浮間公園
都心の桜ポタリング第二弾は安行桜。この桜は染井吉野より一週間ほど早く咲きます。
春の定番コースとなったこのルートの出発地は北区と板橋区の境にある浮間公園。鴨が泳ぐ大きな池と風車をモチーフにしたオブジェ?があります。
本日の参加メンバーは左より、レイナ、サリーナ、マージコ、コテッチャン、コンタ。カメラはいつものサイダー。
浮間公園の池の畔を行く
その風車の足元を通り、池の畔を進んでいきます。
浮間公園の染井吉野
浮間公園は染井吉野の並木がありますが、この蕾は固く、しばらく咲きそうにありません。
荒川サイクリングロード
浮間公園のすぐ北には荒川が流れており、その土手上には自転車乗りには有名な荒川サイクリングロードが設けられています。
このサイクリングロードを気持ちよくどんどこ下って行くのは、出発時間ぎりぎりでやって来たミッチー。
荒川と対岸川口の超高層ビル群
荒川の河川敷にはゴルフ場が広がり、対岸の埼玉県川口市には超高層のビルが何本も立っているのが見えます。
土手の芝桜とエルザタワー
JRの線路をくぐると、土手の斜面がうっすらピンク色になっています。芝桜です。
対岸の超高層マンションは1998年竣工のエルザタワー55で、その名にあるように55階建です。川口市で最初に建てられた超高層建築は川口駅西口に1994年2月に竣工した29階建のスカイフロントタワー川口だと思いますが、このエルザタワーはその倍近い階数だったので当時はかなり話題になりました。
芝桜
今年は桜同様にこの芝桜も開花が遅いようでまだほんの咲き始めですが、一部はこのような具合で咲いています。
二つの岩淵水門
荒川を下っていくとオレンジ色と水色の水門が並んでいます。隅田川との間にある岩淵水門です。通称赤水門と呼ばれている手前側のオレンジ色のものは旧水門で、向こう側の通称青水門と呼ばれている水色のものが現行の水門です。
サリーナと芝川水門
青水門の上を通って進めば、対岸には新芝川の出口にある芝川水門が見えます。
今日はこのあと荒川を渡って、あの芝川水門から新芝川沿いに入っていきます。
荒川サイクリングロードを行く面々
エルザタワーをうしろに、サリーナ、レイナ、コテッチャンと続く。
鹿浜橋
鹿浜橋を渡って対岸へ。
鹿浜橋より荒川下流を望む
広〜い荒川!
東京スカイツリー
対岸の足立区側から南東を見れば、荒川の遥か先に東京スカイツリーがスクッと立っています。
都市農業公園へ
さて、都市農業公園で一休みして身支度を整えましょう。右手の桜並木の奥が都市農業公園、先に見えるのが芝川水門です。
都市農業公園角に咲く杏
都市農業公園の角にはきれいなピンク色の花が咲いていました。近くの表示によるとこれは杏のようです。この時期は梅、桃、杏と似たような花が咲くので賑やかですが、私には見分けるのはちょっとむずかしいです。
新芝川と芝川水門
都市農業公園で一休みしたら新芝川沿いに入ります。この入り口付近の並木は染井吉野で、これは浮間公園同様に開花まで今しばらくかかりそうです。
芝川自転車道を行くコンタ
この新芝川沿いの道は芝川自転車道で、車が通らないので安心して走れます。
宇都宮方面からやって来るコンタはこのあたりだと参加しやすいようなのですが、これまでこのコースを走ったことはないと言い、今回が初めてだとか。早咲きの安行桜は聞くのも見るのも初めてで楽しみにやって来ました。
芝川マリーナ水門
新芝川がほぼ直角に曲がると、すぐ先にアーチ橋の南平大橋(なんぺいおおはし)が見えてきます。その先の茶色の構造物は芝川マリーナ水門で、その足元に濃いピンク色の木が見えます、
芝川マリーナ横の安行桜その1
