暑い暑い夏が終わり少し涼しくなってきました。サイクリングの季節到来です。ここのところ雨が続いていましたがこの週末は晴れ予報なので、先週に引き続き軽い足慣らしに出掛けることにしました。
実は私サイダーは9月下旬に熱中症でかなりのダメージを受け、最近ようやく回復してきたところで、まだハードなコースは厳しいのです。
ということで今回は平坦な花見川から手賀沼へ抜ける定番コースにしました。
いつもは途中印旛沼を経由するのですが、そのコースは何度も走ったので、今回は印旛沼は通らず花見川の支流になる神崎川の谷戸を覗いてみようと思います。
幕張駅の北口から総武線の線路沿いに南東に進めば、すぐに花見川に架かる浪花橋に出ます。
花見川はここから3kmほど南西にある稲毛海浜公園の『検見川の浜』で東京湾に注いでいます。花見川の下流部は『検見川』とも呼ばれているのです。
そこから花見川の左岸に14kmほど『花見川サイクリングコース』が設定されているので、これを使って川を遡って行きます。
現在、印旛放水路の一部となっている花見川は元はこの近くの犢橋町(こてはしちょう)地域を水源とする小さな川だったそうです。しかし江戸時代の利根川東遷事業により利根川と繋がった印旛沼がたびたび洪水を起こすようになり、その対策として印旛沼と花見川を結ぶ工事が行われ、戦後に現在の印旛放水路が完成したのです。
浪花橋の次の瑞穂橋をくぐり、花見川区役所付近よりうしろを見るとベイエリアの超高層ビル群が見えます。あのエリアでは私もいくつかのプロジェクトに関わったのでちょっとなつかしいです。幕張メッセが開業したのが1989年なのであれからもう35年も経つのですね。
久々に快晴の中を走って爽快顔のミッチー。
明るく空が開けたところから森に突入しました。このコースの序盤は木々が多く、ちょっとワイルドなところがあります。
花島橋に出ました。この橋の建設は少し古いようで低い欄干が印象的です。
そこから花見川の下流を望めば、両岸とも鬱蒼と木々に覆われています。この木々の向こう側は団地があるような都市だということを忘れそうな景色です。
この花島橋から北が花見川サイクリングコースの心部と言えるところです。
周囲は鬱蒼とした森。
その中にほとんど流れを感じさせない花見川が流れています。この対岸は竹林ですが、その姿は完全に川面に写っています。
このあたりには時々カワセミが姿を見せるのですが、この日は残念。
鬱蒼とした森の中を進むユッキー。
真っ赤なアーチ橋は弁天橋。
この先の左岸の道は砂利道で、さらにその先は土手上の地道となります。私はこの左岸の道が好きなのですが、ダートはいやだというものがいるのでここは右岸へ。
弁天橋から花見川の上流を眺めます。右手がダートがある方で、左は木々の向こう側にアスファルト舗装の普通の道が通っています。
弁天橋を渡ったところは住宅地なのですが、交差点の一角がポケットパークのようになっており花壇が設えられていました。
赤と白のペチュニア。
その上にはピンク色の薔薇が。
弁天橋より上流の右岸の道は写真のようなごく普通の舗装路で、花見川が開けて見えます。
ダートぎらいのユッキー、ミッチーと続きます。でも今日はちょこっとダート、あるのよね〜(笑)
京成本線のガードをくぐり抜けR296の大和橋が近づくと、周囲の雰囲気がちょっと変わります。
背中はいつも後方にいて写真になかなか写らないマージコ。
大和橋を渡り再び花見川の左岸に出ると、水資源機構と住宅地の間のちょっと怪しげな細道に入ります。
その先にあるのが大和田排水機場で、花見川はここまで。ここから北は新川という名に変わります。
花見川は元々あった川でしたが、この新川は印旛放水路として新しく開削された疏水路です。
花見川の上流になる新川ですが、なんと驚いたことに花見川より低地なのだそうです。洪水対策のためにかなり無理くり印旛沼と花見川とを繋げたことがわかります。
大和田排水機場から花見川へは水質悪化防止対策のための放流を除けば、新川側の水位が一定レベルを超えないと排水を行わないため、新川は通常は西印旛沼と同水位にあり、流れがまったくといっていいほどありません。
新川沿いは桜並木で、ここにもサイクリングロードが整備されています。
気持ちよく新川のサイクリングロードを走って『なかよし橋』までやってきました。斜張橋のこの橋は人道橋なので気持ちよく渡れるので、向こう岸まで行って引き返して来ると、なんと左岸は工事中。
再びなかよし橋を渡り右岸を行きます。
次の村上橋を渡って左岸に復帰。
