今週末もダメかなと思っていたら、前日に天気予報が変わり土曜日から傘マークが取れてなくなりました。しかしここのところの雨で、予定していたダートがある奥多摩は取りやめ、どうせスカッとした天気にはならないだろうからと、新たに発見した用水巡りにしました。
やってきたのは横須賀線と湘南新宿ラインの新川崎駅。改札を出ると、先にタワーマンションがボコスカ立っているのが見えます。あそこは武蔵小杉です。私が知っている武蔵小杉は工場地帯でしたが、それも昔の話になりました。
振り向けば、こちらの新川崎駅の前にも超高層ビルが立っています。新川崎駅は比較的新しくできた駅で、川崎と名は付くものの本家の川崎駅からはかなり離れており、エ〜、なんでここが川崎なのよ、という感じだったのですが、駅前に超高層ビルが立つとは驚きです。
天気は予想とは裏腹に青空が見え、すでに朝の9時で30°Cに達しそうです。この天気だったら鎌倉あたりまで行ってしまい、海辺でも走れば良かったかな、とちょっと恨めしく思いました。
さて、今日のテーマの用水ですが、前回多摩川左岸の用水を巡った時、右岸にも用水はあるのかなと調べたら、あったのです。それが江戸時代の初期に徳川家康が治水と新田開発のために作らせた二ヶ領用水(にかりょうようすい)です。二ヶ領用水の名は二つの領地、すなわち稲毛領と川崎領にまたがることに由来するそうです。流路は多摩川の上河原堰と宿河原堰の2箇所で取水、久地の分水樋により4つの堀(川崎堀、根方堀、久地堀、六ヶ村堀)に分けられ、それぞれの地区に配っていました。
今回は二ヶ領用水を下流側から遡ります。久地までは4つの堀のうち最大である川崎堀を辿ります。川崎堀は南武線の平間駅と鹿島田駅の間の旧平間浄水場の横で、大師堀と町田堀とに分かれます。今回はこの分水点をスタート地点としました。ここは日本初の工業用水の取水口でもあったようで、稲毛・川崎二ヶ領用水余剰水取水口跡と書かれた解説板が設置されています。
この図は現地の解説板の一部ですが、ここで分岐した大師堀と町田堀がさらに網目のように細かく分岐しているのがわかります。
二ヶ領用水のかなりの部分は現在は暗渠化されてしまっているようで、この分水点以降の町田堀もその例外ではなく遊歩道になっています。一方の大師堀にはごく僅かながら流れを確認できます。
大師堀は大師河原、渡田方面の水田を潤していました。
またこの流れは1939年(昭和14年)から1974年(昭和49年)まで工業用水としても利用されたそうです。
現在の大師堀の延長は540mほどだそうで、写真は府中街道のすぐ南の部分です。
この流れはおそらく、すでに本来の用水としての機能はなく、親水空間として再整備されたものでしょう。
さて、川崎堀に行きましょう。南武線の西に廻り込むとその流れはありました。
さすがに末端部だけあり、水路はかなり狭く浅く、流れもほんの僅か。
川崎堀沿いの遊歩道
その横には快適な遊歩道が続いています。
たまに行き止まりになることもありますが。(笑)
用水の横には所々こんな階段が設えられています。
二ヶ領用水は基本的には農業用水ですが、当然様々な用途に使われたでしょうからね。もっともこの階段は後世のものだとは思いますが。
川崎堀と
都市空間の中を流れる用水路なので、護岸も川底もコンクリート。まあ、仕方ないのかな。
小さな水門が現れました。この水門の先に流れは見えません。暗渠になっているか、あるいはすでに廃止されたのでしょう。
今度は大きな水門です。これは渋川の分岐点で、この水門の先は渋川です。
水門の横ではカルガモがたくさん寝転がっています。
渋川に流れ込む水の量はかなり多く、本流の川崎堀より多いようです。
