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房総のむらと佐原

開催日 2025年02月09日(日)快晴 西南西の風5m
参加者 コテッチャン/サリーナ/サイダー
総合評価 ★★
難易度
走行距離 45km
地域 首都圏関東
千葉県

佐原/小野川沿い
佐原/小野川沿い

コース紹介

時代劇セットのような成田の『房総のむら』から谷戸をどんどこ行き、畑の中のバンコック、ワットパクナムに驚き、しっとりとした佐原の街を散策します。

地図:GoogleマップgpxファイルGARMIN ConnectRide With GPS

発着地 累積距離 発着時刻 ルート 備考
京成成田駅
西口
START 発08:55 一般道 京成上野07:27→08:37京成成田/860円
坂田ヶ池 8km 着09:35
発09:40
一般道 水面5ha
周辺は坂田ヶ池総合公園17ha、吊り橋
岩屋古墳 8.5km 着09:45
発09:50
一般道 古墳時代終末期の方墳78m辺、高さ13m、三段?
龍角寺古墳群115基
房総のむら 9km 着09:55
発11:45
一般道 商家・武家屋敷・農家などを展示した博物館/300円
無料ゾーンに古民家や古墳群あり
南羽鳥 13km 着12:10
発13:10
一般道 昼食:香車 × /鶏そば1,100円
圓通寺 24km 着13:55
発14:00
一般道 助崎城東門(移築)
ワット・パクナム 28km 着14:20
発14:55
一般道 วัดปากน้ำญี่ปุ่น
タイの仏教寺院の日本別院/拝観無料
大戸神社 41km 着15:55
発16:05
一般道 香取神宮境外摂社
佐原 45km 着16:20
発17:00
一般道 重要伝統的建造物群保存地区伊能忠敬旧邸
観光地図、樋橋:毎正時&30分に放水
佐原駅 48km 着18:15 - やま川/0478-52-5061/うな重4,500円
佐原18:34→成田→錦糸町→20:39水道橋/1,690円
日の入り17:16/ 香取市の国・県指定および国登録文化財千葉県サイクルツーリズム

京成成田駅西口京成成田駅西口

1月の末に菅生沼に白鳥を観に行った際、コテッチャンから成田に時代劇に出ててくるような街並みがあるとの情報を得、これは面白そうだということでさっそく企画にしました。

成田には京成線とJR成田線とが通っていて、サイダーとサリーナは京成線で、コテッチャンはJRでやってきました。京成線とJR成田線の駅は繋がってはおらず150mほど離れているのですが、コテッチャンの方が少し早く着いたので京成成田駅の駅前で私たちを出迎えてくれました。

JR成田駅東口駅前JR成田駅東口駅前

駅前からは本日の目的地である、時代劇に出ててくるような街並みがある『房総のむら』へ向かいます。そこへ行くにはまずはJRの線路を渡らなければなりません。

小さな踏切小さな踏切

JR成田駅の駅前を通り抜け、線路に沿ってしばらく走ると、今時こんな踏切あるのかな〜 というような、とても小さな踏切がありました。しかしここには遮断機はしっかり整備されていました。

小橋川沿い小橋川沿い

この小さな踏切を渡り住宅地の横を進んで行くと、小橋川に出ます。

この川の土手上はダートですが締まっており、なかなか気持ち良さそうなのでこれをどんどこ。

続小橋川沿い続小橋川沿い

しかしすぐにこの土手道は終わって一般道になり、今度はアスファルトで舗装された土手上を行くようになります。

乗馬クラブ乗馬クラブ

京成成田空港線とR464の高架橋下は工事中で砂利道でしたがなんとかこれを突破すると、お馬さんがパッカパッカ。気持ち良さそう〜

カントリーロードカントリーロード

その後はカントリーロードをどんどこ。

坂田ヶ池坂田ヶ池

房総のむらの下にある坂田ヶ池に到着。

この池の周辺は17haほどの坂田ヶ池総合公園として整備されており、その中には大きな吊り橋があります。

岩屋古墳岩屋古墳

坂田ヶ池から坂道をちょっと上ると古墳時代終末期の7世紀ごろのものと考えられている岩屋古墳があります。

この古墳は現在115基が確認されている古墳時代後期(6世紀)から終末期(7世紀)に造られた龍角寺古墳群の一つで、横から見るとあまりよくわかりませんが一辺78mの方墳で、どうやら三段になっているようです。方墳としては全国最大級だとか。