するとすぐに八千代中央図書館がある八千代広域公園です。ここはサイクリングロードのすぐ横にトイレとベンチがあるので小休止。
八千代広域公園のサイクリングロードは赤茶色をしています。この色は公園内にある大きなグラウンドのトラックの色と似ており園内の遊歩道も同様の色なので、ここは公園だから気をつけてねというサインなのかもしれません。
かつて花見川からこの新川にかけてはコスモスをよく見掛けた気がするのですが、この日はここで初めて見ました。
10月といえば稲刈りのシーズンですね。この田んぼは晩生なのかもうしばらくかかりそうです。
幕張駅から1時間ちょっと走って『道の駅やちよ』に到着。
この入口付近に白い蝶が無数に舞っているような花が咲いていました。最近比較的よく見掛けるようになったこの花は、北アメリカ原産のガウラというものらしいです。
道の駅ではお決まりのアイスクリーム休憩です。
道の駅の対岸には『やちよ農業交流センター』があり、歩道橋で渡れるようになっています。今日はこのあと新川から神崎川に入るので、ここで対岸に渡ることにしました。
かつて農業交流センターの近くにはコスモス畑があったと思うのですが、残念ながらこの日それは見当たりませんでした。
新川の右岸には遊歩道が続いています。ここを通る人はかなり少ないので問題ありませんが、自転車はすれ違うのがやっとという広さです。
道端に真っ赤なカンナが咲いていました。カンナは半世紀前はあちこちに植えられていましたが、最近はあまり見掛けなくなったのでちょっと懐かしい感じがします。
新川に神崎川が合流する地点にやってきました。これまでもこのあたりは何度か通っているのですが、神崎川については気に止めたことがなかったのと、ほとんどの場合対岸を通っていたのとで、この流れがどんなものなのかはうろ覚えでしかありませんでした。こうして改めて見ると、合流部の川幅は意外と広く感じます。
ここからはこの神崎川を辿って行きます。神崎川は白井市冨士の八幡神社付近に源を発する流れで、その延長は16kmほどとかなり短いです。
この土手を若者が一人黙々と走って行きました。その後ろ姿からも若々しさが感じられます。
少し行くと船橋印西線で土手上の道が途切れ、田んぼの中を行きます。日本の多くの川の周囲は関東平野に限らず田んぼと相場は決まっていますね。
この田んぼはすっかり稲刈りを終えています。
程なく土手上に復帰しました。すると神崎川の表情が少し変わって見えます。川幅がだいぶ狭くなってきました。
新川との合流点から3km少々遡ったところにある小池橋までやってきました。振り返ればきれいな神崎川の流れが見えます。
両側にはこんもりした丘状の土地が見えます。このあたりは下総台地と呼ばれるところで比較的軟らかい地層で構成されており、この神崎川の周囲は雨水や河川の浸食により長い年月をかけて周囲の土地より低くなったと考えられます。谷戸(千葉県では谷津と呼ぶことが多い)は一般的にはもっと狭いものなので、この地形をそう呼んでいいのかどうかはちょっと判然としません。
小池橋から北にも土手上に道はあるのですが、
『この先はもう無理ですね〜』とダメダメの合図をするマージコ。
仕方がないので土手を下りて田んぼの中を行きます。
しかし北総線と京成成田空港線の線路をくぐり抜けた先の土手上は道とは呼べないようなものになるので、田んぼの周囲を巡るように走る一般道を行きます。
ここの地名は『神々廻(ししば)』。なんだかありがたそうな名ですが読みはむずかしいですね。『ししば』とはどうやら『鹿場』のことらしく、これは近世に将軍が鹿狩りをした特別な地区です。こうした場所は禁猟区となるので神々廻が当てられたようです。船橋西図書館所蔵の『下総之国図』にはこのあたりに『シヽハサマ』と記載されています。『シヽハ』→『シシバ』。また印西市には『大廻(オオバ)』という地名があり、『バ』に『廻』を当てる事例があることがわかります。
白井市民プールの前で田んぼを突っ切って神崎川を覗いてみました。
小池橋で見た流れとこの流れが同じものだとは想像がつきません。川幅は半分ほどになり、水も淀んで見えます。
市民プールの先で針葉樹林を抜けます。谷戸の周囲の丘は針葉樹林と決まっているので、こうした景色を見るとやはり神崎川周辺は谷戸なのかなと感じます。
針葉樹林を抜けると河原子で、これまで北に向かっていた道は大きくUターンしだします。つまり神崎川の流れがUの字を描いているのです。
この最北端あたりから神崎川の上流部方面を見ると、周囲のあっちとこっちの丘が繋がって見えます。谷戸が徐々に狭くなっているように見えます。
