関東地方は梅雨に入るか入らないかしばらく迷っているようでしたが、結局入らずじまいで、これは例年並みになりそう。明日は雨のようなので、あまり天気は良くありませんがこの日堀切菖蒲園に出かけることにしました。
写真はここのところ定点観測的景色となっている文京区小石川の播磨坂。
コロナ禍以降私たちの企画は、ルート上の都合がいいところで各自合流するというランデヴー・スタイルが基本になっています。白山通りの春日近くでシンチェンゾーが合流し、サイダーといっしょに上野に向かいます。
いつも賑わっている不忍池はまだ早めの時間帯だからか、かなり空いていました。
不忍池から上野公園へ上ると、大噴水の前でユッキーが待っていました。ここに来て空が開いて青い色が見えてきました。出発時には雲が厚く寒いくらいに感じましたが、日が照ると暑いです。
上野公園は徳川三代将軍家光が創建した寛永寺の境内で、ここには本堂である根本中堂が立っていました。うしろに見える東京国立博物館は寛永寺の本坊だったところで、幕末の上野戦争で本坊の建物としては唯一残った表門が、博物館の南東に移築されています。東京国立博物館では6月1日から特別展『国宝 鳥獣戯画のすべて』が再開されました。一月ほど前、私が予約した日の直前にコロナ休館になってしまい悔しい思いをしたので、今度は再開初日に行って参りました。
これで本日参加のメンバーが揃いました。寛永寺本坊旧表門の前を通って浅草へ向かいます。
上野公園周辺は緑が多くてとても気分がいいです。
JRの線路を越えて上野のお山を下りると北上野です。江戸時代は下谷と呼ばれていたこのあたりは山の上とは丸で異なり、町人の町でした。
そこに見知った顔が。サンダリアス登場です。この御仁は時々こんなふうに連絡することなく待ち伏せをしているのです。
サンダリアスを吸収して浅草へ向かえば、調理道具などがずらりと並ぶ合羽橋です。
合羽橋は江戸時代に造られた掘割に架かっていた橋で、これは合羽橋交差点付近にあったそうです。しかし現在その堀はなく、もちろん橋もありません。今日合羽橋といえば、こんな調理道具や食器類が並ぶ商店街を指します。
合羽橋を過ぎるといよいよ浅草です。浅草という名がはじめて文献に登場するのは『吾妻鏡』で、武蔵野の果てに草が浅く生い茂る地形による命名とされます。
その浅草は、江戸・東京の下町としてもっとも名高いところといって良いでしょう。古くは浅草寺の門前町として栄え、江戸時代の繁栄は蔵前に米蔵が設置され、それに関係する人々が集住しだしたことから始まるとされています。
17世紀半ばの新吉原遊廓移転、19世紀半ばの芝居町猿若町の成立、明治になると12階建ての凌雲閣が建てられ、新らしい演芸場や劇場が次々に立つようになります。このあたりが浅草の全盛期だったろうと思われますが、戦後も松竹歌劇団 (SKD) の本拠地である国際劇場やロック座、そしてストリップのフランス座などで賑わいました。こうしたものは現在はかなり下火になりましたが、近年、街は外国人旅行者の増大で盛り返しました。しかしその外国人旅行者はコロナの影響でこの一年、まったく姿を見掛けなくなりました。
日本最初の遊園地とされる19世紀半ばに建設された『花やしき遊園地』の前を通り、浅草寺の境内に入ります。
通常なら自転車を押しても入るのははばかられるほどの人出の浅草寺ですが、コロナ禍以降はインバウンドがなくなり、かなり空いています。
外国語がほとんど聞こえない浅草寺境内は不思議な感じ、と誰かがいうほど、なんだかここは本当に妙な気分にされられます。
まあ、半世紀くらい前はこんな感じだったかもしれませんがね。
浅草寺で不思議な体験をしたら隅田川に出ます。
対岸にはあのスカイツリーがバ〜ン!
