7月は毎日雨。8月は33°Cだとか34°Cの猛暑。そして9月に入ったら雨続き。この週末もそして次の週もずっと雨らしい。その割には気温は高く、最高気温が30°Cを下回ることはほとんどありません。蒸し暑い! そんな雨予報の中、この日曜日だけ直前に晴れマークが付きました。
もうここしかないと、やってきたのは埼玉県の高麗駅。予報では15時までは晴れのはずだったのですが、駅を降りると天は厚い雲に覆われており、真っ白。あれれ・・・
駅名からも想像できるようにこのあたりは朝鮮半島と関係があり、昔々大陸からやってきた高句麗人が大和朝廷によって集められ、高麗郡が創設されたところだそうです。駅前には朝鮮半島の村落の入口などに見られる魔除けの将軍標(しょうぐんひょう/장군표:チャングンピョ)が立っています。
今日は軽いコースを、というリクエストが多かったのと、最高気温は31°Cの予報から、二つの滝を巡って涼むことをメインとしたルート設定です。
このあたりはいつもなら、お彼岸の時期に巾着田の彼岸花を観に行くところですが、今年は新型コロナウイルス感染症対策で、その彼岸花はないそうです。しかしここまで来たらやっぱり巾着田がどうなっているか気になるので、覗いてみることにしました。
巾着田に向かって走り出すと、正面に小高い日和田山が見えてきました。
巾着田はこの日和田山の南側の、高麗川がうねって巾着袋のような形をしているところです。
その高麗川の河川敷には遊歩道が設えられているので、これを行きます。河原ではたくさんの人がテントを張ってキャンプを楽しんでいます。いつもの彼岸花の季節だったら、ここは人の波で自転車で通ることはまったくできませんが、この日その波はなし。
テントゾーンを抜けると河川敷の遊歩道はおしまいになり、巾着田曼珠沙華公園の森の中を行く地道になります。曼珠沙華とも呼ばれる彼岸花ですが、情報のとおりに今年はすべて刈り取られてしまっていて、まったくその姿はありません。わかってはいたものの、やっぱりちょっと残念です。
しかし公園の横を流れる高麗川はサラサラと涼しげでいい感じ。
ドレミファ橋までやってきました。
すると赤い花が。彼岸花です。
『お、咲いてる咲いてる!』と喜んだのですが、これらの彼岸花はプランターに植えられたものでした。
せめてプランターの中だけでもここを訪れる人々の目を楽しませよう、という計らいなのでしょう。
今日は時間がたっぷりあるので、ドレミファ橋を渡ってみます。
去年の台風でだったか、確かこの橋は流されてしまったと思うのですが、今日それは新しく架け替えられています。
川面が近くていい感じ。
ドレミファ橋から高麗川を眺め、戻って巾着田の出口に向かうと、森の中に赤い点がポツポツと見えます。
あれ、あれはもしかして彼岸花?
刈り取られた後に芽を出したのか、それとも少しだけ芽を残してくれたのかはわかりませんが、パラパラッと彼岸花が咲いています。
彼岸まではあと10日ほどあるのでまだ咲き始めではあるものの、なかなかいい色の彼岸花を見ることができました。
思いがけず見られた赤い彼岸花に満足したら、巾着田曼珠沙華公園の縁を進みます。
ここからは北にポッコリとした日和田山がよく見えます。
あの山に登ると見晴らしが良いポイントがあり、この巾着田もよく見えます。お天気だったらハイキングも楽しいのですが、昨日までの雨降りで今日は足下が悪そうです。ということでハイキングはまたの機会にして、ここからはあの日和田山をぐるりと一周してみることに。
巾着田を出ようとすると、大きな花が目に付きました。これは酔芙蓉(スイフヨウ)でしょう。
酔芙蓉は朝に咲いて夕方には萎んでしまう1日花です。この花、朝は白で昼頃には薄いピンク色、そして夕方には濃いピンク色になるそうです。この横にはピンク色をした萎れた花があったので、それは昨日咲いたものなのでしょう。名は酒に酔って赤くなる顔の色から来ているとも。
巾着田の向かいには高麗郷古民家があります。
母屋は江戸時代末から明治時代前半ごろの建築だそうで、とても大きく立派。うしろに屋敷林、道路面にはこれまた立派な石垣が残ります。
ザシキ(座敷)は12.5帖。
南面に三室ある六つ間取り(むつまどり)と呼ばれる平面形式です。
横には明治39年築とされる客殿があります。
式台に向唐破風屋根と豪華。
高麗郷古民家で古き良き時代に触れたら、日和田山一周に向かいます。
ここは勾配が緩そうな時計回りに。巾着田で大きくうねる高麗川のすぐ上流は、意外にもこんな狭い流れです。
高麗川を離れ、その支流沿いに入ると、道はいきなり上りに。
今日は初級コースで上りはないだろうと思っていたサリーナは、この上りに精神的なショックを隠せず、序盤からヨロヨロ。
この日和田山の周回路は、日和田山とその北西に位置する物見山を繋ぐハイキング道が通る駒高のロータリーがピーク。
