柏たなか駅
1年で最も寒い時期に入りましたが、今は冬に飛来する渡り鳥たちを見る絶好の季節です。白鳥を観に行こう! 今年は茨城県の坂東市と常総市の間の菅生沼へ。
暖かい日を狙って柏たなか駅に集まったのは、『ここ近いんだよ~』と自走のコテッチャン、『白鳥もいいけどカモが好き』のサリーナ、そして『久しぶりの外出だ』と冬ごもりのカメラのサイダーの3人。つくばエクスプレスの柏たなか駅は、丸みを帯びた近未来的なフォルムで高架の線路にくっついています。
右手につくばエクスプレスの高架線路
では出発!と先頭を行くコテッチャン。地元で何度も走っていて、ベストコースを案内すると言います。
まずはつくばエクスプレスの高架線路を右手に見ながら北上。
柏たなか北公園
すぐに柏たなか北公園に到着。その周りは田んぼや農村の風景の中に突然現れる真新しい住宅地で、異次元ワープか?とちょっとビックリ。
今は朝9時前で誰もいませんが、『若い家族が多いから、この公園はいつも子どもたちでいっぱいだよ』とコテッチャン。
コテッチャンとサリーナの間の筑波山
公園から北を眺めると、右のつくばエクスプレス線路、左の常磐自動車道に挟まれる形で筑波山が姿を見せています。筑波山を挟んでニッコリのコテッチャンとサリーナ。
筑波山は男体山と女体山の双耳峰ですが、この方角から見ると3つの峰が見えます。左側の小さい峰が三峰目の坊主山。
船戸三峰神社の入口
常磐自動車道を潜った西側は、静かな農村風景に変わります。船戸三峰神社のお狐様にあいさつして進みます。
醫王寺
畑の影になっているところは土が白く盛り上がり、『わあ、霜が降りてる!』とサイダー。近年の都心ではなかなか見ることのない光景です。
そして通りかかったのは醫王寺。木々に囲まれた静かなお寺で、牡丹が有名だといいます。醫王寺の山門の左手には平和大観音のお姿が。
農家や竹林の間を走る
農家や竹林の間、曲がりくねった小道を先導するコテッチャン。私たちはこんな道をポタポタするのが大好きです。
飛ばすサリーナ
そして開けたところに出たら、利根運河を渡って運河沿いの土手を走ります。快晴の空の下、『気持ちいいねえ~』と快調に飛ばすサリーナ。
水路の脇を進む
ほどなく土手を下りて利根運河と別れ、北西へと続く水路の脇のダートを走ります。
『この先の橋のあたりによくサギがいるんだよ』とコテッチャン。
トビが飛ぶ
途中、送電塔に鳥の巣を見つけて眺めていると、その下に茶色い猛禽類を発見。『オオタカだ』『ワシか』など話していたら飛び立って行きました。
あとで羽の模様などで調べたら、トビのようでした。『鳶が鷹を産む』などと平凡の代名詞のような扱いをされるトビですが、飛翔する姿はなかなかの迫力です。
橋に近づく
さらに進むと、前方の白い橋の袂に鳥の姿が見えました。鳥たちを驚かさないよう、自転車を下りて静かに進みます。
コサギの親子
白いのはコサギ。小さいの3羽は幼鳥でしょう。カルガモもいます。
その手前では、オオバンが脇目も振らず大集団でグイグイ泳いでいました。
こうのとりの里
すぐ近くにはコウノトリの飼育施設『こうのとりの里』があります。日本では野生のコウノトリは1971年にいなくなってしまいましたが、飼育下繁殖に取り組み、2005年に豊岡市で放鳥開始。この施設でも2012年から飼育し、2015年に放鳥を開始したそうです。
