花菖蒲がそろそろなので狭山丘陵の北山公園に行くことにしました。狭山丘陵といえば『トトロ』ということで、その周辺のトトロの庭らしきところを散歩します。トトロの親戚が住んでいそうな東久留米の林と湧水地も調査。
西武池袋線のひばりヶ丘駅前にやってきたのは、左より、赤服シンチェンゾー、赤じゃないけど紅一点サリーナ、赤帽ユッキー、赤カメラのサイダー。ひばりヶ丘駅は西武線の中では歴史が古く、武蔵野鉄道時代の1924年(大正13年)に造られた田無町駅に遡ります。
田無町駅がひばりヶ丘駅と改称したのは、ここに日本住宅公団のひばりヶ丘団地が造成された1959年(昭和34年)です。
そのひばりヶ丘団地は老朽化により建て替えられましたが、当時のスターハウスが一棟だけ保存されています。このスターハウスはちょっとだけ面白いかも。
ひばりヶ丘駅からまず向かったのは隣の東久留米市の柳新田通り。先に高さ195mの電波塔スカイタワー西東京が見えます。この塔は地元ではまず正式名称で呼ばれることはなく、田無タワーと呼ばれているそうです。
この写真は田無タワーを紹介するためのものではなく、実はこの道の横の、現在植木畑になっているところのヴォリュームを感じてもらうためのものです。江戸時代はこの土地は耕作地として使われていたはずです。
柳新田通りに出ました。ここでマージコとのランデヴーに成功。
かつてこの集落は柳新田と呼ばれていたようです。目の前に江戸時代から続いていそうな大きな屋敷林を抱えた家が見えます。昭和時代の中頃まで、この辺りにはこのような屋敷林が並んでいたはずです。
江戸時代のこの辺りの代表的な区割りは三富新田に見られるように、道に対して間口が狭く、奥行きはその何倍もある細長いものでした。その土地利用は、屋敷林がある屋敷、耕作地、燃料を採るための薪炭林から成っていました。
しかしこの柳新田あたりは三富新田ほどはっきりした区割りではなく、道に沿った集落とその裏手の耕作地、そのゾーンから外れたところに薪炭林というものだったようです。まあそれだけここは田舎だったということでしょう。
現在この辺りにはこうした薪炭林などが保存されているところが何ヶ所かあります。その一つの南町緑地保全地域に入ってみました。
『え〜っ、こんなところにこんな林が残っていたんですね〜』と、シンチェンゾーがいうように、市街化が進んだエリアのすぐ横にこうした林が残っているのにちょっと驚きます。
かつてはこの林にも日常の生活として管理する人がいたわけですが、現在はそうした農業を営む人はほとんどいないでしょうね。
南町緑地保全地域の少し西には前沢緑地保全地域があり、さらに柳新田通りを西へ向かい、小金井街道を通り越すと道の名は滝山中央通りとなり、大きなケヤキ並木になります。このケヤキの木は江戸時代にこの辺りが開墾された際に、冬の冷たい風を遮る目的で植えられたものだそうです。
そのあたりの調査はまた今度ということにして、ここからは落合川の近くにある南沢緑地を目指します。南沢緑地に接しその南西にある六仙公園は、都市化の波で失われ行く農地や雑木林を公園として整備して緑を残すという計画で、かなり広い面積が公園用地として当てられており、現在その整備プロジェクトが進行中です。
戸建住宅の横を通り、南沢緑地に入りました。
南沢緑地は平成の名水百選『落合川と南沢湧水群』の一部を構成しており、湧水からなるきれいな小川が流れています。
『うわ〜、この水は本当にきれいね!』 と、こんなにきれいな川を見るのは久しぶりだというサリーナ。
確かに都市部ではもう清流というのはほぼ皆無に等しいですからね。ここはとても貴重な場所だと思います。
網を持った子供たちが数人、川の中でバシャバシャやっています。何が捕れるの〜 と聞くと、沢ガニと小さな魚との答え。持っていた水槽を覗かせてもらうと、きれいな色の沢ガニが数匹入っていました。
『お、うまそ〜〜』と、声を上げるのは、ここのところちょっとだけ飲み足りないマージコでした。(笑)