芝川マリーナ水門の中は芝川マリーナでヨットやレジャーボートがたくさん並んでいます。 その横の新芝川側の並木が、先ほど濃いピンク色に見えた安行桜です。
芝川マリーナ横の安行桜その2
この日それはほぼ満開で、メジロがたくさん蜜を吸いにやってきています。
芝川マリーナ横の安行桜その3
まだ午前中でそう日が高くないからか、花の開き加減は6-7分程度でおしとやかに見えます。
安行桜の下で
ここでユッキーが合流。左から、ミッチー、マージコ、コテッチャン、サリーナ、コンタ、ユッキー、レイナ。
ひとしきり安行桜とメジロの乱舞を眺めたら、その下を通って先へ進みます。(TOP写真)
安行原の寒緋桜
安行桜の『安行』は川口市の地名です。その安行の名が付く安行原にやってきました。紅と言ってよいのか、濃い赤の花が民家に庭先に咲いています。これは寒緋桜で、別名を台湾桜とも言います。原産地は台湾と中国大陸南部で、この独特の色以外に、早咲きで下向きに咲くという特徴があります。
安行原の安行桜
そして大きな安行桜も。安行桜は沖田さんという方が発見したそうですが、この大きな木があるところは沖田園という造園業の会社のようですから、発見者と関係があるのかもしれません。
安行原の蛇造り
これらの桜の木の先にはちょっと妙なものがあります。標識に『安行原の蛇造り』とあります。
ケヤキの大木の横に藁で作られた大蛇が飾られています。
藁の大蛇
これは、五穀豊穣、天下太平、無病息災などを祈願したもので、蛇の長さはなんと10m! 毎年5月24日にその祭りが執り行われるそうです。
安行原自然の森
蛇造りから東へ向かい密蔵院の入口付近までやってくると、そこは『安行原自然の森』で、安行桜がたくさん!
密蔵院参道
『安行原自然の森』の横が密蔵院です。
密蔵院参道の安行桜
ここの安行桜もほぼ満開ですが、まだ完全に開き切っていない状態です。
安行桜アップ
この桜は寒緋桜と大島桜を親に持ち、染井吉野より一週間ほど早く咲き、花は赤みがやや強く、少し小ぶりで、花付きが多いという特徴があります。
ピーク時はモコモコという感じで圧倒的なボリュームを感じますが、今はまだおしとやかですね。
密蔵院山門
参道を進んで行くと石の寺標が立ち、その先に山門が現れます。扁額には『海寿山』とあり、その横にも安行桜が枝を伸ばしています。
奥に本堂
奥には本堂が立っています。その本堂まで続く参道は『四国八十八ヶ所お砂踏み』になっています。
本堂前より西を望む
境内には桜の花がいっぱい。手前の赤い花は緋寒桜ですね。
密蔵院北側の小径
密蔵院で安行桜をたっぷり眺めたら、すぐ近くにある興禅院へ向かいます。
いつもは南側の県道でアプローチするのですが、この日はかなりの人出だったので、反対の北側の小径を行きました。
小径の桜
この小径は小さな水路沿いを行きますが、その水路のすぐ向こう側が密蔵院で、小径からも密蔵院の桜が眺められます。
興禅院弁財天
興禅院へ北側から入るとすぐ弁財天があります。
弁財天といえば白蛇ですが、ここには狛犬ならぬ狛蛇がいます。日本では蛇は弁財天の使者とされており、白蛇は弁財天の化身と言われています。 蛇は古くから水や豊穣を象徴する存在であり、弁財天の水の神としての側面を強調する存在と考えられているそうです。 また、蛇は再生や変化を象徴する生き物でもあり、弁財天の『豊穣と繁栄をもたらす神』としての性質を補完しているとされます。
リュウキンカ
弁財天にお参りしたら本堂へ向かいましょう。
この興禅院は花の寺として知られ、あちこちにちょっと珍しい花が咲いています。これはリュウキンカ。茎が直立して黄金色の花を付けることから『立金花』という名になったようです。山地の水辺から高層湿原に掛けて、よくミズバショウといっしょに生息しています。
