9月は停滞した秋雨前線で愚図ついた天気が続きましたが、最終週に入ってようやく青空が広がりました。月も変わり、いよいよ秋です。キンモクセイの匂いがあちこちから漂ってきます。
今日は私たちが大好きな多摩の原風景エリアを巡ります。緑豊かなこのエリアの一番のおすすめ時期は秋の紅葉から落ち葉の季節ですが、町田ダリア園は夏ダリアが7月、秋ダリアが9月下旬から10月下旬に見頃となります。今回はこの秋ダリアを観に行きます。
天気予報では曇りでしたが、朝の集合時刻には空に青い色が見えています。京王線の多摩境駅から尾根緑道に向かいます。
尾根緑道はその名に尾根とあるように尾根を行く道で、写真の右の崖の上を通っています。
この尾根緑道は第二次世界大戦中に相模原で製造された戦車をテストするためのコースとして造られた、かつては戦車道と呼ばれたものが元になっており、現在は8kmに渡って遊歩道として整備されています。
まだこの道の周囲は緑色で極僅かに紅葉が始まったところですが、あと二月もすれば見事な紅葉で埋め尽くされるでしょう。
多摩境駅のすぐ近くの尾根緑道には小山内裏公園の東展望広場があります。
ここは天気が良ければ南西に丹沢山系の山々が広がっているのが見えるのですが、この日は視界が悪くちょっと残念。
しばらく東展望広場からの眺めを楽しんだら尾根緑道を東に向かいます。
2kmほど進んで桜美林大学の野球場を過ぎたら北に下り、鶴見川の源流部に向かいます。
細い鄙びた田舎道に入れば、足下にはコスモス、そして民家の庭先には黄色く色付いた柿の実が見えます。
この田舎道、序盤は緩い上りでしたがいつしか激坂に変わり、全員ここは押しに。
『ぎゃー、ここはとても乗っては上れませんね〜』 と、この日は古いジオポタ・メンバーから譲り受けたプジョー・パシフィックで参加のマコリン。
畑で作業をしていた方が、『このあたりが一番きつくて、この先の森に入ると緩くなるからね〜 がんばってね〜』 と、声援を送ってくれました。
あへあへと自転車を押し上げたあとはこの方が言う通り、勾配が穏やかになり薄暗い森に入りました。
この森を抜けて広い道に出たあとr158南多摩尾根幹線道路をかすめ、ちょっと誇りっぽい道を下ると田中谷戸に出ます。
田中谷戸には『鶴見川源流の泉』があり、その底から湧水が湧き出ているのが見えます。鶴見川は横浜で東京湾に注ぐ全長42.5kmの流れですが、その源流はこの谷戸の湧水を水源とする数本の流れだそうです。
田中谷戸の奥、r158南多摩尾根幹線道路の付近にある森が見えますが、あの森が鶴見川の流れを作り出しているのですね。
泉を眺めたら鄙びたr155町田平山八王子線を北に向かいます。このあたりには古くから主要な道がたくさん通っていました。
1.古代東海道 2.奥州古街道(奥州古道 2本、奥州廃道1本) 3.古代甲州道 4.関東山ノ辺の道 5.古代武蔵国郡役所道 6.古代武蔵上総官道 7.鎌倉街道上道 8.鎌倉街道早ノ道 9.軍事戦略鎌倉道 10.鎌倉裏街道 11.鎌倉街道山ノ道(秩父山ノ道) 12.武相観音巡礼道(東西日本霊場巡礼道)
この道は奥州古道の常盤道と考えられています。奥州古道は奈良時代から平安時代にかけて都から陸奥へ向かった道で、この時代に府中に国府が置かれたため別名を国府街道ともいい、相模と武蔵の両国府を結んだ公道でもありました。このあたりを通る奥州古道は3本あり、 西から常盤道、長坂道(奥州廃道)、中尾道と呼ばれます。
穏やかな上りの道はすぐに森の中を行くようになり、それを抜けると野中谷戸に出ます。ここの田んぼはすっかり稲刈りが終わっています。
野中谷戸を奥に進んでいくと、ここは今ちょうど稲刈りの最中で、手前の数列の稲は刈り取られ、稲架(はさ)に掛けられ天日干しされています。
私たちが今通っているこの奥州古道常盤道、どう見てもせいぜい市道くらいにしか思えないのですが、これが都道だからちょっと驚きです。