そこまで高度で200mの上り。
6速しかないブロンプトンのマコリンはギコギコ。フロントをダブルにしたダホンのサンダリアスですが、ここはインナーは必要なしとアウターでガシガシ。
とにかくみんなギコバタしならがこの山道を上って行きます。下では27°Cだった気温は森に入ったことで24°Cまで下がりました。湿度は高いものの、かなり涼しいです。
森が開き民家が出てきました。駒高の集落に入ったようです。
細かいカーブが続き、そろそろピークかな、と思うも、なかなか真のピークは訪れず。このあたりは精神的にちょっと疲れます。
右カーブに入ったところで左手に物見山方面に上って行く細道が現れ、その先の安州寺を通り過ぎると、どうやら今度こそ真のピークらしい。
寺の前の坂道を駆け上ると道の勾配は穏やかになり、ニ股に出ます。左は日和田山から下りてくる道で、横に小さなお地蔵さんと石碑が立っています。
右は私たちが進む一周路で、ここには『駒高ロータリー』と手書きされた小さな標識があります。ここから南に分岐する下り坂方面には、高麗川の谷と入間川の谷に沿った山並みがぼーっと霞んだように見えています。
駒高ロータリーで一休みしたら、反対側に下ります。
この道はすぐに日和田山から下りてくる道の下をくぐり抜け、次のヘアピンカーブに差し掛かると、物見山に上って行く現在は通行止めになっている林道清流線のゲートが出てきます。このゲートを左手に見てさらに下って行くのですが、この道も森を抜けるまでは清流線です。ちなみに清流は日和田山の東側の集落の名です。
左手に上って行く極細のハイキング道が現れました。これを行くとこのあと予定している滝沢の滝に辿り着けるのですが、それには小山を越さなければならず、自転車では到底行けません。
民家が現れたところで清流線は終わり、道幅が少し広くなります。するとほどなく右手に日和田山が見えるようになります。
さらに下ってカワセミ街道に出たら、日和田山一周は終了。聖天院(しょうでんいん)に向かいます。
最初に述べた高麗郡は西暦716年に設置されています。この地に移住させられた高句麗人は1,799人だそうで、この寺はその首長である高麗若光(こま の じゃっこう)の菩提寺として創建されたそうです。
山門前には高麗駅前で見たのと同じような、朝鮮式の天下大将軍と地下女将軍の石柱が立っています。
山門には大きく雷門と書かれた提灯がぶら下がっています。この山門は浅草の浅草寺の雷門を模したものとのこと。多くの山門には仁王像が置かれますが、ここのそれは風神と雷神の像。
この山門の東側には高麗若光の廟があり、その前には狛犬ならぬ高麗羊が祀られています。朝鮮半島では犬ではなく羊なのでしょうか。中門をくぐると庭園に出ます。その上に見える大きな建物が本殿です。
ここは武蔵野三十三観音霊場の二十六番札所になっています。
しかしこれ、観音堂ではなく阿弥陀堂。実はこのお堂には阿弥陀・観音・勢至の阿弥陀三尊が祀られているのです。
阿弥陀堂にお参りしたら、長い階段を上って本殿に向かいます。山門にはおられなかった仁王様ですが、この階段の脇に阿吽がそろっていらっしゃいました。
本殿は比較的新しく2,000年(平成12年)完成とのこと。柱は立派な欅で、この時代にいったいどこから手に入れたのかと思うほどのものです。
ここは朝鮮半島との繋がりが深い寺なので、在日韓国・朝鮮人などが大勢訪れますが、この時はコロナの影響でかガラガラでした。そうそう、ここの紋章は菊花紋章。 天皇家の紋章ですね。かつて高句麗の人々をここに集めたのが大和朝廷だったことと関係があるのでしょうか。
この日は低く厚い雲が残念ですが、高台に立つ本殿の前からは日高市の中心部がよく見えます。
聖天院からは高麗神社へ。
聖天院が高麗若光の菩提寺なら、高麗神社は高麗若光を主祭神として祀る神社です。
拝殿はかなり新しく、2015年(平成27年)に建てられました。
この神社の裏手には代々高麗神社の神職を務めた高麗家の住宅があります。
慶長年間(1596-1614年)ごろの建築とされるこの建物は一見こじんまり見えますが、表座敷は21帖もあります。床の間の前身とされる押し板があるなど、古い様式を留めています。
高麗神社を出たら、いよいよ本日のメインイベントの一つ、滝沢の滝に向かいます。
この滝へのアプローチはゴルフ場とゴルフ場の間にある鄙びた道で、ここはまったくと言っていいほど人気がありません。滝は大抵山奥に落ちているので、道は上り。もっともこのアプローチ道の勾配は緩いので、なんとか自転車に乗って進んで行きます。
南側のゴルフ場の入口を過ぎるとほどなく道は狭くなり、路面に苔が生えてき出します。昨日までの雨降りでここは滑る滑る。スリップ注意!
