多摩センター駅前のシンチェンゾーとサリーナ
今回は定番コースとなっている小野路。今年は例年より少し早く紅葉前の開催となりました。
多摩センター駅前の広いペデストリアンデッキ、パルテノン大通りではもう少しするとクリスマス飾りが行われるのですが、この時期それはまだです。
パルテノン多摩
パルテノン大通りを行くとその突き当たりには多摩市の複合文化施設パルテノン多摩が聳えています。
多摩中央公園
そのパルテノン多摩を回り込むようにして進むと多摩中央公園です。大池ではカモが遊泳中。
いつもはこの公園の中をのんびり進んで行くのですが、この時は工事中で入れず。
落合2丁目
それで今回はいつも使っている落合3丁目から続くデッキではなく、落合2丁目から一本杉公園へ向かうことになりました。
タウンハウス落合
このあたりには首都圏の住宅地開発の歴史を語る上では抜かすことができないものがあります。その一つがタウンハウスと呼ばれるものです。
昭和50年代、当時の日本住宅公団は都市型低層高密度団地の開発を進め、1979年(昭和54年)に専用庭付きで戸建感覚のタウンハウス諏訪を誕生させます。こうしたタウンハウスはその後もしばらく供給されるのですが、その一つがこのタウンハウス落合です。
鎌倉脇街道
南多摩尾根幹線道路を渡り一本杉公園の横を行く鎌倉脇街道に入りました。このあたりには古い時代より鎌倉街道が通っていたのです。
一本杉公園裏門
見過ごして一旦通り過ぎてしまったのですが、一本杉公園には裏門のようなところがあります。
一本杉公園はそれ自体そんなに人が多い公園ではなく、この門のあたりに至ってはまるっきり人の気配がありません。
一本杉公園芝生広場付近
ここでようやく当初設定したルート上の一本杉公園に到着。シュンシュンと無事合流です。
ここの木々は紅葉は始まってはいるのですが、あまりきれいではなく、すでにちりちりになっているものもあります。今年は鮮やかな色になる前に落葉する木々も多そうです。
妙櫻寺
一本杉公園を出て妙櫻寺まで下り、その駐車場のところから始まる小径に入ります。
恵泉女学園大学の実習畑
駐車場の奥からちょっと下るとそこは谷戸の奥で、恵泉女学園大学の実習畑が作られていました。
笠松谷戸
ここは笠松谷戸と呼ぶようで、道脇は田んぼではなく畑ですが、下に見える木々の足元あたりに谷戸の中心となる小川が流れているようです。
笠松谷戸から大犬久保谷戸へ
穏やかなアップダウンがあるこの道は私たちのお気に入り。
布田道
笠松谷戸から下るとそこは大犬久保谷戸(おいなくぼやと)で、布田道が通っています。
この道はかつての甲州街道の宿場であった調布の布田五宿(ふだごしゅく)と大山詣りの宿場町であった小野路宿とを結んでいました。
関屋の切り通し 東側
その布田道を西へ向かうと、そのうち道は森の中を上って行くようになります。その先に現れるのが『関屋の切り通し』です。
関屋の切り通しに立つジオポタ
ここはかつての鎌倉街道の関所があったとされる場所で、近くに関屋城砦があったようで城の空壕跡や鎌倉古道の跡とされるものが見られます。
関屋の切り通し 西側
静寂に包まれた素晴らしいところですが、今にも崩れ落ちそうです。
小野路の通り/町田日野線
関屋の切り通しから下るとすぐに小野路の通りに出ます。
この道は江戸時代は東海道と甲州街道を結ぶ脇往還で、小野路は江戸中期以降は大山詣での宿場として賑わったようです。その頃から道路幅員はあまり変わらないようで、交通量が増加した現在ではかなり狭く感じます。
幕末頃この通りには片側20軒、合計40軒の家が立ち並んでいたようです。それらの中でも今日まで歴史的な資料価値のある家や建物がいくつか残っています。
小島資料館
その一つがこの小島資料館です。
名主だった小島家は当時剣術道場を開いており、のちに新撰組組長となる近藤勇や土方歳三らが調布から先ほど通ってきた布田道を通り、ここに剣術指南に訪れていたそうです。
当時旅籠は6軒あったようで、小島家の向かいには角屋(かどや)という旅籠があり、これは現在は里山交流館となっています。
小野路の南西ゾーンへ
小島家の門を眺めたら小野路の通りから南西の林の中へ。
ここは通りから入った途端にとても薄暗くなり、その差にびっくりするくらいです。
林の中の農場
薄暗い林を抜けると、今度は正反対にとても明るい畑の脇に出ます。周囲をぐるりと林に囲まれた中にひっそりと農場が営まれています。
キダチダリア
畑の隅っこにキダチダリア(皇帝ダリアとも)が咲いています。このダリアは背丈が高いものだと10mにもなるそうです。びっくり〜
畑から林の中へ
ここからは畑の縁を辿って林の中に入ります。
人一人がやっと通れるだけの獣道のような道!
