真っ白な曇り空で天気は残念ですが、トトロに会いに行きます。やってきたのは所沢市の小手指駅。
トトロは埼玉県と東京都にまたがる狭山丘陵というところに棲んでいるようです。このあたりを一般的な地図で見ると、あちこちに『トトロの森〇〇号地』の文字が見えます。今日はこうした『トトロの森』のいくつかと、トトロが隠れていそうなところを巡ります。
まずは西武池袋線の線路に沿って北西に進みます。この駅前には高層の団地やタワーマンションが立っており、こんなところに本当にトトロがいるのかな、と思うようなところです。
しかし500mも進めば団地はなくなり、畑のすぐ側に戸建住宅が立つようになります。
そして道は完全に畑道に。
所沢入間バイパスを渡って進めば、道端にコスモスが咲いています。ここのコスモスはもうしばらく見られそうです。
こんもりした林とも森ともつかぬ緑色の塊が畑の中に見えてきました。あれは白旗塚です。
このあたりは小手指ヶ原と呼ばれるところで、南北朝時代に何度か戦があったところだそうです。その中でも有名なのは新田義貞と鎌倉幕府との戦いで、義貞はあの白旗塚に陣を張り、源氏のシンボルである白い旗を掲げたという伝承が残っています。
この白旗塚は『となりのトトロ』のサツキとメイの家のとなりにある塚森のモデルと言われています。
サツキとメイが引っ越してきた家から小さなトトロ達が逃げて森へ入って行くあのシーン、覚えていますか。メイちゃんは小トトロ達を追い掛けて森へ入って行き、大トトロに会うのです。
この階段のようなところをメイちゃんはよじ登っていったのかもしれませんね。以前はこの塚の上に祠があったのですが、それは今はなくこの近くにある北野天神社に移されたそうです。
トトロが住んでいるあたりの畑です。真っ黒できれい!
そんな畑で採れた農作物が民家の庭先で売られていました。ネギ100円、枝豆100円!
トトロが棲む塚森から『トトロの森1号地』にやってきました。『トトロの森』はナショナルトラストによって取得された森で、1991年にこの1号地が誕生しました。現在は60箇所近くにまでなっているようです。
今日はこの1号地をちょっと歩いてみます。
ここは所沢の市街のすぐ外側ですが、ただただ森が広がるだけで、本当に静かなところです。
この季節はきのこがニョキニョキ。食べられるのかな〜
トトロの森1号地のすぐ横には堀口天満天神社があります。
どうしてこんなところに神社が、と思えるところにこの神社は立っていますが、これには狭山湖が関係しています。堀口天満天神社はかつては堀口村の鎮守で天神山というところにあったようなのですが、狭山湖の造成に伴いこの地に遷座したそうです。しかしまた、なぜこんなところにとやはり思ってしまいますね。地図を見るとわかるように、ここと狭山湖は目と鼻の先ではあるのですが。
トトロの森1号地と堀口天満天神社を巡ったら、その狭山湖へ向かいましょう。
狭山湖は正式名称を山口貯水池といい、東京の水甕として1934年(昭和9年)に完成しました。
埼玉県の所沢市と入間市に跨がるところに位置していますが、元々東京の水甕として造られたためか東京都の水道局が管理しており、ここの水は埼玉県には上水道としては供給されていないそうです。
今日は残念な空の色ですが、晴れていればここからは富士山がきれいに見えます。
心象風景の富士山を眺め、狭山湖の堤の上を行きます。
堤の南端に出て少し行くと車の道に沿って自転車道が通っているので、これを反時計回りに進んで行きます。
この自転車道はぐるりと廻って多摩湖方面へ向かいますが、私たちは途中で降りて『かぶと橋』から森の中に続く『武蔵野の路』を行きます。
武蔵野の路は東京都を周回出来る散策路で、全部で21コース、270kmほどあるようです。ここはその中の『多摩湖コース』です。
昨日の朝方に雨が降ったので少しぬかるんだところもあり、序盤の上りはちょっと滑りましたが、その後はなんとか進んで行きます。
ちょっとだけワイルドダートを楽しんだら一般道に下って所沢武蔵村山立川線に出ます。