『房総のむら』入口付近『房総のむら』入口付近

岩屋古墳のすぐ先が本日の目的地の一つである『房総のむら』です。

『房総のむら』案内図『房総のむら』案内図

『房総のむら』は千葉県内の商家・武家屋敷・農家などを展示した博物館で、先ほどの龍角寺古墳群もその一部になっているようです。

商家の街並み商家の街並み

敷地はかなり広く、そのため順路が設けられているようで、その通りに巡るとまず商家の街並みに入ります。

その入口の左手東側にある大きな建物は江戸時代後期の旅館を再現したもので、このモデルは昭和2年まで使われていたという成田山新勝寺門前の大野屋旅館。

めし處めし處

その向かいには『めし處』で、房総地方の郷土料理の実演などが行われます。その隣は蕎麦屋で、ここでは実際に食事ができるようでした。

小間物屋の『らお車』小間物屋の『らお車』

それぞれの建物には興味深い展示がされています。この小間物屋の奥には見慣れぬ『らお車』というものがありました。

『羅宇(らお)』は煙草を喫むための道具であるキセル(煙管)の管(多くは竹でできていた)のことで、かつてはこの羅宇の掃除やすげ替えを商いとする『らお屋』というものがいました。らお車はその屋台で、この中には驚くことに蒸気を出す装置が積まれているのです。らお屋は都市部では戦後まで見られましたが、 紙巻煙草が普及すると急速に姿を消していきました。

菓子屋とお茶屋菓子屋とお茶屋

東側に目を向ければ土蔵造りの建物が2軒。菓子屋とお茶屋です。

菓子屋には菓子を入れた菓子箪笥や、大福、ようかんなどの菓子類が並んでいます。神棚には恵比須様と大黒様が。和菓子作りの実演が行われ、その体験もできるようです。

お茶屋ではお抹茶や煎茶など様々なお茶作りの実演が行われるようで、2階は喫茶店になっています。

酒と燃料の店酒と燃料の店

西側にも土蔵造りの建物があります。外壁の腰の部分はナマコ壁で、上には杉玉(酒林)が下げられています。これは新酒ができたことを知らせるもので、この店は酒の量り売りをしていたようです。

千代紙ろうそく千代紙ろうそく

中を除いてみると樽や升、半切桶などが並び、帳台や銭箱などが置かれ、帳場が再現されていました。

そしてこの日は千代紙ろうそく作りをしている人々がいました。ここではその他に、果実酒造りや杉玉作りなどができるようです。

なまずなまず

店先の桶の中にはなにやら黒いものが。初めは鯉かなとと思ったのですがよく見ればナマズです。ここは川魚を食わす店で、ただいま準備中。本日のメニューはなまずのフライと『ひっこがし汁』。なまずは滅多に食べることのない魚ですが美味! 11時から売り始めるそうなのであとで戻ってきていただきましょう。

ひっこがし汁ひっこがし汁

11時半に戻ってくると、なんとフライはすでに売り切れ! そこで『ひっこがし汁』をいただきます。

ひっこがし汁はなまずの身と大根、小松菜などからなる味噌ベースのお汁。『ひっこがし』は『ひっこがす』から来ており、これは『剥ぐ』という意味の方言だそうです。骨から身をひっこがすために、なまず君はグラグラ煮だった鍋の中にドボンと放り込まれたようです。美味しかったですが。

鍛冶屋鍛冶屋

奥に炎が見えるここは鍛冶屋さん。おじいさんと子供がなにやらトンテンカンテンやっています。和釘を打っているところでした。

おじいさんはどうやらここの主の鍛冶職人で子供は和釘作りの体験をさせてもらっているようです。ふいごを使って火をおこし、真っ赤に鉄を熱して、金槌で打つのです。

梅のつぼみ梅のつぼみ

ざっと商家の町並みを巡ったあとは武家屋敷へ向かいます。今年の冬はここ数年で見ればかなり気温が低く、寒い日が続いています。そんなわけで梅の花もまだ蕾が硬いですね。

武家屋敷武家屋敷

武家屋敷にやってきました。腕木門(うでぎもん)をくぐると小さな家が目に入ります。え〜、これが武家屋敷・・・普通の家じゃん というのが本当のところの感想です。世の中に多く残る武家屋敷はかなり上級の武家のものが多いので、そうしたものばかり見てくるとこうした印象を受けることになります。