道が二手に別れると、そこに左滝沢の滝の標識が立っています。この先はかなり寂しげな砂利道となり、ぐじゅぐじゅの水溜まりが数箇所。ありゃまあ。。
なんとか水溜まりをやり越して進み右手に分岐が現れたと思ったら、直進道の先に東屋が立っているのが見えます。この東屋の奥に滝沢の滝は落ちているはず。
東屋を通り越すとすぐ、これまで道脇に流れていたせせらぎを渡ります。この先は自転車で進むのはむずかしそうなので東屋に自転車を置き、徒歩で滝に向かいます。
この入口の先の森の中にはひっそりとした流れがあり、これに沿って人が二人並んで通れるくらいの山道が延びています。
しばらくこれを進めば、朽ちかけたこんな誘導標識が立っていました。
標識に『←清流』とあることから、日和田山周回路で見掛けたハイキング道を登ってくるとここに出るようです。
山道をさらに進めば、、 あ、ここは山道とは言っても勾配はとても穏やかなので、へえへえするようなことはまったくありませんが、、 道は人一人がやっと通れるくらいに狭くなり、周囲はジャングルと化してきます。
そして川で地面が抉られ、もうすぐ道がなくなりそうなところも出てきます。
東屋から距離にしておよそ1km、時間にして15分ほど歩いたでしょうか。先ほど見たものと同じような東屋が目の前に現れました。
滝沢の滝はこの東屋のすぐ奥にひっそりと落ちていました。
滝沢の滝は落差8mほどで決して大きくも迫力がある滝とも言えませんが、周囲のごつごつした真っ黒な岩を長い年月掛けて削ってきたのでしょう、深くえぐられた岩肌を滑り落ちるその姿は、清楚でしっとりとした味わい以外に、秘めた力強さといったものを感じます。
私は華厳の滝のような豪快で派手な滝より、小さくどこか鄙びた感じがする、こうした滝を好みます。
この時の気温は25°Cで滝にザブンするにはちょっと低すぎるので、足だけ水に付けて滝とその流れを感じました。
ジャブジャブしていると天からポツポツ。今日は夕方に雨が降るかもしれないという予報ではあったのですが、この時はまだ正午を少し過ぎたところ。まだピーカンの予定だったのですがね。今日の天気予報、外れだね〜 と言いつつ、しばし東屋で雨宿り。
雨に濡れた木々は美しいですね。
さて、ひっそりとした滝沢の滝を眺めたら昼食処に向かいます。
日高市役所あたりを目指し高麗川を渡ろうとすると、なんと橋が落ちていて通行止め。おそらくこれは去年の秋の台風によるものでしょう。そういえばこのあたりにやって来るのは一年ぶりで、すっかり橋の心配をするのを忘れていました。
目指したうどん屋さんは、なんとコロナで今日まで休業だって。明日の開店に向けて準備をしていたおかみさんがしきりにあやまってくれ、お茶を勧めてくれました。ここはいい店に違いありません。都心ではすでにコロナ休業している飲食店はないので、この心配をするのをすっかり忘れていました。
高麗川駅方面に向かって第二候補に行くも、これも休業。集客力が小さい地方の飲食店ではコロナの影響がまだ残っているのです。第三候補の定食屋さんでようやく昼食にありつくことができました。
昼食のあとはメインイベント、二番目の滝、宿谷の滝(しゅくやのたき)に向かいます。このあたりはr30飯能寄居線バイパスが近年完成したため、道がわからなくなってしまい、うっかりこのバイパスに入ってしまいました。
なんとか本来の道に復帰し、宿谷の滝に向かいます。
この道は鄙びていてなかなかいい感じ。宿谷の滝はあの正面の山の中に落ちています。
道脇には小さな田んぼが作られ、ここはちょうど稲刈りが終わったところで、小田掛け(はざ掛け)に稲が干されています。
『ここにはなつかしい景色がありますね〜』 とマージコ。
確かに最近はどこまでもコンバインが仕事をしてくれるので、こうした風景を見ることは滅多になくなりました。
この道はまっすぐ行くと林道宿谷権現堂線となり、奥武蔵グリーンラインに上って行くのですが、途中に『←宿谷の滝』の標識が出ていました。
その矢印方面に進めば、この先は森の中の砂利道です。
100mほどこの砂利道を進めば、突き当たりに丸太小屋のトイレが立っています。
その先は遊歩道となり、徒歩で宿谷の滝に向かいます。
遊歩道の横には宿谷の滝から流れてくるせせらぎの宿谷川がいい音を響かせています。
