小山駅
東京都心での花見の宴から約1週間。そろそろこちらも見頃かな、と栃木の花見企画が緊急発動です。
スタートはJR宇都宮線の小山駅。西口駅前のチューリップ?のオブジェの前に集うのは左から、早起きできた~のレイナ、私は地元のベネデッタ、実は太平山は初めてのサリーナ、お久しぶりねのレイ、そして動画撮影にハマるコテッチャン。カメラはいつものサイダー。
祇園城通りの桜並木
駅前の祇園城通りには思川桜の並木があります。淡いピンクの思川桜は小山市原産の桜で、開花は染井吉野より1週間ほど遅いとか。このところ寒い日が続いたこともあり、まだちらほらという感じ。
『まだちょっと早いね~』『でも染井吉野はちょうどいいんじゃない?』などと言いつつ祇園城通りを西に進みます。
城山公園に到着
すぐに城山公園に到着。ここは中世に栄えた小山氏の城跡で、小山城は別名祇園城とも呼ばれ、これが駅前通りの名前になっています。
思川を望むところにウッドデッキの展望スペースが設けられており、そこで小休止。
思川の先に日光連山
そのウッドデッキから北西方向を見渡せば、思川のはるか先に聳えるのは雪を被った日光連山。左は日光白根山、中央に男体山、そして右は女峰山。
『おおお~』とこの風景にしばし見惚れる面々。今日は快晴で日差しもポカポカと暖かく、絶好のポタ日和です。
城山公園の桜
城山公園には染井吉野の高木もあり、こちらは満開。桜を愛でながら本丸の周辺をぐるっと回ります。
公園を出て思川にかかる観晃橋を渡ったら、右岸の土手道へ。
思川の土手道
思川の土手道は視界が広がり気持ちいい。けれど、ここに植えられている桜は思川桜。残念ながら、まだほとんど咲いていませんでした。
豊穂川沿いの桜並木
それでは、と思川の土手を降り、白鴎大学グラウンドの横を通って豊穂川へ。
豊穂川沿いには2kmに渡って染井吉野が植えられており、こちらは満開。左岸の自転車道はほとんど誰もおらず、ジオポタ独占状態です。『最高ですね~』とベネデッタが引く。
菜の花と桜
もったいないのでゆっくり行きましょう。途中から菜の花の黄色も加わり、あたりは春爛漫です。
サイダーのカメラで記念撮影です。あれ、ひとり足りない? コテッチャンは走りながら満開の桜を動画で撮るため、どんどん先行しているのでした。
菜の花と桜2
桜は川面に枝を伸ばし、時々濃いピンクの桃なども植えられています。
青空の下、ピンクのグラデーションに鮮やかな黄色。豪華な春の風景を楽しみながら走ります。
麦畑を走る
豊穂川沿いの自転車道が終わると、広い畑に出てきました。美しい緑の絨毯は麦です。
穂が出てきた麦
小山市は、実は全国でも有数の麦の産地で、主にビールの原料となる二条大麦や、うどんの材料となる小麦が栽培されているそうです。
畑の麦は、ちょうど若々しい穂が出てきたところ。これは美味しいビールになる二条大麦かな。
正面に太平山
畑をしばらく北上して左折すると、このあと上る太平山(おおひらさん)を含む山々が正面に見えてきました。
太平山に行く前に、巴波川(うずまがわ)に沿って栃木の中心部の蔵の街を目指します。
巴波川を渡る
巴波川に出て小さな橋を対岸に渡ると、その向こうの土手には黄色い菜の花がびっしりと咲いていました。ああ、春爛漫。。
そしてそのはるか先には白い日光連山。どうです、この風景!