この武家屋敷は佐倉市宮小路の武居家(たけいけ)をモデルに再現したものです。1865年(慶応元年)の記録によれば、当時このモデルとなった屋敷に住んでいたのは小納戸部屋番で石高90石の中級武士でした。

災いよけ災いよけ

小納戸部屋番とは藩主の身の回りの世話や奥向きの雑務などする役職で、90石は単純に換算はできないものの、現代の年収では400〜600万円程度と考えられます。平均かそれよりはちょっと良いかもしれないけれど、裕福とまでは言えない、そんな階級の武士の家ということですね。

武家屋敷では甲冑と打掛の試着ができ、家族連れがちょうど申し込みをしているところでした。武家屋敷はこの一軒だけなのでさっと巡っておしまい。次は農家巡りです。

災いよけの解説災いよけの解説

頭の上に面白いものがぶら下がっています。災避けだそうです。藁で作られており、人形のものや海老、蛸なていうものもあります。それぞれに意味があるようですが、蛸の場合はたくさんの足で怖がらせるとあります。昔の人は蛸が怖かったのでしょうかね。

上総の農家上総の農家

有料ゾーンにある農家は3軒でいずれも移築ではなく再現、つまり実在する農家をモデルとし伝統的な工法で新築しています。

上総の農家は敷地2,500㎡、主屋・土蔵・長屋門・馬小屋・納屋・木小屋・作業小屋・井戸の8棟構成という立派なものですが、2軒の農家をモデルにしており、実在するものとは構成が異なります。

主屋は1857年(安政4年)築の大網白里市砂田(いさごだ)の秋葉家主屋がモデル。

上総の農家の軒先上総の農家の軒先

土間の上に低い2階があるのが特徴です。この2階部分は板敷で、奉公人の部屋として使われていたようです。

軒は船枻(せがい)造りといい、出桁(だしげた)を腕木(うでき)で支え天井板を張ったものとなっています。船枻は和船の舷に張り出した櫓を漕いだり棹をさしたりする部位のことです。

また茅葺き屋根の軒先は、茨城県の筑波山周辺で見られる筑波流と呼ばれる葺き方に近い仕上がりになっています。上総と筑波はそう遠くありませんね。

かまどかまど

農家には必ずあったのが土間です。土間はその名の通りに土の床の部屋で、農作業をしたり藁製品を作る作業場として使われました。

煮炊きはその中に設えられた竃で行われました。左手の壁には現代で言えばカッパ、蓑が掛けられています、

竹馬竹馬

長屋門・土蔵・馬小屋・納屋・木小屋は市原市栢橋(かやはし)の内藤家のものがモデルだそうです。

昔の遊び道具の紹介として、庭に竹馬と孟宗竹馬が置かれていました。サイダーとコテッチャンは果敢に竹馬に挑戦。残念ながら二人とも半世紀前の栄華は取り戻せないのでした。(笑)

農村歌舞伎舞台に展示された雛人形農村歌舞伎舞台に展示された雛人形

豊かな農村では歌舞伎が行われ、そのための舞台があるところもありました。今は歌舞伎の季節ではないようで、農村歌舞伎舞台にはたくさんの雛人形が並べられていました。

上総掘りの井戸掘り櫓上総掘りの井戸掘り櫓

これは『上総掘り』と呼ばれる技術の井戸掘り櫓です。

上総掘りは基本的には鉄管を人力で突き下ろして掘り進む工法です、水車のようなものは『ヒゴクルマ』と呼ばれるもので、この中に人が入り踏み板を踏んで鉄管の引き上げを行います。

下総の農家長屋門下総の農家長屋門

下総の農家は成田市堀之内の平山家をモデルとしたものです。敷地2,200㎡、主屋・土蔵・長屋門・灰小屋・木小屋・作業小屋の6棟から成ります。

長屋門は武家の門として発生した形式ですが、時代が下ると庄屋や農家でも造られるようになります。長屋門を備えることからこのモデルは名主クラスの家だったことがわかります。

