12月に入り急に寒くなりました。今朝の気温は6°Cで、今日は日中も12°Cまでしか上がらないようです。
例年この時期は都心の紅葉巡りをするのですが、今年の紅葉は早くもうおしまいなので、郊外でのんびり走れるコースにしました。その中には二つの大きな水元公園と舎人公園があり、いずれもメタセコイアの紅葉と野鳥観察が楽しめます。
出発地は足立区の北千住駅。今日はこれまでで一番の寒さなので、みんな防寒着を着込んで参上。
北千住駅の南西の隅田川に架かるのは千住大橋。しかし橋の主梁にはただ大橋とだけ書かれています。
ここに始めて橋が架けられたのは江戸時代の1594年(文禄3年)で、それは徳川家康が江戸に入って初めて架けた橋とのことです。その当時はただ『大橋』と呼ばれていましたが、両国橋が架けられてから『千住大橋』と呼ばれるようになったようです。
千住はあの松尾芭蕉が奥の細道の旅に出発した地でもあり、橋の北詰にある大橋公園には『矢立初めの句碑』があります。
千住大橋は国道4号線、日光街道に架かっていますが、これを渡って日光方面へ進むと最初の信号で旧日光街道が分かれます。
その旧日光街道は北千住駅のすぐ西を通る宿場町通りに繋がっています。
宿場町通りに入ってすぐのところに『千住宿本陣跡』と書かれた石柱が立っています。
千住宿は日光街道の最初の宿場町でした。千住宿の本陣はこの一ヶ所で、秋葉市郎兵衛方が世襲で勤めたそうです。
ここからは千住宿を通っていた旧日光街道を北へ向かいます。
するとすぐに『千住ほんちょう公園』に出ます。
この一角には千住宿史跡・旧跡案内図や『千住宿』と書かれた門、そして『千住宿高札場由来』の説明板があります。その奥に赤いタコの遊具が置かれています。
千住ほんちょう公園の少し先には、彰義隊が斬りつけた跡が残る商家の『横山家住宅』があり、その向かいには千住絵馬を作り続けている『吉田屋』が立っています。
『なんや、千住って歴史があるところやったんじゃね。ぜんぜん知らんかったわ〜』 と、四国出身のペタッチ。
横山家住宅と吉田屋の先には『槍かけだんご』の『かどや』があります。
みたらしと餡子の団子があり、どちらも一本100円也。ここでそれぞれ好みの団子を買って荒川の河川敷でいただくことにしました。
『かどや』のすぐ先で日光街道から水戸街道が分かれます。
そこには小さな道標があり、『北へ 旧日光道中』『東へ 旧水戸佐倉道』と書かれています。この道標は新しいもので、江戸時代の道標は足立区郷土博物館の庭に移設展示されています。そのオリジナルには水戸海道と刻まれているのが面白いです。
三人が立っているうしろの道が旧水戸街道ですが、『え〜、水戸街道ってこんなに狭いの!』 というのが全員の感想でした。
この辻にはちょっと古くて懐かし感じがする家が立っています。玄関の横には洋館も見えますから、その当時としてはかなりハイカラな家だったことでしょう。
この少し北には名倉医院(なぐらいいん)があります。名倉は江戸時代より『骨つぎの名倉』と言われたほどで、名倉と言えば接骨院の代名詞でした。今となっては知らない方も多いと思いますが、かつては接骨院に行くことを『名倉に言って来る』と言っていました。
ここからは水戸街道を行きます。
その入口付近にある清亮寺の門の扁額『久榮山』の書は中村不折によるものです。中村不折は画家で、よく知られているものには夏目漱石の『我が輩は猫である』の挿画があります。
サリーナ曰く、こんな文字ならあたしでも書けそうね。『書けるものなら書いてみな!』って、あの骨董評価番組で言われそうですね。
清亮寺にやってきたのは中村不折の書を見るためではありません。ここにはかつて『槍掛け松』があったのです。先ほど団子を買ったかどやの槍かけだんごの『槍かけ』はここから来ています。
『槍掛け松』は写真のように枝を横に這わせた大きな松で、かつて水戸黄門が槍をこの松に掛けて休憩したとの言い伝えがあるようです。
旧水戸街道を進むと、不意に土手にぶち当たって道は終わります。
かつての水戸街道は荒川放水路の掘削により、ここで途切れ、おしまいになったのです。
荒川の土手を上ると、広い荒川の向こう側に巨大な東京拘置所の建物が見えます。
かつての水戸街道はここからあの東京拘置所あたりへ向かっていました。
ここで荒川の河川敷に下り、虹の広場へ。
虹の広場でさっそく槍かけだんごをいただきます。
『みたらしだんご、大好き〜、おいし〜い!』 と一口頬張って叫ぶクッキーでした。
国道4号線の千住新橋で荒川を渡ります。
荒川には両岸ともにサイクリングロードがあるのでこれを行きます。
マージコとサリーナは現在進行中のプログラムの打合せに余念がありません。走りながらもあそこがどーのここがどーのとやっています。
土手下から土手上に上がるといい眺めです。遠方に東京スカイツリーも見えます。
荒川サイクリングロードを毎週のように走っているコムランは、ここは俺の庭とばかりにどんどこ行こうとしますが、今日はポタリングなので荒川サイクリングロードはほんのちょっとしか走らずに、すぐに一般道に出ます。