モクレン
これは真っ白なモクレン。
モクレンによく似た花にコブシがありますね。これらの違いは、モクレンは花が10cmほどと大きく、上向きに咲き、花びらは開ききらないのに対し、コブシは花は5cmほどで、横向きと上向きとバラバラに咲き、花びらは開き切ります。
あとモクレンは花と同時にその付け根に葉っぱが1枚付きます。
石仏群
このお寺は花以外に古い石仏もたくさんあります。
抱かれ地蔵
墓地の奥のスダジイの木の下には小さなお地蔵様がいらっしゃるのですが、なんとそのお地蔵様は木の幹に包まれ、呑み込まれそうになっています。
この木は確実に成長しており、かつて撮った写真と見比べると、お地蔵様の見える面積がだんだん小さくなっていくのがわかります。いつかは完全にこの木に呑み込まれてしまうのでしょうか。
サンシュユ
早春に黄色い花を咲かせる木としてはロウバイが有名ですが、このサンシュユも悪くありません。面白いことに秋には、グミの実に形がよく似た、それはそれは目を見張るような真っ赤な実を付けます。
こんにゃくの花
これが何の花かわかる方はそう多くはないでしょう。これはこんにゃくの花です。そもそもこんにゃくが多年生植物だということを知らない方も中にはいるかもしれません。
こんにゃくは地面から茎を伸ばし、その先端に巨大な花を咲かせるのですが、高さは1m以上にもなります。その花が終わると地下から葉を出します。
こんにゃくの花は実はその栽培農家でもあまり見ることはありません。なぜならこんにゃくは3年間育てて出荷するのですが、花は4年以上育てられた芋からしか咲かないからです。とにかくこれは滅多に見ることができないものですね。
興禅院の安行桜とモクレン
ここは密蔵院の作り込まれたに庭とは違って、より自然な姿の庭づくりをしていて、対照的なのがおもいしろいです。
桃の花
興禅院で石仏と花を楽しんだら、次は三重塔がある西福寺へ向かいます。
道端には桃色の花が。桃でしょうか?
西福寺三重塔
西福寺の三重塔は元禄6年(1693年)の建立で、その高さは約23m。県下でもっとも高い木造建築だそうです。
『阿』と三重塔
ちょっと面白いことにこの三重塔の下には金剛力士像の『阿形(あぎょう)』像と『吽形(うんぎょう)』像が置かれています。これらは一般的には山門の中にあることが多いですが、ここは山門がないので像だけが置かれているということなのでしょう。
ととのの天ざるそば
時はちょうど正午。ここら辺でお昼にしましょう。この前見つけておいしかったお蕎麦屋さんで、天ざるそばをいただきました。
伝右川桜並木
さて、午後の部は伝右川の桜並木から。
この川は川口市と草加市の境を流れており、両側ともに桜並木なのですが、その樹種が違うのが面白いです。
左川口市側:安行桜、右草加市側:河津桜
左の川口市側は安行桜、右の草加市側は河津桜で、この時はどちらもほぼ満開で凄いことになっています。
伝右川の桜を眺める面々
こうして見ると安行桜より早く咲く右の河津桜の方が色が濃いですね。
伝右川の河津桜の下で
川口市側の安行桜の下を行き、橋を渡って草加市側の河津桜の下にやってきました。この桜並木はこのあたりの500mほどの区間だけのようですが、ちょっとした見応えがあるものでした。
河津桜アップ
河津桜も安行桜と同様に花は一重なのですが、花びらがひらひらで重なりが大きく、また花付きが多く密度が高いので、かなり豪華に見えます。
伝右川の草加市側を行くコンタ
伝右川の桜並木に満足したら、見沼通船堀へ向かいます。
源左衛門新田の家