菜の花の中を走る
菜の花の中、巴波川に沿ってどんどん進む。巴波川は緩いカーブを描きながら、私たちを蔵の街へと導きます。
塚田歴史館対岸でコテッチャンと合流
巴波川の綱手道(つなてみち)に入ると、川にはたくさんの鯉のぼりが飾られ賑やかです。
この川の両岸にはかつて多くの舟積問屋や豪商が並んでいたそうで、そんな面影を残す塚田歴史館対岸でコテッチャンが待っていました。
蔵の街遊覧船
巴波川の舟運は、江戸初期、徳川家康の霊柩を久能山から日光山に改葬した際に、御用の荷物などを栃木河岸に陸揚げしたことに始まるそうです。しかし、当時の巴波川は水量が豊富で流れが速かったため、両岸に綱手道を作り舟を綱で引いて遡航したのだとか。
塚田歴史館前の川沿いに、船頭が漕ぐ『蔵の街遊覧船』で楽しむ人々の姿が見えました。その船の周りにわらわらと集まるのはカモたちです。
ヒドリガモ
船に群がる多くはヒドリガモ。船客に餌をおねだりしてギャーギャーと騒がしい。
そんなカモたちを夢中で写真に収めるのは、カモ好きサリーナ。そして、ここには風に泳ぐ鯉のぼりだけでなく、大きな鯉も川の中でたくさん泳いでいました。
柏餅ゲット
ところで、ちょっとお腹が空いてきました。あたりを見回してみると、和菓子屋さん発見。ラッキー!
早速みんなで柏餅をいただきま~す。うん、美味しい。
綱手道と対岸の塚田家
小腹を満たしたら、綱手道を北へと進みます。
対岸に続く黒塀と土蔵は塚田歴史館。塚田家は江戸時代後期から木材回漕問屋を営んできた豪商の邸宅で、巴波川沿いのこの風景は、栃木を代表する景観の一つと言われています。
横山郷土館
さらに北へ進むと、石造りの2つの蔵のある建物がありました。横山郷土館です。
横山家は、店舗の右半分で麻問屋、左半分で銀行を営んでいた明治の豪商。この蔵に使われている石は、大谷石よりやや固く吸水性も低い『深岩石』だそうで、鹿沼市で採掘される、と郷土館のスタッフさんが教えてくれました。
蔵の街市民ギャラリー
そして次に訪れたのは、重厚で存在感のある3つの蔵です。
豪商の善野家のこれらの土蔵は江戸時代後期の建築で、江戸時代の飢饉のときに銭や米を放出したことから『お助け蔵』と呼ばれたそう。現在は、市民が作品を展示できる『蔵の街市民ギャラリー』となっています。
旧栃木病院
栃木のまちは、明治時代に一時は県庁所在地だったこともあり、この周辺には明治から大正時代に建てられた洋館もよく残っています。
これは旧栃木病院(1913年築)。2階は美しいハーフティンバーですが、左右の棟の屋根の形が違っていたりと面白い。今も『栃木中央クリニック』という現役の病院です。
旧栃木中学校記念図書館
次は栃木高校にお邪魔します。ここには旧栃木中学講堂(1910年築)と旧栃木中学校記念図書館(1914年築)があり、どちらも白い下見板張りの壁に赤い構造材が特徴です。
写真は旧栃木中学校記念図書館で、同窓会の記念事業として建てられたとか。
旧栃木町役場と県庁堀
さらに、薄いグリーンが美しい立派な建物は旧栃木町役場(1921年築)。2014年まで町役場・市役所として使用された建物は、現在は『栃木市立文学館』として活用されています。
また建物の東と南を囲むお堀は、旧県庁の敷地を囲んでいた通称『県庁堀』。栃木に県庁が置かれていたのは1884年までの13年間で、このお堀が県庁跡地の唯一の遺構だそうです。
日限富士浅間神社
そろそろ蔵の街を離れて太平山に向かいますが、その途中でもう1箇所。
ここは日限富士浅間神社(ひぎりふじせんげんじんじゃ)。日を定めて願掛けをすると叶うとされ、“日限の浅間さん”として信仰されているそうです。その境内にも満開の染井吉野とちらほらの枝垂れ桜。
