栗橋駅
恒例となっている彼岸花サイクリングです。今年は幸手市の権現堂堤です。
この夏はとても暑く、そのせいでか今年の彼岸花は彼岸にはまだ蕾のところが多く、見頃は9月末から10月初旬という予測でした。9月最後の週末は暑くて出かける気にならなかったので、10月最初の週末になりました。昨日は雨だったので1日延期し、本日ようやく開催の運びとなりました。
栗橋のまち
集合場所の栗橋駅に集まったのは、ミッチー、サリーナ、サイダーの3名。そこにコンタから連絡が入り、この駅には止まらない快速電車に乗ってしまったので久喜駅から権現堂堤に向かうとのこと。コテッチャンは自走でこちらに向かっているので先に出発してほしいと。
ということで、3名で栗橋のまちを抜けて権現堂堤へ向かいます。
利根川の土手
5分も走らないうちに前からコテッチャンがやって来て合流。4人で利根川に沿って権現堂川(権現堂調整池・行幸湖)に向かいます。
川妻給排水機場
ほどなく権現堂川の利根川側の出口である川妻給排水機場に到着。この施設は名称に給排水機場とあるように、利根川と権現堂川の間で水の出し入れを行っています。
権現堂川
まずは権現堂川の東岸を行きます。西岸には一般車道が通りますが東岸は車が通らない遊歩道です。
この権現堂川は1926年(大正15年)までは赤堀川とともに利根川の本流でした。1928年(昭和3年)に流頭が締め切られて廃川となり、その後調整池となったのです。
現在はバス釣りが盛んで、川岸では何人もの釣り人が糸を垂らしていました。
権現堂川を行くコテッチャン
早朝に自宅を出発して今日のコースをほぼ逆から辿ってきたコテッチャンは、先ほど通ったばかりの権現堂川を今度は利根川側から権現堂堤へ向かって走っていきます。
猫と鶏
少し南下すると権現堂川の対岸は桜並木になり、そちら側の方が気持ち良さそうなので橋を渡って西岸に出ました。すると橋のたもとに猫が数匹と真っ白な鶏が3羽いました。一般的に猫は鶏を襲うものとされていますが、ここではみんな仲良しでした。
カヤック
猫と鶏を眺めて楽しんだらここからは西岸を南下します。
すると向こうからカヤックがやってきました。権現堂川は流れがほとんどないため、カヤックやカヌーの初心者が練習するには打って付けのところなのです。川岸のカヌー艇庫では学生らしき人々が作業をしていました。
水の色が緑色なのは水がほとんど流れていないためにアオコが発生しているのでしょう。何箇所かに水質浄化装置らしきものが設置されていました。
傘付き自転車
自転車に傘を取り付けた方がやってきました。傘ホルダーとか傘スタンドと呼ばれる傘を自転車に固定する器具があるようです。こうした器具では大阪で大ヒットした『さすべえ』という商品が有名だそうで、私の知人によると『さすべえは大阪のおばちゃんの必需品』だそうです。この器具、安全上はちょっと問題があるような気がしますが道路交通法上はOKなんでしょうか。
サリーナとミッチー
『今日はあんまり暑くならないみたいで良かった〜 ここは気持ちいいね!』とサリーナ。
行幸給排水機場
権現堂川の南端に着きました。そこにあるのは行幸給排水機場です。この向こうには中川が流れており、この施設は権現堂川と中川との水をやりとりしています。
外野橋
行幸給排水機場を渡ると吊り橋の外野橋が見えます。その向こうに見える桜並木の土手が権現堂堤です。
中川と行幸給排水機場
外野橋まで進んで橋からやってきた方向を振り返れば、中川と行幸給排水機場とが見えます。この中川の流れは大正時代までは権現堂川で、関宿橋の北部、埼玉県と茨城県の県境で江戸川に流れ込んでいました。
外野橋から見る権現堂堤
外野橋から権現堂堤を見ると、なにやらうっすらと赤みがかって見えます。あれが彼岸花でしょう。
権現堂堤北東面
外野橋の正面の堤に到着。ここは堤の北東斜面で、赤いのは想像の通りに彼岸花でした。中には白い花もあります。しかしここは大半の花はすでにおしまいでした。
この土手を眺めているところにコンタがやってきて無事合流。
権現堂堤南西面
土手を登ってみます。すると南西斜面に咲く彼岸花が目に飛び込んできました。赤一色!