正山寺方面から来た道(これも奥州古道常盤道)を合わせてさらに進めば、道脇は田んぼではなく畑になります。ここは西山中谷戸ですが、傾斜がきついので田んぼではなく、上の方は森を切り開いて畑にしたのかもしれません。
この森を抜けると先に立派な建物が現れ、交差点に出ます。この交差点には『多摩よこやまの道』が通っています。多摩よこやまの道はこのあたりの尾根約10kmに渡り整備された遊歩道です。その名の由来は万葉集にあり、その中で多摩丘陵は『多摩の横山』と詠まれています。横山は横に伸びるなだらかな山ということでしょう。
阿加胡麻乎 夜麻努尓波賀志 刀里加尓弖 多麻能余許夜麻 加志由加也良牟
あかごまを やまのにはがし とりかにて たまのよこやま かしゆかやらむ
赤駒を 山野にはがし 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ
この交差点の一角に『巡礼古道の代官坂と奥州古道の辻』の案内板が立っています。
私たちがやって来た道が奥州古道常磐道。辻から南東に延びる狭い坂道が巡礼古道、すなわち武相観音巡礼道で、ここからはこの道に入ります。武相観音巡礼は江戸時代の1759年(宝暦9年)に始まったようです。
この入口には古い地神塔が立っています。かなり風化していてそこに彫られた文字は残念ながら全部は読めなくなっていましたが、これは1849年(嘉永2年)に造られたものらしいです。
この先の武相観音巡礼道は代官坂と呼ばれていたそうで、下小山田の大泉寺方面に向かっています。大泉寺はこのあたりの地名ともなっている小山田氏の館があったところと伝わります。
その小山田氏は平安時代末期の豪族ですから、代官坂は古くからある鎌倉街道の一つであったのかもしれません。
道の脇には石地蔵が置かれています。傘を被り赤い頭巾と前掛けも着けているので、まだこのお地蔵さまを管理してくださる方がいらっしゃるのですね。
簡易舗装の道は二手に分かれ、右の道を行けば掘割状の地道となります。
ここは京王線の唐木田駅から1km少々の地点です。市街地からごくわずかに離れただけなのにこんなところがあるとは、まったく驚くべきことです。
この道、細いタイヤのマージコは苦戦、マウンテンバイクでやってきたシュンシュンは余裕で進んで行きます。
今日のコースはこうした地道や砂利道がかなり多いので、太めのタイヤだと楽ですね。
下小山田を南北に貫く大きな谷戸の善治ヶ谷戸(ぜんじがやと)に下ってきました。
この田んぼではもうすぐ稲刈りが始まりそうです。
大泉寺の西を通る大きな道に出たらこれを渡り、小山田緑地に入ります。
その中にあるトンボ池ではその名のとおりにシオカラトンボが飛んでいました。
ここはかつてマコリンの庭で、親子で深い思い出があるそうです。この奥には散策路があり、唐木田駅の近くまで快適に行けるそうです。
トンボ池からはちょっときつい坂を上って緑地の上に出ます。
振り返れば前方に先ほど私たちがその中を通ってきた下小山田の西側の丘が見えます。こうした丘とその底となる谷が繰り返し現れるのが多摩丘陵です。
トンボ池から離れたところにある小山田緑地の本園の中にあるみはらし広場からは天気が良ければ丹沢あたりがよく見えるのですが、この日は見通しが効かなさそうなのでそこはパスし、小野路に向かいます。
緑地の東側に抜けたら『奈良ばい谷戸』に入ります。鶴見川源流の泉の田中谷戸で見たように、低い丘陵地の多摩丘陵にはかつてはたくさんの谷戸がありましたが、現在、田んぼとして残るそれは僅かしかありません。
ここ小野路の西側の斜面には小さいながらも谷戸がいくつかありますが、他の多くのそれと同じように田んぼは作り手がなく放棄されてしまいました。奈良ばい谷戸はこれらのうち最大のものですが、現在はボランティアによって田んぼが復活させられ、管理運営されています。
奈良ばい谷戸の入口では黄色く色着いた稲穂が実入りを待っており、その奥に白い煙が立ち上っているのが見えます。
この煙の正体は毬栗を燃やしているところでした。