残念ながら、鳥インフルエンザ発生の影響で施設は臨時休館中。施設の前にコウノトリの像と、人工巣塔が展示されていました。『巣はかなり大きいねえ~』とコウノトリポーズのコテッチャン。
枝を伸ばすロウバイ
こうのとりの里を出発し、再び農村風景の中を進みます。枝を伸ばしている満開のロウバイを見つけ、春が近づいていることを感じます。
木々の間から筑波山
コテッチャン企画の田舎道コースにはちょっとしたアップダウンも仕込まれています。わあ~急に激坂だ!と慌てて上ったらコテッチャンが急停止。
『ここは停まって振り返りましょう』と言われて振り返れば、ちょうど道の木々の間から筑波山の姿が見えました。これはなかなか気づかないナイススポット。
畑の横を通る
その後も林の間を抜けたり畑の横を通ったり、楽しい田舎道が続きます。
畑にはブロッコリーやネギ、キャベツなどが植えられています。
野田市スポーツ公園
そして野田市スポーツ公園に到着。利根川の河川敷に設けられた公園で、芝生広場や多目的広場、サッカー場などがあります。
利根川の土手を走る
利根川の土手に上って北へ走り始めた途端、遮るものが何もなく、強い向かい風に晒されました。そういえば今日は北風だ。。
『ぎゃあ~、漕いでも漕いでも進まない~』と激遅になるサリーナ。
土手を走るコテッチャンとサイダー
『ガンバレ~』と風除けをつくるコテッチャンとサイダー。
青空の下、向かい風を受けながらヨロヨロと走り続けます。すると、
富士山
左手に真っ白い頂の富士山が見えました。富士山に励まされてもう一漕ぎ。
芽吹橋の右岸側
何とか芽吹橋までやってきました。ここで利根川を渡ります。芽吹橋は、車とは別に自転車・歩行者用の橋があって走りやすいのですが、その右岸側半分はかなりサビサビ状態です。
『左岸側の半分はキレイに塗られているのに、どうしてかな?』とコテッチャン。『この橋の右岸側は千葉県、左岸側は茨城県。千葉県はお金がないんじゃない?』とはサイダー説。
橋の中央の県境
橋の中央手前から工事中の幕がかかり、それを越えると橋の中央の県境のサインがありました。
『千葉県側も少しは塗装し直しているから、サイダー説は却下かな』とコテッチャン。何はともあれ塗装工事は現在進行中のようです。
ヤギとニワトリ
さて芽吹橋を渡り終えた左岸には、コテッチャンが挨拶を欠かさないヤギさんたちがいます。『今日は何匹出ていてくれるかな』
いたいた~。『大きいのが2匹と、子ヤギがたくさんいる』と盛り上がっているサイダーとサリーナ。小さいのは実はニワトリでした(笑)
利根川左岸を走る
利根川の土手を先ほどとは逆方向に進むため、風は順風です。追い風に押され、『わーい、どんどん進む』と上機嫌なサリーナ。
利根川から北へ
しかし、世の中そう甘くはない。ほどなくU字カーブを描きながら利根川土手を離れ、ここからは北上。
進行方向に筑波山が見えてきましたが、再びビュービューの逆風。わっせわっせと喘ぎながらゴルフ場の脇を通り抜けていきます。
菅生沼の野焼き
ようやく今日の最初の目的地、菅生沼ふれあい広場にやってきました。ところが、周囲は煙が立ち込め、大勢の人たちが集まっています。
近づいてみれば、野焼きで炎が上がっています。何だろうと近くにいた方に尋ねると、菅生沼にはタチスミレなどの絶滅危惧植物があり、これらの植物の保全のため毎年野焼きをしているんだそうです。『白鳥やカモは少し移動して向こうにいますよ』と教えてくださいました。
白鳥とカモ
というわけで少し進んでいくと、いたいた。