よく見ればこちらの花もピークを過ぎて終わりかけのものが多いのですが、まだ見られます。
曼珠沙華とも呼ばれる彼岸花
この花は今がまさにピーク。
すくっと立ち上がる彼岸花
彼岸花というのは見れば見るほど面白い植物です。花の形しかり。葉っぱを出さずに一本のすくっと伸びた茎の先に花だけを載せている姿しかり。花が落ちたあとに茎がなくなりそのあとに葉っぱを出すのですが、これはあまり知られていないようです。
白い彼岸花
これは白い花で白花曼珠沙華(シロバナマンジュシャゲ)と呼ばれています。赤い彼岸花と黄色のショウキズイセン(ショウキラン)の自然交雑種と考えられています。
ちなみに赤い彼岸花の英語名は Red Spider Lily で、白花曼珠沙華は White Spider Lily だそうです。花びらの細く反り返った姿を『蜘蛛の足』に見立てたのでしょうか。
蕾
ほとんどの花がピークを過ぎていたのに、わずかながら蕾のものもありました。この蕾の形もまたちょっと面白いですね。
サリーナ
この景色にご満悦のサリーナ。
コンタ、サリーナ、サイダー
コンタとサイダーもにっこり。
ここの彼岸花は当初の予想の通り、先週あたりがピークだったと思いますが、なんとか最後の輝きに間に合ったようでよかったです。
コキア
さて、入り口に戻って自転車をピックアップしましょう。
そこには箒草とも呼ばれるコキアが植えられていました。これはこれから真っ赤になり、群になるとなんとも幻想的な景色を作り出します。
コスモス
宇宙の花コスモスはまだ少ししか咲いていません。これからですね。
コキアを横目に進む
右にコキア、左にコスモスを眺めながら権現堂堤に沿って進んでいきます。
権現堂堤に沿って走るコンタ
この桜並木の長さは1kmで、春には見事な花霞となります。
道端の花々
権現堂堤を出て中川に沿って東へ向かいます。この先の中川の土手にはしばらく道がないので一般道を行きます。するとその道端には色とりどりの花々が咲き乱れています。暑かった夏がようやく終わり、秋になったという心持ちになります。
中川の土手
幸手総合公園の西の工業団地の裏手から中川の土手に這い上りました。ここから土手上の遊歩道が始まります。
コテッチャンが好きな柿
土手の横に赤い実が生っています。柿ですね。
これを見たコテッチャンはよだれダラダラ状態。コテッチャンは大の柿好きなのですが、最近はその値段がとても高くなってなかなか手が出にくいとのこと。これ、取る人はいないみたいなので取っても怒られないと思うけど、渋柿だよ!
