秋の彼岸になりました。このころ咲く花に曼珠沙華があります。これは彼岸花とも呼ばれますが、その名はまさに彼岸のこの季節に咲くことから名付けられたものだそうです。
私たちがこの季節に良く行くのはその曼珠沙華で有名な高麗の巾着田です。去年同様、ここの曼珠沙華は新型コロナウイルス感染症の影響で今年も見られないとの情報でしたが、コースがなかなか良いのと、周辺に曼珠沙華がきれいなところがあるので出かけてみることにしました。
JR青梅線の東青梅駅からまずは霞丘陵へ向かいます。その入口に吹上しょうぶ公園があるので立ち寄ってみることにしました。ここはその名のとおりに花菖蒲で知られているようですが、この季節には曼珠沙華が咲いているはず。
彼岸だというのに今日は久しぶりに真夏日が復活し、最高気温は30°Cを超えるといい、朝からちょっと暑いです。しかしさすがに季節は秋めいており、民家の庭先には色付いた柿の実が生っています。
吹上しょうぶ公園に着きましたが、なんとここの開園は9時からで門は閉じていました。調査不十分でした。仕方がないので塀の外から眺めます。
入口にはちょっとした池がありコスモスが少し咲いています。
奥に進んでみると田んぼに花菖蒲が植えられています。そしてその横に真っ赤な曼珠沙華。ここの曼珠沙華はだいぶ見頃を過ぎていて、ほぼおしまいでした。今年の夏はかなり暑かったので咲くのが少し早かったんだろうと思いますが、最近は9月中旬にはすでに満開ということも珍しくなくなりましたね。
この地形を見てわかるようにここは谷津で、公園はこの環境を保全する目的で造られたようです。
吹上しょうぶ公園から少し行くと塩船観音寺があります。
その仁王門は室町時代末期の建築で茅葺き屋根。簡素な造りながら味わいがあります。左右には鎌倉時代後期に仏師定快の工房で制作されたと考えられているなかなか迫力のある金剛力士像が安置されています。
門の左手に見えるのは白い萩の花です。
仁王門をくぐると正面に立つのが阿弥陀堂(室町時代後期、国重文)。この参道に沿って真っ赤な曼珠沙華が咲いていて、いい感じ。
この阿弥陀堂もかつては仁王門同様に茅葺きでしたが現在は銅板葺きに替えられています。
真っ赤!
曼珠沙華という言葉はサンスクリット語の『赤い』という意味のマンジュシャカの音写だといいます。
阿弥陀堂の裏手に廻り大スギの横の石段を上ると、鄙びた薬師堂の前に出ます。このお堂は小規模ながら桃山時代の建築と考えられています。
ここは空気がひんやりしていて、とてもいい気持ち。
薬師堂を正面に見て右手に、本堂へ続く石段があります。多くの寺院は軸対象の配置が基本で、主要な伽藍は中心軸上にあることが多いのですが、ここはその例外です。平場が少ない山寺は中心軸に配置したくともそれが叶わないのです。
この寺は霞丘陵がまさに立ち上がるところに位置しているのです。
石段を上るとほとんど引きがないところに本堂(室町時代)が立っています。
この本堂と本尊の十一面千手観音立像(鎌倉時代)、そして本尊を守護する眷属の二十八部衆像(鎌倉時代)は国重文。
本堂のさらに奥というか、薬師堂の奥には護摩堂があり、そのさらに奥の上部に大きな観音さまが立っています。
その観音像まで上ってやって来た側を見返ると、周囲が徐々に競り上がっているのがわかります。まさにここから丘陵地帯というわけです。
下に見えている刈り込まれた丸い木々はみんなツツジです。ここはツツジの名所でもあります。
観音像まで上ってきたのは、実はその横から霞丘陵のハイキング路が続くからです。
獣除けの小さな扉を開けて境内の外に出ると、そこには丘陵の林が広がり、その中に尾根道が続いています。
このハイキング路は地道なのですが、固く締まっているところが多いので、かなりの程度自転車に乗って進めます。
赤松が生える尾根道を進んで行くと左手が明るくなり、下にゴルフ場が見えるようになりますが、これは見なかったことにして先へ。
道が狭まり多少アップダウンや階段が出てきて、押したり担がなければならないところもちょっとあるのですが、そうしたところを過ぎると程なく舗装路に出ます。
この舗装路を南へ行くと愛宕山グランドがあり、そのすぐ北から東に延びる道のゲートを入ると、桜並木が続いています。
この道は立正佼成会の敷地内で、桜の木の下には曼珠沙華が咲いています。
法華経序品(ほけきょうじょほん=法華経のプロローグ)によれば、曼珠沙華は釈迦が法華経を説かれた時に、天がそれを讃えて降らせた四つの華のうちの一つだそうです。曼珠沙華は天上界に咲く花なのです。天上界ではこの花は赤ではなく白い花だとも言われているようです。そうそう、法要でお坊さんが撒く散華(さんげ)は、これらの天から降った華から来ているとされます。
