11月になりました。例年なら関東近辺でも山の方は紅葉が始まりサイクリングにぴったりの季節になります。ところが今年の秋は気温がなかなか下がらずに紅葉はだいぶ遅れています。しかもこの三連休の前半は雨で、残念ながら宿泊企画はなし。
しかし昨日は悪い予報が一転して晴れになり、この月曜日も快晴の予報です。これは出かけないわけにはいきますまい。遠出は無理なので紅葉は諦め、近場で雰囲気が良さそうなところにしました。久しぶりの巌道峠。
やってきたのはJR中央本線の藤野駅。この駅は相模湖のすぐ西にあり、南側には相模川とその支流の秋山川が流れています。
まず目指すは秋山川が流れる秋山の富岡集落で、相模川の弁天橋に下ります。この下りの急なことといったらありません。
弁天橋が見えてきましたがかなり下です。
『え〜、あそこまで下るの〜』 と、この下りにビビるシュンシュン。なぜなら下りの先にあるのは当然上りだからです。橋の先に小高い古峯山が見えていますが、今日のコースの序盤はあの山を廻って天神峠を越えなければならないのです。
弁天橋に下りて来ました。ここは標高185mで本日の最低標高地点です。下を流れる相模川はここから1.5kmほど上流の山梨県境から上流では桂川と呼ばれます。神奈川県と山梨県とで名称が異なるというわけです。
最近は都心でも少し紅葉が始まってきていますが、ここもうっすらとその気配が感じられます。ここの方が都心より少し気温は低いと思いますが、紅葉は都心よりごく僅かに進んでいるかなといったところで、大きな差はないようです。
弁天橋を渡ると大刀(おおだち)という集落で、ここからひと上りしなければなりません。この上りが結構急で序盤からハヒハヒです。
上の県道に出ると道はフラットになり、秋山川に架かる秋川橋から来る道と合流して柴田の集落を抜けます。このあたりが本日唯一のフラットゾーン。
程なく道端にこんな彫刻が現れるようになります。この道は『芸術の道』で、具象、抽象の立体芸術作品が30点近く設置されています。
そしてこの彫刻を過ぎると再び道は上りに。
葛原(とづらはら)の集落からは秋山川の向こうの東の山並みが見えます。
この山並みを眺めながら葛原の集落の外れまで進むと、道はヘアピンを描いて廻って行きます。
天神峠が近づいたのです。
ヘアピンの先の道は木々が両側から覆いかぶさるようになり、薄暗くなります。
その木々をかき分けるようにして進んでいくと、狭い切り通しの天神峠です。
この切り通しのすぐ先には金剛山の登山口があり、道はここでピークを迎えます。
天神峠を越えると道は急な下り坂となり目の前が開け、南から西の山々が見えるようになります。この時期はまだ木々が生い茂っており南の山は写真になりませんでしたが、丹沢山地北部の大室山などが見えます。
この眺望点から先も坂は結構きついので、ブレーキレバーをぎゅっと握り締めて慎重に下ります。
日向(ひなて)を抜けると道は徐々に狭くなり、右手は高い崖、左手は秋山川の谷になります。
この道を下って行くと急に目の前に小さな橋が現れます。下を流れるのは秋山川の支流の金山川(かなやまがわ)で、横を見ればちょっとした渓谷です。ザワザワという激しい白い流れ。そこから険しい岩壁が立ち上がっています。
よく見れば金山川はここで小さな滝になって落ちています。そしてこの滝から100mほどのところでその水は秋山川に流れ込みます。
橋まで下ってしまったので、ここからはまたちょっと上り。
日影原 ( ひかげはら )まで上ると道は平らになり、シュンシュンがバス停近くの自動販売機で補給したので小休止。このあとは奥牧野までまたちょっと上ります。
北斜面から南斜面の日当たりの良いところに出ると、先に秋山富岡の集落が見え出します。山間の谷に築かれた感じの良い集落です。
この眺めを楽しんだらその富岡に向かいます。
先ほどの眺望ポイントからは穏やかに奥牧野の集落へ下ります。
奥牧野は穏やかな南斜面に拓けた集落で、周囲に比べここだけ傾斜がなだらかで空間が開けています。
奥牧野を過ぎると神奈川県から山梨県に入ります。山梨県側の最初の集落は小さな一古沢で、この集落が終わると秋山大橋が見えてきます。この秋山大橋で秋山川を渡ると富岡の集落です。
ここは山梨県上野原市秋山です。現在の上野原市は秋山村と上野原町とが合併してできました。富岡は旧秋山村の中にあるいくつかの地区の一つで、合併後は住居表示からその名が消えてしまいました。残念なことですね。