見晴らし広場
ちょっと空間が開き、少し行くとピクニックテーブルがあるところに出ます。
横浜方面の超高層ビル群
ここからは超高層ビル群が見えてびっくりします。
方向からするとあそこは横浜あたりらしいのですが、町田と横浜ってこんなに近かったかなと思わせるものがこの景色にはあります。
木の実何の実気になる実
ここのピクニックテーブルの横に赤い実が生っています。シュンシュンがグーグル先生に問い合わせると『ゴンズイ』という答えが帰ってきたといいます。魚のあのたくさん集まって玉になるゴンズイに似ているからと言うのですが、どこが似ているのかよくわかりませんでした。
森の中を行くシンチェンゾー
横浜の超高層ビル群とゴンズイを眺めたら、東へ向かい一旦森を出ます。
黒牛さん
アスファルトの道に出て南へ進むとすぐに牧場があり、黒牛さんが数頭牛舎の中で休んでいました。
六地蔵
坂道を下りVターンして再び森の中に入っていくと、六地蔵です。ところがここのお地蔵さんは数えてみると7体あります。お地蔵様が7体で六地蔵?
六地蔵は六道輪廻の思想に基づいており、その六道とは、地獄道(地獄の世界)、餓鬼道(飢えと苦しみの世界)、畜生道(動物の世界)、修羅道(憎しみ争いのたえない世界)、人間道(人間の世界)、天道(穏やかな世界)で、それぞれ大定智悲地蔵、大徳浄地蔵、大光明地蔵、清浄無垢地蔵、大清浄地蔵、大堅固地蔵がいらっしゃいます。
7体ある六地蔵
しかしこの六地蔵以外にも子安地蔵や延命地蔵など、様々なお地蔵様がいらっしゃいますから、ここではそうしたものが六地蔵に加わったのかもしれませんね。
面白いことに六道関係の信仰としては、観音菩薩の導きにより六道世界より救われるという観音信仰があります。六つの世界に応じた観音様は六観音と呼ばれますが、人間道のそれは天台宗と真言宗とでは異なるため、全部合わせると七観音です。これらの観音様を一石に彫ったり、個別に彫られたものを集めて並べることもあります。
万松寺谷戸
六地蔵から下ると万松寺谷戸です。
万松寺谷戸の稲の収穫
この日はこの谷戸に築かれた田んぼで作業が行われており、稲架かけが作られ、稲を運んでそこに干されていました。
こちらに稲を抱えてきた方に聞くとこれは学校の授業だそうで、今年は夏暑かったせいか実入りがあまり良くないとのことです。
乗越八幡跡付近の道祖神・庚申塔
万松寺谷戸の作業を眺めたら、小野路の中核部へ向かいます。
小野路城に関連する塚あるいは古墳と考えられている乗越八幡跡のすぐ近くの交差点には道祖神や庚申塔といったものがあります。団子状のものは五輪塔でしょうか。この道が古くから使われていた証ですね。
小町井戸
この交差点から北西に進めば、道はガレたダートになります。
うっかり見過ごすところでしたが、この道脇に『小町井戸』なる小さな水溜りがあります。これは伝説によると、目の病に罹った小野小町がこの湧水で目を洗ったところそれが治ったというものです。
小野路城跡に立つ鳥居
小町井戸の反対側には小野路城跡があり、小さな鳥居が立っています。
ここはいつ来ても静か。
奈良ばい谷戸に向かうシュンシュンとシンチェンゾー
小野路城跡まで来れば富士山が見える『奈良ばい谷戸』まではすぐですが、下り坂でつるつる滑るところがあるので気をつけて。
奈良ばい谷戸と富士山
奈良ばい谷戸に出ました。この谷戸の頂部からは富士山が見えるのですが、この時それはまだ冠雪しておらず真っ黒なのにびっくり。
今年はなかなか冠雪せず、つい先日の11月7日に平年から1か月余り遅く冠雪したと発表があったのですが、それはすでに溶けてしまったようです。
炭焼き小屋
ここには近年では珍しくなった炭焼き小屋があります。時々ボランティアの方がここで作業をしているのですが、この日は静かでした。
芋掘り
この時期はさつまいも畑での仕事が忙しいようです。
稲架掛け
さつまいも畑での作業を横目に谷戸を下って行くと田んぼが現れますが、すでに稲刈りは完了していて、刈り取られた稲はみんなきれいに稲架に掛けられ、天日干しされています。
稲架の前に立つシンチェンゾー、シュンシュン、サリーナ