さらに奥に進むと田んぼが何枚か現れます。
ボランティアの方によるとここの稲刈りは2週間後で、今年はコロナウイルス感染症の影響で外部から応援を呼べないので大変だとおっしゃっていました。この時は稲を天日干しするための稲架掛けを作る作業が行われていました。
田んぼの畔には真っ赤な彼岸花。
シソ科の落葉低木である紫色の実を付けたムラサキシキブ、ちょっと変わった形の赤紫色のツリフネソウも。
奈良ばい谷戸を上って行くと三角屋根の小さな小屋が現れます。炭焼小屋でしょうか。田んぼの上は畑になっており、サツマイモがそろそろ収穫の時期のよう。
さらに上って尾根に出、谷戸を振り返れば、お天気だとここからは遠方に富士山が見えるのですが、この日は残念。
尾根を北に進みます。
浅間神社のすぐ南でVの字を描くようにして南東に向かえば、道は益々狭くなり、森の中に築かれた小さな畑の横を行くようになります。
畑と森の中の坂道を下ると、かつて鎌倉街道上道(かみつみち、かみのみち)の宿場町だった小野路の通りに出ます。江戸時代になるとここは、府中・小野路・厚木・伊勢原・大山を結ぶ大山街道の宿として栄えたそうです。
この道は近年整備され周辺の建物も新しく建て替えられたものが増えたため、かつての宿場の趣はほとんど残っていません。
通りを南に下ったところにある古い門が残る小島資料館だけが、かろうじてその面影を留めていると言えるでしょうか。
幕末には、のちに新撰組組長となる近藤勇が調布から布田道を通って、ここに剣術の指南に訪れていたそうです。
小野路の通りから東に入ると、そこはすぐに山の中に。
写真は宿場の通りのすぐ裏手に築かれた畑です。この町は道沿いの一皮しかなく、いかにそのゾーンが薄いかがわかります。
畑の横は江戸時代に調布の布田五宿と小野路宿とを結んだ布田道で、関谷の切り通しに続いています。
関谷の切り通しは狭い地道の両側が削り取られ、土が露出しています。この状態がずっと保存されてきたとは、本当に驚きです。
この切り通しから竹林の中に延びていく小径があります。
はっきりはしませんが、この小径が古くは鎌倉街道であったとする説もあるようです。
ここを切り通しから続く東方面ではなく北に向かうと、すぐに道端に子育地蔵が現れます。
関東の鎌倉街道は西から、府中を通り高崎に向かった上道、世田谷を通り古河に向かった中道、丸子を通り大手町を抜けて松戸へ向かった下道の三本がありました。
これらはのちにそれぞれ、中山道、日光街道、水戸街道となっていったと考えられます。
このうちの上道はここ小野路の小野神社付近で二手に分かれ、本道は恵泉女学園大学と妙櫻寺の間を通り、裏街道は一本杉公園の中を通ってそれぞれ北上し、関戸付近で合流して多摩川を渡り府中に入り、そこから上州の高崎方面に向かったようです。
関谷の切り通し付近から北に続くこの道が、その鎌倉裏街道らしいのです。
アスファルトの道が民家に突き当たって終わる直前の左手に、奥に続く細い地道の入口があります。
これを行けば鎌倉街道によくある掘割状の道が続くようになります。
鎌倉時代の鎌倉街道は『いざ、鎌倉』という時のための軍事道路であり、外部が見渡せ、敵から攻撃されないように尾根を通ることが多く、また敵に気付かれないように掘割りにしたようです。
しかしその規格はバラバラで、幅6mのところもあれば2mのところもあったようです。鎌倉街道は鎌倉幕府によって整備された規格統一道路ではなく、その整備を担ったのは地頭や荘園領主、寺社などであったと推測されているようです。ここは人と馬が並んで通れるかどうかほどの幅しかありません。
ビジターのリカちゃんは、
『ここ、本当に東京なんですか〜』 と、ちょっとびっくりの様子。
この鎌倉街道上道の裏街道と推測される地道は400mほどで、一本杉公園の前に出ます。
一本杉公園からは恵泉女学園大学の横をかすめ、妙櫻寺に向かいます。
鎌倉街道上道の本道はこのあたりを通っていたようで、それはどうやら妙櫻寺の駐車場の裏に見えるあの細い地道らしいのです。