さて、南沢緑地から流れ出る小川を合わせる落合川に出ます。この落合川もとてもきれいなので、いつでも子供たちは川に入って大騒ぎしています。
『いや〜、こんな景色、四万十川くらいでしか見たことないですね〜』 と、全国あちこちを廻っているユッキー。
この落合川沿いは両岸とも遊歩道になっていて、自転車も快適に走れます。
ここは歩行者優先でのんびり行きましょう。
河川敷がちょっとふくれたところは『落合川いこいの水辺』になっていて、みなさん自分の庭先感覚でテントを張っています。
いや〜、これもうらやましい限り。
この横にも湧水が流れています。ここはそれと基本的な関係はありませんが、竹林公園。
かつて竹林はそこら中にありましたが、これもあっという間に姿を消していきました。
森同様に竹林も現在は、公共の土地としてあるいはトラストで取得して保存しないと存在しないものになりつつあります。
落合川に戻りました。
ここは水生植物がたくさん。
落合川を下って行くとやがて黒目川と合流します。落合川はこの黒目川の支流なのです。
ここからはしばらく黒目川を遡ります。
黒目川は小平霊園内の『さいかち窪』に源を発し、新河岸川に流れ込んでいます。
下流には妙音沢という湧水点を持つきれいな沢があるように、この川もまた周囲にたくさん湧水があります。一時は生活排水が混入し水質が悪化しましたが、これは下水道の整備でかなり改善されたそうです。ということで今日は、この川で釣りを楽しむ人々の姿を見ることができます。
黒目川のすぐ北には野火止用水が流れています。野火止用水は玉川上水(立川市)から新座市を通り新河岸川(志木市)に続く全長約24kmの用水路です。老中で川越藩主だった松平伊豆守信綱は、玉川上水の開削を成功させた功績により、乾燥した台地のため生活用水に難渋していた領内に玉川上水から水を引くことを許可され、1655年(承応4年)に野火留用水が開通します。水に困っていた人々は信綱に感謝し、この用水を『伊豆殿掘』と呼んだそうです。
その野火止用水沿いに歴史環境保全地域として指定されているところが数ヶ所あります。
野火止用水の分水点は現在の小平監視所で、分水率は玉川上水7、野火止用水3だったそうです。野火止用水は主に飲料水や生活用水として利用されましたが、後に農業用水としても利用されるようになりました。
時代が下ると新河岸川をいろは樋で渡って、対岸の旧宗岡村にも水を送っていました。また新座市西堀1丁目の史跡公園で平林寺へ分岐する平林寺堀が分かれます。
清瀬駅の近くまでやってきたのでそこでお昼にし、ついでに地図で目に留まった清瀬松山緑地保全地域を覗いてみます。
ここは結核研究所があったところだそうで、現在も隣接地には結核研究所と日本BCG製造があります。かつては病棟が立っていたようで、その間にプラタナスなどの並木がある旧病棟間通路跡が残っています。林全体としては赤松が多いようです。
野火止用水の南に移動すると野火止地区の野火止用水歴史環境保全地域があります。
ここは林の中を行く道はかなり狭いので、車の道から林を眺めます。
黒目川に戻ります。これは全国フランチャイズチェーンの氷川神社。(笑) 全国とはいっても氷川神社は東京都と埼玉県に多く、その数は僅かに約200(登記数)ほどだそう。八幡神社の約4,800(同)、稲荷神社の約2,600(同)に遠く及ばず。もっとも社の数はこの数倍で氷川神社は1,000ほどあるらしい。
氷川という名は出雲国の簸川(ひかわ、現 斐伊川)に由来するとされ、農業用水として利用される半面、氾濫を起こす暴れ川だった荒川流域に多いそうです。今は静かな黒目川もかつては暴れ川だったのでしょうか。
先ほどの氷川神社から上流の黒目川は、最初に見た落合川との合流点付近とはまるで違う表情を見せます。
新所沢街道を渡り東久留米西団地が見え出すと、黒目川の護岸は緑になり川辺にクレソンがたくさん生えているのが見えます。この川に入ってなにかをしている人がいますが、きっとクレソンを集めているのでしょう。ここは採り放題だ!