田んぼの下の方には藁ボッチが作られているところがあるのですが、今年はまだで、そこにも稲架が並んでいました。
小山田緑地横の竹林
奈良ばい谷戸で一休みしたら尾根緑道へ向かいます。
いつもなら小山田緑地に立ち寄るのですが、この日は時間が取れないのでその横の竹林のようなところを上って行きます。
さくら通り
日大三高の横に出て、今度はさくら通りを尾根緑道に向かって上って行きます。
町田市立室内プール
時は11時半。お昼はいつも立ち寄るイタリアンレストランがこの日は休みのようなので、尾根緑道のあとの遣水になるかなと思っていたところ、町田市立室内プールに『お食事処』の幟を発見。
町田市立室内プールの食堂
ここは無難に全員カツカレー!
尾根緑道入り口付近
カツカレーでお腹を満たしたらまったりせずに尾根緑道に入ります。今日は距離は短いもののちょっと時間が掛かるコース設定なのです。
忠生スポーツ公園
尾根緑道を上っていくと正面に新しい公園が出来ていました。これは2023年9月にオープンした忠生スポーツ公園で、下は一般廃棄物最終処分場になっているようです。
尾根緑道を行く
尾根緑道は初級者でも安全に走れる気持ちのいい道で、大賀藕絲館横から遣水の国道16号まで約8kmに渡り続いています。
丹沢山地の山々
南西の視界が開くと、家々の屋根の上に丹沢山地の山々が横たわっています。一番左に見えるのは大山 (1,252m)。
ケヤキ並木
尾根緑道には様々な木が植えられていますが、ここはケヤキ並木。
うっすら紅葉が始まっていますが、まだ大分青いです。
南大沢3丁目付近
尾根緑道の周囲は緑がいっぱい。まだあんまり紅葉は見られません。
小山内裏公園西展望広場より
京王線の多摩境駅の近くにある小山内裏公園には二箇所展望広場があります。西展望広場にはトイレがあるのでここで小休止。
南西には相模原から橋本あたりの家並みが並び、その向こうに大山がすまし顔で立っています。
多摩美術大学のイチョウ
やっぱり今年の紅葉は遅いね〜、と言いつつ進んでいくと、こんなイチョウの木が。都心のイチョウはまだ真っ青なのですが、八王子はやはり少し気温が低いようです。
相原橋より
遣水で尾根緑道を降り、国道16号線を渡ります。このあたりの国道16号線は二本あり、これは新しい方。その上を通る相原橋はとてつもなく高いところを通っていてちょっとびっくりします。
大山が近づいてきた!
御殿峠古道入口付近
国道16号線を渡ると本日のダートコースの第二部が始まります。
このあたりには古道、つまりかなり古くからある道だが現在はほとんどその本来の機能は失っており、しかしその原形は留めている、というものがいくつかあります。
ダートを行くサリーナ
国道16号には御殿峠がありますが、ここにはそこへ至る古道があります。この古道は日本閣の横の道で寸断されていますが、その寸断箇所で道路工事のようなものが行われているようなので、道として復活するのかもしれません。
この工事が終わるまでその古道は通れなさそうなので今回は入口を覗いただけで先へ進みます。
七国峠古道入口
造形大学のすぐ南に抜けると、反対側にこれまたダートの小径が森の中に続いています。
この奥には七国峠があり、そこにもまた古道が伸びています。
上りで押しのシュンシュン
しかしそこに辿り着くまではちょっと大変。まずはガレた砂利道の上りで、即押しに。
かわいいキノキ
しかし道脇にはこんなキノコが生えていたりで、ちょっと楽しいです。
なんとか乗って進むサリーナ
平坦になり、砂利も落ち着いたのでなんとか乗って進みます。ここは眺望も何もない森の中。
巨大建築物
突然前の視界がパッと開くと、びっくらポン! ここはどこ、これな〜に。。。 目の前に巨大建築物が現れた! そしてその向こうには八王子の街が。
ここは手前側が町田市で向こう側が八王子市。市が変わるとこれほどに景色が違うのかと驚くばかりですが、行政の違いというのはこういうことかと考えさせられる景色です。
森の中をどんどこ行く
この景色を眺めたあとは再び森の中を行きます。
どんどこ、どん!