下総の農家主屋下総の農家主屋

間口10間、奥行6間という大きな農家です。形状は比較的シンプルですが、正面右側の屋根がわずかに切り取られたように上がっているのが特徴でしょうか。

ベーゴマベーゴマ

ここに置かれていたのは独楽とベーゴマ。普通の独楽は少し練習すれば誰でも回せるようになりますが、ベーゴマはその3倍くらいの修練が必要でしょう。昔取った杵柄でサイダーがベーゴマに挑戦。

しかし紐がきっちり固く巻けずにうまく回らないのでした。半世紀超えのハンディキャップはやはり大きいのでした。

ナタマメナタマメ

ここの外壁には『刀豆』が吊るされていました。刀豆はナタマメと読み、鉈豆の文字が当てられることの方が多いかもしれません。また帯刀(タテワキ)とも呼ばれます。

この豆は福神漬けなど食用にされており、お茶でも飲まれます。鞘の大きさは30cm近くになり、蔓性の樹高は5m以上になります。巨大〜

南羽鳥南羽鳥

房総のむらはなかなか手強く、見学予定時間を30分もオーバーしてしまったので、そろそろ引き上げなければなりません。

時は正午近くになっているのでそろそろ昼食をと思って、コテッチャンがドラムの里のカレーが美味かったというのでそこへ行こうと思いましたが、残念ながら食堂の営業はやめたと言うので先へ進み、国道408号線に出たところの食堂で蕎麦をいただきました。

長沼の用水路沿い長沼の用水路沿い

さて、午後の部は佐原を目指してカントリーロードをどんどこ。

筑波山筑波山

ここは関東平野。そのランドマークは筑波山! 少し開けたところへ行くとこの山は、関東平野の真っ只中にたった一つポツンと鎮座しているように見えます。

磯辺集落磯辺集落

このあたりは下総台地と呼ばれるところで、標高は低いものの台地が続いています。その台地は長い年月を掛けて風雨などによって侵食され、谷戸を作り出しました。台地の上と下の谷戸を行き来すると大変なので、基本的には谷戸に沿って進んでいくことにしました。

ここは谷戸と台地の接線あたりで、磯辺という集落が作られています。このお宅はきれいな槙の木の生垣です。

尾羽根川の谷戸と内宿集落尾羽根川の谷戸と内宿集落

谷戸はその辺りでは一番の低地なので、その中央部には必ず川が流れています。この谷戸の中央を流れるのは尾羽根川で、その向こうに内宿の集落が見えます。

集落の向こう側がこんもりと高くなっているのがわかるでしょうか。あれが台地です。

助崎城東門(移築)助崎城東門(移築)

圓通寺というお寺にやってきました。ここには門が二つあり、総門である大きな方はこのすぐ近くにあった助崎城の東門と伝わります。

屋根には平安時代末期から中世にかけて房総半島を中心に栄えた豪族である千葉氏の家紋『月星紋』が見えます。

ワット・パクナム日本別院ワット・パクナム日本別院

地図を見ていて面白いものを発見。このあたりにタイのお寺があるようなのです。予定のルートからあまり離れていないので行ってみることにしました。

谷戸から上って工業団地のようなところを抜けると、あっと驚く光景が。畑の向こうにタイのあのツンツンした屋根のお寺がバーンと出てきました。

ワット・パクナムとコテッチャンワット・パクナムとコテッチャン

このお寺はバンコク南部のトンブリー地区にあるワット・パクナムの日本別院です。バンコクのワット・パクナムはアユタヤ王朝時代に建立されましたが、巨大な黄金仏や大仏塔の宇宙空間のような天井画など、かなり派手なお寺です。

その日本別院ですからちょっと興味が湧きます。門を入るとまずはひょうきんなお坊さんの像の間で記念撮影ができるようになっています。

ドラを鳴らすサイダードラを鳴らすサイダー

そしてその向かいには巨大なドラ。このドラのうしろには鐘がぶら下がっており、これも叩くことができます。

お坊さん像とコテッチャンお坊さん像とコテッチャン

その手前の吹きさらしのお堂?にはこのお寺の開祖なのか、お坊さんの像が鎮座しています。これが本物そっくりでちょっとびっくりで、コテッチャンは本当に本物じゃあないのか至近距離まで近づいて観察していました。(笑)