立ち並ぶ鳥居
ところで神社の参道脇に、鳥居がたくさん並べられていました。『なんだろうね』と鳥居を潜る面々。
実は、願い事が成就すると鳥居を奉納する風習があり、そのため境内にも参道にも鳥居が立ち並んでいるのです。
錦着山公園
さて、ここからは西へ。まず正面に見えてきたのは錦着山公園で、こんもりとしたこの丘でも桜が満開です。
永野川の桜並木
錦着山公園の横を通り過ぎ、永野川を渡ります。
永野川の土手でもピンクの花を咲かせた桜並木が続いています。
太平山遊覧道路に入る
私たちは、ここから太平山遊覧道路と呼ばれる道に入ります。
太平山神社までの約4kmに及ぶ道路の両側には7000本の桜が植えられ、桜のトンネルとして観光客にも人気の場所なのです。
桜並木と菜の花
太平山神社の随神門までは200mほどの標高差ですが、最初のうちはごく緩い上り。
桜のトンネルに加え、周囲にはところどころ菜の花も現れていい感じ。『いいですね~』と歓声をあげる、この辺りまでは余裕のベネデッタ。
桜のトンネル
満開の桜の下を、感嘆のため息と共に進んでいきます。空いっぱいに枝を伸ばした桜が広がり、これぞ桜のトンネル。
車がちょっと多いけど、みんなが来たい桜のこの時期はやむを得ませんね。
桜の下を飛ばすレイナ
ゴルフ場にさしかかり、少し勾配が出てきました。先行するコテッチャン、後続を引くサイダー、ぐいぐい上るレイナ。そして、桜を愛でながら我が物顔でるんるん走るレイ(TOP写真)。
しかし、この辺りからいきなり立ち漕ぎを始めるベネデッタを見て『どうしたの』とサリーナが問うと、『軽いギアにチェンジできない。。』とのこと。なに~!
押すベネデッタ
立ち止まってガチャガチャやってみるも、ギアチェンジはうまくできません。そのうち心配したサイダーが戻ってきて色々やってみるがうまくいかない。
先行するメンバーは途中のベンチで待っていましたが『なかなか来ないね~』。結局、ベネデッタはサイダーにギアを中程で固定してもらって走り出したものの、勾配のきついところは押しが続く。汗だくになりながら何とか上り終え、『あ~きつかった~』
随神門
ともあれ、みんなが合流して太平山神社の下の赤い随神門までやってきました。
ここに自転車を置き、太平山神社へと階段を上ります。
神社の階段を上る
階段、長くて急なんです(笑)
エッチラオッチラとゆっくり上っていきます。
太平山神社
階段を上り切ると、太平山神社は正面の本殿をはじめ幾つもの建物が連なりかなり立派です。枝垂れ桜も咲き、ここからの眺めもいい感じ。
右手奥にある茶屋では眺めを楽しみながら名物をいただけるそうで、ここでお昼に。
栃木市の中心部を見渡す
そこには、こんな景色が待っていました。何本もの桜が咲き乱れる向こうには、先ほどまでポタポタしていた栃木市の中心部が広がっています。
素晴らしい春の景色を眺めつつ、お昼をいただきます。お店は蕎麦屋ですが、名物は団子、卵焼き、焼き鳥のセット。意外な組み合わせですが、みんなで分け合っていただいた名物料理はどれも美味しかったです。
謙信平
自転車に戻り、次は300mほど先の謙信平。戦国時代、上杉謙信が北条氏康と大中寺で和議を結んだ後、太平山に登り南の関東平野を見渡してあまりの広さに目を見張ったとの故事から、謙信平の地名が生まれたそうです。
このあたりには茶屋も数軒あって賑わっています。
階段に遭遇しちょっと戻る
謙信平の先で太平山遊覧道路を離れ、車の通らない小道を南へ下っていきます。ここは『関東ふれあいの道』で『桜咲くパノラマのみち』コースとなっているところ。
