あちこちに植木畑のようなものが見られます。
高い鐘楼がある総持院の横を通りその裏手に廻ると、小さな森の中に鷲神社があります。
この神社、見た目はとても小さいですが、この境内では年に二度、春と秋に『南部領辻の獅子舞』が行われます。これ、なかなか素敵です。
鷲神社を出たら緑のヘルシーロードをどんどこ行きます。
ほどなく見沼自然公園に到着です。
この公園にもきれいな桜が咲いています。
この桜、ピンク色が強いですが、花の形が安行桜とは少し異なるようです。
見沼自然公園にはちょっとした池と芝生広場があります。
芝生広場には見沼代用水を開削した伊沢弥惣兵衛為永の像が立っています。
見沼自然公園のすぐ近くに旧坂東家住宅があるので寄ってみました。
江戸時代末期、加田屋新田を開発した坂東家の住宅で、1857年(安政4年)の建立です。ここも残念ながら臨時閉館でした。
旧坂東家住宅からは緑のヘルシーロードに戻ってそれをさらに北上し、膝子交差点で離脱して大宮へ向かいます。
見沼代用水とは縁のある芝川を渡り、大宮第二公園に入ります。
この公園の外周には染井吉野が植えられていますが、これは緑のヘルシーロード同様に今しばらく。
大宮と言えば武蔵国一宮の氷川神社に詣でなければならないでしょう。何てったって大宮の名はこの神社から来ているのですから。280社ほどあるという氷川神社の総本山だけあり、境内は広く、建物はみな立派で、入口に立つ楼門は朱に塗られており艶やかです。
氷川神はスサノオとされていますが、実はこの神社は元は見沼の水神を祀っていたとも考えられているそうです。楼門の前にある神池は、かつては見沼の一部だったそうです。
さて、氷川神社をぶらぶらし終えたら大宮駅前に向かいます。
大宮はちょっとした都市ですが、混雑しているのは駅前の僅かな部分だけで、裏道は車の通りが少なく、まったく問題ありませんでした。
大宮駅前でいつものように反省会に突入。年柄も考えずに選んだレストランはサムギョプサル食べ放題! 例によって遠方より呑みだけにやってきたシロスキーが加わるも、この方は呑むだけなのでいっこうに肉はなくならないのでした。
さて、2020年の初花見は充分に満足な結果となりました。密蔵院の安行桜は言うに及ばず、それ以外にも満開の桜がたくさん。このあたりにはこんなにたくさん早咲きの桜があったんですね。