今回はその探索はせず、ここからちょっとだけ『多摩よこやまの道』を行きたいと思います。
多摩よこやまの道は先に述べたように尾根道なので、多くのところで視界が開け、なかなか気分がいいです。
ここから見えるのはお寺の墓地と小さな畑ですが。
多摩よこやまの道は狭く、基本的には地道ですが、このように舗装されたところもあります。
しかし段差があったり木の根っこが出っ張っていたり、階段があったりと、あまり自転車向きとは言えません。ここは最後に階段となりました。
一般道に出たらこれを南下。左手の視界が開くと眼下に現在の鎌倉街道であるr18が見えます。この道は自然の谷を通っており、時代が下った鎌倉街道であったろうと推測されています。これまで見てきた鎌倉街道上道はこれより古い時代のものということなのでしょう。
南西に下って行くと森の中に開けた小さな畑が現れます。ここは笠松谷戸。谷戸に作られるのは本来は田んぼですが、やり手がいなくなって畑に置き換えられたのでしょう。
この畑道を下ると、関谷の切り通しを越えて大犬久保(おいなくぼ)谷戸を抜けてきた布田道に合流、それを東に向うと別所で先ほど上から眺めた現鎌倉街道に出ます。
律令政府が飛鳥から奈良時代に全国に張り巡らせた官道の古代東海道は、藤原京や平城京から常陸国 ( 茨城県 )まで続いていました。このあたりのそれはこの交差点付近から国士舘大学あたりに抜け、現在の『多摩よこやまの道』に沿って府中に向かっていたと推定されているようです。
現鎌倉街道を渡って細道を北東方面に進み、黒川を目指します。
この道も布田道の続き。
坂道を上り切ったところで進路を北に取り、国士舘大学方面に向かいます。
この道をどんどこ行くと国士舘大学の西にある『多摩よこやまの道』も通る古道五叉路に出ます。ですから私たちが今通っている道も、もしかすると古道なのかもしれません。
今回は古道五叉路には出ずに途中で進路を東に取り、国士舘大学グラウンドの南の森を抜けて進みます。
川崎市に入ると柿の畑がありました。川崎市には柿生(かきお)という地名がありますが、その名は柿が名産だったことから来ているそうです。
黒川の谷戸に出ました。
このあたりには谷戸がたくさんあり、ここは七ッ谷(ななつやと)と呼ばれているようなのですが、全部で谷戸が七つあるからそれらをひっくるめて七ッ谷と呼ぶのか、この谷戸だけを七ッ谷と呼ぶのかはわかりませんでした。他の谷戸には入り谷戸、海戸谷戸(かいどやと)などの名があるようではあるのですが。
この谷戸の田んぼは稲刈りがすっかり終わり、きれいに稲架掛けが並んでいます。
田んぼの先に見慣れぬ植物が栽培されていました。
黄色いきれいな花が咲いています。
花の栽培にしては少し様子がおかしいと思ってよく観察してみると、なんだか実らしいものが付いています。
どこかで見たような形。そう、これはオクラですね。下の方から実が付いていき、それを収穫したので、今は上の方にしか葉っぱが残っていないのでしょう。
この谷戸を廻ったらひと丘越えて次の谷戸に向かいます。坂道の横には小さなタマネギ畑が見えます。
今日のコースは写真を見てわかるとおり、アップダウンだらけで平地がほとんどありません。坂はみんな短いけれど勾配がきついものが多く、もうへろへろ。
はるひ野の戸建団地のすぐ近くにある海戸谷戸に出ました。
谷戸の田んぼはみんな狭いので大型のコンバインでは作業がしにくいのでしょう。ここでは小型の稲刈り機が使われていました。
黒川駅の近くで昼食を済ませ、午後の部開始。
まずはこのあたりの谷戸の根元にある黒川谷戸を行きます。
再び小野路に入り現鎌倉街道を渡り返し、野津田公園に向かいます。
野津田公園の野球場を廻り、池のある湿性植物園付近を通り抜けます。午後から参加の赤服のシンチェンゾーは午前中のダートと上りをこなしていないのでまだまだ余裕でパワー全開、ガシガシ行きます。