クルミの木
中川の側にちょっと面白いものを発見! クルミです。
実がたくさん生っています。これはオニグルミですね。
クルミの実
田舎育ちのわたくしサイダーは子供の頃はよくクルミを取ってきて食べたものでした。それにはかなりの労力が入ります。まずこの緑色をした状態のものを水に浸けたり、土に埋めたり、袋に入れるなどして1~2週間放置して皮を腐らせます。次に腐った皮を剥いて中から種(桃の種の大きいものを想像すればOK)を取り出し、洗います。それを数日間干して乾燥させます。完全に乾いたらナットクラッカーで割り、千枚通しで複雑に入り組んだ実をほじくり出していただくのです。実は生でも炒ってもおいしく食べられます。でもこの作業、とてもやってられねーぜ! となりますよ、大抵は。😅
宇和田公園
洪水時に中川の水を江戸川へ逃がす幸手放水路が別れると、すぐに宇和田公園に到着。
ここでトイレ&自販機休憩です。ここの大きなイチョウの木からはたくさん銀杏が落ちていました。
コンタの自転車にトラブル
宇和田公園を出たところでコンタの自転車にトラブル発生。ハンドルを折りたたんだ時に固定するパーツが落ちてしまったのです。ボルトが緩んでいたようです。慌てて落ちたパーツを拾って取り付けます。
中川の彼岸花
このあたりの中川はコンクリートの護岸がなく、なかなかいい流れです。その土手の上には彼岸花が咲いていました。
高平橋
ちょっとレトロな橋も何本か架かっています。これは1959年(昭和34年)竣工の高平橋(たかひらばし)。
甘柿
コテッチャンが好きな柿。こちらは甘柿! すでに鳥がかじっていますね。
その足元の白い花はおそらく生姜でしょう。
ジオポタ専用道路
この道はほとんど誰も通らずにジオポタの独占状態。気分良くどんどこ進みます。
玉子橋
先ほど見た高平橋とよく似た橋が現れました。これは玉子橋で、高平橋と同じ1959年(昭和34年)の竣工。
草茫々
玉子橋から南は右岸を行きますが、この土手は草刈りがまだで茫々です。
緩衝緑地
舟渡橋に出たところで中川を離れ中庄内排水路へ向かいます。深輪産業団地の入口付近の中庄内排水路に出るとこの水路に沿って遊歩道がある緑地帯がありました。産業団地の開発には法令により緩衝緑地帯の設置が義務付けられることが多いので、これはそれかもしれません。いずれにせよ、巨大施設に周囲にはこうした配慮をしてもらえるとうれしいです。
放置状態の田んぼ
その緑地帯を出て中庄内排水路沿いを行くと、ちょっと変わった田んぼがありました。まだ稲刈りはされておらず、田んぼの中には雑草が見られます。これはこのような栽培法なのか、労働力不足で放置状態になっているのか。
稲刈りあとの田んぼの中を行く面々
こちらは稲刈りされたあとの田んぼ。ひこばえが出て青く生っています。そういえばここのところの米の価格の上昇が原因なのか、早めに田植えしてひこばえを利用した二期作をするところが多くなってきたそうです。これは再生二期作(ひこばえ農法)と呼ばれるそうです。
中庄内排水路沿いの桜並木
中庄内排水路沿いの桜並木に入りました。この桜並木は3kmほど続きます。しかしその下の道はとても狭く、舗装はかなり荒れています。草が茫々のところもあり、ここはちょっと走りにくいのですが、
中庄内排水路沿いの彼岸花
何度か一般道を横切ると道幅が広くなり、桜の木下に赤い帯が続くようになります。ここにも彼岸花が咲いていました。
彼岸花と田んぼ
足元の彼岸花と横の田んぼを眺めながらどんどこ。
彼岸花を眺めながら行くサリーナ
『わ〜、こんなところにこんなに彼岸花が咲いていたんだね〜』 とこの長い赤い帯に感動のサリーナ。
田んぼの畔を行く
『道の駅庄和』付近で中庄内排水路を離れ、西金野井春日部線にある蕎麦屋を目指します。
庄和総合公園
目的の蕎麦屋の手前にある庄和総合公園では何やら車関係のイベントが行われており、スーパーカーやオートバイがたくさん集まっていました。
金野井用水路横