そこには4kmほど続く野山北公園自転車道があります。この野山北公園自転車道は狭山湖建設のために羽村の多摩川から狭山湖まで敷かれた軽便鉄道の跡を利用したもので、その下には現在も使われている水道管が埋設されています。
上の写真の反対側にはちょっと奇妙な印象を受ける横田トンネルが口を開けています。
この横田トンネルも野山北公園自転車道の一部で、ちゃんと通れるようになっているので入ってみましょう。
横田トンネルはとても狭く、その先にもいくつもトンネルが続いているので、かなり面白いです。これらのトンネル群の奥は鬱蒼とした森で、トトロが出てきそう。
トンネルを抜けたら中藤から多摩湖通りへ上ります。
だんだん狭くなる谷状の土地に民家が並んで立っている姿はいかにも日本的です。
多摩湖通りの横を走る自転車道に出ました。この道は先ほどかぶと橋のところで降りた多摩湖自転車道の続きです。
多摩湖自転車道をどんどこ行き、狭山湖と対になる多摩湖に到着。
多摩湖は正式名称を村山貯水池といい、先の狭山湖より少し早い1927年(昭和2年)に完成しています。この湖も狭山湖同様に東京の水甕で、狭山湖が埼玉県にあるのに対し東京都の東大和市に位置しています。
狭山湖と多摩湖はとてもよく似ており、ちょっと見ただけではなかなか判別しにくいと思いますが、取水塔の帽子が狭山湖はとんがり帽子で、こちらの多摩湖はドーム型という違いがあります。空が白いので湖面も真っ白で、周囲に広がる森が真っ黒に見えます。
ここでマコリンは急用が発生したためリタイアし、多摩湖駅へ向かうことになりました。
残った面々は西武遊園地の北にある『荒幡の冨士』へ。
荒幡の冨士は富士山信仰により明治時代に築かれた小山で、荒幡浅間神社の境内にあります。
富士塚は各地にあり東京都内にもたくさんありますが、それらの頂上からご本家の富士山が拝めるところはあまりないと思います。ところがここはそれが見えるといいます。
ということで登ってみました。今日はこのお天気なのでもちろん富士山は見えるはずもないのですが、周囲はかなり開けているので、晴れた日はちょっとした眺めでしょう。
荒幡の冨士を下山したらトトロの森2号地がある鳩峰公園を通り抜けます。
この森の中にも鳩峰八幡神社や久米水天宮といったものがあるからびっくりです。日本人というのはよほど神様が好きなのでしょう。
鳩峰八幡神社の前から住宅地を抜けて八国山緑地の入口にやってきました。
この八国山緑地のメインエントランスは緑地の南側にあるのですが、写真は東の端の入口で、狭い階段が奥へ続いています。ここは自転車を担いで少しだけこの階段を登らなければなりません。
八国山緑地は所沢の中心市街地のすぐ南に位置しており、ちょっと上ると所沢のタワーマンション群が見え出します。
所沢は条例で塔屋を勾配屋根にしなめればならないようで、どのマンションにもちっちゃな屋根が架かっているのがちょっと面白いですね。
トトロのサツキとメイのお母さんは七国山病院に入院していますが、その病院のモデルはこの緑地の南側に位置しているある病院だといいます。
つまり七国山のモデルはここ八国山緑地ということでしょう。
八国山緑地は現在も木々に覆われた魅力的な場所です。その上には尾根を行く道が続いていて、ここは自転車でも何とか乗って進むことができます。
そう多くはいないと思いますが歩行者もいるので、スピードには気をつけて。
八国山緑地を通り抜けて西武線沿いに下りてきました。八国山緑地のすぐ下はこんなところです。
正午を廻ったのでこのへんで昼食にしましょう。
このあたりは武蔵野うどんで有名だそうで、シンチェンゾーがどうしてもうどんがいいと言うので近くにあったこちらの野口製麺所へ。
製麺所がうどん店を併設するというのは讃岐スタイルだと思いますが、ここは天ぷらなどはセルフになっていて、これまた讃岐スタイル。麺は一般的な武蔵野うどんより柔らかく、食べやすいものです。今はきのこの季節ということもあり、全員きのこうどんにしました。あれ、シンチェンゾーは肉汁うどんのはずじゃあ?