ハヌマーンハヌマーン

さて、そろそろ本堂に向かいましょう。本堂の前ではお猿のハヌマーンがお出迎え。

ハヌマーンはインドの叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する猿の神様でヒンドゥー教の神様として知られていますが、タイではこの『ラーマーヤナ』を題材とした宮廷舞踊劇『コーン』が盛んであるなど、ハヌマーンはタイの文化に深く根付いています。またタイの仏教はヒンドゥー教の神々を仏教の守護神として取り入れるなど、他の宗教の要素を寛容に受け入れる特徴があります。ハヌマーンもそうしたもののうちの一つなのでしょう。

ワット・パクナム本堂ワット・パクナム本堂

これがワット・パクナム日本別院の本堂です。かなり新しく見えますが建築は1998年だそうです。

金ピカの仏像金ピカの仏像

内部には例によって金ピカの仏様がいらっしゃいました。

いや〜、ここは完全にタイですね〜

行き止まり行き止まり

ワット・パクナムに驚いたら佐原に向かいましょう。ワット・パクナムの先に道が続いていたので行ってみたのですが、これは行き止まりで残念。戻ってやり直し。

モトクロスパークモトクロスパーク

山の中からウィンウィ〜ンとけたたましい音が聞こえてきます。いったい何事かと思ったら、道の脇の森からモーターバイクが飛び出してきてびっくり。ここはモトクロスのパークらしいです。こんなところにこんなものがあるのかとちょっとびっくりです。

大須賀川の谷戸大須賀川の谷戸

モトクロスパークから下って大須賀川の谷戸に入りました。

この週末は風が強く、昨日は7m/s、今日はそれよりは少し穏やかですが5〜6m/sの予報です。森の中は風が遮られるのであまり問題ないのですが、谷戸は風向きによっては厳しくなります。

遅れるサリーナ遅れるサリーナ

ここは谷戸が合流するところで風を遮るものがなく、サリーナはちょっと厳しいです。

しかしこのあとすぐに追い風方向に進路が変わって助かりました。

大戸池大戸池

佐原がだいぶ近づいてきてそのすぐ西にある大戸に入りました。大戸には鴨が浮かぶ大戸池があります。最近鴨に恋っているサリーナは大喜び。ここにいたのはオオバンともう一種ですが、もう一種の方は私たちが近づくと遠くへ逃げてしまったので種類はわかりませんでした。

大戸は谷戸の縁にあり、ここから佐原へ向かうには谷戸を下って成田線の線路に沿って行くか、丘を上って谷戸を渡るかの選択です。前者は必然的に町を通ることになるので私たちは後者を選択。しかしここからの上りはかなりきついのでした。

大戸神社大戸神社

大戸の丘の上には香取神宮の境外摂社である大戸神社があります。香取神宮は平安時代に成立した『延喜式神名帳』では、三つしかない神宮の一つとされる由緒あるものです。ちなみにあとの二つは伊勢神宮内宮と鹿島神宮。ここはその神宮の摂社とあって、遅くとも7世紀には創建され、この地に社殿が造営されていたようです。

香取街道/佐原中央商店街香取街道/佐原中央商店街

大戸神社からは一気に下って佐原の街に入れるのかと思いきや、そうは問屋が卸さず、谷戸を二つ渡り、さらに上って下ってようやく佐原の諏訪神社の参道にたどり着いたのでした。

さて、ここからは佐原の街の散策といきましょう。香取街道を行くと伝統的な造りの家々が建ち並ぶようになります。

三菱館三菱館

佐原の街は江戸時代後期になると利根川舟運の中継地として栄えるようになります。小野川周辺には現在も当時の古い建物が残っており、その一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