河原子には伝統的な造りの民家が数軒並んで立っていました。近くの田んぼを作っている農家でしょう。
ここで神崎川がどうなっているのか覗いてみました。周囲は田んぼ、荒地、果樹畑といったところで、その中に雑とした流れ。
面白い地名を発見。『木』です。なんで木なんだろうかと思いますが、この先にも不思議な地名がありました。
ようやく神崎川沿いに走れる道が出てきたのでこれを行きます。ここの地名は『根』です。『木』と『根』、何か関係がありそうですね。
白井駅が近づいてきたのでこのあたりで昼食にしようと神崎川を渡り、駅方面へ向かいます。
ここの神崎川はすっとした流れで、つい先ほど見たものとまた印象が違います。川って不思議。
まず鰻屋さんがありそのすぐ先に中華屋さんがありました。さすがに鰻はなんなんでここは中華に。
午後の部は北総線の線路の南側へ。そこは都市化していて周囲は住宅団地。神崎川沿いには道がないので、その近くを通る道で上流方向へ向かいます。
神崎川が流れを発するのはこの近くの白井市冨士の八幡神社付近です。
関東一校の野球場と八幡神社の間の道に入ります。
するとそこにかなり惨めな姿をした神崎川がありました。下流側には水が溜まっていますが流れている様子はありません。そして上流側を見れば、水面は見えず、何か看板のようなものが打ち捨てられています。
この先は八幡神社の裏手の林ですが、そこにはアプローチできないので神崎川の調査はこれでおしまいにし、神崎川の支流である二重川(ふたえがわ)に向かいます。
二重川は船橋市の咲が丘に源を発しているそうですが、その流れを目にできる最上流部は鎌ケ谷井草県営住宅の横でしょう。
これより上流部はこの写真のように蓋で覆われ、暗渠と化しています。
県営住宅の横から400mほど下流に架かる高野橋に出ると、周囲にまだ住宅の影が写ってはいるものの、だいぶ雰囲気が変わってきました。
橋の袂にはきれいなコスモスが咲いています。しかしよく見ればちょっと萎んだ花もあるのでピークを少し越しているようです。
この二重川沿いの道は地道ですが、なんとか走れそうなのでこれを使って下ります。
ちょっとワイルドタイトロードじゃね!
富ヶ沢橋から先は川沿いの道がかなり怪しいので迂回すると、こんな林に突入。
富ヶ谷橋に出ました。このあたりの二重川は上流部より狭いのではと感じるほどの幅しかありませんが、すっとした流れで気持ちいいです。
予定ではここから二重川の土手を行くつもりでしたが、入口部が乱れていたのでなんとなく気分が乗らずに、その向こうに広がる畑の縁を行くことにしました。
しかしこの道、地形図では実線でしたがもうまったく使われていないようで、事実上行き止まりでした。
ジオポタではこうしたことはよくあるので皆さんもうあんまり驚かなくはなっていますが、これからまたやって来たダートを引き返さなければならないので、ちょっと残念です。
仕方がないので南山の団地の中を通る幹線道路に出て北総線の線路をくぐり、上長殿に出ました。
ここにも伝統的な造りの住宅があり、その前に立派な門が立っていました。
このあたりの二重川沿いの田んぼとその周辺の地形を見れば、神崎川同様にやはり谷戸っぽい匂いがします。
二重川は延長8kmほどしかありません。その終点は神崎川です。残念ながら神崎川との合流点そのものはよく見えませんが、このすぐ先にそれはあります。
神崎川の谷戸に別れを告げ、手賀沼に向かいます。
下総台地は古くはその大部分がこうした森林で覆われていたものと考えられますが、そこに雨が降り、川ができ、その雨と川とが大地を削って現在田んぼがあるような低地ができたのでしょう。
手賀沼の南東には小さな下手賀沼があります。その下手賀沼に注ぐ水路のところでちょっと休憩。
休憩が済んだら手賀沼に向かいましょう。うしろにこんもりした丘が見えますが、これと同じようなものが行く手にもあります。丘と田んぼが広がる平地。これが下総台地です。
手賀沼に出ました。
かつて手賀沼は先ほど通った下手賀沼と繋がった一つの沼でしたが、ある時にこの周辺を干拓したため、二つの沼に別れたのです。
手賀沼の畔には気持ちの良いサイクリングロードが設けられているので、これを使い柏へ向かいます。
平地が得意なユッキーがどんどこ行きます。
あっという間に手賀沼は終わりその上流の大堀川沿いに入れば、川面にたくさん白鳥が浮かんでいます。
手賀沼周辺ではよく白鳥を見掛けますがその多くはコブハクチョウで、これらの中には渡りをせず、一年中このあたりで生活しているものもいるようです。
柏ふるさと公園を通り抜け、柏駅前に到着。
例によって反省会に突入!