富岡には棚田が築かれています。この季節は稲刈りが終わり田んぼの中には何もありませんが、少し前までは黄金色の稲穂が垂れていたのでしょう。ここの棚田はまだ健在のようで、草茫々で放棄されたように見えるものは無いようです。現実にはかなり厳しい状況だとは思いますが、長く残ってほしいです。
下から見るとそうは見えないのですが、この棚田ロードは実は結構きついです。ちょっとえっこらよっこらして集落の南東の外れにある墓地まで上りました。(TOP写真)
その墓地の前からは棚田が一望にできます。
棚田を満喫したら墓地から南に抜ける細道を行きます。すると獣避けの門扉があるのでこれを開け、また元通りに閉めます。この門扉を出たすぐのところに水路があるのですが、これは安寺沢川から分水し富岡の棚田へ通水しているものです。
この獣避け門扉のあとはちょっとだけ下りなのですが、周囲は針葉樹林であまり利用者がいないようで路面には苔が生え、ツルツル滑ります。ここは押して下りました。その後、富岡の集落の外側を廻ってくる道に合流すれば、そこからは穏やかな上りが始まります。道横には安寺沢川の気配はあるのですが、その川面は木々に隠れて見えません。
スペースが広がって民家が見え出すとそこは安寺沢の集落で、郷倉(ごうくら)があります。郷倉は江戸時代に幕府の命令で全国の村々に設けられた米や雑穀を収めるための倉庫で、凶作の時にはこの中に蓄えられていたものを利用して農民を救済する目的があったそうです。
現在この郷倉は建物を保護するためにトタン葺の屋根で覆われています。その下に見える本来の屋根は茅葺きでそれを支える構造材は竹、壁は木の校倉造りのように見えます。
郷倉の前にはここまで音だけで姿が見えなかった安寺沢川が流れています。
少し進めばその流れにこんな小橋が架かっています。橋の真ん中が凹んでいる上に左右が低くなっているので渡るのは少し怖いですが、ちょっとした風情があります。
安寺沢の集落のほぼ真ん中には安寺沢橋が架かっています。この集落によく合ったデザインで、欄干が低く、建設年が少し古いことがわかります。
今日は時間があるので橋の下に降りてみました。少し古いとはいえ昭和時代のものでしょう。構造は鉄筋コンクリートです。長く残ってほしい橋ですが、こういったものはいつどうなるかわかりませんね。
集落の奥へ進んでいくと、川辺に紅葉した木が一本。近づいて見ると、確かに紅葉はしているのですが、枯れたような茶色の葉が多く見られます。今年の紅葉はきれいには色付かず、茶色くなって落ちてしまうのでしょう。
安寺沢集落内の道は上りですが勾配は穏やかで、のんびり安寺沢川を眺めながら進んでいきます。
金波美峠(かなみとうげ)への分岐までやってきました。地図を見るとリニア新幹線はこのあたりを通ることになっており、標高から推測すると地上に顔を出しそうなのですが、もしそうだとするとこの景色は一変してしまうことになります。今のところ特別な工事が行われている様子はありませんが、どうなるのでしょう。
金波美峠の分岐のすぐ先で小さな橋を渡ります。橋の袂には石碑があります。この石碑に彫られているのは人と『見ざる言わざる聞かざる』のような猿らしきもの。人は右手に輪っか、左手にブーメランのようなものを持っています。ブーメランのようなものをシュンシュンは『へび?』と言っていますが、これはいったい何なのでしょう。
石碑のすぐ先には苔で覆われたモルタル吹き付けの法面に観音様がいらっしゃいます。あまりはっきりはしませんが、頭の上の形を見るとこれはおそらく馬頭観音でしょう。このような石像や先ほどの石碑があるということは、この道は現在のような立派な道ではなかったにせよ、それなりに古くからあったことになります。
石碑のある橋を渡った後は周辺に民家がなくなり、少し道の勾配が上がったようです。そんな中をアニマルの異名を持つジーコマリアがガッシ、ガッシと上っていきます。
これで集落を出たのかな、と思ったら、こんな家紋が入った蔵を持つ家がありました。現在はともかく、少し前まではこんな山間部でどのようにして生計を立てていたのかちょっと気になりますが、こんな蔵を持てるほどに裕福であったということですね。
この蔵がある家を過ぎるといよいよ安寺沢の集落はおしまいになり、小さな橋が現れます。
この先は林道安寺沢線で、ここから巌道峠への本格的な上りが始まります。峠まで、距離3.8km、平均勾配8.9%!