昼飯に蕎麦をいただいたらの金野井用水路と庄和総合公園の間の遊歩道を北へ向かいます。ここにはキバナコスモスなどがたくさん咲いています。
営業中の自動販売機
これからは江戸川の土手を行きます。江戸川は埼玉県側、千葉県側とも土手上がサイクリングロードになっていてどちらを行っても良いのですが、R16の金野井大橋は長いので渡らずに、このまま埼玉県側を行くことにしました。
土手上に上るすぐ手前に『営業中』の幟。ここで営業しているのは自動販売機でした! 🤣
江戸川サイクリングロードを行く
埼玉県側の江戸川サイクリングロードは総じて千葉県側より広いです。
江戸川と江戸川サイクリングロード
そして江戸川はゆったりとした流れで川面は広く、空も広くて気持ちいいです。
松伏休憩所
休憩所やトイレも比較的よく整備されています。ここは落ち着いた雰囲気の松伏休憩所で、トイレ、東屋、ベンチ、サイクルラック、自動販売機があります。
竹林カフェ風
松伏休憩所の少し先でサイクリングロードは通行止めになっていました。埼玉県側の野田橋の北数百メートルは道幅が狭く大型トラックもかなり通り、自転車にはうれしくないところなのですが、どうやらこの部分の道路工事をしているようです。サイクリングロードをそのまま野田橋に繋がるようにしてほしいですね。
この通行止めになっているところから下の道に降りると、竹林がある気持ちの良いカフェがあります。ここはサイクリストに人気のスポットになりました。
野田橋
道路工事のため、これまで下の道から野田橋に上がる道が付け替えられておりちょっとうろうろしましたが、どうにか野田橋に出てこの橋を千葉県側へ渡ります。
野田橋は特に入口付近の歩道ゾーンが狭く、自転車に優しい橋とは言えません。先の金野井橋にはしっかりした歩道がありますが距離がかなり長いの、ここはどちらを取るかという選択になります。
千葉県側の江戸川サイクリングロード
野田橋を渡って千葉県側の江戸川サイクリングロードに入りました。こちらのサイクリングロードは埼玉県側に比べ、ご覧の通りにかなり狭いです。しかしそれは『味がある』と言えるかもしれません。
キッコーマン煉瓦蔵
サイクリングロードを僅かに進んだところで土手から下り、野田の街に入ります。
野田と言えばキッコーマン! これはその『煉瓦蔵』で1932年(昭和7年)築だそうです。かつては内部の見学が出来たのですが、現在はまったく使われている気配はなく、見学はもちろんできません。屋外に展示されていた木の大桶は朽ち果てていました。
高梨本家(上花輪歴史館)
煉瓦蔵のすぐ北には高梨本家(上花輪歴史館)があります。
高梨家は江戸時代には代々名主を務めた家柄で、野田で最初に醤油醸造を始めたとされています。そして野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)を設立(全部で八家で)しました。ここはその高梨兵左衛門家の居宅と庭園です。
萩が咲く高梨本家の長屋門
通りに面した冠木門をくぐるときれいな萩の花が両側に咲き乱れ、その先に大きな長屋門が立っています。
これだけで圧倒されそうな雰囲気です。今日は時間の関係で入館しませんが、ここの庭園は国の名勝になっており、なかなか見応えがあります。また屋敷そのものも当然立派で、醤油醸造関係の資料も展示されています。
キノエネ醤油工場
野田の醤油はキッコーマンだけではありません。これは1830年(天保元年)創業のキノエネ醤油。
キノエネ醤油の表札
キノエネ醤油はキッコーマンが成立する以前から野田で醤油醸造を行ってきた老舗であり、キッコーマンの合同には加わらなかった独立系のメーカーです。その代表的な製品としては、国内の出荷量No.1を誇る白醤油があります。
キノエネ醤油の黒板塀
入口横は黒板塀でなかなかいい感じです。
キノエネ醤油の入口付近
この入口付近からは見えませんが、北側のつくば野田線からは巨大なタンクがたくさん並んでいるのが見えます。
