浦賀駅
2025年のゴールデンウィークは遠出の予定はないので、天気の良いその中の1日を使って三浦半島のポタリングに出かけました。
今回の出発地は浦賀駅です。
観音崎通りを浦賀の渡しへ向かう
浦賀には『渡し』があったね〜、これは乗らなくちゃ! とサリーナが言い出したので、希望者だけ船で浦賀港を横断することにしました。
浦賀の渡し/東渡船場
この渡船の歴史は古く、1725年(享保10年)頃まで遡るそうです。
短い渡しなので船は1艘しかなく、対岸に停泊している時はブザーで連絡して来てもらう方式です。
渡し船
私たちが乗り場に到着した時、船は丁度対岸を出発したところでした。
船中のサリーナ
しかし見る見るうちにこちら側に到着して、係員の案内で船に乗り込みますが、自転車は甲板に専用のラックが2台分設けられていました。
自転車を甲板に載せると係員が、対岸まで押さえていますので安心してください、と言います。大抵こういった場合はロープなどで自転車を固定することが多いと思いますが、ここは距離が短く、航路も安定しているので特別固定はしなくてもいいのでしょう。係員は実際は自転車を押さえることはせずにいましたが、特別問題はありませんでした。
西渡船場に近づく渡し船
船は自転車を載せ終わるとすぐに出発し、あっという間に対岸に到着です。ここは浦賀港で、対岸までは200mほどしか離れていないのです。浦賀の渡し、短いながらもいい旅でした。
浦賀港西岸を行く
対岸に到着したら身支度を整えて本日のポタリングの再開です。
浦賀といえばペリー来航(1853年=嘉永6年)というくらいに、江戸時代に黒船がやってきたところとして知られますが、ここはそれ以前にも通商や補給のために外国船がしばしばやって来ていたそうです。
浦賀の港の歴史については古いことはあまりわかっていないようですが、戦国時代には小田原の北条氏が房総の里見氏に対する砦として浦賀城を築き、三崎とともに水軍の基地としていたことが知られています。
陸軍桟橋から浦賀城跡の東叶神社裏山を望む
その浦賀城があった対岸には『陸軍桟橋』と呼ばれるところがあります。この桟橋は太平洋戦争終了後、引揚指定港となり、南方や中国大陸からの引き揚げ者約56万人が到着しました。
現在はボードウォークが整備され、のんびりと釣り人が糸を垂らしている姿が見えます。
徳川家康は江戸に入府すると三浦半島を直轄地とし、この一円を支配しました。ここに外国の商館をつくり、貿易港として利用しようと考えたのです。
船番所跡
享保年間になると江戸を守るために浦賀奉行所が設置されました。ペリーが来航したときもこの浦賀奉行所が対応しました。浦賀奉行所の出先機関として陸軍桟橋付近に船番所が置かれました。この番所では江戸へ出入りする船の乗組員と積み荷を検査する『船改め(ふなあらため)』を行っていました。江戸に来る交易船は、この船改めを必ず受けなければならなかったので、全国からの交易船が立ち寄り、浦賀の町は大変栄えました。そして船番所は1721年(享保6年)から1872年(明治5年)までの約150年間も続いたのでした。
燈明堂海岸1
浦賀港の出口には燈明堂海岸があります。この日は陽気がよく。家族づれで賑わっていました。
燈明堂海岸2
ここは狭いビーチの横に磯場があり、ちょっと面白いです。
燈明堂海岸の生き物たち
その磯を覗いてみると、笠貝やイソギンチャクなどがたくさん!