とても気持ちのいい小道ですが、カーブや路面の亀裂に要注意。そして、ついに階段に遭遇。手前で左に入れば階段を回避できると、コテッチャンを先頭にちょっと戻ります。担ぎが大好きなサイダーのみ、自転車抱えて階段を下りましたとさ(笑)
山は春
ともかく周囲の山は春。そこかしこで桜は満開、木の芽も芽吹いて若々しい色を添えています。
山を走るジオポタ
そんな楽しい道を駆け下りていくジオポタ。
大中寺に到着
ほどなく大中寺に到着です。
ここは上杉謙信が北条氏康と和議を結んだという由緒あるお寺。境内には種類の異なる桜が咲いて美しい。
大木とベネデッタ
その境内で早速大木を見つけ、抱きしめるベネデッタ。
自転車の調子がイマイチでややお疲れなベネデッタ、二本の大木が絡まったようなねじりんぼう姿の巨木からパワーをもらいます。
境内の桜の競演
本堂のあたりからピンクの濃淡の異なる桜の競演をしばし楽しみます。
ところでこの大中寺、七不思議伝説なるものが残っています。本堂正面の階段もその一つ(油坂)で使用が禁じられていたりと油断できません。
侘助
本堂の左右には、侘助がひっそりと下を向いて美しい花を咲かせていました。
池と山の桜
見学を終えて大中寺から下り。そして池の畔から下ってきた方向を振り返ると、池のほとりに白い枝を広げる大きな桜、そして太平山の山並みにもポツポツと白い桜がぼんぼりのように浮き上がって見えます。
白石家戸長屋敷の長屋門
そしてほどなくたどり着いたのは、栃木市おおひら歴史民俗資料館・郷土資料館。旧大平町の縄文時代から近代までの考古・歴史・民俗資料を展示している施設です。
このうち郷土資料館『白石家戸長屋敷』は、江戸時代に庄屋を務めていた白石家の屋敷を修復したもので、茅葺きの母屋や長屋門や土蔵を見ることができます。資料館の入口は立派な長屋門。
茅葺の母屋
門を潜ると正面には茅葺の母屋。通用の入口は右ですが、左側には代官や役人などの上役専用の玄関(入母屋瓦葺の屋根)や座敷などが設けられ、格式の高いつくりとなっています。
台所の竃
我々は右の入口から。土間を入ると台所。『こんな大きな竃で煮炊きしたのか~』と驚くベネデッタとレイナ。
土蔵
敷地内には土蔵も数棟あり、中ではそれぞれ稲作の農機具とか食料の保存容器とか、昔の生活道具の展示があって面白い。
稲の脱穀に使う唐箕(とうみ)や千歯こきを見て、『これ、実家にあったよ』と自慢げなのはカントリーボーイのサイダー。シティガールたちに使い方を解説しています。
太平山南山麓を走る
白石家戸長屋敷を出て、太平山と晃石山の南の山麓を再び自転車で走り始めます。
ベネデッタ、レイナが引き、レイが続く。
ぶどう園を抜ける
ところでこのあたりはぶどうの栽培が盛ん。周囲にはたくさんのぶどう園が見られます。ぶどう棚の並ぶ道を駆け抜けるコテッチャン。
6月下旬から9月下旬まで、ぶどう狩りが楽しめるそうです。
サイダーとベネデッタ、レイナ
平坦で快適な道が続きますが、サイダーに引かれるベネデッタとレイナはそろそろお疲れモード。特にベネデッタはギアチェンジが不調のため、かなり体力を消耗したようです。
ここは両毛線の岩舟駅が近いので、ベネデッタ、レイナはここでリタイアを決め、レイも付き合って帰ることになりました。
岩船山
そんな中、右手に崖のような変わった形の山の景色が見えてきました。
これは岩船山。江戸時代から始まった岩舟石の採石で山が削られ、姿が変わっていったのだそうです。岩舟石は凝灰岩の一種で、主に城や社寺の石垣や石段に使われたとか。この採石場跡地は、近年は火薬を使った爆発シーンのロケ地などに活用されているそうです。
岩舟駅を見るサリーナ