親子連れが投げるパンのかけらを狙って、白鳥とカモがすぐ近くまで来ていました。
コハクチョウ
白く優美な姿を見せるのはコハクチョウ。毎年10月末頃飛来し、3月初旬には北極海沿岸へと旅立っていくそうです。
眺めていたら、3羽ほど空から舞い降りてきました。迫力ありますが、ドサッという感じでの着水でした。重いからね~
コガモ
そしてカモ。これはコガモで、日本では最小の部類に入るカモです。
顔の目のあたりが緑に見える構造色なのがオス、全体に茶褐色の鱗のような模様がメス。ここにいるカモはコガモばかりです。近くで見られてカモ好きのサリーナは大はしゃぎ。
さらに北上
もう少し北に進んでみましょう。もっと白鳥とカモがいるかな。ダート道を進んであすなろ橋までやってきました(TOP写真)。
しかし、このあたりには白鳥もカモも見当たりません。ここで一旦菅生沼を離れます。
一言主神社
やってきたのは一言主神社。一言の祈願もおろそかにせず叶える大神として信仰されてきました。
多くの人々がお参りに訪れています。境内では、菊などカラフルな鉢植えの花がたくさん販売されていました。
餃子のランチ
そろそろ昼食の時間です。何度もこのあたりを訪れているコテッチャンが、一度入ってみたかったという餃子店『福BASE』を選択。ちょうど11時半の開店直後に入ることができました。
メニューは厚皮、厚皮にんにく抜き、薄皮の3種類の餃子。一人7~10個で厚皮・薄皮ミックスの定食をオーダーし、ジューシイな餃子を美味しくいただきました。
昼食を終えて出発
昼食を終えて、次の目的地へ出発。次も菅生沼なんですが、実はこの沼は南北5kmに細長く、先ほどのふれあい広場は南端、これから向かうのは北の菅生沼天神山公園というところです。
そんな道中、またもコテッチャンの挨拶スポットがあります。
ダチョウさん
それがこちら、中村鶏園の営業部長のダチョウさん。
ここでは卵を販売していて、この道路向かいには何と卵の自販機もあります。
菅生沼天神山公園
その後ダートに入って少し走ったら、菅生沼天神山公園に到着。ここはふれあい広場より人が少なく、大きなカメラを構える4・5人のバードウォッチャーのみです。
水面に浮かぶ白い姿を見つけて『お。いるいる!』
白鳥とカモ
白鳥の密集度としてはこちらの方が高い感じですね。30羽ほどの白鳥とカモが群れています。
コハクチョウが鳴く
コーコーと鳴くコハクチョウたち。その周りをカモたちがせわしなく泳いでいます。
オナガガモ
ここにいるのはオナガガモばかり。先ほどたくさんいたコガモは全く見当たりません。カモの種類ごとにテリトリーを分けているのでしょうか?
オナガガモたちは水面に嘴をつけてピチャピチャと泳ぎ回っています。彼らは水面に浮かぶ植物片などを食べているのです。そんな光景を飽きずに眺めるサリーナとコテッチャン。日差しは暖かく、サイダーはベンチでお昼寝タイム。
延命院の観音堂
白鳥とカモを堪能したら、お次は寺社仏閣巡り。まずはすぐ近くの延命院にやってきました。ここには平将門伝説が残り、境内にある不動院の裏の胴塚に将門の胴体を葬ったと伝えられています。
1710年の建立と伝わる観音堂の前に佇むサリーナとサイダー。
やすらぎ地蔵尊とコテッチャン
そして、やすらぎ地蔵尊とのツーショットで笑顔のコテッチャン。
筑波山へと走る
続いてどんどん行きましょう。コテッチャンに引かれて常総市の平原を飛ばします。
正面には雄大な筑波山がデーン!