この三菱館はそうした中では珍しく洋館で、川崎銀行佐原支店として1914年(大正3年)に建設されました。煉瓦造の2階建ですが、屋根は木造で銅板葺。

小野川小野川

小野川の畔に出ました。到着予定時刻を30分過ぎており、時はすでに16時半。陽はかなり傾いています。

小野川には小さな木造の観光船があるのですが、今日はすでに営業を終えたようで川面には一隻も浮かんでいません。

この小野川沿いには江戸時代に日本全国を歩いて測量し、日本で初めて実測日本地図を完成させた伊能忠敬の旧邸があります。しかしその見学時間はちょうど終わったところでした。

伊能忠敬旧邸伊能忠敬旧邸

忠敬は酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいた伊能家に1762年(宝暦12年)、17歳で婿入りしました。小野川に面した伊能忠敬旧邸の店と門は忠敬が婿入りする前からのものだそうで、佐原でもかなり古い部類に入ります。

忠敬は1794年(寛政6年)に家業を長男に譲って隠居し、翌年には江戸に出て日本地図の作製という第二の人生を始めました。

樋橋と伊能忠敬旧邸の向かいの景色樋橋と伊能忠敬旧邸の向かいの景色

伊能忠敬旧邸の前には樋橋(とよはし)が架かります。

ここには江戸時代前期に作られた佐原村用水を小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋が架かっていました。それは300年近く使われ、戦前にコンクリートの橋が架けられてからもその下に付けられ、あふれた水を小野川に落としていたそうです。現在の橋は観光用として作られ、毎正時と毎30分に水をジャージャーと吐き出します。

小野川沿いを行くサリーナ小野川沿いを行くサリーナ

『佐原には何遍も来ているけれど、この時間帯にゆっくり眺めるのは初めてかな。人が少ない夕暮れ時もいいわね!』 とサリーナ。

中村屋商店中村屋商店

樋橋を渡って小野川の左岸を下って行くと香取街道の忠敬橋の袂に中村屋商店があります。

店舗を兼ねた住宅は江戸時代末期の1855年(安政2年)建築と伝えられ、2階は軒下を張り出した船枻(せがい)造りです。手前に見える土蔵は1892年(明治25年)の大火後に建築された3階建てで、変形敷地のために変形の切妻屋根となっています。

金蜜堂付近金蜜堂付近

佐原には新しい店舗が結構増えているようで、前回は見かけなかったお店がいくつかオープンしていました。

あかりが見えるのはさつまいも農園が経営する洋菓子店の金蜜堂で、芋パフェが人気のようです。

正上醤油店正上醤油店

その隣は1800年(寛政12年)創業という江戸時代から醤油の醸造をしていた老舗の正上(しょうじょう)醤油店。現在は佃煮の製造販売が主で『いかだ焼本舗 正上』となっています。

店舗は1832年(天保3年)建築と伝わり、土蔵は明治時代前期の建築で、その前を流れる小野川の川岸にはかつて荷揚場だった『だし』が見えます。

雛人形が飾られた『だし』雛人形が飾られた『だし』

小野川沿いにはこうした『だし』がいくつも設けられていました。今日はそこに雛人形が飾られています。まだちょっと早いですが雛祭りはもうすぐですね。この雛人形は『佐原おかみさん会』が用意したもののようです。

だしを眺めながら進むコテッチャンとサリーナだしを眺めながら進むコテッチャンとサリーナ

正上醤油店の対岸をだしの雛人形を眺めながらゆっくり進んでいきます。

布袋様と虎徹布袋様と虎徹

だしの向かいには布袋様がおられました。どういう言われかはわかりませんが、この小野川縁には七福神があちこちにいらっしゃいます。

共栄橋付近より小野川上流を望む共栄橋付近より小野川上流を望む

さらに小野川を下ります。

中橋付近中橋付近

中橋付近にもだしがありました。

この橋の先に見える民家の中には比較的新しく建てられたものもあるようですが、どれも街並みを意識してか伝統的な意匠になっており、好感が持てます。

格子戸が続く家格子戸が続く家

その向かいの家は格子戸が長〜い!

『やま川』内観『やま川』内観

以上で佐原散策は終了。いざ『うなぎ』に突入だ!

うな重ににっこりの虎徹とサリーナうな重ににっこりの虎徹とサリーナ

今回は線路の北側の『やま川』へ。

待つこと30分間。そしてにっこりの虎徹とサリーナ。

うな重うな重

バーンと、うな重だっ!

佐原駅佐原駅

うまかったっす!


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