このあたりは見沼という地域で、少し前までは見沼たんぼと呼ばれていました。元々は見沼という沼地でしたが、江戸時代は8代将軍徳川吉宗の時代に、江戸の胃袋を支えるため新田開発が行われたのです。
今走っているところの地名は源左衛門新田といい、江戸時代に開発された新田の名がそのまま残っているようです。このあたりには地名に新田の名が付くところがいくつも見られます。
見沼通船堀
見沼には新田の開発のために見沼溜井という灌漑用の溜池が作られました。この溜井で下流の灌漑は成功しましたが、その一方で多くの田畑が水没することになりました。さらにその後、土砂堆積で溜井の貯水能力は低下し、水害も頻発するようになったのです。
そこで溜井に代わる水源として見沼代用水が開削されました。この用水路は利根川から60 kmにわたり開削するという大工事でしたが、吉宗はわずか1年で完成させたようです。
見沼通船堀東縁
見沼代用水は見沼たんぼの東縁と西縁の台地に沿って掘削されたため2本あり、それぞれ見沼代用水東縁、見沼代用水西縁と呼ばれています。
閘門が見える水の流れがない運河
見沼溜井は八丁堤[長さが8町(約870m)あったことから]という堤を造ってこれを締め切ることで水を貯めていましたが、この堤は必要なくなったので廃止され、そこに見沼通船堀が開削されました。見沼通船堀は東西の見沼代用水と芝川とを結ぶ運河で、1731年(享保16年)に造られました。
これにより見沼と江戸とを結ぶ見沼通船が開通し、米の運搬ができるようになると同時に、見沼代用水流域の川船輸送の発達にもつながっていくことになります。
閘門
芝川は見沼でもっとも低いところを流れていた川で、見沼たんぼの落ち水を排水する役割を持っていました。この芝川と見沼代用水とは3mの水位差があり、これらをそのまま繋いだだけでは水流が強すぎて船が通れないため、見沼通船堀には閘門が設けられました。閘門とは船のためのエレベーターで、これはかの有名なパナマ運河にもあります。
見沼通船堀は芝川から見沼代用水東縁までは390m、西縁までは650mほどあり、それぞれを見沼通船堀東縁、見沼通船堀西縁と呼んでいます。閘門はこのそれぞれに一組づつ、合計4門あります。
芝川
これが東西の見沼代用水の間にある芝川の流れです。見沼通船はここから荒川へ出て、江戸に繫がっていきます。
鈴木家住宅
見沼代用水の通船差配権はそれまで新田開発に尽力した二つの家与えられました。その一つが八丁橋の少し西にあるこの鈴木家です。
鈴木家の米蔵と納屋
差配とは具体的には各船に対する積荷や船頭の割り振りなどを行うことで、時代が下り文政年間(1818年-1830年)になるとこの業務は八丁会所という事務所に出向いて行われるようになります。そのため鈴木家は住まいを江戸から現地に移しています。
現在の鈴木家の主屋を始めとする建物はこのころ建てられたものと考えられています。
ひらた舟
これは通船に使われた『ひらた舟』という船の1/2縮尺模型です。
見沼通船堀公園の竹林を行くサイダー
鈴木家を見学させてもらったら見沼通船堀西縁を行き、見沼通船堀公園の竹林の中を進みます。
見沼代用水西縁
見沼通船堀公園の先には見沼代用水西縁が流れています。ここからはこの流れに沿って北上します。
見沼通船堀沿いも二つの見沼代用水沿いも染井吉野の桜並木ですが、これはまだ。しかしあと半月もすれば、ここら一帯は桜の洪水となります。
花桃畑
その見沼代用水西縁の横の畑に桃色の花が咲いています。きっとこれは花桃でしょう。
桜畑の横を行く
代用水沿いを離れ畑の中を進めば、ここは桜の木の畑です。
現在の見沼に田んぼはほとんどなく、多くが畑か耕作放棄地となっています。それは1970年(昭和45年)からの米の生産調整により、水田から畑地への転換を余儀なくされたからです。