旧茂木佐平治家住宅表門
さて、次は旧茂木佐平治家住宅(現野田市市民会館)です。
野田醤油株式会社は、茂木一族6家、高梨本家1家、堀切家1家の計8家により設立されました。茂木佐平治家は茂木家の分家ですが、野田醤油株式会社の設立に深く関わり、設立後も歴代社長を複数輩出するなど、現在に至るまで創業家として経営の中核を担う重要な存在です。
南側より旧茂木佐平治家住宅を見る
野田醤油株式会社の設立時には、茂木佐平治家が使用していた本印(最上位のブランド名)であった『亀甲萬』、つまり現在も見ることができるキッコーマン印が、会社の統一商標として採用されました。
ここはその茂木佐平治家の住宅で、1924年(大正13年)頃の建築です。
東側より旧茂木佐平治家住宅を見る
ここは現在は野田市の所有となっており、野田市市民会館として日常的に利用されています。この日は屋内ではいくつかのグループが部屋を貸し切って使用しており、庭ではコスプレがやられていました。
茂木本家
こちらは茂木本家住宅(茂木七左衛門邸)の入口と煉瓦塀です。ここには現在も茂木本家の方々がお住まいになっているようで、非公開です。
稲荷蔵
茂木本家住宅の西にはキッコーマン野田本社があります、その一部に稲荷蔵というものが立っています。この蔵は1908年(明治41年)頃に建てられたもので、茂木本家の仕込蔵として使われていたものだそうです。稲荷蔵と呼ばれているのでその名の通りに、稲荷信仰と関連づけられていると考えられます。
旧野田商誘銀行
メインストリートの流山街道に出ました。この街道沿いには歴史を感じさせる建物が残っています。これは1926年(大正15年)竣工の旧野田商誘銀行。
この銀行の設立に中心的な役割を果たしたのは、後のキッコーマンの設立にも関わる茂木一族や髙梨一族です。野田の醤油産業の経済基盤を支え、発展させるために、地元の有力な醤油醸造家たちが結束して設立した銀行だったのです。現在はキッコーマン関連の会社が所有しているのだと思いますが、この日は休日だったこともあり、内部の様子は伺えませんでした。
ちなみに商誘銀行の『商誘』は『醤油』にひっかけたものだとか。🤣
興風会館
商誘銀行から100mほど南にあるのは1929年(昭和4年)竣工の興風会館(こうふうかいかん)。この施設もまたキッコーマンの創業者である茂木一族と髙梨一族が中心となり、地域社会への貢献を目的として設立されたものでした。
竣工当時は千葉県庁に次ぐ大建築であったといわれ、500人規模の客席を持つ大講堂と集会室、地下ギャラリーなどから成ります。建築様式はロマネスクを加味した近世復興式のもので、設計者の大森茂は神田駿河台の明治大学旧校舎を設計した人でした。
興風会館2階ラウンジ
大講堂を覗いてみましょう。それは2階にあります。階段を上っていくと暖炉がある少し広めのスペースがあります。ここが大ホール前のラウンジです。現代のホールのそれとは比べようもありませんが、当時としてはこれでも贅沢な方だったのかもしれません。
興風会館大講堂
この時大講堂では詩吟だかなんだか、そんなものが行われていました。観客が少ないのが玉に瑕ですが、昭和初期の建物がこうして現在も使われていることに敬意を表します。
キッコーマンの御用蔵
次はキッコーマンの工場内に立つ御用醤油醸造所、通称『御用蔵』です。
御用蔵は宮内庁に納める醤油を醸造するところで、かつては江戸川沿いのよく見えるところにありましたが、老朽化で大規模な補修工事が必要となり、この地に移築されました。予約制ですが平日は内部見学ができます。
櫻木神社
キッコーマン工場のほど近くには櫻木神社があります。ここは野田市で最古の社と伝えられ、平安朝の851年(仁寿元年)に大化の改新で活躍した藤原鎌足の子孫とされる方が、桜の大木のもとに五穀豊穣や商売繁盛をつかさどる神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀ったのが始まりと伝えられています。