燈明堂
磯場の奥には『燈明堂』が立ちます。燈明堂は江戸時代は1648年(慶安元年)に建てられた灯台で、光源は菜種油によるもの。その光は4海里(7.4km)を照らしたそうです。
この管理は、当時栄えていた東浦賀の干鰯問屋が行っており、1872年(明治5年)に廃止されるまでの約220年間、一日も休むことなく灯されたそうです。
燈明堂ジャンプ
ここで記念の一枚を。
千代ヶ崎砲台跡アプローチ道を上る
気持ちいいジャンプをしたら、明治時代にこのあたりにたくさん設置された砲台の一つである千代ヶ崎砲台跡に向かいます。
千代ヶ崎砲台は平根山(ひらねやま)に1892年(明治25年)から1895年(明治28年)にかけて造られ、そのアプローチ道は砲台のために造られた軍用道路で、かなり急勾配でヘコヘコ。この坂道の途中に駐車場があり、そこに駐輪して砲台跡に向かいます。
千代ヶ崎砲台跡メイン通路
千代ヶ崎砲台跡の見学は基本的には係員の案内付きツアーが原則でこれには1時間を要しますが、ツアーでないと砲座などの重要箇所は見られないので、私たちはツアーに参加。
これがメイン通路(塁道)で、屋外の擁壁は房総半島の鋸山から切り出された凝灰質礫岩のブラフ積み、屋内壁は煉瓦造のイギリス積み、天井部は無菌コンクリート造。煉瓦は今でいう小菅の東京拘置所で焼かれたものだそうで、桜の花の刻印が入っています。
メイン通路は地上部から地下へ伸びていきます。
砲座へ続く煉瓦積みの通路
地下のメイン通路の脇には貯水所、兵隊の宿舎、倉庫などが並びますが、狭い通路が3本それに直行して伸びています。この通路の奥にある階段を上ると砲座があります。
砲座の手前には、弾薬倉庫、点灯室(ランプ室)、高塁道(砲座を連絡する通路)があり、高塁道には揚弾井と揚弾機が設置されています。
第一砲座跡
そしてこれが榴弾砲砲座跡です。榴弾砲砲座は3つあり、それぞれ2門、合計6門ありました。榴弾砲は28cmで217kgもあり、砲身は全長2.8m、最大射程距離は7.8kmだったそうです。ちなみにここ三浦半島と対岸の房総半島との距離は約10km。
ここには榴弾砲砲座以外により小口径の加農砲が設けられた近接防御砲台がありました。
第三砲座跡
さて、地上部へ上がってみましょう。これは第三砲座跡で、砲座が地下にあることがはっきりわかりますね。砲座を地下に設えたのは敵艦から砲台が見えないようにするためです。
敵艦から砲座が見えないということは砲座からも敵艦が見えないことになります。そのため観測所を二箇所設け、目標の位置を計測し、伝声管で砲台に伝えていました。
千代ヶ崎砲台跡より房総半島を望む
この地上部からは浦賀水道を通して房総半島がよく見えます。ここを通過する敵艦を駆逐する目的で設置された千代ヶ崎砲台ですが、実際には実戦で敵艦に向けて砲弾を発射した記録はないそうです。
久里浜海岸
千代ヶ崎砲台跡の見学は思いの外時間が掛かり、予定を大幅に超過してしまいました。砲台跡から下り、久里浜の海岸を飛ばします。
ペリー公園前を行くコムラン
久里浜にはペリー公園がありますが、今回はここはスルー。
野比海岸を行くレイ
久里浜の次は野比。爽やかな風と青い海が気持ちいい。
浦賀水道の向こう側10kmのところには房総半島がくっきり見えています。
#ジハングン ヨコスカ
野比海岸には遊歩道が設けられています。その一角に『#ジハングン ヨコスカ』なるものがあります。アートなのか何なのかよくわかりませんが、ピンク色のオブジェが並んでいました。
黒船発見場所
その少し西には『黒船発見場所』があります。かのペリー艦隊はここで発見されたのでしょうね。
津久井浜
野比からは長浜、津久井浜と続きます。
下浦海岸の鯉のぼり
三浦海岸が近づくと『諏訪神社入口』の信号機の先に鯉のぼりがたくさん泳いでいます。くしくも今日は05月05日、端午の節句です。その前にある駐車場には『下浦海岸』の名が見えます。このあたりは南下浦町だそうです。
ウィンドサーフィン
鯉のぼりの先に砂浜が現れると、そこは三浦海岸です。この日は風もそれなりに吹いており、海上ではウィンドサーフィンやカイトサーフィンを楽しむ人々の姿がありました。