このあたりの両岸は隅田公園になっていて遊歩道があり、なかなか気分がいいです。しかし台東区側の遊歩道は北の白鬚橋まで通じていないので、人道橋の桜橋で対岸へ渡ります。
X字形をした桜橋は優雅な素敵な橋です。
桜橋を渡っているとこの前向島で『長命寺桜餅』を食べた話題になり、シンチェンゾーがぜひ食べてみたいと言うので立ち寄ることにしました。長命寺桜餅の向かいにはこれも有名な『言問団子(ことといだんご)』があります。シンチェンゾーはどちらでもいいというので、今回は言問団子を。
『言問』の名は、言問橋、言問通りなど、このあたりにいくつか見られます。これらの名の元はこの言問団子らしく、その言問団子は在原業平の次の和歌にちなむそうです。
名にし負はば いざ言問はん 都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと --古今和歌集--
都鳥はユリカモメのことで、隅田川は都鳥の名所だったそうです。この歌はこのあたりの隅田川で詠まれたものと考えられています。ユリカモメは最近は漢字では書かないような気がしますが、百合鴎と書くとずいぶん雰囲気が変わると思いませんか。
団子は三種で、小豆餡、白餡、中にみそ餡が入った黄色のもの。黄色はクチナシから採られた色粉によるものだそうです。甘さをあまり押さえない、伝統の味。
隅田川の東岸には高速道路が通っているので、走るにはあまりいい気分ではないのですが、遊歩道が白鬚橋まで続いているのでこれをどんどこ。
初代白鬚橋は近在の人々の基金により1914年(大正3年)に架けられました。これは木の橋でしたがその長さは約230mもあったそうです。
現在架かる橋は1931年(昭和6年)竣工で、優雅なカーブと手仕事のもの凄い数のリベットが見事。
白鬚橋を渡って隅田川の西岸に出ます。これより北の隅田川西岸は公園風な造りで快適です。
南千住は再開発が進み新しい顔に変わりつつありますが、かつてよりこの地域のシンボルのような存在だった巨大ガスタンクは現在もそこにあります。
千住汐入大橋で隅田川を渡ったところで、シンチェンゾーが乗るブロンプトンの前輪から異音が。チェックしてみるとスポークゆるゆる。え〜〜〜〜、こんなに緩んじゃうの〜ってくらい、全部が見事な緩みようでした。ブロンプトンの専用ツールの中にスポークレンチが入っていたので、なんとか応急処置で乗り切りました。
堀切橋で荒川を渡り、
それに平行して流れる綾瀬川を渡ると、
堀切菖蒲園に到着です。
堀切菖蒲園は江戸時代19世紀の始めごろに、このあたりのとある百姓が各地の花菖蒲を集めてそれを庭で栽培したのが始まりとされています。
江戸時代の終わり頃には江戸一番の花菖蒲園の名声を得るようになっており、歌川広重は名所江戸百景『堀切の花菖蒲』を描いています。
この絵を見ると当時は周囲には何もないところのようですが、今日は周囲は密集住宅地で、上には高速道路が走るというロケーションに変わっています。
そんなロケーションにもかかわらずここは都内でも有数の花菖蒲園となっていて、この日もそれなりの人出がありました。
ではその花菖蒲を堪能ください。
ひらひらの花菖蒲を楽しんだら、堀切菖蒲園駅前の商店街でお昼。
餃子屋さんとタイ・レストランが並んでありました。
シンチェンゾーが餃子はどうも今一つだというので、今日はタイ・レストランにしました。
私は餃子もタイ料理もどちらも好きなので問題なかったのですが、ユッキーは辛いものとパクチーがダメで、食べられるものが少なかったようです。しかしこのタイ・レストランはこの場所でというか何というか、本場の味でおいしかったです。
お昼のあとは荒川に出ます。
堀切菖蒲水門で綾瀬川を渡ると荒川の河川敷にある堀切水辺公園の前に出ます。
堀切水辺公園は河川敷に作られた花菖蒲園です。
ここは伸び伸びとしていて気持ちのいい空間。先にはスカイツリーが見え、昼寝をするのにもちょうど良いところです。
堀切水辺公園から一直線に空高く舞い上がる凧が見えました。連凧です。
近づいてみると、一直線に上に揚っているように見えたのは偶然の風向きによるもので、実際の角度は30°くらいでした。
全部で3機揚がっていました。連凧を見る機会はほとんどないので、これはちょっと面白かったです。
木根川橋(きねがわばし)で荒川の西岸に渡り、サイクリングロードを南下します。
木下川排水機場から旧中川沿いに入ります。
旧中川は1930年(昭和5年)に完成した荒川放水路により分断された中川の下流部分で、端部は共に荒川に接続していますがそのどちらにも水門が設置されており、流れは管理されたごく僅かなものとなっています。