左手に日光連山
左手を眺めてみれば、平野の向こうに白い雪を被った山々が連なって見えます。
写真左の方は日光白根山、中央の三角は日光のランドマーク男体山など、栃木県北部の山並みが広がっていました。関東平野の大きさを実感します。
大生郷天満宮
そして、田んぼの平野を抜けて大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう)に到着。かなり立派な神社がいきなり現れてビックリ。
ここは菅原道眞公の三男景行(かげゆき)公が道眞公をお祀りしたと伝わる天満宮で、日本三天満の一つだそうです。ちなみに二大天満宮は太宰府天満宮と北野天満宮。3社目は諸説あるそうな。
境内と本殿
一の鳥居をくぐり階段を上ると、正面に本殿が現れます。
天満宮といえば梅。境内の梅の蕾は少し膨らみかけていました。
御神牛
そして、こちらも天満宮といえばお馴染みの『御神牛』。
道眞公が丑年生まれだったとか、亡くなった際に遺骸を牛車に乗せて運ぶ途中、牛が座り込んで動かなくなり葬った場所が太宰府だとか、そんな道眞公と牛の縁にちなんで天満宮では牛の像が祀られています。
お焚き上げ供養
参道の脇に、お焚き上げの場所がありました。大願成就して目玉を入れ役目を終えただるまさんたちもお焚き上げ供養されています。
坂野家住宅の表門
大生郷天満宮から少し北に向かうと、こんもりとした林が見えてきます。次の見所はここ、『坂野家住宅』。広い林はその敷地で、ぐるっと回って住宅の表門に到着。
坂野家はこの一帯の豪農で、江戸時代には大生郷一帯の惣名主的な存在だったそうです。1998年に常総市が建物と屋敷地を譲り受け、『水海道風土博物館』として復元整備しました。主屋、書院、文庫蔵、そしてこの表門(薬医門)は国の重要文化財に指定されています。
坂野家の主屋
表門を潜ると、どっしりと重厚な茅葺屋根の連なる主屋が姿を現します。曲屋をさらに複雑にして屋根が連なるこんな形はなかなか見たことがありません。
この主屋は、まず正面の建物が集会所として建てられ、その後土間を拡張したり武家用の座敷を増築するなど増改築が行われ複雑な形になっていったそうです。現在の建物は、主屋の形式が最も整った1838年の姿に復旧整備されているとのこと。
土間のかまど
主屋に入ると、土間の奥で坂野家住宅の成り立ちの短いビデオを見ることができます。
土間に並ぶかまどは巨大なものもあってビックリ。大きいのは煮炊きというより入浴の湯を沸かすといったことに使われたのだとか。
囲炉裏のある茶の間
土間に続く囲炉裏のある茶の間。
この茶の間を含む当初の主屋の『居室部』は、18世紀中頃までは集会所として使う広い板の間の空間だったものが、その後農家型住宅の居室として四間取りに仕切られ、さらにその後南側の2間が畳敷とされたそうです。
座敷部の一の間
その後、主屋の南に増築された『座敷部』には式台のある玄関が設けられ、『一の間』『二の間』『三の間』からなる格式のある武家の様式とされました。床の間や障子、欄間のつくりなども豪華。
最も格式の高い一の間の意匠に見入るのは、コテッチャンとサリーナ。
書院(月波楼)
さらに、主屋の西側には書院(月波楼)が建てられました。幕末から明治期にかけて、坂野家に文人当主が現れ、ここが多くの文人墨客の集う文化活動の拠点になったそうです。
当初は茅葺平屋で、瓦葺2階の現在の建物は1920年(大正9年)の建築。
2階の濡れ縁と日除け
建物は南北に開口部があり、気持ちのいい空間です。その2階に上がってみると、ガラス戸の外の濡れ縁の上に巻き上げ式の日除けが設置されるなど、大正時代のモダンなつくりが目を引きます。
月波楼は『常総地域における文人墨客の活動拠点となった施設で、材料、意匠ともに秀でた上質な近代和風建築』として、文庫蔵とともに2023年に国の重要文化財に追加指定されました。
主屋座敷部
室内の見学を終え、建物の周りの庭をぐるっと巡ります。写真は主屋の座敷部を西の中庭から見たところ。風格のある茅葺屋根です。
その左上には、居室部主屋の棟の端が見えます。
棟の端の『寿』