団地の中にあるここは『しんやま親水公園』で、段々があり川に降りられるようになっています。ここも子供たちに人気の場所です。
今日は天気予報では晴れで30°Cまで上がるといっていましたが、どうやらこれは外れのようで、天気は曇り、気温もそこまでは上がっていないようで、私はまだ水に入らなくても問題なし。(笑)
黒目川の源泉である『さいかち窪』がある小平霊園はもうすぐなのですが、今日はそこには寄らずにここからは北山公園を目指します。
運動公園通りを行くと野火止用水との交差点に大きなケヤキが立っているのが見えます。
この大ケヤキは大きさもさることながら、根っこが凄い! なんと野火止用水を跨いであっちまで伸びています。
根っこが用水路を跨いだのか、根っこの下に用水路を通したのかについては二説あるそうな。
トトロにテントウムシって出てきたっけ?
ジャガイモが旬。
『へえ〜、ジャガイモってこんなかわいい花が咲くんですねぇ。』 と、都会っ子のマージコ。
武蔵野線、空堀川、西武線と越えてようやく北山公園に到着。この北に見える小山は八国山で、トトロに出てくる七国山のモデルとされるところです。写真には映っていませんが右手の方に病院があり、そこはかつて結核のサナトリウムでした。サツキとメイちゃんのお母さんは結核だったのかもしれません。
この時期の花菖蒲はまだ序盤でした。今年は季節が早くもう良い頃かと思ったのですが、ちょっとだけ早かったようです。しかしあと一週間もすればかなり咲き揃いそうです。
ここに来て気温が上がったのか、かなり蒸し暑く感じます。もう梅雨ですからね。
ここでユッキーが花菖蒲とアヤメはどう違うのかというので、お答えします。ついでによく似た花としてカキツバタとの見分け方も。花が咲いていればこれらは一発で見分けがつきます。花びらの付け根に注目。
写真のそれはシンプルな黄色です。これが花菖蒲。アヤメは綾目とも書くようにこの黄色い部分に網目が入ります。ここが黄色でぐちゃぐちゃしていたらアヤメです。カキツバタは網目なしの白。簡単ですね。
花が咲いていなかったらどうか。これはちょっとむずかしいです。
生育する場所の違いでいえば、このような水気の多いところに生えているのは花菖蒲。アヤメは水気がない陸地。カキツバタは水中。
花が咲く時期はだいたい、
カキツバタ--5月中旬
アヤメ--5月中旬〜下旬
花菖蒲--6月〜7月上旬
これは最近早まりつつあるように感じます。先週行ったところの花菖蒲はほとんど終わりかけでびっくりしました。
そうそう、これらとよく似た植物にドイツアヤメとも呼ばれるジャーマンアイリスがありますね。
ジャーマンアイリスは花のつけ根にブラシのような毛が密生しているので、すぐに見分けがつきます。一般的に花は巨大で派手ですから、なんとなくわかるでしょう。
左から、我らがIT部長で東京ッ子のマージコ。最近16インチのダホンを某国から格安で輸入したユッキー。土曜日はジオポタ、日曜日はローディなシンチェンゾー。赤服じゃないけど紅一点サリーナ。
そうそう、菖蒲湯に入れるあの葉っぱ。あれは花菖蒲の葉っぱではありませぬ。花菖蒲はアヤメ科ですが、菖蒲はサトイモ科でガマの穂みたいな花を付けます。なんで名前が同じなのよって疑問が湧きますが・・・
さて、花菖蒲に満足したら北山公園の北にある八国山に入りましょう。
その南の入口付近はこんなふうにちょっと開けているのですが、
すぐにこのような森になります。けっこう深いです。
なかなかいい感じ。トトロ、いるかな、と思えますね。この森はヴォリュームがあるので、ただ通り抜けるだけでもそれなりに満足できると思います。
ところが森を抜けると、あれ〜、ここはどこじゃ!