午後の部は八国山緑地の南にある北山公園から。北山公園は花菖蒲が有名ですが当然今の時期にそれはなし。菖蒲田の周囲に作られていた稲が刈られ、稲架(はさ)掛けされて天日干しされていました。
この先に見えるこんもりした森が先ほど通ってきた八国山緑地です。
北山公園内にはちょっとした池があり、鴨が泳いでいました。この鴨はカルガモのようなのでここに定住しているのかもしれません。
周囲の木々を見れば、うっすらと黄葉を始めたようです。今年はなかなか気温が下がらずに紅葉はどうなるのか心配ですが、ようやくその気配が漂い出したというところでしょう。
北山公園を出るとトトロはおしまい。東村山から久留米の市街地を抜け、小平へ向かいます。
小平には東京都下有数の霊園である小平霊園があります。ちょっと失礼してこの霊園内を通らせていただきます。
ここは立派なケヤキ並木。
この小平霊園の一角に雑木林に囲まれた『さいかち窪』という窪地があります。この中にはこれからその横を行くことになる黒目川の水源となる湧水が湧き出ています。しかしその湧水付近はこの時は立ち入り禁止になっていて、源流付近の流れを見ることはできませんでした。
このあたりから、トトロは隠れていなくてももしかしたらその親戚あたりがいるかもしれないと思わせるようなところが何箇所か出てきます。
さいかち窪から黒目川に沿って少し下ったところにひっそりと柳窪天神社が佇んでいます。
その前は『東京の名湧水57選』に選定されており、きれいな黒目川が見られます。
柳窪天神社の前で黒目川の流れを覗いたらその南側を通る道に入ります。
この道沿いには4千坪もある敷地を持つ村野家住宅(顧想園)が立っています。
村野家住宅は1838年に建てられたという茅葺き屋根の主屋を始め、計7棟が国の有形文化財に指定されています。村野家住宅はかつてのこのあたりの一般的な農民のものではないにせよ、古き良き武蔵野の面影を残す住宅の一つとは言えるでしょう。
黒目川の上流部の多くにはそのすぐ横に遊歩道が設えられています。これらは場所によって作りに少し違いがありますが、ここは木製のデッキが続いています。残念ながら自転車は乗っては入れないのでゆったり歩いて散歩してください。
ここの黒目川の流れは幅50cmほどしかありませんが、水はとても澄んでいるように見えます。
東久留米西住宅の中にやってきました。
ちょっと川らしくなってきたかな。
このあたりの黒目川沿いは自転車も通れる遊歩道が続いています。
夏には子供達が水遊びに忙しい『しんやま親水公園』ですが、さすがに今の季節は静かです。
団地を抜けると黒目川の周囲は工場、戸建住宅、畑と雑多になり、その中に『しんみやまえ親水こみち』が続きます。ここも自転車は押してね。
その終点にあるのは下里氷川神社。氷川神社はおよそ川の氾濫を鎮めるために祀られたものですが、現在は静かな流れの黒目川もかつては洪水を起こすような川だったのかもしれません。
下里氷川神社からは一般道を少し行き、新宮前通りを渡ると再び黒目川沿いの遊歩道に復帰します。
ここまで来ると黒目川はコンクリートの護岸を施された都市河川になります。
野火止の住宅地に入ると玄関先にこんなかわいいロボットのような郵便受けを置いてある家がありました。ここの方はアーティストでご自分で作られたのでしょうか。
この付近には野火止用水や緑地を保全する地域がいくつか設定されているので、ここからはそれらを巡ります。
ここは野火止用水歴史環境保全地域(野火止地区)で、今から370年ほど前の1655年に徳川幕府老中の松平伊豆守信綱によって開削された野火止用水とそれに隣接する樹木地の保全を目的としています。