岩舟駅に向かったベネデッタ、レイナ、レイと別れ、ポタを続けるコテッチャン、サリーナ、サイダー。
ほどなく畑の向こうに駅のプラットホームらしきものを発見し、『お~い、お~い』と叫んでみるも、反応がなかったので聞こえなかったかな。
三毳山の脇を南下
岩船山を後に、田畑の間をどんどん南西へと走り、三毳山(みかもやま)の脇を南下します。少し風が出てきました。
渡良瀬川に到着
そして、土手を上ったら渡良瀬川に到着。ちょっと疲れたので菜の花に覆われた自転車道で小休止。ほとんど人も自転車も通らない自転車道で、『あとちょっとかな~』と笑顔を見せるサリーナとサイダー。
写真の画面中央あたりに(よく見えませんが)高層ビルがあって、そこが終点の古河です。あと15kmくらい。
遊水池に降りる
渡良瀬川の土手を走ったら、ちょっとワイルドな雰囲気の遊水池に降りて進みます。
ここは渡良瀬遊水池のうち第3調節池。渡良瀬遊水池にはコウノトリも飛来しているといい、この第3調節池にはコウノトリ人工巣塔も設置されています。
東に筑波山
そんな道の途中で東に目を向けると、そこには筑波山。お馴染みの形の山が姿を現します。
再び土手を上ったら、巴波川を渡ります。栃木の中心部でポタポタした川との再会です。
巴波川の土手の自転車道
ここからしばらくは巴波川の土手の自転車道を走ります。ゴール目指して漕ぐサイダー。
風が出て曇ってきました。空では私たちと一緒に遊びたいのか、トンビがずっと同じペースで旋回しています。
谷中湖に入る
巴波川は渡良瀬川と合流し、その渡良瀬川を渡ったら、いよいよ谷中湖に入ります。谷中湖は渡良瀬第1調節池内に建設された貯水池の通称で、ハート型をしています。面積は約4.5㎢とかなり広い。
湖の中央を縦断する道路に入ると、右手に変な建造物、『なんだこりゃ?』 これは渡良瀬遊水地ウォッチングタワー。ヨシ原浄化施設の管理棟ですが、屋上は無料の展望台になっているのです。
谷中湖の北ブロック
谷中湖の中央を北から南へと進みます。中の島へ向かう我々の右手後ろは谷中湖のハートの片割れ、北ブロック。この道路、ハートを分断してはまずいのでは。。(笑)
谷中湖の中央を進む
渡良瀬遊水池には低地の自然環境が広がり、多様な野生生物が暮らしています。野鳥も多く、ワシ・タカ類の日本屈指の越冬地なんだそう。
時刻はすでに17時。ゲートが閉まる時間で、あたりには人も車もいなくなっています。すると、道路脇の薮で何かがゴソゴソ。『わわ、イノシシだ~』と慌てるサリーナとコテッチャン。
キジ
『びっくりした~人がいなくなったから出てきたんだね』とコテッチャン。そんな話をしながら東谷中橋を渡ると、その正面の草っ原にも蠢くものが。
ここにいたのはこんな方。真っ赤な顔に青、茶、グレーとカラフルな衣装のキジでした。
渡良瀬川の土手
再び渡良瀬川の土手に出てきました。ここも菜の花でいっぱい。
この少し手前には、国の重文で近代化産業遺産群に指定されている『旧下野煉化(しもつけれんが)製造会社煉瓦窯』があります。1890年から1971年まで赤煉瓦を生産していたホフマン式の煉瓦窯とのことで、見たかったけれど既に時間切れ。またの機会に。
土手を担ぎ下り
古河の中心部に近づいたところで、渡良瀬川の土手を下ります。
ジオポタ名物、担ぎ下り。今回は薮や草むらではなく階段なので初級か(笑)
古河駅近くの桜並木
そして、高架の鉄道と並行する道路を走れば古河駅はもうすぐ。ここでも桜が満開です。
今日は快晴の中、染井吉野の並木、山の桜、里の桜を堪能し、菜の花との競演もたくさん楽しみました。蔵の街・栃木のポタも楽しく、太平山からの眺めも素晴らしい。桜の時期の定番コースはやっぱり三つ星です!