荒川サイクリングロードを下りて向かうのは、先ほど見えた葛飾区の東京拘置所です。
東京拘置所の西と北には人工的に作られたように見える裏門堰親水水路が流れています。しかしこの水路はかつては古隅田川で、綾瀬川の開削により分断されたその旧流路です。古隅田川は武蔵国と下総国を分ける川で、利根川及び荒川の本流であったと考えられているそうですから、これはびっくりですね。
東京拘置所の敷地は江戸時代は8代将軍徳川吉宗の鷹狩の際の休憩所小菅御殿だったそうで、『裏門堰』という名前はその裏門に由来しているようです。
裏門堰親水水路を辿って東京拘置所の東に達すると、そこには綾瀬川が流れています。綾瀬川は荒川放水路の開削によって分断されたため、堀切あたりから下流は付け替えられましたが、このあたりは江戸時代に開削された流路のままです。
綾瀬川には水戸橋が架かっています。かつての水戸街道はここを通っており、水戸橋には水戸黄門が妖怪を退治したという伝説が残っています。また水戸橋の名も黄門様がつけたとか。
ここでコテッチャンが合流。
水戸橋で綾瀬川を渡り古隅田川沿いに入ります。
現在の古隅田川は綾瀬川から亀有まで続き、中川橋の少し北で中川に接続しているようなのですが、流れが見えるのは常磐線の線路あたりまでで、その先の区間は暗渠化されてしまっています。
古隅田川沿いは緑道として整備されており、ここにはウッドデッキが設けられています。
この川面にはカルガモの家族が浮かんでいました。
橋をいくつか渡っているうちに古隅田川の幅は狭くなり、こんな直線のところも出てくるようになりました。
街中を流れている川ですから、時代時代で流路は変えられ、整備され直しているのでしょう。
古隅田川を離れ旧水戸街道を行き、中川橋に出ました。中川橋は旧水戸街道に架かる橋で、江戸時代はここを渡しで渡っていました。かの歌川広重はその風景を名所江戸百景『にい宿のわたし』で描いています。『にい宿』は新宿、これは川向こうの地名で水戸街道では千住宿の次の宿場町でした。この日中川橋の袂では数人の釣り人が糸を垂らしていましたが、江戸時代はここに鯉料理を食わす料理屋が立っていました。
ここからは中川沿いを北へ向かい水元公園を目指します。中川はかつては古利根川という泥川で、このあたりには17世紀から18世紀前半にかけて灌漑用と飲料用の水を取水するため、古利根川を堤で締切って造られた亀有溜井がありました。上流の水元公園に1729年(享保14年)に小合溜井が造られたことによりこれは廃され
ることになり、3mの堤が築かれて、それまで45mだった川幅が一気に144mに拡幅されました。この一連の河川改修事業を担当したのは徳川吉宗が紀伊から招いた井澤弥惣兵衛で、これが現在の中川の元というわけです。
その堤の上の道をしばらく行くと工事中だったので下の道に降ります。
大谷田氷川神社の銀杏は黄色い絨毯を敷いていました。
飯塚橋で中川を渡り、水元公園へ。
水元公園に到着。
この公園にある細長い池状の小合溜が井澤弥惣兵衛が水害対策用及び灌漑用の貯水池として造った小合溜井です。これが周辺の村々を潤す水源、水の元となったため、ここを『水元』と呼ぶようになったようです。
ちょうどお昼なので水元大橋を渡って公園内に一軒だけある食堂へ向かいます。
水元公園はとても広い公園で様々な紅葉が見られますが、この時期目に付くのはメタセコイアでしょう。
写真のメタセコイアは対岸のもので、あちら側は埼玉県三郷市のみさと公園。こちら側は東京都葛飾区なので、小合溜が県境となっています。
足下の小合溜には水鳥がたくさん浮かんでいます。
白いのは東京都の鳥になっているユリカモメ、真っ黒で金色の目はキンクロハジロ、茶色い帽子を被っているのはホシハジロ。ヒドリガモも1羽。
水元公園の食堂は蕎麦屋で、今日は寒いので私は舞茸天ぷらそばにしましたが、多くのメンバーが選んだのがこの海老穴子天丼。どーんと大きな穴子が載っています。
クッキーは所要があり『海老穴子天丼おいしかったです。ごちそうさまでした〜』と言って、ここから帰って行きました。
蕎麦屋さんの前を通るのが水元公園のメインロードで、ここのメタセコイアも良い色です。
ただこの時は、日差しがないのが残念。
メインロードを北へ進むとメタセコイアの森があります。
東京近郊ではあまり見られない圧倒的なボリュームのメタセコイアがここにあります。
メタセコイアの森を楽しんだらバードサンクチュアリでバードウォッチングです。
小合溜が大きくうねってカーブするところがバードサンクチュアリで、4番と5番の観察窓からは様々な野鳥が見られます。
この時はカワウが数十羽、サギが1羽、ヒヨドリたくさん。珍しいものはいませんでしたが、双眼鏡を持って来るととても楽しいですよ。
野鳥観察を楽しんだら公園の西の出口方面へ向かいます。
中央広場の西の端に出ると、そこには楓の見事な紅葉がありました。
楓の横はメタセコイアの林。
ここのメタセコイアは絶好調!