見沼氷川公園のかかし像
見沼氷川公園に到着。ここには『山田のかかし』像が立っています。山田の中の一本足のかかし・・・で始まるあの歌は『かかし』という題名だそうです。この作詞者はこのあたりで生まれ育ったようで、『かかし』は見沼たんぼに立つかかしを歌ったものというのが定説になっています。
見沼氷川公園の河津桜
そのうしろには河津桜が咲いています。
見沼氷川公園の河津桜アップ
その河津桜の下でしばし休憩。
氷川女体神社
見沼氷川公園の横には氷川女体神社があります。女体神社ということは男体神社もあるのか。はい、あります。それは大宮の氷川神社です。この氷川神社の主祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)で、こちらの氷川女体神社のそれは須佐之男命の妻である奇稲田姫命(いなだひめのみこと)なのです。
そして面白いことに見沼にはもう一社、中山神社(中氷川神社)があり、これは別目を氷王子社といい、大己貴命(おおなむちのみこと)を祀っています。大己貴命とは大国主(おおくにぬし)のことで、これは須佐之男命と奇稲田姫命の子孫です。つまり氷川神社が夫、氷川女体神社が妻、そして中山神社が子(あるいは子孫)と解釈されてきました。これら三社で武蔵国一宮を形成しているとも言われています。面白いことに、これら三社を地図上で見ると一直線上に並んでいることがわかるでしょう。
芝川の土手を行くユッキー
女体神社にお参りしたら、芝川の土手に上ります。この土手の上は自転車道のようになってはいるのですが、橋ごとに下に降りなければならないのが難点です。
芝川から大宮の超高層ビル群を望む
先に超高層のビル群が見えてきました。あそこが本日の終着地の大宮です。
大宮は盆栽で有名で、最近では海外からわざわざそれを目当てに来られる方もいるほどです。関東大震災の後、壊滅した東京を離れた盆栽業者が盆栽の育成に適した土壌を求めてやってきたのが大宮で、1925年には大宮盆栽村ができています。今年はそれからちょうど100年目になります。今日では大宮盆栽美術館が立ち、その周辺にはいくつもの盆栽園や造園業者が集まっています。
樹木畑の中を行く
そうした大宮に近いからという理由もあるのかもしれませんが、見沼の畑には樹木を育てているところが多いように思います。
円蔵院の大イチョウと河津桜
今年の桜は遅いのでまだ咲いていないのはほぼ確実なのですが、近くの円蔵院に枝垂れヒガン桜があるので行ってみます。このお寺には高さ約26m、目通り約4.5mのイチョウの大木もあります。
その入口の近くでは河津桜が咲いていました。
円蔵院の河津桜
今回は河津桜をあちこちで見掛けましたが、全体としてピークを少し超えたものが多かったと思います。
円蔵院の枝垂れ桜
門を潜って中へ入ると、大きな枝垂れ桜が立っています。この木はようやく蕾がちょっとだけ膨らんできたところです。
奥にある枝垂れヒガン桜の方は、蕾があるだけで、まだ膨らみだしていないという段階。
芝川の土手を大宮へ向かう
さて、これで本日の桜巡りは終了。大宮へ向かいましょう。
大宮公園の舟遊池
ここは桜で有名な大宮公園ですが染井吉野なので他と同様に、まったく咲いていません。
氷川神社
大宮公園の一角に男体社である氷川神社が立っています。ここは中には入らずに山門の前で参拝を済ませました。
氷川神社の鳥居
さて、これで本日のポタリングは終了。大宮駅へ向かいましょう。
反省会
大宮駅前でいつものように反省会に突入! 柄にもなく食べ放題!!
密蔵院の布袋様