先には超高層ビルがボコスカ。ん〜〜ん。このギャップ、たまらんわ。あそこは所沢だそうです。
『となりのトトロ』の舞台は狭山丘陵辺りというのが定説で、宮崎駿が顧問を引き受けた『トトロのふるさと基金』が、この辺りの緑地を取得し保護するナショナル・トラスト活動を行っています。取得された土地には『トトロの森』という名が付けられます。
八国山のすぐ北、鳩峰公園に接するところに基金が二番目に取得した『トトロの森2号地』があります。ここ、かなり深い感じです。
トトロの森2号地を抜けたら多摩湖へ向かいます。多摩湖の下は狭山公園で、ここにも結構な森がありますが、そこはまた今度。
かなり気温が上がっており、『このあたりでアイス食べたいね〜』 とシンチェンゾー。『おいら、水なくなった〜』 とユッキー。とりあえず何か売店でもないかと周囲を見回しますが、ここにはまったく何にもなし。
多摩湖に上りました。多摩湖は正式名称を村山貯水池といい、東京の水瓶として作られた人造湖です。
多摩湖は上下の二つに別れており、今私たちがいるのは下の方です。
ここは広々としていて気持ちいい〜
堤の南に小屋が見えたので売店かな〜と期待を膨らませたユッキーでしたが、残念ながらそれはただの東屋でした。しかし多摩湖通りに出たところにトイレと自販機があり、さらに100m西に小さなお店がありました。目ざといユッキーはお店の前にコカ・コーラの自販機があるのを発見。無事、大好きなコーラをゲットしたのでした。
多摩湖の周りには多摩湖自転車道があるのでこれをどんどこ。ここは車道もほとんど交通量がないので、ロードバイクの方は車道を走る方が多いようですが、まあ、私たちはのんびり自転車道を行きます。
このあたりの地形がどうなっているのかはよくわかりませんが、西の方が標高が高いのか、緩い上りが続いてちょっと疲れます。
自転車道の西の端まで行くとヘアピンカーブから南西に向かう分岐があります。
その入口にはカブトムシがのっかったゲートがあり、これを入るとかぶと橋を渡ります。
その先はこんな森が楽しめます。
ここは中藤公園として計画されている一角のようです。
所沢武蔵村山立線に出ると、信号機の東側に自転車道と書かれたトンネルの入口が見えます。このトンネルの反対側の西側には野山北公園自転車道が延びています。実はこのトンネルも野山北公園自転車道の一部で、これらは多摩湖建設のための資材運搬と導水管工事のために造られた軽便鉄道の跡なのです。多摩湖の水は約8km先の羽村取水堰(pdf:国土交通省 関東地方整備局 京浜河川事務所)から運ばれて来るのです。
このあたりは『多摩川の原水の流れ図』を見るとよくわかります。
さて、横田トンネルに入ってみましょう。ここを通っていたのはトロッコみたいな軽便鉄道ですから、幅が自転車が通るのにちょうどいい!