そしてこちらが伊豆殿掘とも呼ばれる野火止用水です。
松平伊豆守信綱は玉川上水の開削を成功させた功績を認められ、生活用水に難渋していた領内の野火止に玉川上水の分水を許可され、この野火止用水が引かれたのです。野火止用水は立川市を起点とし、新座市の平林寺を経て志木市の新河岸川に至る全長24kmほどの流れです。開削当初はこのあたりは野火留村であったため『野火留』用水と表記されていました。
ここは清瀬松山緑地保全地域でかつては結核研究所付属の療養所がありました。結核研究所は現在も隣にあり、ここには当時植えられた赤松を主体とした雑木林が残っています。
野火止用水は所により少しずつその姿を変えています。先ほど見た所は味気ないコンクリートの護岸でしたが、ここはスペースに少しゆとりがあり緑が見え、コンクリートも目立たなくなっています。
小山地区の保全地域を通り抜け、
再び黒目川沿いに出ました。
このあたりは護岸のコンクリートは醜いものの、緑がそれをある程度覆ってくれているので少し心が和らぎます。
流れがまっすぐではなくてちょっとカーブしている様もいいですね。
そして水鳥がさらに心を和ませてくれます。
これはヒドリガモのカップルでしょう。カモの仲間でもっとも多く見掛けるのはカルガモだと思いますが、このヒドリガモも珍しくはありません。
今年はいつまで経っても気温が下がらないのであまり紅葉は期待できないと思いますが、この木は紅葉を始めていました。
黒目川に落合川が合流する地点にやってきました。
見えている川は黒目川で、ここで右から落合川が流れ込んでいます。
ここからは落合川沿いを行きます。黒目川同様に落合川沿いにも遊歩道が設けられていて、これは自転車も通行可能です。
落合川の周辺にはたくさん湧水があるため川の水もかなりきれいで、夏には子供達が水遊びをする姿も見られます。
落合川からほど近い南沢1丁目には竹林があります。
この竹林は公園として位置付けられており、6,000m2の敷地に孟宗竹2,000本が植えられています。
竹林公園の中には湧水点があり、この水が落合川の水源の一つになっています。
竹林を眺めたらいったん落合川に戻って神社の前にやってきました。
ここも氷川神社ですね。川のあるところにこの神社は付きものようで、氷川神社より勧請を受けた神社は関東地方を中心に1,000社ほどあるようです。
この氷川神社の前には南沢緑地があります。この緑地もまた豊富な湧水を湧き出させています。夏には子供たちがカニを獲ったりして遊んでいますが、さすがにこの時期、その姿はありません。
湧水を眺め南沢緑地の中を抜けたら本日はおしまい。
ひばりが丘へ向かいます。
ひばりが丘には1959年(昭和34年)に日本住宅公団が建設した巨大な『ひばりが丘団地』があります。これは1999年(平成11年)から建て替えが行われ、すっかり新しい顔になりました。
その中にかつての53号棟であるスターハウスが保存されています。写真の手前がそのスターハウスで、うしろは建て替え後の新しい住宅。
スターハウスはY字型の平面を持ち、標準的には1フロア3住戸というもので、当時を代表するモデルの一つとして全国にたくさん建設されました。ここは予約すれば内部見学ができるので、興味があったらぜひどうぞ。当時の生活がどのようなものであったか想像できると思います。
街中でありながらそうではないところを探して巡った1日の〆は、街中のザ・居酒屋さん。(笑)
今日はお天気が残念でしたが、もし青空であれば気持ちよく走れるコースだったのではないかと思います。トトロ好き!