そういえば立正佼成会は法華経系の宗教団体でしたね。
この道の突き当たりは岩蔵街道で、笹仁田峠の100mほど南に出ます。ここからさらに東の山に入る道があります。
霞丘陵ハイキングコースPart2の始まりです。
この入口部はコンクリート舗装ですが、林に入るとすぐに地道になります。
それもかなりの上り勾配の上に水道になってしまっていて、中央部が抉られています。なお悪いことに、ここ数日は晴れが続いていたのですが、今朝方雨が降ったようでちょっとぬかるんでいます。
ここは押しの一手。(笑)
200mほど行くとなんとか上りが終わり、尾根に出ます。
この尾根道は先ほどの上り坂とは異なり地道でも固く締まっていて、問題なく自転車に乗れます。
これを400〜500m程行くと空が明るくなり、ちょっと開けたスペースに出て南北に通る道に合流します。
ここは七国広場。七国は、武蔵、駿河、甲斐、信濃、上野、常陸、相模を意味します。これはかつてこのあたりには遮るものがなく七国が見渡せたということなのだろうと思いますが、実はこのあたりの標高は僅か200m強しかないので、実際にこれらの国々が見渡せたかどうかはちょっと怪しいと思います。
七国広場は広場と名が付くものの人工的な設えはほとんどなく、あるのはこの案内板とベンチが二つほどです。
ここからは北の岩蔵温泉方面へ向かいます。するとすぐにまた針葉樹林の中を行くようになります。ここも尾根道。
七国広場のすぐ北には七国峠があります。右飯能市という標識が立つ分岐あたりがそれですが、ここはあまり峠らしくなく、ほとんどそれと認識することなく通過してしまいます。
ところでここまでこのあたりの丘陵を霞丘陵と紹介してきましたが、阿須丘陵とも呼ばれるようです。これら二つの区分けがどうなっているのかは定かではありませんが、青梅市では霞丘陵、飯能市では阿須丘陵と紹介しているようです。地理的に見ると岩蔵街道がこの境なのかもしれません。ついでですが入間市側は加治丘陵と呼ばれ、かなりややこしいです。
青梅市が案内している霞丘陵ハイキングコースの最後は、この尾根道を北へ進み岩蔵温泉に抜けます。
しかしその最後は階段となりちょっと難儀するので、今回は参加者が2人だけになったこともあり、別ルートを探索してみることにしました。実はこの丘陵の中にはかなりの数の小径が通っているのです。
それらの中核となるのがこれまで通ってきた旧上州道と呼ばれる道で、これを行くと飯能の阿須に抜けます。この旧上州道から岩蔵温泉へ抜ける道が分かれますが、今回ここは阿須方面へ向かいます。すると程なく、長沢川に沿って下り長沢橋に出るルートが分岐します。
この道は入口だけ見ると行けそうな雰囲気なのですが、入ってすぐもうほとんど使われていないことが判明し、これは断念。旧上州道をさらに東へ進みます。この旧上州道はその名からも推測できるように、かつてはかなり重要な道だったようです。
上の写真の長沢橋方面への分岐を過ぎ300mほど行くと、秋葉神社を経由して尾根という集落へ抜ける尾根道が分かれます。しかしこれも草に埋もれそうになっています。
そこから50mほど行けば、今度は尾根集落の東隣りの三ッ沢に下る道が分かれます。
安全を取るならこのまま旧上州道を行くべきですが、この枝道の入口は入りやすそうなので試しに行ってみることに。
ところがこの道、状態が良かったのはほんの入口付近だけで、ご覧の通りの泥道に。
ここは谷筋だったのでした。失敗!
押したり引いたりしてなんとか難所を脱出。
どうにかこうにかどろんこではないところまでやってくると、周囲に笹薮が現れました。これまでは針葉樹しか生えていなかったので、環境が変わったのです。里が近づいたということでしょう。
笹薮の先で周囲が明るくなると林が割れ、どうやら里に出たようです。
やった〜 これで無事生還できそうです。(笑)
三ッ沢に抜けたのです。そこには茶畑が広がっていました。このあたりは狭山茶で有名なところです。
お茶は八十八夜あたりに摘まれる一番茶から始まり、二番、三番と進み、そろそろ最終期の四番茶の収穫となるころです。
青梅から一丘越えて成木川の筋に出ました。
このあたりにはたくさん川が流れていますが、この成木川は入間川の支流で、ここから2kmほど下流の加治橋で入間川に流れ込んでいます。
暑くなりました。気温33°Cなり。川に飛び込みたい!