幼稚園
どこからか楽しい音楽が聞こえてきました。何だろうと思っていると再び視界が開き、眼下に今度は幼稚園が現れました。この日は何かイベントがあったようで、園児の父兄なのか大勢の人々が訪れていました。
丘を上る
この幼稚園から少し進むと周囲の木々が丸坊主にされたところに出ます。
あれっ、こんなところあったかな・・・ と思いつつ丘を上って行きます。
八王子方面の景色
すると目の前がパッと開き、眼下に八王子方面の街が、そしてその先には奥多摩の山々が見えます。
丘の上に立つジオポタ
お〜っ、こんなことになっていたのか、ここは! と唸る面々。
ちょうど犬を連れて散歩に来られた方がいたので話を伺うと、ここの木は突然枯れてしまったんだそうです。原因はわからないそうですが、なにか流行病でしょうか。
駈け下るサイダー
早く元に戻ることを祈ってこの丘を下ります。
再び森を行くサリーナ
下った先は再び森で倒木も。道は次第に上りになり南にカーブして行きます。
七国峠
この頂部付近に『七国峠』の標識が立っています。どうやらこのあたりが七国峠のようです。この道は今から800年ほど前の鎌倉古道跡だそうです。
出羽三山供養塔
七国峠から鎌倉古道を南へ向かうとすぐ道は二手に分かれます。ここには出羽三山供養塔があります。
出羽三山は羽黒山、月山、湯殿山の総称で、修験道を中心とした山岳信仰の場でした。石碑には天保十年(1839年)とあり、江戸時代の終わりに近いころの建立であることがわかります。天保といえば水野忠邦による『天保の改革』が行われたことからもわかるように、幕府の財政は逼迫し、世の中が乱れに乱れていたころです。この道は少なくともその頃までは道として機能してということになりますね。
相原中央公園
出羽三山供養塔の西には大日堂があるのですが、この日はこれはパスし先へ進みます。出羽三山供養塔の Y 字路から先は南へ行けば車が通る道まですぐなのですが、そこはいつもぬかるんでいるので東へ向かい、相原中央公園の裏を回るようにして公園の入口にやってきました。ここでトイレ休憩し、七国峠古道の出口へ向かいます。
続七国峠古道
先ほど通ってきた七国峠古道の出口は相原中央公園の西の端にあるグラウンドの横にありますが、通りを挟んでその南側にも森の中に続く細道があります。七国峠古道の続きがあるのです。前回は時間切れでここは通っていないので、今回はチャレンジしてみましょう。
ところが森に足を踏み入れた途端に行く手は掘割状の上りになり、即押し。七国峠がピークなので、もう上りはないと思っていたのに・・・(泣)
続七国峠古道ピーク
それでもピークまではそう距離はなくなんとか上り終えました。
さあ、ここからはダウンヒル! ということになりますが・・・
行く手を阻む倒木
足元には枯れ枝と落ち葉が散乱し、さらに倒木も。とても乗ってなどいられません。
倒木をくぐりぬけるサリーナ
ぎゃはっはっはっ! こりゃあ楽しいぜ〜(笑)
ぬかるみ
先が明るくなり、やっとこの道から脱出できると思った途端、目に飛び込んできたのはこんな景色。
泣きのシンチェンゾー
もうやってられん! と泣きのシンチェンゾーでした。
あ〜、楽しかった〜(笑)
真米の七国峠遊歩道の解説板
抜けた先の真米(まごめ)にはこんな解説板が立っていました。これによれば、この道はかつては津久井より八王子に抜ける唯一の道であったことがわかります。
橋本駅付近
真米からあとは城山湖へ行き、もう一本ダートを走るつもりにしていたのですが、みなさんもうダートはお腹いっぱいということなのでここで上がりにし、橋本駅へ向かうことにしました。
反省会
早く上がってしまったのでいつもの大将の店はまだ開いておらず、早開きの海鮮やさんで反省会に突入。いや〜、今日も大変でした〜(笑)