最初に行った滝沢の滝のアプローチは遊歩道と言えるようなものではなく、かなり寂しげでしたが、こちらのそれは立派に整備されており、その周囲のスペースも広いので、安心して進んで行けます。
遊歩道は300mほどでしょうか。5分も歩けばシャーっという音が響くようになり、階段が出てきてこれを上ると、そこに宿谷の滝が落ちています。
落差12mほどのきれいな滝。斜瀑ですが、うしろの岩がほぼ放物線に近い形状のため、自然落下しているように見えます。
滝壺はその滝によって大きさも形状も、そして深さも異なりますが、この宿谷の滝のそれは落差の割に浅く、平面的には広がりがあります。
底が小さな石ころなので、素足でジャブジャブできて楽しいため、ここには良く親子連れの姿があるのですが、この日は誰もいません。
宿谷の滝に満足したら本日のメインイベントはおしまい。ここからはちょっとしたサブイベントに入ります。物見山をうしろにして高麗川に向かいます。
このあたりの川には沈下橋が多くあります。ここからはそれらの中のいくつかを巡ります。
高麗川を渡ろうとすると、あれ〜〜、またしても通行止め。この橋は落ちるまでは至っていませんが、だいぶひしゃげていて危険な状態です。
こうなるとこのあと予定している沈下橋が無事かどうか、とても気になります。
仕方がないので迂回して、r74の飯能寄居線に出て高麗川橋を渡ります。
高麗川橋に平行して架かる青い橋はJR八高線。
なんとか予定の道に復帰。
日高市から坂戸市に入り、多和目(たわめ)を目指します。
多和目の高麗川に架かるのは沈下橋の多和目天神橋。カーブを廻ると、あるか、多和目天神橋。
『あった〜、よかった〜』 と胸をなで下ろす企て人のサイダーでした。
沈下橋は川の土手の中に造られる橋で、川が増水すると水中にもぐってしまうことがあります。そのため潜水橋や冠水橋など、様々な呼び方があります。水流が強いと壊れて流されてしまうこともしばしばで、この多和目天神橋もかつては橋脚が木造だったのですが、現在は鋼管橋脚RC梁鋼桁となっています。化粧桁と床に木が使われているので、パッと見は木造のように見えます。
『ぎゃー、この床、ボコボコ音がしますね〜』 と、沈下橋を渡るのは始めてのマコリン。
多和目天神橋を渡ったら高麗川の右岸を行きます。このあたりの高麗川はくねくねとうねっていて、風景に変化をもたらしてくれますが、このうねりが水害の原因の一つになっているのかもしれません。
ここは川のすぐ横に遊歩道があって快適。
坂戸の欠ノ上にやってきました。ここにはぶどう園があります。
今年はもうぶどうの季節は終わりなので、今日は立ち寄るつもりはなかったのですが、ぶどう畑を覗いたらまだ白い袋が見えます。最後のぶどうにありつけるかもしれないと思い、ちょっとだけ覗いてみることに。
『すみません、今年はもうおしまいで、こんなのしかないんですが。』と、おかみが手に取ったパックの中身は、バラけた実が詰まった巨峰。試食をさせてもらうと、とても甘い。1パック300円也。房にはなっていませんが激安です。
いいね、いいね、とこれをいただき、テラスで一服させてもらいました。あたしゃあ、これで充分に満足ですよ。
予定外のぶどうに満足したら、終着地の坂戸駅に向かいます。ここでもう一つの沈下橋、若宮橋を渡ります。
この橋は2016年(平成28年)に架け替えられ、現在はPCパイル橋脚RC梁鋼桁橋となり、床板には工業製品が使われています。かつての趣はありませんが、橋そのものがなくならなかったのがせめてもの慰めで、去年の台風時も無事だったようです。
さて、若宮橋を渡ったら高麗川の土手上の自転車道をどんどこ。
坂戸のふるさとの湯にやってきました。時は17時。なんとかここまで雨に当たらずに済みました。今日一日の平均気温は25.5°Cと涼しく、予報の31°Cは何なんだったんだという感じですが、さすがに湿度が高く、身体はぐっしょり。ここでさっと汗を流してサッパリ。
突然の晴れマークに飛びついてやってきたこの日は、その天気には恵まれませんでしたが、二つの滝はひっそりとしていて美しく、また二つの沈下橋が無事だったのを確かめられたのが良かったです。あ、いつもと違う巾着田の彼岸花もまた良かったです。
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