秋はコスモス。この川筋には曼珠沙華とコスモスが咲いていました。
曼珠沙華が天界に咲く花ならコスモスは宇宙の花ですね。
成木川の筋からはもう一丘越えて入間川の筋に抜けます。加治橋まで下ればほぼフラットで入間川に入れるのですが、そうすると市街を通ることになるので、ここは逆に山奥へ進んで鄙びた道を使います。
飯能市の苅生(かろう)の道端には観賞用に植えたのか、曼珠沙華がたくさん。
苅生を通る道はそのまま山奥へ向かうと自動的に丘を越え、入間川の筋の下赤工(しもあかだくみ)に抜け、その先の入間川沿いの雰囲気も良いのですが、時間が押しているのでここはその手前の小岩井を抜ける道を使うことにしました。
入間川の筋に下って川の右岸道を下ります。この道、道幅は広いのですが交通量は少なく快適。
木のいい匂いがしてきました。製材所です。飯能は林業が盛んな土地ですからね。
吾妻大橋に出ました。その上から入間川を望みます。
このあたりは名栗渓谷と呼ばれるところで、自然の美しい流れがまだ残っています。
ここでお昼に。おしゃれなイタリアンのジーナジーナで、アンチョビとオリーブのピザ、そしてもう一品、ボンゴレビアンコを。
おいしゅうございました。
さてさて、午後の部は入間川の筋からさらに一丘越えて高麗川の筋に抜けます。
先ほど入間川の筋に越えてきた道は昔ながらの鄙びた道でしたが、この永田台通りは団地開発と同時に整備されたらしいもので、直線基調です。人間が新しい技術を使って整備した道は、やはり人工的な匂いがします。
途中別の道に乗り換え高麗川の筋に抜けると、そこは古くからあるいい感じの道です。
祥雲橋という小さな橋に出ました。高麗川の岸辺に赤い曼珠沙華が咲いているのが見えます。
この高麗川も入間川の支流ですがその流れは少々迂回しており、このあたりで北東に向かい、坂戸で越辺川に合流し、その越辺川が川島町と川越の間で入間川に流れ込みます。
今日は気温が高いので水辺は大賑わいです。じゃぶじゃぶできる流れがあると楽しいですね。
高麗の巾着田にやってきました。巾着田の外をぐるりと流れる高麗川の河原は、この日はデイキャンプの人々でいっぱいです。その横をすり抜けて巾着田に入りました。
高麗の巾着田は巾着袋の形をしていることから名付けられたもので、曼珠沙華で有名なのですが、去年、今年とコロナで花は刈り取られてしまっています。しかし今年は去年よりは少し花が多く残されたようです。
巾着田のちょうど中程まで進むと、曼珠沙華がちょっとした群落になっています。
見渡す限りすべて、というわけにはいきませんが、まあまあ目を楽しませてくれます。
曼珠沙華は花の時期には葉っぱがない不思議な植物です。
葉っぱはこのあと出てきます。オリヅルランに似た細長い葉っぱです。
ドレミファ橋までやってきました。去年はここまでまったくといいほど曼珠沙華の姿はなかったのを思い出しました。
数は少なかったですが、まったくないのだろうと思っていた曼珠沙華を目にできたのでここは満足です。
さて、ここから本日のメインイベントに入りましょう。今回のメインイベントは巾着田のすぐ北に見える、あの日和田山登山です。
日和田山は標高僅かに305mという低山ですが、山頂付近からの眺望は見事で、この巾着田も良く見えます。
そうそう、巾着田の北の端には木造の歩道橋『あいあい橋』があります。
その下を流れる高麗川には天神渕という深みがあり、この日は大勢がそこにドッボ〜ンと飛び込んで楽しんでいました。気持ちよさそ〜
江戸時代末から明治時代前半の建築とされる高麗郷古民家(国登録有形文化財)の前を通り、
その裏手の日和田山登山口へ。
標高は巾着田が90m、この登山口が115m、山頂が305mなのでここから山頂までは190mの上りです。登山の案内サイトによれば、この登山口から山頂までは40分とあります。
現地案内図によると右下の現在地から上の山頂までの間には、一の鳥居、そして二の鳥居と金刀比羅神社があります。一の鳥居と二の鳥居の間には道が二本あり、右側を大きく廻っているのが女坂、滝不動尊から一直線に二の鳥居に向かうのが男坂だそう。
そして西側の中腹には男岩と女岩という文字が見えます。ここはクライミングができる場所として知られています。
一の鳥居までは針葉樹林の中を行きます。
一の鳥居をくぐるとそのすぐ先で男坂と女坂が分かれます。男坂と女坂と二つの坂がある場合は、例外なく男坂がきついです。