ここ、ワオ〜 と叫びたくなる感じ。いや、実際叫んだぞ。
トンネルは横田に続き赤堀、御岳とまず三つ連続します。
その先は完全な森でひっそり感が半端でなく、ここはどこ、私は誰? 状態になること間違いなし。
その先でいったん民家があるところに出てさらに行くと赤坂トンネルがあります。この赤坂トンネルの先はカーブしていて元の道に戻るのですが、カーブ手前に細い枝道があり、その突き当たりに入口が完全に塞がれた5号隧道があります。
この枝道はほとんど獣道になりかけていて狭く、その上数日前の雨でか、足下がぐちゃぐちゃ。
『ぎゃ〜、こんなところ行くの〜』と半ベソのシンチェンゾー。『わ〜い、ここ楽しい〜』と拍手のユッキー。『あたし、ここ何度も来ているから』と冷静なサリーナ。三人三様の反応が面白い。
軽便鉄道隧道を楽しんだら多摩湖自転車道に戻ります。番太郎池から北へ進むと多摩湖自転車道に出られるはずなのですが、この道は使用頻度が低いのでもう通れない可能性が大。上りになるから行って引き返すようだとショックが大きい。そこでちょっと階段があるのですが大多羅法師の井戸から北へ向かい、かぶと橋に出ました。
かぶと橋からはもう一つの貯水池である狭山湖へ向かいます。こっちの自転車道は下りでらくちん。
狭山湖です。
『あれ〜、ここ、さっき来たところじゃないの?』 と、このあたりには疎いシンチェンゾー。
そうですね、多摩湖と狭山湖は景観が良く似ているので、知らないと同じところじゃないかと勘違いしてしまうかもしれませんね。狭山湖は正式名称を山口貯水池といい、先ほどの多摩湖と同じく東京の水瓶として造られたものです。造られた時期も多摩湖と同じですが、多摩湖が羽村取水堰から取水されるのに対し、この狭山湖は小作取水堰と羽村取水堰の両方から取水されています。
多摩湖と見分けるには、ん〜ん、左奥の森の上に白っぽいものが見えますが、あれは西武球場のドーム屋根です。あれがどの角度で見えるかがポイントでしょうか。
狭山湖の北東部にはトトロの森1号地をはじめ、トラスト基金が取得した土地がたくさんあるので、その辺りを廻ってみましょう。
堀口天満天神社の東がその主立ったゾーンで、この天神社の横を通る道は公道らしく問題なく通行できます。写真は針葉樹ばかりですが、ここから中に入るとたくさん広葉樹も見られます。
狭山といえばお茶ですね。ここには小さな茶畑が造られていました。
そういえば2018年の今頃、この近くでお茶摘みをしましたね。自分で摘んだお茶はおいしかったです。
いったん車道に出て、Uターンするようにして3号地へ向かいます。あのこんもりとした小山がそうでしょう。
道端に車が数台停まっています。みなさんトトロに遭いにきたのでしょうか。
右手に現れた3号地の表示板の前を通りさらに進むと、左手に1号地の表示板がありました。堀口天満天神社からも1号地に入れ、その道を進むとここに出て来るようです。1号地の森の中への本格的な進入は徒歩になるので、今日はその中核部へは行かずに、自転車でなんとか抜けられそうな北を目指します。
ここからは難所で、自転車を担いで持ち上げなければならないところがちょっと出てきます。
ちょっとした山越えをして平地に下ったら、本日最後のトトロの散歩道を目指します。それは小手指駅からそう遠くないところにある『白旗塚』です。
驚いたことにそこへ向かう道の両側にあったのは桑畑でした。この辺でまだ養蚕がされているのでしょうか。
前方にこんもりした林が見えます。うん、いかにもあそこにいそうだ!
白旗塚は古戦場である小手指ヶ原のすぐ西にあり、古墳ではないかと考えられている塚です。源氏の一族である新田義貞が鎌倉幕府軍と戦うためここに陣を張り、源氏のシンボルである白い旗を掲げたとされる場所でもあります。
その白旗塚が、小トトロを追いかけてメイちゃんが入って行った森にそっくりだというのです。どうでしょう。
トトロは、サツキとメイの家の隣の大きなクスの木がある塚森に住んでいたのです。なるほど、この入口は確かに似ているような気がしますね。
そして中に入ると、びっくり。これは・・・
ここは森としてはそう大きくはありませんが、こんな巨木も生えています。
メイちゃんが小トトロを追いかけ、駆け上がっていった坂道はこんなところではなかったでしたっけ。
その上にあの大トトロはいたんでしたよね。
いや〜、あたし、このトトロの庭には大満足です。なんとユッキーはトトロを観ていないそうな。かわいそうに。
小手指ヶ原古戦場付近を通り抜けると程なく、
西武線の線路が見え、超高層マンションが立つ小手指駅に着きます。
このギャップがまた、たまらんねぇ。