地元では縁結びや商売繁盛などのご利益で知られており、その社殿は驚くほど立派でびっくりします。
福龍
実はこの神社の祭祀は、古くは藤原氏の子孫にあたる髙梨則忠氏によって継承されたと伝えられています。この髙梨氏はキッコーマンの創業家の一つである髙梨家のルーツとされています。つまり、キッコーマンとは直接ではないものの、歴史的地域的な深い結びつきがあります。
境内には『福龍』という名の立ち木龍神像があります。これはナラ枯れ病で朽ちてしまったコナラの古木に、チェーンソーアーティストの栗田宏武氏が命を吹き込み、彫刻として生まれ変わらせたものです。
さくら絵馬
ここの絵馬は何種類かあるようですが、特に人気なのが『さくら絵馬』と呼ばれる、桜の花の形をした淡いピンク色の絵馬です。
ペコちゃん
なつかしいペコちゃん発見! 手にぶら下げているのは千歳飴。そういえばもうすぐ七五三ですね。
さて、以上で野田の見物は終了。江戸川へ向かいます。
玉葉橋付近の江戸川サイクリングロード
夏が終わり、植物の成長が穏やかになると草刈りシーズンです。この日は、江戸川に上ろうと思っていたスロープの途中で草刈りが行われていたので土手下をしばらく南下してから土手上のサイクリングロードに出ました。ここはサイクリングロードの横の僅かなスペースだけ草刈りがされていました。
利根運河沿いの自転車道を行く
今日は久しぶりに利根運河付近を覗いてみます。
先に見える巨大建築物は物流センターや倉庫といった物流施設です。ここは常磐自動車道の流山インターチェンジに近いことから、近年、首都圏をカバーする物流拠点として大規模な開発が進んでいるのです。私たちが走っているすぐ右手も、かなり大きな開発が進行中でした。
西深井
いつもはずっと運河沿いを行くのですが、西深井は静かでいい道があるとコテッチャンがいうので案内してもらいました。同じ深井でも運河駅に近い側の東深井は完全な住宅地ですが、この西深井にはまだ畑や屋敷林を抱えた住宅が残っています。
運河へ下りる
流山街道が近づいたところで自転車道に復帰し、運河に下ります。
先に見えるアーチ橋は運河駅近くにある歩道橋のふれあい橋で、その手前に東武アーバンパークラインが、そのまた手前に流山街道が通っています。
利根運河は利根川と江戸川の二大河川を結ぶために明治時代に開削された日本初の西洋式運河です。全長は約8.5kmで1890年(明治23年)に竣工しました。
大青田付近の利根運河
江戸時代より東北地方の物資は利根川水系を利用して江戸へ運ばれていましたが、関宿(せきやど)付近で川底が浅くなっており陸路での積み替えが必要でした。 運河を開削することで、利根川から直接江戸川へ抜けるショートカット航路を作り出したのです。その開通後は関東の舟運の動脈となり、野田・流山の醤油醸造業の発展にも大きく貢献し、最盛期には年間約4万隻もの船が航行したそうです。
しかし現在はその本来の機能を失い、運河水辺公園として整備され地域住民の憩いの場になっています。私たちも時々こうして利用させてもらっています。
柏たなか北公園
利根運河を出てつくばエクスプレス線の柏たなか駅へ向かいます。ひなびた道を進んで行き、常磐自動車道をくぐり抜けると風景が一変。そこにはびっしりと戸建住宅が並んでいるのでした。
この住宅地の端にある公園では、最近ではかなり珍しいと思える光景が展開しています。小さな子供達がたくさん遊んでいるのです。今は日本中どこへ行っても子供より高齢者の方が圧倒的に多いのに。
この公園から東を眺めると、これまた面白い景色が見られます。利根川との間には田んぼが広がり、その先に筑波山、そして田んぼの中をどこまでも延びるつくばエクスプレス線の高架橋、その手前に立つ高圧線の鉄塔と電線。
柏たなか駅
本日の終着地はつくばエクスプレス線の柏たなか駅。駅前にただ一軒だけの居酒屋で反省会です。 🍻