サイダーは女坂を行くつもりでしたが、サリーナは下りが急勾配なのは怖いので行きに男坂を使いたいと言います。帰りはこちらに戻るか、男岩・女岩方面を廻るか決めていないのですが、まあどちらにも対応できるように、ここは男坂を登ることにしました。
左手の男坂方面の道を行けば、なんとまずは下り。え〜、なんで下るのよ、と思って進んで行くと、先に小さな流れと水場が見えてきました。この水場の上の岩の上に小祠の滝不動尊があります。
ここにはルート案内標識が立っています。まっすぐ進めば『見晴らしの丘』、右手に上って行く急な石段に男坂とあります。
『え〜、これ登るの〜 男坂は〜』 と、ちょっとショックなサイダーでした。
今朝方の雨でか水の流れが強くて足下を濡らしており、登り口の岩の階段はとても滑りやすくてちょっと怖いです。しかしこれを登らなければ山頂に辿り着けません。慎重にゆっくり登って行きます。
そしてこの岩場を過ぎると程なく、今度は針葉樹の木々の根っこが絡まるゾーンになります。さすがに男坂と名が付くように、ここはもの凄い角度で登って行きます。しかしこの根っこゾーンは実はまだ序の口なのでした。
根っこゾーンを過ぎると岩場が出てきます。
『え〜。ここどうやって登ったらいいの〜』と、登山は苦手なサイダー。
休み休み、とにかくこの岩場をえっこらよっこらと上り詰めて、何とか二の鳥居に到着です。
いや〜、ここまでかなりきつかったです。
サイダーは倒れ込むようにして鳥居に辿り着きましたが、サリーナは、
『ここ、まだ山頂じゃないんだよね。』と、かなり余裕。
この二の鳥居のところには『見晴らしの丘』を経由して上ってくる道もありました。こちらは迂回してくる分、私たちが登ってきた男坂より勾配が緩いはず。女坂と男坂の間くらいでしょう。
まあそれはともかく、ここで一休みとへたり込むサイダーでした。
登って来た側を見返ると、ほぼ真南を正面に視界が開けています。
そのやや左手に先ほどまでいた巾着田が、確かに巾着袋のような姿をして見えています。例年だとこの時期はあそこに炎のような赤が見えるそうです。
しばしこの景色を楽しんだら重い腰を上げ、鳥居のすぐうしろにある金刀比羅神社にお詣りして山頂へ向かいます。金刀比羅神社から先はこれまでのような険しい上りはなく、10分ほどで山頂に到着。
日和田山のてっぺんには享保十年(1725年)の文字が見える宝篋印塔が立っています。ずいぶん古くからこの山は知られていたのですね。この山頂にはちょっとしたスペースがあり、登山者が思い思いに休憩していました。私たちもここで東の川越方向に開けた景色を眺めながら、しばしまったりです。(TOP写真)
時計を見るとすでに15時近く。サリーナと2人だとだらだらまったりペースになてしまい、まったく前に進みません。
これはいつものことで、まあいいか〜、ってことになって、暑いし、早くモヒートしたいので、この先の行程はパスしてここで上がりということに。(笑)
となればそう急ぐこともないので、男岩女岩経由でクライミングの様子でも眺めてみようと、西側のルートで下山することにしました。
ところがこの道、意外と歩き難いところがあってコケました。
それでもなんとか男岩に到着。
『お〜、やってるやってる。』
高い岩から何本もロープを垂らし、その下に数人。どうやら初心者のためのスクールのようです。
その隣の女岩では2人が岩に戦いを挑んでいます。
『あっ、落ちま〜す!』 という声が聞こえたかと思ったら、1人がツーッと数メートル落下。もちろん命綱があるので大丈夫ですが。
しばらくこの岩登りの様子を眺めて楽しみました。
女岩から下の道は下り出しが狭く、あまり使われていないのかな、と思えるような道でしたが、しばらく行くとそれも広がり、普通の山道になりました。
そんな中に一輪の曼珠沙華が咲いています。誰が植えたのでしょう。
高麗川に下ってきました。川の中の小さな洲では鴨、鵜、アオサギが昼寝中。
高麗本郷まで戻ってくると、民家の庭にスダチがたくさん実っていました。
最近私たちはカクテルにハマっているのですが、暑い日にはモヒートが爽やかです。モヒートのオリジナルレシピでは果汁はライムを使いますが、これは日本ではとても高価です。そこでレモンや沖縄のシークワーサー、宮崎のヘベス、徳島のスダチといったもので代替しています。先日もシークワーサーとスダチを頂いたので、今宵もこれで行きましょう。
自転車をピックアップして高麗駅を上がり地点にしました。今日は予定の半分ほどしか走りませんでしたが、それでも霞丘陵のダートや日和田山の登山とそれなりに満足できたので良しとします。
あ〜、早く帰ってモヒートしましょ。