渋川はここから元住吉を通って矢神川に流れ込む2.4kmほどの流れです。この渋川にも遊歩道が設えられており、桜の名所になっているようです。
今回は渋川には入らず川崎堀をこのまま遡上します。
今日はまだ完全な夏のカンカン照りではありませんが、とっても暑いです。そんな日には若いひまわりがとても似合います。
第三京浜をくぐり抜け東急の田園都市線が近づいてくると、川崎堀の護岸は石積みとなり少し美化され、桜並木になります。
今日はここまで巨大な交通施設構造物の上や下をたくさん通過してきましたが、これは田園都市線の高架橋で、最寄り駅は高津と溝の口。このあたりは出発地の新川崎付近とは少し街の雰囲気が異なり、ちょっと落ち着いた感じになってきます。
気温はすでにかなり高くなっていて、本日の予報ピークの33°Cくらいになっているのではないかと思うのですが、あと僅かで見どころに着くので、もうひと踏ん張りします。
その見どころに到着。久地円筒分水です。
先に述べたように、二ヶ領用水はここで4つの堀に分けられていました。この写真を見ると明治時代までは現在の分水方式ではなく、より原始的な構造のものであったことが伺えます。
こうした分水は水があまり豊かでない地域で、公平にそれを分配するために考え出されたものです。
現在の久地円筒分水は1941年(昭和16年)完成です。円筒分水は昭和時代の始めごろから造り出されたもので、ほぼ全国で見られます。私が知っているのは、秋田県の男鹿半島の滝の頭円形分水、熊本県の通潤用水の小笹円形分水、山梨県甲州市塩山の岩堂セギ分水口などですが、この久地円筒分水は規模が大きく、設計も秀逸だと思います。
この円筒分水の基本的な原理は水が水平になる性質を利用したもので、水平な円筒外縁部を越流させることで、単位長さあたりの水量を一定にしています。円の中心に水口を置くことで円筒縁までの距離を均一にし、水圧の違いによる水量の違いをなくし、円周を分配率によって仕切ることで、公平な水の分配をおこなうというものです。
円筒が二重になっているのは、沸き上がってくる水流を内側の円筒で押さえて静かにさせ、外側の円筒に均一な水が行くようにするため。
上の写真の一番手前の水路がここまで私たちが辿ってきた川崎堀用。
この写真の一番手前が根方堀、その向こうが久地堀、さらに奥が六ヶ村堀で、一番奥がぐるりと廻ってきた川崎堀用の水路です。大分水量に差がありますが、これは灌漑面積比だそうです。
さて、では久地円筒分水の水はどこからやってくるのでしょうか。それはこの分水のすぐ側を流れる二ヶ領用水本川から取られています。ところがこの二ヶ領用水本川と久地円筒分水の間には平瀬川が流れています。
そこで平瀬川の下に導水管を通し、伏せ越しで平瀬川を渡ったのです。
久地円筒分水を眺めたら、二ヶ領用水の本川沿いに入ります。
さすがに本川は水量たっぷりです。
南武線の久地駅を過ぎたところで、うっかり川沿いを行くのを忘れ線路沿いに進んでしまったのですが、そこには二ヶ領用水の本川と宿河原用水の落合があります。
二ヶ領用水本川は多摩川の上河原堰から取水されたもので、宿河原用水はそれより下流の宿河原堰から取水された流れです。これら二本の流れが久地駅のところで合流するのです。本川沿いの道は府中街道であまり楽しめそうにない一方、宿河原用水沿いには遊歩道が設えられていて快適そうです。ということで、ここからは宿河原用水沿いを行きます。
川崎市緑化センターの前まで来ると、宿河原用水を五ヶ村堀が跨いでいます。
五ヶ村とは登戸、宿河原、長尾、堰、久地のことで、五ヶ村堀は登戸で二ヶ領用水の本川から分水し、高津区の宇奈根で多摩川に流れ込んでいます。
川崎市緑化センターでシロスキーが合流。