林道なので道が狭くなるのはのはもちろんのこと、特に序盤は勾配がきつい上に路面が荒れており、小石や落ち葉が敷き詰められたようになっているので、ちょっと難儀します。
そんな中をジーコマリアはガッシガッシ行って、あっという間に見えなくなってしまいました。
この登り口付近の安寺沢川はちょっとした渓流の趣があります。安寺沢川はこのあたりが起点らしく、ほどなく見えなくなります。
直線基調のきつい道を上って行き最初のカーブに差し掛かると、そこには立派な石碑が立っています。これはこの周辺の植林の記念碑らしく、『植林完了昭和34年』とあります。つまりこのあたりの人々は林業で生計を立てており、この道もそのためのものだったのでしょう。
記念碑を廻るといよいよ峠道の雰囲気が強くなり、カーブが頻繁に現れるようになります。極端にきつい勾配のところはありませんが、常に10%を超えているような感じで、かなり辛いです。
カーブをいくつも廻った先で左手の視界が開き、谷が見えました。よく目を凝らせばこれまで上ってきた道がその中に見えるのですが、不覚にもそこで撮った写真は露出がまったくダメで使えません。この写真はそれからさらに上ったところからのものですが、これでは道は見えませんね。
この眺望点まで来ると、目指す巌道峠はもうすぐです。
先に鉄塔が見えると道の勾配は穏やかになり、切り通しの巌道峠に到着。
ジーコマリアはだいぶ早く着いたのか、この左にある巌道峠開通記念碑と巌道峠拾遺之碑の前で休んでいました。
巌道峠そのものには眺望はありませんが、この上にある鉄塔のところまで登ればなかなか良い景色が見られます。
南西を見れば、道志の谷です。そこに見える集落は大室指でしょう。大室指の斜面はちょうどこちらを向いているのでよく見えます。
『あ〜残念! 今日は富士山、見えないね〜』と、ジーコマリア。『あれ、富士山じゃないかな〜』と、サイダーが指差す先には確かに富士山のような山が。『え〜っ、富士山、真っ黒〜』とシュンシュンが目を丸くして呻く。今年の富士山はなかなか冠雪せず、つい先日ようやく冠雪したという話でしたが、それはもうすっかり溶けてなくなってしまったようです。
なんていう話をしていたのですが、実はジーコマリアが言う通りでこの日は富士山は見えなかったのです。
これが正真正銘の富士山! 山の大きさが全然違います!
富士山の反対側の東側の眺めはこんな感じで悪くはないのですが、目印になりそうなものがないのでどこがどこだかよくわかりません。
鉄塔から下って巌道峠の切り通しを抜け、道志側へ下ります。
切り通しから下ると道は二手に別れます。左は林道野原線で、こちらは小石などがかなり散乱していたように記憶しているので、今回は右の道を使います。この右の道は林道安寺沢線の続きのようです。
道志みちに下ったら久保の吊り橋を覗いてみましょう。この橋は道志川に架かっており、71mとちょっとした長さです。
下を流れる道志川を覗くと足がすくみます。
久保の吊り橋を眺めたらお昼にしましょう。一番近くにあった『たんぽぽ』という喫茶レストランでオムライスをいただきました。
タンポポとオムライスと聞けば伊丹十三監督の映画『タンポポ』に出てきてその後『たいめいけん』のメニューに加わったあのふわとろオムライスを想像しますが、ここで出てきたのはそれとは違うものでした。このお店の名前は『タンポポ』ではなく『たんぽぽ』ですからね。(笑) でもこちらのオムライスもおいしいです。
お昼の後は道志みちを下ります。今日は3連休の最終日で天気も良いためか道は激混みで、モーターバイクも車もどんどんやってきます。
大渡水くみ場(おわたみずくみば)にやってきました。めずらしくここには誰もいません。これまではここで水を汲んで休憩することが多かったのですが、この日は一刻も早く道志みちから脱出したかったので、ここはパスしました。しかしここに人がいないのはとても珍しいですね。
青根まで下って道志みちを離脱し大川原橋を渡ります。
ここの道志川はエメラルドグリーン。