遥々栃木県からやってきたコンタは水元公園の広さにびっくり。
東京にこんなところがあるなんて、と驚いていました。
『この並木の大きな木は何ですか〜』とユッキー。
水元公園の西側のメインロードの並木はポプラです。ポプラは紅葉の時期が短く、すでにすっかり葉を落としてしまっていますが、ここでは11月の中頃に黄色い素敵な紅葉が見られます。
水元公園の西の出口付近にある『かわせみの里』に立ち寄りましたが、この時はカワセミには出会えず、残念。
水元公園を出たら中川まで大場川沿いを行きます。
大場川は中川に合流して終わりますが、この区間は短いものの道幅がかなり狭く、時々車がやってくるのでちょっと走りにくいです。
大場川の中川合流点の向かいからは垳川(がけがわ)が流れ込んできており、その脇にある神明六木遊歩道に入ります。
神明六木遊歩道は垳川と民家の間に設けられた狭いスペースでほとんど通る人もおらず、ひっそりしています。
ここの木々は大きいものが多く、見事な紅葉を見せているものもあります。
ふと横を見ると垳川にヒドリガモのつがいが浮かんでいました。
楓が絶好調!
垳川は中川と綾瀬川をつなぐ2kmほどの短い川で、ほとんど流れがないように見えます。護岸のコンクリートが醜いのですが、神明六木遊歩道の周囲の木々が僅かに救いになっています。
垳川が終わると綾瀬川を北上し、毛長川沿いに入り舎人公園を目指します。
綾瀬川に毛長川が合流する地点には伝右川(でんうかわ)も流れ込んでいます。このあたりは川の密集地帯で放水路も多く作られたため、似たような流れがたくさんあります。
地元のコムランが、舎人公園の紅葉は終わってしまったので近くの薬師寺に行きましょう、と言うので案内してもらいました。
足立区伊興5丁目にある薬師寺は小さなお寺ですが、コムランによれば地元では紅葉で有名なのだそうです。
その通りに遠目でも、赤と黄色の大木が目に飛び込んできました。
そして参道はこのとおり。
なかなかきれいです。
落ち葉も味わいがあります。
まだ青い葉も残り、深いグラデーションが楽しめます。
ここは良かった。
紅葉はおしまいという舎人公園にも行ってみました。
なになに、銀杏はまだ色鮮やかな黄色でなかなかじゃあないですか。
ユッキーによれば、舎人公園には足立区の最高標高地点があると言うのでそこに上ってみることにしました。
その『朝日の広場』の標高はたったの17.5m! そしてこの下は日暮里・舎人ライナーの車両基地になっていると言うからびっくり。車両基地を作るために土を盛ったんですね。巨大な車両基地が地上に露出するのはあまり美しくないですからね。
舎人公園には大きな大池があり、その周囲には水元公園にあったようなメタセコイアがたくさん植えられているのですが、ここのメタセコイアの紅葉は完全に終わっていました。水元公園とここはそう離れていないのに、環境が少し違うのでしょう。
池ではマガモのカップルともう1羽の3羽がぷかぷか浮かんでいます。ここには他にハクセキレイやヒドリガモがいました。
舎人公園の南のブロックには自然観察園と水鳥の池があり、オオタカが見られるとの情報もあったのですが、日が翳って寒くなってきたので、これはまた今度ということにし、出口の舎人公園駅へ。
舎人公園駅が見えたところでコンタは東武線の竹の塚駅へ向かいました。その直後、これまで翳っていた空が急に明るくなり陽が照ってきたので、ここで記念の一枚を。
コンタ、残念だったね〜
タイヤで走る新交通システムの日暮里・舎人ライナーの舎人公園駅をあとにし、芝川へ向かいます。
舎人公園駅の西側にも舎人公園は続いていました。
ここはケヤキなどの大木が最後の紅葉を散らせています。
時は16時少し前。陽が傾いた逆光の芝川です。
芝川にはサイクリングロードがあるので安心して進めます。
芝川サイクリングロードが荒川に出たところにあるのが都市農業公園の『キッチンとれたて』。ここはいつもサイクリストで賑わっています。
私たちもここでちょっと休憩。
一休みして『キッチンとれたて』を出ると、ちょうど夕陽が富士山の裾野に沈んでいきました。
ここからは荒川サイクリングロードをどんどこ行き、出発地の北千住駅に予定の通り到着。
ここ数年、東京の紅葉はとても遅かったのですが、今年は意外と早く進んでちょっと見逃した感があります。しかしまあそれでもこうしてなんとか、残照の紅葉を楽しむことができました。みんなが元気でいて、時々集まって、なんだか楽しい気分になれれば、それで充分満足です。