本日のメンバーは左から、赤服シンチェンゾー。最近はダホン一本やりのユッキー、最近は電動のシロスキー。へぼカメラはいつものサイダーでした。
暑いです〜〜 補水休憩〜
川崎市緑化センターで一服したら宿河原用水の取水堰である宿河原堰へ向かいます。宿河原用水沿いを遡って行くと南武線の線路に突き当たりました。
ここは河川敷に降りてガードをくぐり抜けるようになっています。ところがこのガードが低い低い。腰を折って進まないと頭をぶつけてしまいます。ちょうど私たちがくぐっている時に電車がやってきました。周囲が解放されているのと、南武線は編成が短いのでそううるさくはありませんが、ちょっとドキドキです。
登戸近くまで進み前方に多摩川の土手が現れると、そこで宿河原用水はおしまいです。
宿河原用水は二ヶ領宿河原堰から取水されます。
これが多摩川から宿河原用水への導水路です。
さて、ここからは多摩川サイクリングロードで二ヶ領用水本川の取水口がある二ヶ領上河原堰へ向かいます。
小田急線の橋梁に続き、多摩水道橋をくぐり抜けます。多摩水道橋は人も車も通るのに未だに『水道橋』です。
多摩川サイクリングロードはシンチェンゾーのトレーニングコースですが、今日先頭を牽くのはシロスキー。
ほどなく二ヶ領上河原堰が見えてきます。
『今の今までこんなもの、何のためにあるのか良くわかってなかった〜』 というシンチェンゾーでした。
この二ヶ領上河原堰で二ヶ領用水の本川は取水されます。
さすがに二ヶ領用水の最上流端だけあり、広いです。
上の写真の多摩川からの引き込み部分はかなり味気ない造りですが、水門を過ぎると様子は一変、こんな感じのまずまずの流れになります。
用水路沿いの道はごく普通の道で、特別な設えはありませんが、
川の側はなかなかいい造りで、子供たちがバチャバチャやっています。
時はそろそろ正午。小泉橋のすぐ近くの『更心』という蕎麦やでお昼にしました。
今日は暑いので全員冷たい蕎麦。ここ、なかなかおいしいです。
二ヶ領用水はここまでにして、午後の部は生田緑地を覗いてみることにしました。
この緑地は広大で様々なゾーンから成りますが、展望台がある枡形山に登ってみることにしました。園内は自転車乗車禁止なので押し歩きですが、ここは禁止でなくとも押さざるをえないほど急勾配です。
広葉樹の森を抜けるとちょっとした広場があり、そこに展望台がありました。
『ここはお城に良さそうですね。』 とユッキーが言うように、源頼朝の重臣の城があったところと伝わっています。
この展望台にはエレベーターが付いていてらくちんに登れます。
こうした展望台って、登ったけれど、あれれ、大した眺望ないよ、ってこともしばしばなのでほとんど期待していなかったのですが、ここは360°の結構な眺望がありました。東京タワーも見える! お見それいたしやした。
思いがけない360°の眺望に感動したら、枡形山から下ります。
このあとはあまり考えていなかったのですが、生田緑地の西に丹沢方面の見晴らしが良い王禅寺見晴らし公園があるので、とりあえずそこへ向かいます。
しかし木蔭のないこの道は、なんとも言えない暑さです。
王禅寺見晴らし公園の少し手前で、『おいらはもう暑くてかないません。どこかでジェラート休憩させてください。』 と、シンチェンゾーに泣きが入りました。王禅寺見晴らし公園まではすぐなので、とりあえず公園で見晴らしを楽しんでから、コンビニエンス・ストアなりファミリー・レストランで休憩することに。
王禅寺見晴らし公園は確かに西が開けており、もうちょっと空気が澄んでいたらそれはそれは素晴らしい眺望があったろうと思えるところでした。しかしこの日は特に西の視界が悪く、山々はボーッと霞んで見えるだけでした。