大川原橋の先で道は小さな畑の中を行く狭いものになり、すぐに森の中に消えて行きます。
森の中には綱子大川原林道が続いています。この綱子大川原林道という名は正式名なのかどうかはっきりしませんが、いくつかの箇所でそう書かれているのを見掛けたので、ここでもその名称で呼びます。
この前ここを通った時はこれほどではなかったと思うのですが、今回この道は落ち葉や小石などが散乱しておりかなり荒れていて、通るのに少し難儀しました。それでもマウンテンバイクでなければ通れないほどではなく、なんとか乗って進みます。
綱子大川原林道のピークは大川原天神峠です。土の切り通しで、なかなか雰囲気のあるところです。
この大川原天神峠からは森の中に続く『東海自然歩道』があります。予定ではこれを行くつもりでしたが関東地方は昨日の明け方まで雨で、足元が少し不安です。
このまま綱子大川原林道で綱子に下るか、、、 しかしこちらも路面の条件はあまりよくありません。
ジーコマリアが、時間があるのだから東海自然歩道を行ってみて、もしダメだったら引き返せば、と言うので、ここは東海自然歩道に突入。このあたりの道には『絹織物のみち』という名が付けられています。これは、かつて青根や大川原の集落で織られた絹織物を上野原の市へ運んだ道だそうで、先ほど通って行きた綱子大川原林道もその一部になっています。
この先の『絹織物のみち』の序盤は針葉樹林の中の上りでほぼ押し歩き。前回来た時より荒れており、担がなければならないところも何箇所かあって、少し突入したことを悔やみました。
30分ほど押し歩くと標高は500mほどになり、どうやら尾根に出たようです。周囲の樹木も針葉樹から広葉樹に変わり、なかなかよい雰囲気になってきました。路面は完全なドライではありませんが、乗るのに支障があるほどウェットではないので、ここからは乗って進んでいきます。
この道は東海自然歩道として位置付けられているためか、定期的にメンテナンスされているようで、数年前は崩れそうになっていた馬の背はこんなふうに補強されました。このような場所なのであまり人の手の気配は感じない方がいいのですが、これは止むを得ないでしょう。
馬の背の先は少し背中の幅が広がり、安心して乗れるようになります。
500mほど素敵なライドを楽しんで綱子天神峠に到着。
ここは車が入ってこられるほどに空間が広く、片隅に石碑が置かれており、ピクニックテーブルが設えられています。このピクニックテーブルで一休み。
『初めはどうなることかと思いましたが、後半はよかったですね。ここ、来てよかったですよ〜』と、ジーコマリア。
綱子天神峠からは菅井へ下ります。ここは軽トラックが通れる道なので、安心して乗っていけます。
菅井まで下ると南側の視界が開きました。あの稜線は黍殻山あたりでしょう。
菅井からは西へ進み天神隧道を抜けます。するとそこにはかつて炭焼きをしていたのだろう三角形の小さな小屋がありました。材料となる木も積まれたまま残っていますが、もうここは使われていないようです。
炭焼き小屋からは北へ向かい、綱子隧道を抜け、綱子集落に入ります。
綱子集落の先は綱子川が流れる山道で、ここもなかなかいい雰囲気です。
『こんな道、好きだな〜』とにこにこのシュンシュン。
舟久保の手前でこの道から前川橋へ続く細道が別れます。この細道はほとんどメンテナンスされておらず、雨降りのあとはぬかるんでひどいことになるのですが、この日はあまり問題なく通ることができました。
前川橋は木材の腐朽が進行しているようで通行止めでした。戻って迂回する必要がありました。
ほんのり紅葉を始めた秋山川。
奥牧野からは奥牧野相模湖線で馬本に抜け藤野に向かったのですが、この道はそれなりに交通がありました。朝使った道を戻った方がよかったかな。。
今日は距離は短いものの日本の鄙びた景色を堪能した1日となりました。道は荒れたところが多く、万人にお薦めできるコースではありませんが、1日のんびり散歩気分で過ごすつもりであれば楽しめると思います。