小野路から鎌倉に向かった鎌倉街道上道はこのあたりを通っていたようなのですが、どうもそれらしいものは発見出来ませんでした。その遺構は土の中に眠っているのか、あるいは既に失われてしまったのかもしれません。
野津田公園の北口ゲートに出ました。
野津田公園はサッカースタジアムの改修工事が行われており、ちょっと走り難そうだったのでここはパスすることにし、南に下って鶴見川から七国山(なくにやま)に向かうことにしました。
鶴見川を渡ると道は上りになります。住宅地の先でこの道は七国山の東西を廻るように二手に別れるのですが、西を通る道が鎌倉街道上道だそうです。
竹林が切れたすぐ先にその入口はあるのですが、そこには鎌倉街道上道や七国山と関連する標識はまったくなく、先には畑しかないように見えるので、ここは知っていないとまず入れないところです。
この奥に続く鎌倉街道上道は人一人がやっと通れる程度の地道で、まず竹林の中を上って行くのですが、周囲はすぐに針葉樹林に変わります。一昨日雨が降ったこともあり、路面がスリップして乗って進めなくなり、自転車を押し上げます。そのうち道端に小さな『鎌倉古道 鎌倉街道上ノ道』という標識が出てきました。
しばらく行くと七国山の山頂が近づいたようで、勾配が緩くなり、なんとか自転車に乗って進んで行きます。(TOP写真)
舗装路に変わると七国山の山頂をかすめ、『七国山鎌倉街道の碑』の前に出ます。ここには復元された『鎌倉井戸』もあります。この井戸には、新田義貞が鎌倉攻めの時にここで馬に水を与えたという伝説が残っているそうです。
この先で舗装路は左にカーブして今井谷戸に下りますが、鎌倉街道上道は写真の奥に見える地道だという推測もあるようです。
予定ではここから都の名勝で大賀ハスで有名だという薬師池公園に向かうつもりにしていましたが、天気がちょっと怪しくなってきたのでダリアを先に観ておいた方がいいだろうということで、町田ダリア園に向かいます。
七国山から下り、町田ダリア園に到着。左から二番目のムカエルはここで合流。
町田ダリア園は斜面地に築かれており、一番上から見ると園全体が見渡せます。
ダリアって子供のときに小学校に咲いているのを見たくらいで、あまり印象になかったのですが、ここには500種ものダリアがあるといい、その豪華さにびっくりです。
色の種類といい、花の形といい、ダリアがこんな花だとはちっとも知りませんでした。
菊に似たものもあります。
とにかくここは一見の価値有りです。
あとは説明なしです。写真でどうぞ鑑賞ください。
遠方からゴロゴロという音が聞こえてきました。空はかなり灰色が濃くなっています。
もしかすると降り出すかもしれないね〜 ということで薬師池公園はパスし、シロスキーご推奨の七国山の東にあるソバ畑をちょっとだけ覗いてから、最終目的地に向かうことにしました。
そのソバ畑は七国山ファーマーズセンターの横にありました。
谷状の土地一面いっぱいが、ソバの白い花で埋め尽くされています。
寒い地方ではすでにソバの収穫が始まっていると思いますが、暖かなここはまだそれまでに少し時間が掛かりそうです。ここで収穫されたソバは乾麺やそば粉となって町田市ふるさと農具館で販売されます。
このあと予定していた谷戸を使った忠生公園もパスし、近日のジオポタ復帰を目指すシロスキーを応援するため、境川近くに移動。シロスキーを取り巻いてひっそりと?賑やかに?シロスキー応援歌を歌ったのでした。
さて、今日のコースですが、距離は40kmと短いにも関わらず、累積登坂高度が700m以上あり、アップダウンだらけ。地道や砂利道も多かったので、だいぶ疲れました。マウンテンバイクあるいは太いタイヤの自転車がふさわしいコースです。市街地のすぐそばの森に谷戸、その中を通る古道と、ここはびっくりすること間違いなし。疲れたら美しいダリアの花を眺めて休んでくださいね。
関連レポート
1922小野路・尾根緑道・御殿峠古道・七国峠古道
1723小野路と尾根緑道
1014小山田緑地・多摩よこやまの道・小野路