三浦海岸
そして家族づれものんびり時を過ごしています。
ランチタイム
こんな海辺の景色を眺めながら、三浦海岸のデッキでランチタイム。
小松ヶ池公園
ランチのあとは内陸部へ向かいます。まずはちょっときつい坂を上って小松ヶ池公園。
南下浦町菊名の畑を上る
そしていったん下って今度は畑道を上ります。ここは一部超激坂で押しが入りました。
高台の畑から久里浜方面を見返る
その畑からやってきた方角を振り返れば、弧を描いた金田湾の先に浦賀水道、そしてその向こう側に房総半島がよく見えます。
この畑の先は行き止まりなのでやってきた坂道を下ります。海に落っこちる〜(TOP写真)
金田湾からの上り
海岸まで下り、r215上宮田金田三崎港線を南へどんどこ。金田漁港の先で道が内陸へ向かい出すと、上りが始まります。
さらに上部の畑に上る
この坂道の途中で折り返すようにしてその東側の高台に上れば、そこには気持ちの良い畑が広がっています。
大根畑の中を行く
三浦といえば三浦大根の大根畑の中を行きます。気持ちいい〜〜
崖下り
半島の先端をぐるっと回るようにして進み、鬱蒼とした木々の中を下り、次の畑にでます。
大根の花
小さな真っ白な花が咲いていました。これは大根の花ですね。
大根畑の横から房総半島の鋸山付近を望む
この畑から海岸まではちょっとした標高差があります。うまい具合に下の海岸の様子がわかるポイントがありました。なんと磯では家族づれがピクニックをしていました。あそこまで下る道がどこかにあるようですが、仮にそれが見つかったとしても、行って戻ってくるのは大変そうなので行くのは断念。
剱埼砲台跡
大根畑の真ん中になにやら妙なものがあります。コンクリートで円形をした工作物です。これは剱埼砲台跡です。先の千代ヶ崎砲台は山の中に隠されて造られましたが、ここはごろっと露出していたように見えます。ここ三浦半島と対岸の房総半島には『東京湾要塞』として全部で32の砲台が建設されたのです。
このあたりは大根畑以外にビニールで覆われた畑があります。軽トラックで作業に来ていた農家の方に聞くと、それはスイカだそうです。私が子供の頃はスイカは丸々一個を切って食べるのが当たり前でしたが、今日はスイカも贅沢品でとても丸ごと一個は買えない値段になってしまいました。
剱埼灯台
かつてかぶりついたスイカに思いを馳せながらスイカ畑をあとにし、剱埼へ向かいます。
先に白い剱埼灯台が見えてきました。灯台はもう何度も行ったので今日は立ち寄らずに、その下にある面白い海岸に下ります。
剱埼灯台下の地層断面
灯台の手前を南に下ると車がようやく1〜2台駐車できるスペースがあり、そこから細道が海岸へ伸びています。この細道を歩いて下ると、パッと視界が開き、あっという崖が現れます。
バウムクーヘンのように模様がはっきり浮き出た地層断面です。
地層断面を眺める面々
『お〜っ!』とか『ワーッ!』とか叫びながら崖の地層を眺める面々。
剱埼灯台下の磯で遊ぶ面々
その前には磯場が広がっています。
剱埼灯台下の磯
今はちょうど引き潮のようで水たまりがたくさん。
潮干見をする面々
潮干狩りをするほどには獲物はいないようなので、みんなで潮干見です。
アメフラシ
黄色いのはアメフラシでしょう。黒いのもいましたよ。
蟹と貝
泡がプクプク。カニさんと貝です。
のんびりゆったり過ごしていたら、時はなんとすでに15時半。これから予定している『小網代の森』へ行き、三崎口駅上がりはちょっと厳しくなってきました。ということで、とりあえず少し戻って松輪の高台にある商店で一休みしながら行程を考えます。
三浦海岸駅
小網代の森をパスし、内陸を散策しながらゆっくり三崎口駅へ直接向かう案が有力でしたが、駅前の居酒屋さんの予約取れずで、店が多い三浦海岸駅へ向かうことに。
予定よりだいぶ早く三浦海岸駅前に到着。今日はゴールデンウィークの中。しかも三浦海岸駅前ではなにやらイベントがあった模様で、広場にはテントがたくさん並んでおり大混雑!
三浦海岸駅前のあやとり
居酒屋はどこもいっぱいでしたが、1時間でよければという『あやとり』さんに無事着席! あ〜よかった〜!!