王禅寺見晴らし公園の案内板によれば、南の端にはお決まりの大山、正面に丹沢山とその向こうの富士山、北の端に東京都の最高峰の雲取山が見えるようです。
ここはとても暑くて5分で退散。シンチェンゾーが言うジェラートを探しに出かけます。
感が働いたのか、たまたま予定とは反対側に下ったら、すぐのところにコンビニエンス・ストアとファミリー・レストランが並んでありました。全員ここは少しゆっくり身体を冷やしたいということでレストランを選択。かき氷だのなんとかパフェだの、およそおじさんが頼みそうにないものを4つも頼んでしまいました。(笑)
この日は本当に暑かったのか、レストランの冷房は効いていませんでした。小一時間も涼んでいるとようやく汗が退いてきました。今考えると冷房は効いていたのかもしれませんが、私たちの熱量が大きすぎて効いていないように感じただけかもしれません。
なんとか汗が収まったところで王禅寺ふるさと公園へ向かいます。先ほどの公園にも王禅寺という名が付いていましたが、この王禅寺は寺の名であるとともにこのあたりの地名になってもいます。寺は日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸が発見されたところとして知られ、その禅寺丸の産地であることが『柿生』の名の由来とされています。
王禅寺ふるさと公園は樹林帯とちょっとした広さの広場から成る公園です。樹木が多いので涼しく通過させてもらえました。
さて、そろそろ上がりを考えなくてはなりません。くしくもここは川崎市と横浜市と町田市のちょうど間あたりです。
そういえば、このあたりにはジオポタお気に入りのところがありました。寺家(じけ)です。今日の上がりはそこにしましょう。
鶴見川を渡り、畑の中を進んで行くと、
珍しくも田んぼが現れました。
このあたりは横浜市青葉区寺家町で、良好な田園景観の保全と地域の活性化を目的とする『寺家ふるさと村』として横浜市が指定しています。
かつてこのあたりは雑木林の丘に挟まれた谷戸田が幾筋もあったところでしたが、都市化の波が迫り、農業従事者の高齢化もあり、田んぼは耕作が放棄され、周囲の雑木林も薪炭林としての利用がなくなったため荒れてしまいました。そこで新しい農業施策構想である『ふるさと村』となったのです。これは簡単に言えば行政によるバックアップで環境を保全し、地域活性化につなげようというものです。
一つの谷戸の奥には現在はへら鮒釣り場となっている『熊の池』があります。これは元々は農業用の溜池でしょう。
別の谷戸の奥へ行ってみます。
青々とした美しい稲。
『なにかいるかな〜』
狭まった谷戸。
そしてこちらの谷戸の最深部にも池がありました。
こちらにいたのはヘラ鮒ではなくなんと錦鯉!
谷戸の周囲は丘なのでそこから脱する時は入口まで戻るか、こんなふうな上り坂かしかありません。
ちょっとえっこらして切り通しを越えます。
この谷戸の最深部には住宅が立っていました。
これは谷戸と丘との境目ですね。
最後の谷戸はあまりはっきりそれらしい姿を見せずに町に下ってしまいました。出たのは鶴見川の四ツ木橋です。
ここで本日は解散。シンチェンゾーは鶴見川をこのまま下り、ユッキーは南武線へ向かいました。シロスキーとサイダーは小田急線の鶴川駅へ向かうことにしました。
鶴川駅へは鶴見川を遡って行くだけ。
ほどなく鶴見川と真光寺川の落合の開戸親水ひろばが見えてきました。
ごついコンクリート造の岡上跨線橋が現れると、そのすぐ先が鶴川駅です。
この前鶴川に来たのは40年くらい前で(笑)、そのころは何もないところだったと記憶していますが、ここも立派な街になっていてびっくり〜 いや〜、ゆっくりでも時は流れるものですねぇ。