棟の端(キリトメ)の模様は『寿』。おめでたい文字が記されています。
そういえば、以前訪ねた他の茅葺屋根でも、キリトメにおめでたい鶴や亀の絵柄とか、防火の願いを込めた『水』の文字などが見られました。
坂野家住宅を出発
この辺りを“庭”として走り回っているコテッチャンも、坂野家住宅は初めてだって。『素晴らしかったね~』と感想を言い合いながら坂野家を後にします。
その周りには昔ながらの田畑や林が広がり、このロケーションもまた坂野家住宅の魅力を高めているんだなあと感じます。
田んぼの真ん中を進む
広い田んぼの平原の真ん中をどんどん進みます。正面のこんもり緑のあたりに、これから向かう安楽寺があるはずです。
道祖神が並ぶ
その林の手間を曲がったところの木の影に、道祖神が並んでいました。
観音様やお地蔵様でしょうか。ひっそりと地域の人たちを見守っているようでした。
森の参道の山門をくぐる
そして、安楽寺の入口に到着。私たちは西の脇の門から入りましたが、南側には森の中に長い参道が設けられています。
そこで、南の参道をちょっと体験。周囲は鬱蒼とした森で、手付かずの自然の雰囲気の中、山門をくぐります。
角大師
安楽寺は、先ほど立ち寄った大生郷天満宮の別当寺として創建されました。太宰府天満宮は元は安楽寺という仏教寺院で、このお寺の名はそれに由来するそうです。
このお寺は、江戸時代初期には江戸城の鬼門鎮護の寺院として庇護され,慈恵大師良源(元三大師)が勧請されて元三大師のお寺として親しまれるようになったとか。ところでこの中門に掲げられた提灯の絵は、元三大師が疫病を追い払うため鬼の姿になって弟子に描かせたという『角大師(つのだいし)』。鬼ですが、ちょっとひょうきんな雰囲気も。
観音様が並ぶ
中門を入ると本堂や元三大師堂などがあり、右手には観音像が七体並んでいます。
『何という観音様かわかる?』とコテッチャンに尋ねられ、仏像好きですが『足元に書いてあるよ』と逃げるサリーナ。如意輪観音、十一面観音、千手観音くらいはわかるんですけどね~。
鬼怒川サイクリングロード
安楽寺の拝観を終えたら、川沿いのサイクリングロードを南へまっしぐら。
まずは鬼怒川の土手に上り、サイクリングロードを飛ばします。
鬼怒川と筑波山
広めの舗装路は景色も良く快適です。鬼怒川の向こうには筑波山もくっきり。
しかしこの自転車道、実はまだ完成していません。途中からダートになったり工場の脇を通ったりと怪しいルートを進んでいきます。
五木宗レンガ蔵
豊水橋で川を渡り、鬼怒川とはお別れ。今度は小貝川沿いのサイクリングロードを目指します。
そんな豊水橋を渡った道沿いにレンガの塔を発見。これは『五木宗レンガ蔵』。幕末から明治にかけて隆盛を誇った水海道河岸で廻漕業を営んでいた五木田家のレンガ蔵で、1882(明治15)年の建造です。国の登録有形文化財に指定されています。
筑波山を背に走る
水海道の町の路地を繋いで右に左に駆け抜けて、無事小貝川の土手に上ります。ここからは一路守谷へ。
夕日を浴びながら、筑波山を背にサイクリングロードを飛ばすコテッチャンとサリーナ。
小貝川サイクリングロードのサイダー
夕日を浴びてサイダーも飛ばします。西には小さく富士山のシルエットも見えました。
小目沼橋が見えた
快適なサイクリングロードを走っていると、右手の小貝川に小さな橋が見えてきました。沈下橋の小目沼橋です。
小目沼橋
土手を下りて小目沼橋を渡りましょう。橋の名前は小貝川両岸の村(下小目と平沼)を結ぶということで付けられたようです。
木造の橋には欄干もなく、幅は1.5mほど。恐々と走るサリーナはカメラ目線を送る余裕なし。。
松並木公園に入る
小目沼橋を渡り終えると、ゴールの守谷はもうすぐ。
守谷の市街地に入ると、立派な松並木が始まりました。江戸時代から伝わる銚子街道の松並木が全長400mの公園として整備されています。
守谷の宴
程なく守谷駅に到着。ゴールを祝し、守谷駅前のワイン酒場でカンパ~イ! 今日は白鳥とカモ、そして常総市の歴史や文化を味わって充実したポタでした。
3人でワイワイと飲み食いしていたら、守谷の住人ペタッチも突如乱入。宴はエンドレスに続くのでした。