穏やかな流れなので、ここではカヌーやSUPを楽しむ人々の姿を見ることができます。
もちろん釣りをする人もいます。
旧中川は区界を成しており、右岸は墨田区、左岸は江戸川区です。
その墨田区側は旧中川水辺公園として整備されており、快適な遊歩道が続きます。
JR総武線の線路をくぐると紫陽花が咲いているところに出ました。ここは地元のボランティアの方々により管理されているそうです。
真っ白なアナベルやガクアジサイ、そして良く見掛ける青いものなど5種類が植えられています。この時はピンク色の紫陽花が見頃でした。
小名木川が合流する地点まで進むと川の駅があるので、ここで補給。一服したら中川大橋で旧中川の東岸に渡り、大島小松川公園に入ります。
このすぐ南で旧中川は荒川に合流します。
大島小松川公園には旧小松川閘門があります。
現在、旧中川が荒川に合流する地点に設けられている水門は荒川ロックゲートで、これは2005年(平成17年)の完成です。かつてこの役割を担っていたのが1930年(昭和5年)に完成した小松川閘門でした。閘門は2門で1ペアですが、ここには1門しか保存されていません。それもかなりの部分が地中に埋められています。
旧小松川閘門を眺めたら大島小松川公園を出て仙台堀川公園に入ります。
サンダリアスは葛西方面へ向かうというので葛西橋通りで分かれ、あとのシンチェンゾー、ユッキー、サイダーは、のんびり仙台堀川に沿った遊歩道を行きます。
仙台堀川が横十間川と交差するところは横十間川親水公園になっており、野鳥の島があります。
ここには様々な鳥がいます。それらの中でも大型のカワウ、白鷺、アオサギは誰にでもわかります。写真にはたくさん白鷺がとまっているのが見えますが、その上ではアオサギが営巣しており、雛が数羽いるのが確認できました。この日は親鳥が雛に餌の魚を与える姿も見られました。
野鳥の島から南へ向かうとすぐ、花菖蒲園や田んぼがある『生物の楽園』が広がっているのですが、今日は花菖蒲はもういいと西へ向かい、石住橋の東の仙台堀川親水公園の西端までやってきました。
ここで仙台堀川の遊歩道は途切れるので、木場公園に入りました。
木場公園はかつては貯木場だったところで、木場が新木場に移転したため公園として整備されたものです。
木場公園の北には東京都現代美術館が立ちます。この美術館は木場公園が開園した3年後の1995年(平成7年)に開館しました。現代と名が付くように現代美術をメインに展示を行っています。
コロナ解禁しており、この日は完全予約制でオープンしていました。
木場公園を出たら清澄公園に入ります。ここは隣の清澄庭園とともに三井財閥の深川親睦園でした。
うしろに見えるのは江戸時代の火の見櫓に似せた時計塔です。似せて造られたものは陳腐に感じられることが多いのですが、これはそうでもなく、なんとなく風景に調和して見えます。
清澄公園を出たら清洲橋で隅田川を渡ります。
1928年(昭和3年)竣工のこの橋は吊り橋ですが、現代のようにワイヤーケーブルではなくプレートが使われており、チェーンブリッジと呼ばれます。私が大好きな橋です。
隅田川の河川勾配は1/10,000しかなく、満潮の影響もあり、岩渕水門から河口まで水が流れるのに3〜4日かかるそうです。川が汚れ、ここから漁業権が消失したのは1962年(昭和37年)のことでした。川が死んだのです。ドブ川と化した隅田川の水質が改善に向かう契機となったのは、なんと東京オリンピックでした。こんなきたない川を世界に見せられないということだったのでしょう。急速に整備されていった下水道などにより、隅田川の水質は徐々に回復していきました。今度のオリンピックは一体何を残すのでしょうか。
清洲橋から先は各自帰宅路に入ります。しかし全員秋葉原を通ることがわかったので、まず秋葉原駅へ向かい、駅近くでユッキーを切り離したのち、シンチェンゾーとサイダーは小石川へ向かいました。
今日のコースは都心部としてはかなり魅力的だと思います。上野公園周辺は不忍池や歴史ある寺院があり、緑が多いところです。下谷に下りたら合羽橋を覗くのも楽しいですし、浅草の鄙びた遊園地『花やしき』は子供の頃を思い出させてくれます。浅草寺の雷門で大提灯を眺め、仲見世を冷やかすもよし。隅田川沿いには遊歩道があり快適に進めます。小腹が空いたら『長命寺桜餅』か『言問団子』をどうぞ。この時期は堀切菖蒲園は外せません。荒川サイクリングロードを快走するのも楽しいですし、旧中川沿いを川面を眺めながらのんびり流すのもまたいいものです。仙台堀川はゆっくりどうぞ。野鳥の島に立ち寄るなら双眼鏡があると楽しいですよ。